Quantcast
Channel: ギャラリー酔いどれ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

萩と月?

$
0
0
 画は橋本(揚洲)周延 ようしゅうちかのぶ

 天保9年〜大正元年(1838〜1912)    作


  「総州猿島内裏圖 平将門 藤原秀郷」です。


☆晴れ、気温上昇中。

昨日のご来場、少なからず、有難うございます。

さて、当ブログの杞憂が現実のものとなりつつあります。

在支那邦人の速やかな帰国を勧めたい、とりわけ婦女子は一刻も早く。

来る9月18日は満州事変勃発(柳条湖事件)記念日とか、大規模デモがあるようです。

命の軽さ鴻毛の如き民族ですから、

◆http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012091401001001.html
47NEWS 2012/09/14 08:07
◎中国監視船が領海内に入る 尖閣諸島・大正島周辺

14日午前5時ごろ、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の大正島の北方で、
日本の領海の外側にある接続水域に中国の海洋監視船「海監51」と「海監66」が入ったのを
海上保安庁の巡視船が確認した。2隻は午前6時20分ごろ、領海内に侵入した。

中国の監視船の領海侵入は、日本政府が11日に尖閣諸島を国有化した後、初めて。
7月にも領海内に入っている。

第11管区海上保安本部(那覇)によると、領海に入らないよう巡視船が無線で警告すると、
海洋監視船は「釣魚島は古来の中国の領土だ。パトロールを行っている」と応答したという。

【共同通信】


◆http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120914/t10015013581000.html
NHKNEWS 9月14日 9時7分
◎中国当局船 尖閣諸島沖の領海に侵入

沖縄県の尖閣諸島の周辺で14日朝、中国政府の船、合わせて8隻が航行しているのが確認され、
このうち6隻が領海に入りました。
このうち4隻は今も領海内を航行しているということで、海上保安本部が領海の外に出るよう警告しています。

14日午前6時20分ごろ、尖閣諸島の大正島の北、およそ22キロで、中国・国家海洋局所属の「海監51」、
「海監66」の2隻が日本の領海に入ったのを第11管区海上保安本部が確認しました。
尖閣諸島の周辺ではこのほかに中国政府の船6隻が航行し、このうちの4隻がさらに領海に入ったということです。

領海に入ったのは合わせて6隻でこのうち2隻はすでに領海を出ましたが、
残りの4隻は今も領海内を航行しているということで、海上保安本部が領海の外に出るよう警告を続けています。
中国当局の船が日本の領海に侵入したのは、ことし7月以来です。

海上保安本部によりますと最初に領海への侵入が確認された2隻は警告に対して
「定期的なパトロールを行っている。島は古くから中国の領土だ」と返答してきたということです。
尖閣諸島では、先月、香港の活動家らが魚釣島に上陸して14人が不法入国で逮捕され、強制送還されました。
その後、日本政府は今月11日、地権者側と契約書を取り交わし、国有化しています。


☆外務省が抗議

外務省は、中国側に対して抗議の意思を伝えるため、午前9時前に、中国の程永華駐日大使を外務省に呼んで抗議しています。


☆中国のテレビも異例の早さで放送

これについて、国営の中国中央テレビは、
国家海洋局所属の船が日本時間の7時すぎから「中国の主権を守るための巡視活動を始めた」と異例の早さで伝えました。
中央テレビは、「活動を始めたのは、海監50、海監15、海監26、海監27、それに、
海監51と海監66の合わせて6隻だ」としています。
活動の目的については、尖閣諸島および周辺の島々を管轄し、中国の海洋権益を守るためだ、と伝えています。




飛ばしと煽りの要取捨選択サイトだが、

◆http://www.news-us.jp/article/292430618.html
News U.S. 2012.09.14
◎【緊急事態】在中日本人逃げて!!!!!
  中国人が暴徒化し邦人男性を殴る蹴る!! 顔面にラーメンかける! 負傷者続出の異常事態発生!!!


☆http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220913064.html
テレ朝news(09/13 22:28)
◎尖閣国有化受け…上海で日本人への暴行が6件発生

尖閣諸島の国有化が決まった今週に入り、中国の上海市で日本人が中国人から暴行を受けるなど、
6件の被害が発生していることが分かりました。

上海の日本総領事館によりますと、歩道を歩いていた日本人が中国人から「ジャパニーズ」と言われて
ラーメンをかけられ、目に軽傷を負いました。また、「日本人か」と声をかけられたうえで
足を数回蹴られて打撲傷を負ったケースや、ペットボトルを投げつけられたり、炭酸飲料を頭からかけられるなど、
合わせて6 件の被害が確認されています。いずれも、
尖閣諸島の国有化が閣議決定された今週、10日以降の数日間に発生しています。領事館では、
日本人に対して、大勢人が集まる場所や深夜の外出を控え、日本人同士で騒ぐなど
目立った行為をしないよう注意を呼びかけています。
上海や北京では、日本人学校が安全のため運動会の開催を週末から平日に変更するなど、
市民生活への影響が出始めています。


☆zhubiyi(中国交換留学) ‏@zhubiyi

中国が長い方も今回は用心した方がいいという意見が多数です。
新華網では日本の軍事力特集、野田政権の”尖閣私利購買”、今見るべき10の抗日映画特集、
各種ニュース紙がトップに一斉に「釣魚島中国領土」。
他、北京ダックチェーンの”日本人お断り”、官民で相次ぐ日中交流の停止 …
異常な空気です。



周延、二枚目、



「十二ひと繪 文月乃七くさ」です。



孫崎享は間違っておるのですよ、

◆http://melma.com/backnumber_45206_5651580/
◎宮崎正弘の国際ニュース・早読み(習近平が雲隠れ)発行日:9/13

  習近平雲隠れ、尖閣先鋭化、日中友好四十年イベントつぎつぎとキャンセル
     「これは日本の挑発だ」と中国のマスコミ
________________________________________

容易成らざる事態。
 旅程を早めて急ぎ帰国しました。
 明日から権力闘争の土壇場の分析を行います。



(読者の声3)
中国の人民解放軍が、中国の経済成長のなかで米国が対応に配意せざるを得ないほどの実力をつけ、
周辺諸国との領土紛争にもさまざまな動きをしています。
人民解放軍は中国共産党の軍事部門だと言われていますが、
この人民解放軍と中国共産党との中枢レベルや双方の組織全般での関係が今どうなっているのか、
一般の報道ではよく理解できません。宮崎さんにそのあたりのことを有体に解説していただけると有難いのですが。
(品川 H.U.生)


(宮崎正弘のコメント)米国ジェイムズタウン財団の研究者も、
産経の古森義久氏や、岡崎研究所の川村純彦氏(元海将)、そのほか大勢の方が同じ指摘をしています。

つまり共産党中枢は軍を統治できているか、習近平は軍を抑えることが出来るか。
近代国家の「国家」のメカニズムとしての軍を捉えているからですが、
他方で、この軍隊は軍閥、人脈対立、軍管区同士の対立。
幹部の腐敗、信じられない汚職や密輸、武器の横流しなどがあって
「国家」のメカニズムから逸脱している側面が強い。

これで、イザ戦争となったら、どうなるか。





(読者の声4)
ネットには以下の話題が出ております。如何に評価すべきでせうか。
中国の女性企業家、広東捷盈電子科技・取締役副主席の林凡氏が8月24日、
「尖閣諸島は日本のものだ」とツイートした。

このツイートは25日夕方までに、当局によって全て削除されましたが、
他のブログに全文を日本語訳して掲載されていましたので紹介します。中国人にしては、冷静で公正な分析です。
ちょっと長いですが、興味のある方はどうぞ御覧下さい。


■領土紛争の解決には3つの方法がある

私たちは、国際的な領土紛争を解決するには、通常、3種の方式があると知っています。

(1)交渉で解決、
(2)国際法廷に訴える、
(3)武力を用いる――です。

まず、1番目の方法を見てみましょう。交渉による解決です。
交渉には、双方が相手との間に領土紛争があると確認し、双方が交渉を望むという前提があります。
中国側はもちろん、日本と交渉したいと考えるでしょう。
では、日本側はどうでしょう。日本の外相は9月19日<訳注:何年の発言であるかは不明>、
「尖閣諸島は日本の固有の領土だ。いわゆる領土問題は存在しない」と発言しました。
相手が領土紛争があるとの基本を承認しないのでは、なにをもって交渉の土台とするのでしょう。
さらに、日本側が交渉を望んだとしても、現在の国際政治では、
交渉を通じて相手が実効的に占領している領土を取り戻すという考えは、「痴人の夢」とでも言うべきです。


次に、2番目の方法を見てみましょう。国際法廷に訴えるという方式です。私は、この方法を重点的に論じます。

■「古くから中国に属していた」で領有権は決まらない

中国政府・外交部の報道官は、釣魚島について語る時には「釣魚島は古くから中国に属していた」と言います。
日本側の主張は実際のところ一貫しており、「無主地であり、日本が先にこの地に対して有効な統治を行った」です。

これに対して中国側の“反撃”は、
「われわれの、かくかくしかじかの古文書には、14××年に、釣魚島についての記録がすでにある。
日本人よりも500年も早い」うんぬんです。
しかし、すでに1925年の米国とオランダの間でパルマス島
<訳注:フィリピン・ミンダナオ島とオランダ領東インド(当時)の間にある島>の事案で、
国際法廷は「先に発見した者が、主権を有するとはかぎらない」との見解を示しました。
「有効な統治があって、(領有権は)成立する」としたのです。たとえば、国旗1本を立てるだけでもよいのです。

■米国・オランダ間で「実効支配」が決め手になった実例

パルマス島を発見したのはスペイン人で、16世紀のことでした。その後、オランダが統治していました。
さらにその後、スペインはパリ条約でフィリピンとその周辺島嶼(とうしょ)を米国に割譲しました。
米国は、その島嶼にパルマス島が含まれていると認識したのです。しかし、国際法廷はパルマス島の割譲を認めず、
(それまで実効支配をしていた)オランダの領有が続くことになったのです。

もうひとつ、参考の価値があるのがシンガポールとマレーシアが争ったペドラ・ブランカ島の件です。
歴史的要因だけを考慮すれば、ペドラ・ブランカ島は明らかにマレーシア・ジョホール王国にとっての
「古来からの神聖なる、分割することができない一部分」でした。
しかしシンガポール側は1844年に同島に灯台を築き、実効支配を始めました。
マレーシア側は長期にわたり、異議を唱えませんでした。
マレーシアが1979年に自国地図にペドラ・ブランカ島を入れたことで、両国の争いが発生したのです。


■長期間放置・権利放棄で領有権は相手国のものになる

国際法廷は最終的に、ペドラ・ブランカ島をシンガポール領と認めました。マレーシアが長期にわたり、
(シンガポールの実効支配を)「黙認」していただけでなく、さらに重視されたのは、
1953年にシンガポール当局がマレーシア当局に対して「同島の領有権はマレーシアに属していると考えるか」と
質問した際に、ジョホール州の代理秘書が書簡で
「ジョホール政府はペドラ・ブランカ島に対する領有権を主張したことはない」と回答したことでした。
したがって、国際法廷は「1844年まで同島がジョホール王国に属していたことは確かだ。ただしその後、
マレーシア側の放棄により主権は移った」と判断したのです。


■火星を地図に描いても、火星は自分のものにならない

不幸なことに、清朝時期はおそらく「普天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、糞青にあらざる莫し」
<訳注:原義は、「あまねく空の下はすべて王(=中国の支配者)の土地、そこにいる人はすべて王の臣」の意。
「王臣」をわざと憤青(=怒る青年)と同音の「糞青」に置き換えたと思われる>の伝統思想の影響を受け、
自分の目で見えるのだから、われわれの土地だと考え、時おり(中国の)漁民が立ち寄る以外には、
基本的に釣魚島において主権を直接に示す行為をしなかったのでしょう。

明朝期の「籌海図編」や清朝の「大清一統輿図」を持ち出す人もいます。
これらで少なくとも、われわれが地図の上で釣魚島を記載していたことは証明できます。
しかし、地図などというしろものを持ち出しても、
「アフリカが(自国で作成られた地図に)入っているから、アフリカはわれわれのものだ」とか、
「火星を描いておいたから、火星はわれわれのものだ」と言うことはできません。


■日本は尖閣編入時、「微妙な問題」と認識していた

これまで(世界で発生した領土争い)の事例を見ると、地図の証拠能力は地図自身の性質と質に関係してきます。
地図の証拠としての説得力は、しばしば極めて有限です。
たとえば、パルマス島の事例では、国際法廷は地図を証拠として採用するにあたって、
地図が正確であることを基本条件として求めました。

米国側は世界各地から1000枚以上もの地図を探し出しました。それらの中で、
(領有権争いの相手国である)オランダの主張を支持する地図は3枚しかありませんでした。
しかし国際法廷はパルマス島を(実効支配を続けていた)オランダの領有と判断しました。

振り返ってみれば、日本政府は19世紀の末から大きなエネルギーを使って釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を調査し、
清国政府が所管した痕跡がないことをつきとめました。ただし、日本側は中国が同島をすでに命名していたことには注目しました。

■ところが、日本人が統治しても中国は抗議しなかった

尖閣諸島が)清朝の勢力範囲に近いため、清国の領土であるという証拠はなかったのですが
「万一の不測の事態が発生すれば、事態収拾が難しい」と懸念したわけです。
日清戦争中の1895年に起こった海戦で清国に勝利すると、日本人の姿勢は強硬になりました。
釣魚島を沖縄県の所管として、標識を立てたのです。
<訳注:正式な標識を立てたのは1970年で、下記の尖閣諸島への入植よりも相当に遅れた>

翌1896年には同島を古賀辰四郎に貸し与えたので事業が始まりました。
1909年には、同島に移住する者が250人近くになりました。
しかし清国政府は(尖閣諸島に対する)主権の宣言を発表することはなく、実際の統治も行いませんでした。
さらにスゴイことに、1970年代に石油資源が発見されるまで、
中国は70年以上も日本や米国の釣魚島統治に対して、何の異議も申し立てなかったのです。


■「清朝は釣魚島を自国領と認識していた」証拠は偽造だった

1970 年代になり、釣魚島の紛争が改めて発生してから、
米国在住の「盛家の子孫」と自称する盛毓真という人物がおどり出ました。
盛毓真は慈禧(西太后)から盛宣懐<訳注:清朝末期の政治家・実業家。1844−1916年>が賜ったとする書状を発表し、
清朝政府が釣魚島について“電柱に小便をかけていなかったわけでもない”ことを証明したのです。

(釣魚島の奪還を目指す)保釣派は欣喜雀躍しました。盛毓真は愛国の星とされ、
台湾に行って人を騙して大いに飲み食いをしたのです。
ただし、ウマイことは長続きしません。中国大陸及び台湾の学者が前後して、
盛毓真が発表した慈禧の書状には形式上の混乱があり、ありえない間違いがあることを発見したのです。
例えば、盛宣懐の任官の年月日が事実よりも3年早かったり、慈禧の印が
書状を書いた当時にはすでに使っていなかった、それより古い時期のものと判明したのです。
結局、慈禧の書状は偽物と断定されました。


■下関条約と尖閣は関係なし、日清双方が確認済み

この偽書以外にも、中国は釣魚島を「台湾と付属する島嶼(とうしょ)」の一部とみなして、
馬関条約<訳注:日清戦争の講和条約。日本では下関条約と呼ぶ>にもとづき日本に割譲されたもので、
清朝の領土であったのだから「カイロ宣言」及び「ポツダム宣言」の関連規定にもとづき、
中国に返還されるべきと主張しています。

問題は、日本は馬関条約の3カ月前に釣魚島を沖縄の所管に組み込んでいたことです。
馬関条約締結時、清朝政府は日本が“魔手”を伸ばし、
福建省沿岸の島嶼も「台湾に付属する島嶼」として自分のものとしようとすることを恐れました。
そこで清朝側の要求により、双方は地図の形で(日清戦争の講和条件として)日本に割譲する島嶼を確認したのです。
日本側が示した地図に釣魚島は入っていませんでした。
そして、双方は「台湾接収文書」に署名しました。すべてが「双方いずれにとっても明確」なのです。
<訳注:筆者は、日本は下関条約以前に尖閣諸島を領土に組み込んでおり、
日清戦争の講和条約の結果として中国領である尖閣諸島が日本に引き渡されたのではないと指摘>

■論じていて気分が悪いが、事実は事実

ここまで論じてきて、実に気分が悪いのです。しかし、話はまだ続きます。
日本側には、もうひとつの主張があります。つまり、
魚釣島は琉球諸島の一部分であり、理屈から行っても日本に属するということです。

中国側は何としても、この日本側の主張は絶対に違うと証明せねばなりません。
中日双方の古文書の記載からして、古琉球時代に釣魚島が琉球に属していなかったことは確実です。
しかし日本が1895年に釣魚島を琉球に編入してから、日本と米国だけでなく、さらに致命的なことに、
中国もが釣魚島は琉球に属すると言いはじめたのです。


■人民日報も「尖閣は琉球に属する」と明記

1920年に、中華民国の駐長崎領事は日本政府にあてた感謝状で
「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と書いているのです。
さらに“殺傷力”が大きいのは、1953年に「人民日報」が発表した文章です。

最初の部分には「尖閣諸島を含む琉球群島」と書いてあり、
最後の部分では「琉球は日本人民が独立、民主、平和を勝ち取る闘争と、切り分けることができない」
と書いてているのです。
実際には、現在も一部の「保釣派」の理論は
「釣魚島は琉球に属する。琉球は中国に属する。したがって釣魚島は中国に属する」です。
これに対しては彼らに、痴(し)れ者の妄想はおやめなさいというのみです。

■日本にMAOのような人物が出れば、戻ってくるかも

琉球が現在、日本に属するということは変えようがない事実です。
日本人に琉球を吐き出させようとすれば、彼らの国家に、
たとえばMAOのような領土を糞まみれの土地のように扱う神のような偉人が出現することを期待するしかありません。
<訳注:MAOは毛沢東を指すと考えてよい>

これまでの記述を総合し、台湾の保釣運動の熱血青年に馬英九総統が比較的遠まわしな言い方で
「釣魚台(尖閣諸島の台湾側通称)を争う場合、国際法は台湾にとって不利」と言っていることもあわせてみれば、
私は国際法廷に訴えた場合、(釣魚島を取り戻せるという)中国側の勝算はほとんどゼロと考えます。
これが残酷な現実です。

■武力による奪取は、どう考えても不可能

最後に、武力による解決を考えてみましょう。
現在、インターネット上には中日海空軍力比較が大量に存在します(陸軍は尖閣問題で使えないからです)。
日本側がやや有利という説もあれば、中国側が勝つとの主張もあります。この種の比較は実際には、まったく無意味です。
「日米安保条約」が存在するからです。
法律上の義務、同盟国としての道義、あるいは自国のための戦略的利益からみても、米国は必ず日本を支持します。
ヒラリー・クリントン米国務省長官も「私は明確に申し上げたい。尖閣諸島は安保条約第5条の範囲内であり、
われわれは日本国民の義務を保護することを重視します」と表明しました。
これまでの釣魚島を巡る紛争のとき、軍の側の原因があったわけではありません。しかし、
頭がおかしいのでなければ、中国と米国の軍事力の差は、1段階や2段階の問題ではないと、だれでも分かるはずです。
あるいは「戦争の勝敗を決定する鍵は、双方の武器装備の優劣ではない。精神と意志の力の違いだ」
と言う人がいるかもしれません。

■尖閣海域に派遣される中国の監視船は哀れだ

確かに、「冷たい兵器の時代」でも「熱い兵器の近距離作戦の時代」でも、
精神力や意志の力は戦争の勝敗を決める重要な要素です。 ただし、
現在の情報化・非接触式作戦の時代に、精神の力を強調するということは、すなわち精神力を淫するということです。
もちろん、“愛国賊”らの圧力に対応するために、共産党も国も「強硬」な表現をします。
そして党・政府は監視船数隻を派遣します。われわれの監視船が日本の軍艦と対峙することには、
心がぞっとして同情の気持ちが出てきます。(日本側に阻止された時点で)釣魚島まではまだ数十海里もあり、
そしてまた、傷ついた心で戻らねばならないのです。こんなつら汚しの小細工で、釣魚島を奪還できるとでも言うのでしょうか。

■尖閣はすでに日本のもの、将来も日本のもの

結論: 釣魚島は日本人が出兵して占領したものではありません。われわれがぼろ布のように捨てたものです。
日本人は宝物のようにそれを拾いました。われわれは異議を唱えませんでした。
1968年に釣魚島海域で石油が発見されたから、釣魚島は一晩にして突然、
「神聖にして不可分」な領土になったとでも言うのでしょうか。

そして、泰山のように崇拝されている周恩来も、日本人に対してあいまいに
「われわれはここで、あの(釣魚島)のために、論争をすべきでありません。いずれにせよ、
地図の上で探しにくいほどの小さな点にすぎません。なんで問題になるかと言えば、石油が見つかったからにすぎません」
と発言しています。 これが、一国の指導者の領土問題に対する姿勢でしょうか。

したがって、法律面、国際政治、実力を比較検討しても、釣魚島はすでに、そして将来にわたって日本のもの
でありつづけるのです。あなたは怒るかもしれない、あせるかもしれない、悲しむかもしれない。
しかしこれが事実であり、真相なのです。

(熊本護国生)


(宮崎正弘のコメント)中国の民衆の不満と「愛国無罪」というガス抜きが矛盾していると同様に、
反日は中国人の憂さ晴らし、エンターティンメントの類ですから、
そのことを百も承知で、こういう発言をする知識人が居るのですね。



所謂支那人?の国家は「宋」、「明」のみ、明などは「海禁政策」を取っていました。

異邦人である満州人が建国した「清」の版図が支那の版図とはこれ如何に? ということ。  

「政冷経冷」でよいのですよ、低賃金どころかむしろ国内より高くなりつつあるようで。

いい加減学習すべきです、撤退すら莫大な費用がかかるようになっておる。

最後は身ぐるみ一つで逃げ出すしか無いのでしょう、恐ろし、恐ろし。

何せ「通州事件」などを平気でやる民族ですから。




周延、三枚目、



連作シリーズ「真美人 金魚?」です。



北の強欲で粗暴な白熊どものほうが民度は高い、反日教育はしておらない、

◆http://www.asahi.com/international/update/0913/TKY201209130165.html
朝日新聞 2012年9月13日
◎ビザ間に合った ロシアの学生、首脳会談で急きょ来日


ロシア・ウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でボランティアを務めた
ロシアの学生ら約500人が13日、横浜港に船で到着した。

プーチン大統領が学生たちを慰労するため旅を計画、8日の野田佳彦首相との首脳会談で決まり、
日本側はビザの準備に追われていた。
上陸後の歓迎式典で花束を受け取ったエカテリーナ・ドローボトさん(20)は
「外国を訪問するのは初めて。少しでも日本の文化に親しみたい」と話していた。

一行は客船で11日朝にウラジオを出発、13日に横浜と東京を見学した後、夜には成田空港から帰国する予定だ。



弾丸wツアーらしいが、皆喜んでおったようです。

油断なく付き合へば双方に利益あり、

まともに飲める水もない支那には未来はありませんよ、以前から書いておるとおりです。

徹底して自己中の「拝金教」、過ちを認めず謝らない、博打好き、等々ダメリカとよく似ておるわなぁ。

世界の鼻つまみ、嫌われ者BESTスリーはダメリカ、支那、半島ですよ。 地球の癌細胞です。

 



Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

Trending Articles