画は 歌川 國芳 (くによし)
寛政九年(1797)~ 文久元年(1861)
号は一勇齋、朝櫻楼など 作
「東都名所 両国柳ばし」です。
☆曇、ヒンヤリ。
無差別大量殺戮、忘れまじ、
◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/18manningyakusatusiubawaretaokinawa.html
長周新聞 2015年6月8日付
18万人虐殺し奪われた沖縄
「日本守る」掲げた米軍支配の欺瞞
蘇る県民皆殺しの記憶
沖縄県では、戦後70年目の沖縄戦慰霊の日(6月23日)を前後して、
各自治会や地区単位の慰霊祭が準備されている。
米軍によって数多くの県民が無残に殺された沖縄戦から70年を迎えるなかで、
これまで家族にさえも語ってこなかった体験者が、
「今語り継がねば」と深い思いと使命を持って語り始めている。
草木さえ残らないほど島中を焼き尽くし、空襲、艦砲射撃、戦車砲、火炎放射器、
毒ガスなど、ありとあらゆる兵器で女・子どもを殺した米軍が、
戦後は「日本を守る」のだといって70年も居座ってきた。
「守る」どころか、民間人を含む18万人もの人間を虐殺して
占領したのが沖縄戦であり、そのなまなましい記憶はかき消すことなどできない。
辺野古をめぐってかつてなく県民の斗争が広がりを見せるなかで、
米軍支配のはじまりとなった沖縄戦でどのような目にあったのか、
体験者に聞いた。
☆“今語り継がねば”と体験者
沖縄市内に住む90代の女性は、米軍が上陸し戦闘が激しくなってから夫とともに
南部に逃げた体験を持っている。
当時21歳で、夫が警察官であり、首里の駐在所から西原町翁長の駐在所に
移っていたときに沖縄戦を経験した。
「米軍は読谷村から上陸し、住民が山原の方に行けないようにしたうえで、
南部に攻めてきた。私たちは豊見城の方に行き、そこからずっと南部へ逃げていった。
海からは艦砲射撃、陸からは戦車砲が撃ち込まれ、しだいに追い詰められて
島尻の喜屋武岬の崖の下に逃げこんだ。
崖の上からは米兵に狙われ、夜が明けるとトンボ(偵察機)が飛んできて
隠れている位置を教えるからすぐに艦砲でやられた。
トンボが来るとすぐに逃げないといけなかった」と語った。
海には、アメリカの艦船がたくさん並んでおり、精神状態がおかしくなって
荒れた海に飛び込み、亡くなった人がたくさんいた。
逃げている最中、壕に入ったところを見ていた米軍の戦車砲で
全滅させられた人たちもいた。
「私の隣にいた友だちは頭を打ち抜かれて即死だった。
私の腕と頭に弾の破片が入り、その後何度か攻撃を受け、足にも胸にも破片が入った。
今も足と頭には破片が残っている。
艦砲でやられたのか戦車砲でやられたのかわからないほどだった」と
米軍の攻撃でたくさんの人が殺されたことを語った。
そして米軍が最南端である喜屋武岬の方に人人を集めるように追い込んでいったこと、
夜になると照明弾がうち上げられて米軍に狙われるため、
すぐに伏せていたことを語った。
米軍の艦砲射撃のなかを生きのびた女性は、
「ほとんどの者が死に、生き残ったのはわずかだった。
戦後も頭に破片が入っているため、気を失うこともよくあった。
今でも毎日戦場の場面が頭の中に浮かんできて寝られず、薬を飲んで寝ている。
逃げるときに“助けて、助けて”という声があったが、助けられなかったことが
一番辛かった。自分の子どもにはたまに話していたが、人の前で話したことはなかった。
今南部周辺が観光地になっているが、私たちがいたところは生存者がほとんどおらず
テレビにもあまり出ない。遺骨も流れてしまっているはずだ」と苦しい胸の内を語った。
☆一瞬で家族奪った艦砲 防空壕も狙われた
沖縄戦当時、13歳だったという沖縄市に住む83歳のA氏(女性)は、
自身の子や孫たちに伝えるため体験をつづったものをもとに体験を語った。
これまで老人会でも語ってこなかったが、「ぜひ私の体験を伝えてほしい」と
並並ならぬ思いを込めて、体験をつづったものを自宅から持ってきた。
そして自身の頭にも艦砲の破片が入っていることを初めて明かした。
A氏は与那原(那覇の東、太平洋側)で生まれ、父母兄弟妹家族とは別別に、
祖父母のもとで育てられた。1944年10月10日の10・10空襲(那覇空襲)から、
沖縄における米軍の攻撃が始まったことを語った。
空襲について、「朝の八時ごろで、学校へ行く準備をしていたが、
爆撃機B29が不気味な音を出しながら低空飛行で機関銃を撃ち、
パラパラと私たちめがけて弾が飛んできた。突然の出来事だった。
B29は上昇してまた低空飛行し、機関銃でくり返し撃ってきた。
幸い弾は当たらず助かったが、この空襲によって那覇の町は焼かれ、
夜通し燃え、昼のようだった。
その日以来、毎日のように空襲警報のサイレンが鳴ると防空壕に隠れる生活が続いた」
と振り返った。
年が明け、米軍が沖縄に上陸したころから、祖父母を連れて近くの山に避難したが、
年老いた祖父母の足では遠くへ逃げることはできず、
近くに日本兵が掘っている壕に身を寄せた。
昼は飛行機が飛びかい、艦砲の音は激しくなり、
艦砲の弾が頭の上を“ピューン”と通り抜けていった。
日日戦争が激しくなるなかで、
与那原の町もすっかり焼かれ灰色に変わっていった経験を語った。
そして生涯忘れないこととして、祖父母を一度に失った体験を口にした。
「あれは5月20日のことだった。私は少し離れたサトウキビ畑で用を足していた。
そのとき近くに艦砲の弾が落ちて爆発し、その破片が目の前に落ちた。
“この艦砲は祖父母のいる壕の上に落ちたのではないか…”と不安に駆られ、
気をとり直して壕のそばまで行ってみた。
案の定艦砲は壕の上に落ち、祖父母は生き埋めになって亡くなっていた。
助けを求めようにも近くに誰もおらず、どうすることもできなかった。
とにかくサトウキビ畑をかき分けて無我夢中で逃げた。
悲しんでいる場合ではなかったし、なるべく遠くへ逃げたかった」
☆逃げ場塞ぎ自決追込む 女や子供も容赦なく
大城という部落を通り過ぎ、玉城にたどりついた。
奥の方の岩陰に隠れると、すでに5人ほどの人がおり、
そのなかに近所に住んでいたお姉さんがいた。
祖父母と別れて以来初めて知り合いに会い、安心してそこに身を潜めることにした。
お姉さんは小さな女の子を背負っていたが、この子がひもじいのか泣き止まず、
その声が米軍に探知されると艦砲で狙われるため、一緒にいた人たちから
「ここで子どもを泣かすな」といわれていた。
お姉さんは「みなに迷惑をかけてはいけない…」と思ったのか、
翌朝どこかへ行ってしまった。
夕方になって戻ってきたが、子どもの顔は青黒くなっていた。
「なぜか」とたずねると、「私がおしめで口をふさいで死なせた…」といった。
翌日お姉さんと逃げる途中、艦砲でできた穴に死んだ子どもを寝かせ、
かずらの根を引き抜き、子どもの上にかぶせてから石を置いた。
「これが印だから、戦争が終わったら遺骨をとりに来てね」といってその場を離れた。
逃げる途中、道ばたに5人の家族が死んでいたが、恐ろしいなどといっておれず、
その横を通り抜けた。船からは艦砲、空からは飛行機が機関銃を撃ってくるため、
伏せたり走ったりして逃げた。
いつしか一緒にいたお姉さんもどこに行ったのかわからなくなり、
とうとう具志頭の新城までたどりついた。
右に行ったり、左に行ったり、もちろん地名もわからない。
ひたすらあてもなく逃げるしかなかった。
新城から逃げていく際、3人の子どもを連れている母親がいた。
小学校2年生ぐらいの男の子と3歳ぐらいの女の子を連れ、
もう一人女の子をおぶっていた。その親子の後についていくことにした。
「しばらくして“ドーン”と艦砲の音がして、少し離れたところに弾が落ちた。
私は地面に伏せたが、その母親は艦砲の小さな破片が頭の真ん中に当たり、
目の前でばったり倒れた。即死だった。
背中におぶっている子どもにケガはなかったので、母親の背中から子どもをとり上げ、
男の子におんぶさせた。そして“お母さんは死んだから一緒に逃げよう”といい、
女の子の手を引いて逃げた。
しばらくは一緒に逃げていたが、艦砲が激しくなり、伏せたり、
走ったりしているうちに手が離れ、いつしかはぐれてしまった」
A氏は、「私も自分の命を守るために命がけで、後ろを振り向くこともできずに
一人で逃げていた。今にして思うと、あの子どもたちはどうなったのだろう、
もっと何とかならなかったのかとの思いが強く、生きていてほしいと祈る気持ちでいっぱいだ」
と苦しい胸の内を明かした。
逃げる途中、道に落ちている黒砂糖を食べて飢えをしのいだ。
逃げに逃げ、やっとの思いで壕を見つけて避難したが、
そこが現在の「ひめゆりの塔」の場所だった。
壕の中には女学生らしい人たちや、何人もの傷ついた日本兵がおり、
左腕が切れている人や太股が切れている人、その傷口からウジがムクムクと地面に垂れ落ち、
その姿は何ともいえなかった。
人の肉の腐った臭いがあたり一面にただよい、息もできないほどだった。
片隅の方でちぢこまっていると男の人がやってきて、
「明日の朝この壕にガスをまくらしい。ここにいると死ぬから今のうちに逃げなさい」
といってくれた。
薄暗くなってから壕を這い上がって逃げた。途中あちこちで死人の上をまたぎ、
やっとの思いで米須の部落にたどり着いた。
あたりはすっかり暗くなっていたが、隠れるのに適当な家を見つけ、その中に入った。
「この家にはHさんとその家族がおり、両親と弟の4人家族だった。
母屋には両親と弟が避難し、私とHさんは離れの小さな馬小屋に避難することにした。
しばらくすると艦砲が爆発して近くに落ち、馬小屋にいたHさんは、
爆風で倒された大きな石壁に押しつぶされて死んだ。
私は反対側にいたから助かった。母屋の方が気になり、行ってみると
艦砲の破片が父親のお腹に当たり、腸がみな飛び出していた。
おじさんは小さな声で“ミヂ小(水)、ミヂ小(水)”といった。
おじさんに水を飲ませるために急須を持って井戸の方へ走ったが、
井戸の周辺には人が死んでいた。急いで水をくみ、おじさんに飲ませると
“ありがとう”と小さな声でいい残し、そのまま息を引きとった。
おばさんは一度に夫と娘を亡くして泣き崩れ、その姿を見ると私もついもらい泣きした」
翌日逃げる途中に「眞壁が安全だ」という人たちに出会い
その人たちについていくことにした。
そして「今朝米須のガマにガスがまかれ、ガマにいた女学生や日本兵はみな死んだ」
と聞かされた。
「逃げずにあの壕にいたら…」と思うと胸がぞっとした
(後に、ガスがまかれたのは6月18日、女学生の死者が46人、
生存者が5人となっていることを知った)。
さらに逃げてマブニの海岸(今の平和の礎の東岸)にたどりついた。
「波が打ち寄せては返す岩陰にHさんの母、弟と3人で隠れた。
しばらくすると、ものすごい爆発音がした。日本兵が手榴弾で自決したところだった。
目の前に船が浮かび、夜になるとサーチライトで照らされた。
翌朝になって米軍の船から「白旗を揚げて出てこい」とのアナウンスが一面に響き渡った。
両手を挙げて出ていき、捕虜となった。
A氏は、「父母たちとは再会することができたが、
語り尽くすことのできない戦争中のできごとは、今でも昨日のことのように思い出される。
戦争中、食うや食わずで一人で逃げ隠れしたときなど、
夜になると亡くなった祖父母のことを思い出し、あまりの寂しさに耐えかね、
とめどなくあふれる涙をおさえることができなかった。
多くの方方が亡くなられたが、私自身は生きのびてこれたのは運が良かっただけだ
とも思えない。もう二度と沖縄で戦争をやってほしくない。
世界中から戦争をなくしたい」 と胸の内をあらわした。
そして、「この私の体験は家族に配ったもののうち、二冊だけ残していたものだ。
今までほとんど話したことはないが、ぜひ本土の方方に沖縄戦の実際を知らせてほしい」
と語った。
☆基地略奪の為の大殺戮 アジア侵略の拠点に
米軍は沖縄侵攻作戦を「アイスバーグ(氷山)作戦」と名付け、
戦後、沖縄を占領し、基地にする周到な計画のもとに侵攻を開始した。
それは琉球王朝時代のペリー来航のときから、
沖縄の島島の地図や民事ハンドブックを作成し、歴史、地理、民俗、動植物にいたるまで
詳細に調査し どこをたたき、どこに集めていくのか、
さらに占領後の占領行政を含め、周到な準備をした上で攻撃した。
1945年3月26日に沖縄に上陸したと同時に、海軍軍政府布告第一号「権限の停止」
(通称「ニミッツ布告」)を公布し、住民に対して日本の行政権を停止したことから見ても、
米軍が沖縄を奪い取ることを確信していたことが明らかになっている。
兵員・物量ともに日本軍をはるかに上回る米軍の攻撃は、
沖縄本島を一木一草もないほどに焼きつくし、山野の形も変えた。
日本人なり沖縄を「守る」ためではなく、虐殺によって奪い取ったものにほかならない。
現在では名護市辺野古への新基地建設を「日本を中国の脅威から守るため」だといい、
沖縄戦で米軍が殺した人人については一言も触れない。
しかし沖縄戦を体験した県民にそのような欺瞞は通用しない。
18万人も虐殺したアメリカが、いったい日本の何を守るというのか、である。
戦後はベトナム戦争の出撃拠点として利用し、アジア覇権を打ち立てる要衝として
沖縄の米軍は存在し続けた。
70年たってさらに新基地を建設するところまできて、
いったいこの先何年居座るつもりなのかという県民の憤激が高まっている。
70年前の地上戦の記憶を 体験者たちは必死の思いで、
未来を担う沖縄の子どもたちや若者に 語りたがっている。
國芳、二枚目、
「定九郎 市川高麗蔵」 「与市兵衛 松本たい助」です。
腐れNHKw
◆http://my.shadowcity.jp/2015/06/nhk-3.html#more
ネットゲリラ (2015年6月17日)
◎NHK「花燃ゆ」が歴史を捏造
憲法どころか、歴史すら、勝手に書き換えるアベシンゾーですw
アメリカ様のゴキゲン取りだけはいっしょけんめです。
日本国民なんか、知ったこっちゃないw 哀れなもんだw
没落する宗主国さまに、どこまで忠誠を尽くすつもりなのかw
まぁ、将来も、それこそ未来永劫に渡って、語り継がれる黒歴史になるだろうw
☆http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150616-00000016-pseven-ent
NEWS ポストセブン 6月16日(火)
◎NHK大河 「日米戦争」を「日仏戦争」に歴史修正していた
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の第21話「決行の日」(5月24日放送)は、
関門海峡に面した砲台に居並ぶ久坂玄瑞ら長州藩士が、
外国船に砲撃を加えるシーンでラストを迎える。
久坂はドラマの主人公・文(吉田松陰の妹)の夫で、
主演の井上真央が久坂の無事を祈る中、見張り役が声を張り上げる。
「来たぞ! フランス船じゃ!」
その報を受け、洋上に船の姿を認めた久坂は「撃て」と指示を出す。
「でもまだ、御奉行さまのお許しが……」と躊躇する藩兵に久坂が返す。
「構わぬ。撃て!」
文久3(1863)年5月10日に長州藩が攘夷を決行した、
いわゆる「下関事件」である。
ドラマではフランス国旗を掲げた船に向けて次々と砲弾が放たれ、
何発かが命中して火の手があがる──。
ところが、このシーンは史実と大きく食い違う。
1863年5月10日に砲撃を受けたのはフランス船ではない。
長州藩が最初に攻撃したのは、「アメリカ商船ペンブローク号」なのである。
その後、フランスやオランダの軍艦にも砲撃が加えられたが、
アメリカの場合は軍艦ではなく商船を、しかも不意を突いて狙った格好となったため、
長州藩は翌月、米軍艦から真っ先に報復攻撃を受けることになる。
脚本家がそうした基本的な史実を知らずに、
「最初に攻撃を受けたのはフランス」と勘違いしていたわけではない。
『花燃ゆ』の脚本家3人が著者に名を連ねる小説版『花燃ゆ・第2巻』(NHK出版刊)は
ドラマのシナリオ本だが、そこでは最初に砲撃を受けたのは
「アメリカ船」とはっきり書かれているのだ。
〈そして、ついにその日は来た。文久三年五月十日──攘夷決行の日である。
「来たぞ! アメリカ船じゃ!」
見張り役の赤●(編注:しめすへんに爾)が声を上げた〉
つまり脚本家も緒戦が「日米」の争いだと認識していたのに、
放送ではそれが「日仏」に変えられていたのだ。
シナリオ本が出版されたのは今年3月。第21話の放送は5月24日だ。
その間には安倍晋三・首相が4月26日から8日間の日程で訪米し、
米議会演説で安全保障関連法案を「この夏までに成就させる」と
大見得を切って見せた。その安保法制審議がちょうど第21話放送直後の
5月28日から本格化するタイミングだった。
長州は安倍首相の地元であり、安倍氏は幕末志士の吉田松陰を尊敬すると公言してきた。
その長州志士たちが、よりにもよってアメリカを攻撃するのは好ましくないと
NHKが考えたのではないかと思えてくる。
もちろんオバマ米大統領やオランド仏大統領が
「『花燃ゆ』でうちの国の船が砲撃された!」と怒り出すはずもない。
NHKの「歴史修正主義」は、親しい記者との懇談で『花燃ゆ』を「面白い」
と評していたという安倍首相への阿り(おもねり)が理由ではないのか。
本誌が報じてきたように、『花燃ゆ』が今年の大河ドラマに決まったことには
異例の経緯があった。NHKは主人公を決める前から安倍首相の地元である山口県を
舞台とすることを前提にリサーチを進め、その結果、
制作発表が例年に比べて異例の遅さとなった。
しかも今年は没後400年にあたる真田幸村のストーリーに内定していた
ともいわれたため(「真田」は没後401年の来年に放送)、
NHKが安倍首相に配慮したのではないかとみられてきた。
※週刊ポスト2015年6月26日号
しかし、ここまでゴリ押し、無理難題やってると、反動が楽しみですねw
そろそろ出始めているがw
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こりゃ完全に安倍政権の圧力だろ
NHKに圧力かけるのは安倍の得意技
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日本の憲法=好きなように解釈できる
日本の歴史=好きなように解釈できる
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憲法を改変する時には、GHQどうたらこうたらと並べ立て、
やっていることは結果的に現在アメリカが中国を煽って
火種となったら日本を身代わりにする為の下準備。
安保どうこうと言っているのもそのため。
何故、戦争を起こそうとするかと言えば、ドルが死亡寸前だから。
都合が悪いことは、審議も碌にせず
何でもかんでも閣議決定。マスゴミは餌を貰ってだんまり。
ネットでは、ネットサポーターっつーか、
カルト宗教の動員でキチガイ援護レス。
支持率でも何でも捏造しまくり。
大衆誘導のテレビや新聞などは大本営発表。
キチガイカルトが政府の中枢に居座る美しい国、日本
-----------------------
そして、国会では野党も反対のパフォーマンスはしても、
一番ヤバイ点までには誰も触れない。
ここで自民だミンスだ共産だとレッテルを張ろうが、
どれも最終的には意見が通るように行動している。
本当に行動した議員は、車に追突されて暗殺されたり、
朝鮮人の自称右翼が借金云々と言いながら刺してきたりした人達
それ以外はただの表向きの演技で、対立を装っているだけ
-----------------------
民主党も含めて、野党もまた、甘すぎる。
自民党はアメリカの手羽先、ユダ金の手羽先だと、国会で追求しろよw
世界経済なんて、どうでもいいんだよ。
日本の政治家だったら、日本人のシアワセだけ考えろよ。
自民党といっしょになってアメリカ様の顔色伺うような政治家は要らんです。
コメント
*桑名っ子 | 2015年6月17日 | 返信
>日本の憲法=好きなように解釈できる
>日本の歴史=好きなように解釈できる
天皇も好きなように殺しちゃって入れ替えるw
それが長州テロリスト思考w
でもこれって藤原氏以前、以降、日本のお家芸w
下々は血脈が2000年以上続いていると思ってるw
*弦巻町 | 2015年6月17日 | 返信
いや、念のためコメントしとくと、私自身は、
もちろんバリバリの歴史修正主義者ですよ。
アメリカほか戦勝国とユダ公たちが
勝手に作りあげた「歴史」なんか糞食らえだw
でも、アメポチのふりするしか生き残れない
どっかの国の総理がそれじゃまずいでしょうw
この国は、いまやインチキだらけの三等国に成り下がったようですw
犬HKに限らずね。
決算未了のトーシバさん、粉飾額は500億ぽっち、という報道でしたが、
どうもそれじゃ済みそうもなさそうだ。
前にコメントした8000億ぐらいで済めばまだいいけどw
これは、原発関連の資産を「将来予想損失」で正直に評価した場合なので
今すぐは問題にならないかもしれませんが、
火急の問題は資金繰りのようです。
*aaa | 2015年6月17日 | 返信
吉田松陰一派なんて糞真面目に史実をなぞれば、
京都では特に血生臭い蛮行の限りを尽くしているので
放送できないでしょう。
↑
ユダ米は、「価値観を共有するかけがえのない同盟国」w
連中の奉ずるのは、ユダヤ教亜種たる「福音主義」切支丹、
どーこがw 価値観を共有するんだよ!
國芳、三枚目、
「金ぴら参り 喜多八」です。
ユダ米と共産支那はグル、嵌められてはなりませんぞ、
◆http://melma.com/backnumber_45206_6222592/http://melma.com/backnumber_45206_6222592/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(米中戦争、三つのシナリオ)発行日:6/17
南シナ海で、もし米中軍事衝突が起こるとすれば
米国専門家が三つのシナリオを提示
***************************************
保守の論客アービン・クリストルが創刊した『ナショナル・インタレスト』誌は、
『フォーリン・アフェアーズ』と並んで
全米のマスコミがしばしば引用する有力なメディア(日本では後者しか知られていないが)。
かつてはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』も、この雑誌に連載された。
2004年から発行元はナショナル・アフェアーズ社からニクソン・センターに移管した。
この『ナショナル・インタレスト』誌最新号に
『米中が南シナ海で軍事衝突にいたる三つのシナリオ』が提議されている。
執筆はロバート・ファーレイ(パターソン・スクール準教授、海軍戦略専門家)。
「いまや米中は南シナ海の埋め立て工事をめぐって言葉の戦争状態、日々、
緊張が増大している。かといって中国の軍事態勢、その装備、準備具合などから勘案して、
すぐに戦争状態に突入するとは考えにくい」としながらも、
以下の三つのシナリオが描けるとする。
第一の想定は
小競り合いによる軍事衝突への発展であり、
(a)は中国の人工島建設と軍事施設の完成がなされ、
航海の自由をかかげる国連の立場からも、
米軍は島外海域のパトロールを実行することになる。
したがって米軍偵察機、あるいは米艦船に対して中国が妨害し、
それが米側の損傷をともなく場合、当然だが米軍の報復がなされる。
(b)米軍の対潜水艦哨戒機P3Cオライオンが、中国側に補足され、
緊張が高まった事件があったように、機体とパイロットの返還に数週間を要した。
つまり米軍の哨戒飛行への嫌がらせによる偶発的衝突が起こりうるだろう。
(c)このシナリオは嘗てのKAL007便が『領空侵犯』を問われ、
ソ連のミサイルで撃墜されたように、民間機の撃墜がなされるとすれば、
米軍の報復があるだろう。なぜなら中国は南シナ海にも、
一方的にADIZ(防空識別圏)を設定しようとしているからである。
▲偶発戦争というのは稀にしか起こらないが。。。
第二は潜水艦の偶発事故によるケースである。
冷戦時代、ソ連原潜ならびに通常の潜水艦と
西側NATOの潜水艦にニアミスがよく起こった。
往時のソ連の海軍力と比べると中国海軍の潜水艦戦力はまだ完成の意気にはないが、
その戦闘意欲は旺盛であり、また潜水艦をますます増加させている傾向にあり、
近未来にニアミスが起こりうるだろう。
第三は習近平の謳う『軍事外交』である。
いまや中国は後戻り出来ない地点に来ており、
その政権維持をかけて軍事力の誇示は、かの政権の政治命題である。
偶発戦争は起こりえない可能性が高いものの、
危機を危機と認識できない指導者が、党内権力闘争の生き残りをかけて
軍事突出にでてくる場合、それは起こりうる危険性に繋がるのである。
読者の声
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪
(読者の声1)
ユネスコの日本の産業革命に関わる遺跡の世界遺産登録で
ひとつ不思議に思うことがあります。
韓国からの朝鮮人が強制労働させられたといういちゃもんに
日本政府が時期が違うと反論していることです。
なぜ、徴用工は原則自主参加であった、と言えないのか不思議です。
勿論、断ることがかなり困難な状況であったことは事実です。
しかし、それは日本系の日本人も同じです。
さらに参加するにしても、どの職場にするかの選択肢はありました。
「軍艦島」のようなきつい職場の場合、平均賃金の5倍くらい支払われていました。
黒部ダムの工事現場では平均賃金の10倍くらいです。
こういったところには朝鮮系の日本人が殺到しました。
かれらは大日本帝国に奉仕したいという熱情と愛国心が高かったのか、
高い報酬にひかれたのかはわかりませんが、
きつい仕事を強制的にやらされたとはとても言えません。
黒部ダムの工事では非常に賃金が高かったので
当時手に入りにくかった酒を仕事が終わった後大量に飲んで、
酔って喧嘩をして亡くなった方の方が
事故で命を落とした方よりはるかに多かったそうです。
それらの方への冥福を祈ります。
彼らを強制労働させられた被害者として描くことは、彼らを侮辱することです。
彼らは、付加価値の高いきつい仕事を自主的に行った誇り高き人たちです。
(ST性、千葉)
(宮崎正弘のコメント)
「軍艦島」、いきなり世界のスポットがあたりましたね。
国内のツアーも盛んなようですが、ご指摘のように
賃金が五倍だったことを、もっと喧伝する必要がありますね。
コメント
*友愛的日本人 2015/6/17
間近に迫るアヘノミクス第四の矢にしてとどめの矢、
安倍政治の集大成としての「戦争」。
今回の戦争法を通して、
多くの日本人が長州謀略政治の本性に気がついたのではないか?
あの明治維新によって徳川幕府は倒され、
代わりに菊のカーテンを纏った長州幕府が出来上がったのだという事実を・・・。
あの幕末、各国各藩の思惑が錯綜する中で、京都で江戸で本当は何があったのか?
真実は長州奥の院、秘中の秘なれども・・・。
↑
「菊のカーテン」はもはやバレバレでズタズタ。
これもネットの威力、カーテンを突き破ってしまったw
寛政九年(1797)~ 文久元年(1861)
号は一勇齋、朝櫻楼など 作
「東都名所 両国柳ばし」です。
☆曇、ヒンヤリ。
無差別大量殺戮、忘れまじ、
◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/18manningyakusatusiubawaretaokinawa.html
長周新聞 2015年6月8日付
18万人虐殺し奪われた沖縄
「日本守る」掲げた米軍支配の欺瞞
蘇る県民皆殺しの記憶
沖縄県では、戦後70年目の沖縄戦慰霊の日(6月23日)を前後して、
各自治会や地区単位の慰霊祭が準備されている。
米軍によって数多くの県民が無残に殺された沖縄戦から70年を迎えるなかで、
これまで家族にさえも語ってこなかった体験者が、
「今語り継がねば」と深い思いと使命を持って語り始めている。
草木さえ残らないほど島中を焼き尽くし、空襲、艦砲射撃、戦車砲、火炎放射器、
毒ガスなど、ありとあらゆる兵器で女・子どもを殺した米軍が、
戦後は「日本を守る」のだといって70年も居座ってきた。
「守る」どころか、民間人を含む18万人もの人間を虐殺して
占領したのが沖縄戦であり、そのなまなましい記憶はかき消すことなどできない。
辺野古をめぐってかつてなく県民の斗争が広がりを見せるなかで、
米軍支配のはじまりとなった沖縄戦でどのような目にあったのか、
体験者に聞いた。
☆“今語り継がねば”と体験者
沖縄市内に住む90代の女性は、米軍が上陸し戦闘が激しくなってから夫とともに
南部に逃げた体験を持っている。
当時21歳で、夫が警察官であり、首里の駐在所から西原町翁長の駐在所に
移っていたときに沖縄戦を経験した。
「米軍は読谷村から上陸し、住民が山原の方に行けないようにしたうえで、
南部に攻めてきた。私たちは豊見城の方に行き、そこからずっと南部へ逃げていった。
海からは艦砲射撃、陸からは戦車砲が撃ち込まれ、しだいに追い詰められて
島尻の喜屋武岬の崖の下に逃げこんだ。
崖の上からは米兵に狙われ、夜が明けるとトンボ(偵察機)が飛んできて
隠れている位置を教えるからすぐに艦砲でやられた。
トンボが来るとすぐに逃げないといけなかった」と語った。
海には、アメリカの艦船がたくさん並んでおり、精神状態がおかしくなって
荒れた海に飛び込み、亡くなった人がたくさんいた。
逃げている最中、壕に入ったところを見ていた米軍の戦車砲で
全滅させられた人たちもいた。
「私の隣にいた友だちは頭を打ち抜かれて即死だった。
私の腕と頭に弾の破片が入り、その後何度か攻撃を受け、足にも胸にも破片が入った。
今も足と頭には破片が残っている。
艦砲でやられたのか戦車砲でやられたのかわからないほどだった」と
米軍の攻撃でたくさんの人が殺されたことを語った。
そして米軍が最南端である喜屋武岬の方に人人を集めるように追い込んでいったこと、
夜になると照明弾がうち上げられて米軍に狙われるため、
すぐに伏せていたことを語った。
米軍の艦砲射撃のなかを生きのびた女性は、
「ほとんどの者が死に、生き残ったのはわずかだった。
戦後も頭に破片が入っているため、気を失うこともよくあった。
今でも毎日戦場の場面が頭の中に浮かんできて寝られず、薬を飲んで寝ている。
逃げるときに“助けて、助けて”という声があったが、助けられなかったことが
一番辛かった。自分の子どもにはたまに話していたが、人の前で話したことはなかった。
今南部周辺が観光地になっているが、私たちがいたところは生存者がほとんどおらず
テレビにもあまり出ない。遺骨も流れてしまっているはずだ」と苦しい胸の内を語った。
☆一瞬で家族奪った艦砲 防空壕も狙われた
沖縄戦当時、13歳だったという沖縄市に住む83歳のA氏(女性)は、
自身の子や孫たちに伝えるため体験をつづったものをもとに体験を語った。
これまで老人会でも語ってこなかったが、「ぜひ私の体験を伝えてほしい」と
並並ならぬ思いを込めて、体験をつづったものを自宅から持ってきた。
そして自身の頭にも艦砲の破片が入っていることを初めて明かした。
A氏は与那原(那覇の東、太平洋側)で生まれ、父母兄弟妹家族とは別別に、
祖父母のもとで育てられた。1944年10月10日の10・10空襲(那覇空襲)から、
沖縄における米軍の攻撃が始まったことを語った。
空襲について、「朝の八時ごろで、学校へ行く準備をしていたが、
爆撃機B29が不気味な音を出しながら低空飛行で機関銃を撃ち、
パラパラと私たちめがけて弾が飛んできた。突然の出来事だった。
B29は上昇してまた低空飛行し、機関銃でくり返し撃ってきた。
幸い弾は当たらず助かったが、この空襲によって那覇の町は焼かれ、
夜通し燃え、昼のようだった。
その日以来、毎日のように空襲警報のサイレンが鳴ると防空壕に隠れる生活が続いた」
と振り返った。
年が明け、米軍が沖縄に上陸したころから、祖父母を連れて近くの山に避難したが、
年老いた祖父母の足では遠くへ逃げることはできず、
近くに日本兵が掘っている壕に身を寄せた。
昼は飛行機が飛びかい、艦砲の音は激しくなり、
艦砲の弾が頭の上を“ピューン”と通り抜けていった。
日日戦争が激しくなるなかで、
与那原の町もすっかり焼かれ灰色に変わっていった経験を語った。
そして生涯忘れないこととして、祖父母を一度に失った体験を口にした。
「あれは5月20日のことだった。私は少し離れたサトウキビ畑で用を足していた。
そのとき近くに艦砲の弾が落ちて爆発し、その破片が目の前に落ちた。
“この艦砲は祖父母のいる壕の上に落ちたのではないか…”と不安に駆られ、
気をとり直して壕のそばまで行ってみた。
案の定艦砲は壕の上に落ち、祖父母は生き埋めになって亡くなっていた。
助けを求めようにも近くに誰もおらず、どうすることもできなかった。
とにかくサトウキビ畑をかき分けて無我夢中で逃げた。
悲しんでいる場合ではなかったし、なるべく遠くへ逃げたかった」
☆逃げ場塞ぎ自決追込む 女や子供も容赦なく
大城という部落を通り過ぎ、玉城にたどりついた。
奥の方の岩陰に隠れると、すでに5人ほどの人がおり、
そのなかに近所に住んでいたお姉さんがいた。
祖父母と別れて以来初めて知り合いに会い、安心してそこに身を潜めることにした。
お姉さんは小さな女の子を背負っていたが、この子がひもじいのか泣き止まず、
その声が米軍に探知されると艦砲で狙われるため、一緒にいた人たちから
「ここで子どもを泣かすな」といわれていた。
お姉さんは「みなに迷惑をかけてはいけない…」と思ったのか、
翌朝どこかへ行ってしまった。
夕方になって戻ってきたが、子どもの顔は青黒くなっていた。
「なぜか」とたずねると、「私がおしめで口をふさいで死なせた…」といった。
翌日お姉さんと逃げる途中、艦砲でできた穴に死んだ子どもを寝かせ、
かずらの根を引き抜き、子どもの上にかぶせてから石を置いた。
「これが印だから、戦争が終わったら遺骨をとりに来てね」といってその場を離れた。
逃げる途中、道ばたに5人の家族が死んでいたが、恐ろしいなどといっておれず、
その横を通り抜けた。船からは艦砲、空からは飛行機が機関銃を撃ってくるため、
伏せたり走ったりして逃げた。
いつしか一緒にいたお姉さんもどこに行ったのかわからなくなり、
とうとう具志頭の新城までたどりついた。
右に行ったり、左に行ったり、もちろん地名もわからない。
ひたすらあてもなく逃げるしかなかった。
新城から逃げていく際、3人の子どもを連れている母親がいた。
小学校2年生ぐらいの男の子と3歳ぐらいの女の子を連れ、
もう一人女の子をおぶっていた。その親子の後についていくことにした。
「しばらくして“ドーン”と艦砲の音がして、少し離れたところに弾が落ちた。
私は地面に伏せたが、その母親は艦砲の小さな破片が頭の真ん中に当たり、
目の前でばったり倒れた。即死だった。
背中におぶっている子どもにケガはなかったので、母親の背中から子どもをとり上げ、
男の子におんぶさせた。そして“お母さんは死んだから一緒に逃げよう”といい、
女の子の手を引いて逃げた。
しばらくは一緒に逃げていたが、艦砲が激しくなり、伏せたり、
走ったりしているうちに手が離れ、いつしかはぐれてしまった」
A氏は、「私も自分の命を守るために命がけで、後ろを振り向くこともできずに
一人で逃げていた。今にして思うと、あの子どもたちはどうなったのだろう、
もっと何とかならなかったのかとの思いが強く、生きていてほしいと祈る気持ちでいっぱいだ」
と苦しい胸の内を明かした。
逃げる途中、道に落ちている黒砂糖を食べて飢えをしのいだ。
逃げに逃げ、やっとの思いで壕を見つけて避難したが、
そこが現在の「ひめゆりの塔」の場所だった。
壕の中には女学生らしい人たちや、何人もの傷ついた日本兵がおり、
左腕が切れている人や太股が切れている人、その傷口からウジがムクムクと地面に垂れ落ち、
その姿は何ともいえなかった。
人の肉の腐った臭いがあたり一面にただよい、息もできないほどだった。
片隅の方でちぢこまっていると男の人がやってきて、
「明日の朝この壕にガスをまくらしい。ここにいると死ぬから今のうちに逃げなさい」
といってくれた。
薄暗くなってから壕を這い上がって逃げた。途中あちこちで死人の上をまたぎ、
やっとの思いで米須の部落にたどり着いた。
あたりはすっかり暗くなっていたが、隠れるのに適当な家を見つけ、その中に入った。
「この家にはHさんとその家族がおり、両親と弟の4人家族だった。
母屋には両親と弟が避難し、私とHさんは離れの小さな馬小屋に避難することにした。
しばらくすると艦砲が爆発して近くに落ち、馬小屋にいたHさんは、
爆風で倒された大きな石壁に押しつぶされて死んだ。
私は反対側にいたから助かった。母屋の方が気になり、行ってみると
艦砲の破片が父親のお腹に当たり、腸がみな飛び出していた。
おじさんは小さな声で“ミヂ小(水)、ミヂ小(水)”といった。
おじさんに水を飲ませるために急須を持って井戸の方へ走ったが、
井戸の周辺には人が死んでいた。急いで水をくみ、おじさんに飲ませると
“ありがとう”と小さな声でいい残し、そのまま息を引きとった。
おばさんは一度に夫と娘を亡くして泣き崩れ、その姿を見ると私もついもらい泣きした」
翌日逃げる途中に「眞壁が安全だ」という人たちに出会い
その人たちについていくことにした。
そして「今朝米須のガマにガスがまかれ、ガマにいた女学生や日本兵はみな死んだ」
と聞かされた。
「逃げずにあの壕にいたら…」と思うと胸がぞっとした
(後に、ガスがまかれたのは6月18日、女学生の死者が46人、
生存者が5人となっていることを知った)。
さらに逃げてマブニの海岸(今の平和の礎の東岸)にたどりついた。
「波が打ち寄せては返す岩陰にHさんの母、弟と3人で隠れた。
しばらくすると、ものすごい爆発音がした。日本兵が手榴弾で自決したところだった。
目の前に船が浮かび、夜になるとサーチライトで照らされた。
翌朝になって米軍の船から「白旗を揚げて出てこい」とのアナウンスが一面に響き渡った。
両手を挙げて出ていき、捕虜となった。
A氏は、「父母たちとは再会することができたが、
語り尽くすことのできない戦争中のできごとは、今でも昨日のことのように思い出される。
戦争中、食うや食わずで一人で逃げ隠れしたときなど、
夜になると亡くなった祖父母のことを思い出し、あまりの寂しさに耐えかね、
とめどなくあふれる涙をおさえることができなかった。
多くの方方が亡くなられたが、私自身は生きのびてこれたのは運が良かっただけだ
とも思えない。もう二度と沖縄で戦争をやってほしくない。
世界中から戦争をなくしたい」 と胸の内をあらわした。
そして、「この私の体験は家族に配ったもののうち、二冊だけ残していたものだ。
今までほとんど話したことはないが、ぜひ本土の方方に沖縄戦の実際を知らせてほしい」
と語った。
☆基地略奪の為の大殺戮 アジア侵略の拠点に
米軍は沖縄侵攻作戦を「アイスバーグ(氷山)作戦」と名付け、
戦後、沖縄を占領し、基地にする周到な計画のもとに侵攻を開始した。
それは琉球王朝時代のペリー来航のときから、
沖縄の島島の地図や民事ハンドブックを作成し、歴史、地理、民俗、動植物にいたるまで
詳細に調査し どこをたたき、どこに集めていくのか、
さらに占領後の占領行政を含め、周到な準備をした上で攻撃した。
1945年3月26日に沖縄に上陸したと同時に、海軍軍政府布告第一号「権限の停止」
(通称「ニミッツ布告」)を公布し、住民に対して日本の行政権を停止したことから見ても、
米軍が沖縄を奪い取ることを確信していたことが明らかになっている。
兵員・物量ともに日本軍をはるかに上回る米軍の攻撃は、
沖縄本島を一木一草もないほどに焼きつくし、山野の形も変えた。
日本人なり沖縄を「守る」ためではなく、虐殺によって奪い取ったものにほかならない。
現在では名護市辺野古への新基地建設を「日本を中国の脅威から守るため」だといい、
沖縄戦で米軍が殺した人人については一言も触れない。
しかし沖縄戦を体験した県民にそのような欺瞞は通用しない。
18万人も虐殺したアメリカが、いったい日本の何を守るというのか、である。
戦後はベトナム戦争の出撃拠点として利用し、アジア覇権を打ち立てる要衝として
沖縄の米軍は存在し続けた。
70年たってさらに新基地を建設するところまできて、
いったいこの先何年居座るつもりなのかという県民の憤激が高まっている。
70年前の地上戦の記憶を 体験者たちは必死の思いで、
未来を担う沖縄の子どもたちや若者に 語りたがっている。
國芳、二枚目、
「定九郎 市川高麗蔵」 「与市兵衛 松本たい助」です。
腐れNHKw
◆http://my.shadowcity.jp/2015/06/nhk-3.html#more
ネットゲリラ (2015年6月17日)
◎NHK「花燃ゆ」が歴史を捏造
憲法どころか、歴史すら、勝手に書き換えるアベシンゾーですw
アメリカ様のゴキゲン取りだけはいっしょけんめです。
日本国民なんか、知ったこっちゃないw 哀れなもんだw
没落する宗主国さまに、どこまで忠誠を尽くすつもりなのかw
まぁ、将来も、それこそ未来永劫に渡って、語り継がれる黒歴史になるだろうw
☆http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150616-00000016-pseven-ent
NEWS ポストセブン 6月16日(火)
◎NHK大河 「日米戦争」を「日仏戦争」に歴史修正していた
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の第21話「決行の日」(5月24日放送)は、
関門海峡に面した砲台に居並ぶ久坂玄瑞ら長州藩士が、
外国船に砲撃を加えるシーンでラストを迎える。
久坂はドラマの主人公・文(吉田松陰の妹)の夫で、
主演の井上真央が久坂の無事を祈る中、見張り役が声を張り上げる。
「来たぞ! フランス船じゃ!」
その報を受け、洋上に船の姿を認めた久坂は「撃て」と指示を出す。
「でもまだ、御奉行さまのお許しが……」と躊躇する藩兵に久坂が返す。
「構わぬ。撃て!」
文久3(1863)年5月10日に長州藩が攘夷を決行した、
いわゆる「下関事件」である。
ドラマではフランス国旗を掲げた船に向けて次々と砲弾が放たれ、
何発かが命中して火の手があがる──。
ところが、このシーンは史実と大きく食い違う。
1863年5月10日に砲撃を受けたのはフランス船ではない。
長州藩が最初に攻撃したのは、「アメリカ商船ペンブローク号」なのである。
その後、フランスやオランダの軍艦にも砲撃が加えられたが、
アメリカの場合は軍艦ではなく商船を、しかも不意を突いて狙った格好となったため、
長州藩は翌月、米軍艦から真っ先に報復攻撃を受けることになる。
脚本家がそうした基本的な史実を知らずに、
「最初に攻撃を受けたのはフランス」と勘違いしていたわけではない。
『花燃ゆ』の脚本家3人が著者に名を連ねる小説版『花燃ゆ・第2巻』(NHK出版刊)は
ドラマのシナリオ本だが、そこでは最初に砲撃を受けたのは
「アメリカ船」とはっきり書かれているのだ。
〈そして、ついにその日は来た。文久三年五月十日──攘夷決行の日である。
「来たぞ! アメリカ船じゃ!」
見張り役の赤●(編注:しめすへんに爾)が声を上げた〉
つまり脚本家も緒戦が「日米」の争いだと認識していたのに、
放送ではそれが「日仏」に変えられていたのだ。
シナリオ本が出版されたのは今年3月。第21話の放送は5月24日だ。
その間には安倍晋三・首相が4月26日から8日間の日程で訪米し、
米議会演説で安全保障関連法案を「この夏までに成就させる」と
大見得を切って見せた。その安保法制審議がちょうど第21話放送直後の
5月28日から本格化するタイミングだった。
長州は安倍首相の地元であり、安倍氏は幕末志士の吉田松陰を尊敬すると公言してきた。
その長州志士たちが、よりにもよってアメリカを攻撃するのは好ましくないと
NHKが考えたのではないかと思えてくる。
もちろんオバマ米大統領やオランド仏大統領が
「『花燃ゆ』でうちの国の船が砲撃された!」と怒り出すはずもない。
NHKの「歴史修正主義」は、親しい記者との懇談で『花燃ゆ』を「面白い」
と評していたという安倍首相への阿り(おもねり)が理由ではないのか。
本誌が報じてきたように、『花燃ゆ』が今年の大河ドラマに決まったことには
異例の経緯があった。NHKは主人公を決める前から安倍首相の地元である山口県を
舞台とすることを前提にリサーチを進め、その結果、
制作発表が例年に比べて異例の遅さとなった。
しかも今年は没後400年にあたる真田幸村のストーリーに内定していた
ともいわれたため(「真田」は没後401年の来年に放送)、
NHKが安倍首相に配慮したのではないかとみられてきた。
※週刊ポスト2015年6月26日号
しかし、ここまでゴリ押し、無理難題やってると、反動が楽しみですねw
そろそろ出始めているがw
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こりゃ完全に安倍政権の圧力だろ
NHKに圧力かけるのは安倍の得意技
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日本の憲法=好きなように解釈できる
日本の歴史=好きなように解釈できる
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憲法を改変する時には、GHQどうたらこうたらと並べ立て、
やっていることは結果的に現在アメリカが中国を煽って
火種となったら日本を身代わりにする為の下準備。
安保どうこうと言っているのもそのため。
何故、戦争を起こそうとするかと言えば、ドルが死亡寸前だから。
都合が悪いことは、審議も碌にせず
何でもかんでも閣議決定。マスゴミは餌を貰ってだんまり。
ネットでは、ネットサポーターっつーか、
カルト宗教の動員でキチガイ援護レス。
支持率でも何でも捏造しまくり。
大衆誘導のテレビや新聞などは大本営発表。
キチガイカルトが政府の中枢に居座る美しい国、日本
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そして、国会では野党も反対のパフォーマンスはしても、
一番ヤバイ点までには誰も触れない。
ここで自民だミンスだ共産だとレッテルを張ろうが、
どれも最終的には意見が通るように行動している。
本当に行動した議員は、車に追突されて暗殺されたり、
朝鮮人の自称右翼が借金云々と言いながら刺してきたりした人達
それ以外はただの表向きの演技で、対立を装っているだけ
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民主党も含めて、野党もまた、甘すぎる。
自民党はアメリカの手羽先、ユダ金の手羽先だと、国会で追求しろよw
世界経済なんて、どうでもいいんだよ。
日本の政治家だったら、日本人のシアワセだけ考えろよ。
自民党といっしょになってアメリカ様の顔色伺うような政治家は要らんです。
コメント
*桑名っ子 | 2015年6月17日 | 返信
>日本の憲法=好きなように解釈できる
>日本の歴史=好きなように解釈できる
天皇も好きなように殺しちゃって入れ替えるw
それが長州テロリスト思考w
でもこれって藤原氏以前、以降、日本のお家芸w
下々は血脈が2000年以上続いていると思ってるw
*弦巻町 | 2015年6月17日 | 返信
いや、念のためコメントしとくと、私自身は、
もちろんバリバリの歴史修正主義者ですよ。
アメリカほか戦勝国とユダ公たちが
勝手に作りあげた「歴史」なんか糞食らえだw
でも、アメポチのふりするしか生き残れない
どっかの国の総理がそれじゃまずいでしょうw
この国は、いまやインチキだらけの三等国に成り下がったようですw
犬HKに限らずね。
決算未了のトーシバさん、粉飾額は500億ぽっち、という報道でしたが、
どうもそれじゃ済みそうもなさそうだ。
前にコメントした8000億ぐらいで済めばまだいいけどw
これは、原発関連の資産を「将来予想損失」で正直に評価した場合なので
今すぐは問題にならないかもしれませんが、
火急の問題は資金繰りのようです。
*aaa | 2015年6月17日 | 返信
吉田松陰一派なんて糞真面目に史実をなぞれば、
京都では特に血生臭い蛮行の限りを尽くしているので
放送できないでしょう。
↑
ユダ米は、「価値観を共有するかけがえのない同盟国」w
連中の奉ずるのは、ユダヤ教亜種たる「福音主義」切支丹、
どーこがw 価値観を共有するんだよ!
國芳、三枚目、
「金ぴら参り 喜多八」です。
ユダ米と共産支那はグル、嵌められてはなりませんぞ、
◆http://melma.com/backnumber_45206_6222592/http://melma.com/backnumber_45206_6222592/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(米中戦争、三つのシナリオ)発行日:6/17
南シナ海で、もし米中軍事衝突が起こるとすれば
米国専門家が三つのシナリオを提示
***************************************
保守の論客アービン・クリストルが創刊した『ナショナル・インタレスト』誌は、
『フォーリン・アフェアーズ』と並んで
全米のマスコミがしばしば引用する有力なメディア(日本では後者しか知られていないが)。
かつてはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』も、この雑誌に連載された。
2004年から発行元はナショナル・アフェアーズ社からニクソン・センターに移管した。
この『ナショナル・インタレスト』誌最新号に
『米中が南シナ海で軍事衝突にいたる三つのシナリオ』が提議されている。
執筆はロバート・ファーレイ(パターソン・スクール準教授、海軍戦略専門家)。
「いまや米中は南シナ海の埋め立て工事をめぐって言葉の戦争状態、日々、
緊張が増大している。かといって中国の軍事態勢、その装備、準備具合などから勘案して、
すぐに戦争状態に突入するとは考えにくい」としながらも、
以下の三つのシナリオが描けるとする。
第一の想定は
小競り合いによる軍事衝突への発展であり、
(a)は中国の人工島建設と軍事施設の完成がなされ、
航海の自由をかかげる国連の立場からも、
米軍は島外海域のパトロールを実行することになる。
したがって米軍偵察機、あるいは米艦船に対して中国が妨害し、
それが米側の損傷をともなく場合、当然だが米軍の報復がなされる。
(b)米軍の対潜水艦哨戒機P3Cオライオンが、中国側に補足され、
緊張が高まった事件があったように、機体とパイロットの返還に数週間を要した。
つまり米軍の哨戒飛行への嫌がらせによる偶発的衝突が起こりうるだろう。
(c)このシナリオは嘗てのKAL007便が『領空侵犯』を問われ、
ソ連のミサイルで撃墜されたように、民間機の撃墜がなされるとすれば、
米軍の報復があるだろう。なぜなら中国は南シナ海にも、
一方的にADIZ(防空識別圏)を設定しようとしているからである。
▲偶発戦争というのは稀にしか起こらないが。。。
第二は潜水艦の偶発事故によるケースである。
冷戦時代、ソ連原潜ならびに通常の潜水艦と
西側NATOの潜水艦にニアミスがよく起こった。
往時のソ連の海軍力と比べると中国海軍の潜水艦戦力はまだ完成の意気にはないが、
その戦闘意欲は旺盛であり、また潜水艦をますます増加させている傾向にあり、
近未来にニアミスが起こりうるだろう。
第三は習近平の謳う『軍事外交』である。
いまや中国は後戻り出来ない地点に来ており、
その政権維持をかけて軍事力の誇示は、かの政権の政治命題である。
偶発戦争は起こりえない可能性が高いものの、
危機を危機と認識できない指導者が、党内権力闘争の生き残りをかけて
軍事突出にでてくる場合、それは起こりうる危険性に繋がるのである。
読者の声
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(読者の声1)
ユネスコの日本の産業革命に関わる遺跡の世界遺産登録で
ひとつ不思議に思うことがあります。
韓国からの朝鮮人が強制労働させられたといういちゃもんに
日本政府が時期が違うと反論していることです。
なぜ、徴用工は原則自主参加であった、と言えないのか不思議です。
勿論、断ることがかなり困難な状況であったことは事実です。
しかし、それは日本系の日本人も同じです。
さらに参加するにしても、どの職場にするかの選択肢はありました。
「軍艦島」のようなきつい職場の場合、平均賃金の5倍くらい支払われていました。
黒部ダムの工事現場では平均賃金の10倍くらいです。
こういったところには朝鮮系の日本人が殺到しました。
かれらは大日本帝国に奉仕したいという熱情と愛国心が高かったのか、
高い報酬にひかれたのかはわかりませんが、
きつい仕事を強制的にやらされたとはとても言えません。
黒部ダムの工事では非常に賃金が高かったので
当時手に入りにくかった酒を仕事が終わった後大量に飲んで、
酔って喧嘩をして亡くなった方の方が
事故で命を落とした方よりはるかに多かったそうです。
それらの方への冥福を祈ります。
彼らを強制労働させられた被害者として描くことは、彼らを侮辱することです。
彼らは、付加価値の高いきつい仕事を自主的に行った誇り高き人たちです。
(ST性、千葉)
(宮崎正弘のコメント)
「軍艦島」、いきなり世界のスポットがあたりましたね。
国内のツアーも盛んなようですが、ご指摘のように
賃金が五倍だったことを、もっと喧伝する必要がありますね。
コメント
*友愛的日本人 2015/6/17
間近に迫るアヘノミクス第四の矢にしてとどめの矢、
安倍政治の集大成としての「戦争」。
今回の戦争法を通して、
多くの日本人が長州謀略政治の本性に気がついたのではないか?
あの明治維新によって徳川幕府は倒され、
代わりに菊のカーテンを纏った長州幕府が出来上がったのだという事実を・・・。
あの幕末、各国各藩の思惑が錯綜する中で、京都で江戸で本当は何があったのか?
真実は長州奥の院、秘中の秘なれども・・・。
↑
「菊のカーテン」はもはやバレバレでズタズタ。
これもネットの威力、カーテンを突き破ってしまったw