画は 拙作にて、
「幻想 夜の梅」です。
油彩F10号
☆晴れ、今日から4月ですね。
エイプリルフール、ですが 「STAP」は真実ですよ、
彼女は嘘付きではない、目付きが澄んでおる、
◆http://news.infoseek.co.jp/article/20160331jcast20162262938/
J-CASTニュース / 2016年3月31日
◎小保方氏、全文英語の「ホームページ」立ち上げか
再び「STAP細胞はあります」?
理化学研究所(理研)の元職員、小保方晴子氏を名乗る人物が
新たなホームページを立ち上げた。
ホームページの管理人が小保方氏本人だとする証拠は見当たらないものの、
報道各社は本人が立ち上げたものだと「断定」している。
ホームページ内の言語はすべて英語。
2016年3月25日付けで発表されているメッセージで、
「STAP細胞」の存在を証明する科学的証拠を科学コミュニティに提供する、
と立ち上げの目的を説明している。
☆「精神的、肉体的にうつ病を治療中」とも告白
「STAP-HOPE-PAGE」と題されたホームページには、
https://stap-hope-page.com/
Greetings(あいさつ)、Past background of STAP(「STAP」の由来)、
Protocol for STAP cells(「STAP細胞」のプロトコル)
Results of the STAP verification experiment(「STAP細胞」実証実験の結果)、
Announcement(発表)の4カテゴリが設定されている。
「あいさつ」では、「2014年にネイチャーに掲載された『STAP論文』について、
科学者として深い反省と心からの謝罪を表明する」と謝罪し、
ホームページを立ち上げた動機を
「『STAP細胞』の存在を証明する科学的な証拠を科学コミュニティに提供するため」
だと明かした。
最後に、自身の現状について「精神的、肉体的にうつ病を治療している」と説明し、
「いつか科学の最前線に戻ることを心から願っている」と書いている。
その他のカテゴリでは、図説を用いながら「STAP細胞」というネーミングの由来や、
生成過程を詳しく解説している。
「STAP細胞」をめぐっては14年12月、理研の調査委員会が
「ES細胞の混入した可能性が高い」とする最終調査結果をまとめた。
しかし、小保方氏 自身は16年1月に自著「あの日」(講談社)を上梓し、
今なお理研の調査結果を否定し続けている。
◆http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48272
週刊現代 2016年03月31日(木)
◎小保方さんの恩師もついに口を開いた!
米高級誌が報じたSTAP騒動の「真実」
小保方さんは間違っていたのか、それとも正しかったのか―
アメリカの権威誌に掲載された記事には、
日本で報道されていない新たな証言が書かれていた。
世界中が彼女に注目し始めている。
☆すさまじい駆け引き
「私は、STAP細胞は正しい、確かに存在すると
100%信じたまま墓場にいくつもりだ」
こう語るのは、小保方晴子さん(32歳)の恩師、
アメリカ・ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授だ。
バカンティ氏は、小保方さんが発表し、後に撤回された
「STAP細胞論文」の共著者でもある。
小保方さんが、自らの言葉で綴った手記『あの日』が、
海の向こうでも話題になっている。
アメリカで有数の権威を持つ週刊誌『NEW YORKER』(ニューヨーカー)の電子版に、
一連のSTAP騒動を検証する記事が掲載されたのだ。
筆者は、アメリカ人のデイナ・グッドイヤー女史(39歳)。
'07年まで『ニューヨーカー』の編集者として勤務し、その後、
ノンフィクション作家として独立した人物である。
冒頭のバカンティ氏の言葉は、グッドイヤー女史のインタビューによって
騒動以降、初めて明らかになったものだ。
在米の出版社社員が現地の様子について語る。
「バカンティ教授が取材を受けたのも『ニューヨーカー』だからこそです。
それくらいこの雑誌で記事が組まれることはステータスでもあるんです。
この記事を掲載するに当たって編集部は約半年にもわたり、準備をしたそうです。
かなり気合が入った記事であることは間違いない。
小保方さんが手記を出したことで、世界が再び彼女に注目しています」
『ニューヨーカー』はアメリカ雑誌界の最高峰に君臨。
読者層は知的好奇心が高く、「高級で権威がある雑誌」と認識されている。
紙の雑誌の発行部数は100万部以上。
電子版も好調で、こちらも100万人以上の会員数を誇る。
一本一本の記事が丁寧に書かれている総合誌で、非常に読み応えがあるのが特徴だ。
小保方さんに関する記事のタイトルは「THE STRESS TEST」。
幹細胞研究の世界はまさに陰謀、欺し合いが錯綜している。
そこに細胞に対して行う「ストレス・テスト」を引っかけ、
ストレスに弱い者は、科学界で生き残れないことをこの記事は示している。
グッドイヤー女史は日本中を巻き込んだ「STAP」騒動をどう分析しているのか。
まず小保方さんの登場について記事ではこう書かれている。
「この仕事(STAP)の背後にいた『革命児』が小保方晴子であった。
彼女は男性中心の日本の科学界に女性として一石を投じた。
彼女は他の女性に比べて、男たちとの駆け引きの中で生きることに長けていた。
そして独創的な考えの持ち主であると賞賛されていた」
(『ニューヨーカー』より・以下カッコ内は同)
その小保方さんを引き上げた人物こそ、バカンティ教授だった。
「小保方がバカンティ教授の研究室にやってきた時、バカンティはすぐに
『彼女にはopen‐minded(心の広さ、進取の気性に富む)と、明敏さがある』
ことに気づいた。
ただしバカンティは当面、細胞にストレスを与えると幹細胞を作り出す可能性がある
という仮説を伏せておいた。
彼がもっとも避けたかったのは、留学生が自国に戻って、
他の誰かの研究室で彼女のアイディアを展開することにあった。
バカンティは私にこう言った。
『私の主な懸念は、我々はハルコを信用できるのかだ』と」
☆「彼女には才能がある」
だが、バカンティ氏の懸念は杞憂に終わる。
小保方さんは彼の研究室で信頼を高めていった。
「小保方の下でリサーチ・アシスタントとして働いたジェイソン・ロスはこう言った。
『彼女がいかに才能があるかは、誰もが分かった。
ハルコのような才能のある人はそう多くはいない』。
それに対して小保方はこう返した。
『日本では女性研究者は二流です。たとえ年下の大学生でも、男性が必要としたら、
女性は顕微鏡を使うのを諦めないといけません』」
やがてバカンティ教授の元での短期留学を終えた小保方さんは、日本に帰国し、
'11年に理化学研究所(CDB)の研究員に。
そこで「STAP騒動」のキーパーソンである若山照彦教授のチームに所属する。
そして本格的にSTAP細胞の研究に取り組んでいく。
「生物学者の山中伸弥がノーベル賞を受賞したとき、
CDBの研究者たちの野心は奮い立った。CDBのチームは、
自分たちの発見が 山中の発見と張り合う、
いや山中の研究をobsolete(時代遅れ、廃れた)にしてしまうとまで考えた」
その一方で、当時の小保方さんについては、
「小保方はCDBでの昇進は早かったが、うまく適応できてなかった。
アメリカ的になっていたので、元同僚たちによると小保方は、
日本の研究所の厳格なヒエラルキーにイライラしているように見えた」
と記している。
'12年、STAP細胞発見への意欲を見せる小保方さんのもとに
もう一人の協力者が現れる。
それが騒動中に自殺した笹井芳樹・元CDB副センター長だった。
笹井氏のもとで、小保方さんは論文を再構築する。
そして'14年、ついに世界的権威を持つ科学雑誌『ネイチャー』にSTAP論文が掲載される。
日本のメディアは割烹着姿で顕微鏡をのぞき込む小保方さんを「リケジョの星」、
「ノーベル賞級の発見」と煽り持ち上げた。
だが、風向きが急速に変わり始める―。
「ブランドン・ステルという名の神経科学者が'12年に創設した『PubPeer』
というオンライン・フォーラムがあり、
そこでは誰もが科学論文を分析して議論することができる。
STAP論文は彼らにとってまさに、好奇心をそそる材料であった。
2週間も経たないうちに、匿名のユーザーが
論文に掲載された画像の2つがほとんど同一のものであることに気づいた」
STAP論文の発表は世界に衝撃を与えると同時に、
世界中の研究者からの検証にさらされることにもなった。
これこそが「ストレス・テスト」なのだ。
このテストにバカンティ氏と小保方さんは耐え抜くことができなかった。
「ハーバード大学の科学者でボストン小児病院の幹細胞移植のディレクターである
ジョージ・ダレイは私にこう言った。
『当時、世界中の私の同僚たちは、お互いにメールをしあって、
おーい、何が起きているんだ。 うまくできたか ?
誰も成功してないのか、と言い合っていた』」
☆今も信じている
グッドイヤー女史によると、ダレイは「STAPは幻想である」
ことを立証するための論文を『ネイチャー』に発表する準備を始めたという。
さらにダレイは2回にわたって、バカンティ氏に間違いを諭そうとしたが、
無駄に終わったという。
「ダレイは私に『バカンティは自分が正しいと思い込んでいる』と言った。
そして、昨年の9月、『ネイチャー』はダレイのSTAPに関する論文を掲載した。
そこには小保方の主張を正当化すべく7つの研究室が再現をしようとしたが、
すべて失敗したと書かれていた。
この論文の共著者であるルドルフ・イェーニッシュは、
遠慮することなく私にこう言った。
『小保方が若山にいろいろ混ざった細胞を渡したことは明らかだ。
若山は彼女のことを信じてそれを注入した。そして美しいキメラができた』」
バカンティ氏は一度、小保方さんに「データの捏造はしてないのか」と尋ねたが、
小保方さんの答えは、「それならこんなに時間をかけて実験はしない」
だったという。
さらに記事の中には、バカンティ氏は論文撤回後もSTAP細胞作製に向け、
いまも研究を続けていると書かれている。
断っておくが、『ニューヨーカー』に掲載されたこの記事は、
誰が正しいと断定はしていない。
あくまでそれぞれの当事者に取材し、主張を丁寧に拾ったものである。
騒動以降、口を閉ざしたままだったバカンティ氏が、
今も小保方さんを信じ続けていることは、この記事を読めば十分に伝わってくる。
筆者のグッドイヤー女史は今回、記事を書くにあたって
小保方さんとメールでコンタクトを取ったことを明かしている。
「小保方は『私はスケープゴートにされた』と書いてきた。
『日本のメディアはすべて、若山先生が犠牲者で、
私がまったくのろくでなしと断定した』とも」
小保方さんは今、どんな思いで、何を考え、日々を過ごしているのだろうか。
「週刊現代」2016年3月26日・4月2日合併号より
再掲ですが、拙作二枚目、
「夜の梅」です。 油彩F10号
筆者につきあれこれは承知しておるが、いい記事では、
◆http://biz-journal.jp/2016/04/post_14498.html
Business Journal 2016.04.01
◎STAP現象、理研で再現されていたことが発覚 …
若山教授、不当に実験成果物を大量持ち出し
文=上田眞実/ジャーナリスト
▼http://biz-journal.jp/images/post_14498_01.jpg
理研の情報公開制度を利用して取得した、
若山博士が作成したSTAP細胞実験用のMTA
1月に発売された小保方晴子氏(32)の告白本『あの日』(講談社)は、
3月に入ってすぐ5刷りされ、販売26万部を超えるベストセラーとなっている。
講談社担当者は「読者からは多数の共感と応援を頂いております」といい、
これからも売れ行きは伸びるもよう。
本書をめぐっては賛否両論が渦巻いているが、重要な点は
本書の内容が本当なのかどうかという点であろう。
そこで本稿では、小保方氏が所属していた理化学研究所が開示した書類等を
参照しながら、時系列で検証してみたい。
2014年3月10日、小保方氏の共同研究者であった若山照彦博士(山梨大学教授)が
論文を撤回し、STAP細胞問題が表面化した。
同年12月25日に公表された「研究論文に関する不正調査委員会」(委員長・桂勳氏)
の「研究論文に関する調査報告」(P.13)では、
STAP細胞の研究成果は「ES細胞の混入である可能性が高い」とされている。
また、理研は15年3月20日に「運営・改革モニタリング委員会による評価について」
のP.85で、STAP細胞論文は「ほぼ事実ではなかった」と宣言しており、
STAP細胞はその存在を完全に否定されたかに見える。
しかし、STAP細胞が発表された直後、若山氏は14年4月17日付
「日経Bizアカデミー」記事
『「その時マウスは緑色に光った!」若山教授が語った幻のSTAP細胞誕生秘話』内で、
STAP細胞実験の成功秘話を克明に語っているのだ。
これには多くの疑問の声が上がっている。
さらに、アメリカの研究者グループがSTAP現象と同じ実験結果から
多能性細胞をつくることに成功している。
実はSTAP細胞論文への疑惑が取り沙汰された後に理研が行った再現実験で、
STAP現象は確認されており、
それは『あの日』(P.220)にも書かれている。
▼http://biz-journal.jp/images/post_14498_0331.jpg
STAPーMTAとは何か?
☆契約がないまま成果物を持ち出し
小保方氏は『あの日』(P.155)で
若山氏がMTA(研究成果有体物移転契約書)を交わすことなく
実験成果物を 理研から山梨大学若山研究室に引っ越す時に持ち出し、
窃盗で訴えると理研が訴えたところ、「慌てて書類を出してきた」と告発している。
筆者もこの件について、昨年5月頃から複数の関係者、担当記者から聞いていた。
ちなみにMTAとは、研究者が研究所を引っ越す時に
研究成果物を持ち出す許可を交わす契約書で、研究成果物の引越リストのようなものだ。
独立行政法人には活動を国民に説明する責務があるとした「情報公開法」がある。
そこで筆者は理研の情報公開制度を利用して、
若山博士が作成したSTAP細胞実験用のMTAを取得した。
それによると、若山氏が理研と引越先の山梨大と交わした最初の契約書の日付は
14年の4月1日になっていた。
若山研究室が理研から山梨大学に引っ越したのは13年3月だから、
引越から約1年ずれた日付になっていた。
しかも若山氏が英ネイチャー誌に投稿したSTAP細胞論文撤回を
共著者らに呼びかけたのは14年3月10日だ。
STAP論文に画像の不正引用が発覚し「STAP細胞の存在が信じられなくなった」
と呼びかけた後に、
大量のSTAP幹細胞と対照実験に使ったES細胞、TS細胞の移転契約書に捺印している
のだから驚きだ。
なぜ、MTAの日付が引越時期よりも1年もずれた論文撤回後の契約だったのか。
それは、若山氏が契約を結ばずに勝手に持ち出していたからだ
ということが「あの日」の告発で解った。
さらに、このMTAは細胞の樹立日(作成日)に記載ミスがあり、
再契約が交わされているので、正式にSTAP細胞実験の成果物の移転届けが終了したのは
15年9月30日。
本来ならば研究室の引越と同時にMTA契約を締結しなくてはならない。
情報開示により、若山研の杜撰な研究成果物の管理実態が露呈した。
そうであるならば、若山氏が山梨大へ移転させたSTAP細胞実験成果物とされる保管物が、
理研から移動されたものと同一かどうか判定できない。
なぜなら、つくった本人が持ち出し、
理研に「これとこれを持って行きました」と事後契約していたからだ。
理研の研究室で若山氏が作成したSTAP幹細胞と、
山梨大へ移転させ 第三者機関へ解析に出したSTAP幹細胞が同じものかどうかも、
検証することはできない。
小保方氏は再現実験でSTAPを再現できないので、
小保方氏が「STAP細胞作成を200回成功した」と言ったのは嘘だったのではないか、
との疑惑が広まった。
しかし、『あの日』(P.218)で小保方氏は実に
ひどい環境下で実験させられていたことを告白している。
まるで鉛の防衣のような重たいエプロンを着けさせられ、
身動きができず実験するのに不自由したとある。
さらに実験中には立会人が置かれ、
監視カメラ3台も設置、釘穴までセメントで塞がれたという。
理研がこうした対応をとった理由について14年7月2日、
再現実験の統括責任者である相沢慎一理研特別顧問は
「世の中には彼女が魔術を使って不正を持ち込むのではないかという危惧があるため」だ
と記者会見で語っている。
☆一部、成功していた理研の再現実験
小保方氏の再現実験では、STAP現象は確認された。
それは14年12月19日に理研が発表した「STAP現象の検証結果」(P.2)の
以下記述で確認できる。
▼http://www3.riken.jp/stap/j/r2document1.pdf
「弱塩酸処理を行った場合では、その多くに
STAP様 細胞塊が形成されることが確認された」
しかし、その出現数はごくわずかだと検証結果を報告している。
わずかでも、確かに「STAP様細胞塊が形成」とある。
STAP現象は確認されていたのだ。
さらに連携して行われた丹羽仁史博士(熊本大学教授)の再現実験では、
マウスの肝臓細胞の実験でATP浴という方法で刺激を与える実験をしており、
これも多能性を持ったことを示す多能性遺伝子の発現が確認され、
検証結果では49回のうち37回もSTAP様細胞塊の出現が確認されたとある。
かなり高い確率だ(「同」<P.4>より)
小保方氏は『あの日』(P.220)のなかで、再現実験によって
「酸処理した細胞に未分化状態を示す多能性遺伝子の確認があった」と記しているが、
丹羽氏が作成した「肝細胞由来のSTAP現象が確認された」という事実は、
理研も検証結果で公表している。
同報告書では「STAP現象」をこう定義している。
「マウスの新生児の各組織の細胞(分化細胞)を一定の条件でストレス処理すると、
多能性を持つ未分化細胞にリプログラミング(初期化)されるという
上記研究論文(STAP細胞論文)に記載された現象である」(P.1)
つまり、STAP現象は再現実験で確認されていたのだ。
しかし、理研の検証報告書では「自家蛍光と区別がつかない」など、
上記の実験結果を否定する矛盾した言葉で締められている。
「STAP様細胞塊」が出現し、自家蛍光とは違う
遺伝子タンパクの発現が確認されたのであれば、
「わずかでも成功、STAP細胞塊の出現を複数確認」と発表されてもいいはずだ。
検証実験の主旨と小保方氏の実験環境を思えば、
頻度よりもSTAP現象が確認できたことを重視するべきではないか。
検証報告では、STAP様細胞塊でSTAP幹細胞、FI幹細胞をつくろうと試みたが
失敗したとされている。
また、STAP様細胞塊からはキメラマウスをつくる事はできなかった。
つまり、『あの日』でも書かれているとおり、
若山氏が行っていた実験パートは実態の影さえ見えない。
『あの日』に書かれている内容と
理研の公式発表「STAP現象の検証結果」には齟齬がないし、筆者の取材結果とも合致する。
STAP細胞問題は、早急に第三者機関による再調査が必要なのではないか。
↑
沈黙は鉛でしかない、今後もどんどん発言すべきだと思う。
「斬新な発想」、これが貴重で尊いのですよ。
「幻想 夜の梅」です。
油彩F10号
☆晴れ、今日から4月ですね。
エイプリルフール、ですが 「STAP」は真実ですよ、
彼女は嘘付きではない、目付きが澄んでおる、
◆http://news.infoseek.co.jp/article/20160331jcast20162262938/
J-CASTニュース / 2016年3月31日
◎小保方氏、全文英語の「ホームページ」立ち上げか
再び「STAP細胞はあります」?
理化学研究所(理研)の元職員、小保方晴子氏を名乗る人物が
新たなホームページを立ち上げた。
ホームページの管理人が小保方氏本人だとする証拠は見当たらないものの、
報道各社は本人が立ち上げたものだと「断定」している。
ホームページ内の言語はすべて英語。
2016年3月25日付けで発表されているメッセージで、
「STAP細胞」の存在を証明する科学的証拠を科学コミュニティに提供する、
と立ち上げの目的を説明している。
☆「精神的、肉体的にうつ病を治療中」とも告白
「STAP-HOPE-PAGE」と題されたホームページには、
https://stap-hope-page.com/
Greetings(あいさつ)、Past background of STAP(「STAP」の由来)、
Protocol for STAP cells(「STAP細胞」のプロトコル)
Results of the STAP verification experiment(「STAP細胞」実証実験の結果)、
Announcement(発表)の4カテゴリが設定されている。
「あいさつ」では、「2014年にネイチャーに掲載された『STAP論文』について、
科学者として深い反省と心からの謝罪を表明する」と謝罪し、
ホームページを立ち上げた動機を
「『STAP細胞』の存在を証明する科学的な証拠を科学コミュニティに提供するため」
だと明かした。
最後に、自身の現状について「精神的、肉体的にうつ病を治療している」と説明し、
「いつか科学の最前線に戻ることを心から願っている」と書いている。
その他のカテゴリでは、図説を用いながら「STAP細胞」というネーミングの由来や、
生成過程を詳しく解説している。
「STAP細胞」をめぐっては14年12月、理研の調査委員会が
「ES細胞の混入した可能性が高い」とする最終調査結果をまとめた。
しかし、小保方氏 自身は16年1月に自著「あの日」(講談社)を上梓し、
今なお理研の調査結果を否定し続けている。
◆http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48272
週刊現代 2016年03月31日(木)
◎小保方さんの恩師もついに口を開いた!
米高級誌が報じたSTAP騒動の「真実」
小保方さんは間違っていたのか、それとも正しかったのか―
アメリカの権威誌に掲載された記事には、
日本で報道されていない新たな証言が書かれていた。
世界中が彼女に注目し始めている。
☆すさまじい駆け引き
「私は、STAP細胞は正しい、確かに存在すると
100%信じたまま墓場にいくつもりだ」
こう語るのは、小保方晴子さん(32歳)の恩師、
アメリカ・ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授だ。
バカンティ氏は、小保方さんが発表し、後に撤回された
「STAP細胞論文」の共著者でもある。
小保方さんが、自らの言葉で綴った手記『あの日』が、
海の向こうでも話題になっている。
アメリカで有数の権威を持つ週刊誌『NEW YORKER』(ニューヨーカー)の電子版に、
一連のSTAP騒動を検証する記事が掲載されたのだ。
筆者は、アメリカ人のデイナ・グッドイヤー女史(39歳)。
'07年まで『ニューヨーカー』の編集者として勤務し、その後、
ノンフィクション作家として独立した人物である。
冒頭のバカンティ氏の言葉は、グッドイヤー女史のインタビューによって
騒動以降、初めて明らかになったものだ。
在米の出版社社員が現地の様子について語る。
「バカンティ教授が取材を受けたのも『ニューヨーカー』だからこそです。
それくらいこの雑誌で記事が組まれることはステータスでもあるんです。
この記事を掲載するに当たって編集部は約半年にもわたり、準備をしたそうです。
かなり気合が入った記事であることは間違いない。
小保方さんが手記を出したことで、世界が再び彼女に注目しています」
『ニューヨーカー』はアメリカ雑誌界の最高峰に君臨。
読者層は知的好奇心が高く、「高級で権威がある雑誌」と認識されている。
紙の雑誌の発行部数は100万部以上。
電子版も好調で、こちらも100万人以上の会員数を誇る。
一本一本の記事が丁寧に書かれている総合誌で、非常に読み応えがあるのが特徴だ。
小保方さんに関する記事のタイトルは「THE STRESS TEST」。
幹細胞研究の世界はまさに陰謀、欺し合いが錯綜している。
そこに細胞に対して行う「ストレス・テスト」を引っかけ、
ストレスに弱い者は、科学界で生き残れないことをこの記事は示している。
グッドイヤー女史は日本中を巻き込んだ「STAP」騒動をどう分析しているのか。
まず小保方さんの登場について記事ではこう書かれている。
「この仕事(STAP)の背後にいた『革命児』が小保方晴子であった。
彼女は男性中心の日本の科学界に女性として一石を投じた。
彼女は他の女性に比べて、男たちとの駆け引きの中で生きることに長けていた。
そして独創的な考えの持ち主であると賞賛されていた」
(『ニューヨーカー』より・以下カッコ内は同)
その小保方さんを引き上げた人物こそ、バカンティ教授だった。
「小保方がバカンティ教授の研究室にやってきた時、バカンティはすぐに
『彼女にはopen‐minded(心の広さ、進取の気性に富む)と、明敏さがある』
ことに気づいた。
ただしバカンティは当面、細胞にストレスを与えると幹細胞を作り出す可能性がある
という仮説を伏せておいた。
彼がもっとも避けたかったのは、留学生が自国に戻って、
他の誰かの研究室で彼女のアイディアを展開することにあった。
バカンティは私にこう言った。
『私の主な懸念は、我々はハルコを信用できるのかだ』と」
☆「彼女には才能がある」
だが、バカンティ氏の懸念は杞憂に終わる。
小保方さんは彼の研究室で信頼を高めていった。
「小保方の下でリサーチ・アシスタントとして働いたジェイソン・ロスはこう言った。
『彼女がいかに才能があるかは、誰もが分かった。
ハルコのような才能のある人はそう多くはいない』。
それに対して小保方はこう返した。
『日本では女性研究者は二流です。たとえ年下の大学生でも、男性が必要としたら、
女性は顕微鏡を使うのを諦めないといけません』」
やがてバカンティ教授の元での短期留学を終えた小保方さんは、日本に帰国し、
'11年に理化学研究所(CDB)の研究員に。
そこで「STAP騒動」のキーパーソンである若山照彦教授のチームに所属する。
そして本格的にSTAP細胞の研究に取り組んでいく。
「生物学者の山中伸弥がノーベル賞を受賞したとき、
CDBの研究者たちの野心は奮い立った。CDBのチームは、
自分たちの発見が 山中の発見と張り合う、
いや山中の研究をobsolete(時代遅れ、廃れた)にしてしまうとまで考えた」
その一方で、当時の小保方さんについては、
「小保方はCDBでの昇進は早かったが、うまく適応できてなかった。
アメリカ的になっていたので、元同僚たちによると小保方は、
日本の研究所の厳格なヒエラルキーにイライラしているように見えた」
と記している。
'12年、STAP細胞発見への意欲を見せる小保方さんのもとに
もう一人の協力者が現れる。
それが騒動中に自殺した笹井芳樹・元CDB副センター長だった。
笹井氏のもとで、小保方さんは論文を再構築する。
そして'14年、ついに世界的権威を持つ科学雑誌『ネイチャー』にSTAP論文が掲載される。
日本のメディアは割烹着姿で顕微鏡をのぞき込む小保方さんを「リケジョの星」、
「ノーベル賞級の発見」と煽り持ち上げた。
だが、風向きが急速に変わり始める―。
「ブランドン・ステルという名の神経科学者が'12年に創設した『PubPeer』
というオンライン・フォーラムがあり、
そこでは誰もが科学論文を分析して議論することができる。
STAP論文は彼らにとってまさに、好奇心をそそる材料であった。
2週間も経たないうちに、匿名のユーザーが
論文に掲載された画像の2つがほとんど同一のものであることに気づいた」
STAP論文の発表は世界に衝撃を与えると同時に、
世界中の研究者からの検証にさらされることにもなった。
これこそが「ストレス・テスト」なのだ。
このテストにバカンティ氏と小保方さんは耐え抜くことができなかった。
「ハーバード大学の科学者でボストン小児病院の幹細胞移植のディレクターである
ジョージ・ダレイは私にこう言った。
『当時、世界中の私の同僚たちは、お互いにメールをしあって、
おーい、何が起きているんだ。 うまくできたか ?
誰も成功してないのか、と言い合っていた』」
☆今も信じている
グッドイヤー女史によると、ダレイは「STAPは幻想である」
ことを立証するための論文を『ネイチャー』に発表する準備を始めたという。
さらにダレイは2回にわたって、バカンティ氏に間違いを諭そうとしたが、
無駄に終わったという。
「ダレイは私に『バカンティは自分が正しいと思い込んでいる』と言った。
そして、昨年の9月、『ネイチャー』はダレイのSTAPに関する論文を掲載した。
そこには小保方の主張を正当化すべく7つの研究室が再現をしようとしたが、
すべて失敗したと書かれていた。
この論文の共著者であるルドルフ・イェーニッシュは、
遠慮することなく私にこう言った。
『小保方が若山にいろいろ混ざった細胞を渡したことは明らかだ。
若山は彼女のことを信じてそれを注入した。そして美しいキメラができた』」
バカンティ氏は一度、小保方さんに「データの捏造はしてないのか」と尋ねたが、
小保方さんの答えは、「それならこんなに時間をかけて実験はしない」
だったという。
さらに記事の中には、バカンティ氏は論文撤回後もSTAP細胞作製に向け、
いまも研究を続けていると書かれている。
断っておくが、『ニューヨーカー』に掲載されたこの記事は、
誰が正しいと断定はしていない。
あくまでそれぞれの当事者に取材し、主張を丁寧に拾ったものである。
騒動以降、口を閉ざしたままだったバカンティ氏が、
今も小保方さんを信じ続けていることは、この記事を読めば十分に伝わってくる。
筆者のグッドイヤー女史は今回、記事を書くにあたって
小保方さんとメールでコンタクトを取ったことを明かしている。
「小保方は『私はスケープゴートにされた』と書いてきた。
『日本のメディアはすべて、若山先生が犠牲者で、
私がまったくのろくでなしと断定した』とも」
小保方さんは今、どんな思いで、何を考え、日々を過ごしているのだろうか。
「週刊現代」2016年3月26日・4月2日合併号より
再掲ですが、拙作二枚目、
「夜の梅」です。 油彩F10号
筆者につきあれこれは承知しておるが、いい記事では、
◆http://biz-journal.jp/2016/04/post_14498.html
Business Journal 2016.04.01
◎STAP現象、理研で再現されていたことが発覚 …
若山教授、不当に実験成果物を大量持ち出し
文=上田眞実/ジャーナリスト
▼http://biz-journal.jp/images/post_14498_01.jpg
理研の情報公開制度を利用して取得した、
若山博士が作成したSTAP細胞実験用のMTA
1月に発売された小保方晴子氏(32)の告白本『あの日』(講談社)は、
3月に入ってすぐ5刷りされ、販売26万部を超えるベストセラーとなっている。
講談社担当者は「読者からは多数の共感と応援を頂いております」といい、
これからも売れ行きは伸びるもよう。
本書をめぐっては賛否両論が渦巻いているが、重要な点は
本書の内容が本当なのかどうかという点であろう。
そこで本稿では、小保方氏が所属していた理化学研究所が開示した書類等を
参照しながら、時系列で検証してみたい。
2014年3月10日、小保方氏の共同研究者であった若山照彦博士(山梨大学教授)が
論文を撤回し、STAP細胞問題が表面化した。
同年12月25日に公表された「研究論文に関する不正調査委員会」(委員長・桂勳氏)
の「研究論文に関する調査報告」(P.13)では、
STAP細胞の研究成果は「ES細胞の混入である可能性が高い」とされている。
また、理研は15年3月20日に「運営・改革モニタリング委員会による評価について」
のP.85で、STAP細胞論文は「ほぼ事実ではなかった」と宣言しており、
STAP細胞はその存在を完全に否定されたかに見える。
しかし、STAP細胞が発表された直後、若山氏は14年4月17日付
「日経Bizアカデミー」記事
『「その時マウスは緑色に光った!」若山教授が語った幻のSTAP細胞誕生秘話』内で、
STAP細胞実験の成功秘話を克明に語っているのだ。
これには多くの疑問の声が上がっている。
さらに、アメリカの研究者グループがSTAP現象と同じ実験結果から
多能性細胞をつくることに成功している。
実はSTAP細胞論文への疑惑が取り沙汰された後に理研が行った再現実験で、
STAP現象は確認されており、
それは『あの日』(P.220)にも書かれている。
▼http://biz-journal.jp/images/post_14498_0331.jpg
STAPーMTAとは何か?
☆契約がないまま成果物を持ち出し
小保方氏は『あの日』(P.155)で
若山氏がMTA(研究成果有体物移転契約書)を交わすことなく
実験成果物を 理研から山梨大学若山研究室に引っ越す時に持ち出し、
窃盗で訴えると理研が訴えたところ、「慌てて書類を出してきた」と告発している。
筆者もこの件について、昨年5月頃から複数の関係者、担当記者から聞いていた。
ちなみにMTAとは、研究者が研究所を引っ越す時に
研究成果物を持ち出す許可を交わす契約書で、研究成果物の引越リストのようなものだ。
独立行政法人には活動を国民に説明する責務があるとした「情報公開法」がある。
そこで筆者は理研の情報公開制度を利用して、
若山博士が作成したSTAP細胞実験用のMTAを取得した。
それによると、若山氏が理研と引越先の山梨大と交わした最初の契約書の日付は
14年の4月1日になっていた。
若山研究室が理研から山梨大学に引っ越したのは13年3月だから、
引越から約1年ずれた日付になっていた。
しかも若山氏が英ネイチャー誌に投稿したSTAP細胞論文撤回を
共著者らに呼びかけたのは14年3月10日だ。
STAP論文に画像の不正引用が発覚し「STAP細胞の存在が信じられなくなった」
と呼びかけた後に、
大量のSTAP幹細胞と対照実験に使ったES細胞、TS細胞の移転契約書に捺印している
のだから驚きだ。
なぜ、MTAの日付が引越時期よりも1年もずれた論文撤回後の契約だったのか。
それは、若山氏が契約を結ばずに勝手に持ち出していたからだ
ということが「あの日」の告発で解った。
さらに、このMTAは細胞の樹立日(作成日)に記載ミスがあり、
再契約が交わされているので、正式にSTAP細胞実験の成果物の移転届けが終了したのは
15年9月30日。
本来ならば研究室の引越と同時にMTA契約を締結しなくてはならない。
情報開示により、若山研の杜撰な研究成果物の管理実態が露呈した。
そうであるならば、若山氏が山梨大へ移転させたSTAP細胞実験成果物とされる保管物が、
理研から移動されたものと同一かどうか判定できない。
なぜなら、つくった本人が持ち出し、
理研に「これとこれを持って行きました」と事後契約していたからだ。
理研の研究室で若山氏が作成したSTAP幹細胞と、
山梨大へ移転させ 第三者機関へ解析に出したSTAP幹細胞が同じものかどうかも、
検証することはできない。
小保方氏は再現実験でSTAPを再現できないので、
小保方氏が「STAP細胞作成を200回成功した」と言ったのは嘘だったのではないか、
との疑惑が広まった。
しかし、『あの日』(P.218)で小保方氏は実に
ひどい環境下で実験させられていたことを告白している。
まるで鉛の防衣のような重たいエプロンを着けさせられ、
身動きができず実験するのに不自由したとある。
さらに実験中には立会人が置かれ、
監視カメラ3台も設置、釘穴までセメントで塞がれたという。
理研がこうした対応をとった理由について14年7月2日、
再現実験の統括責任者である相沢慎一理研特別顧問は
「世の中には彼女が魔術を使って不正を持ち込むのではないかという危惧があるため」だ
と記者会見で語っている。
☆一部、成功していた理研の再現実験
小保方氏の再現実験では、STAP現象は確認された。
それは14年12月19日に理研が発表した「STAP現象の検証結果」(P.2)の
以下記述で確認できる。
▼http://www3.riken.jp/stap/j/r2document1.pdf
「弱塩酸処理を行った場合では、その多くに
STAP様 細胞塊が形成されることが確認された」
しかし、その出現数はごくわずかだと検証結果を報告している。
わずかでも、確かに「STAP様細胞塊が形成」とある。
STAP現象は確認されていたのだ。
さらに連携して行われた丹羽仁史博士(熊本大学教授)の再現実験では、
マウスの肝臓細胞の実験でATP浴という方法で刺激を与える実験をしており、
これも多能性を持ったことを示す多能性遺伝子の発現が確認され、
検証結果では49回のうち37回もSTAP様細胞塊の出現が確認されたとある。
かなり高い確率だ(「同」<P.4>より)
小保方氏は『あの日』(P.220)のなかで、再現実験によって
「酸処理した細胞に未分化状態を示す多能性遺伝子の確認があった」と記しているが、
丹羽氏が作成した「肝細胞由来のSTAP現象が確認された」という事実は、
理研も検証結果で公表している。
同報告書では「STAP現象」をこう定義している。
「マウスの新生児の各組織の細胞(分化細胞)を一定の条件でストレス処理すると、
多能性を持つ未分化細胞にリプログラミング(初期化)されるという
上記研究論文(STAP細胞論文)に記載された現象である」(P.1)
つまり、STAP現象は再現実験で確認されていたのだ。
しかし、理研の検証報告書では「自家蛍光と区別がつかない」など、
上記の実験結果を否定する矛盾した言葉で締められている。
「STAP様細胞塊」が出現し、自家蛍光とは違う
遺伝子タンパクの発現が確認されたのであれば、
「わずかでも成功、STAP細胞塊の出現を複数確認」と発表されてもいいはずだ。
検証実験の主旨と小保方氏の実験環境を思えば、
頻度よりもSTAP現象が確認できたことを重視するべきではないか。
検証報告では、STAP様細胞塊でSTAP幹細胞、FI幹細胞をつくろうと試みたが
失敗したとされている。
また、STAP様細胞塊からはキメラマウスをつくる事はできなかった。
つまり、『あの日』でも書かれているとおり、
若山氏が行っていた実験パートは実態の影さえ見えない。
『あの日』に書かれている内容と
理研の公式発表「STAP現象の検証結果」には齟齬がないし、筆者の取材結果とも合致する。
STAP細胞問題は、早急に第三者機関による再調査が必要なのではないか。
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沈黙は鉛でしかない、今後もどんどん発言すべきだと思う。
「斬新な発想」、これが貴重で尊いのですよ。