画は 葛飾 北斎 (葛飾 北齋) かつしか ほくさい
宝暦10年(1760)? ~ 嘉永2年(1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「快晴の不二」です。
☆曇り。
売国奴の DNA、
◆http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-548505.html
植草一秀の『知られざる真実』
2020年1月22日 (水)
◎岸信介内閣から 安倍晋三内閣至る 傀儡政権の系譜
日米安保条約改定調印から 60年が経過し、安倍内閣は1月19日、
外務省飯倉公館で記念行事を開いた。
60年前の1月19日、岸信介首相は国内の猛反対を無視して
米国ワシントンで 改定日米安保条約に調印した。
当時の米国大統領がアイゼンハワー。
19日の行事には開かれた式典に、
安倍内閣はアイゼンハワー元大統領の孫娘 まで招いた。
1957年に岸信介首相は訪米し、アイゼンハワー大統領とゴルフをした。
安倍首相は自分がトランプ大統領と4回ゴルフをしたことを
自慢するかのように話した。
私たちは 日本の現実を 冷静に見つめる必要がある。
主権者の多数が暴政だと判断する安倍政治が
長期政権になっているのは、日本の支配者米国が この内閣を支配し、
利用しているからだ。
日本は 第二次大戦で敗北した。
それ以来、日本は 米国に支配され続けてきた。
米国に隷従する政権は長期政権となり、
米国にものを言う政権は 短命に終らされてきた。
この厳然たる事実を 冷静に見つめなければならない。
1957年に岸信介氏が首相の地位に上り詰めた背景に
米国の介入があった。
岸信介氏は 1945年9月15日にA級戦犯容疑で逮捕、収監された。
その岸氏は、満州時代の盟友・東条英機が 絞首刑で処刑された翌日の
1948年12月24日に 不起訴処分で釈放された。
そして、わずか9年も経たずして岸氏は
日本の首相に就任し、日米安保条約改定を強行した。
東条英機氏は絞首刑に処せられたが、岸信介氏はGHQによって
助命され、首相の地位に上り詰めた。
その背後に、米国と岸氏との間の取引があった と見られる。
米国のエージェントとして活動することと引き換えに 助命され、さらに、
首相の地位にまで押し上げられた と考えられる。
1956年12月に 鳩山一郎首相が 日ソ国交回復を花道に辞任した際、
米国は 岸信介氏の首相就任を望んだ。
春名幹男氏は著書『秘密のファイル CIAの対日工作』に
英国外交秘密文書 に記された事実を明らかにしている。
英国外交文書に、当時の米国国務省北東アジア部長のハワード・パーソンズ氏
の言葉を引用した以下の記述がある。
「アメリカは、岸が 石橋にブレーキをかけることができるだろう、
と期待している。いずれ、最後には岸が首相になれるだろうし、
『ラッキーなら 石橋は長続きしない』とパーソンズは言った。」
この「予言」通り、1956年12月23日に発足した石橋湛山内閣は
わずか2ヵ月後 の1957年2月23日に総辞職し、
岸信介氏に政権を禅譲した。
石橋首相は軽い脳梗塞で2ヵ月の療養が必要と診断された
ことを受けて首相を辞任した。
石橋湛山氏は 昭和初期に『東洋経済新報』で、
暴漢に狙撃され「帝国議会」への出席ができなくなった当時の
濱口雄幸首相に対して 退陣を勧告する社説を書いたことがあった。
この言説との整合性 を重んじて首相の地位を辞した。
石橋首相の体調異変の背景に 米国の画策があったのではないか
と疑われる。
石橋湛山氏は米国に対しても 堂々とものを言う稀有の政治家であった。
米国は このような日本の首相を潰す。
他方で、米国の命令に服従する日本の為政者を 徹底支援する。
米国が岸信介氏に求めたことは 日米安保条約の片務性の解消だった。
改定安保条約第5条に 米国の義務が定められたが、
日本は米軍のための軍事出動ができない。
この点を踏まえて 改定安保条約では、
第6条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全
の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が
日本国において施設及び区域を使用することを許される。
が定められた。
日本の基地を 米軍が自由に利用できる権利 が付与された。
米国には1948年のバンデンバーグ決議が存在する。
地域的・集団的防衛協定における「相互主義」を定めたものだ。
日本が米国のために軍事出動を行わないなら、
米国は日本のために軍事出動を行わないというものだ。
この状況下で、米国は日本の再軍備を強要し、
集団的自衛権の行使を容認するように 圧力をかけ続けてきた。
その命令に従ったのが岸信介氏の孫である 安倍晋三氏である。
北齋、二枚目、
「元禄歌仙貝合 丹頂鶴」です。
承前 同旨、 より詳しく、
◆https://lite-ra.com/2020/01/post-5214.html
リテラ 2020.01.19
◎安倍首相が「日米安保改定 60年」 で祖父自慢 連発!
ならば教えよう、岸信介がA級戦犯逃れるために 米国の手先となった証拠
きょう、メディアがやたらお祝いモードで報じていた「日米安保条約改定60年」。
当時、首相だった安倍首相の祖父・岸信介が 国内の猛反対を力ずくで押し切り、
ホワイトハウスでアイゼンハワー大統領とともに改定安保条約に署名してから、
19日でちょうど60年経つらしい。
外務省の飯倉公館では記念レセプションが開かれ、安倍晋三首相も出席。
「いまや日米安保条約は、いつの時代にもまして不滅の柱」、
「世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱」
「これからは宇宙やサイバースペースの 安全、平和を守る柱として
同盟を充実させる責任が私たちにはある」
などとあいさつしたと報道されている。
米国の言いなりになるだけの 一方的な従属関係、
不平等な日米地位協定を放置したまま でいったい何を言っているのか
という感じだが、さらに呆れたのは、またぞろこの坊ちゃん総理大臣が
“おじいちゃん コンプレックス” を全開にしたことだ。
米国大使やアイゼンハワー大統領の孫を前に、安倍首相はまず
「メアリさん、私たちの祖父は ゴルフで友情を育てました」と切り出し、
岸から聞かされたという“日本の首相としてはじめて
アメリカで大統領とゴルフをしたときの自慢話”
をとうとうと語り始めたのだ。
そのあげく、「わたしは もう4回、トランプ大統領とゴルフをした。
これも日米同盟深化の証拠」などと “ゴルフ”に
無理やり共通点を見出す始末。
さらに、今後の日米同盟について触れる際にも、岸が安保改定のあいさつで
「これから始まる新たな100年、両国にさらなる信頼と協力あれ」
と念じたことを紹介し「当時の祖父と同じ年齢に達した私は
同じ誓いをささげようと思う」となどと、
また“おじいちゃん”を持ち出した。
とにかく、安倍首相は安保改定を強行したおじいちゃんのことを
自慢したくてしようがないらしいが、しかし、岸信介が60年前、
日米安保条約の改定を強行したのは、日本の安全保障や
両国の「信頼・協力の構築」のためなどではない。
A級戦犯として拘留されていた岸は なぜか起訴を免れ釈放されるが、
“米国の手先”となる裏取引 に応じたためといわれる。
そして、総理大臣となって、米国の極東戦略のために
日本を差し出すような条項が含まれた 安保条約改定を押し切ったのだ。
言っておくが、これは陰謀論などではない。
岸と米国のただならぬ関係については、戦前の不可解な動き、獄中での裏取引、
さらには戦後のCIAからの資金提供まで、さまざまな証言や資料が残されており、
回顧録や評伝、国際問題の研究書などにも記されている。
本サイトは、以前、こうした文献や出版物を紹介しながら、
安倍首相の祖父である岸信介が戦後、何をやったのか、
そして安倍首相がいまやっていることが
いかに、“おじいちゃん”とつながっているか、
さらに安倍首相のなかにある “2つのアメリカ”について
指摘したことがある。
政府や御用マスコミがから騒ぎしている「日米安保条約改定60年」にあわせ、
その記事を再録するので、ぜひ読んでほしい。
(編集部)
☆安倍首相の「安保法制」妄執の背景に、
敬愛する祖父・岸信介がA級戦犯を逃れるため 米国と交わした裏取引きが!
安倍晋三首相が愛してやまない祖父、岸信介は1945(昭和20)年9月15日に
A級戦犯容疑で逮捕される。
当時は誰もが岸は有罪とみていた。それはそうだろう。
満州官僚時代に軍部と結託してアヘン取引に手を染め、
アヘンを求めて中国領土を侵す軍を バックアップし続けた。
取引で得た巨額の利益を戦費に回し、一部を政治資金として活用して
軍国主義者の象徴といえる東条英機を 首相にまで昇りつめさせた。
さらには東条の片腕として商工大臣、軍需次官を務め、
国家総動員体制、大東亜共栄圏の自給自足体制の確立を遂行するなど、
戦時日本の寵児として辣腕を振るった。
岸が戦争遂行の中枢にいた ことは疑いようがない。
そんな岸を戦勝国が犯罪者リストから外すわけがない のである。
にもかかわらず、岸は満州時代の盟友・東条英機の絞首刑が執行された翌日の
1948(昭和23)年12月24日に不起訴処分で釈放された。
東条の絞首刑と 岸の生還、明暗を分けたというには余りにも
落差の大き過ぎる結末だった。
あるいは岸の満州時代の上司であり、東条内閣では内閣書記官長として
共に支えてきた星野直樹は終身禁固刑に処せられた。
満州では岸は星野よりはるかに手を汚し、閣僚として戦争遂行にかかわった度合いも、
岸のほうが大きかったはずである。
当然、研究者やジャーナリストにとってもこの処遇の違いは
興味の対象となる。 岸はなぜ、戦犯を逃れたのか。
ひとつは、岸がもともと用意周到で なかなか尻尾がつかめない存在である
ことがあげられるだろう。 有名な「濾過器発言」にその片鱗が垣間見られる。
岸は1939(昭和14)年10月に 満州を離任する際、
数人の後輩たちを前にこう語っている。
「政治資金は 濾過器を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。
問題が起こったときは、その濾過器が事件となるのであって、
受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、
かかわりあいにならない。 政治資金で汚職問題を起こすのは
濾過が不十分だからです」
要は、証拠を残すなということであり、
嫌疑に対して敏感になれ ということでもある
(実際、岸は 東条内閣時代に書いた書類を すべて焼却してしまっている)。
だが、それだけでは訴追はまぬがれない。
岸はアメリカに対して具体的な“工作”を行っていた。
そのひとつは再びアヘン絡みの話だ。
東海大学名誉教授、太田尚樹氏の著書
『満州裏史 甘粕正彦と岸信介 が背負ったもの』(講談社文庫)
に元ハルピン特務機関員の田中光一のこんな証言が載っている。
「ま薬はどこの国でも最大の関心事でした。
もちろん、アメリカだってそうです。
戦後、GHQが克明に調査して関係者に尋問したのに、
まったくと言っていいほど処罰の対象に指定しなかったのは、
不思議だと思いませんか。
あれは明らかに、情報提供の代償となったからです。
甘粕はもうこの世にいませんでしたが、里見、岸なんかが
無罪放免になったのは、そのためなんです。
エッ、東条にはどうかって? 彼は 直接戦争責任に結びつく訴因が多過ぎて、
GHQは 阿片の件で取り調べるだけの時間がなかったのです。
アメリカは 裁判を急いでいましたからね」
証言に出てくる「里見」とは、里見甫のことだ。
「アヘン王」と呼ばれた陸軍の特務機関員で、
上海を拠点にアヘン取引を仲介していた。
岸とアヘンの関わりを調べる中で繰り返し出てくる名前でもある。
千葉県市川市にある里見の墓の墓碑銘を揮毫したのが岸だった
ことは前回、紹介した。
その里見も戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されている。
そして、田中の証言通り、不起訴者リストの中に「里見甫」の名前は載っていた。
つまり、岸や里見は アメリカにアヘン情報を提供する見返りに
戦犯訴追を免れた というわけだ。
もうひとつ、岸には戦争責任逃れのための「東条英機裏切り」工作
というのも指摘されている。
満州の関東憲兵隊司令官だった東条英機が中央に戻り、
陸軍次官、陸軍大臣、首相へと上り詰める原動力になったのが、
岸がアヘン取引で得た豊富な資金だったことは前回書いた。
岸は東条内閣を商工大臣、軍需次官として支え、戦争を主導した。
ところが戦争末期にこの仲が決裂する。
それどころか、岸 VS 東条 の対立が もとで内閣が崩壊してしまったのだ。
毎日新聞に掲載された「岸信介回顧録」(1977年5月11日付)によれば、
岸は〈サイパン陥落のあと 「この戦争の状態をみると、
もう東条内閣の力では どうしようもない。だからこの際 総理が辞められて、
新しい挙国一致内閣をつくるべきだ」ということでがんばった〉という。
そして、東条内閣は瓦解。下野した岸は郷里に帰り、
防長尊攘同志会をつくって、引き続き「打倒 東条」の政治活動を続けた。
この一連の行動について毎日新聞記者だった岩見隆夫氏が
非常に興味深い証言を採取している。
証言の主は満州時代の岸の部下だった 武藤富男だ。
武藤は東条内閣が崩壊した直後の昭和19年7月、
岸とともに満州を牛耳った「二キ 三スケ」
(東条英機、星野直樹、岸信介、鮎川義介、松岡洋右
の語尾をとってこう言った)の一人、星野直樹(前出、A級戦犯)を訪ねた。
〈その折、星野は 武藤にこんなつぶやきをもらしている。
「岸は 先物を買った」
「どういう意味ですか」
「東条内閣を 岸がつぶしたということだ」
しかし、どうして先物買いになるかについて星野は語ろうとしなかった。
「戦後、再び星野さんに会ったとき、もう一度
『先物を買ったというのは、岸さんが敗戦を予期していた
ということなのですか、それとも戦犯を免れるため という事まで考えて
岸さんは東条内閣をつぶした とあなたは見通したのですか』
と問い質してみたのですが、相変わらず、星野さんは黙したまま
答えてくれませんでした」
と武藤はいった〉(岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』中公文庫)
この「先物買い」というのはまさに、敗戦を見込んで、
わざと東条と反目したということだろう。
前出の太田尚樹も 同じ見方をしている。
〈打倒東条は 国難の打開、つまり国家のためという大義名分が
成り立つ一方で、戦犯を逃れることはできないまでも、
連合軍から大きなポイントを稼ぐことができる と読んでいた〉
〈満州以来の 二人の関係は、刎頚の友といった関わりではなく、
結局は、互いに利用し合っていただけだった〉
〈つまり東条は 岸の頭脳と集金力を利用し、岸は陸軍を利用しなが
権力の座を目指したが、その陸軍の頂点に、権力の権化と化した東条がいた。
だがアメリカ軍の攻勢の前に、東条の力など見る影もなくなってきている。
こんな男と便々とつるんだまま、一緒に地獄に落ちるのは ご免である〉
(前掲『満州裏史』)
この変わり身の早さこそ岸の真骨頂といえるが、
さらに、岸には獄中で、もっと重大なアメリカとの政治的取引を行っていた
のではないか、との見方がある。
その取引が、岸を訴追から救い、そして戦後、内閣総理大臣に押し上げた
最大の理由ではないか、と──。
それが何かを語る前に、戦後アメリカの対日政策には2つの流れがあった
ことを指摘しておく必要がある。
ひとつは民政局(GS)に代表されるニューディーラーを中心としたリベラル勢力で、
日本国憲法の素案づくりにも携わった。
民主化を徹底する立場から旧指導者への処分も容赦がなかった。
もうひとつは治安を担当する参謀本部第2部(G2)を中心とした勢力で、
対ソ連、対中国戦略を第一に考える立場から、
日本を再び武装化して“反共の砦”に育て上げようと考えていた。
GHQ内部ではこのふたつの勢力が 対立していた。
占領当初は GSの力が強かったが、米ソ冷戦が本格化するにつれて
「反共」のG2が 「対日懲罰」のGSを 凌駕するようになる。
こうした流れの中で、G2は 巣鴨拘置所に拘留されていた岸との接触をはじめた。
再び、前回紹介した原彬久氏の 『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書)を引く。
〈G2 およびこれと連携する人脈が獄中の岸と接触していたことは、確かである。
例えばGHQ経済科学局のキャピー原田は、巣鴨の岸から
「戦後復興」問題でたびたび意見を聞き、しかも原田みずから
上司のマーカット少将に「岸釈放」を説いている(朝日新聞、平成六年九月二二付)。
いずれにしても、こうした文脈を抜きにしては、岸が不起訴、無罪放免となって
いよいよ戦後政治の荒涼たる舞台に放たれるその道筋は理解できないだろう〉
G2は実際、1947(昭和22)年4月24日付で最高司令官のマッカーサー宛に
岸の釈放を求める異例の「勧告」まで出している。
獄中で岸は アメリカとどんな取引をしたのだろう。
自らの命のためなら かつての盟友を売る男である。
いったい何と引き換えに、無罪放免を勝ち取ったのか。
これについては「週刊朝日」(朝日新聞出版)2013年5月24日号が
渾身のリポートを掲載している。
〈「星条旗」の下の 宰相たち〉というシリーズの〈第3回「ストロングマン」〉。
筆者は同誌の佐藤章記者だ。
まず、岸はアメリカにとってどういう存在だったのか。 同記事を引く。
〈戦後の米国のアジア政策は、米国の国益を守ってくれそうな、
その国における「ストロングマン」を探し出すことから始まる。
韓国における李承晩、台湾における蒋介石がその典型だ。
日本においては吉田茂であり、鳩山一郎、緒方竹虎と続いて、
1950年代半ばに 岸の番が巡ってきた〉
では、岸に与えられたミッション は何だったのか。
〈(日本国憲法)第9条があるために 日本は自衛目的以外の軍隊が持てず、
米国との相互的な防衛能力を保有できなかった。
つまり、米国が攻撃を受けても日本は援軍を出すことができない。
さらに言えば、米国の軍事戦略に乗っかる軍隊 を持つことができない。
この相互防衛の考え方が、集団的自衛権の解釈として、
1951年の旧日米安保条約締結以来、日米間の問題となった〉
まさにいまの安倍政権が強引に進める新安保法制につながる話だ。
この問題解決こそ、岸がアメリカから言われた最大のミッションで、
そのために最初に着手したのが〈「建設的 勢力」の結集〉
つまり保守合同だ。 では、カネはどうしたのか。
前出の佐藤記者は 米アリゾナ州ツーソンに飛んだ。
アリゾナ大学歴史学研究室のマイケル・シャラー教授に会うためだ。
シャラー教授は米国務省の歴史外交文書諮問委員会委員を務め、
非公開資料にも目を通すことができる。
以下、佐藤記者によるインタビューだ。
〈――岸元首相に対してCIAから資金提供があった という話をどう思いますか?
「そういう証拠はあると思う。賄賂的な意味合いよりは、
派閥の運動資金や政治キャンペーン資金というような形で提供された
と理解している」
――資金はどのような形で渡されたのでしょうか?
「当時、CIAから経済団体や企業を通じて 岸のほうに資金が流れた
という記述を米国側の書類で私は目にしたことがある」〉
(前同「週刊朝日」より)
これについては、CIAから自民党への秘密献金をスクープした
ニューヨークタイムズのティム・ワイナー記者も、
その著書『CIA 秘録』(日本版は文藝春秋)でこう断言している。
〈CIAは 1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。
しかし世界の有力国で、将来の指導者を CIAが選んだ最初の国は日本だった〉
〈釈放後 岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、
日本の首相の座までのぼりつめるのである〉
岸は、日本におけるアメリカの国益を実現するため、
アメリカによって選ばれ、アメリカの資金でつくられた首相だった
ということだ。A級戦犯容疑者の身か らわずか9年、
公職追放解除からたった5年足らずで 政界トップに上り詰めた秘密
がここにある。
その岸が首相在任中にアメリカに言われてやった最大の仕事は、
言うまでもなく日米安保条約の改定だ。
一般に、旧安保条約では 日本がアメリカに基地を提供する一方で
アメリカの日本防衛義務が明記されていない との批判があったが、
新条約ではそれを盛り込ませることができたと評価されている。
だが、アメリカの狙いはそこではなかった。
佐藤記者はこう書いている。
〈新条約は 5条で米国の日本防衛義務を盛り込んだが、続く6条で、
米国のアジア戦略のために在日米軍を利用できる 「極東条項」が組み込まれた。
米国の本音を明確にした条項だ〉
しかもこの「極東条項」の「極東」の範囲が明確でなく、
アメリカは 日本の基地を好き勝手に使えるようになった。
事実、新安保条約締結から50年以上経つが、
米軍が日本防衛のために出動したことは唯の一度もない。
反対に、米軍がアメリカの戦争のために 日本の基地を自由に使うことは
日常化している。安保条約改定が誰の指示よるものだったか がわかるだろう。
佐藤記者はこうした事実をさらに裏付けるため米ワシントン郊外にある
米国国立公文書館別館を訪ねる。
そこでCIAが作成した「岸信介」のファイルの閲覧を請求し、
驚くべき事実と遭遇する。
なんと、CIAのファイルには たった5枚の資料しか入っていなかったのだ。
他の A級戦犯容疑者についてはたとえ不起訴でも
膨大な資料が残されている。
例えば、緒方竹虎は1000枚近く、正力松太郎は500枚ほど。
しかし、岸はたったの5枚しかない。
これは明らかに異常だ。
実は、岸に関するCIA資料はほとんどがまだ秘密指定を解除されていない
のだという。つまり、岸とアメリカの関係はいまだに表に出せない内容
が含まれているとアメリカが判断しているということなのだ。
それは、アメリカの対日占領政策が まだ継続中だということでもある。
しかし、こうした歴史を振り返ると、いま現在の
安倍政権がやろうとしていることの謎が解けてくる。
Q:安倍首相はなぜ、集団的自衛権行使に あそこまでこだわるのか?
A:おじいちゃんが不起訴の見返りに アメリカと約束したことだから。
Q:安倍首相はなぜ、日本国憲法を「みっともない」 と毛嫌いするのか?
A:おじいちゃんを助けてくれたG2と 敵対する人たちがつくった憲法だから。
Q:安倍首相はなぜ、改憲しようとしているのか?
A:それも、おじいちゃんが不起訴の見返りに アメリカと約束したことだから。
Q:安倍首相はなぜ、沖縄の「屈辱の日」 をお祝いしようとするのか?
A:おじいちゃんの公職追放が やっと解除された記念の日だから。
Q:安倍首相はなぜ、「侵略」や「おわび」や「反省」をためらうのか?
A:あの戦争はおじいちゃんも深く関わった 自存自衛の聖戦だから。
そう。新安保法制も改憲も、すべては、おじいちゃん、
岸信介とつながっているのだ。
そういえば、安倍首相はそのアメリカ観も、岸信介に強い影響を受けている。
安倍首相の中には「良いアメリカ」と「悪いアメリカ」、2つのアメリカがある。
「良いアメリカ」は、おじいちゃんを救ってくれた。
戦前の日本の旧指導者にも寛容だったアメリカ。
一方、「悪いアメリカ」は 日本に憲法9条や主権在民、人権尊重などを
押し付け、戦前の日本の旧指導者を “悪”と決めつけたアメリカ。
だから、安倍首相は「『悪いアメリカ』が押し付けた戦後レジームからの脱却」
を主張しながら、「『良いアメリカ』の戦争に 自衛隊を捧げる」
安保法制を強行することに 矛盾を感じない。
いずれにしても、たった一人の政治家のグロテスクな
“おじいちゃん コンプレックス”によって、
日本は今、国のかたちを大きく変え、アメリカの戦争に引きずり込まれよう
としているのだ。
我々は そのことの異常性と恐ろしさを 本気で認識すべきだろう。
(野尻民夫)
北齋、三枚目、
「鳥越の不二」です。
よく憶えておりますが、「日中国交回復 キャンペーン」 が凄まじかった、
人民服着て 自転車乗った 勤勉質素な民族 云々 皆 騙されたw
◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1006.html
東海アマブログ 2020年01月22日 (水)
◎私は 中国が好きだった ……
より抜粋、
私は、中国史に興味を持ち、第二次世界大戦後の中国にも
大きな希望を抱いたことがある。
私は、ちょうど高校生になったころ、毛沢東や周恩来の率いた
中国人民解放軍の姿に夢中になった。
同級生の女子がタイガーズの沢田研二に夢中になっていたころである。
新島淳良の「星火燎原」という本があって、抗日戦線の英雄物語なのだが、
読んでいるうちに、すっかり中国派になってしまい、
私は、毛沢東バッジをつけて、紅衛兵の真似をして
ベトナム反戦デモに出るまでになった。
このときには、文化大革命が、一種のジェノサイドであったことも、
毛沢東がまともな人格者でない奇矯な人物であることも理解できず、
ひたすら中国革命を信奉し続けた。
しかし、大英雄だった林彪が毛沢東に殺されたころ、「何か変だな……」と、
毛沢東に疑問を持つようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/林彪
やがて心から尊敬していた、周恩来も、毛沢東の指示により
病気治療を拒否されて死んだ ことも知り、私の中国熱は一気に醒めて、
中国共産党に大きな不信感を抱くようになった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-223.html
結局、文革が 革命とは縁遠い権力闘争の大虐殺だった
ことを知った頃から、私は、いずれ中国がとんでもない 世界のヤクザ国家
になる予感がしていて、やがて、実際にそうなった。
中国社会が、見せかけの正義の裏側に、とんでもなく恐ろしい強欲の修羅場
が成立していることを思い知らされたのは、
尊敬していた郭沫若や荘則東が迫害されて死んでいったころで、
もう、彼らは人類の癌細胞として滅亡させるしかない と思うようになった。
いったい、どうすると、こんな残虐な行為を平然と実行できるのか?
と考えると、蒋介石が命令した「通州事件」の光景が、まず浮かぶ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/通州事件
通州工場は、里見甫や二反長音蔵らが作った アヘン・ヘロイン製造工場だった。
中国には、青幇・紅幇という歴史的なヤクザ組織(秘密結社)があって、
アヘンの販売利権を持っていた。
そこに日本軍属・里見甫らが割り込んで 麻薬販売を公然と始めたので、
利権を侵された青幇が激怒し、頭目であった蒋介石の指令で、
口にすることもためらうほどの凄まじい残虐な通州大殺戮を行ったのだ。
これは、後に、日本軍によって 南京大虐殺という形で報復を受けている。
実は、法輪功大虐殺を命令した江沢民も 青幇の頭目だといわれている。
こうした無残な人間性破壊は、青幇など秘密結社の 常套手段である。
中国の支配階級に流れるのは、袁世凱・蒋介石・江沢民らに
受け継がれてきた 残虐な独裁弾圧の血 である。
これを思想的に解析すれば、もちろん孔子に始まる儒教思想から派生した
権力主義なのだが、中国では、権力の行使とは、すなわち暴力の行使である
ことを理解しなければならない。
もの凄い数の人の前で 説得力があるのは大虐殺だけ ということかもしれない。
パールバックの大地のなかに、凄まじい 蝗害描写 が出てくるが、
中国史におけるダイナミズムとは、人間の大量死のダイナミズムである。
大きな飢饉がやってくれば、中国人は、百万という単位で
大規模に死んでゆくのだ。
遺体は放置されたまま累々と積まれ、そこは骨塚となる。
中国の古都の城壁を壊すと、ほとんど、もの凄い数の人骨が現れるといわれる。
この意味で、大躍進・文革における1億人に迫るほどの大虐殺と、
法輪功の大虐殺、そして今起きているウイグル大虐殺も、
中国史のダイナミズムの反映である といえなくもない。
中国では、豊かになれば 人口が一気に増え、
貧しくなれば、とんでもない大量死 が起きる。
習近平の行動原理を見ていると、彼が、古代英雄譚の秦の始皇帝や、漢祖劉邦
をトレースしようとしている意思が鮮明に見える。
始皇帝政は、生涯を全力疾走し、走りながら死んだ=
弁慶の立ち往生が「走り往生」になったような人物だった。
だから、習近平のビジョンである一帯一路や南水北調政策を見ていると、
どう考えても、始皇帝政を真似して、
自分を歴史的英雄に祭り上げたい意思が鮮明に感じられる。
万里の長城や馳道を真似している としか思えないのだ。
結局、習近平の人生観のなかに 、政や劉邦の「偉業」が
インプットされているのだろう。
だから、なんとかして、自分の目が黒いうちに、
周辺諸国を侵略して、中国の版図を拡大し、
後世に名を残したいという気分だけが前面に出ていて、実に慌ただしい。
こんな中国を真正面から相手にしようとするなら、
同じように慌ただしい対策を強いられることになる。
しかし、中国というのは、凄まじく奥が深い国でもある。
まるで強欲だけに支配されたように見える中国社会だが、
実は、見えない部分で、とてつもない深い文化が隠れている。
例えば、気功や超能力、包容力といった分野だ。
ただ漫然と欲望に従って生きている人々の、はるかに奥に、
人類の最高の知恵を持っている人々も生きている。
中国は、割合と近いうちに 統一国家が破綻して、
8つくらいの独立国に分裂すると予想している。
そうなれば、強欲だけが国家原理ではなく、
もっと心の優しい人々が 国の表に出てくることになるだろう。
もちろん中国共産党は、かつてのソ連共産党と同様に、
この世から消えてしまう。
しばらくの間は、かつての軍閥の縄張り争いのような大混乱に陥って、
凄まじい数の人々が死んでゆくだろうが、10年もすれば、
きっと民主主義を掲げる政治勢力も 登場すると予想している。
でなければ、今ある「人権派勢力」が 中国に成立できるはずがないのだ。
↑
今や スッカリ 「鬼っ子」に 育ちましたね。
武漢発 新型コロナウイルス 拡散中
春節で どっと日本へ 向かっておる 規制すべきじゃないの?
連中の発表は いいとこ十分の一、 100人死亡なら 1,000人死亡してます。
宝暦10年(1760)? ~ 嘉永2年(1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「快晴の不二」です。
☆曇り。
売国奴の DNA、
◆http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-548505.html
植草一秀の『知られざる真実』
2020年1月22日 (水)
◎岸信介内閣から 安倍晋三内閣至る 傀儡政権の系譜
日米安保条約改定調印から 60年が経過し、安倍内閣は1月19日、
外務省飯倉公館で記念行事を開いた。
60年前の1月19日、岸信介首相は国内の猛反対を無視して
米国ワシントンで 改定日米安保条約に調印した。
当時の米国大統領がアイゼンハワー。
19日の行事には開かれた式典に、
安倍内閣はアイゼンハワー元大統領の孫娘 まで招いた。
1957年に岸信介首相は訪米し、アイゼンハワー大統領とゴルフをした。
安倍首相は自分がトランプ大統領と4回ゴルフをしたことを
自慢するかのように話した。
私たちは 日本の現実を 冷静に見つめる必要がある。
主権者の多数が暴政だと判断する安倍政治が
長期政権になっているのは、日本の支配者米国が この内閣を支配し、
利用しているからだ。
日本は 第二次大戦で敗北した。
それ以来、日本は 米国に支配され続けてきた。
米国に隷従する政権は長期政権となり、
米国にものを言う政権は 短命に終らされてきた。
この厳然たる事実を 冷静に見つめなければならない。
1957年に岸信介氏が首相の地位に上り詰めた背景に
米国の介入があった。
岸信介氏は 1945年9月15日にA級戦犯容疑で逮捕、収監された。
その岸氏は、満州時代の盟友・東条英機が 絞首刑で処刑された翌日の
1948年12月24日に 不起訴処分で釈放された。
そして、わずか9年も経たずして岸氏は
日本の首相に就任し、日米安保条約改定を強行した。
東条英機氏は絞首刑に処せられたが、岸信介氏はGHQによって
助命され、首相の地位に上り詰めた。
その背後に、米国と岸氏との間の取引があった と見られる。
米国のエージェントとして活動することと引き換えに 助命され、さらに、
首相の地位にまで押し上げられた と考えられる。
1956年12月に 鳩山一郎首相が 日ソ国交回復を花道に辞任した際、
米国は 岸信介氏の首相就任を望んだ。
春名幹男氏は著書『秘密のファイル CIAの対日工作』に
英国外交秘密文書 に記された事実を明らかにしている。
英国外交文書に、当時の米国国務省北東アジア部長のハワード・パーソンズ氏
の言葉を引用した以下の記述がある。
「アメリカは、岸が 石橋にブレーキをかけることができるだろう、
と期待している。いずれ、最後には岸が首相になれるだろうし、
『ラッキーなら 石橋は長続きしない』とパーソンズは言った。」
この「予言」通り、1956年12月23日に発足した石橋湛山内閣は
わずか2ヵ月後 の1957年2月23日に総辞職し、
岸信介氏に政権を禅譲した。
石橋首相は軽い脳梗塞で2ヵ月の療養が必要と診断された
ことを受けて首相を辞任した。
石橋湛山氏は 昭和初期に『東洋経済新報』で、
暴漢に狙撃され「帝国議会」への出席ができなくなった当時の
濱口雄幸首相に対して 退陣を勧告する社説を書いたことがあった。
この言説との整合性 を重んじて首相の地位を辞した。
石橋首相の体調異変の背景に 米国の画策があったのではないか
と疑われる。
石橋湛山氏は米国に対しても 堂々とものを言う稀有の政治家であった。
米国は このような日本の首相を潰す。
他方で、米国の命令に服従する日本の為政者を 徹底支援する。
米国が岸信介氏に求めたことは 日米安保条約の片務性の解消だった。
改定安保条約第5条に 米国の義務が定められたが、
日本は米軍のための軍事出動ができない。
この点を踏まえて 改定安保条約では、
第6条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全
の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が
日本国において施設及び区域を使用することを許される。
が定められた。
日本の基地を 米軍が自由に利用できる権利 が付与された。
米国には1948年のバンデンバーグ決議が存在する。
地域的・集団的防衛協定における「相互主義」を定めたものだ。
日本が米国のために軍事出動を行わないなら、
米国は日本のために軍事出動を行わないというものだ。
この状況下で、米国は日本の再軍備を強要し、
集団的自衛権の行使を容認するように 圧力をかけ続けてきた。
その命令に従ったのが岸信介氏の孫である 安倍晋三氏である。
北齋、二枚目、
「元禄歌仙貝合 丹頂鶴」です。
承前 同旨、 より詳しく、
◆https://lite-ra.com/2020/01/post-5214.html
リテラ 2020.01.19
◎安倍首相が「日米安保改定 60年」 で祖父自慢 連発!
ならば教えよう、岸信介がA級戦犯逃れるために 米国の手先となった証拠
きょう、メディアがやたらお祝いモードで報じていた「日米安保条約改定60年」。
当時、首相だった安倍首相の祖父・岸信介が 国内の猛反対を力ずくで押し切り、
ホワイトハウスでアイゼンハワー大統領とともに改定安保条約に署名してから、
19日でちょうど60年経つらしい。
外務省の飯倉公館では記念レセプションが開かれ、安倍晋三首相も出席。
「いまや日米安保条約は、いつの時代にもまして不滅の柱」、
「世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱」
「これからは宇宙やサイバースペースの 安全、平和を守る柱として
同盟を充実させる責任が私たちにはある」
などとあいさつしたと報道されている。
米国の言いなりになるだけの 一方的な従属関係、
不平等な日米地位協定を放置したまま でいったい何を言っているのか
という感じだが、さらに呆れたのは、またぞろこの坊ちゃん総理大臣が
“おじいちゃん コンプレックス” を全開にしたことだ。
米国大使やアイゼンハワー大統領の孫を前に、安倍首相はまず
「メアリさん、私たちの祖父は ゴルフで友情を育てました」と切り出し、
岸から聞かされたという“日本の首相としてはじめて
アメリカで大統領とゴルフをしたときの自慢話”
をとうとうと語り始めたのだ。
そのあげく、「わたしは もう4回、トランプ大統領とゴルフをした。
これも日米同盟深化の証拠」などと “ゴルフ”に
無理やり共通点を見出す始末。
さらに、今後の日米同盟について触れる際にも、岸が安保改定のあいさつで
「これから始まる新たな100年、両国にさらなる信頼と協力あれ」
と念じたことを紹介し「当時の祖父と同じ年齢に達した私は
同じ誓いをささげようと思う」となどと、
また“おじいちゃん”を持ち出した。
とにかく、安倍首相は安保改定を強行したおじいちゃんのことを
自慢したくてしようがないらしいが、しかし、岸信介が60年前、
日米安保条約の改定を強行したのは、日本の安全保障や
両国の「信頼・協力の構築」のためなどではない。
A級戦犯として拘留されていた岸は なぜか起訴を免れ釈放されるが、
“米国の手先”となる裏取引 に応じたためといわれる。
そして、総理大臣となって、米国の極東戦略のために
日本を差し出すような条項が含まれた 安保条約改定を押し切ったのだ。
言っておくが、これは陰謀論などではない。
岸と米国のただならぬ関係については、戦前の不可解な動き、獄中での裏取引、
さらには戦後のCIAからの資金提供まで、さまざまな証言や資料が残されており、
回顧録や評伝、国際問題の研究書などにも記されている。
本サイトは、以前、こうした文献や出版物を紹介しながら、
安倍首相の祖父である岸信介が戦後、何をやったのか、
そして安倍首相がいまやっていることが
いかに、“おじいちゃん”とつながっているか、
さらに安倍首相のなかにある “2つのアメリカ”について
指摘したことがある。
政府や御用マスコミがから騒ぎしている「日米安保条約改定60年」にあわせ、
その記事を再録するので、ぜひ読んでほしい。
(編集部)
☆安倍首相の「安保法制」妄執の背景に、
敬愛する祖父・岸信介がA級戦犯を逃れるため 米国と交わした裏取引きが!
安倍晋三首相が愛してやまない祖父、岸信介は1945(昭和20)年9月15日に
A級戦犯容疑で逮捕される。
当時は誰もが岸は有罪とみていた。それはそうだろう。
満州官僚時代に軍部と結託してアヘン取引に手を染め、
アヘンを求めて中国領土を侵す軍を バックアップし続けた。
取引で得た巨額の利益を戦費に回し、一部を政治資金として活用して
軍国主義者の象徴といえる東条英機を 首相にまで昇りつめさせた。
さらには東条の片腕として商工大臣、軍需次官を務め、
国家総動員体制、大東亜共栄圏の自給自足体制の確立を遂行するなど、
戦時日本の寵児として辣腕を振るった。
岸が戦争遂行の中枢にいた ことは疑いようがない。
そんな岸を戦勝国が犯罪者リストから外すわけがない のである。
にもかかわらず、岸は満州時代の盟友・東条英機の絞首刑が執行された翌日の
1948(昭和23)年12月24日に不起訴処分で釈放された。
東条の絞首刑と 岸の生還、明暗を分けたというには余りにも
落差の大き過ぎる結末だった。
あるいは岸の満州時代の上司であり、東条内閣では内閣書記官長として
共に支えてきた星野直樹は終身禁固刑に処せられた。
満州では岸は星野よりはるかに手を汚し、閣僚として戦争遂行にかかわった度合いも、
岸のほうが大きかったはずである。
当然、研究者やジャーナリストにとってもこの処遇の違いは
興味の対象となる。 岸はなぜ、戦犯を逃れたのか。
ひとつは、岸がもともと用意周到で なかなか尻尾がつかめない存在である
ことがあげられるだろう。 有名な「濾過器発言」にその片鱗が垣間見られる。
岸は1939(昭和14)年10月に 満州を離任する際、
数人の後輩たちを前にこう語っている。
「政治資金は 濾過器を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。
問題が起こったときは、その濾過器が事件となるのであって、
受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、
かかわりあいにならない。 政治資金で汚職問題を起こすのは
濾過が不十分だからです」
要は、証拠を残すなということであり、
嫌疑に対して敏感になれ ということでもある
(実際、岸は 東条内閣時代に書いた書類を すべて焼却してしまっている)。
だが、それだけでは訴追はまぬがれない。
岸はアメリカに対して具体的な“工作”を行っていた。
そのひとつは再びアヘン絡みの話だ。
東海大学名誉教授、太田尚樹氏の著書
『満州裏史 甘粕正彦と岸信介 が背負ったもの』(講談社文庫)
に元ハルピン特務機関員の田中光一のこんな証言が載っている。
「ま薬はどこの国でも最大の関心事でした。
もちろん、アメリカだってそうです。
戦後、GHQが克明に調査して関係者に尋問したのに、
まったくと言っていいほど処罰の対象に指定しなかったのは、
不思議だと思いませんか。
あれは明らかに、情報提供の代償となったからです。
甘粕はもうこの世にいませんでしたが、里見、岸なんかが
無罪放免になったのは、そのためなんです。
エッ、東条にはどうかって? 彼は 直接戦争責任に結びつく訴因が多過ぎて、
GHQは 阿片の件で取り調べるだけの時間がなかったのです。
アメリカは 裁判を急いでいましたからね」
証言に出てくる「里見」とは、里見甫のことだ。
「アヘン王」と呼ばれた陸軍の特務機関員で、
上海を拠点にアヘン取引を仲介していた。
岸とアヘンの関わりを調べる中で繰り返し出てくる名前でもある。
千葉県市川市にある里見の墓の墓碑銘を揮毫したのが岸だった
ことは前回、紹介した。
その里見も戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されている。
そして、田中の証言通り、不起訴者リストの中に「里見甫」の名前は載っていた。
つまり、岸や里見は アメリカにアヘン情報を提供する見返りに
戦犯訴追を免れた というわけだ。
もうひとつ、岸には戦争責任逃れのための「東条英機裏切り」工作
というのも指摘されている。
満州の関東憲兵隊司令官だった東条英機が中央に戻り、
陸軍次官、陸軍大臣、首相へと上り詰める原動力になったのが、
岸がアヘン取引で得た豊富な資金だったことは前回書いた。
岸は東条内閣を商工大臣、軍需次官として支え、戦争を主導した。
ところが戦争末期にこの仲が決裂する。
それどころか、岸 VS 東条 の対立が もとで内閣が崩壊してしまったのだ。
毎日新聞に掲載された「岸信介回顧録」(1977年5月11日付)によれば、
岸は〈サイパン陥落のあと 「この戦争の状態をみると、
もう東条内閣の力では どうしようもない。だからこの際 総理が辞められて、
新しい挙国一致内閣をつくるべきだ」ということでがんばった〉という。
そして、東条内閣は瓦解。下野した岸は郷里に帰り、
防長尊攘同志会をつくって、引き続き「打倒 東条」の政治活動を続けた。
この一連の行動について毎日新聞記者だった岩見隆夫氏が
非常に興味深い証言を採取している。
証言の主は満州時代の岸の部下だった 武藤富男だ。
武藤は東条内閣が崩壊した直後の昭和19年7月、
岸とともに満州を牛耳った「二キ 三スケ」
(東条英機、星野直樹、岸信介、鮎川義介、松岡洋右
の語尾をとってこう言った)の一人、星野直樹(前出、A級戦犯)を訪ねた。
〈その折、星野は 武藤にこんなつぶやきをもらしている。
「岸は 先物を買った」
「どういう意味ですか」
「東条内閣を 岸がつぶしたということだ」
しかし、どうして先物買いになるかについて星野は語ろうとしなかった。
「戦後、再び星野さんに会ったとき、もう一度
『先物を買ったというのは、岸さんが敗戦を予期していた
ということなのですか、それとも戦犯を免れるため という事まで考えて
岸さんは東条内閣をつぶした とあなたは見通したのですか』
と問い質してみたのですが、相変わらず、星野さんは黙したまま
答えてくれませんでした」
と武藤はいった〉(岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』中公文庫)
この「先物買い」というのはまさに、敗戦を見込んで、
わざと東条と反目したということだろう。
前出の太田尚樹も 同じ見方をしている。
〈打倒東条は 国難の打開、つまり国家のためという大義名分が
成り立つ一方で、戦犯を逃れることはできないまでも、
連合軍から大きなポイントを稼ぐことができる と読んでいた〉
〈満州以来の 二人の関係は、刎頚の友といった関わりではなく、
結局は、互いに利用し合っていただけだった〉
〈つまり東条は 岸の頭脳と集金力を利用し、岸は陸軍を利用しなが
権力の座を目指したが、その陸軍の頂点に、権力の権化と化した東条がいた。
だがアメリカ軍の攻勢の前に、東条の力など見る影もなくなってきている。
こんな男と便々とつるんだまま、一緒に地獄に落ちるのは ご免である〉
(前掲『満州裏史』)
この変わり身の早さこそ岸の真骨頂といえるが、
さらに、岸には獄中で、もっと重大なアメリカとの政治的取引を行っていた
のではないか、との見方がある。
その取引が、岸を訴追から救い、そして戦後、内閣総理大臣に押し上げた
最大の理由ではないか、と──。
それが何かを語る前に、戦後アメリカの対日政策には2つの流れがあった
ことを指摘しておく必要がある。
ひとつは民政局(GS)に代表されるニューディーラーを中心としたリベラル勢力で、
日本国憲法の素案づくりにも携わった。
民主化を徹底する立場から旧指導者への処分も容赦がなかった。
もうひとつは治安を担当する参謀本部第2部(G2)を中心とした勢力で、
対ソ連、対中国戦略を第一に考える立場から、
日本を再び武装化して“反共の砦”に育て上げようと考えていた。
GHQ内部ではこのふたつの勢力が 対立していた。
占領当初は GSの力が強かったが、米ソ冷戦が本格化するにつれて
「反共」のG2が 「対日懲罰」のGSを 凌駕するようになる。
こうした流れの中で、G2は 巣鴨拘置所に拘留されていた岸との接触をはじめた。
再び、前回紹介した原彬久氏の 『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書)を引く。
〈G2 およびこれと連携する人脈が獄中の岸と接触していたことは、確かである。
例えばGHQ経済科学局のキャピー原田は、巣鴨の岸から
「戦後復興」問題でたびたび意見を聞き、しかも原田みずから
上司のマーカット少将に「岸釈放」を説いている(朝日新聞、平成六年九月二二付)。
いずれにしても、こうした文脈を抜きにしては、岸が不起訴、無罪放免となって
いよいよ戦後政治の荒涼たる舞台に放たれるその道筋は理解できないだろう〉
G2は実際、1947(昭和22)年4月24日付で最高司令官のマッカーサー宛に
岸の釈放を求める異例の「勧告」まで出している。
獄中で岸は アメリカとどんな取引をしたのだろう。
自らの命のためなら かつての盟友を売る男である。
いったい何と引き換えに、無罪放免を勝ち取ったのか。
これについては「週刊朝日」(朝日新聞出版)2013年5月24日号が
渾身のリポートを掲載している。
〈「星条旗」の下の 宰相たち〉というシリーズの〈第3回「ストロングマン」〉。
筆者は同誌の佐藤章記者だ。
まず、岸はアメリカにとってどういう存在だったのか。 同記事を引く。
〈戦後の米国のアジア政策は、米国の国益を守ってくれそうな、
その国における「ストロングマン」を探し出すことから始まる。
韓国における李承晩、台湾における蒋介石がその典型だ。
日本においては吉田茂であり、鳩山一郎、緒方竹虎と続いて、
1950年代半ばに 岸の番が巡ってきた〉
では、岸に与えられたミッション は何だったのか。
〈(日本国憲法)第9条があるために 日本は自衛目的以外の軍隊が持てず、
米国との相互的な防衛能力を保有できなかった。
つまり、米国が攻撃を受けても日本は援軍を出すことができない。
さらに言えば、米国の軍事戦略に乗っかる軍隊 を持つことができない。
この相互防衛の考え方が、集団的自衛権の解釈として、
1951年の旧日米安保条約締結以来、日米間の問題となった〉
まさにいまの安倍政権が強引に進める新安保法制につながる話だ。
この問題解決こそ、岸がアメリカから言われた最大のミッションで、
そのために最初に着手したのが〈「建設的 勢力」の結集〉
つまり保守合同だ。 では、カネはどうしたのか。
前出の佐藤記者は 米アリゾナ州ツーソンに飛んだ。
アリゾナ大学歴史学研究室のマイケル・シャラー教授に会うためだ。
シャラー教授は米国務省の歴史外交文書諮問委員会委員を務め、
非公開資料にも目を通すことができる。
以下、佐藤記者によるインタビューだ。
〈――岸元首相に対してCIAから資金提供があった という話をどう思いますか?
「そういう証拠はあると思う。賄賂的な意味合いよりは、
派閥の運動資金や政治キャンペーン資金というような形で提供された
と理解している」
――資金はどのような形で渡されたのでしょうか?
「当時、CIAから経済団体や企業を通じて 岸のほうに資金が流れた
という記述を米国側の書類で私は目にしたことがある」〉
(前同「週刊朝日」より)
これについては、CIAから自民党への秘密献金をスクープした
ニューヨークタイムズのティム・ワイナー記者も、
その著書『CIA 秘録』(日本版は文藝春秋)でこう断言している。
〈CIAは 1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。
しかし世界の有力国で、将来の指導者を CIAが選んだ最初の国は日本だった〉
〈釈放後 岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、
日本の首相の座までのぼりつめるのである〉
岸は、日本におけるアメリカの国益を実現するため、
アメリカによって選ばれ、アメリカの資金でつくられた首相だった
ということだ。A級戦犯容疑者の身か らわずか9年、
公職追放解除からたった5年足らずで 政界トップに上り詰めた秘密
がここにある。
その岸が首相在任中にアメリカに言われてやった最大の仕事は、
言うまでもなく日米安保条約の改定だ。
一般に、旧安保条約では 日本がアメリカに基地を提供する一方で
アメリカの日本防衛義務が明記されていない との批判があったが、
新条約ではそれを盛り込ませることができたと評価されている。
だが、アメリカの狙いはそこではなかった。
佐藤記者はこう書いている。
〈新条約は 5条で米国の日本防衛義務を盛り込んだが、続く6条で、
米国のアジア戦略のために在日米軍を利用できる 「極東条項」が組み込まれた。
米国の本音を明確にした条項だ〉
しかもこの「極東条項」の「極東」の範囲が明確でなく、
アメリカは 日本の基地を好き勝手に使えるようになった。
事実、新安保条約締結から50年以上経つが、
米軍が日本防衛のために出動したことは唯の一度もない。
反対に、米軍がアメリカの戦争のために 日本の基地を自由に使うことは
日常化している。安保条約改定が誰の指示よるものだったか がわかるだろう。
佐藤記者はこうした事実をさらに裏付けるため米ワシントン郊外にある
米国国立公文書館別館を訪ねる。
そこでCIAが作成した「岸信介」のファイルの閲覧を請求し、
驚くべき事実と遭遇する。
なんと、CIAのファイルには たった5枚の資料しか入っていなかったのだ。
他の A級戦犯容疑者についてはたとえ不起訴でも
膨大な資料が残されている。
例えば、緒方竹虎は1000枚近く、正力松太郎は500枚ほど。
しかし、岸はたったの5枚しかない。
これは明らかに異常だ。
実は、岸に関するCIA資料はほとんどがまだ秘密指定を解除されていない
のだという。つまり、岸とアメリカの関係はいまだに表に出せない内容
が含まれているとアメリカが判断しているということなのだ。
それは、アメリカの対日占領政策が まだ継続中だということでもある。
しかし、こうした歴史を振り返ると、いま現在の
安倍政権がやろうとしていることの謎が解けてくる。
Q:安倍首相はなぜ、集団的自衛権行使に あそこまでこだわるのか?
A:おじいちゃんが不起訴の見返りに アメリカと約束したことだから。
Q:安倍首相はなぜ、日本国憲法を「みっともない」 と毛嫌いするのか?
A:おじいちゃんを助けてくれたG2と 敵対する人たちがつくった憲法だから。
Q:安倍首相はなぜ、改憲しようとしているのか?
A:それも、おじいちゃんが不起訴の見返りに アメリカと約束したことだから。
Q:安倍首相はなぜ、沖縄の「屈辱の日」 をお祝いしようとするのか?
A:おじいちゃんの公職追放が やっと解除された記念の日だから。
Q:安倍首相はなぜ、「侵略」や「おわび」や「反省」をためらうのか?
A:あの戦争はおじいちゃんも深く関わった 自存自衛の聖戦だから。
そう。新安保法制も改憲も、すべては、おじいちゃん、
岸信介とつながっているのだ。
そういえば、安倍首相はそのアメリカ観も、岸信介に強い影響を受けている。
安倍首相の中には「良いアメリカ」と「悪いアメリカ」、2つのアメリカがある。
「良いアメリカ」は、おじいちゃんを救ってくれた。
戦前の日本の旧指導者にも寛容だったアメリカ。
一方、「悪いアメリカ」は 日本に憲法9条や主権在民、人権尊重などを
押し付け、戦前の日本の旧指導者を “悪”と決めつけたアメリカ。
だから、安倍首相は「『悪いアメリカ』が押し付けた戦後レジームからの脱却」
を主張しながら、「『良いアメリカ』の戦争に 自衛隊を捧げる」
安保法制を強行することに 矛盾を感じない。
いずれにしても、たった一人の政治家のグロテスクな
“おじいちゃん コンプレックス”によって、
日本は今、国のかたちを大きく変え、アメリカの戦争に引きずり込まれよう
としているのだ。
我々は そのことの異常性と恐ろしさを 本気で認識すべきだろう。
(野尻民夫)
北齋、三枚目、
「鳥越の不二」です。
よく憶えておりますが、「日中国交回復 キャンペーン」 が凄まじかった、
人民服着て 自転車乗った 勤勉質素な民族 云々 皆 騙されたw
◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1006.html
東海アマブログ 2020年01月22日 (水)
◎私は 中国が好きだった ……
より抜粋、
私は、中国史に興味を持ち、第二次世界大戦後の中国にも
大きな希望を抱いたことがある。
私は、ちょうど高校生になったころ、毛沢東や周恩来の率いた
中国人民解放軍の姿に夢中になった。
同級生の女子がタイガーズの沢田研二に夢中になっていたころである。
新島淳良の「星火燎原」という本があって、抗日戦線の英雄物語なのだが、
読んでいるうちに、すっかり中国派になってしまい、
私は、毛沢東バッジをつけて、紅衛兵の真似をして
ベトナム反戦デモに出るまでになった。
このときには、文化大革命が、一種のジェノサイドであったことも、
毛沢東がまともな人格者でない奇矯な人物であることも理解できず、
ひたすら中国革命を信奉し続けた。
しかし、大英雄だった林彪が毛沢東に殺されたころ、「何か変だな……」と、
毛沢東に疑問を持つようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/林彪
やがて心から尊敬していた、周恩来も、毛沢東の指示により
病気治療を拒否されて死んだ ことも知り、私の中国熱は一気に醒めて、
中国共産党に大きな不信感を抱くようになった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-223.html
結局、文革が 革命とは縁遠い権力闘争の大虐殺だった
ことを知った頃から、私は、いずれ中国がとんでもない 世界のヤクザ国家
になる予感がしていて、やがて、実際にそうなった。
中国社会が、見せかけの正義の裏側に、とんでもなく恐ろしい強欲の修羅場
が成立していることを思い知らされたのは、
尊敬していた郭沫若や荘則東が迫害されて死んでいったころで、
もう、彼らは人類の癌細胞として滅亡させるしかない と思うようになった。
いったい、どうすると、こんな残虐な行為を平然と実行できるのか?
と考えると、蒋介石が命令した「通州事件」の光景が、まず浮かぶ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/通州事件
通州工場は、里見甫や二反長音蔵らが作った アヘン・ヘロイン製造工場だった。
中国には、青幇・紅幇という歴史的なヤクザ組織(秘密結社)があって、
アヘンの販売利権を持っていた。
そこに日本軍属・里見甫らが割り込んで 麻薬販売を公然と始めたので、
利権を侵された青幇が激怒し、頭目であった蒋介石の指令で、
口にすることもためらうほどの凄まじい残虐な通州大殺戮を行ったのだ。
これは、後に、日本軍によって 南京大虐殺という形で報復を受けている。
実は、法輪功大虐殺を命令した江沢民も 青幇の頭目だといわれている。
こうした無残な人間性破壊は、青幇など秘密結社の 常套手段である。
中国の支配階級に流れるのは、袁世凱・蒋介石・江沢民らに
受け継がれてきた 残虐な独裁弾圧の血 である。
これを思想的に解析すれば、もちろん孔子に始まる儒教思想から派生した
権力主義なのだが、中国では、権力の行使とは、すなわち暴力の行使である
ことを理解しなければならない。
もの凄い数の人の前で 説得力があるのは大虐殺だけ ということかもしれない。
パールバックの大地のなかに、凄まじい 蝗害描写 が出てくるが、
中国史におけるダイナミズムとは、人間の大量死のダイナミズムである。
大きな飢饉がやってくれば、中国人は、百万という単位で
大規模に死んでゆくのだ。
遺体は放置されたまま累々と積まれ、そこは骨塚となる。
中国の古都の城壁を壊すと、ほとんど、もの凄い数の人骨が現れるといわれる。
この意味で、大躍進・文革における1億人に迫るほどの大虐殺と、
法輪功の大虐殺、そして今起きているウイグル大虐殺も、
中国史のダイナミズムの反映である といえなくもない。
中国では、豊かになれば 人口が一気に増え、
貧しくなれば、とんでもない大量死 が起きる。
習近平の行動原理を見ていると、彼が、古代英雄譚の秦の始皇帝や、漢祖劉邦
をトレースしようとしている意思が鮮明に見える。
始皇帝政は、生涯を全力疾走し、走りながら死んだ=
弁慶の立ち往生が「走り往生」になったような人物だった。
だから、習近平のビジョンである一帯一路や南水北調政策を見ていると、
どう考えても、始皇帝政を真似して、
自分を歴史的英雄に祭り上げたい意思が鮮明に感じられる。
万里の長城や馳道を真似している としか思えないのだ。
結局、習近平の人生観のなかに 、政や劉邦の「偉業」が
インプットされているのだろう。
だから、なんとかして、自分の目が黒いうちに、
周辺諸国を侵略して、中国の版図を拡大し、
後世に名を残したいという気分だけが前面に出ていて、実に慌ただしい。
こんな中国を真正面から相手にしようとするなら、
同じように慌ただしい対策を強いられることになる。
しかし、中国というのは、凄まじく奥が深い国でもある。
まるで強欲だけに支配されたように見える中国社会だが、
実は、見えない部分で、とてつもない深い文化が隠れている。
例えば、気功や超能力、包容力といった分野だ。
ただ漫然と欲望に従って生きている人々の、はるかに奥に、
人類の最高の知恵を持っている人々も生きている。
中国は、割合と近いうちに 統一国家が破綻して、
8つくらいの独立国に分裂すると予想している。
そうなれば、強欲だけが国家原理ではなく、
もっと心の優しい人々が 国の表に出てくることになるだろう。
もちろん中国共産党は、かつてのソ連共産党と同様に、
この世から消えてしまう。
しばらくの間は、かつての軍閥の縄張り争いのような大混乱に陥って、
凄まじい数の人々が死んでゆくだろうが、10年もすれば、
きっと民主主義を掲げる政治勢力も 登場すると予想している。
でなければ、今ある「人権派勢力」が 中国に成立できるはずがないのだ。
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今や スッカリ 「鬼っ子」に 育ちましたね。
武漢発 新型コロナウイルス 拡散中
春節で どっと日本へ 向かっておる 規制すべきじゃないの?
連中の発表は いいとこ十分の一、 100人死亡なら 1,000人死亡してます。