画は 歌川 廣景 (うたがわ ひろかげ)
生没年未詳
【画系】初代廣重門人、【作画期】安政〜慶応
歌川を称す、「江戸名所道戯盡」あり。 作
「江戸名所道戯盡 十三 鎧のわたし 七夕祭」です。
☆曇り。
今日は「ゼロ戦の日」なのだとか。
ゼロ戦の日:
1939年のこの日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始った。
零戦は堀越二郎が設計した日本最後の艦上戦闘機で、時速533キロ、航続距離3500キロ。
1年後の中国戦線から実戦に投入され、第2次大戦中に1万機以上が生産された。
◆http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35974
現代ビジネス 2013年06月02日(日) フライデー
◎ジブリ最新作主人公(ゼロ戦設計者・堀越二郎)「幻の名機 烈風」の設計図に込めた思い
戦時中、世界一の性能を持つ戦闘機・ゼロ戦を生み、アメリカ空軍におそれられた設計者・堀越二郎。
今夏には主人公としてジブリ映画にも登場する。
本誌が入手した未公開の設計図や資料からは、冷静沈着な頭脳派というイメージとは違った、
「美しさ」にこだわる彼の素顔が見えてきた。
天才的な人物には、往々にして風変わりなところがあるものだ。
ここで紹介する男性にも、やはり特異な性質があった。
自分が乗った客船の食堂のメニューをいちいちとっておく、
布団を敷くときには必ず部屋の壁と平行になるようにしないと気がすまない―
といった几帳面な性質である。
彼は、名前を堀越二郎という。戦前~戦中、「名機」と呼ばれた戦闘機の数々を設計し、
日本の航空機の水準を世界一にまで高めた設計者である。
「ゼロファイター」という通り名でアメリカ空軍を震えあがらせた、
「零式艦上戦闘機」いわゆるゼロ戦を設計したことでも有名だ。
7月20日に公開される、宮崎駿監督(72)のスタジオジブリ最新映画、
『風立ちぬ』の主人公のモデルとなったことから、現在、彼の人となりに注目が集まっている。
◆http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogdb_h18/jog475.html
Japan On the Globe(475)■ 国際派日本人養成講座
H18.12.10
◎地球史探訪: 零戦 〜 世界の航空常識を覆した3日間
1941年12月8日からの3日間に、 世界の航空史は新しい時代を迎えた。
■1.世界の航空常識を覆した3日間■
1941(昭和16)年12月8日からの3日間に、世界の航空史は新しい時代を迎えた。
次の3つの出来事がそれまでの航空常識を覆したからである。
第一に、12月8日、ハワイ・真珠湾に停泊中の戦艦8隻からなる大艦隊を、
航空母艦から飛び立った航空機のみの攻撃で壊滅させた。
第二に、12月8日から10日にかけて、台湾の台南、高雄
両航空基地から飛び立った大編隊がフィリピンの米軍航空基地 への渡洋攻撃を襲い、
壊滅的打撃を与えた。
米軍は、まさか戦闘機が台湾からフィリピンまで飛んで攻撃できるとは夢にも思わず、
その後の数日間、フィリピン近海に航空母艦がいるはずと必死に探し回って、
日本の航空隊指揮官たちを苦笑させた。
第三に、12月10日、南進する日本の大輸送船団を攻撃しようと出撃した
イギリスの誇る新鋭不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡洋戦艦「レパルス」を、
日本軍は航空攻撃のみで撃沈した。
当時世界最強と言われたドイツ空軍でも、2年3ヶ月もイギリス艦隊と戦って、
戦艦はおろか、一隻の巡洋艦すら沈めていなかった。
飛行機では大艦は沈められない、という世界の常識が覆された。
■2.「神秘性を帯びた奇怪な飛翔物」■
開戦劈頭の戦果は、当時の世界水準から抜きん出た日本の航空技術によって、
もたらされたものである。その象徴が零式戦闘機(零戦)であった。
たとえば12月10日のフィリピン攻撃では、
渡洋攻撃した零戦34機を2倍近い米戦闘機群が包囲して、大空中戦が展開されたが、
米軍機44機が撃墜され、零戦の被害は一機のみであった。
米軍パイロットにとっては、まさに悪夢であった。
彼らは圧倒的な工業技術力を誇るアメリカが作り出した戦闘機と、
自分たちの優れた操縦技能からすれば、日本が物真似で作った戦闘機など、
簡単に撃ち落とせると考えていた。
しかし、目の前に現れた戦闘機は、見たこともない、ほっそりした
優美な姿をしていた。そして、遭遇したと同時に、驚くほどのスピードで
突き進んでくる。格闘戦に入った途端、呆れるほどの上昇力と旋回性能で、
すぐに自分の後ろについてしまう。
そして、そのひ弱そうな機体からは想像もつかない大口径の機銃が火を噴くと、
たちまち彼らの戦闘機は火災を起こし、一直線に落下していくのである。
米軍パイロットにとって、零戦は戦闘機と言うよりも、神秘性を帯びた
奇怪な飛翔物だった。あるパイロットは、その飛翔物と出会うと、
友軍機がそれぞれ競い合うように、
自ら墜落していったように思えた、と怯えて語った。
■3.「外国の超一流機を眼にしたようだ」■
米軍パイロットたちが、日本の航空機など敵ではない、と考えていたのは、
無理からぬことであった。大正5、6(1916,17)年頃まで、
日本は外国機の製作権を入手し、外人技師を招聘して、
その技術指導のもとに機体やエンジンの設計製作を進めるのが、せいぜいだった。
その後、日本人自身の手で設計・製作するようになるが、
欧米先進国の模倣に過ぎなかった。ようやく、昭和7(1932)年に、
海軍の航空本部技術部長・山本五十六少将他の提案で、
日本独自の航空技術を生み出すために、外国機の安易な模倣を禁じて、
民間各社に自社設計を命じた。真珠湾攻撃のわずか12年前のことである。
昭和10(1935)年に三菱重工名古屋航空機製作所が完成させた試作機は、
当時世界の最新鋭機の最高速度410キロを破って、
450キロを達成した。その試作機が、それまでにない高速で
急上昇や急降下をして見せると、立ち会った海軍廠長・前原謙治中将は、
感激に声をつまらせながら、こう語った。
今日ほど感動したことはない。日本にもこうした飛行機
が出現したことを思うとただ喜びだけだ。
外国の超一流機を眼にしたようだ。
翌昭和11年、紀元2596年の96を冠してこの戦闘機は96式艦上戦闘機
として制式に採用され、約1千機が生産された。
その設計主務者が、次に零戦を開発する堀越二郎技師であった。
■4.それはあまりに厳しすぎる要求だった■
堀越のもとに海軍航空本部から、次期戦闘機の計画要求について説明するので、
至急出頭せよ、との緊急連絡がもたらされたのは、
昭和12(1937)年8月の事だった。ちょうど支那事変が始まった時期である。
それはあまりに厳しすぎる要求だった。最大速度は500キロを要求していた。
また外国でも実用機では例のない20ミリ機銃2挺の装備が要求されていた。
さらに航続距離、旋回性能、上昇性能など、
外国の一流機の水準を超えた要求が並んでいた。
速度と機銃装備による重さ、航続距離などは、あちらを立てればこちらが立たず、
という関係にあるのに、それらがすべて欧米の戦闘機よりも優れた水準を求められていた。
しかも、国産の小馬力のエンジンでそれを達成するには、至難の業と思われた。
堀越は立ち上がって、これらの要求があまりに高すぎるとして、
幾分でも緩和してくれる余地はないのか、と聞いたが、海軍側の回答は
「絶対に緩和の余地なし」というものだった。
堀越たちはそれ以上、何も言えずに、出来るだけ要求に沿うよう
努力することを約して、暗い表情で社に戻った。
三菱重工とともに要求を聞いた中島飛行機は競争試作を下りてしまい、
堀越たちの肩にすべての責任が降りかかってきた。
画は拙作にて、
「零戦」です。 拙作「鎮魂」からの切り抜きですが。
■5.「新鋭機を一日も早く第一線に送れ」■
早速、設計にとりかかった堀越のチームは、軽くて強度の
すぐれた素材はないか、と探し回り、住友金属工業で、
それまでの超ジュラルミンより抗張力を3〜40パーセント強めた超ゝジュラルミンを
開発したことを聞いて、さっそく採用した。
さらに少しでも機体を軽くすべく、
強度に関係ない部分に2、3ミリの穴を数多く開けることまでした。
日本の飛行機としては初めての引き込み脚を採用し、空気抵抗を少なくして、
航続距離を伸ばした。翼の面積は思い切って広く取り、
旋廻性能を良くし、空母からの離着艦を容易にした。
こうして設計された機体は、96式艦上戦闘機よりもスマートな美しい形状をしていた。
実物大の模型を堀越は満足そうに眺めた。
昭和14(1939)年3月16日、第一号機が完成。詳細な各部の点検の後、
段階的にテスト飛行が行われた。4月14日には、初めて脚の引き込め飛行が行われた。
機が滑走路を離れ、両脚が引き込まれると、機体は見事な流線形を示した。
美しい、と堀越は思った。
6月12日には、海軍の熟練パイロットによる試乗テストが行われた。
「96式艦上戦闘機に比べると、最高速度は相当増しているのに、
着陸が容易なのは大いに良い」と好評だった。
しかし、同時に問題点もいくつか指摘され、堀越たちは改良を続けた。
最高速度は、海軍の要求を上回る時速533キロを記録した。
当時のドイツとアメリカの最新鋭機の速度、それぞれ444キロ、426キロを、
はるかに凌ぐスピードであった。
この好成績の報告を受けた海軍側は沸き立った。
その情報は中国大陸で戦う海軍航空実戦部隊にも伝わり、
新鋭機を一日も早く第一線に送れ、という声が出始めた。
その頃、日本の爆撃機は漢口の基地から、重慶まで飛んで爆撃を行っていたが、
96式艦上戦闘機では航続距離が足りずに、護衛についていくことができなかった。
そこに中国空軍の戦闘機の迎撃を受けて、被害が続出していたのである。
■6.「零式艦上戦闘機」■
昭和15(1940)年7月末、試作機はすべての問題点が解決したことを認められ、
その年の紀元2600年を記念して、末尾の零をとって「零式艦上戦闘機」と名づけられた。
8月19日、漢口から零戦12機が飛び立った。
重慶を爆撃する陸上攻撃機54機の護衛である。その搭乗員たちは、
初めて自分たちを援護してくれる戦闘機を得て、零戦に機上から手を振った。
1500キロもの長距離を単座の戦闘機が編隊を組んで飛行するのは、
世界航空史上でも例のないことであった。
重慶では約30機の中国空軍の戦闘機で待ち構えているという情報が
偵察機からもたらされていた。しかし、中国空軍は出てこず、
陸上攻撃隊はゆうゆうと爆撃を行い、全機帰還した。
中国空軍は日本の新鋭戦闘機が援護しているという情報を得て、
身を避けている気配であった。翌日の爆撃にも姿を見せなかった。
そのうちに意外な情報が重慶からもたらされた。中国空軍は
日本の航空戦隊が帰った後に、重慶上空を飛行し
「日本航空隊に大損害を与え、追い払った」と宣伝しているという。
■7.「なぜ、あんなに落ちていくのか」■
その裏をかく作戦が立てられた。爆撃終了後、一度重慶から帰るふりをして
中国空軍が出てきた所を、反転攻撃を仕掛けるという案である。
9月13日、零戦13機は、爆撃終了後、重慶から50キロ戻ったところを急遽、
反転した。果たして、重慶上空には27機の中国軍機が編隊を組んで飛んでいた。
ソ連製の最新鋭機イ15、イ16である。
零戦隊は相手より千メートル高い位置から、突っ込んでいった。
中国軍機は気がついて、あわてて散開したが、
零戦はスピードが速すぎて相手を追い越してしまった。
27機対13機が入り乱れての空中戦となった。動きの緩慢なイ15、イ16の横を、
零戦の高速の機影がかすめて通り過ぎる。
落ちていくのは、中国軍機ばかりであった。20ミリ機銃の威力はすさまじく、
敵機の主翼を飛び散らせた。
「なぜ、あんなに落ちていくのか」と零戦パイロット自身が不思議に思えたほどであった。
大空中戦はわずか10分ほどで終わった。
鮮やかな夕焼けが、漢口上空を染める頃、13機の零戦が滑走路につぎつぎと着陸した。
パイロットたちが搭乗機から降り立つと、
彼らはたちまち大勢の将兵に取り囲まれた。
「敵戦闘機、イ15、イ16、27機を確実に撃墜、または炎上破壊。
只今全機帰着いたしました」と報告すると、周囲はどよめいた。
二日後に、この空中戦のニュースが新聞報道されると、
三菱重工・名古屋航空機製作所の内部は湧きに湧いた。
その中で堀越は、ひとり机の前に無言で座っていた。その顔には、
3年間の緊張が一時にゆるんだような疲労の色が浮かんでいた。
■8.「そんな戦闘機を日本が作れるはずがない」■
重慶市街上空の衆人環視の中で、ソ連の最新鋭機イ15、イ16が、
半分以下の機数の日本機に全滅させられたことに、中国空軍は戦意を著しく喪失し、
さらに奥地の四川省成都まで後退した。
零戦部隊はそれを追って、攻撃を続けた。
日本国内では零戦の量産体制が整えられ、三菱重工と中島飛行機が毎月数十機
という規模で続々と零戦を生み出し、前線に送り込んだ。
中国大陸での零戦の作戦行動は、昭和16(1941)年8月末に完了した。
大陸全体が、日本の航空兵力の制空下に納められたからである。
約1年間で中国空軍に与えた損害は撃墜162機(不確実3)、
地上での撃破264機。
零戦の被害はわずか2機、それも地上からの防御砲火によるものであった。
中国空軍は、アメリカのクレア・シェンノートという元陸軍航空大尉
によって指導されていた。シェンノートは蒋介石からの厚い信任のもとに、
アメリカ、ソ連、イタリアなどから最新鋭の戦闘機を購入し、
多くの中国人パイロットを育てていた。
零戦の登場にシェンノートは激しい恐怖を覚え、その客観的なデータとともに、
世界航空界の先進国を自負する米英軍の最新戦闘機でも、
零戦と交戦したら悲惨な結果となると警告した。
しかし、その警告にアメリカもイギリスも全く反応を示さなかった。
数年前まで日本は米英の航空技術をコピーしていた後進国であった。
シェンノートが報告したような驚異的な性能を持つ戦闘機を、
日本が作れるはずはない、と彼らは信じこんでいたのである。
■9.世界航空史に残した画期的な一頁■
そうした米英の思いこみを一挙に粉砕したのが、冒頭に述べた
昭和16(1941)年12月8日からの3日間の出来事であった。
米英軍は大恐慌に陥った。
昭和17(1942)年6月のアリューシャン攻略作戦では、零戦隊は
米軍機40数機を撃墜するなど、大きな戦果を上げたが、
1機の零戦がガソリン・タンクに被弾し、無人島に不時着した。
機体は裏返しとなり、パイロットは死亡した。
その機体を入手した米軍は狂喜した。
機体はアメリカに持ち込まれ、徹底的な分析が行われた。
20ミリ機銃を装備しながら、極めて機体が軽く、
米戦闘機ではとうてい敵わない運動性能を持っていた。
しかも航続距離は1600キロという例のない水準である。
アメリカの航空技術者は驚嘆した。
その調査結果から、米軍は零戦1機に対して2機で急降下攻撃を加えること、
それが失敗したらそのまま逃避して、
決して格闘戦に入らないようにせよ、という指示が出された。
その後、米軍は新鋭機を続々と開発・投入したが、一騎打ちで
零戦に対抗できるものはなかった。しかし、アメリカの巨大な工業力で
大量生産される米軍機に取り巻かれると、多勢に無勢で、
零戦も撃墜されることが多くなっていった。
さらに「空の要塞」と呼ばれる爆撃機B17、B24、そして後のB29は、
堅固な防御に覆われ、前後上下左右に銃座が設けられて、
零戦でもなかなか撃墜できなかった。
しかし大東亜戦争末期のフィリピンや沖縄での戦いでは、
零戦を中心とした特攻作戦が大きな戦果をあげ、米軍を恐怖に陥れた。
結局、零戦は支那事変から大東亜戦争まで5年間も第一線で主役を務め続け、
世界航空史に画期的な一頁を残したのである。
(文責:伊勢雅臣)
以下ご参照!
歌川 廣景、二枚目、
「江戸名所道戯盡」 「三十四」 「筋違御門うち」です。
謀略戦だな、
◆http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/f472c5d6e12887d5ca5f3aba2f8962b8
いかりや爆氏の毒独日記 2013-07-04
◎不正選挙の始まりは郵政民営化選挙からだったのではないか?
当時、小泉首相は「郵政民営化の民意を問う」と言って解散した。
法案に反対した議員全員に自民党の公認を与えないばかりか、
その選挙区には自民党公認の「刺客」候補を落下傘的に送り込むという異様な選挙を展開した。
そもそも「郵政民営化」といういわゆるシングルイッシューで解散総選挙が行われる
のは前代未聞であった。与党内でさえ多くの議員が疑問視・反対するものが出たにも拘わらず、
当時の小泉首相は強行した。
郵政民営化はアメリカ政府の日本政府に対する年次改革要望書に沿ったもので
民営化こそが日本の経済を良くするという触れ込みであったが、国民を騙した。
当時 47 都道府県議会のうち、民営化反対の議決は44都道府県(93.6%)だったが、
又、2,950市町村議会のうち民営化反対の議決は2,605市町村議会(88.3%)だった。
地方議会は圧倒的に反対多数の決議を出していた。
野党からの反対は勿論、与党内からも多くの反対者を出した。どうみたって、
この選挙で自民党が大勝するはずはなかったが自民が圧勝した。
そして地盤看板金のないコイズミチルドレンという多数の新人議員が生まれた。
筆者は、このときまさか自民党が圧勝するとは思いもしなかったので、結果に唖然とした。
しかし、当時は不可解な選挙結果であったと思いながらも、
まさか不正選挙のことまでは考えは及ばなかった。しかし、
前回の12.16選挙は、具体的な証拠はないものの、そう思わざるを得ない傍証はある。
その一つは民主党惨敗のなかで、堂々と当選した議員がいることである。
千葉4区当選の野田佳彦氏である。
以下、「野田君だけプラスの得票率(前回衆院選挙比)」
http://saisai25.blog.fc2.com/blog-entry-11.html
を参考にして分析した結果を述べます。
前々回(2009年8月)衆院選と昨年の12.16選挙における民主議員193人の得票比率は
総平均でマイナス54%でした。前々回得票率を越えたのは唯一人野田氏(プラス1%)だけだった。
野田氏同様に、当選5回組議員22人のうち、野田氏を除く21人の議員の前回得票率の平均はマイナス50.7%、
標準偏差 σ=±11.2であった。 3σ:33.6を足しても-17であり、野田氏のプラス得票率にはならない。
野田氏のプラス得票率は、99.99%ありえない。
何らかの力が働いたと考えない限りオカシイ、それがムサシであったかどうかは別にしても。
尚、民主党193人で分析しても結果は変わらないはずである。
選挙は民主主義の根幹をなすものであり、次の7/21参院選は不正選挙だけは、
なんとしても防がねばならないが・・・。
パイナップル:
郵政選挙と安倍時代の選挙との違いは何かというと、
マスコミの盛り上げと、世間の反応が同調してないという点です。
郵政選挙ではマスコミの煽り・洗脳に国民の多くが染まってました。
世間の空気が小泉自民党支持に傾いていたのです。
だから不正選挙によって自民党が大勝しても違和感が無かった、気付けなかったのでしょう。
しかし昨年の選挙は違います。
世間の空気は第三極の勝利を願い、調査でも「第三極中心の政権」が圧倒的に望まれていました。
そんな中で不正選挙によって自民党圧勝、脱原発&反TPP政党は壊滅という、
有り得ない極端な結果が出たので「おかしい」と騒がれたのです。
この乖離は不正選挙を仕掛けたであろうCSISマイケルグリーンたちの誤算にあると思います。
グリーンは昨年の総選挙に関して、
「国民は左派政権に失望して、消極的ながら自民党を支持するだろう」
と言いました。
しかし国民は「第二の自民党になった民主党」には失望したけれど、
「左派政権」に失望したわけではなく、
ましてや自民党を政権に戻そうなどとは全く考えていなかったのです。
このグリーンの誤った分析、誘導の失敗によって、
12.16不正選挙が発覚するという結果になったのでしょう。
不正選挙は郵政以前から、自民党がピンチになる度に行われていたのかもしれません。
いかりや:
>郵政選挙ではマスコミの煽り・洗脳に国民の多くが染まってました。
>世間の空気が小泉自民党支持に傾いていたのです。
郵政民営化選挙については、「マスコミの煽り・洗脳に・・・」についてとかくの噂があった。
参考;
政治評論家森田実氏の郵政民営化の裏で流れた黒いカネ・・・ 森田実の言わねばならぬ【721】:
http://moritasouken.com/sC0192.HTML
及び、
2005年森田実政治日誌[230]
郵政民営化はウォール街のためか――米国から9.11総選挙の意味についてのメッセージ
http://www.pluto.dti.ne.jp/mor97512/C02040.HTML
>このグリーンの誤った分析、誘導の失敗によって、
12.16不正選挙が発覚するという結果になったのでしょう。
ネット上では「ムサシ」と不正選挙について監視の目が光っているので今回の参院選は、
グリーンちゃんも易々とは動けない。今回は参院選でもあるし、
アベちゃんの暴走を防ぐためにも「ねじれ現象」はあったほうが好ましい、
今回はマイケル・クリーンで行こうかと思っているかもしれない・・・
うーん、なるほど「負ける・クリーン?」策戦か^^。
これが「負けるクリーン」さんの一族です。副島隆彦の学問道場、重たい掲示板より、
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
☆http://d3j5vwomefv46c.cloudfront.net/photos/large/786887699.jpg
こういうチンピラどもに、アベも野田も、振り回されているのか?
◆http://nueq.exblog.jp/20687508/
nueq lab 2013年 07月 05日
◎投票率5%! 次の参議院選!
みんなでボイコットしよう!
次の惨犠員選挙!
昨年12月16日の愁議院選挙は、投票箱自体を組織的にすり替えるという、
まともな日本人には考えも持つかなったウルトラCによって、
第1党か第2党になっていたはずの「 国民の生活が第一 」党がボコボコにされ、
自由民主党は史上最低の得票率でありながら、史上最高の議席数を獲得しました。
「 連中 」は、よほど、小沢一郎が怖いと見える。
そりゃそうだ!
田中角栄 〜 大平正芳 〜 金丸信 〜 竹下登 〜 細川護熙 〜 羽田孜 〜
橋本龍太郎 〜 小渕恵三 〜 野中広務 〜 鳩山由紀夫 、、、、、
どのように失脚させられ、どのように抹殺され、どのように殺されたか、
その手口も含めてぜ〜〜〜〜〜んぶ、知ってるわけだから。
もちろん、原発と云う名の米核弾頭供給工場を50基も造った堕忌勲位:中曽根康弘、
メーソン日本代表:宮澤喜一、稀代の売国奴:小泉純一郎や、ポチの
森喜朗、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、菅直人、野田佳彦の裏だってぜ〜〜〜〜んぶご承知。
なんてったって、巷では小沢一郎は随分長いこと
ジェイ・ロックフェラー子飼いの子分として名を馳せてきたのだから。
ところが、民主党が天下を取って、つい本音が出てしまった。
在日米軍は第7艦隊だけがあれば充分!
これで、小沢一郎の本性がバレてしまった。
坂本龍馬が、事のあまりにひどい売国スキームの成り行きを憂慮して船中八策を後藤に伝え、
その上で大政奉還を口走ってしまったが故に
その正体がメーソン:グラバーにバレてしまって抹殺されたのと同様に。
そんなすべてを知り尽くしてる小沢一郎が政権を取ってしまうと大変なことになる!
と、「 連中 」は、恐怖におののき、あろうことか、
国民の生活が第一で満たされた投票箱そのものを、痔憂罠腫党に書き換えられた投票箱にすり替える
という前代未聞の、アフリカの3流国でさえ恥ずかしくてやったことのない、
なりふり構わない暴挙に及んだのである。
もう、この日本列島( ニッポン列島ではありません! にほん列島です! )には、
まともな選挙は存在しなくなりました。
アフリカの3流国でさえ恥ずかしく思うような快挙をなしてしまった「 恥の国 」です。
もう、選挙に民意はコンゴ反映されませんし、この国を選挙で変える。
というのは、アセンションと同じく幻影・妄想のタグイと成り果ててしまいました。
と、云うことで、飯山一郎さん言い出しっぺの「 選挙ボイコット! 」。
これを自分だけで密かに実行するのではなく、できるだけたくさんの廻りの人たちの足を引っ張って、
この運動に引きずり込みましょう!!!
創価学会員だろうが、幸福の科学員だろうが、もしもその人物に日本( にほん )を憂う気持ちがあるなら、
公明党などに投票しないで、創価学会全体でボイコットの運動を展開しましょう!
労働組合のみなさん!
組織票になびいいてお金だけはもらっといて、投票用紙には
「 チェ・ゲバラ、坂本龍馬、カダフィー、チャベス、プーチン、金正日、金策 」など、
好きな名前を書きましょう!
投票場に行っただけのカタチは作れますから。
比例区には「 豚の党 」とか、「 売国党 」とか「 TPPでモンサン党 」とか、
「 アベノリスク党 」とか、できるだけ過激な批判メッセージを書き込みましょう!
それと、霞ヶ関や全国の公務員のみなさん、警察のみなさん、自衛隊のみなさん、企業奴隷のみなさん、
せめて日頃の一矢を報いたい! 自分の子どもたちに夢のある世界を作ってあげたい! と、
思うなら、上記のように組織票のフリして投票しましょう!!!
但し、事前投票はダメです!
ぜ〜〜〜んぶ、楽チンですり替えられますから。
それと上記の投票様式は、ガンジ搦めの組織票投票が見張られてる人たちのためのものです。
自由な投票が可能な人は、ボイコットしましょう!
周囲のおじいさん、おばあさんにも、
TPPと遺伝子組み換えの詳細を語り、アベノミクス詐欺を教えてあげましょう!
それと、全国のカメラマンのみなさん、
12月の衆議院選の際の投票会場の前代未聞の長蛇の列の撮影、ご苦労様でした。
今回は、閑散としただ〜〜〜〜れも来ない投票場の風景撮影とレポートをお願いします。
と、云うことで、みなさん、張り切って周囲の人の足を引っ張りましょう!!!
投票率が5%になれば、得票率70%でも、民意はたったの3.5%!
投票率10%で、得票率70%なら、民意は7%!
国民の7%の支持しかない政党に、政権の正当性を謳うことは出来ません。
↑
飯山一郎も何を考えておるのやら? とんだ食わせ者かも?
「居座る」に決まっておるだろうがw 投票率自体を操作しておるのだから。
ボイコットなど利敵行為の最たるものだ、
事前投票は止め、選挙当日、大挙して投票行為をし、不正工作の暇をなくす!
これが正道ですよ。 さすれば工作もバレる可能性が大になるのだから。
生没年未詳
【画系】初代廣重門人、【作画期】安政〜慶応
歌川を称す、「江戸名所道戯盡」あり。 作
「江戸名所道戯盡 十三 鎧のわたし 七夕祭」です。
☆曇り。
今日は「ゼロ戦の日」なのだとか。
ゼロ戦の日:
1939年のこの日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始った。
零戦は堀越二郎が設計した日本最後の艦上戦闘機で、時速533キロ、航続距離3500キロ。
1年後の中国戦線から実戦に投入され、第2次大戦中に1万機以上が生産された。
◆http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35974
現代ビジネス 2013年06月02日(日) フライデー
◎ジブリ最新作主人公(ゼロ戦設計者・堀越二郎)「幻の名機 烈風」の設計図に込めた思い
戦時中、世界一の性能を持つ戦闘機・ゼロ戦を生み、アメリカ空軍におそれられた設計者・堀越二郎。
今夏には主人公としてジブリ映画にも登場する。
本誌が入手した未公開の設計図や資料からは、冷静沈着な頭脳派というイメージとは違った、
「美しさ」にこだわる彼の素顔が見えてきた。
天才的な人物には、往々にして風変わりなところがあるものだ。
ここで紹介する男性にも、やはり特異な性質があった。
自分が乗った客船の食堂のメニューをいちいちとっておく、
布団を敷くときには必ず部屋の壁と平行になるようにしないと気がすまない―
といった几帳面な性質である。
彼は、名前を堀越二郎という。戦前~戦中、「名機」と呼ばれた戦闘機の数々を設計し、
日本の航空機の水準を世界一にまで高めた設計者である。
「ゼロファイター」という通り名でアメリカ空軍を震えあがらせた、
「零式艦上戦闘機」いわゆるゼロ戦を設計したことでも有名だ。
7月20日に公開される、宮崎駿監督(72)のスタジオジブリ最新映画、
『風立ちぬ』の主人公のモデルとなったことから、現在、彼の人となりに注目が集まっている。
◆http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogdb_h18/jog475.html
Japan On the Globe(475)■ 国際派日本人養成講座
H18.12.10
◎地球史探訪: 零戦 〜 世界の航空常識を覆した3日間
1941年12月8日からの3日間に、 世界の航空史は新しい時代を迎えた。
■1.世界の航空常識を覆した3日間■
1941(昭和16)年12月8日からの3日間に、世界の航空史は新しい時代を迎えた。
次の3つの出来事がそれまでの航空常識を覆したからである。
第一に、12月8日、ハワイ・真珠湾に停泊中の戦艦8隻からなる大艦隊を、
航空母艦から飛び立った航空機のみの攻撃で壊滅させた。
第二に、12月8日から10日にかけて、台湾の台南、高雄
両航空基地から飛び立った大編隊がフィリピンの米軍航空基地 への渡洋攻撃を襲い、
壊滅的打撃を与えた。
米軍は、まさか戦闘機が台湾からフィリピンまで飛んで攻撃できるとは夢にも思わず、
その後の数日間、フィリピン近海に航空母艦がいるはずと必死に探し回って、
日本の航空隊指揮官たちを苦笑させた。
第三に、12月10日、南進する日本の大輸送船団を攻撃しようと出撃した
イギリスの誇る新鋭不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡洋戦艦「レパルス」を、
日本軍は航空攻撃のみで撃沈した。
当時世界最強と言われたドイツ空軍でも、2年3ヶ月もイギリス艦隊と戦って、
戦艦はおろか、一隻の巡洋艦すら沈めていなかった。
飛行機では大艦は沈められない、という世界の常識が覆された。
■2.「神秘性を帯びた奇怪な飛翔物」■
開戦劈頭の戦果は、当時の世界水準から抜きん出た日本の航空技術によって、
もたらされたものである。その象徴が零式戦闘機(零戦)であった。
たとえば12月10日のフィリピン攻撃では、
渡洋攻撃した零戦34機を2倍近い米戦闘機群が包囲して、大空中戦が展開されたが、
米軍機44機が撃墜され、零戦の被害は一機のみであった。
米軍パイロットにとっては、まさに悪夢であった。
彼らは圧倒的な工業技術力を誇るアメリカが作り出した戦闘機と、
自分たちの優れた操縦技能からすれば、日本が物真似で作った戦闘機など、
簡単に撃ち落とせると考えていた。
しかし、目の前に現れた戦闘機は、見たこともない、ほっそりした
優美な姿をしていた。そして、遭遇したと同時に、驚くほどのスピードで
突き進んでくる。格闘戦に入った途端、呆れるほどの上昇力と旋回性能で、
すぐに自分の後ろについてしまう。
そして、そのひ弱そうな機体からは想像もつかない大口径の機銃が火を噴くと、
たちまち彼らの戦闘機は火災を起こし、一直線に落下していくのである。
米軍パイロットにとって、零戦は戦闘機と言うよりも、神秘性を帯びた
奇怪な飛翔物だった。あるパイロットは、その飛翔物と出会うと、
友軍機がそれぞれ競い合うように、
自ら墜落していったように思えた、と怯えて語った。
■3.「外国の超一流機を眼にしたようだ」■
米軍パイロットたちが、日本の航空機など敵ではない、と考えていたのは、
無理からぬことであった。大正5、6(1916,17)年頃まで、
日本は外国機の製作権を入手し、外人技師を招聘して、
その技術指導のもとに機体やエンジンの設計製作を進めるのが、せいぜいだった。
その後、日本人自身の手で設計・製作するようになるが、
欧米先進国の模倣に過ぎなかった。ようやく、昭和7(1932)年に、
海軍の航空本部技術部長・山本五十六少将他の提案で、
日本独自の航空技術を生み出すために、外国機の安易な模倣を禁じて、
民間各社に自社設計を命じた。真珠湾攻撃のわずか12年前のことである。
昭和10(1935)年に三菱重工名古屋航空機製作所が完成させた試作機は、
当時世界の最新鋭機の最高速度410キロを破って、
450キロを達成した。その試作機が、それまでにない高速で
急上昇や急降下をして見せると、立ち会った海軍廠長・前原謙治中将は、
感激に声をつまらせながら、こう語った。
今日ほど感動したことはない。日本にもこうした飛行機
が出現したことを思うとただ喜びだけだ。
外国の超一流機を眼にしたようだ。
翌昭和11年、紀元2596年の96を冠してこの戦闘機は96式艦上戦闘機
として制式に採用され、約1千機が生産された。
その設計主務者が、次に零戦を開発する堀越二郎技師であった。
■4.それはあまりに厳しすぎる要求だった■
堀越のもとに海軍航空本部から、次期戦闘機の計画要求について説明するので、
至急出頭せよ、との緊急連絡がもたらされたのは、
昭和12(1937)年8月の事だった。ちょうど支那事変が始まった時期である。
それはあまりに厳しすぎる要求だった。最大速度は500キロを要求していた。
また外国でも実用機では例のない20ミリ機銃2挺の装備が要求されていた。
さらに航続距離、旋回性能、上昇性能など、
外国の一流機の水準を超えた要求が並んでいた。
速度と機銃装備による重さ、航続距離などは、あちらを立てればこちらが立たず、
という関係にあるのに、それらがすべて欧米の戦闘機よりも優れた水準を求められていた。
しかも、国産の小馬力のエンジンでそれを達成するには、至難の業と思われた。
堀越は立ち上がって、これらの要求があまりに高すぎるとして、
幾分でも緩和してくれる余地はないのか、と聞いたが、海軍側の回答は
「絶対に緩和の余地なし」というものだった。
堀越たちはそれ以上、何も言えずに、出来るだけ要求に沿うよう
努力することを約して、暗い表情で社に戻った。
三菱重工とともに要求を聞いた中島飛行機は競争試作を下りてしまい、
堀越たちの肩にすべての責任が降りかかってきた。
画は拙作にて、
「零戦」です。 拙作「鎮魂」からの切り抜きですが。
■5.「新鋭機を一日も早く第一線に送れ」■
早速、設計にとりかかった堀越のチームは、軽くて強度の
すぐれた素材はないか、と探し回り、住友金属工業で、
それまでの超ジュラルミンより抗張力を3〜40パーセント強めた超ゝジュラルミンを
開発したことを聞いて、さっそく採用した。
さらに少しでも機体を軽くすべく、
強度に関係ない部分に2、3ミリの穴を数多く開けることまでした。
日本の飛行機としては初めての引き込み脚を採用し、空気抵抗を少なくして、
航続距離を伸ばした。翼の面積は思い切って広く取り、
旋廻性能を良くし、空母からの離着艦を容易にした。
こうして設計された機体は、96式艦上戦闘機よりもスマートな美しい形状をしていた。
実物大の模型を堀越は満足そうに眺めた。
昭和14(1939)年3月16日、第一号機が完成。詳細な各部の点検の後、
段階的にテスト飛行が行われた。4月14日には、初めて脚の引き込め飛行が行われた。
機が滑走路を離れ、両脚が引き込まれると、機体は見事な流線形を示した。
美しい、と堀越は思った。
6月12日には、海軍の熟練パイロットによる試乗テストが行われた。
「96式艦上戦闘機に比べると、最高速度は相当増しているのに、
着陸が容易なのは大いに良い」と好評だった。
しかし、同時に問題点もいくつか指摘され、堀越たちは改良を続けた。
最高速度は、海軍の要求を上回る時速533キロを記録した。
当時のドイツとアメリカの最新鋭機の速度、それぞれ444キロ、426キロを、
はるかに凌ぐスピードであった。
この好成績の報告を受けた海軍側は沸き立った。
その情報は中国大陸で戦う海軍航空実戦部隊にも伝わり、
新鋭機を一日も早く第一線に送れ、という声が出始めた。
その頃、日本の爆撃機は漢口の基地から、重慶まで飛んで爆撃を行っていたが、
96式艦上戦闘機では航続距離が足りずに、護衛についていくことができなかった。
そこに中国空軍の戦闘機の迎撃を受けて、被害が続出していたのである。
■6.「零式艦上戦闘機」■
昭和15(1940)年7月末、試作機はすべての問題点が解決したことを認められ、
その年の紀元2600年を記念して、末尾の零をとって「零式艦上戦闘機」と名づけられた。
8月19日、漢口から零戦12機が飛び立った。
重慶を爆撃する陸上攻撃機54機の護衛である。その搭乗員たちは、
初めて自分たちを援護してくれる戦闘機を得て、零戦に機上から手を振った。
1500キロもの長距離を単座の戦闘機が編隊を組んで飛行するのは、
世界航空史上でも例のないことであった。
重慶では約30機の中国空軍の戦闘機で待ち構えているという情報が
偵察機からもたらされていた。しかし、中国空軍は出てこず、
陸上攻撃隊はゆうゆうと爆撃を行い、全機帰還した。
中国空軍は日本の新鋭戦闘機が援護しているという情報を得て、
身を避けている気配であった。翌日の爆撃にも姿を見せなかった。
そのうちに意外な情報が重慶からもたらされた。中国空軍は
日本の航空戦隊が帰った後に、重慶上空を飛行し
「日本航空隊に大損害を与え、追い払った」と宣伝しているという。
■7.「なぜ、あんなに落ちていくのか」■
その裏をかく作戦が立てられた。爆撃終了後、一度重慶から帰るふりをして
中国空軍が出てきた所を、反転攻撃を仕掛けるという案である。
9月13日、零戦13機は、爆撃終了後、重慶から50キロ戻ったところを急遽、
反転した。果たして、重慶上空には27機の中国軍機が編隊を組んで飛んでいた。
ソ連製の最新鋭機イ15、イ16である。
零戦隊は相手より千メートル高い位置から、突っ込んでいった。
中国軍機は気がついて、あわてて散開したが、
零戦はスピードが速すぎて相手を追い越してしまった。
27機対13機が入り乱れての空中戦となった。動きの緩慢なイ15、イ16の横を、
零戦の高速の機影がかすめて通り過ぎる。
落ちていくのは、中国軍機ばかりであった。20ミリ機銃の威力はすさまじく、
敵機の主翼を飛び散らせた。
「なぜ、あんなに落ちていくのか」と零戦パイロット自身が不思議に思えたほどであった。
大空中戦はわずか10分ほどで終わった。
鮮やかな夕焼けが、漢口上空を染める頃、13機の零戦が滑走路につぎつぎと着陸した。
パイロットたちが搭乗機から降り立つと、
彼らはたちまち大勢の将兵に取り囲まれた。
「敵戦闘機、イ15、イ16、27機を確実に撃墜、または炎上破壊。
只今全機帰着いたしました」と報告すると、周囲はどよめいた。
二日後に、この空中戦のニュースが新聞報道されると、
三菱重工・名古屋航空機製作所の内部は湧きに湧いた。
その中で堀越は、ひとり机の前に無言で座っていた。その顔には、
3年間の緊張が一時にゆるんだような疲労の色が浮かんでいた。
■8.「そんな戦闘機を日本が作れるはずがない」■
重慶市街上空の衆人環視の中で、ソ連の最新鋭機イ15、イ16が、
半分以下の機数の日本機に全滅させられたことに、中国空軍は戦意を著しく喪失し、
さらに奥地の四川省成都まで後退した。
零戦部隊はそれを追って、攻撃を続けた。
日本国内では零戦の量産体制が整えられ、三菱重工と中島飛行機が毎月数十機
という規模で続々と零戦を生み出し、前線に送り込んだ。
中国大陸での零戦の作戦行動は、昭和16(1941)年8月末に完了した。
大陸全体が、日本の航空兵力の制空下に納められたからである。
約1年間で中国空軍に与えた損害は撃墜162機(不確実3)、
地上での撃破264機。
零戦の被害はわずか2機、それも地上からの防御砲火によるものであった。
中国空軍は、アメリカのクレア・シェンノートという元陸軍航空大尉
によって指導されていた。シェンノートは蒋介石からの厚い信任のもとに、
アメリカ、ソ連、イタリアなどから最新鋭の戦闘機を購入し、
多くの中国人パイロットを育てていた。
零戦の登場にシェンノートは激しい恐怖を覚え、その客観的なデータとともに、
世界航空界の先進国を自負する米英軍の最新戦闘機でも、
零戦と交戦したら悲惨な結果となると警告した。
しかし、その警告にアメリカもイギリスも全く反応を示さなかった。
数年前まで日本は米英の航空技術をコピーしていた後進国であった。
シェンノートが報告したような驚異的な性能を持つ戦闘機を、
日本が作れるはずはない、と彼らは信じこんでいたのである。
■9.世界航空史に残した画期的な一頁■
そうした米英の思いこみを一挙に粉砕したのが、冒頭に述べた
昭和16(1941)年12月8日からの3日間の出来事であった。
米英軍は大恐慌に陥った。
昭和17(1942)年6月のアリューシャン攻略作戦では、零戦隊は
米軍機40数機を撃墜するなど、大きな戦果を上げたが、
1機の零戦がガソリン・タンクに被弾し、無人島に不時着した。
機体は裏返しとなり、パイロットは死亡した。
その機体を入手した米軍は狂喜した。
機体はアメリカに持ち込まれ、徹底的な分析が行われた。
20ミリ機銃を装備しながら、極めて機体が軽く、
米戦闘機ではとうてい敵わない運動性能を持っていた。
しかも航続距離は1600キロという例のない水準である。
アメリカの航空技術者は驚嘆した。
その調査結果から、米軍は零戦1機に対して2機で急降下攻撃を加えること、
それが失敗したらそのまま逃避して、
決して格闘戦に入らないようにせよ、という指示が出された。
その後、米軍は新鋭機を続々と開発・投入したが、一騎打ちで
零戦に対抗できるものはなかった。しかし、アメリカの巨大な工業力で
大量生産される米軍機に取り巻かれると、多勢に無勢で、
零戦も撃墜されることが多くなっていった。
さらに「空の要塞」と呼ばれる爆撃機B17、B24、そして後のB29は、
堅固な防御に覆われ、前後上下左右に銃座が設けられて、
零戦でもなかなか撃墜できなかった。
しかし大東亜戦争末期のフィリピンや沖縄での戦いでは、
零戦を中心とした特攻作戦が大きな戦果をあげ、米軍を恐怖に陥れた。
結局、零戦は支那事変から大東亜戦争まで5年間も第一線で主役を務め続け、
世界航空史に画期的な一頁を残したのである。
(文責:伊勢雅臣)
以下ご参照!
歌川 廣景、二枚目、
「江戸名所道戯盡」 「三十四」 「筋違御門うち」です。
謀略戦だな、
◆http://blog.goo.ne.jp/ikariyax/e/f472c5d6e12887d5ca5f3aba2f8962b8
いかりや爆氏の毒独日記 2013-07-04
◎不正選挙の始まりは郵政民営化選挙からだったのではないか?
当時、小泉首相は「郵政民営化の民意を問う」と言って解散した。
法案に反対した議員全員に自民党の公認を与えないばかりか、
その選挙区には自民党公認の「刺客」候補を落下傘的に送り込むという異様な選挙を展開した。
そもそも「郵政民営化」といういわゆるシングルイッシューで解散総選挙が行われる
のは前代未聞であった。与党内でさえ多くの議員が疑問視・反対するものが出たにも拘わらず、
当時の小泉首相は強行した。
郵政民営化はアメリカ政府の日本政府に対する年次改革要望書に沿ったもので
民営化こそが日本の経済を良くするという触れ込みであったが、国民を騙した。
当時 47 都道府県議会のうち、民営化反対の議決は44都道府県(93.6%)だったが、
又、2,950市町村議会のうち民営化反対の議決は2,605市町村議会(88.3%)だった。
地方議会は圧倒的に反対多数の決議を出していた。
野党からの反対は勿論、与党内からも多くの反対者を出した。どうみたって、
この選挙で自民党が大勝するはずはなかったが自民が圧勝した。
そして地盤看板金のないコイズミチルドレンという多数の新人議員が生まれた。
筆者は、このときまさか自民党が圧勝するとは思いもしなかったので、結果に唖然とした。
しかし、当時は不可解な選挙結果であったと思いながらも、
まさか不正選挙のことまでは考えは及ばなかった。しかし、
前回の12.16選挙は、具体的な証拠はないものの、そう思わざるを得ない傍証はある。
その一つは民主党惨敗のなかで、堂々と当選した議員がいることである。
千葉4区当選の野田佳彦氏である。
以下、「野田君だけプラスの得票率(前回衆院選挙比)」
http://saisai25.blog.fc2.com/blog-entry-11.html
を参考にして分析した結果を述べます。
前々回(2009年8月)衆院選と昨年の12.16選挙における民主議員193人の得票比率は
総平均でマイナス54%でした。前々回得票率を越えたのは唯一人野田氏(プラス1%)だけだった。
野田氏同様に、当選5回組議員22人のうち、野田氏を除く21人の議員の前回得票率の平均はマイナス50.7%、
標準偏差 σ=±11.2であった。 3σ:33.6を足しても-17であり、野田氏のプラス得票率にはならない。
野田氏のプラス得票率は、99.99%ありえない。
何らかの力が働いたと考えない限りオカシイ、それがムサシであったかどうかは別にしても。
尚、民主党193人で分析しても結果は変わらないはずである。
選挙は民主主義の根幹をなすものであり、次の7/21参院選は不正選挙だけは、
なんとしても防がねばならないが・・・。
パイナップル:
郵政選挙と安倍時代の選挙との違いは何かというと、
マスコミの盛り上げと、世間の反応が同調してないという点です。
郵政選挙ではマスコミの煽り・洗脳に国民の多くが染まってました。
世間の空気が小泉自民党支持に傾いていたのです。
だから不正選挙によって自民党が大勝しても違和感が無かった、気付けなかったのでしょう。
しかし昨年の選挙は違います。
世間の空気は第三極の勝利を願い、調査でも「第三極中心の政権」が圧倒的に望まれていました。
そんな中で不正選挙によって自民党圧勝、脱原発&反TPP政党は壊滅という、
有り得ない極端な結果が出たので「おかしい」と騒がれたのです。
この乖離は不正選挙を仕掛けたであろうCSISマイケルグリーンたちの誤算にあると思います。
グリーンは昨年の総選挙に関して、
「国民は左派政権に失望して、消極的ながら自民党を支持するだろう」
と言いました。
しかし国民は「第二の自民党になった民主党」には失望したけれど、
「左派政権」に失望したわけではなく、
ましてや自民党を政権に戻そうなどとは全く考えていなかったのです。
このグリーンの誤った分析、誘導の失敗によって、
12.16不正選挙が発覚するという結果になったのでしょう。
不正選挙は郵政以前から、自民党がピンチになる度に行われていたのかもしれません。
いかりや:
>郵政選挙ではマスコミの煽り・洗脳に国民の多くが染まってました。
>世間の空気が小泉自民党支持に傾いていたのです。
郵政民営化選挙については、「マスコミの煽り・洗脳に・・・」についてとかくの噂があった。
参考;
政治評論家森田実氏の郵政民営化の裏で流れた黒いカネ・・・ 森田実の言わねばならぬ【721】:
http://moritasouken.com/sC0192.HTML
及び、
2005年森田実政治日誌[230]
郵政民営化はウォール街のためか――米国から9.11総選挙の意味についてのメッセージ
http://www.pluto.dti.ne.jp/mor97512/C02040.HTML
>このグリーンの誤った分析、誘導の失敗によって、
12.16不正選挙が発覚するという結果になったのでしょう。
ネット上では「ムサシ」と不正選挙について監視の目が光っているので今回の参院選は、
グリーンちゃんも易々とは動けない。今回は参院選でもあるし、
アベちゃんの暴走を防ぐためにも「ねじれ現象」はあったほうが好ましい、
今回はマイケル・クリーンで行こうかと思っているかもしれない・・・
うーん、なるほど「負ける・クリーン?」策戦か^^。
これが「負けるクリーン」さんの一族です。副島隆彦の学問道場、重たい掲示板より、
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
☆http://d3j5vwomefv46c.cloudfront.net/photos/large/786887699.jpg
こういうチンピラどもに、アベも野田も、振り回されているのか?
◆http://nueq.exblog.jp/20687508/
nueq lab 2013年 07月 05日
◎投票率5%! 次の参議院選!
みんなでボイコットしよう!
次の惨犠員選挙!
昨年12月16日の愁議院選挙は、投票箱自体を組織的にすり替えるという、
まともな日本人には考えも持つかなったウルトラCによって、
第1党か第2党になっていたはずの「 国民の生活が第一 」党がボコボコにされ、
自由民主党は史上最低の得票率でありながら、史上最高の議席数を獲得しました。
「 連中 」は、よほど、小沢一郎が怖いと見える。
そりゃそうだ!
田中角栄 〜 大平正芳 〜 金丸信 〜 竹下登 〜 細川護熙 〜 羽田孜 〜
橋本龍太郎 〜 小渕恵三 〜 野中広務 〜 鳩山由紀夫 、、、、、
どのように失脚させられ、どのように抹殺され、どのように殺されたか、
その手口も含めてぜ〜〜〜〜〜んぶ、知ってるわけだから。
もちろん、原発と云う名の米核弾頭供給工場を50基も造った堕忌勲位:中曽根康弘、
メーソン日本代表:宮澤喜一、稀代の売国奴:小泉純一郎や、ポチの
森喜朗、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、菅直人、野田佳彦の裏だってぜ〜〜〜〜んぶご承知。
なんてったって、巷では小沢一郎は随分長いこと
ジェイ・ロックフェラー子飼いの子分として名を馳せてきたのだから。
ところが、民主党が天下を取って、つい本音が出てしまった。
在日米軍は第7艦隊だけがあれば充分!
これで、小沢一郎の本性がバレてしまった。
坂本龍馬が、事のあまりにひどい売国スキームの成り行きを憂慮して船中八策を後藤に伝え、
その上で大政奉還を口走ってしまったが故に
その正体がメーソン:グラバーにバレてしまって抹殺されたのと同様に。
そんなすべてを知り尽くしてる小沢一郎が政権を取ってしまうと大変なことになる!
と、「 連中 」は、恐怖におののき、あろうことか、
国民の生活が第一で満たされた投票箱そのものを、痔憂罠腫党に書き換えられた投票箱にすり替える
という前代未聞の、アフリカの3流国でさえ恥ずかしくてやったことのない、
なりふり構わない暴挙に及んだのである。
もう、この日本列島( ニッポン列島ではありません! にほん列島です! )には、
まともな選挙は存在しなくなりました。
アフリカの3流国でさえ恥ずかしく思うような快挙をなしてしまった「 恥の国 」です。
もう、選挙に民意はコンゴ反映されませんし、この国を選挙で変える。
というのは、アセンションと同じく幻影・妄想のタグイと成り果ててしまいました。
と、云うことで、飯山一郎さん言い出しっぺの「 選挙ボイコット! 」。
これを自分だけで密かに実行するのではなく、できるだけたくさんの廻りの人たちの足を引っ張って、
この運動に引きずり込みましょう!!!
創価学会員だろうが、幸福の科学員だろうが、もしもその人物に日本( にほん )を憂う気持ちがあるなら、
公明党などに投票しないで、創価学会全体でボイコットの運動を展開しましょう!
労働組合のみなさん!
組織票になびいいてお金だけはもらっといて、投票用紙には
「 チェ・ゲバラ、坂本龍馬、カダフィー、チャベス、プーチン、金正日、金策 」など、
好きな名前を書きましょう!
投票場に行っただけのカタチは作れますから。
比例区には「 豚の党 」とか、「 売国党 」とか「 TPPでモンサン党 」とか、
「 アベノリスク党 」とか、できるだけ過激な批判メッセージを書き込みましょう!
それと、霞ヶ関や全国の公務員のみなさん、警察のみなさん、自衛隊のみなさん、企業奴隷のみなさん、
せめて日頃の一矢を報いたい! 自分の子どもたちに夢のある世界を作ってあげたい! と、
思うなら、上記のように組織票のフリして投票しましょう!!!
但し、事前投票はダメです!
ぜ〜〜〜んぶ、楽チンですり替えられますから。
それと上記の投票様式は、ガンジ搦めの組織票投票が見張られてる人たちのためのものです。
自由な投票が可能な人は、ボイコットしましょう!
周囲のおじいさん、おばあさんにも、
TPPと遺伝子組み換えの詳細を語り、アベノミクス詐欺を教えてあげましょう!
それと、全国のカメラマンのみなさん、
12月の衆議院選の際の投票会場の前代未聞の長蛇の列の撮影、ご苦労様でした。
今回は、閑散としただ〜〜〜〜れも来ない投票場の風景撮影とレポートをお願いします。
と、云うことで、みなさん、張り切って周囲の人の足を引っ張りましょう!!!
投票率が5%になれば、得票率70%でも、民意はたったの3.5%!
投票率10%で、得票率70%なら、民意は7%!
国民の7%の支持しかない政党に、政権の正当性を謳うことは出来ません。
↑
飯山一郎も何を考えておるのやら? とんだ食わせ者かも?
「居座る」に決まっておるだろうがw 投票率自体を操作しておるのだから。
ボイコットなど利敵行為の最たるものだ、
事前投票は止め、選挙当日、大挙して投票行為をし、不正工作の暇をなくす!
これが正道ですよ。 さすれば工作もバレる可能性が大になるのだから。