画は 葛飾 北斎(葛飾 北齋)かつしか ほくさい
宝暦10年(1760)? 〜 嘉永2年(1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「富嶽三十六景 信州諏訪湖」です。
☆曇り。
壺三は「田布施システム」のゾンビです。
当ブログ既報ですが、
◆http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1968
投稿者:Legacy of Ashesの管理人 投稿日:2013年 8月20日(火)
◎山口県田布施町の怪
☆山口県田布施町の怪(上)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/7839377a3613e3d90e1198535ea65ced
(URL消失)
《1》
鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、
日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られた
ということであることが解る。
長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。
熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、
安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。
むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。
小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって
「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。
小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身である
ことが偶然であるわけがない。
ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、
連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。
ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。
例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、
外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。
『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。
「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちに
よく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、
天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、
現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。
かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、
その矛盾が激化すると、……
激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。
わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、
おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。
奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。
もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。
志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。
今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」
益田勝実は長州の国家老一族である。
だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。
その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、
つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、
孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。
『日本のいちばん醜い日』では、
「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と
「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。
また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。
京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。
そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。
この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、
元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も
大室寅之助の生家の近くである。
……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、
確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、
北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。
鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。
そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。
「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。
いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。
源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、
(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に
“鉄器を持って” 漂着した部族であった。
その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が
源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのが
あの源平の戦いである。
だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、
義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。
当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、
彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。
だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。
それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、
生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。
おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、
まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。
その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作った
のではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」
と鬼塚氏は書いている。
あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。
権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、
本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、
田布施の寺の群れなのだろう。
鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。
ということは大室家が平家ではないことを意味している。
平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。
鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。
「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た〜安倍晋三研究」で、
安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、
日頃から「自分は朝鮮だワシは、朝鮮じゃけぇ」が口癖で、
亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。
☆山口県田布施町の怪(下)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/1c1ad0126db64c496dc1e8b573179ef5
(URL消失)
《2》
現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、
田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。
安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、
彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。
それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。
明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、
現実の政治はその流れに沿うのである。
終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。
本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。
だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。
東郷に外交ルートを使った終戦工作、
すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。
東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、
おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。
先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、
安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。
安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、
特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。
権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。
さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。
阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、
豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。
大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。
この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで
婚姻関係が結ばれていたはずなのである。
つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。
こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、
しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、
インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。
つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。
また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。
権力者どもにとっては同族だからだ。
わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。
北による拉致だってわかったものではない。
総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、
現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。
こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、
「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、
ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、
との予測は当たっているのかもしれない。
冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、
親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。
つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、
そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、
北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が
「日」なのかもしれない。
「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。
安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、
祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、
あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。
安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、
韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。
今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。
《3》
さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。
明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が
東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。
ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。
現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに
「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。
これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。
生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。
「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー
日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。
そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、
中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。
先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、
大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。
西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。
その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。
西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、
宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。
その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、
親(八郎)のよしみで釈放されている。
明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、
西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。それを鬼塚氏は詳細に検証していく。
そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。
みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)
鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、
終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。
どちらのクーデターもヤラセだった。
貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。
秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。
貞明皇后は長州が嫌いだったので、
薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。
貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、
武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。
中国か朝鮮であろう。
朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、
そこに召し出された女性だという。
千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、
維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。
朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、
後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。
貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から
勢津子を選んで、長州への面当てをやった。
(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)
この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。
今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、
つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。
いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けている
のであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、
そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。
北齋、二枚目、
「詩歌写真鏡 清少納言」です。
同じ主題ですが、
◆http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/680.html
投稿者: 語巻き 日時: 2007 年 10 月 26 日 FbKi3ZdqZar8U
◎Re: 山口県田布施町の怪 〜日本国家の真相〜 (心に青雲)
☆部落差別も総理大臣も瀬戸内海沿岸
どうして部落差別も総理大臣も瀬戸内海沿岸に多いの
四国中国地方は旧家が多いと聞きます。
皇国史観で屈辱するなスレと若干かぶる気もしますが、
なぜか総理大臣は瀬戸内海沿岸に多いようです。
例えば青森の大島理森は山口の高村さんに蹴落とされましたし、
山形の鹿野道彦は小泉さんに蹴落とされましたし
同じく山形の加藤紘一も総理になれません。
秋田、宮城からも総理大臣が一人も出ません。仙台の三塚さんも総理になれません。
岩手の小沢さんも過去の人ですし福島の渡部こうぞうさんも消えました。
茨城の梶山さん、栃木の渡辺美智雄さんも総理になれませんでした。
栃木の船田元も消えました。
茨城の中村喜四朗も総理になれませんでした。
さて、瀬戸内海沿岸(大阪から福岡のライン)に注目しますと、
まず、大阪府から鈴木貫太郎、幣原喜重郎、
岡山県から犬養毅、平沼騎一郎、鳩山一郎(元、岡山)、橋本龍太郎、
広島県から、加藤友三朗、池田勇人、宮沢喜一、
山口県から、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、
徳島県から、三木武夫、香川県から、大平正芳、福岡県から広田弘毅
次代をになうニューリーダーから・・・
福岡、麻生太郎、古賀誠、山口、安倍晋三、高村正彦、菅直人(宇部市)
広島、亀井静香、中川秀雄、岡山、平沼赳夫、兵庫、小池百合子、
徳島、後藤田正純といった所でしょうか。
☆山口県出身の総理大臣
橋本さんの祖母が 明治天皇のメイ であることは、事実で
トンデマではありませんよ。
だから佐藤栄作に自民党公認にしてもらったという情報もウソではありません。
(橋本が総理の器ではない事は
その後の橋本内閣の経済失政や銀行3行もつぶしたことからもお分かりだと思います。)
佐藤信二さんが落選したのはもちろん本人の素質のなさで、
もちろん彼が慶応大学卒なのも裏口入学です。
父が佐藤さんの選挙の手伝いした事もあり、
私の父も佐藤さんの縁故で一流企業に入社できました。
(はっきり言って仕事は出来ません)
小渕優子が今の総理は?との質問に
「中曽根???」と答えたのは有名な話です。
だから、、自民党公認を取り得る蓋然性があなたにどれだけ存するかが焦点でしょう。
と言うより素質なんてなくてもいいんです。ようは血筋というか地盤のほうが問題だから。
その証拠に私の祖父の はとこ なんか、アジア人何百万人も虐殺した挙句
日本中焼け野原にした上 原爆2度落とされても戦争責任とらなくていいわけでしょう。
その父は少し頭のおかしい人で 紙をくるくる巻いて遠眼鏡にしたのは有名だけど。
それでも天皇になれるのです。その父は16歳で天皇になっても
取り巻きがしっかりしてるからお飾りでいいし、
父孝明天皇が佐幕攘夷派(徳川派)なのに自分は倒幕開国派(薩長派)で
父を裏切った挙句、父を殺した伊藤、岩倉を側近として大事にする明治大帝なのですよ。
その明治大帝は1866年まで身長145センチ体重45キロだったのに
突然、長州の味方になった途端 身長180センチ体重100キロになるのです。
だからトンデモといってる本人がトンデモなのです。
☆山口県出身の総理大臣
伊藤博文が口止めのために爵位を乱発したのは有名な話ですが、
田布施町民の口止めの変わりに
佐藤さんが一流企業の縁故入社や一流大学への裏口入学を斡旋したのは有名な話。
(うちもそう)。
もっとすごいのは天皇家の親族というだけで自民党の公認にしてもらえる事でしょうか。
もし、何もない人間が選挙に出ようとしたら10億はかかると思います。
一代で総理になった田中角栄がロ事件で捕まって、
佐藤が造船疑惑で逮捕、されなかった理由は
佐藤が田布施コネクション(昭和天皇つながり)から検察に圧力をかけたからで、
検察のオえらいさんも人の子、ヒロヒトから文化勲章もらえたらうれしいですよねえ。
それでもみ消したみたい。
田布施町では天皇の事をタマと呼ぶのだが、
岸が言うにはクリーンな政治資金ならつかまらないけど 汚いカネなら捕まるんだって。
田中角栄の5億なら賄賂になるけど、
皇室などのエスタブリッシュメント層から取った5億なら
クリーンな政治資金になるそうだよ。
だから天皇=タマとは 政治資金と選挙の利権の事で
タマを握ったものが総理になれるというか
情報を握ったものが総理に慣れるんだって。
(実績、山口県出身の総理大臣。
伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、佐藤栄作、岸信介)
+安倍晋三。
↑
壺三はよくわからんが、キムチはキムチでも「北朝鮮系」なのかも?
「媚韓」なはずなのに、やっておることは一見冷淡?なのはそのせいか。
キムチは地域対立が凄まじい、壮絶な足の引っ張り合いが連中の歴史ですから。
関係ない日本に、妙な怨念を持ち込まれるのは迷惑至極ですな。
北齋、三枚目、
「東海道五十三次」 「大磯」です。
話し変わり、
◆http://melma.com/backnumber_45206_6048282/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(いつでも逃げ出す用意はできているー中国石油はイラクから)
発行日:6/22
「われわれはいつでも逃げ出す用意ができている。リビアの二の舞にはならない」
イラク南部四カ所の石油鉱区に中国人が一万、サマラに機械関係が1000名
****************************************
バグダットから米国大使館員は南部バスラへ移動した。
かわりに米国特殊部隊が最大300名派遣される。
イラクにいる日本人もあらかたは国外へ去った。バグダッド陥落が射程に入ったからだ。
イラク北西部から南下をつづける武装勢力は、
ISIS(イラク・レバントのイスラム国)を中核に旧バース党と旧サダム体制下の軍人らが混入して、
さらに勢いを増し、シリア国境を軍事的に制圧した模様(6月21日現在)。
ISISをISILと書くメディアもあるが、同一である。
さて南部にある石油鉱区のうち、四カ所が中国の石油メジャーの鉱区である。
いずれも中国国有のペトロチャイナ、シノペック、CNOOC(中国海洋石油)が石油掘削をつづけ、
およそ10000名の中国人が働いている。
サマワには金属関係精密機械エンジニアなど、およそ千名が働いている。
関係者に拠れば「リビアの二の舞はごめんだ。われわれはバグダットが危機に陥る前に、
逃げ出す用意は調っている」とグローバルタイムズに取材に応じているという。
それにしても、リビアでは36000名が脱出した。
ベトナムの反中暴動では7000名が脱出した。 逃げの名人?
逃げるとなると早業が特技の中国人、
そういえば前線司令官は攻撃を命じて、真っ先に逃げ出したものだった。
読者の声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪
(読者の声1)
一つお尋ねしますが、今回のご著書によれば、現在の人民解放軍首脳部は
胡錦濤政権末期に任命されたものであり、習近平政権とは距離感があるように読めます。
一方、石平氏の近著『世界征服を夢見る、嫌われ者国家 中国の狂気』(ビジネス社、2014年)
によると中国軍の最近の活動は政権中枢の意思に基づくものとして描かれています。
実のところ、習近平政権・太子党と軍部の関係はどうなっているのか、
先生の分析をうかがいたいと思います。
(YS生、多摩)
(宮崎正弘のコメント)
現在の中国人民解放軍の中枢は党中央軍事委員会で習近平をトップに十名。
「副主任」の許基亮と氾長龍に一見、パワーが集約されているかにみえる。
しかし実態はバラバラの総四部体制ですから、陸海空の整合性がない。
そのうえ戦略ミサイル軍(第二砲兵)は、軍事委員会直結で参謀部をパスします。
要するに「統幕本部」がないのです。
軍もまた腐敗がひどく、ポストを金で買う習慣が直らず、訓練不足のうえに士気がたるんでいます。
保管されているはずの武器庫が空っぽ、最新鋭ジェット機は部品不足とエンジン不調で訓練ができず、
空母ははやくも故障。
そこで習近平は「いつでも戦争ができる準備をせよ」と発破をかけているので、
軍人らは従うそぶりを演技しているというのが実情でしょう。
こういう病巣は軍人のなかの太子党がつくってきたとも言えるでしょうね。
胡錦涛派の軍人も、そろそろ習の顔色を窺い始めたということでしょうか。
(注 氾長龍の「氾」にはくさかんむり)
↑
内実は「張り子の虎」、「眠れる獅子ならぬ豚」といったところか?
何様キ印、油断は禁物ですよ。
宝暦10年(1760)? 〜 嘉永2年(1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「富嶽三十六景 信州諏訪湖」です。
☆曇り。
壺三は「田布施システム」のゾンビです。
当ブログ既報ですが、
◆http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1968
投稿者:Legacy of Ashesの管理人 投稿日:2013年 8月20日(火)
◎山口県田布施町の怪
☆山口県田布施町の怪(上)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/7839377a3613e3d90e1198535ea65ced
(URL消失)
《1》
鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、
日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られた
ということであることが解る。
長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。
熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、
安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。
むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。
小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって
「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。
小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身である
ことが偶然であるわけがない。
ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、
連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。
ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。
例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、
外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。
『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。
「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちに
よく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、
天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、
現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。
かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、
その矛盾が激化すると、……
激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。
わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、
おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。
奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。
もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。
志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。
今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」
益田勝実は長州の国家老一族である。
だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。
その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、
つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、
孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。
『日本のいちばん醜い日』では、
「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と
「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。
また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。
京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。
そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。
この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、
元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も
大室寅之助の生家の近くである。
……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、
確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、
北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。
鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。
そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。
「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。
いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。
源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、
(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に
“鉄器を持って” 漂着した部族であった。
その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が
源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのが
あの源平の戦いである。
だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、
義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。
当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、
彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。
だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。
それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、
生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。
おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、
まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。
その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作った
のではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」
と鬼塚氏は書いている。
あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。
権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、
本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、
田布施の寺の群れなのだろう。
鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。
ということは大室家が平家ではないことを意味している。
平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。
鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。
「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た〜安倍晋三研究」で、
安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、
日頃から「自分は朝鮮だワシは、朝鮮じゃけぇ」が口癖で、
亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。
☆山口県田布施町の怪(下)
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/1c1ad0126db64c496dc1e8b573179ef5
(URL消失)
《2》
現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、
田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。
安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、
彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。
それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。
明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、
現実の政治はその流れに沿うのである。
終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。
本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。
だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。
東郷に外交ルートを使った終戦工作、
すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。
東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、
おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。
先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、
安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。
安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、
特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。
権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。
さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。
阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、
豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。
大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。
この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで
婚姻関係が結ばれていたはずなのである。
つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。
こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、
しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、
インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。
つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。
また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。
権力者どもにとっては同族だからだ。
わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。
北による拉致だってわかったものではない。
総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、
現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。
こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、
「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、
ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、
との予測は当たっているのかもしれない。
冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、
親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。
つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、
そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、
北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が
「日」なのかもしれない。
「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。
安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、
祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、
あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。
安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、
韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。
今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。
《3》
さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。
明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が
東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。
ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。
現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに
「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。
これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。
生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。
「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー
日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。
そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、
中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。
先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、
大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。
西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。
その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。
西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、
宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。
その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、
親(八郎)のよしみで釈放されている。
明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、
西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。それを鬼塚氏は詳細に検証していく。
そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。
みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)
鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、
終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。
どちらのクーデターもヤラセだった。
貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。
秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。
貞明皇后は長州が嫌いだったので、
薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。
貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、
武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。
中国か朝鮮であろう。
朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、
そこに召し出された女性だという。
千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、
維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。
朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、
後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。
貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から
勢津子を選んで、長州への面当てをやった。
(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)
この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。
今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、
つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。
いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けている
のであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、
そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。
北齋、二枚目、
「詩歌写真鏡 清少納言」です。
同じ主題ですが、
◆http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/680.html
投稿者: 語巻き 日時: 2007 年 10 月 26 日 FbKi3ZdqZar8U
◎Re: 山口県田布施町の怪 〜日本国家の真相〜 (心に青雲)
☆部落差別も総理大臣も瀬戸内海沿岸
どうして部落差別も総理大臣も瀬戸内海沿岸に多いの
四国中国地方は旧家が多いと聞きます。
皇国史観で屈辱するなスレと若干かぶる気もしますが、
なぜか総理大臣は瀬戸内海沿岸に多いようです。
例えば青森の大島理森は山口の高村さんに蹴落とされましたし、
山形の鹿野道彦は小泉さんに蹴落とされましたし
同じく山形の加藤紘一も総理になれません。
秋田、宮城からも総理大臣が一人も出ません。仙台の三塚さんも総理になれません。
岩手の小沢さんも過去の人ですし福島の渡部こうぞうさんも消えました。
茨城の梶山さん、栃木の渡辺美智雄さんも総理になれませんでした。
栃木の船田元も消えました。
茨城の中村喜四朗も総理になれませんでした。
さて、瀬戸内海沿岸(大阪から福岡のライン)に注目しますと、
まず、大阪府から鈴木貫太郎、幣原喜重郎、
岡山県から犬養毅、平沼騎一郎、鳩山一郎(元、岡山)、橋本龍太郎、
広島県から、加藤友三朗、池田勇人、宮沢喜一、
山口県から、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、
徳島県から、三木武夫、香川県から、大平正芳、福岡県から広田弘毅
次代をになうニューリーダーから・・・
福岡、麻生太郎、古賀誠、山口、安倍晋三、高村正彦、菅直人(宇部市)
広島、亀井静香、中川秀雄、岡山、平沼赳夫、兵庫、小池百合子、
徳島、後藤田正純といった所でしょうか。
☆山口県出身の総理大臣
橋本さんの祖母が 明治天皇のメイ であることは、事実で
トンデマではありませんよ。
だから佐藤栄作に自民党公認にしてもらったという情報もウソではありません。
(橋本が総理の器ではない事は
その後の橋本内閣の経済失政や銀行3行もつぶしたことからもお分かりだと思います。)
佐藤信二さんが落選したのはもちろん本人の素質のなさで、
もちろん彼が慶応大学卒なのも裏口入学です。
父が佐藤さんの選挙の手伝いした事もあり、
私の父も佐藤さんの縁故で一流企業に入社できました。
(はっきり言って仕事は出来ません)
小渕優子が今の総理は?との質問に
「中曽根???」と答えたのは有名な話です。
だから、、自民党公認を取り得る蓋然性があなたにどれだけ存するかが焦点でしょう。
と言うより素質なんてなくてもいいんです。ようは血筋というか地盤のほうが問題だから。
その証拠に私の祖父の はとこ なんか、アジア人何百万人も虐殺した挙句
日本中焼け野原にした上 原爆2度落とされても戦争責任とらなくていいわけでしょう。
その父は少し頭のおかしい人で 紙をくるくる巻いて遠眼鏡にしたのは有名だけど。
それでも天皇になれるのです。その父は16歳で天皇になっても
取り巻きがしっかりしてるからお飾りでいいし、
父孝明天皇が佐幕攘夷派(徳川派)なのに自分は倒幕開国派(薩長派)で
父を裏切った挙句、父を殺した伊藤、岩倉を側近として大事にする明治大帝なのですよ。
その明治大帝は1866年まで身長145センチ体重45キロだったのに
突然、長州の味方になった途端 身長180センチ体重100キロになるのです。
だからトンデモといってる本人がトンデモなのです。
☆山口県出身の総理大臣
伊藤博文が口止めのために爵位を乱発したのは有名な話ですが、
田布施町民の口止めの変わりに
佐藤さんが一流企業の縁故入社や一流大学への裏口入学を斡旋したのは有名な話。
(うちもそう)。
もっとすごいのは天皇家の親族というだけで自民党の公認にしてもらえる事でしょうか。
もし、何もない人間が選挙に出ようとしたら10億はかかると思います。
一代で総理になった田中角栄がロ事件で捕まって、
佐藤が造船疑惑で逮捕、されなかった理由は
佐藤が田布施コネクション(昭和天皇つながり)から検察に圧力をかけたからで、
検察のオえらいさんも人の子、ヒロヒトから文化勲章もらえたらうれしいですよねえ。
それでもみ消したみたい。
田布施町では天皇の事をタマと呼ぶのだが、
岸が言うにはクリーンな政治資金ならつかまらないけど 汚いカネなら捕まるんだって。
田中角栄の5億なら賄賂になるけど、
皇室などのエスタブリッシュメント層から取った5億なら
クリーンな政治資金になるそうだよ。
だから天皇=タマとは 政治資金と選挙の利権の事で
タマを握ったものが総理になれるというか
情報を握ったものが総理に慣れるんだって。
(実績、山口県出身の総理大臣。
伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、佐藤栄作、岸信介)
+安倍晋三。
↑
壺三はよくわからんが、キムチはキムチでも「北朝鮮系」なのかも?
「媚韓」なはずなのに、やっておることは一見冷淡?なのはそのせいか。
キムチは地域対立が凄まじい、壮絶な足の引っ張り合いが連中の歴史ですから。
関係ない日本に、妙な怨念を持ち込まれるのは迷惑至極ですな。
北齋、三枚目、
「東海道五十三次」 「大磯」です。
話し変わり、
◆http://melma.com/backnumber_45206_6048282/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(いつでも逃げ出す用意はできているー中国石油はイラクから)
発行日:6/22
「われわれはいつでも逃げ出す用意ができている。リビアの二の舞にはならない」
イラク南部四カ所の石油鉱区に中国人が一万、サマラに機械関係が1000名
****************************************
バグダットから米国大使館員は南部バスラへ移動した。
かわりに米国特殊部隊が最大300名派遣される。
イラクにいる日本人もあらかたは国外へ去った。バグダッド陥落が射程に入ったからだ。
イラク北西部から南下をつづける武装勢力は、
ISIS(イラク・レバントのイスラム国)を中核に旧バース党と旧サダム体制下の軍人らが混入して、
さらに勢いを増し、シリア国境を軍事的に制圧した模様(6月21日現在)。
ISISをISILと書くメディアもあるが、同一である。
さて南部にある石油鉱区のうち、四カ所が中国の石油メジャーの鉱区である。
いずれも中国国有のペトロチャイナ、シノペック、CNOOC(中国海洋石油)が石油掘削をつづけ、
およそ10000名の中国人が働いている。
サマワには金属関係精密機械エンジニアなど、およそ千名が働いている。
関係者に拠れば「リビアの二の舞はごめんだ。われわれはバグダットが危機に陥る前に、
逃げ出す用意は調っている」とグローバルタイムズに取材に応じているという。
それにしても、リビアでは36000名が脱出した。
ベトナムの反中暴動では7000名が脱出した。 逃げの名人?
逃げるとなると早業が特技の中国人、
そういえば前線司令官は攻撃を命じて、真っ先に逃げ出したものだった。
読者の声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪
(読者の声1)
一つお尋ねしますが、今回のご著書によれば、現在の人民解放軍首脳部は
胡錦濤政権末期に任命されたものであり、習近平政権とは距離感があるように読めます。
一方、石平氏の近著『世界征服を夢見る、嫌われ者国家 中国の狂気』(ビジネス社、2014年)
によると中国軍の最近の活動は政権中枢の意思に基づくものとして描かれています。
実のところ、習近平政権・太子党と軍部の関係はどうなっているのか、
先生の分析をうかがいたいと思います。
(YS生、多摩)
(宮崎正弘のコメント)
現在の中国人民解放軍の中枢は党中央軍事委員会で習近平をトップに十名。
「副主任」の許基亮と氾長龍に一見、パワーが集約されているかにみえる。
しかし実態はバラバラの総四部体制ですから、陸海空の整合性がない。
そのうえ戦略ミサイル軍(第二砲兵)は、軍事委員会直結で参謀部をパスします。
要するに「統幕本部」がないのです。
軍もまた腐敗がひどく、ポストを金で買う習慣が直らず、訓練不足のうえに士気がたるんでいます。
保管されているはずの武器庫が空っぽ、最新鋭ジェット機は部品不足とエンジン不調で訓練ができず、
空母ははやくも故障。
そこで習近平は「いつでも戦争ができる準備をせよ」と発破をかけているので、
軍人らは従うそぶりを演技しているというのが実情でしょう。
こういう病巣は軍人のなかの太子党がつくってきたとも言えるでしょうね。
胡錦涛派の軍人も、そろそろ習の顔色を窺い始めたということでしょうか。
(注 氾長龍の「氾」にはくさかんむり)
↑
内実は「張り子の虎」、「眠れる獅子ならぬ豚」といったところか?
何様キ印、油断は禁物ですよ。