画像は
「2016櫻_7」です。
2016年4月30日撮影
☆雨模様。
プーチン大明神w 偽ユダヤ・メドベージェフ、
光と影、
◆http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050600792&g=pol
時事通信 2016/05/06
◎「孤立策無視、欧米に先例示す」= 安倍首相訪問、大きく報道-ロ各紙
【ソチ時事】
安倍晋三首相のロシア南部ソチ訪問は、現地の注目度も高く、
6日付のロシア各紙が大きく報じた。
ウクライナ危機の中で「対ロ孤立政策を無視した安倍首相の訪問は、
欧米首脳に先例を示すことになる」(経済紙コメルサント)などと分析し、
制裁網の打開につながると期待する見方を示した。
コメルサントは、5月下旬の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を前にした
ソチでの日ロ首脳会談について「先進7カ国(G7)との関係で、
ロシアには 過去数カ月間で最も重要な外交行事。
2国間関係の枠を超えた意味を持つ」と評価。
「安倍首相は2016年に訪ロした最初の主要国首脳だ」と持ち上げた。
政府系ロシア新聞は、ウシャコフ大統領補佐官(外交担当)の話として
「首脳会談ではクリール諸島(北方領土を含む千島列島)の問題を議論する。
ただ、進展には長い時間を要する」と伝えた。
公式メディアが「平和条約問題」とオブラートに包んだ表現ではなく
「クリール諸島の問題」と直接的に報じるのは珍しい。
◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201604/article_84.html
richardkoshimizu's blog 2016/04/15
◎北方領土問題「妥協点見つかる」 プーチン氏が期待表明(朝日新聞)
プーチンさんは、「もうすぐ米国1%傀儡の
安倍朝鮮晋三部落マイノリティー政権は倒れる」と予測したうえで、
日本人にエールを送っているんですね。
安倍との対話は、安倍ではなく、日本国民向けのメッセージ。
安倍と話しても「録音機」ぐらいの機能しかないのは分かっています。
「米国など同盟国からの圧力にもかかわらず、
日本の友人は両国の関係を維持しようとしている」
この一言で、プーチンさんの真意がわかります。
日本国民は、プーチン・ロシアの友人です。
日本国政府は、日本を代表しない偽政権です。
不正選挙・311人工地震の何もかもが分かっているプーチン氏こそ、
日本の友人です。
ポスト安倍、ポスト自民党を見据えてのプーチン氏のご姿勢、大歓迎です。
special thanks 2016/4/15
【露プーチン閣下:「米国など同盟国からの圧力にもかかわらず、
日本の友人は両国(ロシアと日本)の関係を維持しようとしている」
と日本の姿勢を評価】
◆北方領土問題「妥協点見つかる」 プーチン氏が期待表明(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASJ4H030LJ4GUHBI03L.html
タス通信によると、ロシアのプーチン大統領は14日、
5月の大型連休中に予定されている安倍晋三首相の訪ロを歓迎し、
「あらゆる問題を話し合う」と述べた。
また、北方領土問題など日本との未解決の懸案について、
「いつか妥協点が見つかるだろう」と期待を表明した。
テレビ番組の収録後、記者団に話した。
プーチン氏は「米国など同盟国からの圧力にもかかわらず、
日本の友人は両国の関係を維持しようとしている」と日本の姿勢を評価した。
ただ、「歩み寄りには継続的な対話が必要だが、日本側が制限をした」とも述べ、
対ロシア制裁などウクライナ危機後の日本の態度に釘を刺した。
平和条約交渉については、15日の訪日を前に、ラブロフ外相が12日、
北方領土問題の協議を拒む考えを明言。
平和条約で領土問題を解決するという日本側の立場を否定していた。
画像、二枚目、
「2016櫻_8」です。
国際勝共連合か、黒い立看板に白文字w 大学当局の犬、
◆http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52137073.html
「ジャーナリスト同盟」通信 2016年05月06日
◎佐藤栄作・信二父子と歴史の真実 <本澤二郎の「日本の風景」(2346)
<高村は統一教会顧問弁護士だ!>
いま北京に自民党の高村正彦や公明党の北側なんとかが、
日中議連の代表として訪問している。
二人は集団的自衛権行使、その後の戦争法強行の立役者だ。
前者の正体を暴いてくれた御仁が、5月4日に亡くなったと報じられた佐藤信二さんだ。
7年8か月の長期政権保持者の栄作さんの次男。
彼が親しい自民党代議士に打ち明けた。
それが「高村は統一教会の顧問弁護士だ」と。
これには本当に驚いてしまった。
確かに高村は、昔から三木派の右翼議員で、政治記者の前に姿かたちを見せなかったが、
その理由を知ったことになる。
安倍とは同じ山口県、話題の「田布施」とも無縁ではないのだろう。
戦争法強行者が、日中友好議連を名乗っての北京訪問である。
お笑いだ。 両国関係の破たんを裏付けていよう。
<栄作さんとの出会い>
招待するほうも、される方も「関係改善」という不毛な屁理屈で会見、
相手をなじってやり過ごしている日中関係である。
1972年の国交正常化の雰囲気が、再び訪れることはないかのようである。
筆者が東京タイムズ政治部記者として首相官邸を担当したのは、この年のことで、
栄作さんとの出会いは、首相退陣を前にした佐藤番記者との夕食会の席だった。
彼は宴席を回りながら、記者に酒を注いで回ったその時に、駆け出し記者として質問した。
「総理は解散をいつでもできるものか」と。
戦後最強政権の担当者がどうこたえるか、興味を持っての政治記者初めての取材だった。
「キミ、そんなことはないよ。党内の空気とか、いろいろな要素がからむんだよ」と答えた。
独裁者・佐藤栄作でないことを確かめることが出来たと感じたものだ。
実兄の岸信介との出会いは、この後だったが、
60年安保を強行した岸よりはいい印象を持ってしまった。
<退陣後初の単独会見>
佐藤は後継者に、実兄の岸が寵愛する福田赳夫を支援したが、
大平正芳が提携した田中角栄が政権を担当、3か月後に歴史的な日中国交を回復した。
この様子を佐藤はどう見ているか、大いに気になって、単独記者会見をしようと考えた。
1年生の政治記者としては、なかなかの勇気である。
むろん、ずいぶんと緊張したものだが、やり遂げると、当時の山口政治部長が誉めてくれた。
肝心の佐藤発言は、もう思い出せない。そんなにひどい田中ー大平批判はなかったのであろう。
新聞にコメントすると、政治家はそれに縛られる、そこがねらい目だった。
彼は、実兄の岸のように、露骨な田中いじめはしなかった。
<千葉三郎さんの肩を借りて>
首相を辞めた佐藤は、アメリカ大使館前にあるホテル・オークラに事務所を構えた。
階数は覚えていない。眼下の屋外プールでは、いつも白人女性が泳いでいて、
目の保養になっていた。
この事務所の開所式の場で、佐藤は息子の信二を紹介した。
彼はまもなく参院議員になったものの、世襲議員が好きでなかったため、
ほとんど部屋をのぞくことはなかった。
問題の佐藤単独インタビューを実現するためには、駆け出しの記者では無理だ。
そこで一計を案じた。地元千葉3区選出の千葉三郎さんの力を借りた。
彼は東京帝国大学では岸の先輩、岸君と呼んでいた。佐藤は後輩にあたる。
千葉さんは、縁もゆかりもない筆者を大事にしてくれた。
東京タイムズの創刊者と仲良しだったせいもあるが、
地元出身記者に興味を持ったのだろう。
まもなく、彼が自民党最右翼の素心会代表であることから、
同党の反共勢力の存在を知るようになった。
一方で、リベラリストの宇都宮徳馬さんとの関係から、
同時に自民党の右翼とリベラルの双方を知るようになる。
特に知られざる右翼の正体を垣間見せられる。
北海道5区の補選は町村衆院議長の弔い合戦だったが、
町村の父親・金吾は千葉さんが紹介してくれた。
<勝共連合と自民党右翼の深い仲>
当時、千葉さんの運転手のことを、秘書の寺部かつさんが
「彼は勝共連合から派遣されてる人よ」と教えられたが、
その深い意味が理解できなかった。
彼女はとても素敵な女性で、鎌倉に住んでいた。生涯、独身を貫いた。
彼女に聞けば、自民党右翼の源流を全て教えてくれたであろうが、
駆け出し記者は右翼を無視して、関心を持とうとしなかった。
これはジャーナリストとしての反省点である。
いま話題の「日本会議」の源流であろう。
統一教会と岸、その政治部隊が勝共連合だ。
統一教会を作り上げた文鮮明は、1968年1月に韓国で、
3か月後に日本で勝共連合を立ち上げている。
イメージの悪さから、今は名称を変えてしまっているらしい。
半島と列島の反共勢力の主体は、神社本庁など右翼宗教団体を巻き込んでいる。
内外に不気味な印象を与えている。
戦後右翼は、天皇制維持と反共を武器に存続してきた。
それゆえに、日中国交回復を実現した田中ー大平連合に敵対し続けた。
<右翼教団の選挙支援>
今から振り返ると、右翼勢力は宗教を使って政治をコントロールする、
これを基本にしていることがわかる。
政教分離に敵対している。 近代に敵対していることでもある。
戦後体制の崩壊を目標にしている。
戦後体制の象徴が日本国憲法だ。改憲どころか、破憲が彼らの目的となる。
その先頭に立っているのが、岸の孫なのだ。
右翼教団は、自民党選挙の主体である。
高村には、統一教会と勝共連合が張り付いての選挙戦である。
もっと深いところで、地域に根を張る神道である。
国家神道を引きずっている戦前のカルト教団である。
神道がいま公然と改憲運動を開始した。 日本会議の本体である。
そして創価学会までもが、自民党を支援して破憲に突き進んでいる。
日本危うし、である。
「田布施」に秘密が隠されているのかもしれない。
政治無関心層は、気付いた時には、あらぬ航海を強いられていることになろう。
こわい日本である。
千葉三郎・佐藤信二さんには、お礼を言わねばなるまい。
画像、三枚目、
「2016櫻_9」です。 本年度はこれまで、とします。
ここの主催者は国際勝共連合の活動家、
◆http://melma.com/backnumber_45206_6362891/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み 発行日:5/5
◆ 書評
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「新自由主義」なる面妖なる、国家破壊の思想はどこからきたか
ユダヤ人が狙う破壊的想像とは 国家、制度の撤廃が最終目的ではないのか
♪
菊池英博、稲村公望 『ゆうちょマネーはどこへ消えたか』 (彩流社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
冒頭に示唆的なミルトン・フリードマンの言葉が挿入されている。
フリードマンといえば、シカゴ学派の総帥、
あらゆる規制緩和を無くし、市場を自由にせしめ、
つまり国家、制度を取り払えと主張したマネタリズムを唱えた。
この学派が唱えたのが「新自由主義」という名の、
おそるべき新型の金融万能、自由市場礼讃の思想だった。
ハンガリーから逃れてきたユダヤ人の末裔、ミルトン・フリードマンは
スターリンの、そしてヒトラー治下のユダヤ人が
いかような苦しみにあったのかを原点に、国家とか制度を恨み、
金融こそが万能であり、カネを稼げる場であれば、何でもやっても良いという、
倫理性を欠落させた、国境無きメカニズムの確立を説き、
その亜流等が世界に蔓延させたのが新自由主義であり、
これを日本で広めて、国家の基本をずたずたにしたのが小泉政権。
そのキーマンが竹中平蔵である。
小泉政権のときに、この「狂人宰相」(西尾幹二氏)が行ったの最悪の愚行が
「郵政民営化」という、トンデモナイ改悪事業だった。
反対が多いと、選挙で保守候補のもとへ夥しい刺客を送り込み、
城内実、小林興起、衛藤成一といった議員は落選に追いやられ、亀井静香は苦戦した。
保守派に「守旧派」というレッテルを被せ、
メディアは民営化に反対する論客を登場させず、一種の言論統制を敷いた。
全体主義をきらって米国へ亡命したユダヤ人が、
変形の全体主義的ともとれる思想で 国家を統御しようとしたのだ。
そして「郵政改悪」は強引に断行され、ぎしぎしと各省庁間の軋轢がうまれ、
あやうく郵貯の国民資産が外国へ流れ出す寸前という危機に陥ったときに、
別のカミカゼが発生した。
飛んでもない政権が宇宙からやってきた。
ともかくあの狂気のような「自由化」「規制緩和」といったアメリカ製の
アメリカの金融植民地化を目指したかのような突風はいったい何だったのか。
郵便局はコミュニィにとって欠かせない交流の場、福祉の拠点、
そして地域社会の要衝であり、これを民営化し、効率化するという事業自体が
文化破壊、伝統破壊である。
破壊的創造という言い換えもあるが、かれら郵政改悪派には、
破壊の後のビジョンがなかった。
もちろんこうした改悪には抵抗する勢力が生まれる。
だが、憲法改正がままならないように、TPPがまかり通るように、
日本では保守陣営の力はまだまだ弱く、アメリカ製の情報に操作され、
洗脳された手合いが、大手を振ってマスコミを渡り歩き、
いや反対派はメディアへの登場が閉ざされ、「かれら」の思いのままに、
国境を撤廃し、国家をいずれ消滅させるという新自由主義が闊歩するのである。
著者の二人は、頑迷に強固に、そして愚直な姿勢を貫徹しつつ、
こうした流れに逆らって正面から郵政民営化に挑戦し駁論を展開した論客である。
この二人が、民営化のあとの弊害、そしてこれからでもまだ間に合う対策、
その処方箋を解いたのが本書である。
著者等が繰り返し述べているのは、郵貯の上限が1300万円と拡大され、
これらは税制投融資に回されずに、そのまま国債(それも米国債)へ流れ、
そして株式投資へ流れるリスクが高く、それを防ぐには
金融庁が「郵貯の投資銀行化」を阻止しる必要があると、力説されている。
◆http://melma.com/backnumber_45206_6362987/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み 発行日:5/5
◆ 書評
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東アジア最悪のト「ラブルメーカー」は、あの国だ
千年不変の「被害者」って、千年不変への「加害者」じゃないのか
♪
石平 『漢(誤変換:韓が正しい)民族こそ歴史の加害者である』 (飛鳥新社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
事大主義、裏切り、告げ口外交。
酷薄な身内の勢力争い、残酷な処刑、そして壮大な裏切りの数々。
なにも、これは戦後の韓国が日本に対してなしてきた「歴史の業績」ではない。
太古の昔から、朝鮮半島は周辺諸国に、おなじことを繰り返してきた。
数千年にわたって民族に染みこんだDNAなのである。
石平氏が初めて、この裏切り半島の歴史に挑んだ。
新分野の開拓とも言えるが、みごとに成功した。
わかりやすく、重要文献をうまく選択したうえで、こまかく消化しながら、
大事なポイントをすばやく拾い、そして連綿として続く事大主義の国民性が、
まったく面妖な、あやふやな半島の歴史を築いたとする。
もとより、中国人から帰化した石平氏には日本人のチャイナウォッチャーが感知してない
微妙な中国人の心性が判るがゆえに視点が新鮮かつ独自的である。
彼はこう言う。
「東アジアの歴史の仲で、周辺の国々を恒にトラブルと紛争に巻き込み、
多大な迷惑を掛けまくってきたのは、他ならぬ半島に住む韓民族なのである。
時に自らが侵略者となった、他国に大きな被害を与えたのも半島国家の真実である」。
私事ながら評者(宮崎)は遼寧省の瀋陽から吉林省集安という街へ行ったことがある。
詳しい行程を思い出せないが、ともかく瀋陽からまずバスで五時間。
通化へ着いた。この「通化事件」の現場は、日本人三千名が虐殺された場所で、
カメラ片手に市内を歩き回った。
通化事件を再現する目的だったが、いまはそのことは措く。
通化で宿泊した翌朝、またバスで二時間ほどかけて北朝鮮との国境のまち、集安に入った。
むろん、北朝鮮との国境を視察したが、もう一つ歴史的に重要な場所がある。
高句麗の王朝跡が集安のあちこちに残るのである。
高句麗が平壌へ遷都するまでの二百年間、
この地に王城があって、城が築かれていたのだ。
高句麗は現在の中国東北部にどっかと居座り、数百年つづいた王朝である。
いまや世界遺産にも登録されたのが「好太王碑」である。
そして将軍塚や丸都山城も残骸が残るが、
市内には国内城跡が、石が積まれただけで残っている。
この場所を探すのに地元の運転手さんも知らない。
何度も付近の人に道を聞きながら一時間ほどあっちこっち行ったり来たり、
ようやく見つけたが、田圃の真ん中。
看板が小さく、しかも、「これが歴史的遺物か?」と思われるほどに目立たない
石碑と石を積み重ねただけの遺物があった。
付近の住民はだれも、この遺跡の由来を知らないのだ。
つまり、現在中国吉林省にある高句麗王朝の跡など、
中国にとっては邪魔な遺物、かつて朝鮮王朝がこの地を治めていた事実など
知られたくないから観光資源にしないのである。
白村江は石平氏によれば、「日本が二階にあがっているうちに梯子を外されてしまった」
という典型の事件だった。
そして日本が闘った相手は、この高句麗だった。
この経緯に関して、日本人の多くが知らなかった歴史的事実の開陳が本書にある。
石平氏は、まず「白村江」の闘いの時代背景を克明に追求し、
助けをもとめにきた百済は、二枚舌、三毎舌を駆使したあげくに、
日本の高僧と、当時日本に人質としてきていた豊章王子との縁戚関係を利用して、
ついに中大兄皇子は王子を百済に送還するとともに多数の援軍を送った。
しかし日本は敗北し、逃げ帰ってくるのだが、こともあろうに裏切ったのが、
日本に援軍を求めてきた王子だった。
この基本構図はまったくそっくり、何かに似ている。
そう、日本をこっぴどく批判し、「千年の恨みは消えない」と言った
かの国の大統領は 中国に媚びて
ハルビンにも伊藤博文を暗殺したテロリストの記念館を作りたいと言い、認めて貰うが、
米国から厳重に北朝鮮問題での攻撃をうけると、さっと身を翻す。
米軍のミサイル防衛体制に加盟するかといえば、
在韓米軍の指揮権は継続して欲しいと米国に懇願する。
くるりくるりと立場がひっくり返る。
その矛盾を矛盾だと感知できないあたりも、過去の指導者のメンタリティにそっくりだ。
似ている。
ほんとに朴権恵大統領は、突然の反日家、変わり者ではなく、過去のパターンを
そっくり繰り返していたに過ぎない。
元寇も、もともとは韓民族の事大主義、告げ口外交が膨らんで、
自爆するかのように、自らが日本侵略の先兵となりますとフビライに媚びた結果だった。
日本の時の執権、北条時宗は弱冠二十代の指導者だったが、
フビライの遣いで日本にやってきた朝鮮人使者の口上を聞きながら、
そこに大嘘、矛盾をたちまちにして捉えた。
時宗は、太宰府を中心に当時博多に多くいた南宋の逃亡者、亡命者から広く情報を集め、
じつは元の皇帝の動きと、半島の反応、華南へ落ち延びた南宋の人々の認識の齟齬、
情報の乖離を分析するインテリジャンスがあった。
ところが十年ほど前だったか、大河ドラマとなった『北条時宗』を偶然みていたときに
「世界秩序」を築こうとするフビライハーンに逆らう時宗の行為は
「日本の国益に反する」などと言う登場人物の台詞を聞いた。
戦後の自虐史観の象徴、後智恵を滔々と喋る日本人がいたことにたいそう驚いた。
史観の逆転がおきて、時宗を批判する勢力がまた頭をもたげていたからである。
さて本書を通読して、石さんが中国問題を国内的な視点からばかりではなく
朝鮮半島の厄介で複雑な歴史の扉を強引に大胆にこじ開け、
広範なパースペックティブに立脚した世界史を語り始めて、
新しい地平を拓かれたことを認識した。
新地平の開拓の成功を祝したい。
↑
この人は誤変換が多くてねえw ちょっと多過ぎ。
手前も気をつけねばなりませんが。
「2016櫻_7」です。
2016年4月30日撮影
☆雨模様。
プーチン大明神w 偽ユダヤ・メドベージェフ、
光と影、
◆http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050600792&g=pol
時事通信 2016/05/06
◎「孤立策無視、欧米に先例示す」= 安倍首相訪問、大きく報道-ロ各紙
【ソチ時事】
安倍晋三首相のロシア南部ソチ訪問は、現地の注目度も高く、
6日付のロシア各紙が大きく報じた。
ウクライナ危機の中で「対ロ孤立政策を無視した安倍首相の訪問は、
欧米首脳に先例を示すことになる」(経済紙コメルサント)などと分析し、
制裁網の打開につながると期待する見方を示した。
コメルサントは、5月下旬の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を前にした
ソチでの日ロ首脳会談について「先進7カ国(G7)との関係で、
ロシアには 過去数カ月間で最も重要な外交行事。
2国間関係の枠を超えた意味を持つ」と評価。
「安倍首相は2016年に訪ロした最初の主要国首脳だ」と持ち上げた。
政府系ロシア新聞は、ウシャコフ大統領補佐官(外交担当)の話として
「首脳会談ではクリール諸島(北方領土を含む千島列島)の問題を議論する。
ただ、進展には長い時間を要する」と伝えた。
公式メディアが「平和条約問題」とオブラートに包んだ表現ではなく
「クリール諸島の問題」と直接的に報じるのは珍しい。
◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201604/article_84.html
richardkoshimizu's blog 2016/04/15
◎北方領土問題「妥協点見つかる」 プーチン氏が期待表明(朝日新聞)
プーチンさんは、「もうすぐ米国1%傀儡の
安倍朝鮮晋三部落マイノリティー政権は倒れる」と予測したうえで、
日本人にエールを送っているんですね。
安倍との対話は、安倍ではなく、日本国民向けのメッセージ。
安倍と話しても「録音機」ぐらいの機能しかないのは分かっています。
「米国など同盟国からの圧力にもかかわらず、
日本の友人は両国の関係を維持しようとしている」
この一言で、プーチンさんの真意がわかります。
日本国民は、プーチン・ロシアの友人です。
日本国政府は、日本を代表しない偽政権です。
不正選挙・311人工地震の何もかもが分かっているプーチン氏こそ、
日本の友人です。
ポスト安倍、ポスト自民党を見据えてのプーチン氏のご姿勢、大歓迎です。
special thanks 2016/4/15
【露プーチン閣下:「米国など同盟国からの圧力にもかかわらず、
日本の友人は両国(ロシアと日本)の関係を維持しようとしている」
と日本の姿勢を評価】
◆北方領土問題「妥協点見つかる」 プーチン氏が期待表明(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASJ4H030LJ4GUHBI03L.html
タス通信によると、ロシアのプーチン大統領は14日、
5月の大型連休中に予定されている安倍晋三首相の訪ロを歓迎し、
「あらゆる問題を話し合う」と述べた。
また、北方領土問題など日本との未解決の懸案について、
「いつか妥協点が見つかるだろう」と期待を表明した。
テレビ番組の収録後、記者団に話した。
プーチン氏は「米国など同盟国からの圧力にもかかわらず、
日本の友人は両国の関係を維持しようとしている」と日本の姿勢を評価した。
ただ、「歩み寄りには継続的な対話が必要だが、日本側が制限をした」とも述べ、
対ロシア制裁などウクライナ危機後の日本の態度に釘を刺した。
平和条約交渉については、15日の訪日を前に、ラブロフ外相が12日、
北方領土問題の協議を拒む考えを明言。
平和条約で領土問題を解決するという日本側の立場を否定していた。
画像、二枚目、
「2016櫻_8」です。
国際勝共連合か、黒い立看板に白文字w 大学当局の犬、
◆http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52137073.html
「ジャーナリスト同盟」通信 2016年05月06日
◎佐藤栄作・信二父子と歴史の真実 <本澤二郎の「日本の風景」(2346)
<高村は統一教会顧問弁護士だ!>
いま北京に自民党の高村正彦や公明党の北側なんとかが、
日中議連の代表として訪問している。
二人は集団的自衛権行使、その後の戦争法強行の立役者だ。
前者の正体を暴いてくれた御仁が、5月4日に亡くなったと報じられた佐藤信二さんだ。
7年8か月の長期政権保持者の栄作さんの次男。
彼が親しい自民党代議士に打ち明けた。
それが「高村は統一教会の顧問弁護士だ」と。
これには本当に驚いてしまった。
確かに高村は、昔から三木派の右翼議員で、政治記者の前に姿かたちを見せなかったが、
その理由を知ったことになる。
安倍とは同じ山口県、話題の「田布施」とも無縁ではないのだろう。
戦争法強行者が、日中友好議連を名乗っての北京訪問である。
お笑いだ。 両国関係の破たんを裏付けていよう。
<栄作さんとの出会い>
招待するほうも、される方も「関係改善」という不毛な屁理屈で会見、
相手をなじってやり過ごしている日中関係である。
1972年の国交正常化の雰囲気が、再び訪れることはないかのようである。
筆者が東京タイムズ政治部記者として首相官邸を担当したのは、この年のことで、
栄作さんとの出会いは、首相退陣を前にした佐藤番記者との夕食会の席だった。
彼は宴席を回りながら、記者に酒を注いで回ったその時に、駆け出し記者として質問した。
「総理は解散をいつでもできるものか」と。
戦後最強政権の担当者がどうこたえるか、興味を持っての政治記者初めての取材だった。
「キミ、そんなことはないよ。党内の空気とか、いろいろな要素がからむんだよ」と答えた。
独裁者・佐藤栄作でないことを確かめることが出来たと感じたものだ。
実兄の岸信介との出会いは、この後だったが、
60年安保を強行した岸よりはいい印象を持ってしまった。
<退陣後初の単独会見>
佐藤は後継者に、実兄の岸が寵愛する福田赳夫を支援したが、
大平正芳が提携した田中角栄が政権を担当、3か月後に歴史的な日中国交を回復した。
この様子を佐藤はどう見ているか、大いに気になって、単独記者会見をしようと考えた。
1年生の政治記者としては、なかなかの勇気である。
むろん、ずいぶんと緊張したものだが、やり遂げると、当時の山口政治部長が誉めてくれた。
肝心の佐藤発言は、もう思い出せない。そんなにひどい田中ー大平批判はなかったのであろう。
新聞にコメントすると、政治家はそれに縛られる、そこがねらい目だった。
彼は、実兄の岸のように、露骨な田中いじめはしなかった。
<千葉三郎さんの肩を借りて>
首相を辞めた佐藤は、アメリカ大使館前にあるホテル・オークラに事務所を構えた。
階数は覚えていない。眼下の屋外プールでは、いつも白人女性が泳いでいて、
目の保養になっていた。
この事務所の開所式の場で、佐藤は息子の信二を紹介した。
彼はまもなく参院議員になったものの、世襲議員が好きでなかったため、
ほとんど部屋をのぞくことはなかった。
問題の佐藤単独インタビューを実現するためには、駆け出しの記者では無理だ。
そこで一計を案じた。地元千葉3区選出の千葉三郎さんの力を借りた。
彼は東京帝国大学では岸の先輩、岸君と呼んでいた。佐藤は後輩にあたる。
千葉さんは、縁もゆかりもない筆者を大事にしてくれた。
東京タイムズの創刊者と仲良しだったせいもあるが、
地元出身記者に興味を持ったのだろう。
まもなく、彼が自民党最右翼の素心会代表であることから、
同党の反共勢力の存在を知るようになった。
一方で、リベラリストの宇都宮徳馬さんとの関係から、
同時に自民党の右翼とリベラルの双方を知るようになる。
特に知られざる右翼の正体を垣間見せられる。
北海道5区の補選は町村衆院議長の弔い合戦だったが、
町村の父親・金吾は千葉さんが紹介してくれた。
<勝共連合と自民党右翼の深い仲>
当時、千葉さんの運転手のことを、秘書の寺部かつさんが
「彼は勝共連合から派遣されてる人よ」と教えられたが、
その深い意味が理解できなかった。
彼女はとても素敵な女性で、鎌倉に住んでいた。生涯、独身を貫いた。
彼女に聞けば、自民党右翼の源流を全て教えてくれたであろうが、
駆け出し記者は右翼を無視して、関心を持とうとしなかった。
これはジャーナリストとしての反省点である。
いま話題の「日本会議」の源流であろう。
統一教会と岸、その政治部隊が勝共連合だ。
統一教会を作り上げた文鮮明は、1968年1月に韓国で、
3か月後に日本で勝共連合を立ち上げている。
イメージの悪さから、今は名称を変えてしまっているらしい。
半島と列島の反共勢力の主体は、神社本庁など右翼宗教団体を巻き込んでいる。
内外に不気味な印象を与えている。
戦後右翼は、天皇制維持と反共を武器に存続してきた。
それゆえに、日中国交回復を実現した田中ー大平連合に敵対し続けた。
<右翼教団の選挙支援>
今から振り返ると、右翼勢力は宗教を使って政治をコントロールする、
これを基本にしていることがわかる。
政教分離に敵対している。 近代に敵対していることでもある。
戦後体制の崩壊を目標にしている。
戦後体制の象徴が日本国憲法だ。改憲どころか、破憲が彼らの目的となる。
その先頭に立っているのが、岸の孫なのだ。
右翼教団は、自民党選挙の主体である。
高村には、統一教会と勝共連合が張り付いての選挙戦である。
もっと深いところで、地域に根を張る神道である。
国家神道を引きずっている戦前のカルト教団である。
神道がいま公然と改憲運動を開始した。 日本会議の本体である。
そして創価学会までもが、自民党を支援して破憲に突き進んでいる。
日本危うし、である。
「田布施」に秘密が隠されているのかもしれない。
政治無関心層は、気付いた時には、あらぬ航海を強いられていることになろう。
こわい日本である。
千葉三郎・佐藤信二さんには、お礼を言わねばなるまい。
画像、三枚目、
「2016櫻_9」です。 本年度はこれまで、とします。
ここの主催者は国際勝共連合の活動家、
◆http://melma.com/backnumber_45206_6362891/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み 発行日:5/5
◆ 書評
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「新自由主義」なる面妖なる、国家破壊の思想はどこからきたか
ユダヤ人が狙う破壊的想像とは 国家、制度の撤廃が最終目的ではないのか
♪
菊池英博、稲村公望 『ゆうちょマネーはどこへ消えたか』 (彩流社)
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冒頭に示唆的なミルトン・フリードマンの言葉が挿入されている。
フリードマンといえば、シカゴ学派の総帥、
あらゆる規制緩和を無くし、市場を自由にせしめ、
つまり国家、制度を取り払えと主張したマネタリズムを唱えた。
この学派が唱えたのが「新自由主義」という名の、
おそるべき新型の金融万能、自由市場礼讃の思想だった。
ハンガリーから逃れてきたユダヤ人の末裔、ミルトン・フリードマンは
スターリンの、そしてヒトラー治下のユダヤ人が
いかような苦しみにあったのかを原点に、国家とか制度を恨み、
金融こそが万能であり、カネを稼げる場であれば、何でもやっても良いという、
倫理性を欠落させた、国境無きメカニズムの確立を説き、
その亜流等が世界に蔓延させたのが新自由主義であり、
これを日本で広めて、国家の基本をずたずたにしたのが小泉政権。
そのキーマンが竹中平蔵である。
小泉政権のときに、この「狂人宰相」(西尾幹二氏)が行ったの最悪の愚行が
「郵政民営化」という、トンデモナイ改悪事業だった。
反対が多いと、選挙で保守候補のもとへ夥しい刺客を送り込み、
城内実、小林興起、衛藤成一といった議員は落選に追いやられ、亀井静香は苦戦した。
保守派に「守旧派」というレッテルを被せ、
メディアは民営化に反対する論客を登場させず、一種の言論統制を敷いた。
全体主義をきらって米国へ亡命したユダヤ人が、
変形の全体主義的ともとれる思想で 国家を統御しようとしたのだ。
そして「郵政改悪」は強引に断行され、ぎしぎしと各省庁間の軋轢がうまれ、
あやうく郵貯の国民資産が外国へ流れ出す寸前という危機に陥ったときに、
別のカミカゼが発生した。
飛んでもない政権が宇宙からやってきた。
ともかくあの狂気のような「自由化」「規制緩和」といったアメリカ製の
アメリカの金融植民地化を目指したかのような突風はいったい何だったのか。
郵便局はコミュニィにとって欠かせない交流の場、福祉の拠点、
そして地域社会の要衝であり、これを民営化し、効率化するという事業自体が
文化破壊、伝統破壊である。
破壊的創造という言い換えもあるが、かれら郵政改悪派には、
破壊の後のビジョンがなかった。
もちろんこうした改悪には抵抗する勢力が生まれる。
だが、憲法改正がままならないように、TPPがまかり通るように、
日本では保守陣営の力はまだまだ弱く、アメリカ製の情報に操作され、
洗脳された手合いが、大手を振ってマスコミを渡り歩き、
いや反対派はメディアへの登場が閉ざされ、「かれら」の思いのままに、
国境を撤廃し、国家をいずれ消滅させるという新自由主義が闊歩するのである。
著者の二人は、頑迷に強固に、そして愚直な姿勢を貫徹しつつ、
こうした流れに逆らって正面から郵政民営化に挑戦し駁論を展開した論客である。
この二人が、民営化のあとの弊害、そしてこれからでもまだ間に合う対策、
その処方箋を解いたのが本書である。
著者等が繰り返し述べているのは、郵貯の上限が1300万円と拡大され、
これらは税制投融資に回されずに、そのまま国債(それも米国債)へ流れ、
そして株式投資へ流れるリスクが高く、それを防ぐには
金融庁が「郵貯の投資銀行化」を阻止しる必要があると、力説されている。
◆http://melma.com/backnumber_45206_6362987/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み 発行日:5/5
◆ 書評
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東アジア最悪のト「ラブルメーカー」は、あの国だ
千年不変の「被害者」って、千年不変への「加害者」じゃないのか
♪
石平 『漢(誤変換:韓が正しい)民族こそ歴史の加害者である』 (飛鳥新社)
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事大主義、裏切り、告げ口外交。
酷薄な身内の勢力争い、残酷な処刑、そして壮大な裏切りの数々。
なにも、これは戦後の韓国が日本に対してなしてきた「歴史の業績」ではない。
太古の昔から、朝鮮半島は周辺諸国に、おなじことを繰り返してきた。
数千年にわたって民族に染みこんだDNAなのである。
石平氏が初めて、この裏切り半島の歴史に挑んだ。
新分野の開拓とも言えるが、みごとに成功した。
わかりやすく、重要文献をうまく選択したうえで、こまかく消化しながら、
大事なポイントをすばやく拾い、そして連綿として続く事大主義の国民性が、
まったく面妖な、あやふやな半島の歴史を築いたとする。
もとより、中国人から帰化した石平氏には日本人のチャイナウォッチャーが感知してない
微妙な中国人の心性が判るがゆえに視点が新鮮かつ独自的である。
彼はこう言う。
「東アジアの歴史の仲で、周辺の国々を恒にトラブルと紛争に巻き込み、
多大な迷惑を掛けまくってきたのは、他ならぬ半島に住む韓民族なのである。
時に自らが侵略者となった、他国に大きな被害を与えたのも半島国家の真実である」。
私事ながら評者(宮崎)は遼寧省の瀋陽から吉林省集安という街へ行ったことがある。
詳しい行程を思い出せないが、ともかく瀋陽からまずバスで五時間。
通化へ着いた。この「通化事件」の現場は、日本人三千名が虐殺された場所で、
カメラ片手に市内を歩き回った。
通化事件を再現する目的だったが、いまはそのことは措く。
通化で宿泊した翌朝、またバスで二時間ほどかけて北朝鮮との国境のまち、集安に入った。
むろん、北朝鮮との国境を視察したが、もう一つ歴史的に重要な場所がある。
高句麗の王朝跡が集安のあちこちに残るのである。
高句麗が平壌へ遷都するまでの二百年間、
この地に王城があって、城が築かれていたのだ。
高句麗は現在の中国東北部にどっかと居座り、数百年つづいた王朝である。
いまや世界遺産にも登録されたのが「好太王碑」である。
そして将軍塚や丸都山城も残骸が残るが、
市内には国内城跡が、石が積まれただけで残っている。
この場所を探すのに地元の運転手さんも知らない。
何度も付近の人に道を聞きながら一時間ほどあっちこっち行ったり来たり、
ようやく見つけたが、田圃の真ん中。
看板が小さく、しかも、「これが歴史的遺物か?」と思われるほどに目立たない
石碑と石を積み重ねただけの遺物があった。
付近の住民はだれも、この遺跡の由来を知らないのだ。
つまり、現在中国吉林省にある高句麗王朝の跡など、
中国にとっては邪魔な遺物、かつて朝鮮王朝がこの地を治めていた事実など
知られたくないから観光資源にしないのである。
白村江は石平氏によれば、「日本が二階にあがっているうちに梯子を外されてしまった」
という典型の事件だった。
そして日本が闘った相手は、この高句麗だった。
この経緯に関して、日本人の多くが知らなかった歴史的事実の開陳が本書にある。
石平氏は、まず「白村江」の闘いの時代背景を克明に追求し、
助けをもとめにきた百済は、二枚舌、三毎舌を駆使したあげくに、
日本の高僧と、当時日本に人質としてきていた豊章王子との縁戚関係を利用して、
ついに中大兄皇子は王子を百済に送還するとともに多数の援軍を送った。
しかし日本は敗北し、逃げ帰ってくるのだが、こともあろうに裏切ったのが、
日本に援軍を求めてきた王子だった。
この基本構図はまったくそっくり、何かに似ている。
そう、日本をこっぴどく批判し、「千年の恨みは消えない」と言った
かの国の大統領は 中国に媚びて
ハルビンにも伊藤博文を暗殺したテロリストの記念館を作りたいと言い、認めて貰うが、
米国から厳重に北朝鮮問題での攻撃をうけると、さっと身を翻す。
米軍のミサイル防衛体制に加盟するかといえば、
在韓米軍の指揮権は継続して欲しいと米国に懇願する。
くるりくるりと立場がひっくり返る。
その矛盾を矛盾だと感知できないあたりも、過去の指導者のメンタリティにそっくりだ。
似ている。
ほんとに朴権恵大統領は、突然の反日家、変わり者ではなく、過去のパターンを
そっくり繰り返していたに過ぎない。
元寇も、もともとは韓民族の事大主義、告げ口外交が膨らんで、
自爆するかのように、自らが日本侵略の先兵となりますとフビライに媚びた結果だった。
日本の時の執権、北条時宗は弱冠二十代の指導者だったが、
フビライの遣いで日本にやってきた朝鮮人使者の口上を聞きながら、
そこに大嘘、矛盾をたちまちにして捉えた。
時宗は、太宰府を中心に当時博多に多くいた南宋の逃亡者、亡命者から広く情報を集め、
じつは元の皇帝の動きと、半島の反応、華南へ落ち延びた南宋の人々の認識の齟齬、
情報の乖離を分析するインテリジャンスがあった。
ところが十年ほど前だったか、大河ドラマとなった『北条時宗』を偶然みていたときに
「世界秩序」を築こうとするフビライハーンに逆らう時宗の行為は
「日本の国益に反する」などと言う登場人物の台詞を聞いた。
戦後の自虐史観の象徴、後智恵を滔々と喋る日本人がいたことにたいそう驚いた。
史観の逆転がおきて、時宗を批判する勢力がまた頭をもたげていたからである。
さて本書を通読して、石さんが中国問題を国内的な視点からばかりではなく
朝鮮半島の厄介で複雑な歴史の扉を強引に大胆にこじ開け、
広範なパースペックティブに立脚した世界史を語り始めて、
新しい地平を拓かれたことを認識した。
新地平の開拓の成功を祝したい。
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この人は誤変換が多くてねえw ちょっと多過ぎ。
手前も気をつけねばなりませんが。