画は 葛飾 北斎(葛飾 北齋)かつしか ほくさい
宝暦10年(1760)? ~ 嘉永2年(1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「冨嶽三十六景 凱風快晴」です。
☆晴れ。
「役立たずの 居座り強盗」追い銭付き=無能・驕慢な在日米軍、
☆https://www.chosyu-journal.jp/shakai/9301
長周新聞 2018年9月14日
◎何ら真相解明進まぬ 普天間のヘリ部品落下事件
緑ヶ丘保育園の父母らが会見
☆傲慢な米軍、放置し続ける隷属政府
「普天間の 危険」除去する気なし
米軍普天間基地のそばにある緑ヶ丘保育園(沖縄県宜野湾市野嵩)の父母
でつくる「チーム緑ヶ丘1207」の母親たちが12日、
沖縄県庁で記者会見を開き、昨年12月7日に起きた米軍ヘリ部品落下事件の
真相解明を求めてきた活動の状況を報告し、
基地被害防止のために尽力した故・翁長知事への感謝の意を表明した。
国が「普天間基地の1日も早い閉鎖・返還」を主張する一方で、
その解決策が「辺野古移設」にすり替わり、
それが宜野湾市民の願いに応えるものであるかのように喧伝される
ことへの危惧を示すとともに、宜野湾市民が置かれている実情や願い、
これまでの要請への行政対応について現場の声を発信した。
はじめに同園の神谷武宏園長が、
事件当時の状況とその後の活動の経過を以下のように説明した。
◇———————–◇
昨年の12月7日に緑ヶ丘保育園に米軍ヘリからの部品が落下する事件がおきた。
だが、あれから9カ月を経過しても、いまだ警察の“解析中”
という状態が続いており、解決に向けて事態はまったく進展していない。
緑ヶ丘保育園は、普天間バプテスト教会附属保育園として
1964年に開設された。 当時は、戦後の荒れた状況下で、
野嵩・普天間地区には保育園がなく、小さい子どもたちが
あちこちで遊んでいるのを見かねた保育士の手によって開設された。
子どもたちの遊び場であり、学びの場である保育園は、
安全で安心して過ごせる場であることが大前提だ。
保育園ではときに雨天でも園庭に出て、全身で雨を感じながら遊ぶこともある。
▼https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2018/09/
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保育園の屋根に落下してきたヘリ部品。
「U.S.」と表記されている。ストロンチウム90のカバーである
ことがわかったため、直後に周辺の放射線量を測定した。
ところが昨年12月7日の午前10時20分頃、
空から筒状のガラス瓶のような形状で、
長さ約10㌢、直径8㌢、厚さ8㍉、重さ213㌘のものが
「ドン!」という激しい音を立てて落ちてきた。
屋根を覆う厚手の鉄製トタンが大きく凹み、
いかに大きな圧力がかかったかがわかる。
当時、園庭には二十数人の2、3歳児が先生と一緒に遊び、
奥の部屋には4、5歳児たちが翌週に予定していたクリスマス会の
劇や歌の練習をしていた。
その楽しい時間を恐怖が襲った。
隣の公民館に県が設置したカメラには、同時刻に保育園上空を飛ぶ
CH53Eヘリの機影が映っており、県が設置した集音器にも「ドン!」
という落下音が残されていた。
落下物が直撃した屋根の下は1歳児クラスの部屋だった。
その1歳児8人を連れて、これから園庭に出ようとしていたときの衝撃音に
先生も子どもも声を上げて身構えた。
「プロペラが落ちたのではないか」と感じた先生もいたが、
それは真上でヘリの音がしたからだ。
落ちた場所の50㌢先は園庭で、1歳児クラスの出入り口だった。
もう少しずれていたら … と考えるとゾッとする。
屋根に上がると、モワッとする熱を帯びた油の臭いがした。
私が生まれ育った宜野湾市新城もすぐ目の前が米軍基地なので、
風向きによって同じ臭いがする。
すぐに米軍の物だとわかった。
警察が現場を捜査し、物体を持ち帰った後、インターネット上で、
この物体が米軍大型輸送ヘリCH53Eのプロペラの根元に付いている
「ストロンチウム90」のカバーであることがわかった。
これは恐ろしいことが起きたと思った。
カバーに放射性物質が付着していたり、あるいは放出している可能性すらある。
急いで物理学の専門家に問い合わせるとともに、
放射線測定器を持つ知人を通して園内の放射線量を計測し、
基準値以内であることを確認できた。
安全を確認できたので、翌日保育園を開園することができた。
だが米軍は、落下物が大型輸送ヘリの部品であることは認めながら、
「飛行中のヘリから落下した可能性は低い」と関与を否定した。
上空を飛ぶヘリの画像も落下音も記録されており、
落下物には「U.S.」と記載されている。
付近の住民も 落下物が保育園の屋根で大きく跳ねるのを見ており、
警察はそれを聴取している。
それなのに認めようとしない。
その報道の後、保育園への誹謗中傷のメールや電話が入り出す。
メールだけならまだしも、電話が朝から多いときは1日10~20件も
かかってきた。 その多くが「捏造事件」 「自作自演」 「反日活動家」
などというおぞましいものだった。
これに対して父母たちが立ち上がり、緊急父母会を開いて
嘆願書と署名活動を開始した。
嘆願書は「事故の原因究明、および再発防止」「原因究明までの 飛行禁止」
「普天間基地に離発着する米軍ヘリの 保育園上空の飛行禁止」
という当然の要求だ。
即、基地を撤去しろという話でもなく、子どもたちの安全のために
行政に常識的な対応を求めた。
アメリカでも 軍用ヘリが保育園上空を低空飛行することなどない。
だが、米軍も国もこの要請に真摯に向き合うことなく、事態は改善されず、
その6日後には、近くの普天間第二小学校に 窓枠が落下 する事故が起きた。
緑ヶ丘保育園は、外務省が公表している米軍機の飛行ルートからは
大きく離れている。
せめて飛行ルートさえ守れば 起きる事故ではないことがわかる。
だが、彼らは 自由自在に飛び回る。
母親たちの活動によって10日間で2万6000筆をこえる署名が集まり、
その後も週4~5回の署名活動をおこない、年明けまでに10万筆をこえた。
その間にも嘆願書をもって市長や市議会、県議会にも同じ要望を訴えて回った。
最終的に集まった12万6907筆の署名を携えて、
外務省、米国領事館にも出向いた。
だが、国は「米軍の 調査待ち」とくり返すばかりで
具体的な解決策を示すことなく、
私たちをたぶらかすような返答しかなかった。
12月29日の宜野湾市民大会では、父母会の代表が
「私たちは安心で安全な空の下で 子どもたちを遊ばせたいだけだ。
子どもたちに“もう大丈夫。 空からは雨しか降ってこないよ”
といえるように飛行禁止を求めたい」と訴えた。
それからも米軍機の事故は、絶えることなく続いた。
普天間第二小学校でのヘリ窓枠(7・7㌔)、
うるま市でのオスプレイの吸気口(13㌔)落下、
そして那覇市沖でのF15の墜落へとエスカレートしている。
次は何が落ちてくるのか。
これを警告と見ずになにを見るのか。
私たちには 絶望がすぐそばに迫っている ようにしか思えない。
落下物事故が起きてから数日後、1959年6月30日に起きた
宮森小学校ジェット機墜落事故(児童12人を含む18人が死亡)の
ご遺族が来園され、「大変でしたね」と声をかけてくれた。
当時、米軍が宮森小学校の遺族に賠償金を2000㌦支払う
といったとき、母親の一人は「あなたの息子をここへ連れてきなさい。
私があなたの息子を殺して、賠償金2000㌦を払うさ」
と怒りを込めていったという。
それに対して米軍は銃を抜き、母親は「私を撃ちなさい! 撃ちなさい!」
と銃口の前に立ちはだかったという。
子を失う母親、子が危険な目に晒される母親の気持ちが
どんなに辛いか。 米軍の傲慢さがどれだけのものか。
この米軍の傲慢さは、あのときも今も 何も変わっていない。
だから、今も認めようとしないのだ。
私たちの命の尊厳は、日本国憲法の下に守られているはずだ。
そのことを共有し、この問題が「なかったこと」にされないためにも
協力してもらいたい。
☆子を預ける母親たちの思い
母親たちも強い決意を込めて意見をのべた。
母親の1人は「私は生まれも育ちも普天間だが、
ヘリやオスプレイが危険という認識はなく、
事故に至っては想像すらしていなかった。
事故直後、ショックとまた何かが落ちてくるかもしれない恐怖と不安で
とにかく混乱した。どうすれば子どもたちを守れるのかと思い、
即行動を起こした。市、県、国に訴えた。
賛同してくださる全国の人たちから12万筆をこえる署名が集まった。
“これで子どもたちが助かる”という希望を持って、
その署名を携えて上京した政府要請。
しかし、国の答えは“米軍からの回答待ち”のみの冷たい対応だった。
絶望、怒り、悲しみで一杯になった のを覚えている」とのべた。
「私たちの要求していることは、私たちの大切な子どもの命の問題だ。
皆さんのお子さんの命の問題だと訴えたい。
私たちと同じ体験を誰にもさせたくないというのが出発点だ。
現状が変わらない以上、子どもたちの安全が保障されるまで
これからも行動を続ける。
これは基地のまわりに住む人だけの問題だろうか。
ヘリは今この時間も沖縄中を飛び回り、私たちの上に起きたことは、
いつでも、どこでも、だれにも起こりうることだ。
“いつか”ではなく、まして普天間と辺野古、選択肢が二つだけ
というのはおかしい。他人事ではないことにみんなが気づいてほしい。
それを伝えたくて 皆さんの協力をお願いしたい」と訴えた。
別の母親は「事故以来、手探りで活動を続けてきたが、
理不尽のかずかずだった。どうして私たちを守ってくれないのかと思う。
国は国民の声を聞くのが仕事なのに、まったく聞いてくれず
とてもショックだった。 前市長は、事故当日に保育園にこられたが、
それ以来はなく、昨年の署名提出時にアポをとっても面談は叶わなかった。
職員が来たのは八月だった。
状況はまったく変わらず 子どもたちの頭上を米軍機が飛び回っている。
子どもが危険である以上、私たちは諦めるわけにはいかない。
現状を変えるまで行動を続けていきたい」と決意をのべた。
また、母親たちが口を揃えていたのが、職員を現場に派遣して
実情を聞きとり、みずから非公式に園を訪れて懇談したり、
県庁で母親たちの面談に応じて「行政としてみなさんを支える」と
励ましていた翁長知事の対応と比べ、
宜野湾市(佐喜真 前市長)の冷淡な対応だった。
市長は事故当日以外は一度も来園せず、
米軍飛行が改善されないため面談を求めても
親たちの前に出てくることもなく、「現場の状況を見てほしい」と
要請を続け、事故から8カ月たった今年8月半ばになって
ようやく現地に職員を派遣したという。
知事選にあたって佐喜真前市長や 松川副市長が
「普天間周辺の方方の 苦痛にも似た悲鳴」
「市民の苦しみを終わらせたるためにも 普天間の危険除去を!」と
強調していることについても
「どんな気持ちでおっしゃっているのかな? と感じる」
「何度も市役所に足を運んで、まず保育園の状況を知って欲しいと
訴えているが、市長が忙しくても
誰か職員の方を派遣することはできたはずだが、
今も置き去りにされている」
「(市長に)寄り添ってもらった、助けてもらったという感覚は正直ない」
と率直な疑問を語った。
7月19日にも市長に面会を求め、会えるというアポをとって行っても
松川副市長が対応し、8月15日に防衛局に面談に行くと、
それを受けた翌日ようやく市基地渉外課の職員が訪れた。
副市長に「このような事故は、次は大事故が起きるという警告だ。
子どもたちの命がかかわっており、米軍がルートさえ守らなければ、
宜野湾市として水道などのライフラインの提供をやめる
くらいの気構えで私たちの前に立ってほしい」と訴えたが、
副市長は「そんなことをすれば裁判になり、
負ければ市民の税金を使うことになる」と答えたという。
その後、辺野古新基地建設阻止を掲げる翁長県政に対抗する形で
「普天間の危険性 除去」を唱え、
佐喜真市長は知事選に、松川副市長は市長選に、それぞれ出馬を表明した。
母親たちは「普天間と辺野古は別問題であり、二者択一の話ではない。
私たちの上空を飛ばないでほしいと求めているが、
それは名護の上空も同じだ」
「沖縄に住みながら知らなかったことがたくさんあることを知った。
沖縄上空の管制圏が 日本のものではなく、
日米地位協定上は米軍のものである ことには衝撃を受けた。
いくら日米で飛行ルートを決めたところで、
その上にアメリカの権利があるのなら 日本は話ができる立場にあるのか。
沖縄は憲法の下にあるのか、
それとも地位協定の中に浮いているだけなのか。
親が子どもたちの安全を訴えても、だれがこれを整理してくれるのかと、
現実を知るにつけてとても複雑な気持ちになる。
辺野古の問題だけでなく、もっと深いところにある問題を変えなければ
安全は確保されない」とのべた。
「私も宜野湾育ちだが ヘリに恐怖を感じたことはあまりなかった。
でも、2歳の子どもが夜にヘリの音が聞こえると
“お母さん、ドンが来たよ”という。
それを聞いたとき、胸が締め付けられた。
子どもが大きくなったときに同じ経験をし、
同じことに時間をとらせたくない。
今直接私たちがしっかり声を伝えていかなければ、
普天間の問題が 違った方向に使われてしまうことを危惧している」
とのべた。
母親たちでつくる「チーム緑ヶ丘1207」は、これからも全県、全国に
実態を伝え、政府に対する要請行動や
アメリカへの陳情も含めて米軍機事故を食い止める活動を
幅広く展開していくとしている。
↑
アングロサクソンはレイシスト。
野蛮な海賊の子孫どもが インドや支那など海外植民地で
やりたい放題の略奪搾取を行ってきた。 抵抗は無いに等しかった。
これがDNAになって 有色人種に驕慢なわけです。
信用はもちろんしていないし そもそも人間扱いしていない、
徳川幕府は まだ多少矜持を持ってはいたが、薩長には皆無、
その卑屈な流れが 現在にも引き継がれておる ということ。
再考・再検証「明治維新」なのですよ。
北齋、二枚目、
「小間物売りと貴婦人」です。
とうに完全破綻w 後始末が こりゃ大変ですなぁ、
◆https://diamond.jp/articles/-/179754
週刊ダイヤモンド 2018.9.14
◎「アホノミクス」が 今以上に長引けば
日本経済は “窒息死”する
浜 矩子:同志社大学教授
アベノミクスによる「デフレ脱却」や生産性向上の かけ声のもと、
市場や生産現場、職場が 呼吸困難な状態に追い込まれている。
「時代錯誤の 愚かな政策」がさらに続けば
日本経済は "窒息死” しかねない。
かねて「アホノミクス」の呼称で アベノミクス批判を展開する、
同志社大学の浜矩子教授による寄稿をお届けする。
自民党総裁選が始まったが、多くの人が「安倍三選」
になってしまうと、みている。 何ともはや、情けないことだ。
何でこういうことになるのか。
そうなってしまうと、その次に起こることは 何か。
安倍政権が自らの経済政策を 言うところの「アベノミクス」を、
筆者が「アホノミクス」と命名し替えて久しい。
なぜアホノミクスなのか。
端的に言えば、安倍政権の経済政策が
よこしまな政治的下心に 基づいているからだ。
彼らは「強い 御国」を作る 自らの政治的野望を達成するために
経済政策を手段化して来た。
だが不純な動機で経済を弄べば、必ず経済活動の調子は狂う。
結果的に強くしたかった経済を 弱くしてしまう。
こうして下心のある経済政策は 不可避的に墓穴を掘る。
だが 彼らにはそれがわからない。
ここにアホノミクスの アホたる最大のゆえんがある。
お陰様で、アホノミクスもかなり普及してきた。
そのうち、ご本人も口が滑って、思わず「アホノミクスは 不滅です」などと、
「アホさ」を認めて ポロリと発言する日が来ると思っているのだが、
「安倍3選」となれば、その日はまだ先のようだ。
安倍首相を親玉とする「チームアホノミクス」への支持が
しぶとく一定水準を維持し続けるのはなぜか。
☆敵をはっきりさせる「偽預言者 効果」で 支持率を維持
その要因には、2つの側面があると、筆者は考える。
側面その一が「偽預言者 効果」だ。
そして側面その二が「振り込め詐欺 効果」である。
偽預言者とは、どのような存在か。
偽預言者と真の預言者の違いはどこにあるのか。
これまた、要点が2つある。
第一に、偽預言者は、人々が聞きたいこと、
人々にとって耳心地のいいことを言ってくれる。
そして第二に、偽預言者は 敵が誰であるかを たちどころに教えてくれる。
真の預言者が鳴らす警鐘は、人々にとって耳が痛い音を発する。
あまり聞きたくない音色だ。
だが、その音色は人々を 救いへと導く。
だが、偽預言者が発する甘い音色は、人々を破滅へといざなうものだ。
偽預言者はいう。「悪いのは ヤツらだ」。
それを教えてもらうと、人々は安心する。
安心して悪いヤツらの撃退に乗り出して行く。 偽預言者は対立をあおる。
それに対して、真の預言者は和解を説く。 許しを説く。
敵に対しても慈愛を示せという。 それは難しいことだ。
だがその難しさを誰もが克服すれば、真の和平が実現する。
チームアホノミクスの大将である安倍首相は、名偽預言者だ。
「強い日本を 取り戻す」と声高に宣言する。
「あの時の日本人にできたことが、今の日本人にできないわけがない」
と人々を鼓舞する。
彼が言う「あの時」とは 戦後の高度成長期と 明治日本の建国の時だ。
「働き方改革」を前面に押し出し、
「生産性革命」を起こすといい、「人づくり革命」も敢行するのだという。
人とAIが効率的に絡み合う「ソサエティ5.0」なるものに
日本の未来がある のだという。
こうした えたいの知れない キラキラ言葉群が、
甘言への免疫力が弱い若者たち を引き寄せる。
厳しい経営環境の中で 閉塞感にさいなまれる
中小零細企業者たちを 惑わせる。
2017年7月の東京都議選の折、街頭演説に立ったチームアホノミクスの大将は、
彼に対して「帰れコール」を浴びせた聴衆について
「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない」と叫んだ。
これぞ、偽預言者の 犯人名指し・敵指差し行動 にほかならない。
敵を指し示すことで、人々が自分の側に寄って 一致団結するように仕向ける。
それが偽預言者のやり方だ。
世の中が複雑怪奇で、人々が獏たる不安や
焦点が判然としない恐怖心を抱いている時、
この「敵指差し 戦術」が効力を発揮する。
以上がチームアホノミクスの支持基盤を構成する「偽預言者効果」だ。
☆危機感をあおる「振り込め詐欺 効果」 グローバル化とともに各国で出現
もう一つの「振り込め詐欺 効果」も、結局は
偽預言者の技の一つだ と考えてもいいだろう。
「あなたは今、こんな状況に陥っていますよ。」
「このままでは 大変なことになりますよ。」
「今すぐ、我が陣営にお入りいただかないと 手遅れですよー」。
こんな調子で危機感をあおり、自分の側に人々をおびき寄せて行くのである。
2017年10月の“にわか総選挙”に際して、チームアホノミクスの大将は、
「国難 突破」というスローガンを持ち出した。
あの旗印にも、彼らの振り込め詐欺的な 強迫観念醸成作戦が
とてもよくにじみ出ていたと思う。
「偽預言者 効果」と「振り込め詐欺 効果」は、決して、
チームアホノミクスだけに固有のものではない。
グローバル社会のあちこちに出現している大衆扇動型の政治家たちは、
皆、大なり小なりこれらのツールを武器として、
人々を 国家主義と排外主義の方向へと おびき寄せて行こうとしている。
そうした今日的時代特性が、日本においては安倍政権という姿を取って
出現しているということだ。
その意味で、チームアホノミクスとの闘いは、
まともな経済社会を守るための グローバルな闘争の一環だ
と考えておく必要がある。
さて、以上のような特性を持つ安倍政権が、
今後もなお存続して行くということになれば、それがもたらすものは何か。
それは、日本経済の窒息死だ。 筆者はそう考える。
☆「稼ぐ力」強化で 追い詰められるモノづくりの現場
かつて、安倍首相は「アベノミクスと 自分の外交安全保障政策は
表裏一体だ」と表明したことがある。
2015年、まだオバマ政権だった米国を訪れた時のことだ。
「笹川平和財団アメリカ」で行った講演の中でそう言っている。
つまり、彼は経済運営を 外交安全保障上の目標達成のための手段だ
と考えている。
政治が、その外交安全保障上の野望達成のために 経済を“従属”させる。
そのことを是としているのである。
講演で「表裏 一体」論について質問されると、
彼は日本経済をデフレから脱却させることができて、
日本のGDPを大きくすることができれば、
それに伴って国防費が増やせると言った。
その意味で、強い経済の再生は
外交安全保障政策の立て直しのために不可欠と、主張した。
つまり彼がデフレ脱却を目指すのは、
人々により良き暮らしをもたらしたいからではない。
軍備増強のために デフレ脱却を目指すのだと言っている。
このような発想に基づいて経済政策を行えば、
経済活動は必ずバランスを崩して失調して行く。
現実に、カネの世界をみれば、国債市場と株式市場が、
今の日本では まるで正常に機能していない。
安倍首相「ご指名」の黒田日銀が、
根拠も希薄な「2% 物価目標」の旗を掲げて、
国債や株式を買いまくる異常な手法で カネをばらまいているからだ。
いずれの市場においても、日本銀行の存在感があまりにも巨大化している。
市場では 今や、日銀が許容する範囲でしか相場が動かない。
これは、もはや単なる呼吸困難の域を突き抜けている。
既にして窒息死状態だ。
モノづくりの世界も、チームアホノミクスが発した「稼ぐ力を 取り戻せ」
という指令に追い立てられて、実に息苦しい状況に陥っている。
「攻めの ガバナンス」などという定義矛盾的な言葉に尻をたたかれて、
ひたすら高収益を追求しまくることを強要されている。
追い詰められた彼らが、検査データの改ざんなど、不正な手口を
ついつい強化してしまう。
そういうやり方で、「稼ぐ力」が強化されたかのごとき風情を
取り繕ってしまう。 そんなことになってしまっているのではないか。
今後、ますます、そのような方向に突き進んでいってしまうのではないか。
☆「働かせ方改革」で 人間でなく「歯車」化する働き手
そして、ヒトの世界については、もはや、多言を要しない。
チームアホノミクスがつくった「働き方 改革」という造語が
どんどん独り歩きして行く。
この造語が本当に意味するところは、
「働かせ方 超効率化のための たくらみ」である。
その一環を構成している「高度プロフェッショナル制度」の本名は
「タダ働き 青天井化のための 仕組み」にほかならない。
同じく「働き方改革」の中に組み込まれた
同一労働同一賃金や 長時間労働の是正も、
チームアホノミクスにとっては、「労働生産性向上」のための施策に過ぎない。
安倍政権による「働き方改革」の下で、
人々はどのような世界に 追い込まれて行くことになるのか。
それを知ることは簡単だ。
かのチャールズ・チャップリンが世に送り出した映画「モダン・タイムス」
を観ればいい。
これは1936年の作品だ。
モダンな時代にふさわしい「働き方」を強いられる労働者たちは、
次第に機械の一部と化していく。
あくなき生産性向上が追求される中で、彼らは機械の歯車に
巻き込まれて身動きが取れなくなっていく。
モダンな仕立てに 働き方を改革されることは、
人間が人間ではなくなる ことにつながって行く。
そのことを痛烈な風刺をもって示してくれたのがチャップリン先生だ。
天国で今の日本をみている彼は、さだめし、愕然としていることだろう。
こんなモダン・タイムスが日本に来てしまっているとは。
なんたる悲惨。何たる愚かさ。
そのように嘆き、胸を大いに痛めてくれているだろう。
☆「時代錯誤の愚かな政策」で 日本経済は”呼吸困難”に
かくして、カネの市場も、モノづくりワールドも、そしてヒトの世界も、
どんどん胸苦しく、呼吸困難な状態に追い込まれていく。
これが、アホノミクスがもたらしつつある経済的帰結だ。
これからもなおこの政策構図が保持されていくのだとすれば、
日本において経済活動はいずれ 機能停止に至る。
最後に注意しておくべきことが一つある。
それは、「アベノミクスの副作用」あるいは「アベノミクスの弊害」
という表現に関する点だ。
アホノミクス批判として、これらの表現は少し気になる。
気になるというよりは、甘い と言った方がいいだろう。
「副作用がまずい」という時、そこには、暗に「本作用は良い」
という前提が含まれている。
だが、アホノミクスは それ自体の作用に問題がある。
副作用として息苦しさが発生しているわけではない。
アホノミクスに弊害が伴っているわけではない。
アホノミクスそのものが弊害 なのである。
アホノミクスという「時代錯誤の 愚かな政策」そのものが、
日本経済を呼吸困難に追い込んでいる のである。
このままでは、我々は アホノミクスに殺される。
北齋、三枚目、
「東海道五十三次 見附 廿九」
悍ましい 西欧世界の 深淵・病理、
◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-478.html
東海アマブログ 2018-09-14
◎カトリック聖職者の 性的虐待
本日のニュースで目に入ったもの
ドイツでも聖職者の児童性的虐待が発覚、被害者3600人超
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00000008-jij_afp-int
十年ほど前から カトリック司祭による性的虐待問題が
国際的にクローズアップされはじめているが、
本当の恐ろしい実態は、まだ表だって報道されていない。
カトリック教会については、身の毛もよだつ、というか、
背筋も凍るような、とんでもない恐怖の報道がある。
CNNによって暴露されたニュース。
アイルランドのカトリック女子修道会施設で
約800人の子どもの遺骨を発見 - 当時の政府も関与か
https://mizu888.at.webry.info/201406/article_26.html
続・子供遺骨発見:3ヶ国のカトリック教会集団墓地に
30万人以上/バチカン、英王室らは調査拒否
https://mizu888.at.webry.info/201406/article_36.html
これは、カトリック教会が孤児院を経営し、
経済的事情などで預けられた子供たちを
片っ端から殺戮していたというニュースである。
その奥行きは、どこまで深い恐怖なのか、
見当もつかないまま隠蔽されている。
カトリックの司祭が、どんな理由で、
人道を蹂躙するような
子供たちに対する虐待、虐殺を行ってきたのか?
といえば、それは、おそらく司祭たち自身が、
恐ろしい性的虐待を受けてきたことによる と私は考えている。
カトリックの司祭は自慰を固く禁じられ、
もし見つかったなら 死ぬほどのむち打ちなど 拷問が与えられた。
下記のリンクにあるように、自慰は貞操を破ることに等しく、
それは、旧約聖書レビ記に描かれているような
投石処刑されるほどの極悪犯罪として認識され、激しい弾圧の対象であった。
http://www.catholic-teachers.com/2.htm
ところが、人間にとって自慰は、極めて自然な肉体的衝動であって、
それは食事をしたり排泄したりするのと変わらないほどの
人間の持って生まれた自然な属性なのである。
それを「極悪犯罪」と決めつけて、拷問によって弾圧したのだから、
司祭たちはたまったものではない。
誰にでもある自然な性の衝動が、観念によって歪められ、
自慰が犯罪とされて、勃起さえ許さない 拘束具を強制された。
下の自慰禁止具では、勃起した瞬間、激痛が与えられるように作られている。
こんな恐ろしい性的サディズムともいえる虐待のなかで
青春時代を過ごした 司祭の若者たちは、
教会のシステムから解放されて、自分の支配できる一国一城の教会を
与えられたなら、最初に考えることは、
虐待された性的衝動を、どうやって解放され満足を得るか
という凄まじく変形した性意識を満足させる ことしかありえないのだ。
教会による神様のくびき、絶対信仰の洗脳を利用して、
まだ思考能力の幼い子供たちに対して 性欲を発露させるというのは、
実に自然な流れではないのか?
だから、私がカトリックによる子供たちへの、
凄まじく大量の性的虐待ニュースを聞いたとき、
最初に浮かんだのが、上の事情であった。
サディズムに没頭するようなサイコパス的異常者というのは、
ほぼ全員が、自分自身が性的虐待を受けてきた人物なのである。
そして、さらにカトリックには、もう一つ本質的な事情がある。
「カトリック聖職者の8割は ユダヤ人である」(宇野正美講演CD)
この真実性は確認できる資料がないので、宇野正美のユダヤ知識を
一定度信用して記載しておく。
ユダヤ教徒にとって、カトリックは天敵である。
理由は、キリスト教徒が、キリストを殺害したのがユダヤ人
という認識の下、ユダヤ教徒を迫害し続けていたからである。
このため、ユダヤ教徒は、キリスト教徒の子供を誘拐し、殺害して
秘密裏に血を飲んだとの中傷が広く流布された(血の中傷)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%82%B7
上にリンクした、カトリック教会敷地で発見された
数十万の子供たちの遺骨は、事情をどう推理しても、
明らかな大量虐殺を示すものであり、この噂=血の中傷が
単なる憶測や妄想でもなさそうだと教えてくれる。
こうした事情のため、欧州の「さまよえるユダヤ人」に対し、
キリスト教徒から激しい迫害が起きて、
殺戮事件(ボグロム)が後を絶たなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0
このため、欧州から新天地を求めて渡米したピューリタンのうちの多くが、
実はボグロムから逃れるためのユダヤ人だった との報告があるほどだ。
一方で、迫害を逃れるため、カトリック司祭になるユダヤ人が多かった。
(宇野正美講演)
カトリック教会そのものが、実はユダヤ人によって
キリスト教徒を崩壊させるための陰謀的手段として作られた との推測もある。
そして「マラキの預言」によれば、
カトリックは、最終的な崩壊を迎えるとされていて、
そこに記された崩壊の段取りは、恐ろしいほど的確であり的中している。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52025133.html
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51847158.html
今日のニュースなどを見ていると、
もうすでにカトリックは完全に終わっている。
マラキの預言が完全に成就していると思うしかない。
これほどの性的虐待犯罪の総本山が、現代社会に容認されることは、
ほぼありえないだろう。
例え、2000年の歴史があるにしても。
もしも、宇野正美の指摘通り、カトリック司祭の8割が本当にユダヤ人
であるとすれば、ユダヤ人の長い長い、キリスト教崩壊作戦の陰謀が、
今や成就していると考えるべきかもしれない。
イエスを磔にして殺したユダヤ人が、
勝利するということになるのかもしれない。
しかし、アイルランドなどのカトリック教会敷地内で発見された
数十万人の子供たちの遺骨(大半に虐待の痕跡があった)が、
いかなる理由でそこにあったのかの調査と研究は、
まだこれからの課題であり、
欧州には、恐ろしい謎が うずたかく積もって視野を遮っている
と思うしかないのである。
↑
「正教」の神父は 妻帯できる。
その三位一体の関係には 「人間」がいて、まともだと思う。
「カトリック」は教義が いかにも(造物主とか) で、
日本の坊主に 散々論破され 恨みを呑んで 帰国しておる。
秀吉、家康、家光は 聡明だった。
宝暦10年(1760)? ~ 嘉永2年(1849年)
号は、葛飾 北齋、前北齋、戴斗、為一、
画狂老人、卍 など。 作
「冨嶽三十六景 凱風快晴」です。
☆晴れ。
「役立たずの 居座り強盗」追い銭付き=無能・驕慢な在日米軍、
☆https://www.chosyu-journal.jp/shakai/9301
長周新聞 2018年9月14日
◎何ら真相解明進まぬ 普天間のヘリ部品落下事件
緑ヶ丘保育園の父母らが会見
☆傲慢な米軍、放置し続ける隷属政府
「普天間の 危険」除去する気なし
米軍普天間基地のそばにある緑ヶ丘保育園(沖縄県宜野湾市野嵩)の父母
でつくる「チーム緑ヶ丘1207」の母親たちが12日、
沖縄県庁で記者会見を開き、昨年12月7日に起きた米軍ヘリ部品落下事件の
真相解明を求めてきた活動の状況を報告し、
基地被害防止のために尽力した故・翁長知事への感謝の意を表明した。
国が「普天間基地の1日も早い閉鎖・返還」を主張する一方で、
その解決策が「辺野古移設」にすり替わり、
それが宜野湾市民の願いに応えるものであるかのように喧伝される
ことへの危惧を示すとともに、宜野湾市民が置かれている実情や願い、
これまでの要請への行政対応について現場の声を発信した。
はじめに同園の神谷武宏園長が、
事件当時の状況とその後の活動の経過を以下のように説明した。
◇———————–◇
昨年の12月7日に緑ヶ丘保育園に米軍ヘリからの部品が落下する事件がおきた。
だが、あれから9カ月を経過しても、いまだ警察の“解析中”
という状態が続いており、解決に向けて事態はまったく進展していない。
緑ヶ丘保育園は、普天間バプテスト教会附属保育園として
1964年に開設された。 当時は、戦後の荒れた状況下で、
野嵩・普天間地区には保育園がなく、小さい子どもたちが
あちこちで遊んでいるのを見かねた保育士の手によって開設された。
子どもたちの遊び場であり、学びの場である保育園は、
安全で安心して過ごせる場であることが大前提だ。
保育園ではときに雨天でも園庭に出て、全身で雨を感じながら遊ぶこともある。
▼https://www.chosyu-journal.jp/wp-content/uploads/2018/09/
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保育園の屋根に落下してきたヘリ部品。
「U.S.」と表記されている。ストロンチウム90のカバーである
ことがわかったため、直後に周辺の放射線量を測定した。
ところが昨年12月7日の午前10時20分頃、
空から筒状のガラス瓶のような形状で、
長さ約10㌢、直径8㌢、厚さ8㍉、重さ213㌘のものが
「ドン!」という激しい音を立てて落ちてきた。
屋根を覆う厚手の鉄製トタンが大きく凹み、
いかに大きな圧力がかかったかがわかる。
当時、園庭には二十数人の2、3歳児が先生と一緒に遊び、
奥の部屋には4、5歳児たちが翌週に予定していたクリスマス会の
劇や歌の練習をしていた。
その楽しい時間を恐怖が襲った。
隣の公民館に県が設置したカメラには、同時刻に保育園上空を飛ぶ
CH53Eヘリの機影が映っており、県が設置した集音器にも「ドン!」
という落下音が残されていた。
落下物が直撃した屋根の下は1歳児クラスの部屋だった。
その1歳児8人を連れて、これから園庭に出ようとしていたときの衝撃音に
先生も子どもも声を上げて身構えた。
「プロペラが落ちたのではないか」と感じた先生もいたが、
それは真上でヘリの音がしたからだ。
落ちた場所の50㌢先は園庭で、1歳児クラスの出入り口だった。
もう少しずれていたら … と考えるとゾッとする。
屋根に上がると、モワッとする熱を帯びた油の臭いがした。
私が生まれ育った宜野湾市新城もすぐ目の前が米軍基地なので、
風向きによって同じ臭いがする。
すぐに米軍の物だとわかった。
警察が現場を捜査し、物体を持ち帰った後、インターネット上で、
この物体が米軍大型輸送ヘリCH53Eのプロペラの根元に付いている
「ストロンチウム90」のカバーであることがわかった。
これは恐ろしいことが起きたと思った。
カバーに放射性物質が付着していたり、あるいは放出している可能性すらある。
急いで物理学の専門家に問い合わせるとともに、
放射線測定器を持つ知人を通して園内の放射線量を計測し、
基準値以内であることを確認できた。
安全を確認できたので、翌日保育園を開園することができた。
だが米軍は、落下物が大型輸送ヘリの部品であることは認めながら、
「飛行中のヘリから落下した可能性は低い」と関与を否定した。
上空を飛ぶヘリの画像も落下音も記録されており、
落下物には「U.S.」と記載されている。
付近の住民も 落下物が保育園の屋根で大きく跳ねるのを見ており、
警察はそれを聴取している。
それなのに認めようとしない。
その報道の後、保育園への誹謗中傷のメールや電話が入り出す。
メールだけならまだしも、電話が朝から多いときは1日10~20件も
かかってきた。 その多くが「捏造事件」 「自作自演」 「反日活動家」
などというおぞましいものだった。
これに対して父母たちが立ち上がり、緊急父母会を開いて
嘆願書と署名活動を開始した。
嘆願書は「事故の原因究明、および再発防止」「原因究明までの 飛行禁止」
「普天間基地に離発着する米軍ヘリの 保育園上空の飛行禁止」
という当然の要求だ。
即、基地を撤去しろという話でもなく、子どもたちの安全のために
行政に常識的な対応を求めた。
アメリカでも 軍用ヘリが保育園上空を低空飛行することなどない。
だが、米軍も国もこの要請に真摯に向き合うことなく、事態は改善されず、
その6日後には、近くの普天間第二小学校に 窓枠が落下 する事故が起きた。
緑ヶ丘保育園は、外務省が公表している米軍機の飛行ルートからは
大きく離れている。
せめて飛行ルートさえ守れば 起きる事故ではないことがわかる。
だが、彼らは 自由自在に飛び回る。
母親たちの活動によって10日間で2万6000筆をこえる署名が集まり、
その後も週4~5回の署名活動をおこない、年明けまでに10万筆をこえた。
その間にも嘆願書をもって市長や市議会、県議会にも同じ要望を訴えて回った。
最終的に集まった12万6907筆の署名を携えて、
外務省、米国領事館にも出向いた。
だが、国は「米軍の 調査待ち」とくり返すばかりで
具体的な解決策を示すことなく、
私たちをたぶらかすような返答しかなかった。
12月29日の宜野湾市民大会では、父母会の代表が
「私たちは安心で安全な空の下で 子どもたちを遊ばせたいだけだ。
子どもたちに“もう大丈夫。 空からは雨しか降ってこないよ”
といえるように飛行禁止を求めたい」と訴えた。
それからも米軍機の事故は、絶えることなく続いた。
普天間第二小学校でのヘリ窓枠(7・7㌔)、
うるま市でのオスプレイの吸気口(13㌔)落下、
そして那覇市沖でのF15の墜落へとエスカレートしている。
次は何が落ちてくるのか。
これを警告と見ずになにを見るのか。
私たちには 絶望がすぐそばに迫っている ようにしか思えない。
落下物事故が起きてから数日後、1959年6月30日に起きた
宮森小学校ジェット機墜落事故(児童12人を含む18人が死亡)の
ご遺族が来園され、「大変でしたね」と声をかけてくれた。
当時、米軍が宮森小学校の遺族に賠償金を2000㌦支払う
といったとき、母親の一人は「あなたの息子をここへ連れてきなさい。
私があなたの息子を殺して、賠償金2000㌦を払うさ」
と怒りを込めていったという。
それに対して米軍は銃を抜き、母親は「私を撃ちなさい! 撃ちなさい!」
と銃口の前に立ちはだかったという。
子を失う母親、子が危険な目に晒される母親の気持ちが
どんなに辛いか。 米軍の傲慢さがどれだけのものか。
この米軍の傲慢さは、あのときも今も 何も変わっていない。
だから、今も認めようとしないのだ。
私たちの命の尊厳は、日本国憲法の下に守られているはずだ。
そのことを共有し、この問題が「なかったこと」にされないためにも
協力してもらいたい。
☆子を預ける母親たちの思い
母親たちも強い決意を込めて意見をのべた。
母親の1人は「私は生まれも育ちも普天間だが、
ヘリやオスプレイが危険という認識はなく、
事故に至っては想像すらしていなかった。
事故直後、ショックとまた何かが落ちてくるかもしれない恐怖と不安で
とにかく混乱した。どうすれば子どもたちを守れるのかと思い、
即行動を起こした。市、県、国に訴えた。
賛同してくださる全国の人たちから12万筆をこえる署名が集まった。
“これで子どもたちが助かる”という希望を持って、
その署名を携えて上京した政府要請。
しかし、国の答えは“米軍からの回答待ち”のみの冷たい対応だった。
絶望、怒り、悲しみで一杯になった のを覚えている」とのべた。
「私たちの要求していることは、私たちの大切な子どもの命の問題だ。
皆さんのお子さんの命の問題だと訴えたい。
私たちと同じ体験を誰にもさせたくないというのが出発点だ。
現状が変わらない以上、子どもたちの安全が保障されるまで
これからも行動を続ける。
これは基地のまわりに住む人だけの問題だろうか。
ヘリは今この時間も沖縄中を飛び回り、私たちの上に起きたことは、
いつでも、どこでも、だれにも起こりうることだ。
“いつか”ではなく、まして普天間と辺野古、選択肢が二つだけ
というのはおかしい。他人事ではないことにみんなが気づいてほしい。
それを伝えたくて 皆さんの協力をお願いしたい」と訴えた。
別の母親は「事故以来、手探りで活動を続けてきたが、
理不尽のかずかずだった。どうして私たちを守ってくれないのかと思う。
国は国民の声を聞くのが仕事なのに、まったく聞いてくれず
とてもショックだった。 前市長は、事故当日に保育園にこられたが、
それ以来はなく、昨年の署名提出時にアポをとっても面談は叶わなかった。
職員が来たのは八月だった。
状況はまったく変わらず 子どもたちの頭上を米軍機が飛び回っている。
子どもが危険である以上、私たちは諦めるわけにはいかない。
現状を変えるまで行動を続けていきたい」と決意をのべた。
また、母親たちが口を揃えていたのが、職員を現場に派遣して
実情を聞きとり、みずから非公式に園を訪れて懇談したり、
県庁で母親たちの面談に応じて「行政としてみなさんを支える」と
励ましていた翁長知事の対応と比べ、
宜野湾市(佐喜真 前市長)の冷淡な対応だった。
市長は事故当日以外は一度も来園せず、
米軍飛行が改善されないため面談を求めても
親たちの前に出てくることもなく、「現場の状況を見てほしい」と
要請を続け、事故から8カ月たった今年8月半ばになって
ようやく現地に職員を派遣したという。
知事選にあたって佐喜真前市長や 松川副市長が
「普天間周辺の方方の 苦痛にも似た悲鳴」
「市民の苦しみを終わらせたるためにも 普天間の危険除去を!」と
強調していることについても
「どんな気持ちでおっしゃっているのかな? と感じる」
「何度も市役所に足を運んで、まず保育園の状況を知って欲しいと
訴えているが、市長が忙しくても
誰か職員の方を派遣することはできたはずだが、
今も置き去りにされている」
「(市長に)寄り添ってもらった、助けてもらったという感覚は正直ない」
と率直な疑問を語った。
7月19日にも市長に面会を求め、会えるというアポをとって行っても
松川副市長が対応し、8月15日に防衛局に面談に行くと、
それを受けた翌日ようやく市基地渉外課の職員が訪れた。
副市長に「このような事故は、次は大事故が起きるという警告だ。
子どもたちの命がかかわっており、米軍がルートさえ守らなければ、
宜野湾市として水道などのライフラインの提供をやめる
くらいの気構えで私たちの前に立ってほしい」と訴えたが、
副市長は「そんなことをすれば裁判になり、
負ければ市民の税金を使うことになる」と答えたという。
その後、辺野古新基地建設阻止を掲げる翁長県政に対抗する形で
「普天間の危険性 除去」を唱え、
佐喜真市長は知事選に、松川副市長は市長選に、それぞれ出馬を表明した。
母親たちは「普天間と辺野古は別問題であり、二者択一の話ではない。
私たちの上空を飛ばないでほしいと求めているが、
それは名護の上空も同じだ」
「沖縄に住みながら知らなかったことがたくさんあることを知った。
沖縄上空の管制圏が 日本のものではなく、
日米地位協定上は米軍のものである ことには衝撃を受けた。
いくら日米で飛行ルートを決めたところで、
その上にアメリカの権利があるのなら 日本は話ができる立場にあるのか。
沖縄は憲法の下にあるのか、
それとも地位協定の中に浮いているだけなのか。
親が子どもたちの安全を訴えても、だれがこれを整理してくれるのかと、
現実を知るにつけてとても複雑な気持ちになる。
辺野古の問題だけでなく、もっと深いところにある問題を変えなければ
安全は確保されない」とのべた。
「私も宜野湾育ちだが ヘリに恐怖を感じたことはあまりなかった。
でも、2歳の子どもが夜にヘリの音が聞こえると
“お母さん、ドンが来たよ”という。
それを聞いたとき、胸が締め付けられた。
子どもが大きくなったときに同じ経験をし、
同じことに時間をとらせたくない。
今直接私たちがしっかり声を伝えていかなければ、
普天間の問題が 違った方向に使われてしまうことを危惧している」
とのべた。
母親たちでつくる「チーム緑ヶ丘1207」は、これからも全県、全国に
実態を伝え、政府に対する要請行動や
アメリカへの陳情も含めて米軍機事故を食い止める活動を
幅広く展開していくとしている。
↑
アングロサクソンはレイシスト。
野蛮な海賊の子孫どもが インドや支那など海外植民地で
やりたい放題の略奪搾取を行ってきた。 抵抗は無いに等しかった。
これがDNAになって 有色人種に驕慢なわけです。
信用はもちろんしていないし そもそも人間扱いしていない、
徳川幕府は まだ多少矜持を持ってはいたが、薩長には皆無、
その卑屈な流れが 現在にも引き継がれておる ということ。
再考・再検証「明治維新」なのですよ。
北齋、二枚目、
「小間物売りと貴婦人」です。
とうに完全破綻w 後始末が こりゃ大変ですなぁ、
◆https://diamond.jp/articles/-/179754
週刊ダイヤモンド 2018.9.14
◎「アホノミクス」が 今以上に長引けば
日本経済は “窒息死”する
浜 矩子:同志社大学教授
アベノミクスによる「デフレ脱却」や生産性向上の かけ声のもと、
市場や生産現場、職場が 呼吸困難な状態に追い込まれている。
「時代錯誤の 愚かな政策」がさらに続けば
日本経済は "窒息死” しかねない。
かねて「アホノミクス」の呼称で アベノミクス批判を展開する、
同志社大学の浜矩子教授による寄稿をお届けする。
自民党総裁選が始まったが、多くの人が「安倍三選」
になってしまうと、みている。 何ともはや、情けないことだ。
何でこういうことになるのか。
そうなってしまうと、その次に起こることは 何か。
安倍政権が自らの経済政策を 言うところの「アベノミクス」を、
筆者が「アホノミクス」と命名し替えて久しい。
なぜアホノミクスなのか。
端的に言えば、安倍政権の経済政策が
よこしまな政治的下心に 基づいているからだ。
彼らは「強い 御国」を作る 自らの政治的野望を達成するために
経済政策を手段化して来た。
だが不純な動機で経済を弄べば、必ず経済活動の調子は狂う。
結果的に強くしたかった経済を 弱くしてしまう。
こうして下心のある経済政策は 不可避的に墓穴を掘る。
だが 彼らにはそれがわからない。
ここにアホノミクスの アホたる最大のゆえんがある。
お陰様で、アホノミクスもかなり普及してきた。
そのうち、ご本人も口が滑って、思わず「アホノミクスは 不滅です」などと、
「アホさ」を認めて ポロリと発言する日が来ると思っているのだが、
「安倍3選」となれば、その日はまだ先のようだ。
安倍首相を親玉とする「チームアホノミクス」への支持が
しぶとく一定水準を維持し続けるのはなぜか。
☆敵をはっきりさせる「偽預言者 効果」で 支持率を維持
その要因には、2つの側面があると、筆者は考える。
側面その一が「偽預言者 効果」だ。
そして側面その二が「振り込め詐欺 効果」である。
偽預言者とは、どのような存在か。
偽預言者と真の預言者の違いはどこにあるのか。
これまた、要点が2つある。
第一に、偽預言者は、人々が聞きたいこと、
人々にとって耳心地のいいことを言ってくれる。
そして第二に、偽預言者は 敵が誰であるかを たちどころに教えてくれる。
真の預言者が鳴らす警鐘は、人々にとって耳が痛い音を発する。
あまり聞きたくない音色だ。
だが、その音色は人々を 救いへと導く。
だが、偽預言者が発する甘い音色は、人々を破滅へといざなうものだ。
偽預言者はいう。「悪いのは ヤツらだ」。
それを教えてもらうと、人々は安心する。
安心して悪いヤツらの撃退に乗り出して行く。 偽預言者は対立をあおる。
それに対して、真の預言者は和解を説く。 許しを説く。
敵に対しても慈愛を示せという。 それは難しいことだ。
だがその難しさを誰もが克服すれば、真の和平が実現する。
チームアホノミクスの大将である安倍首相は、名偽預言者だ。
「強い日本を 取り戻す」と声高に宣言する。
「あの時の日本人にできたことが、今の日本人にできないわけがない」
と人々を鼓舞する。
彼が言う「あの時」とは 戦後の高度成長期と 明治日本の建国の時だ。
「働き方改革」を前面に押し出し、
「生産性革命」を起こすといい、「人づくり革命」も敢行するのだという。
人とAIが効率的に絡み合う「ソサエティ5.0」なるものに
日本の未来がある のだという。
こうした えたいの知れない キラキラ言葉群が、
甘言への免疫力が弱い若者たち を引き寄せる。
厳しい経営環境の中で 閉塞感にさいなまれる
中小零細企業者たちを 惑わせる。
2017年7月の東京都議選の折、街頭演説に立ったチームアホノミクスの大将は、
彼に対して「帰れコール」を浴びせた聴衆について
「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない」と叫んだ。
これぞ、偽預言者の 犯人名指し・敵指差し行動 にほかならない。
敵を指し示すことで、人々が自分の側に寄って 一致団結するように仕向ける。
それが偽預言者のやり方だ。
世の中が複雑怪奇で、人々が獏たる不安や
焦点が判然としない恐怖心を抱いている時、
この「敵指差し 戦術」が効力を発揮する。
以上がチームアホノミクスの支持基盤を構成する「偽預言者効果」だ。
☆危機感をあおる「振り込め詐欺 効果」 グローバル化とともに各国で出現
もう一つの「振り込め詐欺 効果」も、結局は
偽預言者の技の一つだ と考えてもいいだろう。
「あなたは今、こんな状況に陥っていますよ。」
「このままでは 大変なことになりますよ。」
「今すぐ、我が陣営にお入りいただかないと 手遅れですよー」。
こんな調子で危機感をあおり、自分の側に人々をおびき寄せて行くのである。
2017年10月の“にわか総選挙”に際して、チームアホノミクスの大将は、
「国難 突破」というスローガンを持ち出した。
あの旗印にも、彼らの振り込め詐欺的な 強迫観念醸成作戦が
とてもよくにじみ出ていたと思う。
「偽預言者 効果」と「振り込め詐欺 効果」は、決して、
チームアホノミクスだけに固有のものではない。
グローバル社会のあちこちに出現している大衆扇動型の政治家たちは、
皆、大なり小なりこれらのツールを武器として、
人々を 国家主義と排外主義の方向へと おびき寄せて行こうとしている。
そうした今日的時代特性が、日本においては安倍政権という姿を取って
出現しているということだ。
その意味で、チームアホノミクスとの闘いは、
まともな経済社会を守るための グローバルな闘争の一環だ
と考えておく必要がある。
さて、以上のような特性を持つ安倍政権が、
今後もなお存続して行くということになれば、それがもたらすものは何か。
それは、日本経済の窒息死だ。 筆者はそう考える。
☆「稼ぐ力」強化で 追い詰められるモノづくりの現場
かつて、安倍首相は「アベノミクスと 自分の外交安全保障政策は
表裏一体だ」と表明したことがある。
2015年、まだオバマ政権だった米国を訪れた時のことだ。
「笹川平和財団アメリカ」で行った講演の中でそう言っている。
つまり、彼は経済運営を 外交安全保障上の目標達成のための手段だ
と考えている。
政治が、その外交安全保障上の野望達成のために 経済を“従属”させる。
そのことを是としているのである。
講演で「表裏 一体」論について質問されると、
彼は日本経済をデフレから脱却させることができて、
日本のGDPを大きくすることができれば、
それに伴って国防費が増やせると言った。
その意味で、強い経済の再生は
外交安全保障政策の立て直しのために不可欠と、主張した。
つまり彼がデフレ脱却を目指すのは、
人々により良き暮らしをもたらしたいからではない。
軍備増強のために デフレ脱却を目指すのだと言っている。
このような発想に基づいて経済政策を行えば、
経済活動は必ずバランスを崩して失調して行く。
現実に、カネの世界をみれば、国債市場と株式市場が、
今の日本では まるで正常に機能していない。
安倍首相「ご指名」の黒田日銀が、
根拠も希薄な「2% 物価目標」の旗を掲げて、
国債や株式を買いまくる異常な手法で カネをばらまいているからだ。
いずれの市場においても、日本銀行の存在感があまりにも巨大化している。
市場では 今や、日銀が許容する範囲でしか相場が動かない。
これは、もはや単なる呼吸困難の域を突き抜けている。
既にして窒息死状態だ。
モノづくりの世界も、チームアホノミクスが発した「稼ぐ力を 取り戻せ」
という指令に追い立てられて、実に息苦しい状況に陥っている。
「攻めの ガバナンス」などという定義矛盾的な言葉に尻をたたかれて、
ひたすら高収益を追求しまくることを強要されている。
追い詰められた彼らが、検査データの改ざんなど、不正な手口を
ついつい強化してしまう。
そういうやり方で、「稼ぐ力」が強化されたかのごとき風情を
取り繕ってしまう。 そんなことになってしまっているのではないか。
今後、ますます、そのような方向に突き進んでいってしまうのではないか。
☆「働かせ方改革」で 人間でなく「歯車」化する働き手
そして、ヒトの世界については、もはや、多言を要しない。
チームアホノミクスがつくった「働き方 改革」という造語が
どんどん独り歩きして行く。
この造語が本当に意味するところは、
「働かせ方 超効率化のための たくらみ」である。
その一環を構成している「高度プロフェッショナル制度」の本名は
「タダ働き 青天井化のための 仕組み」にほかならない。
同じく「働き方改革」の中に組み込まれた
同一労働同一賃金や 長時間労働の是正も、
チームアホノミクスにとっては、「労働生産性向上」のための施策に過ぎない。
安倍政権による「働き方改革」の下で、
人々はどのような世界に 追い込まれて行くことになるのか。
それを知ることは簡単だ。
かのチャールズ・チャップリンが世に送り出した映画「モダン・タイムス」
を観ればいい。
これは1936年の作品だ。
モダンな時代にふさわしい「働き方」を強いられる労働者たちは、
次第に機械の一部と化していく。
あくなき生産性向上が追求される中で、彼らは機械の歯車に
巻き込まれて身動きが取れなくなっていく。
モダンな仕立てに 働き方を改革されることは、
人間が人間ではなくなる ことにつながって行く。
そのことを痛烈な風刺をもって示してくれたのがチャップリン先生だ。
天国で今の日本をみている彼は、さだめし、愕然としていることだろう。
こんなモダン・タイムスが日本に来てしまっているとは。
なんたる悲惨。何たる愚かさ。
そのように嘆き、胸を大いに痛めてくれているだろう。
☆「時代錯誤の愚かな政策」で 日本経済は”呼吸困難”に
かくして、カネの市場も、モノづくりワールドも、そしてヒトの世界も、
どんどん胸苦しく、呼吸困難な状態に追い込まれていく。
これが、アホノミクスがもたらしつつある経済的帰結だ。
これからもなおこの政策構図が保持されていくのだとすれば、
日本において経済活動はいずれ 機能停止に至る。
最後に注意しておくべきことが一つある。
それは、「アベノミクスの副作用」あるいは「アベノミクスの弊害」
という表現に関する点だ。
アホノミクス批判として、これらの表現は少し気になる。
気になるというよりは、甘い と言った方がいいだろう。
「副作用がまずい」という時、そこには、暗に「本作用は良い」
という前提が含まれている。
だが、アホノミクスは それ自体の作用に問題がある。
副作用として息苦しさが発生しているわけではない。
アホノミクスに弊害が伴っているわけではない。
アホノミクスそのものが弊害 なのである。
アホノミクスという「時代錯誤の 愚かな政策」そのものが、
日本経済を呼吸困難に追い込んでいる のである。
このままでは、我々は アホノミクスに殺される。
北齋、三枚目、
「東海道五十三次 見附 廿九」
悍ましい 西欧世界の 深淵・病理、
◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-478.html
東海アマブログ 2018-09-14
◎カトリック聖職者の 性的虐待
本日のニュースで目に入ったもの
ドイツでも聖職者の児童性的虐待が発覚、被害者3600人超
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00000008-jij_afp-int
十年ほど前から カトリック司祭による性的虐待問題が
国際的にクローズアップされはじめているが、
本当の恐ろしい実態は、まだ表だって報道されていない。
カトリック教会については、身の毛もよだつ、というか、
背筋も凍るような、とんでもない恐怖の報道がある。
CNNによって暴露されたニュース。
アイルランドのカトリック女子修道会施設で
約800人の子どもの遺骨を発見 - 当時の政府も関与か
https://mizu888.at.webry.info/201406/article_26.html
続・子供遺骨発見:3ヶ国のカトリック教会集団墓地に
30万人以上/バチカン、英王室らは調査拒否
https://mizu888.at.webry.info/201406/article_36.html
これは、カトリック教会が孤児院を経営し、
経済的事情などで預けられた子供たちを
片っ端から殺戮していたというニュースである。
その奥行きは、どこまで深い恐怖なのか、
見当もつかないまま隠蔽されている。
カトリックの司祭が、どんな理由で、
人道を蹂躙するような
子供たちに対する虐待、虐殺を行ってきたのか?
といえば、それは、おそらく司祭たち自身が、
恐ろしい性的虐待を受けてきたことによる と私は考えている。
カトリックの司祭は自慰を固く禁じられ、
もし見つかったなら 死ぬほどのむち打ちなど 拷問が与えられた。
下記のリンクにあるように、自慰は貞操を破ることに等しく、
それは、旧約聖書レビ記に描かれているような
投石処刑されるほどの極悪犯罪として認識され、激しい弾圧の対象であった。
http://www.catholic-teachers.com/2.htm
ところが、人間にとって自慰は、極めて自然な肉体的衝動であって、
それは食事をしたり排泄したりするのと変わらないほどの
人間の持って生まれた自然な属性なのである。
それを「極悪犯罪」と決めつけて、拷問によって弾圧したのだから、
司祭たちはたまったものではない。
誰にでもある自然な性の衝動が、観念によって歪められ、
自慰が犯罪とされて、勃起さえ許さない 拘束具を強制された。
下の自慰禁止具では、勃起した瞬間、激痛が与えられるように作られている。
こんな恐ろしい性的サディズムともいえる虐待のなかで
青春時代を過ごした 司祭の若者たちは、
教会のシステムから解放されて、自分の支配できる一国一城の教会を
与えられたなら、最初に考えることは、
虐待された性的衝動を、どうやって解放され満足を得るか
という凄まじく変形した性意識を満足させる ことしかありえないのだ。
教会による神様のくびき、絶対信仰の洗脳を利用して、
まだ思考能力の幼い子供たちに対して 性欲を発露させるというのは、
実に自然な流れではないのか?
だから、私がカトリックによる子供たちへの、
凄まじく大量の性的虐待ニュースを聞いたとき、
最初に浮かんだのが、上の事情であった。
サディズムに没頭するようなサイコパス的異常者というのは、
ほぼ全員が、自分自身が性的虐待を受けてきた人物なのである。
そして、さらにカトリックには、もう一つ本質的な事情がある。
「カトリック聖職者の8割は ユダヤ人である」(宇野正美講演CD)
この真実性は確認できる資料がないので、宇野正美のユダヤ知識を
一定度信用して記載しておく。
ユダヤ教徒にとって、カトリックは天敵である。
理由は、キリスト教徒が、キリストを殺害したのがユダヤ人
という認識の下、ユダヤ教徒を迫害し続けていたからである。
このため、ユダヤ教徒は、キリスト教徒の子供を誘拐し、殺害して
秘密裏に血を飲んだとの中傷が広く流布された(血の中傷)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%82%B7
上にリンクした、カトリック教会敷地で発見された
数十万の子供たちの遺骨は、事情をどう推理しても、
明らかな大量虐殺を示すものであり、この噂=血の中傷が
単なる憶測や妄想でもなさそうだと教えてくれる。
こうした事情のため、欧州の「さまよえるユダヤ人」に対し、
キリスト教徒から激しい迫害が起きて、
殺戮事件(ボグロム)が後を絶たなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0
このため、欧州から新天地を求めて渡米したピューリタンのうちの多くが、
実はボグロムから逃れるためのユダヤ人だった との報告があるほどだ。
一方で、迫害を逃れるため、カトリック司祭になるユダヤ人が多かった。
(宇野正美講演)
カトリック教会そのものが、実はユダヤ人によって
キリスト教徒を崩壊させるための陰謀的手段として作られた との推測もある。
そして「マラキの預言」によれば、
カトリックは、最終的な崩壊を迎えるとされていて、
そこに記された崩壊の段取りは、恐ろしいほど的確であり的中している。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52025133.html
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51847158.html
今日のニュースなどを見ていると、
もうすでにカトリックは完全に終わっている。
マラキの預言が完全に成就していると思うしかない。
これほどの性的虐待犯罪の総本山が、現代社会に容認されることは、
ほぼありえないだろう。
例え、2000年の歴史があるにしても。
もしも、宇野正美の指摘通り、カトリック司祭の8割が本当にユダヤ人
であるとすれば、ユダヤ人の長い長い、キリスト教崩壊作戦の陰謀が、
今や成就していると考えるべきかもしれない。
イエスを磔にして殺したユダヤ人が、
勝利するということになるのかもしれない。
しかし、アイルランドなどのカトリック教会敷地内で発見された
数十万人の子供たちの遺骨(大半に虐待の痕跡があった)が、
いかなる理由でそこにあったのかの調査と研究は、
まだこれからの課題であり、
欧州には、恐ろしい謎が うずたかく積もって視野を遮っている
と思うしかないのである。
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「正教」の神父は 妻帯できる。
その三位一体の関係には 「人間」がいて、まともだと思う。
「カトリック」は教義が いかにも(造物主とか) で、
日本の坊主に 散々論破され 恨みを呑んで 帰国しておる。
秀吉、家康、家光は 聡明だった。