画は歌川 國貞 (三代豊國)
天明6年(1786年)〜元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄斎・五渡亭など 作
「梅初春五十三駅 うめのはるごじゅうさんつぎ」より、
「東海道五十三駅の内 岡崎八ツ橋村」 「十六夜 坂東玉三郎」
「薄雲太夫 尾上菊五郎」 「稲葉の介 市村羽左衛門」です。
☆雪、真冬日。
まだ戦闘中? らしい、
◆http://rockway.blog.shinobi.jp/Entry/871/
ROCKWAY EXPRESS
◎マリでの戦争: ウラン、金、石油、戦略鉱物の宝庫
▼1月18日
11日からマリ北部に対する空爆などの軍事介入をしているフランスを牽制するため、
マリ北部地域の独立を宣言しているイスラム武装勢力が隣国アルジェリアの
天然ガスプラントを襲撃し人質を取った事件で相当数の犠牲者が出てしまったようだ。
イスラム武装勢力が人質を取った主な理由は、フランスの空爆を停止させることだった。
マリという国家の内紛にフランスという外国が軍事介入をした結果が
今回の日本人を含む人質事件であったことを指摘しておかねばならない。
したがってもしも今回の事件で犠牲者が大量に出るとすれば、
それはフランスにも大きな責任があることを指摘しておく。
このイスラム武装勢力はアルカイダと関係する組織だということで、
アメリカのパネッタ国防長官もアルカイダの危険性を改めて指摘していたが、
その同じアルカイダ系イスラム武装勢力が襲撃を繰り返しているシリアでは、
反対にアメリカはこのアルカイダ系イスラム武装勢力を支援しているのであるから、
アメリカを始めとする欧米諸国、つまりNATO勢力がいかに二枚舌的存在であるかが分かろう、
というものである。 彼らには一切の大義もなければ、正当性もない。
では何故、フランスのマリに対する軍事介入なのか、という点を見れば、
それが相も変わらず資源の争奪戦である、ということなのだ。
マリが天然資源に恵まれている国であり、そのためフランスは旧宗主国として
その利権をがっちり掌握しておきたいのである。
ところがイスラム武装勢力が資源の豊富な北部の独立を志向しているため、
この動きを叩いておきたい、というところからの空爆を中心とする軍事介入になったのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●マリでの戦争:ウラン、金、石油、戦略鉱物の宝庫
http://www.globalresearch.ca/the-war-on-mali-what-you-should-know/5319093
【1月15日 By R. Teichman】
ご参照!
◆http://sutoband.net/2013/01/post-462.html
民主党 すとう信彦 オフィシャルサイト 2013年01月16日
◎アルジェリアで日本人技師拉致される
マリをフランス軍が空爆したことから、サハラ地域での緊張が急激にまた広域で高まっている。
「こんなときはエアフランスに乗らない方がいいよ」と知人と話したばかりだが、今日、
アルジェリア東部のリビア国境沿いのガス田地域インアメナス(In Amenas)で
イスラム過激派の急襲によって、日揮および関係会社の派遣日本人技師が拉致された模様。
マリ北部の武装勢力あるいはAQIM(イスラム・マグレブのアルカイダ)関係者だとの情報もある。
しかし、あまりにリビア国境に近いことを考えれば、
カダフィ大佐包囲網を突破したリビア系の過激派がなんらかの協力をしたと思う。
アルジェリアはアルカイダなどが登場する以前から、
世俗イスラムの政府と原理主義イスラム勢力との間で凄惨な闘争が繰り広げられていた。今回、
このような事件が発生すると、およそ過激派の博物館とでも言えそうな、
さまざまなグループが関係してくると思う。解決は容易ではない。
実は小生は1971年ー72年とアルジェリアに駐在していて、
ハッシ・ルメルからのガスを地中海沿岸の東部、スキクダで受けてLNG/LPG分離プラント建設に
従事していたのだ。西側には有名なアルズーの製油所があり、
それを日揮(当時は日本揮発油)が担当していた。この事件の第一報もニュースでなく、
そのころの友人からもたらされたものだ。アルジェリアとは最近では西サハラ独立問題で関係があり、
いつかは再訪しようと考え始めていた矢先だ。
今、政権にあれば、今、外務委員会に所属していれば、今、テロ特委員長だったら...
経験を生かして、解放に尽力できるのに...と思いはつのる。残念でたまらない。
國貞、二枚目、
「風流五節句之内」 「初春」です。
遠からず、「金本位制」の時代が来るねぇ、
◆https://twitter.com/uekusa_kazuhide
植草一秀 より抜粋、
#植草一秀 @uekusa_kazuhide
日本政府の保有ドル資産が激増したのは
2002年10月から2004年3月にかけてであった。
2002年9月末の4607億ドルから2004年3月末の8265億ドルへと
3658億ドルも増えた。
この時期は、竹中平蔵氏が経財相、金融相として、
日本経済の崩壊と日本株式の暴落を誘導していた時期だ。
つまり、小泉竹中政権は、一方で日本経済破壊・日本株式暴落を誘導しつつ、
外為市場での介入によって、
米国に日本株式・日本不動産を買い占める資金まで提供した
との推察が成り立つのである。
米国国債はNY連銀が管理する帳簿の上で保管されているから、
米国の了解なしに売却できないとの反論がある。。
日本政府保有の米国国債が帳簿上の登録債になっているのは事実だが、
これを理由に売れないということはあり得ない。
これは日本の国家主権の問題である。
2007年6月から2011年末にかけての
米国国債への投資元本は151兆円だが、これが98兆円に目減りした。
53兆円の為替評価損だ。
この資金を全額、金地金=ゴールドに投資していたら、
2011年末時点で時価評価は228兆円だ。76兆円の評価益が生まれた。
米国国債での運用との差額は、なんと130兆円である。
◆http://melma.com/backnumber_45206_5740800/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(ドイツ、ついに金塊の返還を米仏へ要求)発行日:1/17
ついにドイツは米仏に金塊の返還を要求した
世界は金本位制復帰に向かっているようである
****************************************
ドイツ中央銀行(バンデスバンク)は1月17日、フランスと米国に対して正式に金塊の返還を要求した。
金備蓄の50%を2020年までにドイツは国内備蓄に切り替えると言明してきた。
そのうえでドイツは水面下で仏米両国に預託金塊の返送を要求してきたのだ。
なぜ水面下の交渉かと言えば、かつてイランとリビアが同じ要求を米国に行い、
米国は逆に両国の在米資産凍結措置をとって、結局、バランスオフをはかり金塊は返さなかった。
日本は、問題の意味さえわからず、
NY連銀に保管してもらっている700トン余の金塊の返還を求めた形跡さえない。
もし、ドイツの要求通りの金塊返還が実現すれば、史上空前の出来事となる。
第一にニューヨーク連銀が保管するドイツの金塊は1500トン、
このうち300トンを2020年までにドイツへ返送するとしている。
米国では昨年の大統領選挙の最中に、ロン・ポール下院議員が共和党保守派の意見を代弁して、
米国の金本位制復帰を主唱した。
とのとき、ついにで発言した注目部分は
「米国の保管する金塊ははたして本物か、タングステンにメッキしたモノではないのか、見せろ。
外国のものは外国へ返せ」としたポイントにある。
ドイツは、このロン・ポール議員の発言に便乗してきたのだ。
フランスが預かるドイツの金塊は374トン、ちかくドイツへ返還するとフランス中央銀行は発言している。
英国が預かっていたドイツの金塊は940トンだが、すでに2001年にドイツへ移送を完了している。
國貞、三枚目、
「擬絵当合 巳 土手の於六 道心者願哲」です。
立ち位置は違うが、面白いねぇ、
◆http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1767.html
ねずさんの ひとりごと 2013年01月15日
◎天下の公民4/論語と日本的価値観
より抜粋、
先日おもしろいお話を聞きました。
支那人が日本にやってくると驚くというのです。
何に驚くかというと、日本の書店さんです。
日本の書店さんには、行くと必ず奥に「論語」が置いてある。
支那にももちろん書店はあるのだけれど、
そこに「論語」が置かれていることは、まずないのだそうです。
そこでまず驚く。
驚きはまだ続きます。
日本の書店に置かれている「論語」を手に取って中を読むと、
彼ら支那人が思っている論語と、その内容や解釈がまるで違うというのです。
論語は、もともと10巻20編502話の大作です。
けれど、その中で、論語といえば支那人たちがその内容としてまず思い浮かべるのが、
「諱(き)、荘(そう)、穆(ぼく)」なのだそうです。
ところが、その3つの観念が、日本の論語にはまったく書かれていず、
代わって「仁義礼智信」がメインテーマとして描かれている。
「諱(き)」というのは、「かくす」という意味です。
何を誰から隠すかというと、真実を世間から隠す。
論語には、次のようなエピソードがあります。
ある人が孔子に言います。
「私の村にはとても正直な人物がいます。その正直な人物は、
自分の父親が他人の羊を盗んだ時に、それを告発しました。」
孔子は答えます。
「そういう人物は正直者とはいいません。父は子のために隠し、
子は父のために隠す、これが本当の正直というものです。」
我々日本人の感覚からしたら、これは「?!」です。
実は論語には、「かくす=諱(き)」は、
「尊者のために恥を諱(かく)し、過(あやまち)を諱(かく)し、
疾(あしきこと)を諱(かく)せ」とされています。
そして隠すことが「正直」だ、というのです。
それだけではありません。
「諱(き)」は、そこからさらに発展して、
「他の誰かのために、真実を隠し、そのために嘘をつくことは正義である」とされています。
それどころか、尊者のためには、人はむしろ積極的に嘘をつくべきだと説かれます。
「尊者」というのは人ばかりを指しません。
国や組織は、尊者の中の大尊者です。
ですから偉大で最高の尊者である中共国家の恥になることや、
国家の明らかな過ちなどを隠すことは、支那の人民にとって「諱(き)」、
すなわち正直であり、正義である、となるのです。
もっといえば、国家の威信を守るためなら、
嘘をついたり、デマを飛ばすことさえも、それは正義だ、となります。
南京虐殺や百人斬りなどのでっちあげも、支那人の文化観、価値観では、
まさに「諱(き)」であり、正当かつ道徳的な行いである、となるのです。
日本にも、文字としての「諱」という字は入ってきています。
けれどこの字は、「諱(いみな)」と訓読みされ、
名前の一種としての地位しか与えられていません。
つまり日本には、「諱(き)」という漢字は、なるほど導入されたけれど、
人生哲学や道徳概念としての、この文字の語彙(ごい、言葉の意味)は導入されず、
単なる名前の一種類としてしか使われていない、ということです。
このことは実はとっても重要なことで、日本では、論語でさえも、
そこにある価値観、倫理観を、ただ無批判に受け入れたわけではなく、
受け入れるべきものと、受け入れるべきでないものを、
ちゃんと選択して、導入している、ということです。
なぜ、そんなことが行われたかというと、これは理由はひとつしかありません。
「わが国には、支那の漢字や文化を受け入れる以前から、
明確な指向性を持った文化や倫理観、価値観があった」ということです。
だからこそ、日本人の文化意識、道徳意識、価値観、倫理観にそぐわない観念は、
まるで無視され、受け入れられて来なかったのです。
「諱(き)」を日本が受け入れなかったのは、日本が古来、
人は正直であること、嘘をつかないこと、何より真実が大事であると考える民族であった
ということの逆説的証明でもあるわけです。
なぜなら、真実を大事にしなければ、文物は発展進歩しないからです。
いくら孔子様のありがたい教えでも、「諱(き)」のように、
真実から目を覆(かく)してしまっては、見えるべきものも見えなくなるし、
真実から眼を背けたら、解決策などでるはずもありません。
欧米列強の植民地華やかりし時代に、日本がまたたく間に西欧文化を採り入れて近代化に成功し、
逆に支那にはそれができなかったという理由も、ここに大きな違いがあるわけです。
「荘(そう)」も日本に受け入れられなかった概念です。
「荘(そう)」は、威儀を正したどっしりした態度を意味する文字で、
論語では、知や仁が十分あっても、「荘」がなければ尊敬は得られないと説かれています。
つまり、上に立つ者は、知識や人徳よりも、偉そうに「ふるまう」ことが大事だというのです。
ですから「礼」は「荘」を飾るためのものだと唱えられています。
ひらたくいえば「荘」は、人の上に立つ者は頭はカラっぽでいいから、
とにかく威厳をつくってどっしり鷹揚(おうよう)にしていなさいという意味です。
「礼」さえも、「荘」を演じる者に、ぺこぺこと頭を下げて隷従(れいじゅう)するための作法であり、
それをするのが、臣下や部下の勤めだというわけです。
日本は、この「荘(そう)」の観念も、まったく受け入れていません。
受け入れないどころが、上の説明を読めば、嫌悪感さえあるかもしれません。
日本は「荘」の文字は受けれ入れています。
けれどこの字は、荘園や、山荘、あるいは共用建物の名前など、
要するに「立派そうにみえる建物や施設の名前」に使われているだけです。
つまり日本は「荘」は、建物や施設の名称用としてのみ導入し、
人の道を示す言葉としては、これまた、まったく採用していません。
「穆(ぼく)」も同じです。
これは、実って熟した人物である君子は、おだやかで口元に微笑みをたたえ、
つつましく、ほんのりと奥ゆかしくせよ、という意味の漢字です。
語源は稲穂が稔った姿の象形文字で、
稲が花開いた姿が「秀(しゅう)」
実って熟したものが「穆(ぼく)」
稲の実がはげ落ちた殻が「禿(とく)」です。
「穆(ぼく)」は、熟した人物は、常に口元に微笑みをたたえて、
余裕綽々(しゃくしゃく)にふるまって、
いかにもお大人(たいじん)風をよそおえ、というわけです。
この「穆(ぼく)」も、文字としては我が国にも入ってきています。
たとえば、「和穆(わぼく)」や「穆訥(ぼくとつ)」などと使われます。
けれど一般には「わぼく」は和睦ですし、「ぼくとつ」は朴訥です。
つまり「穆(ぼく)」に至っては、
その概念はおろか文字さえも、日本は受け付けていない、ということです。
さて、「諱荘穆(きそうぼく)」の三つがと揃うと、
これはとてもおもしろいことになります。
すなわち、君子は中味がからっぽでも常に威厳をただしていればよく(荘)、
口元に微笑みをたたえていかにも大物風を装い(穆)、
そういう中味が空っぽのアホの君子が何かドジをしでかしても、
部下はウソをついてでもそれを隠し通し守り通すのが筋道である(諱)となります。
なんだかマキャベリズムっぽいですが、これらは日本人の道徳観念とはまったく異質なものです。
ですから古来、日本では、これらの概念を、
たとえそれがありがたい孔子の教えであってさえ、全く受け入れていないのです。
一方、論語から日本は、「仁義礼智信、孝忠悌廉恥」は、明確に採り入れています。
「仁義礼智信」で「五常」(五徳ともいいます)、
「孝忠悌」の三つを加えて「八徳」、
これに「廉恥」の二つを加えるて「十徳」です。
これら「十徳(じゅっとく)」が、「諱荘穆」と異なるのは、
諱荘穆は、どれも外見や振る舞いといった外形上の「型」を指す言葉である、ということです。
これに対し、「十徳」は、内面の「心」を磨く言葉です。
では、なぜ支那ではこうした外形上の「型」が重視され、日本では内面的な心が重視されたのでしょう。
答えは簡単です。
日本では、古来「諱荘穆」のように外見を飾る必要がなかったからです。
これらの言葉を生んだ支那では、上に立つ者は、常に下にいる者に対する絶対的支配者です。
下にいる者は、もはや人ですらなく、必要があれば、食料にして食べてしまう肉でしかありません。
歴代皇帝が、天下宇宙の絶対的支配者なら(皇帝という言葉はそういう意味の言葉です)、
その下にいる、将軍や、兵長なども、それぞれの担当セクションの中では、絶対的支配者です。
絶対的支配者である以上、「外見の上の威厳をただし、口元に微笑みをたたえて大物風を装う」など、
それらしく振る舞うのは当然ですし、支配される側は、支配者である上役に殺されないためにも、
上役にとって都合のよい事実だけを提供すれば良いということになります。
特ア三国が、日本人とはかけ離れて異質なのは、この基本的な民族の自覚の違いにあるといえます。
同じ論語を読んでも、支那人はこれを人の外形を飾るための書として学び、
日本人は人の内面を磨ぐためのものとして学んだわけです。
そしてこのことは、日本が漢字の渡来によって日本文化を形成したのではない
ことも明確にあらわしています。
なぜなら漢字には、文字毎に意味があるからです。
その「意味のある」漢字を、日本が「選択的」に採り入れたということは、
漢字渡来以前に、日本には、明確な道徳観、文化観、価値観が形成されていた
という事実を証明しているわけです。
そして漢字には、日本独自の「訓読み」が与えられています。
このことも、日本に漢字渡来以前から、固有の文化観があったことを示しています。
こうしてみると、江戸時代には学童の教科書となった論語も、日本人は、論語に学んだというより、
論語を通じて、日本人にもとからある価値観、文化観を学んでいた、ということがわかります。
↑
「論語」が普及するのは江戸時代になってからです、そう古いことではない。
まさに「十徳」が「封建秩序維持」に有用だと考えられたからなわけで、
あくまでも儒学であって儒教は忌み嫌っている。
煩瑣な儒礼などは質実剛健を尊ぶ武士の価値観にまったく合わなかった。
このねず氏は「天皇教」信者、手前は「真宗門徒、親鸞の徒」です。
親鸞は承元の法難(じょうげんのほうなん)で国事犯とされ、
後鳥羽院に首斬られる寸前に、九条兼実のとりなしで助けられ、越後に流罪にされました。
反「天皇教」といっていい。 天皇親政など古くて危険そのものですよ。
明治維新以降、碌なことがない、日本人の死人の山です。
アングロサクソン&ユダ金のステルス支配下にあるとこうなるのさ。
いまや正体剥き出しですよ、断末魔の悪足掻きが凄まじいねぇ。
天明6年(1786年)〜元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄斎・五渡亭など 作
「梅初春五十三駅 うめのはるごじゅうさんつぎ」より、
「東海道五十三駅の内 岡崎八ツ橋村」 「十六夜 坂東玉三郎」
「薄雲太夫 尾上菊五郎」 「稲葉の介 市村羽左衛門」です。
☆雪、真冬日。
まだ戦闘中? らしい、
◆http://rockway.blog.shinobi.jp/Entry/871/
ROCKWAY EXPRESS
◎マリでの戦争: ウラン、金、石油、戦略鉱物の宝庫
▼1月18日
11日からマリ北部に対する空爆などの軍事介入をしているフランスを牽制するため、
マリ北部地域の独立を宣言しているイスラム武装勢力が隣国アルジェリアの
天然ガスプラントを襲撃し人質を取った事件で相当数の犠牲者が出てしまったようだ。
イスラム武装勢力が人質を取った主な理由は、フランスの空爆を停止させることだった。
マリという国家の内紛にフランスという外国が軍事介入をした結果が
今回の日本人を含む人質事件であったことを指摘しておかねばならない。
したがってもしも今回の事件で犠牲者が大量に出るとすれば、
それはフランスにも大きな責任があることを指摘しておく。
このイスラム武装勢力はアルカイダと関係する組織だということで、
アメリカのパネッタ国防長官もアルカイダの危険性を改めて指摘していたが、
その同じアルカイダ系イスラム武装勢力が襲撃を繰り返しているシリアでは、
反対にアメリカはこのアルカイダ系イスラム武装勢力を支援しているのであるから、
アメリカを始めとする欧米諸国、つまりNATO勢力がいかに二枚舌的存在であるかが分かろう、
というものである。 彼らには一切の大義もなければ、正当性もない。
では何故、フランスのマリに対する軍事介入なのか、という点を見れば、
それが相も変わらず資源の争奪戦である、ということなのだ。
マリが天然資源に恵まれている国であり、そのためフランスは旧宗主国として
その利権をがっちり掌握しておきたいのである。
ところがイスラム武装勢力が資源の豊富な北部の独立を志向しているため、
この動きを叩いておきたい、というところからの空爆を中心とする軍事介入になったのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●マリでの戦争:ウラン、金、石油、戦略鉱物の宝庫
http://www.globalresearch.ca/the-war-on-mali-what-you-should-know/5319093
【1月15日 By R. Teichman】
ご参照!
◆http://sutoband.net/2013/01/post-462.html
民主党 すとう信彦 オフィシャルサイト 2013年01月16日
◎アルジェリアで日本人技師拉致される
マリをフランス軍が空爆したことから、サハラ地域での緊張が急激にまた広域で高まっている。
「こんなときはエアフランスに乗らない方がいいよ」と知人と話したばかりだが、今日、
アルジェリア東部のリビア国境沿いのガス田地域インアメナス(In Amenas)で
イスラム過激派の急襲によって、日揮および関係会社の派遣日本人技師が拉致された模様。
マリ北部の武装勢力あるいはAQIM(イスラム・マグレブのアルカイダ)関係者だとの情報もある。
しかし、あまりにリビア国境に近いことを考えれば、
カダフィ大佐包囲網を突破したリビア系の過激派がなんらかの協力をしたと思う。
アルジェリアはアルカイダなどが登場する以前から、
世俗イスラムの政府と原理主義イスラム勢力との間で凄惨な闘争が繰り広げられていた。今回、
このような事件が発生すると、およそ過激派の博物館とでも言えそうな、
さまざまなグループが関係してくると思う。解決は容易ではない。
実は小生は1971年ー72年とアルジェリアに駐在していて、
ハッシ・ルメルからのガスを地中海沿岸の東部、スキクダで受けてLNG/LPG分離プラント建設に
従事していたのだ。西側には有名なアルズーの製油所があり、
それを日揮(当時は日本揮発油)が担当していた。この事件の第一報もニュースでなく、
そのころの友人からもたらされたものだ。アルジェリアとは最近では西サハラ独立問題で関係があり、
いつかは再訪しようと考え始めていた矢先だ。
今、政権にあれば、今、外務委員会に所属していれば、今、テロ特委員長だったら...
経験を生かして、解放に尽力できるのに...と思いはつのる。残念でたまらない。
國貞、二枚目、
「風流五節句之内」 「初春」です。
遠からず、「金本位制」の時代が来るねぇ、
◆https://twitter.com/uekusa_kazuhide
植草一秀 より抜粋、
#植草一秀 @uekusa_kazuhide
日本政府の保有ドル資産が激増したのは
2002年10月から2004年3月にかけてであった。
2002年9月末の4607億ドルから2004年3月末の8265億ドルへと
3658億ドルも増えた。
この時期は、竹中平蔵氏が経財相、金融相として、
日本経済の崩壊と日本株式の暴落を誘導していた時期だ。
つまり、小泉竹中政権は、一方で日本経済破壊・日本株式暴落を誘導しつつ、
外為市場での介入によって、
米国に日本株式・日本不動産を買い占める資金まで提供した
との推察が成り立つのである。
米国国債はNY連銀が管理する帳簿の上で保管されているから、
米国の了解なしに売却できないとの反論がある。。
日本政府保有の米国国債が帳簿上の登録債になっているのは事実だが、
これを理由に売れないということはあり得ない。
これは日本の国家主権の問題である。
2007年6月から2011年末にかけての
米国国債への投資元本は151兆円だが、これが98兆円に目減りした。
53兆円の為替評価損だ。
この資金を全額、金地金=ゴールドに投資していたら、
2011年末時点で時価評価は228兆円だ。76兆円の評価益が生まれた。
米国国債での運用との差額は、なんと130兆円である。
◆http://melma.com/backnumber_45206_5740800/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(ドイツ、ついに金塊の返還を米仏へ要求)発行日:1/17
ついにドイツは米仏に金塊の返還を要求した
世界は金本位制復帰に向かっているようである
****************************************
ドイツ中央銀行(バンデスバンク)は1月17日、フランスと米国に対して正式に金塊の返還を要求した。
金備蓄の50%を2020年までにドイツは国内備蓄に切り替えると言明してきた。
そのうえでドイツは水面下で仏米両国に預託金塊の返送を要求してきたのだ。
なぜ水面下の交渉かと言えば、かつてイランとリビアが同じ要求を米国に行い、
米国は逆に両国の在米資産凍結措置をとって、結局、バランスオフをはかり金塊は返さなかった。
日本は、問題の意味さえわからず、
NY連銀に保管してもらっている700トン余の金塊の返還を求めた形跡さえない。
もし、ドイツの要求通りの金塊返還が実現すれば、史上空前の出来事となる。
第一にニューヨーク連銀が保管するドイツの金塊は1500トン、
このうち300トンを2020年までにドイツへ返送するとしている。
米国では昨年の大統領選挙の最中に、ロン・ポール下院議員が共和党保守派の意見を代弁して、
米国の金本位制復帰を主唱した。
とのとき、ついにで発言した注目部分は
「米国の保管する金塊ははたして本物か、タングステンにメッキしたモノではないのか、見せろ。
外国のものは外国へ返せ」としたポイントにある。
ドイツは、このロン・ポール議員の発言に便乗してきたのだ。
フランスが預かるドイツの金塊は374トン、ちかくドイツへ返還するとフランス中央銀行は発言している。
英国が預かっていたドイツの金塊は940トンだが、すでに2001年にドイツへ移送を完了している。
國貞、三枚目、
「擬絵当合 巳 土手の於六 道心者願哲」です。
立ち位置は違うが、面白いねぇ、
◆http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1767.html
ねずさんの ひとりごと 2013年01月15日
◎天下の公民4/論語と日本的価値観
より抜粋、
先日おもしろいお話を聞きました。
支那人が日本にやってくると驚くというのです。
何に驚くかというと、日本の書店さんです。
日本の書店さんには、行くと必ず奥に「論語」が置いてある。
支那にももちろん書店はあるのだけれど、
そこに「論語」が置かれていることは、まずないのだそうです。
そこでまず驚く。
驚きはまだ続きます。
日本の書店に置かれている「論語」を手に取って中を読むと、
彼ら支那人が思っている論語と、その内容や解釈がまるで違うというのです。
論語は、もともと10巻20編502話の大作です。
けれど、その中で、論語といえば支那人たちがその内容としてまず思い浮かべるのが、
「諱(き)、荘(そう)、穆(ぼく)」なのだそうです。
ところが、その3つの観念が、日本の論語にはまったく書かれていず、
代わって「仁義礼智信」がメインテーマとして描かれている。
「諱(き)」というのは、「かくす」という意味です。
何を誰から隠すかというと、真実を世間から隠す。
論語には、次のようなエピソードがあります。
ある人が孔子に言います。
「私の村にはとても正直な人物がいます。その正直な人物は、
自分の父親が他人の羊を盗んだ時に、それを告発しました。」
孔子は答えます。
「そういう人物は正直者とはいいません。父は子のために隠し、
子は父のために隠す、これが本当の正直というものです。」
我々日本人の感覚からしたら、これは「?!」です。
実は論語には、「かくす=諱(き)」は、
「尊者のために恥を諱(かく)し、過(あやまち)を諱(かく)し、
疾(あしきこと)を諱(かく)せ」とされています。
そして隠すことが「正直」だ、というのです。
それだけではありません。
「諱(き)」は、そこからさらに発展して、
「他の誰かのために、真実を隠し、そのために嘘をつくことは正義である」とされています。
それどころか、尊者のためには、人はむしろ積極的に嘘をつくべきだと説かれます。
「尊者」というのは人ばかりを指しません。
国や組織は、尊者の中の大尊者です。
ですから偉大で最高の尊者である中共国家の恥になることや、
国家の明らかな過ちなどを隠すことは、支那の人民にとって「諱(き)」、
すなわち正直であり、正義である、となるのです。
もっといえば、国家の威信を守るためなら、
嘘をついたり、デマを飛ばすことさえも、それは正義だ、となります。
南京虐殺や百人斬りなどのでっちあげも、支那人の文化観、価値観では、
まさに「諱(き)」であり、正当かつ道徳的な行いである、となるのです。
日本にも、文字としての「諱」という字は入ってきています。
けれどこの字は、「諱(いみな)」と訓読みされ、
名前の一種としての地位しか与えられていません。
つまり日本には、「諱(き)」という漢字は、なるほど導入されたけれど、
人生哲学や道徳概念としての、この文字の語彙(ごい、言葉の意味)は導入されず、
単なる名前の一種類としてしか使われていない、ということです。
このことは実はとっても重要なことで、日本では、論語でさえも、
そこにある価値観、倫理観を、ただ無批判に受け入れたわけではなく、
受け入れるべきものと、受け入れるべきでないものを、
ちゃんと選択して、導入している、ということです。
なぜ、そんなことが行われたかというと、これは理由はひとつしかありません。
「わが国には、支那の漢字や文化を受け入れる以前から、
明確な指向性を持った文化や倫理観、価値観があった」ということです。
だからこそ、日本人の文化意識、道徳意識、価値観、倫理観にそぐわない観念は、
まるで無視され、受け入れられて来なかったのです。
「諱(き)」を日本が受け入れなかったのは、日本が古来、
人は正直であること、嘘をつかないこと、何より真実が大事であると考える民族であった
ということの逆説的証明でもあるわけです。
なぜなら、真実を大事にしなければ、文物は発展進歩しないからです。
いくら孔子様のありがたい教えでも、「諱(き)」のように、
真実から目を覆(かく)してしまっては、見えるべきものも見えなくなるし、
真実から眼を背けたら、解決策などでるはずもありません。
欧米列強の植民地華やかりし時代に、日本がまたたく間に西欧文化を採り入れて近代化に成功し、
逆に支那にはそれができなかったという理由も、ここに大きな違いがあるわけです。
「荘(そう)」も日本に受け入れられなかった概念です。
「荘(そう)」は、威儀を正したどっしりした態度を意味する文字で、
論語では、知や仁が十分あっても、「荘」がなければ尊敬は得られないと説かれています。
つまり、上に立つ者は、知識や人徳よりも、偉そうに「ふるまう」ことが大事だというのです。
ですから「礼」は「荘」を飾るためのものだと唱えられています。
ひらたくいえば「荘」は、人の上に立つ者は頭はカラっぽでいいから、
とにかく威厳をつくってどっしり鷹揚(おうよう)にしていなさいという意味です。
「礼」さえも、「荘」を演じる者に、ぺこぺこと頭を下げて隷従(れいじゅう)するための作法であり、
それをするのが、臣下や部下の勤めだというわけです。
日本は、この「荘(そう)」の観念も、まったく受け入れていません。
受け入れないどころが、上の説明を読めば、嫌悪感さえあるかもしれません。
日本は「荘」の文字は受けれ入れています。
けれどこの字は、荘園や、山荘、あるいは共用建物の名前など、
要するに「立派そうにみえる建物や施設の名前」に使われているだけです。
つまり日本は「荘」は、建物や施設の名称用としてのみ導入し、
人の道を示す言葉としては、これまた、まったく採用していません。
「穆(ぼく)」も同じです。
これは、実って熟した人物である君子は、おだやかで口元に微笑みをたたえ、
つつましく、ほんのりと奥ゆかしくせよ、という意味の漢字です。
語源は稲穂が稔った姿の象形文字で、
稲が花開いた姿が「秀(しゅう)」
実って熟したものが「穆(ぼく)」
稲の実がはげ落ちた殻が「禿(とく)」です。
「穆(ぼく)」は、熟した人物は、常に口元に微笑みをたたえて、
余裕綽々(しゃくしゃく)にふるまって、
いかにもお大人(たいじん)風をよそおえ、というわけです。
この「穆(ぼく)」も、文字としては我が国にも入ってきています。
たとえば、「和穆(わぼく)」や「穆訥(ぼくとつ)」などと使われます。
けれど一般には「わぼく」は和睦ですし、「ぼくとつ」は朴訥です。
つまり「穆(ぼく)」に至っては、
その概念はおろか文字さえも、日本は受け付けていない、ということです。
さて、「諱荘穆(きそうぼく)」の三つがと揃うと、
これはとてもおもしろいことになります。
すなわち、君子は中味がからっぽでも常に威厳をただしていればよく(荘)、
口元に微笑みをたたえていかにも大物風を装い(穆)、
そういう中味が空っぽのアホの君子が何かドジをしでかしても、
部下はウソをついてでもそれを隠し通し守り通すのが筋道である(諱)となります。
なんだかマキャベリズムっぽいですが、これらは日本人の道徳観念とはまったく異質なものです。
ですから古来、日本では、これらの概念を、
たとえそれがありがたい孔子の教えであってさえ、全く受け入れていないのです。
一方、論語から日本は、「仁義礼智信、孝忠悌廉恥」は、明確に採り入れています。
「仁義礼智信」で「五常」(五徳ともいいます)、
「孝忠悌」の三つを加えて「八徳」、
これに「廉恥」の二つを加えるて「十徳」です。
これら「十徳(じゅっとく)」が、「諱荘穆」と異なるのは、
諱荘穆は、どれも外見や振る舞いといった外形上の「型」を指す言葉である、ということです。
これに対し、「十徳」は、内面の「心」を磨く言葉です。
では、なぜ支那ではこうした外形上の「型」が重視され、日本では内面的な心が重視されたのでしょう。
答えは簡単です。
日本では、古来「諱荘穆」のように外見を飾る必要がなかったからです。
これらの言葉を生んだ支那では、上に立つ者は、常に下にいる者に対する絶対的支配者です。
下にいる者は、もはや人ですらなく、必要があれば、食料にして食べてしまう肉でしかありません。
歴代皇帝が、天下宇宙の絶対的支配者なら(皇帝という言葉はそういう意味の言葉です)、
その下にいる、将軍や、兵長なども、それぞれの担当セクションの中では、絶対的支配者です。
絶対的支配者である以上、「外見の上の威厳をただし、口元に微笑みをたたえて大物風を装う」など、
それらしく振る舞うのは当然ですし、支配される側は、支配者である上役に殺されないためにも、
上役にとって都合のよい事実だけを提供すれば良いということになります。
特ア三国が、日本人とはかけ離れて異質なのは、この基本的な民族の自覚の違いにあるといえます。
同じ論語を読んでも、支那人はこれを人の外形を飾るための書として学び、
日本人は人の内面を磨ぐためのものとして学んだわけです。
そしてこのことは、日本が漢字の渡来によって日本文化を形成したのではない
ことも明確にあらわしています。
なぜなら漢字には、文字毎に意味があるからです。
その「意味のある」漢字を、日本が「選択的」に採り入れたということは、
漢字渡来以前に、日本には、明確な道徳観、文化観、価値観が形成されていた
という事実を証明しているわけです。
そして漢字には、日本独自の「訓読み」が与えられています。
このことも、日本に漢字渡来以前から、固有の文化観があったことを示しています。
こうしてみると、江戸時代には学童の教科書となった論語も、日本人は、論語に学んだというより、
論語を通じて、日本人にもとからある価値観、文化観を学んでいた、ということがわかります。
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「論語」が普及するのは江戸時代になってからです、そう古いことではない。
まさに「十徳」が「封建秩序維持」に有用だと考えられたからなわけで、
あくまでも儒学であって儒教は忌み嫌っている。
煩瑣な儒礼などは質実剛健を尊ぶ武士の価値観にまったく合わなかった。
このねず氏は「天皇教」信者、手前は「真宗門徒、親鸞の徒」です。
親鸞は承元の法難(じょうげんのほうなん)で国事犯とされ、
後鳥羽院に首斬られる寸前に、九条兼実のとりなしで助けられ、越後に流罪にされました。
反「天皇教」といっていい。 天皇親政など古くて危険そのものですよ。
明治維新以降、碌なことがない、日本人の死人の山です。
アングロサクソン&ユダ金のステルス支配下にあるとこうなるのさ。
いまや正体剥き出しですよ、断末魔の悪足掻きが凄まじいねぇ。