画は歌川 國貞 (三代豊國)
天明6年(1786年)〜元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄齋・五渡亭など 作
「花摘籠五十三次 はながたみごじゅうさんつぎ」より、
「五十三次大切 雛まつり」 です。
☆晴れ。
今日はめでたい雛祭り♪なのですが、
雪割りで腰を捻りヨタ々歩いておりますよw もう雪は沢山です。
さて、示唆に富みますなぁ、
◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2013年02月27日
◎「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて
より抜粋、
こういう若い人たちに続々と出会っているうちに、
「なんか、日本の未来も大丈夫かも」という気がしてきた。
これがひとつ。
もうひとつは、近代日本政治史をもう一度勉強し直さなければならない
という気分が醸成されたことである。
直接には中島岳志さんや片山杜秀さんの近代ナショナリズム史の読み直しの仕事に触発されている。
渡辺京二や松本健一がナショナリズムについて書く理由はわかる。
あるいは半藤一利が司馬遼太郎の衣鉢を伝えようとする気持ちもわかる。
でも、1960年、70年代生まれの若い研究者たちが
玄洋社や農本主義や軍制史を研究する動機は、すぐにはわからない。
でも、この領域の研究に緊急性があるということは、私にも直感されている。
現に書棚を振り返ると、ここ数年のうちに北一輝、頭山満、大川周明、権藤成卿、宮崎滔天
といった人たちについての研究書がにわかに増殖している。
どうしてそういう思想家たちに興味がわいたのか、自分でもよくわからない。
ツイッターにも少し書いたけれど、現代日本に瀰漫しているナショナリズムは
「ナショナリズムとして空疎である」という印象が私にはある。
ナショナリズムというのは、こんなに薄っぺらで、反知性的なものであるはずがない。
18世紀以降の政治史上の事件には「人間とはどこまで愚劣で邪悪になることができるのか」
と絶望的な気分にさせられるものだけでなく、「人間はここまで英雄的になることができるのか」
と感動させられるものもあった。そして、後者のほとんどはナショナリズムに駆動されたものである。
そのことはマルクスも認めている。
アメリカの独立戦争も、フランス革命も、多くの人々が祖国と同胞のために、
おのれの命も財産も自由も捧げた苛烈な闘争の成果として得られた。
これらの英雄的・非利己的な献身によって近代市民社会は基礎づけられたのである。
そして、私利や自己実現と同じくらいの熱意を以て
公益を配慮するような人間をマルクスは「類的存在」と呼んだ。
そのような人間は革命闘争や独立戦争のさなかに「英雄的市民」というかたちにおいて
一過的に存在することはあるが、安定的・恒常的に存在したことはない。
いわば、ある種の幻想的な「消失点」として措定された概念である。
だが、それなしではいかなる革命闘争も実現しない。
そのことをマルクスは知っていた。
近代日本のナショナリストたちのうちにも、
遠く「類的存在」を望見した思想家がいたのではないか。
勝海舟から坂本龍馬、中江兆民を経由して幸徳秋水に至る「反骨の系譜」というものが
存在するのではないかという仮説に以前言及したことがある。
坂本龍馬がクロポトキンを読んだら、たぶん深い共感を覚えただろうと思う。
私にとって古典的な「左右」の思想区分は、本質的なものには見えない。
本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と
「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。
私はそう考えている。
そして、政治史が教えてくれるのは、18世紀以来、「類的」という政治的概念が
ナショナルな政治単位を超えて「受肉」した事例は存在しないということである。
アメリカ独立戦争・フランス革命以後のすべての英雄的な「解放闘争」は
「民族解放闘争」として行われた
(残念ながら、成功した革命の闘士たちは必ずしも統治者としても類的であり続けたわけではないが)。
そして、民族の枠を超えたスケールの「セミ・グローバルな政治闘争」として私たちは
スターリン主義とアメリカ帝国主義というふたつの頽落タイラク形態しか知らない。
近代の政治的経験から私たちが導き出すのは、「ナショナリズムと類的存在を架橋する」細い道以外に、
政治的選択肢として可能性のあるものはなさそうだということである。
そして、その場合、「誰を信じるべきか、誰についてゆくべきか」のぎりぎりの基準は、
政策コンテンツの綱領的な整合性や「政治的正しさ」ではなく、
その政治思想家の「生身」だということである。
明治大正の政治思想家たちは、左右を問わず、身体を持っていた。
vulnerabl(傷つきやすい)な身体を持っていた。
「人間は壊れる」ということを熟知していた。
その壊れやすい人間を基準にして、政治的プロジェクトの適否を思量していた。
テロリズムというのは、思想の力は身体に担保されているので、身体を物理的に破壊してしまえば、
思想も同時に力を失うという信憑なしには成立しない。
「思想は属人的なものだ」という確信、生身の人間の担保ぬきの政治思想など無力であり無価値である
という確信がテロリズムを可能にしている。
この確信には危険な半真理が含まれていることを私は認めざるを得ない。
思想は身体に基づいて存在する。
それゆえに、テロリズムの論理を反転させるならば、
人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、
人間的な社会システムを作り出すことができないということである。
アンチ・テロリズムの思想もまた、「思想は属人的なものだ」という公理に基づくことになる。
私にはそれくらいしかまだわからない。
いずれ機会があれば、中島岳志さんや片山杜秀さんの話をもっと聴いてみたい。
國貞、二枚目、
「五節句乃内」 「さくら月」です。
立ち位置は異なるがいい記事だ、
なーんにもない民族、嘘と捏造とパクリと〜 雛祭りなどあるわけも無し、
◆http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1812.html
ねずさんの ひとりごと
◎>韓国建国の詐術と未来
より抜粋、
たまたまWIKIを見たら、韓国の独立は昭和23(1948)年8月15日で、
米国の承認を得て李承晩が韓国の独立を宣言した、と書いてありました。
出典がどこなのかはわかりませんが、おもわず苦笑してしまいました。
どういうことかというと、
実際には李承晩が韓国の独立を宣言したのが、昭和23年8月13日だからです。
ところがあとになってから、李承晩はこれを8月15日に「変更」しました。
なぜかというと、8月15日だと、日本の終戦記念日と重なり、
あたかも日本から韓国が独立したかのように「見える」からです。
で、記念日の名前を「光復節」としています。
韓国の歴史歪曲は、日本に対するものだけではなく、なんと、
自国の建国の歴史まで、捏造、変造しているわけです。
人が郷土に対する愛着を持つのは、あたりまえの人間心理ですが、
その郷土史にさえも変造を加えるというところに、韓国の施政者の底知れぬ悪意を感じます。
韓国の民衆は、はたしてそういう史実をしっているのでしょうか。
8月24日になるとソ連軍が朝鮮半島に侵入します。
そして産業の中心地であった平壌にその拠点を築いてしまう。
満州にいた日本人居留民の悲劇は、ここからはじまったわけです。
一方、朝鮮建国準備委員会は、いつまでも準備委員会のままでいたら、
朝鮮半島の独立の夢は果たせなくなるからと、9月6日に朝鮮人民共和国の独立を宣言します。
北と南にわかれた朝鮮ではなく、あくまで統一朝鮮としての建国です。
ところがその翌日、米国がソウルに進駐軍を送り込んできた。
その米軍が何をしたかというと、実はここがたいへんおもしろいのですが、
なんとソウルの町に掲げられた統一朝鮮の象徴である太極旗を、すべて降ろさせたのです。
で、何をしたかというと、そこに日の丸を掲揚させたのです。
つまり米国はこの時点で、朝鮮人による朝鮮半島の独立を認めなかったわけです。
あえて日の丸を掲げさせることで、朝鮮半島を「日本の一部」として取り扱い、
そうすることで進駐を正当化したわけです。
つまり、そこは「日本だ」というわけです。
戦勝国である米国が朝鮮半島に進駐するためには、
そこが日本の一部でなければならなかったわけです。
もしそこが自主独立した朝鮮共和国なら、米軍の進駐は法的根拠を失なう。
で、さらにその2日後の9月9日には、マッカーサーが朝鮮半島の占領統治を布告します。
そしてこの段階で再び日の丸が降ろされ、こんどは星条旗を掲げたわけです。
つまり米国は、「朝鮮半島の日本からの独立」を認めず、米軍の占領地域にしたわけです。
それからまる3年、平壌以南の朝鮮半島は米軍の占領統治下に置かれました。
さて、混乱を極めた朝鮮半島が、米国の占領下から独立したのは、
終戦から3年経った昭和23(1948)年8月13日のことです。
日本よりも早い段階で独立が承認されたのは、北の金日成が、
ソ連のバックアップを受けて北朝鮮で統一朝鮮の建国を図るという動きが顕著になり、
その北の動きを牽制するために、米国は急遽、李承晩を大統領に仕立てて、
統一朝鮮としての大韓民国の建国を宣言させたのです。
ですから、大韓民国の統治は、日本から米国、そして独立という順を踏んでいるわけですから、
大韓民国の独立は、米国の占領からの独立です。
ところが李承晩は、これを「日本からの独立」とすり替えました。
さらに独立の日も、8月13日ではなく、独立祝賀会が行われた8月15日に、後に訂正しています。
そうまでして、米国の占領からの独立ではなく、日本からの独立を装ったわけです。
けれど、よくよく史実をみれば、日本は終戦と同時に、
朝鮮半島内に独立のための準備機構を立ち上げ、
朝鮮総督府の建物に太極旗を掲げることさえも許可した上で、
自主的に朝鮮半島から引き揚げてきているのです。
誰がどうみても、韓国は「日本から独立」したことにはなりません。
つまり、韓国の歴史教科書には申し訳ないけれど、
韓国は建国の歴史からして、嘘を書いているわけです。
この動きに対し金日成は、危機感を持ちます。
なぜ統一朝鮮に前向きだった金日成が危機感を持ったのか。
それは韓国大統領に李承晩という極端な反共主義者が就任したからです。
器量が小さく、権力主義で人の命を軽んずる嘘つきの李承晩が大統領に就任すれば、
早晩、半島内の共産主義者たちは粛正の憂き目に遭う。
そう考えたから、金日成は、同年9月に朝鮮民主主義人民共和国の建国を強行したのです。
これは、はっきり申上げて、韓国民衆の選択ではなく、米国の選択の誤りです。
日本否定に凝り固まった米国は、大統領に李承晩を据えたのですが、
このときもし李垠などの朝鮮の皇族か、あるいは呂運亨などのしっかりとした国家観を持った教養人か、
あるいは旧陸軍士官学校卒業生の朴将軍や金将軍のような優秀な頭脳を初代大統領に据えていたら、
おそらくその後の朝鮮戦争は起こらなかったであろうと思います。
結果は、2年後に現実となりました。
金日成がソ連から兵器を借り受け、昭和25年6月25日午前4時、
突如韓国への砲撃を開始し、破竹の勢いで南朝鮮に攻め込みました。朝鮮戦争の勃発したのです。
この朝鮮戦争は、昭和28年7月27日まで続きました。
南北合わせて500万人以上が死亡するという、大惨事を招きました。
当時の朝鮮半島の人口のおよそ10分の1が失われたのです。
しかもこの戦争の結果、自分の国の大統領一派による虐殺をおそれた韓国の民衆が、
ボートピープルとなって、日本に大量に押し寄せました。
朝鮮戦争後、日本はこのとき日本にやってきた韓国人を国に帰そうとしましたが、
韓国はその受け入れを拒否しました。
そのことが、いまの在日問題を、日韓両国に招いています。
いま韓国は日本製品の不買運動などをしているとのことですが、私は、
もはや日本が韓国と付き合う必要性はさらさらないと思っています。
日韓国交を断絶させたら、たいへんな経済の混乱が起こると言われていますが、
混乱が起こって困るのは韓国だけであって、日本が困ることは何もありません。
一方、韓国は、日本という後ろ盾を失った瞬間、
まず韓国産業の中心となっている自動車や半導体、家電製品などの輸出品を、
つくることさえできなくなります。
なぜなら、その中にある重要部品は、すべて日本製だからです。
日本製をやめて、他の国から部品を調達すれば、ただでさえ性能の悪い韓国製品は、
さらに性能が悪化し、もはや支那製以下となって世界中から、それこそ「不買」されることとなります。
さらに国家財政が破綻します。
いくら国家の財源に困っても、日本を殴れば、打出の小槌のようにお金が沸いて来る。
そういう甘えの構造の中にウォンはあります。
そしてそのウォンは、日本の保証によってドルに替えられ、
そのドルで韓国はスポーツの審判を買収したり、慰安婦像をつくったり、
米国議員を買収したりしているわけです。
逆にいえば、日本が、その後ろ盾から「手を引く」と宣言した途端、
ウォンは信用がありませんから、韓国は国際舞台から消えざるを得なくなります。
カネの切れ目が縁の切れ目なのです。
国にも人にもしんようがないから、簡単に切れてしまう。
要するに、日本の意思ひとつで、韓国は財政破綻し、
国家そのものを生まれ変わらせざるを得なくなるわけです。
おそらく中共政府も、この先15年を経ずしてこの地上から消滅することでしょう。
支那には、台湾にある中華民国政府がふたたび本国に返り咲くか、
あるいはまったく別な王朝が生まれるか。
朝鮮半島では、韓国が先に消滅し、北による統一がなされることでしょう。
新たに起こる支那の政府が、この時点で親日政権であれば、
北はむしろ日本との経済的一体性を強めたいと願うかもしれません。
国家の存在が、永続生をもってきたのは、世界の中で日本だけです。
他の国々は、常に流動的な中にある。
私達は、そういうことも視野にいれた日本外交を考える必要があるのではないかと思います。
↑
共産支那の崩壊はさほど遠からず、今年中にもありうると思う。
毛の「八路軍」に英雄的・非利己的な献身などあった試しがない、私利私欲のみ。
國貞、三枚目、
「当盛見立三十六花撰 上巳じょうしの桃花」 「雛鳥」です。
◆http://melma.com/backnumber_45206_5771631/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(中国人留学生の実態に変化)発行日:3/1
中国人留学生は微減、就労機会は帰国した方が有利
それでも在留資格の緩和を歓迎し、ノウハウを普及する
****************************************
最近の日本への中国人留学生、若干の変化がみられる。
89・6%の中国人留学生は卒業後、中国へ帰国し、国の発展に寄与したいと
嘘のような回答をしていることが教育機関「新東方」の調査でわかった(『現代中国報』、2月25日)。
「引き続き留学先当該国に滞在し、就労したい」と回答したのは10・4%となり、
この意識の変化の理由は留学先の経済が低迷し、失業率が上昇しているため
良い就労チャンスが希薄となったこと、次に中国企業が国際的センスの人材を有利な条件で求めている
という環境の変化があると調査結果をまとめている。
同時に日本の入管規制がまたまた緩和され、
技術資格保有者、ハイテクに通暁したもの、日本人配偶者もしくは永住者を配偶としている居留者の
「居留期限を6ケ月から三年以内」としてきた規則が「三ヶ月から五年まで」に延期され、
日本に留学している中国人は、この日本の法改正を歓迎している。
日本の少子化、老齢化にともない労働人口の不足は深刻化しているが、
かと言って外国人留学生ばかりが就労機会の増大というのは多くの日本人からみれば釈然としない。
まして近年の留学生は日本語の習得が劣化している。片言しか喋れないで留学をおえる学生も目立つ。
そのうえ、日本への中国人留学生の数が微減している事実がある。
2012年度5月1日時点での留学生は(大学、大学院、短期大学、高等専門学校、専修学校など)
86324人(全体では137756人)。
中国人が断トツの一位だが、二位は韓国からの16651人、三位は台湾から4617人となっている。
大学別での「外国人留学生」は早稲田大学が3771人だが、
中国人留学生が多いのは日本経済大学に3135人、東京大学が2873人、
立命館アジア太平洋大学に2526人となっている。
◆書評
♪♪♪
黄文雄『日本人が絶対に理解できない中国人と韓国人』(徳間書店)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
「日本に最初にやってきたパンダは『カンカン』と『ランラン』だが、
これはパンダに中国の昔の売春婦の名前をつけたのだ」
と黄さん、いきなりのパンチ。
中国と韓国は売春の王国であり、美女を拉致し、王宮に献上し、親も米一升で娘を売った。
売春という文化は多層多様だった。そうした埒もない風俗、習俗、習慣があるため、
日本も同様だろうと勝手に憶測し「強制連行」「従軍慰安婦」などのでっち上げがなされた。
これらの「つくり話」が日本攻撃の材料として使われた。
あまりにも果てしない韓国人と中国人の執拗さと嘘のオンパレードを前に、
日本の学者、知識人が綿密に調査した結果、強制連行も従軍慰安婦もなかったことが証明された。
南京大虐殺がでっち上げであることは120%証明された。
本書は、そうした韓国人、中国人の本質的な性(さが)を鋭く抉り出した力作。
最近ようやく実態の一部が日本でも知られるようになったが、
中国での売春婦は2000万人、韓国では女9人にひとりの割合で売春婦がいる。
カナダ、米国、豪。そして日本で「彼女」たちの稼ぎは数兆ドルに達するだろう。
黄さんはこう言う
「現在の中国、韓国は大変なことになっている。風紀は乱れ、人心は荒廃し、
人々はどんどん不幸になっている。日本が『失われた二十年』に陥る一方で、
中国、韓国は経済的繁栄を謳歌し、豊かになっているはずだった。
現在、起きていることはその逆である」
『彼を知り、己をしれば百戦すべてあやうからず』と孫子は言い残したが、
日本人はもっと切実に、隣国の実態、ひとびとの思考法と癖を知る必要がある。
↑
ネットの大所、著名サイトはもろ支那工作員だったり、
媚中、親中が圧倒的に多いですよw どことは言いませんが、ポロッと本音吐いたりして解る。
手前のような「緩やかな鎖国」回帰論者はレアな少数派ですなぁw
グローバリズムからローカリズムへ、鉄火場経済から実需で回す国民経済へ、
ファーストフードからスローフードへ、回帰することが日本人の幸せだと思う。
天明6年(1786年)〜元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄齋・五渡亭など 作
「花摘籠五十三次 はながたみごじゅうさんつぎ」より、
「五十三次大切 雛まつり」 です。
☆晴れ。
今日はめでたい雛祭り♪なのですが、
雪割りで腰を捻りヨタ々歩いておりますよw もう雪は沢山です。
さて、示唆に富みますなぁ、
◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2013年02月27日
◎「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて
より抜粋、
こういう若い人たちに続々と出会っているうちに、
「なんか、日本の未来も大丈夫かも」という気がしてきた。
これがひとつ。
もうひとつは、近代日本政治史をもう一度勉強し直さなければならない
という気分が醸成されたことである。
直接には中島岳志さんや片山杜秀さんの近代ナショナリズム史の読み直しの仕事に触発されている。
渡辺京二や松本健一がナショナリズムについて書く理由はわかる。
あるいは半藤一利が司馬遼太郎の衣鉢を伝えようとする気持ちもわかる。
でも、1960年、70年代生まれの若い研究者たちが
玄洋社や農本主義や軍制史を研究する動機は、すぐにはわからない。
でも、この領域の研究に緊急性があるということは、私にも直感されている。
現に書棚を振り返ると、ここ数年のうちに北一輝、頭山満、大川周明、権藤成卿、宮崎滔天
といった人たちについての研究書がにわかに増殖している。
どうしてそういう思想家たちに興味がわいたのか、自分でもよくわからない。
ツイッターにも少し書いたけれど、現代日本に瀰漫しているナショナリズムは
「ナショナリズムとして空疎である」という印象が私にはある。
ナショナリズムというのは、こんなに薄っぺらで、反知性的なものであるはずがない。
18世紀以降の政治史上の事件には「人間とはどこまで愚劣で邪悪になることができるのか」
と絶望的な気分にさせられるものだけでなく、「人間はここまで英雄的になることができるのか」
と感動させられるものもあった。そして、後者のほとんどはナショナリズムに駆動されたものである。
そのことはマルクスも認めている。
アメリカの独立戦争も、フランス革命も、多くの人々が祖国と同胞のために、
おのれの命も財産も自由も捧げた苛烈な闘争の成果として得られた。
これらの英雄的・非利己的な献身によって近代市民社会は基礎づけられたのである。
そして、私利や自己実現と同じくらいの熱意を以て
公益を配慮するような人間をマルクスは「類的存在」と呼んだ。
そのような人間は革命闘争や独立戦争のさなかに「英雄的市民」というかたちにおいて
一過的に存在することはあるが、安定的・恒常的に存在したことはない。
いわば、ある種の幻想的な「消失点」として措定された概念である。
だが、それなしではいかなる革命闘争も実現しない。
そのことをマルクスは知っていた。
近代日本のナショナリストたちのうちにも、
遠く「類的存在」を望見した思想家がいたのではないか。
勝海舟から坂本龍馬、中江兆民を経由して幸徳秋水に至る「反骨の系譜」というものが
存在するのではないかという仮説に以前言及したことがある。
坂本龍馬がクロポトキンを読んだら、たぶん深い共感を覚えただろうと思う。
私にとって古典的な「左右」の思想区分は、本質的なものには見えない。
本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と
「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。
私はそう考えている。
そして、政治史が教えてくれるのは、18世紀以来、「類的」という政治的概念が
ナショナルな政治単位を超えて「受肉」した事例は存在しないということである。
アメリカ独立戦争・フランス革命以後のすべての英雄的な「解放闘争」は
「民族解放闘争」として行われた
(残念ながら、成功した革命の闘士たちは必ずしも統治者としても類的であり続けたわけではないが)。
そして、民族の枠を超えたスケールの「セミ・グローバルな政治闘争」として私たちは
スターリン主義とアメリカ帝国主義というふたつの頽落タイラク形態しか知らない。
近代の政治的経験から私たちが導き出すのは、「ナショナリズムと類的存在を架橋する」細い道以外に、
政治的選択肢として可能性のあるものはなさそうだということである。
そして、その場合、「誰を信じるべきか、誰についてゆくべきか」のぎりぎりの基準は、
政策コンテンツの綱領的な整合性や「政治的正しさ」ではなく、
その政治思想家の「生身」だということである。
明治大正の政治思想家たちは、左右を問わず、身体を持っていた。
vulnerabl(傷つきやすい)な身体を持っていた。
「人間は壊れる」ということを熟知していた。
その壊れやすい人間を基準にして、政治的プロジェクトの適否を思量していた。
テロリズムというのは、思想の力は身体に担保されているので、身体を物理的に破壊してしまえば、
思想も同時に力を失うという信憑なしには成立しない。
「思想は属人的なものだ」という確信、生身の人間の担保ぬきの政治思想など無力であり無価値である
という確信がテロリズムを可能にしている。
この確信には危険な半真理が含まれていることを私は認めざるを得ない。
思想は身体に基づいて存在する。
それゆえに、テロリズムの論理を反転させるならば、
人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、
人間的な社会システムを作り出すことができないということである。
アンチ・テロリズムの思想もまた、「思想は属人的なものだ」という公理に基づくことになる。
私にはそれくらいしかまだわからない。
いずれ機会があれば、中島岳志さんや片山杜秀さんの話をもっと聴いてみたい。
國貞、二枚目、
「五節句乃内」 「さくら月」です。
立ち位置は異なるがいい記事だ、
なーんにもない民族、嘘と捏造とパクリと〜 雛祭りなどあるわけも無し、
◆http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1812.html
ねずさんの ひとりごと
◎>韓国建国の詐術と未来
より抜粋、
たまたまWIKIを見たら、韓国の独立は昭和23(1948)年8月15日で、
米国の承認を得て李承晩が韓国の独立を宣言した、と書いてありました。
出典がどこなのかはわかりませんが、おもわず苦笑してしまいました。
どういうことかというと、
実際には李承晩が韓国の独立を宣言したのが、昭和23年8月13日だからです。
ところがあとになってから、李承晩はこれを8月15日に「変更」しました。
なぜかというと、8月15日だと、日本の終戦記念日と重なり、
あたかも日本から韓国が独立したかのように「見える」からです。
で、記念日の名前を「光復節」としています。
韓国の歴史歪曲は、日本に対するものだけではなく、なんと、
自国の建国の歴史まで、捏造、変造しているわけです。
人が郷土に対する愛着を持つのは、あたりまえの人間心理ですが、
その郷土史にさえも変造を加えるというところに、韓国の施政者の底知れぬ悪意を感じます。
韓国の民衆は、はたしてそういう史実をしっているのでしょうか。
8月24日になるとソ連軍が朝鮮半島に侵入します。
そして産業の中心地であった平壌にその拠点を築いてしまう。
満州にいた日本人居留民の悲劇は、ここからはじまったわけです。
一方、朝鮮建国準備委員会は、いつまでも準備委員会のままでいたら、
朝鮮半島の独立の夢は果たせなくなるからと、9月6日に朝鮮人民共和国の独立を宣言します。
北と南にわかれた朝鮮ではなく、あくまで統一朝鮮としての建国です。
ところがその翌日、米国がソウルに進駐軍を送り込んできた。
その米軍が何をしたかというと、実はここがたいへんおもしろいのですが、
なんとソウルの町に掲げられた統一朝鮮の象徴である太極旗を、すべて降ろさせたのです。
で、何をしたかというと、そこに日の丸を掲揚させたのです。
つまり米国はこの時点で、朝鮮人による朝鮮半島の独立を認めなかったわけです。
あえて日の丸を掲げさせることで、朝鮮半島を「日本の一部」として取り扱い、
そうすることで進駐を正当化したわけです。
つまり、そこは「日本だ」というわけです。
戦勝国である米国が朝鮮半島に進駐するためには、
そこが日本の一部でなければならなかったわけです。
もしそこが自主独立した朝鮮共和国なら、米軍の進駐は法的根拠を失なう。
で、さらにその2日後の9月9日には、マッカーサーが朝鮮半島の占領統治を布告します。
そしてこの段階で再び日の丸が降ろされ、こんどは星条旗を掲げたわけです。
つまり米国は、「朝鮮半島の日本からの独立」を認めず、米軍の占領地域にしたわけです。
それからまる3年、平壌以南の朝鮮半島は米軍の占領統治下に置かれました。
さて、混乱を極めた朝鮮半島が、米国の占領下から独立したのは、
終戦から3年経った昭和23(1948)年8月13日のことです。
日本よりも早い段階で独立が承認されたのは、北の金日成が、
ソ連のバックアップを受けて北朝鮮で統一朝鮮の建国を図るという動きが顕著になり、
その北の動きを牽制するために、米国は急遽、李承晩を大統領に仕立てて、
統一朝鮮としての大韓民国の建国を宣言させたのです。
ですから、大韓民国の統治は、日本から米国、そして独立という順を踏んでいるわけですから、
大韓民国の独立は、米国の占領からの独立です。
ところが李承晩は、これを「日本からの独立」とすり替えました。
さらに独立の日も、8月13日ではなく、独立祝賀会が行われた8月15日に、後に訂正しています。
そうまでして、米国の占領からの独立ではなく、日本からの独立を装ったわけです。
けれど、よくよく史実をみれば、日本は終戦と同時に、
朝鮮半島内に独立のための準備機構を立ち上げ、
朝鮮総督府の建物に太極旗を掲げることさえも許可した上で、
自主的に朝鮮半島から引き揚げてきているのです。
誰がどうみても、韓国は「日本から独立」したことにはなりません。
つまり、韓国の歴史教科書には申し訳ないけれど、
韓国は建国の歴史からして、嘘を書いているわけです。
この動きに対し金日成は、危機感を持ちます。
なぜ統一朝鮮に前向きだった金日成が危機感を持ったのか。
それは韓国大統領に李承晩という極端な反共主義者が就任したからです。
器量が小さく、権力主義で人の命を軽んずる嘘つきの李承晩が大統領に就任すれば、
早晩、半島内の共産主義者たちは粛正の憂き目に遭う。
そう考えたから、金日成は、同年9月に朝鮮民主主義人民共和国の建国を強行したのです。
これは、はっきり申上げて、韓国民衆の選択ではなく、米国の選択の誤りです。
日本否定に凝り固まった米国は、大統領に李承晩を据えたのですが、
このときもし李垠などの朝鮮の皇族か、あるいは呂運亨などのしっかりとした国家観を持った教養人か、
あるいは旧陸軍士官学校卒業生の朴将軍や金将軍のような優秀な頭脳を初代大統領に据えていたら、
おそらくその後の朝鮮戦争は起こらなかったであろうと思います。
結果は、2年後に現実となりました。
金日成がソ連から兵器を借り受け、昭和25年6月25日午前4時、
突如韓国への砲撃を開始し、破竹の勢いで南朝鮮に攻め込みました。朝鮮戦争の勃発したのです。
この朝鮮戦争は、昭和28年7月27日まで続きました。
南北合わせて500万人以上が死亡するという、大惨事を招きました。
当時の朝鮮半島の人口のおよそ10分の1が失われたのです。
しかもこの戦争の結果、自分の国の大統領一派による虐殺をおそれた韓国の民衆が、
ボートピープルとなって、日本に大量に押し寄せました。
朝鮮戦争後、日本はこのとき日本にやってきた韓国人を国に帰そうとしましたが、
韓国はその受け入れを拒否しました。
そのことが、いまの在日問題を、日韓両国に招いています。
いま韓国は日本製品の不買運動などをしているとのことですが、私は、
もはや日本が韓国と付き合う必要性はさらさらないと思っています。
日韓国交を断絶させたら、たいへんな経済の混乱が起こると言われていますが、
混乱が起こって困るのは韓国だけであって、日本が困ることは何もありません。
一方、韓国は、日本という後ろ盾を失った瞬間、
まず韓国産業の中心となっている自動車や半導体、家電製品などの輸出品を、
つくることさえできなくなります。
なぜなら、その中にある重要部品は、すべて日本製だからです。
日本製をやめて、他の国から部品を調達すれば、ただでさえ性能の悪い韓国製品は、
さらに性能が悪化し、もはや支那製以下となって世界中から、それこそ「不買」されることとなります。
さらに国家財政が破綻します。
いくら国家の財源に困っても、日本を殴れば、打出の小槌のようにお金が沸いて来る。
そういう甘えの構造の中にウォンはあります。
そしてそのウォンは、日本の保証によってドルに替えられ、
そのドルで韓国はスポーツの審判を買収したり、慰安婦像をつくったり、
米国議員を買収したりしているわけです。
逆にいえば、日本が、その後ろ盾から「手を引く」と宣言した途端、
ウォンは信用がありませんから、韓国は国際舞台から消えざるを得なくなります。
カネの切れ目が縁の切れ目なのです。
国にも人にもしんようがないから、簡単に切れてしまう。
要するに、日本の意思ひとつで、韓国は財政破綻し、
国家そのものを生まれ変わらせざるを得なくなるわけです。
おそらく中共政府も、この先15年を経ずしてこの地上から消滅することでしょう。
支那には、台湾にある中華民国政府がふたたび本国に返り咲くか、
あるいはまったく別な王朝が生まれるか。
朝鮮半島では、韓国が先に消滅し、北による統一がなされることでしょう。
新たに起こる支那の政府が、この時点で親日政権であれば、
北はむしろ日本との経済的一体性を強めたいと願うかもしれません。
国家の存在が、永続生をもってきたのは、世界の中で日本だけです。
他の国々は、常に流動的な中にある。
私達は、そういうことも視野にいれた日本外交を考える必要があるのではないかと思います。
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共産支那の崩壊はさほど遠からず、今年中にもありうると思う。
毛の「八路軍」に英雄的・非利己的な献身などあった試しがない、私利私欲のみ。
國貞、三枚目、
「当盛見立三十六花撰 上巳じょうしの桃花」 「雛鳥」です。
◆http://melma.com/backnumber_45206_5771631/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(中国人留学生の実態に変化)発行日:3/1
中国人留学生は微減、就労機会は帰国した方が有利
それでも在留資格の緩和を歓迎し、ノウハウを普及する
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最近の日本への中国人留学生、若干の変化がみられる。
89・6%の中国人留学生は卒業後、中国へ帰国し、国の発展に寄与したいと
嘘のような回答をしていることが教育機関「新東方」の調査でわかった(『現代中国報』、2月25日)。
「引き続き留学先当該国に滞在し、就労したい」と回答したのは10・4%となり、
この意識の変化の理由は留学先の経済が低迷し、失業率が上昇しているため
良い就労チャンスが希薄となったこと、次に中国企業が国際的センスの人材を有利な条件で求めている
という環境の変化があると調査結果をまとめている。
同時に日本の入管規制がまたまた緩和され、
技術資格保有者、ハイテクに通暁したもの、日本人配偶者もしくは永住者を配偶としている居留者の
「居留期限を6ケ月から三年以内」としてきた規則が「三ヶ月から五年まで」に延期され、
日本に留学している中国人は、この日本の法改正を歓迎している。
日本の少子化、老齢化にともない労働人口の不足は深刻化しているが、
かと言って外国人留学生ばかりが就労機会の増大というのは多くの日本人からみれば釈然としない。
まして近年の留学生は日本語の習得が劣化している。片言しか喋れないで留学をおえる学生も目立つ。
そのうえ、日本への中国人留学生の数が微減している事実がある。
2012年度5月1日時点での留学生は(大学、大学院、短期大学、高等専門学校、専修学校など)
86324人(全体では137756人)。
中国人が断トツの一位だが、二位は韓国からの16651人、三位は台湾から4617人となっている。
大学別での「外国人留学生」は早稲田大学が3771人だが、
中国人留学生が多いのは日本経済大学に3135人、東京大学が2873人、
立命館アジア太平洋大学に2526人となっている。
◆書評
♪♪♪
黄文雄『日本人が絶対に理解できない中国人と韓国人』(徳間書店)
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「日本に最初にやってきたパンダは『カンカン』と『ランラン』だが、
これはパンダに中国の昔の売春婦の名前をつけたのだ」
と黄さん、いきなりのパンチ。
中国と韓国は売春の王国であり、美女を拉致し、王宮に献上し、親も米一升で娘を売った。
売春という文化は多層多様だった。そうした埒もない風俗、習俗、習慣があるため、
日本も同様だろうと勝手に憶測し「強制連行」「従軍慰安婦」などのでっち上げがなされた。
これらの「つくり話」が日本攻撃の材料として使われた。
あまりにも果てしない韓国人と中国人の執拗さと嘘のオンパレードを前に、
日本の学者、知識人が綿密に調査した結果、強制連行も従軍慰安婦もなかったことが証明された。
南京大虐殺がでっち上げであることは120%証明された。
本書は、そうした韓国人、中国人の本質的な性(さが)を鋭く抉り出した力作。
最近ようやく実態の一部が日本でも知られるようになったが、
中国での売春婦は2000万人、韓国では女9人にひとりの割合で売春婦がいる。
カナダ、米国、豪。そして日本で「彼女」たちの稼ぎは数兆ドルに達するだろう。
黄さんはこう言う
「現在の中国、韓国は大変なことになっている。風紀は乱れ、人心は荒廃し、
人々はどんどん不幸になっている。日本が『失われた二十年』に陥る一方で、
中国、韓国は経済的繁栄を謳歌し、豊かになっているはずだった。
現在、起きていることはその逆である」
『彼を知り、己をしれば百戦すべてあやうからず』と孫子は言い残したが、
日本人はもっと切実に、隣国の実態、ひとびとの思考法と癖を知る必要がある。
↑
ネットの大所、著名サイトはもろ支那工作員だったり、
媚中、親中が圧倒的に多いですよw どことは言いませんが、ポロッと本音吐いたりして解る。
手前のような「緩やかな鎖国」回帰論者はレアな少数派ですなぁw
グローバリズムからローカリズムへ、鉄火場経済から実需で回す国民経済へ、
ファーストフードからスローフードへ、回帰することが日本人の幸せだと思う。