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終わらぬ冬?

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 画は藤田嗣治(レオナール・フジタ)

 Leonard(Tsuguharu) Foujita

 明治19年(1886)〜昭和43年(1968)        作


  「12月8日の真珠湾」、合成で、下は中央部分です。


☆曇り、風強く、北海道に春一番ですかねぇ。

まずは、

◆http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1159
西尾幹二のインターネット日録 2012/3/27 火曜日
◎日本には「保守」は存在しない

私は前から日本には「保守」と呼べるような政治的文化的集団ないし階層は存在しない、と思っていた。
ところが人は安易に「保守はこう考えるべきだ」とか「私たち保守は」などと口にする。
「保守言論界」とか「保守陣営」とかいう言葉もとび交っている。

今こそきちんと検証しておくべきである。思想的に近いと思っていた者同士でも今では互いに相反し、
てんでんばらばらの対立した関係になっているではないか。
皇室問題で男系か女系か、原発派か脱原発派か、TPP賛成派か反対派か――
ひとつにまとまった従来の「保守」グループで色分けすることはできなくなっている。

もともと「保守」など存在しなかったことの現われなのである。
この点を過日掘り下げて「WiLL」2月号に書いたので、ここに掲示する。


  わが国に「保守」は存在するのだろうか。「疑似保守」は存在したが、それは永い間「親米反共」の別名であった。
  米ソ冷戦時代のいわゆる五五年体制において、自由主義体制を守ろうとする思想の立場である。
  世は反体制一色で、左翼でなければ思想家でない時代、一九六〇年代から七〇年代を思い起こしてほしい。
  日本を共産主義陣営の一国に本気でしようとしているのかそうでないかもよく分からないような、
  無責任で危ない論調の『世界』『中央公論』に対し、
  竹山道雄、福田恆存、林健太郎、田中美知太郎氏等々が拠点としたのが『自由』だった。
  六〇年代は『自由』が保守の中核と思われていたが、正しくは「親米反共」の中核であって、
  必ずしも「保守」という言葉では呼べない。  
 
  六〇年代の終わりに、新左翼の出現と学生の反乱に財界と知識人の一部が危機感を深めて日本文化会議が起ち上げられ、
  一九六九年五月に『諸君』が、七三年十一月に『正論』が創刊された。ここに拠った新しく増幅された勢力も、
  「反米容共」に対抗するために力を結集したのであって、私に言わせれば言葉の正しい意味での「保守」ではない。
  日本に西洋でいうところのconservativeの概念は成立したことがない。

  明治以来の近代化の流れのなかに、尊王攘夷に対する文明開化、
  民族的守旧感情に対する西洋的個人主義・自由主義の対立はあったが、対立し合うどちらも「革新」であった。
  革新官僚とか革新皇道派とか、前向きのいいことをするのは革新勢力であって、保守が積極概念で呼ばれたことはない。
  歴史の流れのなかに革新はあり、それに対する反動はあったが、保守はなかった。
  積極的な運動概念としての保守はなかった。背後を支える市民階級が存在しなかったからである。  

  政治概念として保守が唱えられだしたのは戦後であり、政治思想の書物に最初に用いられたのは、たしか一九五六年のはずだ。
  五五年の保守合同を受けてのことである。左右の社会党が統一したのにほぼ歩調を合わせて、自由党と民主党がひとつになり、
  いまの自民党ができて、世間では自民党と社会党とを保守と革新の対立項で呼ぶようになった。
  けれども、それでも「保守」が成立したとはいえない。

  いったい、自民党は保守だろうか。国際共産主義に対する防波堤ではあっても、
  何かというと「改革!」を叫ぶ自民党は日本の何を守ろうとしてきただろうか。
  ずっと改革路線を歩み、経済政策でも政治外交方針でもアメリカの市場競争原理やアメリカ型民主主義に合わせる
  こと以外のことをしてこなかった。自民党を保守と呼ぶことはできるだろうか。

  自民党をはじめ、日本の既成政治勢力は自らを保守と呼ぶことに後ろめたさを持っていた。
  もしそうでなければ、自らをなぜ「保守党」とためらわず名づけることができなかったのだろうか。
  「保守」は人気のない、悪い言葉だった。永いこと大衆の価値概念ではなく、選挙に使えなかった。
  福田恆存氏がときおり自分のことを、「私は保守反動ですから……」とわざと口にしたのは氏一流のアイロニーであって、
  「保守」がネガティヴな意味合いを持っていたからこそ、悪者ぶってみせる言葉の遊びが可能になったのであった。

 「保守」を利用する思惑

  ところが、どういうわけだか最近、というかここ十年、二十年くらい「保守」はいい言葉として用いられるようになっている。
  保守派を名乗ることが、言論人の一つの価値標識にさえなった。いつまでつづくか分からないが、
  若いもの書きは競い合って自分を保守派として売り込んでいる。保守言論界と言ってみたり、保守思想史研究を唱えてみたりしている。
  私はそういうのをあまり信じないのだが、十年後の日本を占う当企画の一項目に「保守」があがっていること自体に、隔世の感がある。

  おそらく、元左翼の人たちがいっせいに右旋回した時代に、「保守」がカッコイイ看板に担ぎ上げられたといういきさつがあったためであろう。
  西部邁氏の果たした役割の一つがこれであったと思う。また、市民階級は生まれなくても、
  二十世紀の終わり頃のわが国には一定の小市民的中間層が成立し、一億中流意識が定着した、とまでいわれた経済の安定期があって、
  それが「保守」の概念を良い意味に格上げし、支え、維持したといえなくもない。

  「保守」を利用する人たちの思惑はどうであれ、人々がこの言葉を価値として用いることに際して抵抗を覚えないムードが
  形成された背景の事情はそれなりに理解できる。しかし、二つの理由からこれはいかにも空しい。
  あっという間に消えてなくなる根拠なきものであることを申し上げたい。
  一つは、思想的根拠にエドマンド・バークなどを代表とする外国の思想家を求め、日本の歴史のなかに必然性を発見できていない。
  もう一つは、金融危機が世界を襲いつつある現代において、新興国はもとより、先進国にも格差社会が到来し、
  中間階層が引き裂かれ、再び体制と反体制とが生じ、両者が反目する怨念の渦が逆巻く嵐の社会になるであろうということである。

  安定期にうたた寝をまどろむことのできた仮そめの「疑似保守」は、十年後には雲散霧消し、
  やがてどこにも「保守」という言葉をいい言葉として、価値あるものの印として掲げる人はいなくなるであろう。
  大切なことは、一九六〇〜七〇年代に「反米容共」に取り巻かれた左翼中心の思想空間で「親米反共」を命がけで説いた世代の人々は、
  自らを決して保守とは呼ばなかったことだ。たとえば、三島由紀夫は保守だったろうか。命がけで説いたその熱情はいまも必要であり、
  大事なのは愛国の熱情の維持であって、時代環境が変わればそれを振り向ける対象も変わって当然である。

 十年後の悲劇的破局の光景  

  時代は大きく変わった。「親米反共」が愛国に通じ、日本の国益を守ることと同じだった情勢はとうの昔に変質した。
  私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。
  どちらか片一方に傾くことはいまや危うい。それなのに、
  一昔前の冷戦思考のままに、「親米反共」の古いけだるい流行歌を唄いつづけている人々がいまだにいて、
  しかもこれがいつの間にかある種の「体制」を形成している。そして、
  愛国心も国家意識もない最近の経済界、商人国家の請負人たちと手を結んでいる。
  「生ぬるい保守」「微温的な保守」「ハーフリベラルな保守」と一脈通じ合っているにもかかわらず、
  自分たちを「真正保守」と思い込んで、そのように名づけて振る舞っている一群の人々がいる。
  言論界では岡崎久彦氏から竹中平蔵氏、櫻井よしこ氏まで、冷戦思考を引き摺っている人々はいまだに多く、
  新聞やテレビは大半がこの固定観念のままである。

  中国に対する軍事的警戒はもとより、きわめて重要である。しかしそれと同じくらいに、あるいはそれ以上に、
  アメリカに対する金融的警戒が必要なのである。
  遅れた国や地域から先進国が安い資源を買い上げて、付加価値をつけて高く売るということで成り立ってきた
  五百年来の資本主義の支配構造が、いまや危殆に瀕しているのである。
  一九七三年の石油危機でOPECの挑戦を受けた先進国は、いまや防戦に血眼になっている。資源国は次第に有利になり、
  日本を含む先進国の企業は収益率が下がり、賃金の長期低落傾向にあるが、それでも日本は物づくりに精を出し、
  戦後六十年間で貯めた外貨資産は十五兆ドル(一千五百兆円)に達した。

  ところが、欧米主導の金融資本はわずか十三年間で手品のように百兆ドル(一京円)のカネを作り出した。
  あぶくのようなそのカネが逆流して自らの足許を脅かしているのは、目下、展開中の破産寸前の欧米の光景である。
  アメリカは「先物取引」という手を用いて石油価格の決定権をニューヨークとロンドンに取り戻すといった、
  資源国との戦いをいま限界まで演じているが、もう間もなく打つ手は行き詰まり、次に狙っているのは日本の金融資産である。

  「非関税障壁の撤廃」(ISD条項はその手段)を振り翳したTPPの目的は明瞭である。
  日本からあの手この手で収奪する以外に、アメリカは目前に迫った破産を逃れる術がないことはよく分かっているのだ。
  「親米反共」の古い歌を唄っている自称「保守」体制は、これから収奪される国民の恨みと怒りの総攻撃を受けるであろう。
  格差社会はますます激しくなり、反体制政治運動が愛国の名においてはじまるだろう。

  「保守」などという積極概念は、もともとわが国にはなかった。
  いま「親米反共」路線を気楽に歩む者は、政治権力の中枢がアメリカにある前提に甘えすぎているのであり、
  やがて権力が牙をむき、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。
  わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。『WiLL』2月号より




十年後どころか、すでに牙をむき、襲いかかっておるわけだ、3.11がそれですよ。

日本は、いまや「戦時下にある」のです。


藤田画伯、二枚目、



合成で、上が「シンガポール最後の日(ブキテマ高地)」、下が「サイパン島同胞臣節を完うす」です。


戦争画の傑作が「国立近代美術館」に大量に眠っておりますよ。

ダメリカからの永久貸与扱いで一度に三点のみの展示なのだとか?

要らざるアメ公への忖度だし、劣化補修、修理に金をかけろよ!

愚劣極まる話で、GHQが勝手にかっぱらっただけで、何が永久貸与だよ、 よろず「脱米」なのですよ。


ちっと長いが、17年前かぁ、アタリハズレもあるねぇw

一連のユダヤの何とかという本は、 ま、話半分ですが、結論はいいのではないかなぁ、

◆http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/
LEGACY OF ASHES   2012/3/28
◎「「日本破壊計画」に手を貸すのは誰か」 


これはWar Guilt Information Program(戦争責任周知徹底計画)と呼ばれるものである。

広島の原爆記念碑に何て書かれているのですか?
「二度と過ちは繰り返しませんから」と.......これでいいのでしょうか。これがWGIPなのです。

羊,山羊を飼育する畜産民は,子羊が生まれると,一年以内に雄は種付け用を少し残し,後は殺して食べる。
ごくわずかの雄を去勢して群れの先導役にさせる。それを人間支配の技術に転用するのが去勢の意味。
シオン長老の議定書(プロトコール)第18議定書より。
これこそがバーディシャー由来の人間家畜の管理術。

拙稿:欧米から見た日本 その1でアーネスト・サトウはこう言っている。

『日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。
ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。伊藤博文には、
英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合には
きわめてまれにしか見られなかった教養であった。もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、
この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。』と。

見透かされていたのである。

サトウの言う「両刀階級」を追い払うまでもなく
メーソンごっこをさせるのが一番手っ取り早かったのであろう。

『秘密結社に喜んで入ってくるのは、世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中では軽薄に属する人物が多いので、
彼らを御してわれわれが仕組んだことを片付けさせるのは、さして苦労のいることではない』と。
(15議定書)



悪魔(ユダヤ)からの最後通告
混迷日本にとどめを刺せ

ヤコブ・モルガン・著   第一企画出版   1995年刊


この本は今は絶版となっています。第一企画出版という出版社の消息もわかりません。しかし、
この本に書かれている内容は、日本人としてぜひとも知っておく必要があることばかりです。
なぜなら、間もなく日本という国はこの地球上から抹殺される運命にあるからです。
そのとき日本人の身の上に何が起こるのでしょうか。
それは本文を読み終えた後で、じっくりと想いをめぐらしてみてください。背筋が寒くなるにちがいありません。
しかしながら、この“現実”から目を背けない心の姿勢が大切なのです。(憂惑生)


☆戦争はすべて金儲けの事業である



☆政府の要人(トップ)は全員「世界支配層」の使用人



☆日本ではこの重要6ポストがフリーメーソン


日本では戦後連綿として首相、外務大臣、大蔵大臣(財務大臣)、文部大臣(文部科学大臣)、
防衛庁長官、日銀総裁の6ポストはフリーメーソンまたは無能で都合のよい人材によって占められてきたが、田中角栄だけは例外だった。
田中首相は「世界支配層」が予期しない日本の総理大臣だった。

田中角栄は民族主義者であった。日中国交回復をなしとげ、独自のエネルギー政策をとろうとした田中首相は
「世界支配層」にとって大変危険な政治家と映ったのである。
「世界支配層」の狙いは、日本と中国を永遠に分離、敵対させることだった。
そうすればアジアの二大国が結束して強大なアジア圏ができることを未然に防げる。
また石油のない日本を米英系の石油メジャーの傘下に組み込んでエネルギーという強力な武器で日本を恒久的従属下に置くことができる。
この両方に挑戦したのが田中角栄である。

この精力的かつ国民的人気を持った首相をこのまま存続させては、日本に民族主義が芽生え、
日本という国を服従させることが困難になる。このため田中角栄を倒すためにさまざまな手が使われた。
ジャーナリストを使っての金脈問題暴露記事や、アメリカ発のロッキード事件発覚である。
ロッキード事件は田中角栄を倒すために仕組まれた陰湿なる謀略である。
5億円のワイロはあらかじめ計画されたシナリオに沿って田中首相筋に渡された。そのために多くの人や商社が介在し、
大がかりな贈収賄工作が行なわれたのである。
ロッキード事件では日本側に多くの逮捕者・犠牲者が出たのに比べ、アメリカ側で刑事罰に処された者は誰もいない。
このことはロッキード事件なるものが、日本の政治を混乱させ、
「世界支配層」にとって望ましい方向に軌道修正するための謀略であったことを示している。

田中角栄を失った日本は政治的無能状態になり、その後は「世界支配層」とアメリカに忠実な政治家によって
政権交代が行なわれた。日本政府中枢にはフリーメーソンが多く巣くったのである。
一国の政治力は政治家の力量や見識によっても大きく影響されるが、その国の保有する軍事力や経済力によっても左右されるのは当然である。
日本の軍事力は見るも無残な状況である。アメリカの進駐軍によって押しつけられた憲法は、その一見高邁な理念はともかく、
日本という国家を永遠に無力化し、幽閉するための牢獄となっている。
日本にとって過去の日中戦争や太平洋戦争は悪夢であり、軍部によって悲惨な戦争に巻き込まれた国民は、
二度とあのような戦争を起こしたくないと、永遠の平和を願うことは当然である。

けれども、日本が罠にはめられて戦争を始めざるを得ず、しかもその戦争を指導した軍部や政府の中枢がユダヤ・フリーメーソンであり、
最初から日本が負けることを想定し、負けるために多くの作戦行動を行ない、意図的に途方もない犠牲者を出し、
敗北したあと、戦争を忌み嫌う国民に「平和憲法」を押しつけ、戦後の日本を軍事的に無力化することが目的であったとしたら、
日本の平和主義者は見事に騙されていることになる。

「世界支配層」の狙いは日本に大量殺戮兵器である原爆を落とし、日本人を地獄に突き落として、
戦争の過酷さを克明に記憶させ、未来永劫にわたって戦争アレルギーを植えつけ、
二度と軍事大国にならないよう国民の脳髄に「平和憲法」を刻印することであった。狙い通り、
戦後の日本人は一様に「平和主義者」となり、ひたすら復興だけを考えてきた。

「日本が太平洋戦争に敗北することがあらかじめ予定されていた」という事実を証明する出来事がある。
上野の東京国立博物館理事長の奥村英雄氏は、日本がアメリカと戦争を始める前に、つまり、真珠湾攻撃をするはるか前に、
日本政府のある筋から、東京はやがて空襲されるので、あらかじめ博物館内の貴重な展示品を全国各地に疎開させておくよう指示され、
奈良や東北地方に移動させたことを証言している。

☆駐留米軍の役目は非常時日本を占領すること


日本が戦争に敗北することが予定されていたとするならば、戦闘や、空襲、原爆などで死んでいった多くの英霊は浮かばれまい。
戦後の平和憲法も、日本人の核アレルギーもすべて誰かがそのことをあらかじめ計算した上で、
日本人と日本国を封じ込めるために仕掛けた罠だとすれば、日本は二重に不幸ではないか。

日本の自衛隊は憲法でも認められない日陰者として扱われ、日本国民の生命と財産を守る軍ではなく、
アメリカ軍の指揮下で補完戦力としてのみ働くことを許されている。
日本が仮にも独立国であるならば、外国の軍隊によって占領され、
首都を初めとして全国に多くの基地を提供していることを恥と思わなければならないだろう。

日本にいる米軍は何のためにいるかというと、日本で不穏な動き、
例えば民族主義に基づくクーデターなどが起こったとき、それを制圧するためであり、
日本に反米的政権が誕生したとき、首相官邸と国会議事堂を占領するためである。

日本を戦後サンフランシスコ体制に組み込み、米軍の駐留を許し、半独立国としての卑しい地位におとしめたのは
フリーメーソン首相・吉田茂であった。
そして、米ソの冷戦という虚構のもとに日米安全保障条約を締結、日本に米軍が駐留する大義名分を与えたのは、
売国政治家・岸信介である。

国家としてまともな軍事力を持たない日本は戦後の国際政治において常に二等国扱いをされてきた。
政治力は適切な軍事力によって裏打ちされる。日本が国としてまともな大局観や戦略、そして危機管理を持たないのは、
国防という大事な能力と機能が欠落し、独自の情報空間を持たないからである。
軍事力と情報力は表裏一体である。
日本はアメリカ軍によって列島を占領されながら、アメリカからは大事な情報は何ひとつとしてもらっていない。
アメリカは無数の軍事衛星を打ち上げ、宇宙空間を制している。今や月や火星にまで軍事基地を作ろうとしているのだ。
アメリカ本土の主要都市には、地下シェルターが張りめぐらされ、地上からの核攻撃にも耐えられる体制をしいている。
アメリカは恐るべき軍事国家である。日本はそのアメリカによって、いつもこめかみに銃口を当てられているのだ。

☆ユダヤに操られる政治家が驚くほど多い



☆細川政権はユダヤの傀儡(かいらい)だった



☆この大がかりな日本破壊計画に早く気づけ


いまユダヤ国際金融財閥を中核とする「世界支配層」イルミナティ・フリーメーソンは、
地球支配に向けて最後の仕上げをしている。
東欧やソ連を崩壊させ、中東を無力化し、中国の共産党政権を打倒し、日本の制圧を目論んでいる。
この日本制圧に手を貸しているのが日本の政治家たちなのである。

日本が慟哭している。いま、この国のよき伝統や歴史が崩壊の危機に瀕しているのだ。
明治維新以来、日本は西欧列強(ユダヤ)の侵略に対抗し、数々の国家的変革と建設を行なってきた。
けれども、その過程では不可避的にいくつかの過ちも犯した。
その原因は、日本人が世界の中で十分な大局観と情報を持ちえなかったことによる。
日本人は歴史の中から教訓を学ぶことができなかったのである。
しっかりした歴史観や国家建設、国際関係に対する理念を持ち得なかった日本人は、現代に至ってもなお、
同じ過ちを繰り返そうとしている。
世界で最もナイーブなこの国の国民は、ちょっとした情報操作や暗示によっていとも簡単に扇動されるのである。

明治・大正・昭和・平成と時代は変わっても、日本は絶え間なく外国勢力(ユダヤ)によって影響され、
国内の協力者の工作によって間違った方向へと導かれてきた。やがて日本が日本でなくなる日が来る。
このまま手をこまねいて何もしなければ、日本は本当にそうなってしまうのだ。
日本の心ある人たちはこの陰謀を見抜き、国を売る者たちに鉄槌を下さなければならない。

太平洋戦争で敗北して以来、日本人は「世界支配層」によって徹底的に精神改造された。
今では、日本人はそのことを喜び、原爆を2発も投下して罪もない日本人を大量虐殺したアメリカを崇拝し、
日本の発展はアメリカのおかげだなどと言う。このような馬鹿者は世界で日本人だけである。

知恵のない者は滅びる。このことを地でいくなら、真っ先に滅びるのは日本であろう。
世界情勢は途方もなく厳しく、日本を取り巻く環境は日増しに悪化している。けれども、日
本人は自分たちに差し向けられた危険を察知することなく、この危険に対してあまりにも無知であり、無防備である。
日本の政治家や権力者たちは、日本を救うどころか、この国の滅亡に手を貸している。

日本は阪神大震災でも見られたように、最低限の国家危機管理すら持ち合わせていない。
日本の知識人やジャーナリスト、マスコミも、日本国民に真実を知らせることなく、
日本人の愚民化、痴呆化を助長している。平成日本人の目はうつろである。
日本人の顔からは、かつて存在していた輝く目、ひきしまった口元、りりしい顔立ちは完全に消え失せた。
今はどの顔も一様に野卑で軟弱である。
太平洋戦争に敗北して、日本人は本来の日本人ではなくなり、軽薄なるアメリカ文化に毒されて、
民族としての伝統、そして歴史や誇りさえも失った。
戦後50年が経過し、日本人はその本来的徳性を失い、醜悪なる姿へと変容した。利益至上主義や拝金主義である。
敗北によって日本人は高貴なる国体を失ったばかりか、その精神まで堕落させたのである。

とりわけバブル崩壊後の日本は国家としての理念を失い、国民も長期化する不況の中で目標を失い無気力そのものである。
ところが日本人は、このようになった原因は日本人自身にあると考えている。
日本人特有の自虐性がそうさせるのであろう。だが、一時の経済的成功は別にして、
日本人がかくも弱々しい国民になった最大の原因は日本人の中にだけあるのではない。
日本人をそうさせるための大がかりな仕組みがあるのである。

☆日本経済が崩壊する日が目前に迫っている



☆潜在的闘争心を抜き取られた日本人


敵対する国家・民族・集団・個人を打倒するためには、軍事力や政治力などを用いて相手を屈服させる。
相手が弱い場合は、この方法で短期間に勝負はつくものである。
だが、相手が強大であったり、互角の力関係の場合には、陰謀をめぐらし、さまざまな機略に富んだ手段を用いなければならない。
それには2つの方法がある。
ひとつは、相手から潜在的闘争力を奪い、精神や肉体を虚弱化することである。
もうひとつは、相手方の中に反対勢力を作り、それを支援して互いに戦わせ、内戦に導いて消耗・疲弊させることである。

日本は伝統的に“強い国家”である。国民のレベルも高く、精神も充実している。
このような国を屈服させるには2つの方法を同時に用いなければならない。

  「潜在的闘争力を奪うための手段」には次のようなものがある。
 ● 麻薬など、習慣性の強い薬物を大量に供給して、健全なる精神と肉体を破壊する。
 ● ポルノや風俗産業を拡大して性的快楽を大量供給する。
 ● スポーツや映画、音楽等の娯楽を大量に与える。
 ● 男子を軟弱化し、女子の闘争心をあおる。
 ● マスコミを総動員して愚民化をはかる。
 ● 輸入食品の中に特殊な薬品を混入して肉体の虚弱化をはかる。
 ● 公害など環境汚染を促進して肉体の破壊を促進する。
 ● 新興宗教の信者としてマインドコントロールする。

  そして、もうひとつの「反対勢力構築の方法」は次の通りである
 ● フリーメーソン組織を強化・育成する。
 ● 政党を結成して国政奪取の機会をうかがう。
 ● 戦闘的宗教集団を設立して、組織拡大および武装闘争を行なう。
 ● 犯罪集団、マフィアを拡大強化する。
 ● スパイ組織を構成して情報収集を行なう。

日本では、以上述べた手段や方法は、すべて実行されている。特に、日本のように一度世界大戦で敗北したような国は、
「世界支配層」にとって何をするにしてもほとんど自由である。
それは闘争心の劣化や反対勢力の構築に加えて、体制側すなわち権力側にも言うことをきく人材を自由自在に配置できるからである。
日本では、政治、経済、知識人、マスコミの中枢はユダヤ・フリーメーソンとして「世界支配層」にいつでも奉仕している。

日本の歴代首相、外務大臣、大蔵大臣、文部大臣、防衛庁長官、日銀総裁などのポストはすべて
秘密組織のエージェントでなければ座ることができない。経済界もしかりである。
経団連や日経連、経済同友会、日本商工会議所の財界4ポストは、普通の人間ではよほどのことがない限りなれないであろう。
大企業のトップもそうである。
学者や知識人、ジャーナリストも、テレビや新聞、各種雑誌に多く登場する場合、たいてい「世界支配層」のスポークスマンを務めている。
彼らが実力だけで有名になることはあり得ない。
マスコミに登場するのは、繰り返し「世界支配層」に都合のいいことを並べ立てているからである。
真実を述べる者は言論界から抹殺される。
こうしてみれば、日本は体制、反体制、潜在的闘争力のすべてをコントロールされていることになる。
そういう意味ではもはや救いようのない国だと言っても差し支えない。
けれども、それでもなお「世界支配層」が日本に対して警戒を緩めず、発展の阻止と国民的精神の破壊を企図してくるのは、
日本民族の魂の奥底に宿る優れた資質を恐れているからに他ならない。
日本と日本人は、手を緩めれば必ずその潜在能力と努力によって発展興隆し、やがては強大なライバルになるからである。

☆日本の安全を破壊するユダヤ工作員が暗躍



☆日本人の脳を白痴化し、精神を堕落させる計画



☆日本の銀行を次々倒産させる遠大な計画



☆明治以来の間違った国策を至急修正せよ


日中戦争は15年戦争とも言われ、満州事変より日本降伏までの間に中国大陸では数多くの激戦と悲劇が繰り返された。
日本はなぜ中国を敵として戦わなければならなかったのだろうか。日本が中国を侵略して得られたプラス面は何ひとつなかった。
結果として両国の間に多大な損害と深い悲しみだけを残しただけである。

本来優しい草食動物の代表である日本人が、過去の歴史において間違った選択をし、
あたかも肉食獣であるがごとく変身した背景には、日本の政治、軍閥の中枢に
「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソンの手先が多数巣くっていたという事実がある。

彼らは日本を凶暴化させ、破滅へと導いた。明治においては、大久保利通や伊藤博文らであり、
大正・昭和においては、西園寺公望、牧野伸顕、岡田啓介、米内光政、山本五十六、大本営参謀本部の面々など、
枚挙にいとまがない。

日本のユダヤ・フリーメーソンたちはいつまでも日本の破滅を画策している。
アジアの中で日本だけが鼻つまみ者になり、孤立化することを策動しているのである。
日中戦争の勃発と拡大、そして太平洋戦争の開戦もすべては仕組まれたものであった。
無知な日本国民はそれを知らされず、日本の政治権力の中枢に巣くったこれらエイリアンたちによって
日本は翻弄され続けてきた。当時の日本人には、その陰謀を見抜き、国内に対抗勢力を形成することなど不可能であっただろう。
日本の民衆はあまりにも無知で無力であった。

日本は最大にして最強の政治権力を保有した大本営陸海軍(その中枢はユダヤ・フリーメーソン)によって
冥府魔道へと導かれていった。
太平洋戦争は日本打倒のための国際的謀略であったが、日本が本来とるべき選択肢は、このような陰謀を見抜き、
アジア諸国と広く連帯し、米欧(ユダヤ)勢力と戦うことであった。
にもかかわらず日本は中国と戦火を交え、アジア諸国の賛同も得られず、戦場のいたるところで孤立した。
横暴を極めた帝国主義・植民地主義である米欧よりも、日本を嫌ったアジア民衆の姿こそ、
アジアでもなく西欧でもない日本の悲劇がある。
しかし、日本の南方進出がまぎれもなくイギリスやフランス、オランダなど西欧の植民地帝国の基盤を揺るがし、
これを崩壊させたことは間違いない。戦後、インドネシアはオランダから、マレーシアはイギリスから、
そしてインドシナ(ベトナム)はフランスから独立した。インドもついにイギリスの支配を脱した。
その地にも、フィリピン独立、パキスタン独立、ビルマ共和国(ミャンマー)成立など、アジア情勢は一変したのである。

けれども日本の戦争行為をすべて悪とし、日本を犯罪人にするための国際ショー・極東軍事裁判(東京裁判)が戦勝国によって開催された。
「南京大虐殺事件」はこの裁判の最中、突然持ち出されたものであると言われている。
それはアメリカが、広島・長崎への原爆投下による日本人大量虐殺を正当化するため、日本も中国では同様に大量虐殺を行なったとするものだ。

米欧は日本を友好国とは思っていない。利用するだけである。
そして邪魔になれば再び日本打倒の陰謀をたくらんでくる。
バブル経済の形成やその後の崩壊、そして昨今の円高による日本経済の低迷は、米欧(ユダヤ)からのあからさまな攻撃である。
「世界支配層」にとって日本という国は本来的に必要ないのである。
アジアというよだれの出るようなおいしい肉に刺さった鉄の釘である。
この釘を抜きさえすれば、アジアの支配は思うがままとなるのだから。

日本は太平洋戦争で敗北し、一度はアジアの無能国になった。だが戦後再びめざましい発展をとげ、
その経済力はもはや無視できないほど強大になった。
「世界支配層」は日本をもう一度無力化するためにさまざまな罠を仕掛けたのである。
日本はこの巨大なる陰謀を早く見抜き、断固戦う意志を示すとともに、
中国をはじめとするアジア諸国と連帯して、アジア人のためのアジアを創造しなければならない。



 ● エピローグ ● 日本に宣戦布告したユダヤにどう反撃するか

☆作られたユダヤ人の悲劇に騙されるな

1995年1月27日、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所で解放50周年の中央式典が開かれた。
ナチス・ドイツによるユダヤ人の虐殺は最大「600万人」とも称され、今でも戦後ドイツを深く激しく呪縛している。
参加した約20カ国の代表によって採決されたアピールは「アウシュビッツは人類史上最大の犯罪」とし、
ユダヤ人の悲劇性を強調すると同時に、平和への願いを新たにしたものである。

人類にとって平和が最も大切なものであり、いかなる民族・国家も戦争や暴力によって絶滅させられることがあってはならない
ことは当然のことである。
だが、なにゆえにユダヤ人の虐殺のみが戦後これほど大きくクローズアップされ続けるのか。
この点については2つの問題を提起しておきたい。

まず第1は、ユダヤ人の大量虐殺を指揮命令したのは他ならぬユダヤ人のヒトラーであり、
そのヒトラーを財政的に援助したのはユダヤの巨大国際金融財閥ロスチャイルド家であったということである。
また、イギリス、フランスなどの連合国を支援し、ともにナチス・ドイツと戦って勝利したアメリカの大統領
フランクリン・D・ルーズヴェルトは、自分自身がユダヤ人であったにもかかわらず、ユダヤ人の大量虐殺問題を無視したことである。
戦後、「ユダヤ人の悲劇」はパレスチナの地にイスラエルを建国する原動力となった。

第2の問題点は、人類史上にはユダヤ人の虐殺をはるかに上回る凄惨な虐殺がたびたび行なわれており、
その多くはイギリスとアメリカによるものである。
しかし、そのことは何一つとして問題にされていないということである。

アフリカ黒人の奴隷貿易は、ドイツを除くほとんどのヨーロッパ人種、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス人などによって
16世紀初頭より行なわれ、インディアン虐殺によって人手不足となったアメリカ大陸に売却されていった。
綿花栽培等の農園を営むアメリカ人たちは黒人奴隷を酷使し、毎年14万人の奴隷が悲惨な生活のもとで死んでいった。
これによって犠牲になったアフリカの健康な男女たちは、300年間でおよそ5000万人にも及ぶ。

こうした事実に対し、白人国家は何一つ釈明しようとしない。自分たちの罪にはほおかむりしたままである。
アメリカ大陸では1620年のメイフラワー号による移民船到着以来、続々と白人の入植が続き、
原住民であるインディアンとの間に深刻な紛争が起こった。
ここでもイギリス、フランス、オランダ、スペイン人たちはインディアンから土地を奪い、大量虐殺を行なったのである。

☆ナチのガス室も南京大虐殺も眉にツバせよ

管理人注:映像の捏造
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/12.html

敗戦国日本ではどうか。戦後、日本の戦争犯罪ばかりが追求されるが、
アメリカが日本に行なった残虐行為は看過できないものである。
米軍による広島・長崎への原爆投下では、罪もない民間人が約30万人も大量虐殺された。
さらに東京大空襲では、終戦までの130回にも及ぶ空襲によって、焼失した市街地は全体の50%を超え、
死者は9万2778人、罹災者は304万4197人の多数に及んでいる。
空襲などという非戦闘員への攻撃が大量虐殺「ホロコースト」でなくて何であろうか。

原爆を開発したのはユダヤ人科学者たちであり、それを事業化したのは、はやりユダヤ巨大財閥のロックフェラーやモルガンであり、
原爆投下を決定したのはモルガンの番頭であるトルーマン大統領であった。
先頃、月刊誌「マルコポーロ」(1995年2月号)に掲載された医師・西岡昌紀氏の紀行文が大きな波乱を巻き起こした。
戦後最大のタブー・ナチ「ガス室」はなかった――と題するこの写真入り10ページの記事は、
ユダヤの戦闘的擁護団体ヴィーゼンタールによって激しい抗議を受け、ついに出版元である文芸春秋社はこの圧力に屈し、
社長の田中健五氏が公式に謝罪すると同時に、編集長の花田紀凱氏を解任し、さらに雑誌の廃刊処分を決定した。

西岡氏の文章は単なる主観や憶測に基づいたものではなく、欧米でもすでに論争となっている問題点について客観的に述べたもので、
実に説得力に富むものである。
「ガス室」による絶滅計画というのは誰も実証できないもので、戦後急に降って湧いた問題であり、
西岡氏が主張するように、ソ連(現ロシア)という大ペテン国家がプロパガンダとして発表したものにすぎない。
この点では、東京裁判の時に急に持ち出された「南京大虐殺30万人」というのも同じシナリオであろう。
要は、「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営にとって都合の悪いドイツや日本という民族国家に虚偽の罪をかぶせて、
永遠に封じ込めようという国際的陰謀なのである。

☆日本に圧力をかけるSWC

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc600.html

 歴史を自分に都合のいいようにねつ造する天才

戦争とは生存をかけた国家と国家の総力戦であるから、数々の戦闘の局面では多くの将兵が死に、
民間人が巻き添えをくって死亡することは避けられない。
この場合、被害は双方に発生し、その罪は五分五分である。戦争に正義などないのだ。

ところが戦勝国は勝利したあとすべての罪を一方的に敗戦国に押しつける。
ねつ造も含めて――。ユダヤやアングロ・サクソンは嘘の天才である。
第二次世界大戦後の世界の歴史は、すべて彼らにとって都合のいいように変えられてしまった。

戦後、ドイツや日本には「世界支配層」に対して従順な政府が登場した。つまり傀儡政権である。
白人国家であるドイツは米英仏など連合国に対してというよりも、ひたすらユダヤ人に対してのみ贖罪してきた。
ドイツ人たちは、一切の罪は「ナチス・ドイツ」にあるとし、自らを免罪するとともに、
イスラエルに対して7兆円もの戦後賠償を続けてきた。

一方、日本はといえば、戦争の歴史的意味を全く理解することができず、
戦勝国から押しつけられた「戦争の罪」をすべての国民がかぶっている。
すべてがあいまいな日本では、戦争の責任は戦前の政府なのか、軍部なのか、それとも天皇なのか、
国民なのか、何も結論を出すことができず、戦後50年を経過した今も戦争の精算は終わっていない。

中国へ行く日本人観光客は今でも戦争の亡霊に悩まされている。彼らは中国大陸に入った途端に緊張し、
中国人たちへの罪の意識にさいなまれれる。上海から南京に向かう列車の中で、
戦争体験のない今の中国人に向かって日本人観光客が「申し訳ない、申し訳ない」とひたすら頭を下げてわびる姿は、
滑稽を通り越して哀れですらある。
戦後の虚構世界の中で日本人は自我を失い、民族心を失い、そして国家すら失おうとしているのだ。

☆経済で失敗したら日本は死を待つだけ


かつてダイナミックな経済成長をとげ、「21世紀は日本の世紀だ」などと騒がれたことが嘘のように、最近は静まりかえっている。
日本が最も得意とした世界に冠たる経済力は、今や色あせ、そのお株を中国や東南アジア諸国に奪われている。
経済大国日本が根底から揺らいでいるのだ。
日本が経済的に大成功をおさめたのは日本人の英知と努力によるものであることは明らかであるが、
一方、昨今の低迷、混乱ぶりは日本人自身の病理にもとづくものであろう。

戦後の日本人は民族心というものを失ってしまった。
外国によって押しつけられた憲法を崇拝し、外国文化を至上のものとし、国家存立の基本である安全保障すら
外国の軍隊に依存して過ごしてきた。日本の自衛隊は国民の生命と財産を守る役割と地位を、
当の日本人自身からも与えられることなく、外国の軍隊に従属する卑しい武力集団におとしめられている。
国の根幹である真の軍事力というものを持たない日本には、危機管理というものは存在しない。

およそ先進国の中で、国の首都に外国の軍隊が基地を持って駐留する国は日本だけである。
しかも、全国には150カ所にわたって外国の基地が存在する。日本は経済を除くすべてを占領されているのである。
戦後の日本は政治的にも軍事的にも文化的にも主導権を失い、外国の操るままとなっている。
外国にすべてを依存し、経済復興を行なってきた。額に汗して国家再建に努力してきた。
二度にわたる石油危機や円高ショックにも耐え、科学技術力、工業力を発展させ、あらゆる産業を興隆し、
貿易立国日本を作ってきたのである。
その日本がバブル経済崩壊後意気消沈し、迷走している。日本人に唯一許された経済力を失っては、日本は成り立っていけない。

☆日本人よ、高貴な民族意識を取り戻せ




藤田画伯、三枚目、



合成ですが「foujita_Chapelle」内部です。



 おわりに   21世紀に日本が生き残るために


1995年は日本と「世界支配層」の開戦の年である。しかも、先制攻撃をかけたのは「世界支配層」であった。
この戦争で日本が勝利できるかどうかは不明である。「世界支配層」が日本に加える攻撃は多種多様で、どれも過酷なものだ。
基本戦略を持たない日本はその都度右往左往し、パニックに陥るだろう。

先の太平洋戦争と違って、今度の戦いでは敵の姿は見えないことが多い。
日本はどこに向かって反撃すればよいかわからないのだ。日本に対して加えられる物理的攻撃は、
天災を装った地震や天候異変であるが、主なものは経済戦争である。
かつてのバブルは、発生も崩壊も人工的に作られたもので、日本に与えた打撃は想像を絶する規模であったが、
今度は際限のない円高と株安だろう。

日本からのカネの流出も執拗に企てられる。増大するODA(政府開発援助)やPKO拠出金など、
政府レベルの大義名分に基づく流出や民間からの海外投資資金である。

バブル時代に日本から流出した民間資金は膨大であったが、それらの多くはもはや還ってこないカネである。
土地やホテル、企業買収、国債、株などに向けられた資金は、最高値で買わされ、暴落したいま、
円高も加わってその価値は投資金額の半分以下である。その差額はすべて「世界支配層」の懐に入ってしまった。

日本は常にだまされ、そして「世界支配層」はだます側である。
日本は徹底的に利用される。日本が生み出す膨大な富は、巧妙なやり方で吸い取られるのである。
かつて大英帝国の繁栄を支えたのは植民地インドであり、イギリスはインドの富を吸い上げたが、
今それと同じことが日本で起きている。

日本の富は、米英仏蘭露などに君臨する「世界支配層」によって吸い取られているのである。
日本がそのことに協力的であり、おとなしい存在であるかぎり、日本の生存は許される。
だがひとたび日本が歯向かえば、徹底的に攻撃され、その存在を脅かされるのである。
この戦いは日本が無条件降伏するまで続くのである。これは第二次太平洋戦争であるが、
今度の敵はアメリカを主力とした黒幕「世界支配層」である。
はたして日本がこの戦争に勝つ見込みはあるだろうか。それはある。
日本が敵の正体と意図を見抜き、その攻撃に対する防備の充実と同時に有効なる反撃をすることである。
その手だては次の通りである。


●日本国内のユダヤ・フリーメーソン勢力を一掃する。

●アメリカの理不尽な要求に対しては毅然とした態度で外交交渉に臨む。

●日米安保条約を廃棄し、アメリカ駐留軍(その実態は日本監視軍)をすべて引き上げさせる。

‥‥以下さらに5項目が続きますが、省略します。なぜなら、やろうと思ってもできるはずのないことばかりだからです。
その理由は下の赤い文字の部分にお目通しいただけばわかると思います。著者もそのことがわかったうえで書いているのでしょう。
ですから、悲しい溜息のようにもとれます。さて、この国の希望はどこにあるのでしょうか。(憂惑生)


日本がまともな国になるための障害は多い。
なぜなら以上述べたことはすべて「世界支配層」にとっては実現してはならないことばかりであり、
これを阻止するための網の目を日本国全体に張り巡らしている。
政治家の多くは「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソンの手先である。官僚・財界の中枢も腐っている。
ジャーナリズム、知識人も敵側の代理人だ。
多くの国民は無気力、催眠状態であり、日本の状況は絶望的である。

けれども希望を失ってはいけない。天が日本に与えた高貴な使命を考えるとき、
日本はどのような困難をも克服しなければならないのだ。(為清日記より)



「昭和天皇の戦争責任」に言及がありませんね。

重要部分が欠落しておる、これが1995年刊の古さなのでしょう。

ユダ金奥の院も、かなり危機的なようだしねぇw


 

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