歌川広重 (安藤広重)
寛政9年(1797年)〜安政5年(1858年)
号は一立齋(いちりゅうさい) 作
「東海道五拾三次之内 土山 春之雨」です。
☆雨。
憲法記念日です。 現行憲法につき、何度も書いてきました。
改正すべきですが、逆コースはダメですよ。
「天皇を元首に」がそれです。
日本史を考えれば、上古、上代はいざしらず、
鎌倉幕府以来、天皇に権力などありません、明治維新からが異様なので。
「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「恒久平和主義」、
この理念は崩してはならんと思う。
主権者はあくまでも国民なのであり、天皇でも徳川将軍でもない。
日本に元首は必要ない、あへて擬えるとしたら時々の内閣総理大臣ですよ。
南朝を正閏とする大室天皇家が国家元首など日本史上ありえないことですよ。
広重、二枚目、
「名所江戸百景 亀戸天神境内」です。
論旨に全て同意はできぬし、見えておらぬところもあるが、
◆http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1067
西尾幹二のインターネット日録 2011/7/4 月曜日
◎脱原発こそ国家永続の道 (二)
『WiLL』7月号より
国にとっての「外部被曝」
震災後の海と陸に展開された自衛隊の今回の救援活動を日本人は心強く思い、感謝の気持が高まっている。
朝日新聞やNHKですら、国民感情を無視できなくなっている。自衛隊のおかげです、ありがとう、
の気持ちは自然で素直だが、日本人はかつて戦地で戦う軍人にも、
頼もしさとありがとうの感謝の気持ちを熱く抱いていたのである。
子供の歌にも「肩ヲ並ベテ兄サント 今日モ学校ヘ行ケルノハ、オ国ノタメニ戦ツタ、兵隊サンノオカゲデスー♪」
と歌ったものだった。今の自衛隊に対するのと変わらない自然で、素直な気持だった。
理窟を言い出したのは敗戦後である。人間が愚かで卑劣になったのは戦後である。
はっきり言うが、歴史を思い出すとき、なぜあの時代の国民の自然で、素直な感情に戻らないのか。
「守る」ということは生命の本来の欲求で、人間がまともなら少しも難しいことではないのである。
今回は原発事故だが、明日は外敵の襲来かもしれない。尖閣周辺は今もきな臭い。
戦争を「想定外」として、いつまでも裂け目の外を覗き見る勇気のない国民には、
そもそも原子力発電などを手がける資格がないのである。
震災から二カ月半も経ったのに、被災地で弁当の配達をしているのは自衛隊員であるのを知って、
隊員を本務に戻さない政府のやり方に怒りさえ覚えた。
中央の官僚の大量投入と現地の被災民の組織化を、なぜしなかったのか。
私は国を守ることも、文明を守ることも、家族を守ることも、自分の生活を守ることも、
どれにも共通する「守る」ことに必要な条件があると考えている。
それは最悪を想定し、最大限に可能な予防措置を施し、しかも平生はそれを忘れたかのごとく平穏に振る舞い、
晴朗に生きる心掛けを創り出すことだと考えている。
最近、放射能汚染をめぐって「内部被曝」と「外部被曝」の違いがよく取り上げられる。
口や鼻から体内に入った前者は、後者に比べて破壊力が大きく、取り返しがつかない。
この例にならって、国家も人体と同じように考えれば、国内に引き入れられた放射能の被曝は、
国外から襲われる被曝よりも、よほど始末に悪い厄介なしろものだということが考えられねばならない。
国にとっての「外部被曝」は、核攻撃と他国の原発事故の影響である。
核攻撃から身を守るには、大国の核の傘に頼るか自ら核武装するか以外に方法はない。
他国の原発事故の影響は防衛困難だが、日本は国境までの距離が大きいだけに、
ヨーロッパに比べていくらか有利であるかもしれない。
それに対し、「内部被曝」すなわち国内の原発事故は、土地が狭く、
地震と津波の多い国土である日本は条件的に不利で、今度の経験から、
原発はやらないで済ませられるならやらないに越したことはないと考える。
「内部被曝」は、一人の人間の身体内と同様に、一つの国の国土内に起こると、
被害は深層に入り、汚染は何十年と続く。
しかも、核燃料廃棄物の最終処理が技術的に解決されていない以上、
子孫に伝えるべき大切な国土が永久的に汚辱され、廃棄物をどんなに地下深く埋めても、
地殻変動で将来どうなるものか分からない。国土は民族遺産である。汚染と侵害は許されない。
原発反対派に転じた理由
原発事故が起こってから、私は原発賛成派から反対派に転じた。考えを改めた。
今まで原発賛成といっても、経済面で合理的で安全なものなら反対する理由はないと思っていただけで、
無関心派に近かった。格別そこに道義や理念を持ちこんで考えていたわけではない。
たかがエネルギーの問題で、国家の価値観や歴史の尊厳とは関係がない。
しかし、福島の事故が起こって、原発は経済面で合理的でもないし、安全なものでもないと分かったし、
国家や歴史を犯すものと分かった以上、人は選択肢を変えることに躊躇すべきではない。
人間は経験から学ぶべきものである。
自分を「守る」とはどういうことか。最悪の事態を想定して生きることであるとさきほど申し上げた。
治にあって乱を忘れぬことである。しかし、乱をよろこぶということでは決してない。
しなくて済む乱は、これを避けるに越したことはない。
原発の選択は本当に不可避であったか、これまで真剣に問われないできたし、
代替エネルギーの開発も原発が合理的という声に抑えられて本格的になされないできた。
これから問われ、かつ急速に研究推進されるであろう。
よくこういう問題で、「勇気」を持ち出す人がいる。ことに保守派に多いが、
たかが事故の一つや二つ起こったくらいでオタオタするな、というのである。しかし、
正直いって私はオタオタしている。福島の情勢が悪化することを、私は最初からひどく心配してきた。
その徴候はいま現にある。別の原発で二度目の事故が起こることをさらに心配している。
ダブルパンチを受けたら、この国は本当に亡びるかもしれない。
体内の「内部被曝」の怖いことがよく分かった。国も同じで、内側がやられたらもう手に負えない。
「勇気」を発揮しようにも発揮できなくなる。
勇気や精神力を持ち出すケースでないことは、あまりにも明らかだろう。外敵と戦うのとは違うのである。
それに、子を持つ母親の恐怖は深い。女性の参政権の強いこの国では今後、
原発賛成では選挙に勝てないだろう。自治体は財政をかかえるから、すぐに反対はいえないだろうが、
一般住民の意識ではすでに原発反対が圧倒的多数を占めている。日本国民は賢明で常識を具えている。
天使のような侵略
私たちは、日常の裂け目からいったん奥を覗き見たのだ。
奥にある破壊の相を目にした以上、生命力は奮然としてそこから身を守る戦いを開始したのである。
今までの平穏で長閑な日常には、もう戻れないかもしれない。
「守る」とは何か。本当の「勇気」とは何か。
原発に必ずしも反対でなかった者が、私のように突然、慎重になると、
戦争支持者が戦後突然、替わり身早く戦前を否定するようなことを言い出すのと同じ話だ
と騒ぎ立てている人がいるらしいが、これは見当違いも甚だしい。
原子力発電は中曽根内閣からはじまった。
そして、経済界が全面的にこれをバックアップした。
私はかねて国家というものは政治、経済、外交、軍事の四輪が平均的に揃ってはじめて前へ進める車のようなもの
としきりに言ってきた。日本のように、経済だけ突出した商人国家像を否定してきた。
中曽根から小泉に至る自民党政治と経団連との野合を批判してきた。
最近では『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)で、表紙に人名を刷って、
中曽根康弘、後藤田正晴、宮澤喜一、河野洋平、小泉純一郎、小沢一郎、鳩山由紀夫のほかに、
あえて奥田碩、御手洗冨士夫、小林陽太郎、北城恪太郎の四人の財界人を告発した。
この商人国家路線が、いよいよここにきて破産したのである。自民も民主も同じ穴の狢である。
3・11にはじまる原発事故が、日本の国家路線にNO! を突きつける警告のメッセージを発したと考えている。
概略すればこうだ。
一九九三年に同時成立した江沢民とクリントンの政権に脅され、
絡め取られて再敗戦国家を演じつづけてきたわが国は、米中両国に屈服し、3・11で沈没しかかり、
オバマの派遣した大艦隊の「トモダチ作戦」によって、権力の真空地帯を守ってもらった。
東アジアに生じた権力の空洞は中国、北朝鮮、ロシアの垂涎の的である。
しかも、福島原発はアメリカの危機感を別の面でも揺さぶった。
アメリカのエネルギー政策の進路は、日本の原発の行方にかかっている。加えて万一、
放射能が東日本を蔽い、四千万人が西へ移動するパニックが発生すればこの列島は無政府状態になり、
アメリカは「臨時政府」を考えなくてはならない立場だ。かつての南ベトナムや南鮮の再来である。
あの素早い大艦隊の派遣には、戦後史の記憶が宿っている。
ルーピー鳩山以来、ますますアメリカからは日本がそういうレベルの国に見られているのは間違いない。
しかし、私はふとこうも思う。日本は完全に堕ちるところまで堕ちるがよい。
アメリカに作ってもらった「臨時政府」は、アメリカの手を借りてようやく「憲法改正」を果たすだろう。
アメリカはなにしろ「トモダチ」である。嗚呼! わが国は堕ちるところまで堕ちて、
悪魔のような侵略にではなく、天使のような侵略にさらされるがよい。
そして、戦後もそうであったように、国柄そのものを奪われていく。
戦後GHQは日本の左翼を利用して伝統文化を破壊したが、今回はオバマが民主党を利用して、
TPPや外国人参政権その他を使って、わが国を再占領国家にふさわしく、
中国やロシアや朝鮮半島に差し出す操り人形に仕立てあげるだろう。
↑
「米帝」は天使のような侵略者ではないわな、もともと「悪魔」そのものさ。
3.11は天災ではない、テロ攻撃なのだから。 この人は、そこが見えてない。
広重、三枚目、
「六十余州名所図会 若狭 漁船鰈かれい網」です。
昨日の記事にあった「1世紀にもわたり封印されてきたニコラ・テスラの
高エネルギー=フリーエネルギーが利用できるようになる」関連で、
◆http://quasimoto.exblog.jp/17902189/
Kazumoto Iguchi's blog 2012年 05月 02日
◎フリーエネルギーに挑戦する現代の平賀源内たち : エマモーターの衝撃
より抜粋、
もう原発は必要ない? 井出治氏のフリーエネルギーの本バカ売れ中!
☆http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=v82ZZihGyq4
USO800−まっ赤な真実(ほんと) Vol.2-1/2
☆http://www.youtube.com/watch?v=0U2bkGU6-Sg&feature=player_embedded
USO800−まっ赤な真実(ほんと) Vol.2-2/2
☆http://www.youtube.com/watch?v=PfM3kdDz_cQ&feature=player_embedded
この中に登場する「エマモーター」というものについては、こんなものがある。
ちょっと長いが、興味深いことが書かれているので、ここにもメモしておこう。
________________________________________________________
「エマモーター」が与えた衝撃
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-b958.html
私は実家の愛媛県松山市に帰省するたびに、同じく愛媛県宇和島市に住んでおられた清家さんの実家を訪問した。
そして研究所となっている部屋に、さまざまな実験装置や測定器とともに、
UFOのような外観をしたG−ジェネレータの試作モデルがあった。
私は現物の実験装置を見た時はある種のショックに襲われた。つまり清家さんの理論は
『宇宙の4次元世界』という本の中だけではなかったのである。この世にUFOエネルギーなどという、
およそ信じられないものを真剣に追求している研究者が現実に存在したのである。
それは私が大学を卒業して間もない1972年頃であったが、そのことは驚きであるとともに、
何とも言えない新鮮な感覚で満たされたことを覚えている。
まるで自分の頭の上にある天上が吹き飛び、ぽっかりと宇宙が見えた感じであった。
当時、日本は絵に描いたような経済至上主義社会であり、物と金がすべてという中で動いていた。
私はすでに、科学および社会システムのすべてに対して強い閉塞感を感じていた。
それは新しい光が見えず、どの方向に動いたらいいのかわからない状態だ。
現在ならそのような人も多いと思うが、当時から40年近く経っても、
この閉塞感の根源を成すものは全く改善されていない。その原因は、「世界のエネルギー源」にあるのだ。
ところでG-ジェネレータとは何かというと、Gは重力場(gravitational field)、ジェネレータは発電機のことであり、
「重力場発電機」という意味である。つまり清家理論によって重力場という空間エネルギーを、
直接電気エネルギーに変換しようという試みである。清家さんの重力研究所訪問がきっかけで、
私も自分で実験装置を試作することになった。それは真空管を6本使った独自の設計によるものであったが、
その結果、通常の電気の常識では理解できない、実に不思議な現象を発見した。
その報告が、清家さんが発行する会報に掲載された。
そしてその報告を見た東京の田熊総合研究所という会社の山岡さんが、部下5人を引き連れて
私の実験装置を見学に来られたのだ。山岡さんという部長さんも、常識的な会社員ではなかった。
なぜなら東京から京都にある私の下宿までわざわざ見に来られたわけで、それも当時は何者ともわからない、
一介の若者が作った実験装置を見るためにであるから、その好奇心もすごいものだ。
山岡氏一行が帰られた後、私に送ってくれた情報によって、私は再び大きなショックに襲われることになった。
それが「エマモーター」の情報であり、米国からの驚愕の情報であった。
それによるとカリフォルニア州ロサンゼルスで、エマモーターという、
まるで永久機関のような動きをするモーターが開発されているということであった。
このモーターは一度回転を始めると、あとは電気を再生しながら、
何も消費することなく永久に回転を続けるというものであった。
「ついに出るべきものが出た、清家理論がアメリカで立証された!、先を越されたか!」
と私は悔しい思いに駆られた。しかし同時にある考えが頭をよぎり、
「いや待てよ、その情報がもし本物ならこのモーターを追求すれば、
より早くUFOエネルギーに到達できるかもしれない・・・」、 私は再び、頭の舵取りを迫られることになった。
「エマモーターは運転後、本体が冷却した。」
これが、見学前まで何も期待していなかった見学者たちの結論であった。運転後、
本体は熱くならないどころか、内部のコイルには結露による水滴ができていた。
電気を通じて回転させた後に冷えるモーターなどというものは、今現在でも地球上に存在しない。
科学の常識的な理論からもこれはあり得ない現象であるが、
この現象を日本から訪れた調査隊のメンバー全員が確認したのであった。
本物のフリーエネルギー装置は、やはり不可思議な動きをするようである。
この情報を聞いた瞬間、私はあることを思い出した。
それはUFOが飛び立つとき、周辺にあるコイルが赤く輝きながらも、まったく熱を持たないという状況のことだった。
その描写は、ジョーシ・アダムスキーの著書『空飛ぶ円盤搭乗記』(角川春樹事務所)にある。
エマモーターの技術とUFOの技術には、ある種の共通点があるようだ。
運転後に冷えるモーターの話を聞いた私は、全身がブルッと震えた。
そしてその後、私は完全にエマモーターの不思議さにのめりこむことになった。
このエマモーターの開発者であるグレイ氏は調査隊の一人を部屋に呼び、密かにある設計図を見せたそうである。
その設計図は、UFOの設計図であった。グレイ氏はすでにUFOを試作することを考えていたようで、
そんなエキサイティングな話が、40年くらい前の1973年頃にはあったのである。
科学というものは、年代とともに進歩するとは限らない。
不思議な動作をするエマモーターは、構造も常識離れした不可解なもので、
高電圧を発生し、火花放電を伴いながら回転するのだ。
電気の常識から見れば、こんな非効率な構成のモーターはない。ところがある回転数以上になると、
この火花放電が何か未知のエネルギーを発生する源になるのである。
火花放電を発生しながら回るモーターは、ますますSF的な魅力を発散し、私の心をわしづかみにしたのだ。
フリーエネルギーを最初に開発したのは、ニコラ・テスラであると言われている。
科学界の超人であるニコラ・テスラ。
しかし、彼が残した情報は完全な証拠としては残されていない。おそらくテスラの宿敵であったエジソンや、
その周囲の関係者たちによって、隠蔽され消滅させられた可能性が高いと思われる。
少なくとも現在、我々が見ることのできるテスラの論文や特許に関する資料には、それを示すものはない。
先に述べたエマモーターは、テスラの研究が基礎になっているという話であった。
エマモーターは私に、研究の強力な動機づけを与えてくれたマシンであり、私は一瞬だけ現物を見ることができた。
しかしその後、イブグレイ社とともに、まるで煙のごとく姿を消してしまったのである。
目の前に現れたと思ったら、その正体を見極める前に、フッと通り過ぎて行ってしまった。
それはまるで私にとってUFOのような振る舞いであった。
そして真実らしいと思われる情報の糸を手繰(たぐ)ると、そこはいつも崖っぷちにたどり着いたような経験ばかりであった。
普通の科学者であれば、「永久機関」のような動きをする機械の情報を聞くと、即座に頭から否定するものだ。
なぜなら、高校や大学で教わった物理学に「基本則」というものがあるからである。
それは「エネルギー保存則」のことで、「エネルギーは(空間から)湧いてこない」ということで、
言い換えると「永久機関はない」という法則だ。現在の科学はこの原理の下に置かれている。
これを真っ向から否定する現象が、空間からエネルギーが湧き出すフリーエネルギー技術であり、
つまりUFOの技術ということになる。ここに一般の科学者が「UFOのようなものは存在しない」、
つまり「遠い何万光年の彼方の天体から飛んでこれるような技術はあり得ない」と彼らが断定する理由があるのだ。
私は、科学者に対して哀れな人種というイメージを持っている。
なぜなら彼らは、人間が勝手作った架空の考えである規則に縛られているからである。
これは何も科学だけの世界のことではなく、およそ人間が作った法則や規則などというものに絶対的な真実などないのである。
現在一見真実に見える法則であっても、未来においては必ずほころびが現れるものであり、
今あるすべてのことにも言えることであるが、特に科学の法則というものは実にもろいものなのだ。
なぜならたった一つの例外が見つかれば、それで否定されてしまうからである。
つまり今、目の前にUFOが降りてくれば、即これまでのエネルギー保存則は否定されるだろうし、
少なくともその経験者にとっては、すでに否定されたと同然のはずだからである。
「フリーエネルギー、UFO、第3起電力で世界は激変する」
井出 治著 ヒカルランド
抜粋
________________________________________________________
↑
「黎明は日本から」なのですよ。
アイデアを出すのは西欧人が得意とするところだが、実用化ができない。
日本人は両方できるし、とりわけ民生利用を可能にする天才集団です。
「米帝」に封じられてきたアイデア、技術が膨大にあるのだとか?
「脱米」&「排特亜」なのですよ、その先に待つのは清々しい「黎明」なのですから。
寛政9年(1797年)〜安政5年(1858年)
号は一立齋(いちりゅうさい) 作
「東海道五拾三次之内 土山 春之雨」です。
☆雨。
憲法記念日です。 現行憲法につき、何度も書いてきました。
改正すべきですが、逆コースはダメですよ。
「天皇を元首に」がそれです。
日本史を考えれば、上古、上代はいざしらず、
鎌倉幕府以来、天皇に権力などありません、明治維新からが異様なので。
「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「恒久平和主義」、
この理念は崩してはならんと思う。
主権者はあくまでも国民なのであり、天皇でも徳川将軍でもない。
日本に元首は必要ない、あへて擬えるとしたら時々の内閣総理大臣ですよ。
南朝を正閏とする大室天皇家が国家元首など日本史上ありえないことですよ。
広重、二枚目、
「名所江戸百景 亀戸天神境内」です。
論旨に全て同意はできぬし、見えておらぬところもあるが、
◆http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1067
西尾幹二のインターネット日録 2011/7/4 月曜日
◎脱原発こそ国家永続の道 (二)
『WiLL』7月号より
国にとっての「外部被曝」
震災後の海と陸に展開された自衛隊の今回の救援活動を日本人は心強く思い、感謝の気持が高まっている。
朝日新聞やNHKですら、国民感情を無視できなくなっている。自衛隊のおかげです、ありがとう、
の気持ちは自然で素直だが、日本人はかつて戦地で戦う軍人にも、
頼もしさとありがとうの感謝の気持ちを熱く抱いていたのである。
子供の歌にも「肩ヲ並ベテ兄サント 今日モ学校ヘ行ケルノハ、オ国ノタメニ戦ツタ、兵隊サンノオカゲデスー♪」
と歌ったものだった。今の自衛隊に対するのと変わらない自然で、素直な気持だった。
理窟を言い出したのは敗戦後である。人間が愚かで卑劣になったのは戦後である。
はっきり言うが、歴史を思い出すとき、なぜあの時代の国民の自然で、素直な感情に戻らないのか。
「守る」ということは生命の本来の欲求で、人間がまともなら少しも難しいことではないのである。
今回は原発事故だが、明日は外敵の襲来かもしれない。尖閣周辺は今もきな臭い。
戦争を「想定外」として、いつまでも裂け目の外を覗き見る勇気のない国民には、
そもそも原子力発電などを手がける資格がないのである。
震災から二カ月半も経ったのに、被災地で弁当の配達をしているのは自衛隊員であるのを知って、
隊員を本務に戻さない政府のやり方に怒りさえ覚えた。
中央の官僚の大量投入と現地の被災民の組織化を、なぜしなかったのか。
私は国を守ることも、文明を守ることも、家族を守ることも、自分の生活を守ることも、
どれにも共通する「守る」ことに必要な条件があると考えている。
それは最悪を想定し、最大限に可能な予防措置を施し、しかも平生はそれを忘れたかのごとく平穏に振る舞い、
晴朗に生きる心掛けを創り出すことだと考えている。
最近、放射能汚染をめぐって「内部被曝」と「外部被曝」の違いがよく取り上げられる。
口や鼻から体内に入った前者は、後者に比べて破壊力が大きく、取り返しがつかない。
この例にならって、国家も人体と同じように考えれば、国内に引き入れられた放射能の被曝は、
国外から襲われる被曝よりも、よほど始末に悪い厄介なしろものだということが考えられねばならない。
国にとっての「外部被曝」は、核攻撃と他国の原発事故の影響である。
核攻撃から身を守るには、大国の核の傘に頼るか自ら核武装するか以外に方法はない。
他国の原発事故の影響は防衛困難だが、日本は国境までの距離が大きいだけに、
ヨーロッパに比べていくらか有利であるかもしれない。
それに対し、「内部被曝」すなわち国内の原発事故は、土地が狭く、
地震と津波の多い国土である日本は条件的に不利で、今度の経験から、
原発はやらないで済ませられるならやらないに越したことはないと考える。
「内部被曝」は、一人の人間の身体内と同様に、一つの国の国土内に起こると、
被害は深層に入り、汚染は何十年と続く。
しかも、核燃料廃棄物の最終処理が技術的に解決されていない以上、
子孫に伝えるべき大切な国土が永久的に汚辱され、廃棄物をどんなに地下深く埋めても、
地殻変動で将来どうなるものか分からない。国土は民族遺産である。汚染と侵害は許されない。
原発反対派に転じた理由
原発事故が起こってから、私は原発賛成派から反対派に転じた。考えを改めた。
今まで原発賛成といっても、経済面で合理的で安全なものなら反対する理由はないと思っていただけで、
無関心派に近かった。格別そこに道義や理念を持ちこんで考えていたわけではない。
たかがエネルギーの問題で、国家の価値観や歴史の尊厳とは関係がない。
しかし、福島の事故が起こって、原発は経済面で合理的でもないし、安全なものでもないと分かったし、
国家や歴史を犯すものと分かった以上、人は選択肢を変えることに躊躇すべきではない。
人間は経験から学ぶべきものである。
自分を「守る」とはどういうことか。最悪の事態を想定して生きることであるとさきほど申し上げた。
治にあって乱を忘れぬことである。しかし、乱をよろこぶということでは決してない。
しなくて済む乱は、これを避けるに越したことはない。
原発の選択は本当に不可避であったか、これまで真剣に問われないできたし、
代替エネルギーの開発も原発が合理的という声に抑えられて本格的になされないできた。
これから問われ、かつ急速に研究推進されるであろう。
よくこういう問題で、「勇気」を持ち出す人がいる。ことに保守派に多いが、
たかが事故の一つや二つ起こったくらいでオタオタするな、というのである。しかし、
正直いって私はオタオタしている。福島の情勢が悪化することを、私は最初からひどく心配してきた。
その徴候はいま現にある。別の原発で二度目の事故が起こることをさらに心配している。
ダブルパンチを受けたら、この国は本当に亡びるかもしれない。
体内の「内部被曝」の怖いことがよく分かった。国も同じで、内側がやられたらもう手に負えない。
「勇気」を発揮しようにも発揮できなくなる。
勇気や精神力を持ち出すケースでないことは、あまりにも明らかだろう。外敵と戦うのとは違うのである。
それに、子を持つ母親の恐怖は深い。女性の参政権の強いこの国では今後、
原発賛成では選挙に勝てないだろう。自治体は財政をかかえるから、すぐに反対はいえないだろうが、
一般住民の意識ではすでに原発反対が圧倒的多数を占めている。日本国民は賢明で常識を具えている。
天使のような侵略
私たちは、日常の裂け目からいったん奥を覗き見たのだ。
奥にある破壊の相を目にした以上、生命力は奮然としてそこから身を守る戦いを開始したのである。
今までの平穏で長閑な日常には、もう戻れないかもしれない。
「守る」とは何か。本当の「勇気」とは何か。
原発に必ずしも反対でなかった者が、私のように突然、慎重になると、
戦争支持者が戦後突然、替わり身早く戦前を否定するようなことを言い出すのと同じ話だ
と騒ぎ立てている人がいるらしいが、これは見当違いも甚だしい。
原子力発電は中曽根内閣からはじまった。
そして、経済界が全面的にこれをバックアップした。
私はかねて国家というものは政治、経済、外交、軍事の四輪が平均的に揃ってはじめて前へ進める車のようなもの
としきりに言ってきた。日本のように、経済だけ突出した商人国家像を否定してきた。
中曽根から小泉に至る自民党政治と経団連との野合を批判してきた。
最近では『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)で、表紙に人名を刷って、
中曽根康弘、後藤田正晴、宮澤喜一、河野洋平、小泉純一郎、小沢一郎、鳩山由紀夫のほかに、
あえて奥田碩、御手洗冨士夫、小林陽太郎、北城恪太郎の四人の財界人を告発した。
この商人国家路線が、いよいよここにきて破産したのである。自民も民主も同じ穴の狢である。
3・11にはじまる原発事故が、日本の国家路線にNO! を突きつける警告のメッセージを発したと考えている。
概略すればこうだ。
一九九三年に同時成立した江沢民とクリントンの政権に脅され、
絡め取られて再敗戦国家を演じつづけてきたわが国は、米中両国に屈服し、3・11で沈没しかかり、
オバマの派遣した大艦隊の「トモダチ作戦」によって、権力の真空地帯を守ってもらった。
東アジアに生じた権力の空洞は中国、北朝鮮、ロシアの垂涎の的である。
しかも、福島原発はアメリカの危機感を別の面でも揺さぶった。
アメリカのエネルギー政策の進路は、日本の原発の行方にかかっている。加えて万一、
放射能が東日本を蔽い、四千万人が西へ移動するパニックが発生すればこの列島は無政府状態になり、
アメリカは「臨時政府」を考えなくてはならない立場だ。かつての南ベトナムや南鮮の再来である。
あの素早い大艦隊の派遣には、戦後史の記憶が宿っている。
ルーピー鳩山以来、ますますアメリカからは日本がそういうレベルの国に見られているのは間違いない。
しかし、私はふとこうも思う。日本は完全に堕ちるところまで堕ちるがよい。
アメリカに作ってもらった「臨時政府」は、アメリカの手を借りてようやく「憲法改正」を果たすだろう。
アメリカはなにしろ「トモダチ」である。嗚呼! わが国は堕ちるところまで堕ちて、
悪魔のような侵略にではなく、天使のような侵略にさらされるがよい。
そして、戦後もそうであったように、国柄そのものを奪われていく。
戦後GHQは日本の左翼を利用して伝統文化を破壊したが、今回はオバマが民主党を利用して、
TPPや外国人参政権その他を使って、わが国を再占領国家にふさわしく、
中国やロシアや朝鮮半島に差し出す操り人形に仕立てあげるだろう。
↑
「米帝」は天使のような侵略者ではないわな、もともと「悪魔」そのものさ。
3.11は天災ではない、テロ攻撃なのだから。 この人は、そこが見えてない。
広重、三枚目、
「六十余州名所図会 若狭 漁船鰈かれい網」です。
昨日の記事にあった「1世紀にもわたり封印されてきたニコラ・テスラの
高エネルギー=フリーエネルギーが利用できるようになる」関連で、
◆http://quasimoto.exblog.jp/17902189/
Kazumoto Iguchi's blog 2012年 05月 02日
◎フリーエネルギーに挑戦する現代の平賀源内たち : エマモーターの衝撃
より抜粋、
もう原発は必要ない? 井出治氏のフリーエネルギーの本バカ売れ中!
☆http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=v82ZZihGyq4
USO800−まっ赤な真実(ほんと) Vol.2-1/2
☆http://www.youtube.com/watch?v=0U2bkGU6-Sg&feature=player_embedded
USO800−まっ赤な真実(ほんと) Vol.2-2/2
☆http://www.youtube.com/watch?v=PfM3kdDz_cQ&feature=player_embedded
この中に登場する「エマモーター」というものについては、こんなものがある。
ちょっと長いが、興味深いことが書かれているので、ここにもメモしておこう。
________________________________________________________
「エマモーター」が与えた衝撃
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-b958.html
私は実家の愛媛県松山市に帰省するたびに、同じく愛媛県宇和島市に住んでおられた清家さんの実家を訪問した。
そして研究所となっている部屋に、さまざまな実験装置や測定器とともに、
UFOのような外観をしたG−ジェネレータの試作モデルがあった。
私は現物の実験装置を見た時はある種のショックに襲われた。つまり清家さんの理論は
『宇宙の4次元世界』という本の中だけではなかったのである。この世にUFOエネルギーなどという、
およそ信じられないものを真剣に追求している研究者が現実に存在したのである。
それは私が大学を卒業して間もない1972年頃であったが、そのことは驚きであるとともに、
何とも言えない新鮮な感覚で満たされたことを覚えている。
まるで自分の頭の上にある天上が吹き飛び、ぽっかりと宇宙が見えた感じであった。
当時、日本は絵に描いたような経済至上主義社会であり、物と金がすべてという中で動いていた。
私はすでに、科学および社会システムのすべてに対して強い閉塞感を感じていた。
それは新しい光が見えず、どの方向に動いたらいいのかわからない状態だ。
現在ならそのような人も多いと思うが、当時から40年近く経っても、
この閉塞感の根源を成すものは全く改善されていない。その原因は、「世界のエネルギー源」にあるのだ。
ところでG-ジェネレータとは何かというと、Gは重力場(gravitational field)、ジェネレータは発電機のことであり、
「重力場発電機」という意味である。つまり清家理論によって重力場という空間エネルギーを、
直接電気エネルギーに変換しようという試みである。清家さんの重力研究所訪問がきっかけで、
私も自分で実験装置を試作することになった。それは真空管を6本使った独自の設計によるものであったが、
その結果、通常の電気の常識では理解できない、実に不思議な現象を発見した。
その報告が、清家さんが発行する会報に掲載された。
そしてその報告を見た東京の田熊総合研究所という会社の山岡さんが、部下5人を引き連れて
私の実験装置を見学に来られたのだ。山岡さんという部長さんも、常識的な会社員ではなかった。
なぜなら東京から京都にある私の下宿までわざわざ見に来られたわけで、それも当時は何者ともわからない、
一介の若者が作った実験装置を見るためにであるから、その好奇心もすごいものだ。
山岡氏一行が帰られた後、私に送ってくれた情報によって、私は再び大きなショックに襲われることになった。
それが「エマモーター」の情報であり、米国からの驚愕の情報であった。
それによるとカリフォルニア州ロサンゼルスで、エマモーターという、
まるで永久機関のような動きをするモーターが開発されているということであった。
このモーターは一度回転を始めると、あとは電気を再生しながら、
何も消費することなく永久に回転を続けるというものであった。
「ついに出るべきものが出た、清家理論がアメリカで立証された!、先を越されたか!」
と私は悔しい思いに駆られた。しかし同時にある考えが頭をよぎり、
「いや待てよ、その情報がもし本物ならこのモーターを追求すれば、
より早くUFOエネルギーに到達できるかもしれない・・・」、 私は再び、頭の舵取りを迫られることになった。
「エマモーターは運転後、本体が冷却した。」
これが、見学前まで何も期待していなかった見学者たちの結論であった。運転後、
本体は熱くならないどころか、内部のコイルには結露による水滴ができていた。
電気を通じて回転させた後に冷えるモーターなどというものは、今現在でも地球上に存在しない。
科学の常識的な理論からもこれはあり得ない現象であるが、
この現象を日本から訪れた調査隊のメンバー全員が確認したのであった。
本物のフリーエネルギー装置は、やはり不可思議な動きをするようである。
この情報を聞いた瞬間、私はあることを思い出した。
それはUFOが飛び立つとき、周辺にあるコイルが赤く輝きながらも、まったく熱を持たないという状況のことだった。
その描写は、ジョーシ・アダムスキーの著書『空飛ぶ円盤搭乗記』(角川春樹事務所)にある。
エマモーターの技術とUFOの技術には、ある種の共通点があるようだ。
運転後に冷えるモーターの話を聞いた私は、全身がブルッと震えた。
そしてその後、私は完全にエマモーターの不思議さにのめりこむことになった。
このエマモーターの開発者であるグレイ氏は調査隊の一人を部屋に呼び、密かにある設計図を見せたそうである。
その設計図は、UFOの設計図であった。グレイ氏はすでにUFOを試作することを考えていたようで、
そんなエキサイティングな話が、40年くらい前の1973年頃にはあったのである。
科学というものは、年代とともに進歩するとは限らない。
不思議な動作をするエマモーターは、構造も常識離れした不可解なもので、
高電圧を発生し、火花放電を伴いながら回転するのだ。
電気の常識から見れば、こんな非効率な構成のモーターはない。ところがある回転数以上になると、
この火花放電が何か未知のエネルギーを発生する源になるのである。
火花放電を発生しながら回るモーターは、ますますSF的な魅力を発散し、私の心をわしづかみにしたのだ。
フリーエネルギーを最初に開発したのは、ニコラ・テスラであると言われている。
科学界の超人であるニコラ・テスラ。
しかし、彼が残した情報は完全な証拠としては残されていない。おそらくテスラの宿敵であったエジソンや、
その周囲の関係者たちによって、隠蔽され消滅させられた可能性が高いと思われる。
少なくとも現在、我々が見ることのできるテスラの論文や特許に関する資料には、それを示すものはない。
先に述べたエマモーターは、テスラの研究が基礎になっているという話であった。
エマモーターは私に、研究の強力な動機づけを与えてくれたマシンであり、私は一瞬だけ現物を見ることができた。
しかしその後、イブグレイ社とともに、まるで煙のごとく姿を消してしまったのである。
目の前に現れたと思ったら、その正体を見極める前に、フッと通り過ぎて行ってしまった。
それはまるで私にとってUFOのような振る舞いであった。
そして真実らしいと思われる情報の糸を手繰(たぐ)ると、そこはいつも崖っぷちにたどり着いたような経験ばかりであった。
普通の科学者であれば、「永久機関」のような動きをする機械の情報を聞くと、即座に頭から否定するものだ。
なぜなら、高校や大学で教わった物理学に「基本則」というものがあるからである。
それは「エネルギー保存則」のことで、「エネルギーは(空間から)湧いてこない」ということで、
言い換えると「永久機関はない」という法則だ。現在の科学はこの原理の下に置かれている。
これを真っ向から否定する現象が、空間からエネルギーが湧き出すフリーエネルギー技術であり、
つまりUFOの技術ということになる。ここに一般の科学者が「UFOのようなものは存在しない」、
つまり「遠い何万光年の彼方の天体から飛んでこれるような技術はあり得ない」と彼らが断定する理由があるのだ。
私は、科学者に対して哀れな人種というイメージを持っている。
なぜなら彼らは、人間が勝手作った架空の考えである規則に縛られているからである。
これは何も科学だけの世界のことではなく、およそ人間が作った法則や規則などというものに絶対的な真実などないのである。
現在一見真実に見える法則であっても、未来においては必ずほころびが現れるものであり、
今あるすべてのことにも言えることであるが、特に科学の法則というものは実にもろいものなのだ。
なぜならたった一つの例外が見つかれば、それで否定されてしまうからである。
つまり今、目の前にUFOが降りてくれば、即これまでのエネルギー保存則は否定されるだろうし、
少なくともその経験者にとっては、すでに否定されたと同然のはずだからである。
「フリーエネルギー、UFO、第3起電力で世界は激変する」
井出 治著 ヒカルランド
抜粋
________________________________________________________
↑
「黎明は日本から」なのですよ。
アイデアを出すのは西欧人が得意とするところだが、実用化ができない。
日本人は両方できるし、とりわけ民生利用を可能にする天才集団です。
「米帝」に封じられてきたアイデア、技術が膨大にあるのだとか?
「脱米」&「排特亜」なのですよ、その先に待つのは清々しい「黎明」なのですから。