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空は秋?

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 画は 歌川 國芳(くによし)

 寛政九年(1797)〜文久元年(1861)

 号は一勇齋、朝櫻楼など              作


  「大物浦逆櫓論之圖」です。


 『源平盛衰記図会』逆櫓の論:
 元暦2年(1185年)正月13日、義経は勅宣をたまわって鎌倉殿の代官として出発。
 三河守範頼は神崎を出て、山陽道より長門国へ行き、
 判官義経は、南海道より四国へ渡るために大物が浜にあった。
 平家は屋島に城郭をすえ、彦島を軍の陣とした。中納言知盛卿は、九国の兵を率いて門字関を固めた。
 判官は大物浦に、大淀の江内忠俊を以て船揃いした。作戦会議中に、梶原景時が
 「船に逆櫓(さかろ)を立て、軍の自在を得る様にしたらどうか」というと、
 判官は「逆櫓とは何と云事ぞ」と問う。
 梶原は、「逆櫓とは船の舳(へ)に艫(とも)に向て櫓(ろ)を立てること。
 その訳は、陸地では前後に自在に進めるが、船での戦いは、敵が強い時は舳の方の櫓で押戻し、
 敵が弱ければ元のように艫の櫓をもって押し渡す」といった。
 しかし判官は「軍が逃支度して、敵に勝てるものか」といって彼の説をしりぞけた。
 梶原は「大将軍の能力は、身を全うして敵を亡すことで、前後をかへりみないのは若気の至りである」
 というと、義経は少し顔色を変えて
 「軍は家を出た日から敵と組んで死ぬ覚悟が必要。命を惜んで逃げることは考えられん」として退け、
 「景時が義経を猪にたとえることは奇怪である、若党ども景時を取て引落せ」と命じた。
 こうしたことがあって梶原は義経に恨みを抱き、あとで義経はひどい仕打ちを受ける事となる。
 (http://www1.s3.starcat.ne.jp/koten/genpege/genp78.html)



☆秋晴れ。

半面の真実は突いておると思う、昭和天皇には相変わらず言及なしかw

◆http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1334
西尾幹二のインターネット日録 2013/9/9 月曜日
◎『憂国のリアリズム』アマゾン書評より


閑居人さんの書評です。

素晴らしい内容の書評、ありがとうございました。


  「憂国」の一番の敵は、「内なる敵」との戦いである

  2013/7/25 By 閑居人

  西尾によれば、現在の日本は、二つの外国勢力と戦っている。
  一つは、言うまでもなく、「アメリカ」である。
  「日米安保条約」は、独立国日本を引き続きアメリカのコントロール下に置くものであり、
  その後、70年近く、日本は安全保障をアメリカの「従属国」のままにしている。

  もう一つの外敵は、「中国」である。
  本来、大陸中国は、「戦勝国」ではない。中国共産党は、実質、日本軍と戦ったことはない。
  ただ、マーシャルらを抱き込んで、アメリカを騙して国民党を台湾に追い出しただけである。
  しかし、彼らは、国連常任理事国入りと国交回復を果たすと「戦勝国」のように振る舞い、
  戦後利権にありつこうとする。そしてそれに、
  第二次大戦を「大日本帝国臣民」として戦った韓国が、戦後、一転して、
  アメリカ、中国に媚び、日本に対して居丈高に振る舞おうとしている。そして、
  ときにこの三国は裏で結託して「ジャパンバッシング」をしているように見える。

  だが、西尾の本当の憂鬱は、アメリカや中国、韓国といった
  外敵の日本攻撃だけにあるわけではない。米中が影で何を企もうとも、
  国際社会の中で主権国家が国益を求めて様々な戦略・戦術を駆使することは、
  ある意味では当然のことであり、それを止める術はないからだ。

  一番の問題は、「内なる敵」なのだ。つまり、
  敗戦史観を唯々諾々と受け入れて、日本という国家と日本人を貶める
  日本人の国家意識、歴史認識の問題であり、
  同時に世界に対する日本という国家ビジョンの欠如、戦略のなさなのだ。

  その意味で、本書の根幹を成すものは、著者自身が言うように
  「第三章 日本の根源的致命傷を探る」であろう。
  ここで、西尾が展開していることは、西尾が一人の日本人として、
  どうしても言わずにはいられないことである。


  「旧敵国の立場から自国の歴史を書く歴史家たち」

  昭和16年7月、日本は南部仏印に進駐した。前年の北部仏印進駐同様、
  英米の「援蒋ルート」を断ち切るためである。
  英米の支援の約束を蒋介石は信じすぎた。日本に徹底抗戦していくことが国民党の利益になる
  とは限らないのに、日本との和平交渉をサボタージュして、それを近衛政権のせいにした。
  そのシンボルが「援蒋ルート」だった。
  日本の多くの歴史家が「南部仏印進駐がアメリカの逆鱗に触れ、アメリカは対日戦争を決意した」と、
  日本の「暴挙」を非難する。日本が北部仏印に進駐したのは、前年9月。
  フランスにビシー政権が成立し、そのビシー政権と話合っての南北進駐である。

  欧米の史家たちは、日本の南部仏印進駐が翌年になったことに驚きを隠さない。
  通常、迅速に、間髪を入れず行うものである。
  このことは、1939年9月の独ソによるポーランド分割を見れば、明瞭である。
  また、この年の5月、イギリスはデンマーク領アイスランドとグリーンランドを予防占領したが、
  持ちこたえられないと見ると、7月、「中立国」アメリカが、イギリスに代わって占領し、
  ドイツ軍を押し返した。日本の南部仏印進駐と同時期であるが、明白な中立違反である。
  ドイツはアメリカを非難できたが、アメリカ、FDR、ルーズベルトの挑発に乗らなかった。
  中立国であるはずのアメリカがイギリスと
  大西洋上での「パトロール」と称する軍事共同行動を行い、
  しきりにドイツを挑発し続けていた時期である。
  FDRが戦争参加への機会を執拗に伺っていたことは、戦後、CH.ビーアドが
  「ルーズベルトの責任」で厳しく批判した通りである。

  そもそもアメリカが、日本の軍事的戦略を非難すること自体が奇妙なことなのだ。
  しかし、半藤一利、加藤陽子のような歴史家たちは、戦後、
  アメリカが一貫して流し続けてきた「日本軍国主義」対「英米民主主義」の宣伝のまま、
  「日本軍国主義」の愚かさを嘲ってやまない。
  「南部仏印進駐がアメリカの虎の尾を踏んだ」彼らは、そう言って笑う。

  しかし、事実は、FDRは、既に戦線参加を決意していて、モーゲンソー財務長官とともに
  日本に対して、まず「経済戦争」を仕掛ける切っ掛けを探していただけのことである。
  一体、彼らの「日本人歴史家の視点」はどこにあるのか。
  多分、西尾の指摘する通りなのだろう。
  「日本の戦後の歴史関係のメディアが一貫して旧敵国の立場から歴史を見ているという、
  大局を見失った、負け犬の歴史観に立つことを意味するのである」(p150)

  「戦後日本は『太平洋戦争』という新しい戦争を仕掛けられている」

  西尾は、言う。

  「満州事変以後の『昭和史』に限定して日本の侵略を言い立てる歴史の見方には、
  一つの政治的意図があった。日本を二度とアメリカに立ち向かえない国にする
  というアメリカの占領政策である。自らにとって“都合のいい時代”を抜き出すことで、
  一方的に日本に戦争の罪を着せようと考えたのだ。」

  「大東亜戦争は日本が始めた戦争では決してない。
  あくまで欧米諸国によるアジアに対する侵略が先にあって、日本はその脅威に対抗し、
  防衛出動している間に、ソ連や英米の謀略に巻き込まれたに過ぎない。」

  「侵略と防衛の関係は複雑である。もしも日本が防衛しなかったら、
  二十世紀初頭で中国の三分の一と朝鮮半島はロシア領になっていただろう。
  中国が対日戦勝国だと主張するのは大きな誤りなのだ。」(p162)

  そもそも、日本人310万人の英霊が生命を捧げた戦争は、「大東亜戦争」である。
  開戦後、昭和16年12月12日、日本政府は、
  シナ事変以降の戦争を一括して「大東亜戦争」と名付けた。
  その戦争目的の最大のものは「アジアの独立、英米仏蘭の植民地帝国主義の一掃」である。
  しかし、敗戦後、昭和20年12月 15日、占領軍の通称「神道指令」によって
  「大東亜戦争」「八紘一宇」といった言葉は、使用禁止になり、徹底した言論統制が行われた。

  (評者の経験したことを一つ紹介したい。ソビエト崩壊の直後だから、
  1991年の冬のことだろう。20人余りの高等学校「日本史」担当者に、
  「大東亜戦争」「太平洋戦争」「アジア・太平洋戦争」「15年戦争」の四つの名称を示し、
  一番、自分の実感に近い名称を選択させた。
  その数は統計的な有意差を示すものではないから特に記さないが、
  「大東亜戦争」を選択した者は一人もいなかった。
  「神道指令」と占領軍の検閲を知らない教師が全てだった。
  彼らは、いずれも世間で一流大学と目される大学の出身者である。)

  問題は、戦争が終わり、国際条約によって新しい国際関係が開始されても、
  情報戦争は決して終わることがないということである。
  竹山道雄の「昭和の精神史」の本来の題は、「十年の後に」である。
  この題には、戦争の興奮と狂乱の時期が過ぎて、十年の後には、
  冷静な、多角的な視点からの議論ができるだろうという竹山の期待が込められていた。

  残念ながら、公文書の公開が、30年50年というスパンであり、
  十年ではなかなか真実は分からない。しかし、大きな真相はいずれ明らかになり、
  日米開戦に際してのFDRの陰謀は、研究者にとって事実としては疑えないだろう。

  西尾は、こういった日本人の歴史認識の根本を問うのである。

  本書で、西尾は、「皇室」の問題を取り上げる。
  精神科医は不確かなことに口を挟まないから言わないが、
  彼等が心の中で感じている「皇太子妃殿下」の病状は「適応障害」ではなく、
  「人格障害」だろう。
  しかし、西尾は、限界ぎりぎりの表現をするだけで、
  皇太子殿下についても「無垢なる魂」と言うのみである。
  考えて見たらいい。「50歳にして、無垢なる魂」とは、一体、いかなる人格なのか。

  西尾が己に律していることは、己の全ての言論表現活動は、
  この日本という国家の歴史と伝統、その正しきを継承していくためにあるということだろうか。
  であれば、西尾の禁欲とそれに反する迷い、動揺が、本書の魅力の根底にある。



既報ですが、西尾さんらは、一気に、悠仁親王を天皇に、と言い出しておる。

秋篠宮が適当な時期まで摂政をやる、ということらしいね。

大室天皇家も、あと首の皮一枚ですな、危うし、危うし。

何かあれば、秘匿されておるといはれる、京都の北朝系天皇の子孫が即位するのでしょう。



國芳、二枚目、



「百人一首之内 崇徳院」です。

    瀬を早み岩にせかるる滝川の

          われても末にあはむとぞ思ふ

日本三大怨霊 (将門、道真、崇徳院)の一人、

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし 民を皇となさん」 呪いの結果、武家の世になった。



そうそう、いたいたw

◆櫻井ジャーナル 2013.09.09
◎2020年の夏季オリンピックは東京での開催が決まったようだが、
 招致の目的は大型開発にすぎず、
 マスコミは「経済効果」を話題にし、不動産や建設関連の株が買われている


2020年の夏季オリンピックは東京で開催されることになったという。
日本の政府やマスコミは浮かれているが、学校の運動部では旧日本軍を彷彿とさせる暴力が横行、
スポーツ予算も少なく、国民が運動を楽しむ環境が整っているとは到底言えない。

それでも豊かな自然があればまだしも、環境破壊は止まるところを知らない。
トップレベルにあっても生活がままならない競技も少なくないという。

オリンピック開催ということでスポーツ関連予算が増えるらしいが、
東北地方太平洋沖地震/東電福島第一原発事故からの復興を名目とする予算が大々的に流用されてきた
ことを考えても、本来の目的に使われるかどうか、はなはだ疑問だ。

例によって欲ボケのマスコミは「経済効果」を話題にしているが、
人間の欲望がストレートに出るという点で株式相場も面白い。
オリンピックの東京開催決定を受けて相場は大きく買われたそうだ。

値上がり銘柄は不動産や建設関連の株式が中心のようで、
オリンピックを日本人がどのように見ているかを明確に示している。
巨大企業を儲けさせるための大規模開発を行う大義名分ということだ。

かつて、日本では「ゴルフ屋」と呼ばれる開発ゴロがいた。

定員の2倍、3倍の会員権を発行してカネを集め、自然を破壊してゴルフ場を建設、
できあがったらお人好しに押しつけて逃げるという稼業。
ゴルフ場の経営などに興味はない連中だ。

日本の政府や大企業も、こうした開発ゴロに近い発想の持ち主。
大規模開発には熱心だがメンテナンスはおざなり。
深刻な事故も起こっているが、大企業にはメリットがないので
維持管理に予算を回さないということだ。
こうしたカネ儲けに 役人が絡むと、間違いなく尻ぬぐいは庶民に押しつけられる。

オリンピックを招致した東京都は臨海副都心開発を推進してきたが、今は破綻状態。
それとオリンピックが結合して目も当てられない状態になる可能性もある。
土建業者、不動産会社、金融機関、そして広域暴力団が大儲けして終わることになりかねない。

オリンピック招致で中心的な役割を果たしたのは日本オリンピック委員会だろうが、
この委員会の委員長には気になる人物が含まれている。
1964年に東京でオリンピックが開かれた時の竹田恒徳(1962年から69年)と
長野オリンピックを実現する上で活躍したという堤義明(1989年から90年)だ。
なお、竹田恒徳は1967年から82年にかけて国際オリンピック委員会の委員を務めている。
現在の会長、竹田恒和は恒徳の息子だ。

中国を侵略していた時期、日本軍は組織的に財宝を略奪していたと言われている。
その集積地がフィリピンにあり、そこから日本へ運ぶルートができていたのだが、
戦争の激化でフィリピンから運び出すことができなくなり、山中に隠された。
これがいわゆる「山下兵団の宝物」である。

この工作を指揮していたのは秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが竹田恒徳だ。
戦後、竹田邸は西武グループに売却されて「高輪プリンスホテル」が建設されている。



國芳、三枚目、



「花柳おかつ」 「茜屋半七」です。



「米中抱き合い心中」♪ 待望ですなぁ、

◆http://melma.com/backnumber_45206_5891262/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(こんどは中国の生命保険会社が問題)発行日:9/10

   中国の生命保険会社も危機水域の一歩手前にきた
      会社格付け低下、国有企業劣化の波のなか、支払い能力に疑問符

****************************************


英誌エコノミストは「中国の銀行は所謂『銀行』ではない」と書いた。
自由競争がなく、金利の自由化がなく、おまけに為替レートは準固定。
外資銀行は制限が多くて、自由な銀行業務ができていない。

同様に中国の保険会社は所謂『保険会社』なのか?

2000年頃まで、中国に生命保険はなかった。
共産党は「ゆりかごから墓場まで」面倒をみるタテマエになっていたから、
老後の不安もなかった。生命保険が一般化するや一大ブームとなって、
トップの中国人寿、二位の平安保険など、怒濤の如くに設立され、契約者は引きも切らず、
たちまちのうちに世界有数の生命保険会社に成長した。

しかしもともとの設立動機が怪しく、株式会社として設立されて株式市場に上場し
(日本は長い間、保険会社は相互会社で株式上場はみとめられなかった)、
増資につぐ増資を繰り返し、不動産投資、株式投資を展開してきた。

こうなると株安となれば、財務力が脅かされ、不動産価格が下落すれば簿価が下がり、
とても契約者に保険満期のおりに支払いが出来なくなるのは火を見るより明らかだった。

あまつさえ汚職、腐敗の温床とされ、
とりわけ業界第二位の「平安保険」は温家宝前首相夫人との黒い癒着が
前々から指摘されてきた。平安保険本社ビルのワンフロアを温夫人が占有していた。
 
いま各社のソルベンシーマージン比率は以下の通り(数字は日本経済新聞9月6日)。

 中国人寿      238
 平安保険      163
 太平洋保険     282

ソルベンシーマージン比率というのは、保険金支払い能力を意味し、
総資産+保有株式含み益、内部留保などを総合し、それが100に近い数字は
「危機水域」に限りなく近くなったという悪い経営状態を意味する。

すなわち保険金支払い能力が不能になり、100を切ると新規支店開設などが認められなくなる。
げんに「幸福人寿保険」(北京市)などは13年三月に100%を割り込んで支店増設不許可となった。

そのうえ、保険料自由化へのうねりが始まって保険会社が自由競争にちかくなり、
加えて少子化による社会情勢の激減から保険加盟者が減少に転じる。

 
▼企業格下げも急増中だ

36社から78社へ。しかもことし後半、おそらく100社を超える。

何の数字か? 

中国企業の社債格下げの数である。

中国の格着け機関は証券監査委員会の許可を得て設立されているが
対象となる社債発行企業は3233社にものぼっている。

すでに倒産寸前の民間企業には容赦なく格付けをBBからCCCへとランクダウンしてきた
中国の格付け機関は、国有企業の社債にも厳しい評価を下すようになった。

2012年に僅か36社だった格着け低下は、ことし2013年八月までに78社、
年内におそらく百社を越えるだろうと予測される。

とうに生産停止、工場閉鎖(江蘇省旺達製紙など)の企業もあるが、
国有企業は銀行融資を受けられるので、あまり問題視されなかった。
その国有企業、地方政府経営企業にもメスがはいり、
たとえば重慶交通旅遊投資集団などが冷酷に格下げ。

設備投資過剰、生産激減、景気低迷による売掛け金の回収不能などの状況に陥っている
ことが第三者的な判断によっても実証されたことを意味する。



7年後、2020年など予測がつきませんよw



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