画は 葛飾 北斎(葛飾 北齋)
(かつしか ほくさい、1760年 〜 1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「七福神図 合筆」です。 (珍しい)
追加です!
◆http://takedanet.com/2012/01/post_d320.html
武田邦彦(平成24年1月7日)
◎緊急速報 急なセシウムの増加はどのぐらい危険か?
011年暮れから新年にかけて福島を中心として比較的広い範囲(おおよそ関東)にわたってセシウムの増加が見られました。
数値はこのブログの下に示しましたが、これがどの程度、危険なのかについて、昨夜から少し検討をしています。
結論としては、「普通の生活をしていても大丈夫だが、マスクをかけた方が安全」というもので、
期間は「ここ数日」と思われます。また、原因は「福島原発かまたは二次飛散」と考えられます。
もっとも大きな問題は、これほど急激に増えているのに、政府も報道もなにも言わないことです。
簡単でも良いから、たとえば
「セシウムの濃度があがっているが、この原因は***と考えられ、生活は***に注意すれば大丈夫」
ぐらいは説明して欲しいものです。何のための報道でしょうか?
・・・・・・データと簡単な説明・・・・・・・・・
概要はそんなものなのですが、具体的に検討してみます。まず、新しいデータを示します。
このデータは従来から福島県が文科省に報告し、文科省で整理して発表していたものと考えていますので、
福島県と言ってもよいし文科省と言ってもよいと思います。
つまらないことですが、今までの経緯を見ると、
福島の担当者と文科省の間では必ずしもデータのやりとりでうまくいっていなかったようです。
ときどき、福島のデータが届いていないということが文科省に乗っていたり、
文科省の計算間違いを福島県が指摘したりしているからです。
これがその表ですが、10月、11月とこの「定時降下物」は、福島はほとんど「検出せず・・・2ぐらい以下」で、
ときどき5から20ぐらいの値(すべて1日で1平方キロメートルあたりメガベクレル、これからは単にメガと言います。)がでています。
毎日の報告を一応、私の調べられる範囲で全部調べてみました。それから言うと、極端に高い値が暮れから正月にかけて出ています。
また、法律ではすべてを足すことになっていますが、ここでは数値を説明するのでセシウム137で話をします。
一度だけ、7月に数100メガというデータがありますが、一日だけであること、
そのデータは最初は数10メガで報告されていたのですが、
「間違っていた」と文科省が訂正した曰く付きのものです(最終的には700メガ)。
また、月平均での1日の降下量は4月の高いときが3000メガ、7月は150メガですから、
暮れから正月にかけて一気に7月まで戻ったということになります。
また土壌汚染が危険になるのはアルファ線がでていないものについての核種の合計で1平方メートルあたり4万ベクレルですから、
1月2日の状態が80日になると危険になるというレベルであることが判ります。
・・・・・・・・・対応・・・・・・・・・
1月5日のデータが少し下がりましたので、今後の状態によりますが、
1) 生活に注意が必要ですが、まずはここ1週間
2) このまま減ってこれば、普段の生活に戻って良い
3) 逃げる必要はない
4) 学校は少し開校を遅らすか、あるいは良く測定して子供を守る
5) 学校が開校したら、仕方が無いので子供に2,3日は注意させる
6) 食材や水に行くかどうかは今後のこと
ということです。また読むのに困難な方もおられますので、音声もつけました。
「takeda_20120107no.396-(9:27).mp3」をダウンロード
↑
とのことです。
◆http://grnba.com/iiyama/
飯山一郎『てげてげ』2012/01/06
◎(菌)なんの! これしき!
いま、ネットでは次の情報による騒ぎがひろがっている。
「文部科学省が1月6日に発表した福島県、並びに他県のデータは、
福島県および関東一円のセシウム降下量が、
事故後とほぼ同じぐらいのレベルに達している…」
この原因は…、
強い西風だったが、南々東からの一時的な突風で巻風になり、F1の死の灰が
海から内陸へと巻き込んだからだ。
ちょうどその時、F1が死の灰を平日よりも多量に吹き上げ、また、内陸各地に
積もっていた放射性物質を含む土埃(つちぼこり)も舞い上がったというワケ。
という説もある。 が、
手前は4号機の状態がかなり悪化しておるとの記事もあり、
厳重警戒が至当だと思う、とりわけ子どもには格別の配慮あるべきですよ。
「備えあれば憂いなし」といいますから。
北齋、二枚目、
「龍図」です。
話し変わり、
◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2012年 01月 06日
#さらに続きで、それいうとさ、今回、17年あまりも、よく逃げ回っておられたっていうか、
あと、オウム関連では、「高橋克也(齢53)と「菊池直子(齢40)」の2人の指名手配がおって、
今回タイホされた平田信のコレまでの供述では、
「ワシはずうーっと、国内におった。その2人とは、逃亡後、接点がなく、連絡は取っていない」ってことだよなあ。
ま、当然、この平田信を「匿っておったシンパ」がおって、しかるべきなんだが、
でも、オウムは一連の摘発で徹底的にヤラれて、残った連中も、
ほとんどは公安(=桜田門公安ブ&公安チョーさ庁)の監視対象になっておるからなあ。
だから、コイツはワシの超ウルトラC的な推理でしかないんだが(だから、ウラの取れたハナシではない)、
こんなもん、桜田門の公安ブの連中が小遣いを渡して、「わざと、逃がしておった」ってことはねえのかなあ。
こんな狭いニッポンでだな、あの「見たら、すぐ、110番!」の手配ポスターは、全国津々浦々、
どこに行っても貼ってあるのに、どうでもエエ、刑事ジケンのコロシとかならともかく、
天下の「公安ジケン」で、ココまで逃げ通せるかよ?
だって、オウムのジケンも、「おいしいブブン」は既に刑事サイバンになって、あらかた終わってしもうておるんだからさ、
コイツは公安連中が、「ソーサ費」を大蔵ショウに請求するための「リクツ」として、
わざと逃がしておったと違うんかいなあ。ココで「ソーサ費って、何ですか?」っていうシツモンが出てきそうだが、
まだ、正月で、ワシのアタマの中が休暇状態で、説明するのも面倒くさいんで、端折ることにする(笑)
#で、さらに続きで、今日(=1・6)発売の『フラッシュ』(1・17、24合併号)で、
その「平田信の逃走ルート」だが、オウムがチャーターした漁船で、室蘭からウラジオストクに密出国しておって、
そこから、露西亜や泰タイといったユーラシア縦断の旅に出ておったっていうハナシを「字」にしておったなあ。
っていうのは、露西亜には、オウムの連中が地下鉄サリンのジケンを引き起こす前から、イッパイ、信者がおったんだが、
麻原彰晃のタイホ後、99年から2000年にかけて、「ドミトリー・シガチョフ」を旗頭として、
露西亜人の信者の中でも、ま、ハネ上がった連中だろうなあ。そいつらが、トカレフやカラシニコフといった拳銃も用意して、
「麻原奪還作戦」を立てて、ニッポンにもワサワサと出入りしておったってんだよな。
ま、このシガチョフらは、KGBの後釜であるFSBによってタイホされたんで、
その麻原奪還作戦は、未遂に終わったんだが、その取り調べの供述で、いろいろと喋った中に、
その「平田の逃走バナシ」もあったってんだよなあ。
『フラッシュ』の記事では、どういうルートかは知らんが、猿岩石みたいにヒッチハイクしておったんぢゃあねえだろうけど、
「ユーラシア縦断」と称して、いろんな国に出没しておったってことで、泰では、ゲストハウスに滞在しておって、
そこでビールを飲んでおったっていうのが目撃されとるってんだよなあ。
確かに、漁船を使うて、室蘭からウラジオストクに抜けた可能性はあると思うが、ただ、「そこから先」だわなあ。
ニッポン国のパスポートも持っておらんのに、いったい、どうやって、第三国に抜けることができたのか、だな。
もし、それが事実であれば、北のわがままおやぢんところで、コーサク員をヤラされておったよど号の連中のように、
国家キカンに抱き込まれて、「偽造パスポート」を持たされておらなければ、ゼッタイに不可能だからな。
だから、もし、今度の『フラッシュ』のハナシが事実とすれば、FSBがオウムの連中を抱き込んでおったっていうことになるが、
しかし、オウムは露西亜の国内でも、かなり早い段階から、「監視対象」になっておったと違うんか?
ましてや、麻原がタイホされた後だろ。うーむ、いかにも公安ジケンらしい、奇っ怪とでもいうのか、
魑魅魍魎としたハナシが、ウヨウヨと出てき始めておるなあ(笑)
↑
はて、さて? オウム事件には、とんでもない裏がある、これ間違い無しだ。
(かつしか ほくさい、1760年 〜 1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「七福神図 合筆」です。 (珍しい)
追加です!
◆http://takedanet.com/2012/01/post_d320.html
武田邦彦(平成24年1月7日)
◎緊急速報 急なセシウムの増加はどのぐらい危険か?
011年暮れから新年にかけて福島を中心として比較的広い範囲(おおよそ関東)にわたってセシウムの増加が見られました。
数値はこのブログの下に示しましたが、これがどの程度、危険なのかについて、昨夜から少し検討をしています。
結論としては、「普通の生活をしていても大丈夫だが、マスクをかけた方が安全」というもので、
期間は「ここ数日」と思われます。また、原因は「福島原発かまたは二次飛散」と考えられます。
もっとも大きな問題は、これほど急激に増えているのに、政府も報道もなにも言わないことです。
簡単でも良いから、たとえば
「セシウムの濃度があがっているが、この原因は***と考えられ、生活は***に注意すれば大丈夫」
ぐらいは説明して欲しいものです。何のための報道でしょうか?
・・・・・・データと簡単な説明・・・・・・・・・
概要はそんなものなのですが、具体的に検討してみます。まず、新しいデータを示します。
このデータは従来から福島県が文科省に報告し、文科省で整理して発表していたものと考えていますので、
福島県と言ってもよいし文科省と言ってもよいと思います。
つまらないことですが、今までの経緯を見ると、
福島の担当者と文科省の間では必ずしもデータのやりとりでうまくいっていなかったようです。
ときどき、福島のデータが届いていないということが文科省に乗っていたり、
文科省の計算間違いを福島県が指摘したりしているからです。
これがその表ですが、10月、11月とこの「定時降下物」は、福島はほとんど「検出せず・・・2ぐらい以下」で、
ときどき5から20ぐらいの値(すべて1日で1平方キロメートルあたりメガベクレル、これからは単にメガと言います。)がでています。
毎日の報告を一応、私の調べられる範囲で全部調べてみました。それから言うと、極端に高い値が暮れから正月にかけて出ています。
また、法律ではすべてを足すことになっていますが、ここでは数値を説明するのでセシウム137で話をします。
一度だけ、7月に数100メガというデータがありますが、一日だけであること、
そのデータは最初は数10メガで報告されていたのですが、
「間違っていた」と文科省が訂正した曰く付きのものです(最終的には700メガ)。
また、月平均での1日の降下量は4月の高いときが3000メガ、7月は150メガですから、
暮れから正月にかけて一気に7月まで戻ったということになります。
また土壌汚染が危険になるのはアルファ線がでていないものについての核種の合計で1平方メートルあたり4万ベクレルですから、
1月2日の状態が80日になると危険になるというレベルであることが判ります。
・・・・・・・・・対応・・・・・・・・・
1月5日のデータが少し下がりましたので、今後の状態によりますが、
1) 生活に注意が必要ですが、まずはここ1週間
2) このまま減ってこれば、普段の生活に戻って良い
3) 逃げる必要はない
4) 学校は少し開校を遅らすか、あるいは良く測定して子供を守る
5) 学校が開校したら、仕方が無いので子供に2,3日は注意させる
6) 食材や水に行くかどうかは今後のこと
ということです。また読むのに困難な方もおられますので、音声もつけました。
「takeda_20120107no.396-(9:27).mp3」をダウンロード
↑
とのことです。
◆http://grnba.com/iiyama/
飯山一郎『てげてげ』2012/01/06
◎(菌)なんの! これしき!
いま、ネットでは次の情報による騒ぎがひろがっている。
「文部科学省が1月6日に発表した福島県、並びに他県のデータは、
福島県および関東一円のセシウム降下量が、
事故後とほぼ同じぐらいのレベルに達している…」
この原因は…、
強い西風だったが、南々東からの一時的な突風で巻風になり、F1の死の灰が
海から内陸へと巻き込んだからだ。
ちょうどその時、F1が死の灰を平日よりも多量に吹き上げ、また、内陸各地に
積もっていた放射性物質を含む土埃(つちぼこり)も舞い上がったというワケ。
という説もある。 が、
手前は4号機の状態がかなり悪化しておるとの記事もあり、
厳重警戒が至当だと思う、とりわけ子どもには格別の配慮あるべきですよ。
「備えあれば憂いなし」といいますから。
北齋、二枚目、
「龍図」です。
話し変わり、
◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2012年 01月 06日
#さらに続きで、それいうとさ、今回、17年あまりも、よく逃げ回っておられたっていうか、
あと、オウム関連では、「高橋克也(齢53)と「菊池直子(齢40)」の2人の指名手配がおって、
今回タイホされた平田信のコレまでの供述では、
「ワシはずうーっと、国内におった。その2人とは、逃亡後、接点がなく、連絡は取っていない」ってことだよなあ。
ま、当然、この平田信を「匿っておったシンパ」がおって、しかるべきなんだが、
でも、オウムは一連の摘発で徹底的にヤラれて、残った連中も、
ほとんどは公安(=桜田門公安ブ&公安チョーさ庁)の監視対象になっておるからなあ。
だから、コイツはワシの超ウルトラC的な推理でしかないんだが(だから、ウラの取れたハナシではない)、
こんなもん、桜田門の公安ブの連中が小遣いを渡して、「わざと、逃がしておった」ってことはねえのかなあ。
こんな狭いニッポンでだな、あの「見たら、すぐ、110番!」の手配ポスターは、全国津々浦々、
どこに行っても貼ってあるのに、どうでもエエ、刑事ジケンのコロシとかならともかく、
天下の「公安ジケン」で、ココまで逃げ通せるかよ?
だって、オウムのジケンも、「おいしいブブン」は既に刑事サイバンになって、あらかた終わってしもうておるんだからさ、
コイツは公安連中が、「ソーサ費」を大蔵ショウに請求するための「リクツ」として、
わざと逃がしておったと違うんかいなあ。ココで「ソーサ費って、何ですか?」っていうシツモンが出てきそうだが、
まだ、正月で、ワシのアタマの中が休暇状態で、説明するのも面倒くさいんで、端折ることにする(笑)
#で、さらに続きで、今日(=1・6)発売の『フラッシュ』(1・17、24合併号)で、
その「平田信の逃走ルート」だが、オウムがチャーターした漁船で、室蘭からウラジオストクに密出国しておって、
そこから、露西亜や泰タイといったユーラシア縦断の旅に出ておったっていうハナシを「字」にしておったなあ。
っていうのは、露西亜には、オウムの連中が地下鉄サリンのジケンを引き起こす前から、イッパイ、信者がおったんだが、
麻原彰晃のタイホ後、99年から2000年にかけて、「ドミトリー・シガチョフ」を旗頭として、
露西亜人の信者の中でも、ま、ハネ上がった連中だろうなあ。そいつらが、トカレフやカラシニコフといった拳銃も用意して、
「麻原奪還作戦」を立てて、ニッポンにもワサワサと出入りしておったってんだよな。
ま、このシガチョフらは、KGBの後釜であるFSBによってタイホされたんで、
その麻原奪還作戦は、未遂に終わったんだが、その取り調べの供述で、いろいろと喋った中に、
その「平田の逃走バナシ」もあったってんだよなあ。
『フラッシュ』の記事では、どういうルートかは知らんが、猿岩石みたいにヒッチハイクしておったんぢゃあねえだろうけど、
「ユーラシア縦断」と称して、いろんな国に出没しておったってことで、泰では、ゲストハウスに滞在しておって、
そこでビールを飲んでおったっていうのが目撃されとるってんだよなあ。
確かに、漁船を使うて、室蘭からウラジオストクに抜けた可能性はあると思うが、ただ、「そこから先」だわなあ。
ニッポン国のパスポートも持っておらんのに、いったい、どうやって、第三国に抜けることができたのか、だな。
もし、それが事実であれば、北のわがままおやぢんところで、コーサク員をヤラされておったよど号の連中のように、
国家キカンに抱き込まれて、「偽造パスポート」を持たされておらなければ、ゼッタイに不可能だからな。
だから、もし、今度の『フラッシュ』のハナシが事実とすれば、FSBがオウムの連中を抱き込んでおったっていうことになるが、
しかし、オウムは露西亜の国内でも、かなり早い段階から、「監視対象」になっておったと違うんか?
ましてや、麻原がタイホされた後だろ。うーむ、いかにも公安ジケンらしい、奇っ怪とでもいうのか、
魑魅魍魎としたハナシが、ウヨウヨと出てき始めておるなあ(笑)
↑
はて、さて? オウム事件には、とんでもない裏がある、これ間違い無しだ。