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涼しい夏祭?

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 画は豊原國周 (とよはら くにちか)
 
 天保6年(1835)〜明治33年(1900)

 号は一鶯斎など                作


  「本調糸音色 ほんちょうし いとのねじめ」より、

  「祭り佐七 尾上菊五郎」 「芸者小糸 沢村田之助」です。


☆晴れ。

本州は猛暑だそうで、題が合いませんがw 

釧路など道東はまさにヒンヤリ、長期滞在の人々が増えておるのだとか?

夏の北海道、是非おいでなさいませ。

さて、やや大風呂敷気味で、焦点ボケ、なかなかご紹介が難しいのですよ、

◆http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/a331c80e9c4116d661419caf677827ec
(新)日本の黒い霧 2012-07-14
◎JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(17)

☆日本の核開発に関する海外の報道(その1)

より抜粋、


http://peacephilosophy.blogspot.jp/2012/05/nsns-us-circumvented-laws-to-help-japan.html 
Peace Philosophy Centre Sunday, May 13, 2012
◎法の抜け道を使って日本のプルトニウムを蓄積を助けたアメリカ:
 NSNS ジョセフ・トレント論説
 US Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Plutonium
____________________________________________________

もはや公然の秘密となった日本の核武装計画と表裏一体をなす、アメリカ側の暗黒史が明かされた論説。
プルトニウムが世界平和にとって重大な不安定要因であることを熟知していたカーター大統領の手によって、
核拡散の歯止めとなる法律が制定されたが、アメリカの増殖炉計画が資金的・技術的に頓挫したとき、
これを丸ごと日本に移転して温存を図ろうとしたのは、
レーガン政権の核エネルギー特使リチャード・ケネディーとその一派だった。一方の日本は、
第二次大戦中の核兵器研究から連綿と続く研究者と、アメリカの核の傘を不安視する佐藤栄作らの政治家によって、
核燃料サイクルと宇宙ロケット開発を隠れ蓑に、核兵器技術開発が着々と進められていた。
この二つの思惑が絡み合って、危険極まりない核物質の海上輸送が正当化され、
日本はプルトニウムの蓄積量を止めどなく増加させてしまった。
軍事技術に情報公開の透明性など期待できるはずもなく、数々の事故と隠蔽が繰り返され、
その行き着く先に福島原発事故が起きてしまった。

翻訳・前文:酒井泰幸

United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium

http://www.dcbureau.org/201204097128/national-security-news-service/
united-states-circumvented-laws-to-help-japan-accumulate-tons-of-plutonium.html

アメリカは法の抜け道を使って日本が何トンものプルトニウムを蓄積することを助けた
ジョセフ・トレント(Joseph Trento)、2012年4月9日
国家安全保障通信社(National Security News Service: NSNS)

以下(略) ご参照あれ
____________________________________________________


以前、日本にプルトニウムの保管庫が5箇所(1箇所は建設中)存在し、その中の保管量が、15トン程あると、
「認めたくない福島の憂うべき現状3」でお伝えしました。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/34cba5c6a4999046b6cb01eb8acab95d

70トンと15トン、数字は異なりますが、異なる情報ソースが同じオーダーレベルを示したことに、かえって真実味を覚えます。
既に輸出や兵器転用されたプルトニウムの量を考えれば、それくらいの差異はむしろ自然なのではないでしょうか?

この記事では、「日本における核の平和利用は、核兵器開発の為の壮大な嘘であった」と伝えています。
その主張は、本ブログもまた同じです。
同記事では、311のフクシマでその虚実が明らかになったとしていますが、本ブログで度々指摘したように、
核兵器開発の秘密が最初に露呈したのは、1985年8月12日に起きた日航機事件だったのです。

日本の核開発疑惑が日航機事件の全てであるとまで言うことはできませんが、
本事件の背後に「核」の存在があるのはもはや自明でしょう。
さればこそ、彼ら(日本の闇組織:クロカモ)たちが、必死になって本事件の隠蔽に動くのも理解できます。

また、この記事の「米国の核技術を不法に日本に譲り渡した」という文意から、
米国人記者が抱く米国政府・軍への不信感が伺えます。同じような不信感は当然ながら、
米国政府内、軍内にも存在するはずで、ここに、

 (1)日本の核開発を容認する米国

 (2)日本の核開発を認めない米国

という、二つに分断された米国の姿が垣間見れるのです。

日航機事件における、撃墜された複数の米軍機とその真実を隠し続ける米国政府の矛盾した対応。
そこには、裏側にある米国内での核を巡る争いが反映されているとしか思えません。
自国が危険に晒されても、核技術の移転を求める理由、それは、
今回の引用の最後で触れている「莫大な利益」に他ならないでしょう。利益を巡る争いにもはや国境は存在しないのです。




國周、二枚目、



「み立いろはあはせ よ」 「一番組」 「与三郎」です。 

「蝙蝠も かうしそゝるや 夕間暮 竹夫」とあり。





◆http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/5a1866f4e273119e329f9756e6c38212
(新)日本の黒い霧 2012-07-17
◎JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(18)

☆日本の核開発に関する海外の報道(その2)

より抜粋、


■8月12日の暗号

これは余談になりますが、NSNSの記事が1945年(昭和20年)の8月12日を「日本の原爆完成の日」としている
のは興味を惹きます。8月12日とは日航機事件が発生した日とちょうど同じ日です。
911や311など、大事件が起きる日付の数字に意味を持たせるのは、
闇組織が好んで使う「仄めかし」の常套手段と考えられるからです。

この辺の解析については「日本の陰謀」氏が卓越していますが、812の月日を入れ替えて128とすると、
「日米会戦の日」ともなります。そして、かなり強引な解釈となりますが、その入れ替えの意味合いも含めて、
8月12日とは、「日本が核で米国に報復する日」と取れなくもありません。

それならば、何故日本の航空会社を狙うのか論理的な矛盾も感じますが、
大陸に逃れた旧陸軍系組織にとって、米国の傀儡となった日本など、
ましてや米国製航空機を運用する航空会社など日本とは見なさないということだったのかもしれません。

これを証明することは不可能ですし、今後も証明されることはないかもしれませんが、
少し気になったので、ここに書き残しておきます。


■北朝鮮のテポドンはオール三菱製?

nqlab氏は、北朝鮮に残された日本の原爆研究が置き土産となり、現在の核兵器開発、
テポドンの開発に繋がっているとしています。これに関連して、以前、北朝鮮の軍備について、
国際軍事評論家のB氏に尋ねたところ、次のようなお話を伺いました。

「北朝鮮は既に核弾頭を6発持っています。慣性誘導装置などテポドンに搭載されている主要技術は、
全て中国を経由して入った三菱重工のものです。勝手に密輸されたなどというのは建前で、
同社の籍を離れた元社員が実際に技術指導のために訪朝していると聞いてます。
自衛隊の幕僚会議でもそれが問題となり『三菱、けしからん!』の声が上がったこともあります。」

何のことはない、国力が極めて低いと言われている北朝鮮が核兵器を持ち、長距離弾道弾を飛ばせるのは、
先の大戦から現在まで、長きに渡り日本(の闇組織) の支援を受けているからと考えれば、全て合点がいきます。
密輸で高性能部品を掻き集めただけでは、弾道ミサイルの制御などという高度なシステム処理ができるはずがありません。
それをオーガナイズするプロのノウハウが必ず必要です。だとすれば、
今年の4月のように、北朝鮮から発射される日本製ミサイルにおののき、
米国製の迎撃ミサイルでそれを打ち落とそうなどという騒ぎは、面白くない吉本喜劇よりも笑えない話です。

同時に北朝鮮・中国を通じて、核技術やミサイル制御に必要な日本の精密加工技術が、
ソ連や東側諸国に流れ続けていた可能性も考えなければなりません。以前お伝えしたように、
中国北京政府の諜報機関は旧帝国陸軍(関東軍)により構築され、
戦後も伊藤忠元会長、旧帝国陸軍参謀の瀬島龍三氏の人脈をなど通して深く繋がっていた可能性が考えられるのです。
中国が核ミサイル配備を早期に達成できた理由とは、日本の闇組織を通した技術支援の賜物と考えられなくもありません。
一方、米国監視の下、平和憲法を掲げる日本は、核兵器具現化の夢をアジア共産圏諸国に仮託したのだとも考えられるのです。

これに関連して、日航機事件発生の前年(1984年)にかけて、東芝がソ連に高度な潜水艦建造技術を売り渡していたという、
東芝ココム違反事件(Wikipedia)や、日立製作所や三菱電機、富士通がIBMのオペレーティング・システム技術を不正に入手した
とされるIBM産業スパイ事件(Wikipedia)に見られるように、日航機事件発生の前後、
米国の軍事・司法筋が日本企業の動きに対して非常に敏感になっていたという事実は見逃せません。

話は脱線しましたが、史実に残らない日本の原爆製造技術の北朝鮮への移転は、
今回のテポドン騒ぎからも推察できるように、決してありえない話ではないと思えるのです。



日本の経済復興が、朝鮮戦争やベトナム戦争など、米国が仕掛けた戦争と軍需によって牽引されてきたという現実も、
私たち日本人は深く認識する必要があるでしょう。「日本の憂うべき現状」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/859741febbb07a74f8f93b23b9b3429f
では三井化学の戦争加担行為の可能性を指摘しましたが、この朝鮮戦争でも、ダイキン工業が製作した砲筒が大活躍したり、
日本の掃海艇が機雷を除去したりなど、戦争を放棄したはずの日本が、直接間接に米国の戦争に加担していた
という事実はいくらでも見出すことができます。

結局、戦争の記憶がまだ生々しい敗戦直後ですら、第2次大戦の教訓など何一つ生かされていなかった
のではないかと疑わずにはいられません。そんな精神構造のまま、いくら「平和利用」だといって核を受け入れても、
その辿り着く先はどこなのか、火を見るより明らかだとも言えます。

さて、私のこの記事は日航機事件についてのものなので、ここで、日航機事件当時の首相で事件の主要登場人物の一人、
中曽根康弘氏と戦後の核開発との繋がりについて、上述の『日本の原爆』から、関連箇所を抜粋してみます。

「中曽根は昭和26(1951)年ごろから原子力に関心を寄せた。その後の原子力諸案判定にも中心メンバーとなった。
昭和30年には衆参両院合同の原子力合同委員会が発足したが、委員長は中曽根が務めている。」

「日本の原子核研究はアメリカの思惑や政策に振り回されていることが分かり、
さらに原子物理学者よりも政治家が前面に出て動いたことが分かる。昭和31年 5月に
初代の科学技術庁長官のポストに就いた正力松太郎や、その後任の中曽根らによって、
原子核平和利用の方向付けがされていったことが分かる。」

以上より、中曽根氏の並々ならない「核」への関心が伺えます。戦後の数ある首相経験者の中でも、
科学技術庁長官という、王道から外れたポストを経て首相になった人物は珍しいとも言えます。
中曽根氏がここまで核に拘った理由は何なのか、正力松太郎氏や瀬島龍三氏との太い人脈も含めてその点に注意すると、
NSNSの調査レポートから新たな史実が見出せそうです。



* * *


文中、「記録なき戦史」という言葉を使わせていただきましたが、その意味では、日航機事件、
あるいは日航機事変もそれに該当するでしょう。もしも、誰かがこの不可思議な紛争を記述し記録に残さなければ、
520人の犠牲者は不幸な事故死者として永遠に歴史の中に刻まれてしまうでしょう。

日航機事件以外にも隠された歴史、というよりも歴史から消された史実は山のようにあるかと思います。
その中でも敢えて日航機事件を取り扱うのは、この事件が昭和という時代の実相を斯くも象徴するからに他なりません。
昭和という時代に育てられた私は、自分が生きてきた時代が何であったかを知りたいし、事件の犠牲者の皆さんに、
自らの死の意味が何であったのかを伝えてあげたいのです。そうでなければ、あまりにも残酷過ぎます。

今回のNSNSの調査レポートは、全く誤りがないとは言えないまでも、
多くの真実と真実への道のりを示している点では画期的です。しかし、真実とは本当に残酷です。
ここに書かれていることが事実なら、ビル・トッテンさんではありませんが、
戦後の日本には民主主義なるものは一度も存在しておらず、「核の平和利用」だけでなく、非核三原則も平和憲法も、
「平和という雰囲気」を醸し出すだけの舞台装置でしかなかったことになります。

日航機事件はその舞台装置が綻びを見せた最初の出来事であり、取り繕いもまだ可能だったかもしれません。
しかし、今回の福島原発事故は、旧式の舞台装置がもはや機能しないことをはっきりと示したように思います。
しかし、それでもなお真実を直視せず、ポンコツ舞台装置の作り出す仮想世界に居ることを良しとするのが
大半のように思われます。私には何も強制できませんが、それが本当に人生を生きていると言えるのかどうか、
これを機に考えてくださるだけでも、ありがたいと思えるのです。




國周、三枚目、



「当世五明人 三升」です。

「床の間や たゝ一輪の 白牡丹 竹夫」 「草の葉の 日影を舞ふや なつの蝶 中橋ゑい」とあり。



キ印ユダヤ婆ぁの憎たらしさよ、

◆http://seetell.jp/28301
2012年07月11日
◎クリントン氏「慰安婦」問題に首を突っ込む・・・
 そして米国の日本占領時代の歴史とは


どうやら最も忠実な日本の同盟国は裏表があるようだ。
この同盟国は日本が外交政策の核として宣言している国だ。
この同盟国のアジアにおける軍事的並びに経済的利益のために
日本政府は自国民を犠牲にすることさえいとわないのだ。 この同盟国は戦後67年経った今もなお
日本の最南端の沖縄県を占領し続けているのだ。また、この同盟国は日本に原子力発電をもたらし、
福島第一原発の災害後の現在も政府と原子力産業との関係を牛耳っているのだ。

今、この同盟国はある外国へ行って、日本にビンタを食らわし、
そして膿がたまっている問題をかき回して、日本を追い詰める結果となった。

ヒラリー・クリントン米国国務長官は第二位次世界大戦中の日本軍隊のための売春婦に関する
すべての公式文書中の女性たちの記述を「慰安婦」では婉曲すぎるとして
「強制的な性的奴隷」と書き改めることを要求して日本政府の怒りをかった。

ワシントンの政治的社会で広く読まれているインサイダー情報誌「ネルソンレポート」は、
クリントン氏がこの問題と深刻な人権侵害を受けた被害者の取り扱いに興味を持っていると伝えた。
ソウルの外交筋によると、クリントン氏は最近国務省高官から報告を聞いた際
「慰安婦」と言うのは誤りであると述べた。

同省高官は月曜日、この決定を確認するには至らなかったが、女性たちの扱いは「嘆かわしい」と語った。

同誌はクリントン氏の決定は日本政府高官にショックを与え、
彼らは米国が韓国および「慰安婦」問題を抱えている他の国の側に付いたと解釈していると報道している。

日本のメディアによると、 玄葉外務大臣は「情報収集中」であるという。
しかし、これは一時的な韓国に対する宥和政策ではない。これは、慎重に考慮かつ推敲された議定書である。

残念なことに、これはアメリカの日本占領時代の行為を無視した悪い政策である。

☆http://www.msnbc.msn.com/id/18355292/ns/world_news-asia_pacific/t/us-troops-used-japanese-brothels-after-wwii/
U.S. troops used Japanese brothels after WWII

第二次大戦中に女性を日本軍隊の性的奴隷として使った日本の忌まわしい行為には、知られていない続編がある: 
敗戦後、米国占領軍当局の暗黙の了解の内に日本にも米軍兵士のための「慰安婦」制度が設けられたということだ。
APの―今まで英訳されたことのなかったものも含む―歴史的文書及び記録のレビューは、
米国占領軍当局は女性たちに売春行為を強制する売春宿の運営許可を出していたことを示している。
アメリカ人は同時に日本が戦時中アジアの国々の征服過程で行った女性への極悪行為のことを熟知していた。

1946年春ダグラス・マッカーサー将軍が売春宿を閉鎖するまで、何万人もの女性が米軍兵士に安い性を提供した。

公式文書は、1945年8月に大勢の米兵が日本に流れ込む前に売春宿は急きょ用意されたことを示している。

「悲しいことに、我々警察は占領軍のために性的慰安所を設置せざるを得なかった」
と東京の北に位置する茨城県警の公式文書は綴る。
「戦略は普通の女性と少女を守る防波堤として経験を積んだ女性を使うことだった。」

普通の女性と少女とは誰のことだろうか?
http://en.wikipedia.org/wiki/Rape_during_the_occupation_of_Japan (wikipedia)

と我々は問う。 我々は、アメリカは世界の歴史上もっとも道徳の高い国だと教えられて育ってきた。


アメリカの歴史学者ジョン・ダワー氏によると、第二次世界大戦後、
日本に作られた連合国軍(占領軍)兵士向けの売春婦(慰安婦)がいた慰安所R.A.A.
(特殊慰安施設協会;Recreation and Amusement Association 直訳で「レクリエーション及び娯楽協会」)
があった間は、日本政府が望んだ通り、多数の占領軍兵士が在日していた割には、
強姦の件数は比較的低かったという。[8]:130しかし、結果として性病件数は急激に増加し、
1部隊では70%が梅毒テストで陽性、50%が淋病テスト陽性となり、それが米軍に売春宿閉鎖を決意させた。[8]:130

買収宿が閉鎖されたのは道徳上の理由ではなく、占領軍自身が日本に持ち込んだ性病のせいだということを特記する。

強姦の件数はその後急増し、以前の8倍にものぼった。
ダワー氏は、「R.A.A.があったころは、日本女性への強姦や暴行は1日に40件だったのが、
1946年の閉鎖後は1日平均330件になった」と書いている。[8]:579

アメリカ人著者テレーズ・スボボダ氏によると、売春宿が閉鎖された後は「強姦の報告はうなぎのぼりした」という。
彼女はこれを日本政府が強姦事件を上手に隠蔽し米兵に売春婦をあてがい続けた証拠としている。[11]
スボボダ氏は一例として、R.A.A.の施設の開設準備が整う前に
「何百人という米兵が2か所の施設になだれ込み、そこにいた女性全員を強姦した。」と言う。[11]
スボボダ氏によれば、1946年にR.A.A.の売春宿が閉鎖されるまでに、
2回の大量強姦事件があったと田中ユキさんは記録しているということだ。[11]


田中さんによると、4月4日の真夜中に約50人の米兵が3台のトラックに分乗して
大森地域にある中村病院に到着した。[12]
呼び笛の合図とともに次の1時間に40人以上の女性患者と37人の女性スタッフが強姦された。
[13] 被害者の女性の一人は2日前に出産したばかりだったが、彼女は床にたたきつけられて死亡した。
そして、男性患者の一部は女性を守ろうとして殺された。[14]

田中さんによると、4月11日には30〜60人の米兵が名古屋市のアパートの電話線 を切って
同時に多数の10歳の少女から55歳の女性までを同時に強姦した。[15]

日本文学、日本語、ならびにジャズ研究者のマイケル・モラスキー氏は、
戦後の日本を舞台にした小説やその他のパルプ文学の研究で占領軍が日本に入って来たばかりのころは、
強姦や他の暴力事件は横須賀や横浜のような軍港では日常茶飯事だったことが警察によって報告されており、
その後静まって占領軍がいた残りの間は本州ではそれほど多くなかったことを書いている。

ここまでは、語られた出来事は本当のようだ。
海外駐屯の米兵は誘拐、強姦、そして殺人も犯した(今でも犯している)が、
そのようなことは占領中の日本の本州ではそれほど蔓延はしていなかった。
日本の警察の記録とジャーナリスティックな研究では、米兵によるほとんどの最も暴力的な犯罪は、
横須賀のような軍港で1945年の占領軍到着直後に犯され、その後急減した。
「貞節」からの引用は、戦後の日本における売春を深く考える必要性を指摘する。
例えば、警察と医療当局が共同で行った家庭の外で働く女性に対する体制と制裁、
管理された売春を通した女性労働者の経済的搾取、男性家長制度による貞節への価値付加は、
強姦被害者には売春か自殺しか道は残されない程だった。[16]:16[6]:121

占領の最初の10日間に神奈川県では、1,336 件の強姦事件が報告された。[17]
田中さんは県庁所在地の横浜では1945年9月には、119件の強姦があったと述べた。[18]

歴史家の竹前栄治氏とロバート・リケッツ氏は、
「米軍のパラシュート部隊が札幌に到着したとき略奪と性的暴力の乱行と飲酒の挙句の喧嘩騒ぎの限りをつくした。
輪姦 やその他の性的な残虐行為は珍しくなく」被害者の中には自殺をした者もいた。[19]

あるケースでは、日本人が自警団を作り女性をオフの米兵から守ろうとしたところ、
陣形に並んだ甲装車両に襲われ、リーダー格の物たちは長期の刑期を言い渡された。[19]:67

ダワー氏によると、「少なくない数の」襲撃や強姦は警察に届け出がなかったという[8]:

そして、我々は沖縄が67年間耐えてきた輪姦や売春を含む性の問題を忘れてはならない。


戦争の勝利者が歴史を書くのは本当かもしれないが、
クリントン氏が日本と韓国の問題に首を突っ込む道徳的根拠はない。考えられるのは、
クリントン氏はこの件で日本を売って韓国に取り入り、日本への警告としたいところだろう。

事実は、韓国は韓国で、韓国政府の助けによる米軍との問題を抱えている。
☆http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08iht-08korea.19174342.html?_r=1&pagewanted=all
Ex-prostitutes say South Korea enabled sex trade near U.S. military bases

韓国は長年の間、戦時中の歴史の最も醜い部分―
日本軍向けの売春宿で働かされていた韓国やその他の国の女性たち―
の責任の所在に関して日本政府のころころ変わる態度に抗議してきた。
現在、韓国の元売春婦たちは自国の元リーダーたちを別件の虐待のかどで提訴している。
それは、韓国を北朝鮮から守るために駐屯している米兵への性を提供するよう働き掛けられたことである。
彼女らはまた、過去の韓国政府が米軍と手を組んで1960年代から1980年代まで、
直接的に性の売買にかかわり、米軍に提供される売春婦が性病をもっていないようにするために
臨床実験と治療を行う仕組みを作ったことでも告訴している。

女性たちは当時韓国政府または米国高官により強制的に売春をさせられたとは言っていないが、
日本からの賠償を求めながら、韓国の歴史をまともに見ることを拒否している代々の韓国政府の偽善を訴えている

「我々の政府は米軍のポン引きの大元締めだ」と女性の一人キム・アエランさん(58)は最近のインタビューで語った。

また、米軍が駐屯している他のアジア諸国も同じだ。
☆http://www.workers.org/2007/world/women-1011/
Another reason to bring the troops home

フィリピン、韓国、タイの米軍基地に反対する人たちは、その国の基地近くの売春宿にずっと注意を向けている。
NPO売春の研究と教育は、タイでは1974年に米軍がベトナムから休暇でタイに行ったとき
40万人の売春婦が働いたと推定している。

国連薬物犯罪事務所は2006年に200万人が世界中で人身売買と性の売買に巻き込まれたと推定している。
この数字は実際には1000万人に上るかも知れないとしている。

米国軍隊はどの戦争においても売春を促進したことは一切認めていない。
しかし、遅かれ早かれ、国防総省は深刻な女性の人権侵害の責任を問われなければならない。

うぬぼれの強いクリントン氏は、日本に過去のことを説教をする前に
帰国して自国が日本や他の諸国に対して過去に犯した犯罪を摘発すべきではないだろうか。

どちらにせよ、米国は自国の都合で同盟国を差し置いて利益の追求を優先するということを
日本人は、これを警告としてとらえるべきだ。
そして野田首相はこの国の軍隊、外交、経済のすべてに対して門戸を開こうとしているのだ。
米国は日本人を説得するために野田氏にかなりの金額を支払っているに違いない。




「米兵用の慰安所」を作れ! と占領米軍から強い指示があったのですよ。

「役立たずの居座り強盗」どもがいまだ、日本にへばりつき、やりたい放題、これが現状です。

もういい加減にしないとねぇ、洗脳から目を醒まさないと。


毎度申し上げておりますよ、

「脱米」&「排特亜」こそ国益にかのう、安全と繁栄への大道なり、とね。


 

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