画は 渓斎 英泉 (けいさい えいせん)
寛政3年(1791年)~ 嘉永元年(1848年)
独自性の際立つ退廃的で妖艶な美人画で知られる。 作
「岐阻街道 鴻巣 吹上冨士 遠望」です。
☆曇り。
昨日午後からBS-TBSで「日本海大海戦」を見ていました。
何年ぶりかw なかなか面白かった、特撮はさすが円谷英二でお見事!
『日本海大海戦』: Wikipedia
1969年に東宝が製作した日本の戦争映画。
本作は、円谷英二が実質的に特技監督として参加した最後の映画作品。
三船敏郎(東郷平八郎海軍大将・連合艦隊司令長官)
仲代達矢(明石元二郎大佐)土屋嘉男(秋山真之参謀)笠智衆(乃木希典大将)
柳永二郎(伊藤博文)三津田健(山縣有朋)辰巳柳太郎(山本権兵衛海軍大臣)
昔の映画なので(45年前)、明治天皇を神格化しておるのが可笑しい。
伊藤や山縣にとっては大室寅之祐は奇兵隊では子分にすぎない、
表面上はともかく、まともに相手にするはずがないw
西郷隆盛とか大久保利通とかには周知の事実で、ただのなりすましですから。
しかし乃木希典というのは愚将そのものだと思う、
一度で懲りず、愚策(正面突撃)を繰り返す、皇軍の悪しき伝統の始まり。
諸説あるが、児玉源太郎の攻城砲の連続砲撃で旅順戦が決着したとされている。
明治維新とは民の不幸の始まりだったのがよく分かる。
栄泉、二枚目、
「契情道中双六 若那屋内 若那 見立吉原五十三對 品川」です。
で、昨日に続き、
◆http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/687.html
投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2011 年 11 月 23 日 8qHXTBsVRznh2
◎山本五十六の真実④鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密
より抜粋、
それで中山忠能(ただやす)は公卿なんですけど日記をつけていて、
『睦仁というのは非常に身体が弱くて細くていつも泣いていた』と。
そしてまたある日記に突然彼は『奇兵隊天皇が生まれた』と書いてます。
奇兵隊というのは高杉晋作が創り、大室寅之佑もそれに参加しました。
特に身体が大きかったから、『力士隊』というのがありましたがその一員です。
その『力士隊』の一員である大室寅之佑は、伊藤博文が大事に育てました。
伊藤博文の家は大室寅之佑の家から歩いても、
昔の人だったら30分ぐらいで行くんじゃないでしょうか、近いところに住んでいます。
彼は伊藤博文に大事に育てられて、明治天皇に仕立てられたと私は思うんです。
それは『奇兵隊天皇』という言葉を、中山慶子のお父さんがはっきり書いています。
そして朝彦(あさひこ)親王というのがいまして、
これはショウレイインという悪名を持つ坊主が、天皇にほとんど関係がないんですけど、
明治天皇が出来たときに万が一の場合に皇統が消えたら悪いというので、
いくらか孝明天皇につながりのある男を探したらおりました、
それを朝彦親王として、そこから日本のあの皇族たちが全部生まれて来ます。
明治の皇族たちはみんなそこから、その家の子どもたちです。
朝彦親王も『明治天皇は毎日 将鬼の幽霊を-
孝明天皇が亡霊として将鬼の姿として現れ- 毎日泣きじゃくっている』
という日記を残しています。
☆久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう)
文政7年(1824年)~ 明治24年(1891年)
幕末から明治時代初期の皇族。伏見宮邦家親王の第四王子。通称に中川宮。
去年、東京大学でフランス展がありました。偶然私は東京にいまして、
東大に行ってフランス展を見に行った折に、
明治天皇を隠し撮りした写真が東大の資料館で飾ってました。
大男です。今の相撲取りでいったらどうでしょうか、百何十キロの大男です。
これが明治天皇の姿なんです。
泣きべそっていた子どもが 突然東京に現れたら、西郷隆盛と相撲を取り
江戸城で白馬を乗りまわしたという有名な話があります。
そりゃそうでしょう。大男です。『力士隊』にいた男に間違いありません。
色が真っ黒くて大男でブサイクな男です。
キョソーネという人が描いた肖像画による明治天皇とは似ての似つかん姿です。
これはフランスの人が発表し東大が認めて明治天皇の写真として発表してるんだから、
これこそ間違いありません。
細川護貞(もりさだ)『情報天皇に達せず』という本があります。
この本によりますと、東条があの当時数億円単位の金を政界工作に使ったとあります。
岸信介が東条を追い落としたのは、近衛が秘書の細川に言ってます
「あれはお前が言うような、世間で言われているような話じゃない。
東条が金をバラまきすぎたのを 岸信介がみんなに訴えて、東条を失脚させたんだ」
ということです。東条は一族ではないために、金をたくさん貯めて日本の銀行に戦後入れます、
そして戦犯で殺されますが、預金封鎖になって全財産を無くします。
岸信介はちゃんと天皇と同じようにスイスの銀行に預けたために、
岸信介・佐藤栄作・安部一族は大金持ちです。
今、安部晋三が総理大臣になれたのも、最終的にはそのお金が役に立ってるんです。
ということを持って私は
大室寅之佑が明治天皇になったと、まずここから考えますと日本の歴史が見えてきます。
コンプライアンスというのは「情け」とか「いい加減」とか
「気まぐれ」とか「気休め」、それにドールをつけてコンプラドールという言葉があります。
これは要するに外人がオモチャのように使えるような、
気休めの人材を集めて自由自在に操り、その国を支配するということです。
中国にアヘン戦争をしかけて、香港・上海銀行を中心に支配していくユダヤ人たちは、
中国人の連中をコンプラドールとして使いました。
同じように日本人をいちばん大事なところで、
権力の中枢でコンプラドールにされた可能性、大なんです。
大室寅之佑が明治天皇になり、そして大正・昭和と続く過程で、
色んなスキャンダルに巻き込まれていきまして、そのスキャンダルをヨーロッパ、
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。
これが第二次世界大戦の遠因になったと思うんです。
どうでしょうか。そういう面から歴史を見ると、私に電話をかけてきた秦さんやら、
それから半藤一利さんの歴史観とはまるきり異なるわけです。で、
私はみなさんにお願いしたいのは、やはり日本を知るためには
日本の暗い部分に目を向けるべきではないか。
それを直視しないから 日本人はいつまでたっても、今もそうですけど、
アメリカ人に利用されてるじゃないかと。
僕たちはそういうことを全部知ろうじゃないかと。知った上で堂々と
外国の勢力に立ち向って行くべき時が来たんじゃないでしょうか。
それでまた、これで続きがいっぱいあります。
日露戦争もぜんぶ同じパターンで仕掛けられたと思うんです。
日露戦争を始めるとき、伊藤博文は反対します。「負ける」って、「するな」と。
伊藤博文も孝明天皇や睦仁殺しに一番かんでいる男なんですが、
彼でさえ「やったらイケン」と言います。
でも戦争をするように仕掛けられて、高橋是清が「金がないのにやるのか?」
「じゃ、お前金策に行ってこい」というので彼が金策に行って、
いちばん最初にイギリスのロスチャイルドに会います。
イギリスのロスチャイルド家は自分では直接関与したくないので、クーン・ローヴ商会、
イギリスのロスチャイルド家が金を出して全額投資したクーン・ローヴ商会に紹介します。
高橋はイギリスからアメリカに渡ってクーン・ローヴ商会に「国債を買ってくれ」と言います。
ちゃんと話が出来てたんでしょう、クーン・ローヴ商会が買います。
シフという男ですけど買います。それでイギリスから軍艦を買ったりします。
万が一日本が負けて国債がパーでもだいじょうぶ、日本を実質的に支配すればいいんですから。
そして軍艦さえないのに、イギリスから軍艦を買って運良く勝ちます。
全部これ仕掛けられたと思うんですよ。
で、日露戦争の後に第一次世界大戦があります。
これも運良く日本がちょうど良いいところで甘い汁を吸わせてくれるように、
イギリスを中心とする勢力が最後の段階で日本を迎えいれて、
ドイツ敗北のために役立ったと言って、
ヴェルサイユ条約で日本に太平洋の島々の委任統治を認めます。実質的に上げるわけです。
日本が太平洋戦争でがんばれたのも、あの小さな島々をもらったからなんです。
それがなかったら、日本はとてもアメリカに対抗できませんでした。
で、太平洋戦争の前に大正天皇のことを少し喋ろうと思います。
東久邇(ひがしくに)というのが、戦後、首相になりますけど、
この男のことを少し喋ろうと思います。
もうスキャンダルだらけの日本ですけど、大正天皇は子種がありませんでした。
歴史的にまちがいはありませんが、現代史家は認めません。
でも子種はありませんでした。というのは、
2・26事件で弟を亡くした河野司というのがおりまして、
この人が2・26事件というのはどうして起きたんだろうと調べて回る時に、
東久邇にぐうぜん遭って話を聞いた時に、東久邇がこういうように言いました。
「お前の弟が死んだのは、遠因は昭和天皇と秩父宮の争いにある」。
で、それはどういうことかというと、大正天皇に子種が無かった。
じゃ、昭和天皇はなぜ生まれたかということを、東久邇が河野司という男に喋ります。
これは映画脚本家・笠原和夫という、東映全盛時代に脚本を書くんですけど、
この人ものすごい勉強家でして、2・26やら色んな事件を映画につくるべく脚本を書きます。
この男が河野司と対談をしてます。その中で河野司が笠原に言います。
「私はあの時、『軍艦』というキャバレーでたまたま東久邇と遭った。
それで東久邇が私に『河野、お前に今日は本当のことを話してやろうか』
と言って話してくれた。」と。
◎河野司と三島由紀夫は親交がある。
三島由紀夫がごく親しい人しか招きいれない自室の部屋に入れて語り合うほどの仲である。
三島由紀夫はやはり2・26事件の処罰に連座した末松太平とも付き合いがある。
「じゃあ昭和天皇はなぜ生まれたんか」と言ったら
「そこまでは言われない。だけど貞明(貞明皇后)はえらく昭和天皇の父親を嫌ってた」
ということです。
それで私はハッとしました。私は小学生のころだったと思うんですけど、戦後、
カストリ雑誌のようなものを読んだことがあるんです。
その中で西郷八郎という名が出て、これは西園寺八郎のことを書いたらマズイと思って
西郷八郎になったと思うんですが、その西郷八郎という男が登場して、
大正天皇の傍にいた妃を手に取って、大正天皇が嘆くのにもかかわらず
山に連れて行ってチョメチョメした、という三文小説がカストリ雑誌に載ったことがあります。
もうずい分前の戦後のカストリ雑誌です。ひょっとしてあれは本当の話じゃないのか。
西郷八郎というのは西園寺八郎のことではないのか。
それで西園寺八郎をいっぱい調べて見ました。
『木戸日記』というのがあります。
木戸幸一が戦後、東京裁判資料として提出した資料です。
都留重人(つるしげと)というのが、木戸の娘を貰ってまして、
その関係で都留重人が木戸を説得して、「あんたの日記をもう出せ」というので世に出たものです。
その中で年月不詳というのがあって、島津治子の話があって、
この島津治子というのは貞明皇后の女官を長く務めたんですけど、主治医が亡くなった後に、
貞明から女官を去るように言われまして、去った後に
民間宗教に凝り固まって妙な言動をする女なんです。
そのことを木戸幸一が書いていて、年月不詳という中にこう書いてます。
『大正天皇の侍従の指令-貞明皇后のお相手八郎のこと』。
『貞明皇后のお相手八郎のこと』とは西園寺八郎のことです。
その西園寺八郎は隠れた重要な人物で、ちょっと余分なことを喋ります。
長州藩に徳山藩というのがあるんですけど、
長州は萩が本家で(徳山藩はその)分家なんです。
そこに毛利元徳(もうりもとのり)という分家なんだけれども一応城を構えた殿さまがおりまして、
その殿さまの八番目に生まれたから毛利八郎といいます。
その毛利八郎が本家の毛利頼近の養子になります。ま、形でしょう。
で、頼近の息子として、形式なんでしょうけど、西園寺公望の養子として西園寺八郎となる。
西園寺公望は女房がいませんでしたけれど、子どもを儲けていたんです。新子といいます。
その新子と西園寺八郎が結ばれるんです。
ちょうどその頃に、西園寺八郎は子どもの時から大正天皇と同じ学習院の同期で幼友達なんですが、
大正天皇は子種がないので結局ある筋から西園寺八郎に「お前が強引にやってこい」と、で、
西園寺八郎は命令されるがまま貞明とチョメチョメしまして、
まチョメチョメという言葉はどうでしょうか、チョメチョメしまして子どもが生まれます。
それが昭和天皇です。
◎私見では昭和天皇の母親は貞明皇后ではない。
昭和の闇の本質は昭和天皇と秩父宮の確執ではなく、
長州を後ろ盾にする昭和天皇 VS 極端な長州嫌いの貞明皇后の確執だと思う。
これが昭和最大の分水嶺2・26事件を引き起こす。
貞明皇后は田布施村政権を佐幕派に大政奉還しようと図り、
樺山愛輔を二度も駐米大使・松平恒雄が駐在するワシントンへ往復させて、
松平容保候の四男である彼の娘を秩父宮の妃に貰い受けた。
貞明皇后が秩父宮を皇位につけようとした動機は盲愛ではないと私は思う。
彼女の言動からは意思がはっきりしていて正義感が強い人となりが伝わってくる。
笠原和夫は2・26は第二の壬申の乱と言ったが、
私は2・26は第二の戊辰戦争であると考えている。
そして田布施村王朝を転覆させようとした貞明皇后は、戦後心臓麻痺で急死している。
私は吉田茂と昭和天皇が暗殺したと考える。白洲次郎は戦後は暗殺工作から身を引いている。
◎重松楊江はまた次のように述べている。
『貞明皇后の本当の名前は朱』
田布施村から輩出された人脈によって樹立された明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とは
即ち朝鮮王朝のことである。
明治維新で職を失った旗本の娘の中から、美女を選び城内に入れて
「千代田遊郭」なるものを伊藤博文らがつくりました。
そこは、天皇や重臣たちの遊び場でした。そこに朱貞明がやってきました。
才色兼備ゆえ、天皇や伊藤博文に見初められて、やがて大正天皇の妃になったのです。』
◎つまり明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とはすなわち朝鮮王朝のことである。
よって貞明皇后の出自が朝鮮であることは理にかなっている。
貞明皇后が大正天皇と結婚したのは15歳である。
白羽の矢を立てられた彼女が 九条家に引き取られ、学習院に通わされ
鍋島信子・牧野雪子と交友している在学中、
大正天皇の妃候補として千代田城にお目見えしたのだろう。
おそらく貞明皇后は朝鮮王朝を引き継ぐ嫡子を産む女性としてふさわしい出自なのだろう。
◎また私見では昭和天皇と貞明皇后は血縁がないと考える。
貞明皇后は極端な長州嫌いで有名、かつ個性的な性格で意思が強い。
西郷八郎が彼女の隙を狙って襲えたのは一回きり、貞明はガードを堅くして
(例えば女官を常時周囲におく)防御しただろう。
貞明皇后が西園寺八郎を拒絶したので、田布施村の大室家の血筋に連なる子どもが
連れてこられたのが昭和天皇である考える。
貞明皇后はDNAも強烈なのか、昭和天皇以外の三人の息子は彼女に酷似している。
猛禽類のような鼻をしている。
その中で昭和天皇一人だけ面立ちがソフトである。
見目良い賢そうな子を選んできたのだろう。
実際昭和天皇は恐るべき頭脳の持ち主である。
鷹揚な生物学者然とした風貌で
「あ、そう」を連発するほほえましいキャラを演じた千両役者でもある。
幼少の時「昭和天皇と秩父宮は双子である」という風聞が根強くあったという。
この兄弟は母胎に宿っている時期が一部重なっていたのだろう。
双子ではなく母胎が二つあったのだ。
昭和天皇には長州出身の西園寺八郎が後ろ盾になった。
昭和天皇を銃撃しようとした難波大助は田布施川の辺に住んでいたから、
そのことを知っていたのかもしれない。
で、彼(八郎)は西園寺家に新子という女がいながら、まったく寄り付きもしないで
天皇家に入りこんでピッタリと自分の息子の昭和天皇の傍にいます。
ずーっと侍従をします。
一時、大正天皇の侍従武官長の奈良武次という男とけんかして、
けんか両成敗で数年間、昭和天皇の傍を離れますが、死ぬまで傍にいます。
ということは昭和天皇の行動も全部、西園寺八郎が牛耳ったであろうと言われるほど、
傍にいます。その西園寺八郎の子どもが公一(きんかず)といいます。
一番大事なのは、次女が春子といいまして、この春子が住友家の御曹子の住友吉左衛門
(第十五代当主・住友友純)の嫁さんになります。
ということは、住友と天皇家は血縁もいいとこなんです。
そうでしょう? そこから考えると昭和の闇もまた見えてきます。
◎八郎の岳父・西園寺公望は1919年パリ平和会議全権大使。
シナリオについては知悉していただろう。
日米開戦前夜に死んでいるのは、シナリオに反対して消されたと私は思う。
公望の私設秘書・原田熊雄は住友に丸抱えされてヤラセの連絡係りとして活躍する。
住友は確かに怪しい。
じゃあ秩父宮は二番目に生まれますが、秩父宮はどうなんでしょうか。
秩父宮は東久邇が自分から言えないけど、東久邇の子どもなんです。
「こいつは何を言ってるんだ」と思うでしょうけど、
『西園寺候と政局』という原田熊雄という男が書いた本があります、
その本を私が言ったようなことを頭に置いて読まれると、
東久邇と秩父宮が親子であるということが良く分ります。
いつも行動を共にして、西園寺が東久邇が妙な行動を取ると秩父宮を呼びつけて
「東久邇に言え、妙な行動を取るな、と」。
そして又、秩父宮が変な行動を取ると西園寺候が東久邇を呼びつけて
「あの子どもをもう少しセーブしろ」と言います。
東久邇は自分を自慢したくて、河野司を呼んで喋ったのかもしれません。
(大正天皇に)子種がないことは事実です。で、貞明皇后はいろんな男とデキてます。
で、樺山愛輔というのともデキているのはまちがいありません。
そういうのから昭和の闇も見えてきます。
以下ご参照あれ!
↑
諸説あり、
貞明皇后の異様な長州嫌いは、昭和天皇の父が大室寅之祐だから、という説もあり。
ま、いづれにしても、孝明帝の血筋ではない、なりすまし一家、ということ。
栄泉、三枚目、
「松葉屋内 代々山」です。
ロシアは、日本と縁があるねぇ、プーチン大明神ですが、
◆http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/567.html
投稿者: ポスト米英時代 日時: 2014 年 11 月 07 日 /puxjEq49qRk6
◎ロシアが世界救世主宣言、そして米英にハルノート、
近く米国は新共和国に移行するようで、なんちゃってユダヤは断末魔である。
きたなプーさん待ってたドーンという感じで
半世紀前に日本が米国につきつけられたハルノートを叩き返してくれたようである。
やはり米国の持ち主はババザべスとロスといった
なんちゃってユダヤで その連中が中露の介入により
米国から叩き出されるようで痛快である。
実は今私の町内で 強欲地主とその親類が戦っており
後者は人望があるが財力で劣り 勧善懲悪ものだと後者が勝たねばいけないが
いかんせん力の差があり過ぎて 寄らば大樹の私としては
真田親子のような感じで へっぴり腰で後者を応援し
前者が勝ったらすぐもみ手でどうもー と出掛けられるようにしながら
前者の負けを祈るという安全第一で 社会正義第二という感じで 見守っていたのだが
まるで元さんのようにゼネコンが登場し 弱い者いじめ悪いあるよーという感じで
前者を押し潰してしまい 喜ばしいがそんな水戸黄門みたいな都合のいい話があるかーと
後者におめでとーよくやったーと肩を叩き その足で前者に向かい
心の中でざまあみやがれーと思いながら ゼネコンて酷いっすよねーと慰めるという
我ながら無節操な行動を取りながら 前者が没落したのを確認中という感じだが
それにしてもどっちが勝つかと思ったら 大きな力で前者が負けちゃった
というタイガースとホークスで日本シリーズを戦っていたら
キャンディーズが優勝しちゃったみたいな事が起きて
入れ歯じゃないのに歯茎が飛び出そうなぐらい
町内会のパワーバランスが一瞬にして変わってしまい
ほっぺたのかわりにそこらのOLのおっぱいをつねって
嘘じゃないと確認している所だが
世界の動きと相似形とか いつも書いている私が
ご冗談でしょーと驚いているが世の中面白いものである。
これまでもこれからも絶対何も変わらないと思っていた我が町会で
有り得ない事が起きたという事は 多分世界も一気に大激変するのである。
インディアンも町会役員も嘘つかないあるよーという感じである。
コメント
*04. 2014年11月07日 OoTCvlIk5g
1946年3月5日のチャーチルの「鉄のカーテン」演説以来、最も重要な政治演説である。
このスピーチの中で、プーチンは突然ゲームのルールを変えた。
以前は、国際政治というゲームは次のように行われた。
国民主権という心地よいフィクションのために、政治家は公然と宣言をしていた。
だが、その宣言は完全にショーのためであって国際政治の中身とは無関係で、
やがて、彼らは秘密の部屋で秘密の交渉に没頭して、実際の密約が出てきた。
以前はプーチンも、ロシアが対等に扱われることだけを期待して、
このゲームを楽しもうと努めていた。だが、そういう希望が潰えてしまい、
この会議で、エリート仲間や政治リーダーの頭越しに人々に直接語り掛けることで
はっきりと西側諸国のタブーを破って、彼はゲームが終わると断言したのだ。
ロシア人ブロガーのchipstoneは、
プーチン演説の最も重要なポイントを次のように要約している。
1. ロシアはもはやゲームをしないし、つまらないことで秘密の交渉に関わり合わないだろう。
だが、集団安全保障を導き、公正さにもとづいて、双方の利益を考慮するならば、
ロシアはまじめな交渉と協定を用意する。
2. 世界の集団安全保障システムはすべて今では荒廃してしまった。
もはや国際的な安全を保証するものはまったくない。そして、
安全保障を台無しにした主体には名前がある。アメリカ合衆国だ。
3. 新世界秩序の建設者たちは失敗しており、砂の城を築いてしまった。
新世界秩序のようなものが構築されるかどうかはロシアの決定事項ではない。
だが、ロシア抜きでは為されないだろうというのが結論である。
4.社会秩序にイノベーションを導入するのに、ロシアは保守的な手法を好むが、
その導入が正当化されるかを考えるために、
そのようなイノベーションを調査することや議論することには反対しない。
5. ロシアは、アメリカがずっと拡大してきた「カオスの帝国」によって創られた
濁った海
(註:murky waters、murkeyは「暗い、陰気な、恥ずかしい」の意味で
比喩的にも用いられる形容詞)
に魚釣りに行くつもりはなく、また、自らの新しい帝国建設には興味がない。
(これは不必要なことだ。ロシアの課題はすでにある広大な領土を開発することにある。)
どちらも世界の救世主たることを望むロシアのやることではないのだ、
過去のロシアがそうだったように。
6.ロシアはロシア自身のイメージで世界を再初期化することを試みないが、
誰かがその者のイメージでロシアを再初期化しようとするならば、
その者を許すこともないだろう。ロシアは世界から自らを閉ざすつもりはないが、
世界からロシアを締め出そうとする誰かはその愚行で
ひどい罰を受けることになることは確かだ。
7.ロシアはカオスの拡大を望まない、戦争を望まない、戦争を始める意図はない。
しかしながら、ロシアは、世界戦争の勃発をほとんど不可避なことと考えており、
それに備えており、なおも準備を続けている。
ロシアは戦争を望まないが、それを怖れもしない。
8. ロシアは新世界秩序を今なお建設しようと試みている人々を挫く
積極的な役割を引き受けるつもりはない、
彼らの取り組みがロシアの重要な利益の障害となり始めるまでは。
ロシアは、彼らのそばに立って、彼らが彼らの哀れな頭脳で
できるだけ沢山取ろうとしているのを見張ることを優先するだろう。
ロシアの利益を無視して、ロシアをこのプロセスに引きずり込もうとする者は、
痛みの本当の意味を教えられることになるだろう。
9.ロシアの外交政策およびましてや内政においては、
ロシアの政権はエリートや彼らの秘密の関係に頼ることはなく、人々の意志に頼るつもりだ。
これら9つのポイントに、私は10番目を加えたい。
10. 世界戦争を避ける新世界秩序を構築するチャンスはまだある。
この新世界秩序は必ずやアメリカを含まねばならない。だが、
アメリカは他国と同じことをするだけでいいのだ。
国際法および国際協定に従うこと、
すべての単独行動をやめること、他の国々の主権を完全に尊重すること。
これらをすべて要約すると、遊びの時間はおしまい、ということだ。
子供たちよ、おもちゃを片付けなさい。今こそ大人が決定を下す時間だ。
ロシアはこの準備が出来ている。世界はどうだろうか?
2014年10月24日、ソチで開催された
バルダイ国際ディスカッション・クラブ第11セッションの最終本会議における
ウラジミール・プーチンの演説
↑
プーチンは冷徹な「日本贔屓」ですよ。
間違いないな。
寛政3年(1791年)~ 嘉永元年(1848年)
独自性の際立つ退廃的で妖艶な美人画で知られる。 作
「岐阻街道 鴻巣 吹上冨士 遠望」です。
☆曇り。
昨日午後からBS-TBSで「日本海大海戦」を見ていました。
何年ぶりかw なかなか面白かった、特撮はさすが円谷英二でお見事!
『日本海大海戦』: Wikipedia
1969年に東宝が製作した日本の戦争映画。
本作は、円谷英二が実質的に特技監督として参加した最後の映画作品。
三船敏郎(東郷平八郎海軍大将・連合艦隊司令長官)
仲代達矢(明石元二郎大佐)土屋嘉男(秋山真之参謀)笠智衆(乃木希典大将)
柳永二郎(伊藤博文)三津田健(山縣有朋)辰巳柳太郎(山本権兵衛海軍大臣)
昔の映画なので(45年前)、明治天皇を神格化しておるのが可笑しい。
伊藤や山縣にとっては大室寅之祐は奇兵隊では子分にすぎない、
表面上はともかく、まともに相手にするはずがないw
西郷隆盛とか大久保利通とかには周知の事実で、ただのなりすましですから。
しかし乃木希典というのは愚将そのものだと思う、
一度で懲りず、愚策(正面突撃)を繰り返す、皇軍の悪しき伝統の始まり。
諸説あるが、児玉源太郎の攻城砲の連続砲撃で旅順戦が決着したとされている。
明治維新とは民の不幸の始まりだったのがよく分かる。
栄泉、二枚目、
「契情道中双六 若那屋内 若那 見立吉原五十三對 品川」です。
で、昨日に続き、
◆http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/687.html
投稿者 ♪ペリマリ♪ 日時 2011 年 11 月 23 日 8qHXTBsVRznh2
◎山本五十六の真実④鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密
より抜粋、
それで中山忠能(ただやす)は公卿なんですけど日記をつけていて、
『睦仁というのは非常に身体が弱くて細くていつも泣いていた』と。
そしてまたある日記に突然彼は『奇兵隊天皇が生まれた』と書いてます。
奇兵隊というのは高杉晋作が創り、大室寅之佑もそれに参加しました。
特に身体が大きかったから、『力士隊』というのがありましたがその一員です。
その『力士隊』の一員である大室寅之佑は、伊藤博文が大事に育てました。
伊藤博文の家は大室寅之佑の家から歩いても、
昔の人だったら30分ぐらいで行くんじゃないでしょうか、近いところに住んでいます。
彼は伊藤博文に大事に育てられて、明治天皇に仕立てられたと私は思うんです。
それは『奇兵隊天皇』という言葉を、中山慶子のお父さんがはっきり書いています。
そして朝彦(あさひこ)親王というのがいまして、
これはショウレイインという悪名を持つ坊主が、天皇にほとんど関係がないんですけど、
明治天皇が出来たときに万が一の場合に皇統が消えたら悪いというので、
いくらか孝明天皇につながりのある男を探したらおりました、
それを朝彦親王として、そこから日本のあの皇族たちが全部生まれて来ます。
明治の皇族たちはみんなそこから、その家の子どもたちです。
朝彦親王も『明治天皇は毎日 将鬼の幽霊を-
孝明天皇が亡霊として将鬼の姿として現れ- 毎日泣きじゃくっている』
という日記を残しています。
☆久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう)
文政7年(1824年)~ 明治24年(1891年)
幕末から明治時代初期の皇族。伏見宮邦家親王の第四王子。通称に中川宮。
去年、東京大学でフランス展がありました。偶然私は東京にいまして、
東大に行ってフランス展を見に行った折に、
明治天皇を隠し撮りした写真が東大の資料館で飾ってました。
大男です。今の相撲取りでいったらどうでしょうか、百何十キロの大男です。
これが明治天皇の姿なんです。
泣きべそっていた子どもが 突然東京に現れたら、西郷隆盛と相撲を取り
江戸城で白馬を乗りまわしたという有名な話があります。
そりゃそうでしょう。大男です。『力士隊』にいた男に間違いありません。
色が真っ黒くて大男でブサイクな男です。
キョソーネという人が描いた肖像画による明治天皇とは似ての似つかん姿です。
これはフランスの人が発表し東大が認めて明治天皇の写真として発表してるんだから、
これこそ間違いありません。
細川護貞(もりさだ)『情報天皇に達せず』という本があります。
この本によりますと、東条があの当時数億円単位の金を政界工作に使ったとあります。
岸信介が東条を追い落としたのは、近衛が秘書の細川に言ってます
「あれはお前が言うような、世間で言われているような話じゃない。
東条が金をバラまきすぎたのを 岸信介がみんなに訴えて、東条を失脚させたんだ」
ということです。東条は一族ではないために、金をたくさん貯めて日本の銀行に戦後入れます、
そして戦犯で殺されますが、預金封鎖になって全財産を無くします。
岸信介はちゃんと天皇と同じようにスイスの銀行に預けたために、
岸信介・佐藤栄作・安部一族は大金持ちです。
今、安部晋三が総理大臣になれたのも、最終的にはそのお金が役に立ってるんです。
ということを持って私は
大室寅之佑が明治天皇になったと、まずここから考えますと日本の歴史が見えてきます。
コンプライアンスというのは「情け」とか「いい加減」とか
「気まぐれ」とか「気休め」、それにドールをつけてコンプラドールという言葉があります。
これは要するに外人がオモチャのように使えるような、
気休めの人材を集めて自由自在に操り、その国を支配するということです。
中国にアヘン戦争をしかけて、香港・上海銀行を中心に支配していくユダヤ人たちは、
中国人の連中をコンプラドールとして使いました。
同じように日本人をいちばん大事なところで、
権力の中枢でコンプラドールにされた可能性、大なんです。
大室寅之佑が明治天皇になり、そして大正・昭和と続く過程で、
色んなスキャンダルに巻き込まれていきまして、そのスキャンダルをヨーロッパ、
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。
これが第二次世界大戦の遠因になったと思うんです。
どうでしょうか。そういう面から歴史を見ると、私に電話をかけてきた秦さんやら、
それから半藤一利さんの歴史観とはまるきり異なるわけです。で、
私はみなさんにお願いしたいのは、やはり日本を知るためには
日本の暗い部分に目を向けるべきではないか。
それを直視しないから 日本人はいつまでたっても、今もそうですけど、
アメリカ人に利用されてるじゃないかと。
僕たちはそういうことを全部知ろうじゃないかと。知った上で堂々と
外国の勢力に立ち向って行くべき時が来たんじゃないでしょうか。
それでまた、これで続きがいっぱいあります。
日露戦争もぜんぶ同じパターンで仕掛けられたと思うんです。
日露戦争を始めるとき、伊藤博文は反対します。「負ける」って、「するな」と。
伊藤博文も孝明天皇や睦仁殺しに一番かんでいる男なんですが、
彼でさえ「やったらイケン」と言います。
でも戦争をするように仕掛けられて、高橋是清が「金がないのにやるのか?」
「じゃ、お前金策に行ってこい」というので彼が金策に行って、
いちばん最初にイギリスのロスチャイルドに会います。
イギリスのロスチャイルド家は自分では直接関与したくないので、クーン・ローヴ商会、
イギリスのロスチャイルド家が金を出して全額投資したクーン・ローヴ商会に紹介します。
高橋はイギリスからアメリカに渡ってクーン・ローヴ商会に「国債を買ってくれ」と言います。
ちゃんと話が出来てたんでしょう、クーン・ローヴ商会が買います。
シフという男ですけど買います。それでイギリスから軍艦を買ったりします。
万が一日本が負けて国債がパーでもだいじょうぶ、日本を実質的に支配すればいいんですから。
そして軍艦さえないのに、イギリスから軍艦を買って運良く勝ちます。
全部これ仕掛けられたと思うんですよ。
で、日露戦争の後に第一次世界大戦があります。
これも運良く日本がちょうど良いいところで甘い汁を吸わせてくれるように、
イギリスを中心とする勢力が最後の段階で日本を迎えいれて、
ドイツ敗北のために役立ったと言って、
ヴェルサイユ条約で日本に太平洋の島々の委任統治を認めます。実質的に上げるわけです。
日本が太平洋戦争でがんばれたのも、あの小さな島々をもらったからなんです。
それがなかったら、日本はとてもアメリカに対抗できませんでした。
で、太平洋戦争の前に大正天皇のことを少し喋ろうと思います。
東久邇(ひがしくに)というのが、戦後、首相になりますけど、
この男のことを少し喋ろうと思います。
もうスキャンダルだらけの日本ですけど、大正天皇は子種がありませんでした。
歴史的にまちがいはありませんが、現代史家は認めません。
でも子種はありませんでした。というのは、
2・26事件で弟を亡くした河野司というのがおりまして、
この人が2・26事件というのはどうして起きたんだろうと調べて回る時に、
東久邇にぐうぜん遭って話を聞いた時に、東久邇がこういうように言いました。
「お前の弟が死んだのは、遠因は昭和天皇と秩父宮の争いにある」。
で、それはどういうことかというと、大正天皇に子種が無かった。
じゃ、昭和天皇はなぜ生まれたかということを、東久邇が河野司という男に喋ります。
これは映画脚本家・笠原和夫という、東映全盛時代に脚本を書くんですけど、
この人ものすごい勉強家でして、2・26やら色んな事件を映画につくるべく脚本を書きます。
この男が河野司と対談をしてます。その中で河野司が笠原に言います。
「私はあの時、『軍艦』というキャバレーでたまたま東久邇と遭った。
それで東久邇が私に『河野、お前に今日は本当のことを話してやろうか』
と言って話してくれた。」と。
◎河野司と三島由紀夫は親交がある。
三島由紀夫がごく親しい人しか招きいれない自室の部屋に入れて語り合うほどの仲である。
三島由紀夫はやはり2・26事件の処罰に連座した末松太平とも付き合いがある。
「じゃあ昭和天皇はなぜ生まれたんか」と言ったら
「そこまでは言われない。だけど貞明(貞明皇后)はえらく昭和天皇の父親を嫌ってた」
ということです。
それで私はハッとしました。私は小学生のころだったと思うんですけど、戦後、
カストリ雑誌のようなものを読んだことがあるんです。
その中で西郷八郎という名が出て、これは西園寺八郎のことを書いたらマズイと思って
西郷八郎になったと思うんですが、その西郷八郎という男が登場して、
大正天皇の傍にいた妃を手に取って、大正天皇が嘆くのにもかかわらず
山に連れて行ってチョメチョメした、という三文小説がカストリ雑誌に載ったことがあります。
もうずい分前の戦後のカストリ雑誌です。ひょっとしてあれは本当の話じゃないのか。
西郷八郎というのは西園寺八郎のことではないのか。
それで西園寺八郎をいっぱい調べて見ました。
『木戸日記』というのがあります。
木戸幸一が戦後、東京裁判資料として提出した資料です。
都留重人(つるしげと)というのが、木戸の娘を貰ってまして、
その関係で都留重人が木戸を説得して、「あんたの日記をもう出せ」というので世に出たものです。
その中で年月不詳というのがあって、島津治子の話があって、
この島津治子というのは貞明皇后の女官を長く務めたんですけど、主治医が亡くなった後に、
貞明から女官を去るように言われまして、去った後に
民間宗教に凝り固まって妙な言動をする女なんです。
そのことを木戸幸一が書いていて、年月不詳という中にこう書いてます。
『大正天皇の侍従の指令-貞明皇后のお相手八郎のこと』。
『貞明皇后のお相手八郎のこと』とは西園寺八郎のことです。
その西園寺八郎は隠れた重要な人物で、ちょっと余分なことを喋ります。
長州藩に徳山藩というのがあるんですけど、
長州は萩が本家で(徳山藩はその)分家なんです。
そこに毛利元徳(もうりもとのり)という分家なんだけれども一応城を構えた殿さまがおりまして、
その殿さまの八番目に生まれたから毛利八郎といいます。
その毛利八郎が本家の毛利頼近の養子になります。ま、形でしょう。
で、頼近の息子として、形式なんでしょうけど、西園寺公望の養子として西園寺八郎となる。
西園寺公望は女房がいませんでしたけれど、子どもを儲けていたんです。新子といいます。
その新子と西園寺八郎が結ばれるんです。
ちょうどその頃に、西園寺八郎は子どもの時から大正天皇と同じ学習院の同期で幼友達なんですが、
大正天皇は子種がないので結局ある筋から西園寺八郎に「お前が強引にやってこい」と、で、
西園寺八郎は命令されるがまま貞明とチョメチョメしまして、
まチョメチョメという言葉はどうでしょうか、チョメチョメしまして子どもが生まれます。
それが昭和天皇です。
◎私見では昭和天皇の母親は貞明皇后ではない。
昭和の闇の本質は昭和天皇と秩父宮の確執ではなく、
長州を後ろ盾にする昭和天皇 VS 極端な長州嫌いの貞明皇后の確執だと思う。
これが昭和最大の分水嶺2・26事件を引き起こす。
貞明皇后は田布施村政権を佐幕派に大政奉還しようと図り、
樺山愛輔を二度も駐米大使・松平恒雄が駐在するワシントンへ往復させて、
松平容保候の四男である彼の娘を秩父宮の妃に貰い受けた。
貞明皇后が秩父宮を皇位につけようとした動機は盲愛ではないと私は思う。
彼女の言動からは意思がはっきりしていて正義感が強い人となりが伝わってくる。
笠原和夫は2・26は第二の壬申の乱と言ったが、
私は2・26は第二の戊辰戦争であると考えている。
そして田布施村王朝を転覆させようとした貞明皇后は、戦後心臓麻痺で急死している。
私は吉田茂と昭和天皇が暗殺したと考える。白洲次郎は戦後は暗殺工作から身を引いている。
◎重松楊江はまた次のように述べている。
『貞明皇后の本当の名前は朱』
田布施村から輩出された人脈によって樹立された明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とは
即ち朝鮮王朝のことである。
明治維新で職を失った旗本の娘の中から、美女を選び城内に入れて
「千代田遊郭」なるものを伊藤博文らがつくりました。
そこは、天皇や重臣たちの遊び場でした。そこに朱貞明がやってきました。
才色兼備ゆえ、天皇や伊藤博文に見初められて、やがて大正天皇の妃になったのです。』
◎つまり明治王朝・大正王朝・昭和王朝・平成王朝とはすなわち朝鮮王朝のことである。
よって貞明皇后の出自が朝鮮であることは理にかなっている。
貞明皇后が大正天皇と結婚したのは15歳である。
白羽の矢を立てられた彼女が 九条家に引き取られ、学習院に通わされ
鍋島信子・牧野雪子と交友している在学中、
大正天皇の妃候補として千代田城にお目見えしたのだろう。
おそらく貞明皇后は朝鮮王朝を引き継ぐ嫡子を産む女性としてふさわしい出自なのだろう。
◎また私見では昭和天皇と貞明皇后は血縁がないと考える。
貞明皇后は極端な長州嫌いで有名、かつ個性的な性格で意思が強い。
西郷八郎が彼女の隙を狙って襲えたのは一回きり、貞明はガードを堅くして
(例えば女官を常時周囲におく)防御しただろう。
貞明皇后が西園寺八郎を拒絶したので、田布施村の大室家の血筋に連なる子どもが
連れてこられたのが昭和天皇である考える。
貞明皇后はDNAも強烈なのか、昭和天皇以外の三人の息子は彼女に酷似している。
猛禽類のような鼻をしている。
その中で昭和天皇一人だけ面立ちがソフトである。
見目良い賢そうな子を選んできたのだろう。
実際昭和天皇は恐るべき頭脳の持ち主である。
鷹揚な生物学者然とした風貌で
「あ、そう」を連発するほほえましいキャラを演じた千両役者でもある。
幼少の時「昭和天皇と秩父宮は双子である」という風聞が根強くあったという。
この兄弟は母胎に宿っている時期が一部重なっていたのだろう。
双子ではなく母胎が二つあったのだ。
昭和天皇には長州出身の西園寺八郎が後ろ盾になった。
昭和天皇を銃撃しようとした難波大助は田布施川の辺に住んでいたから、
そのことを知っていたのかもしれない。
で、彼(八郎)は西園寺家に新子という女がいながら、まったく寄り付きもしないで
天皇家に入りこんでピッタリと自分の息子の昭和天皇の傍にいます。
ずーっと侍従をします。
一時、大正天皇の侍従武官長の奈良武次という男とけんかして、
けんか両成敗で数年間、昭和天皇の傍を離れますが、死ぬまで傍にいます。
ということは昭和天皇の行動も全部、西園寺八郎が牛耳ったであろうと言われるほど、
傍にいます。その西園寺八郎の子どもが公一(きんかず)といいます。
一番大事なのは、次女が春子といいまして、この春子が住友家の御曹子の住友吉左衛門
(第十五代当主・住友友純)の嫁さんになります。
ということは、住友と天皇家は血縁もいいとこなんです。
そうでしょう? そこから考えると昭和の闇もまた見えてきます。
◎八郎の岳父・西園寺公望は1919年パリ平和会議全権大使。
シナリオについては知悉していただろう。
日米開戦前夜に死んでいるのは、シナリオに反対して消されたと私は思う。
公望の私設秘書・原田熊雄は住友に丸抱えされてヤラセの連絡係りとして活躍する。
住友は確かに怪しい。
じゃあ秩父宮は二番目に生まれますが、秩父宮はどうなんでしょうか。
秩父宮は東久邇が自分から言えないけど、東久邇の子どもなんです。
「こいつは何を言ってるんだ」と思うでしょうけど、
『西園寺候と政局』という原田熊雄という男が書いた本があります、
その本を私が言ったようなことを頭に置いて読まれると、
東久邇と秩父宮が親子であるということが良く分ります。
いつも行動を共にして、西園寺が東久邇が妙な行動を取ると秩父宮を呼びつけて
「東久邇に言え、妙な行動を取るな、と」。
そして又、秩父宮が変な行動を取ると西園寺候が東久邇を呼びつけて
「あの子どもをもう少しセーブしろ」と言います。
東久邇は自分を自慢したくて、河野司を呼んで喋ったのかもしれません。
(大正天皇に)子種がないことは事実です。で、貞明皇后はいろんな男とデキてます。
で、樺山愛輔というのともデキているのはまちがいありません。
そういうのから昭和の闇も見えてきます。
以下ご参照あれ!
↑
諸説あり、
貞明皇后の異様な長州嫌いは、昭和天皇の父が大室寅之祐だから、という説もあり。
ま、いづれにしても、孝明帝の血筋ではない、なりすまし一家、ということ。
栄泉、三枚目、
「松葉屋内 代々山」です。
ロシアは、日本と縁があるねぇ、プーチン大明神ですが、
◆http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/567.html
投稿者: ポスト米英時代 日時: 2014 年 11 月 07 日 /puxjEq49qRk6
◎ロシアが世界救世主宣言、そして米英にハルノート、
近く米国は新共和国に移行するようで、なんちゃってユダヤは断末魔である。
きたなプーさん待ってたドーンという感じで
半世紀前に日本が米国につきつけられたハルノートを叩き返してくれたようである。
やはり米国の持ち主はババザべスとロスといった
なんちゃってユダヤで その連中が中露の介入により
米国から叩き出されるようで痛快である。
実は今私の町内で 強欲地主とその親類が戦っており
後者は人望があるが財力で劣り 勧善懲悪ものだと後者が勝たねばいけないが
いかんせん力の差があり過ぎて 寄らば大樹の私としては
真田親子のような感じで へっぴり腰で後者を応援し
前者が勝ったらすぐもみ手でどうもー と出掛けられるようにしながら
前者の負けを祈るという安全第一で 社会正義第二という感じで 見守っていたのだが
まるで元さんのようにゼネコンが登場し 弱い者いじめ悪いあるよーという感じで
前者を押し潰してしまい 喜ばしいがそんな水戸黄門みたいな都合のいい話があるかーと
後者におめでとーよくやったーと肩を叩き その足で前者に向かい
心の中でざまあみやがれーと思いながら ゼネコンて酷いっすよねーと慰めるという
我ながら無節操な行動を取りながら 前者が没落したのを確認中という感じだが
それにしてもどっちが勝つかと思ったら 大きな力で前者が負けちゃった
というタイガースとホークスで日本シリーズを戦っていたら
キャンディーズが優勝しちゃったみたいな事が起きて
入れ歯じゃないのに歯茎が飛び出そうなぐらい
町内会のパワーバランスが一瞬にして変わってしまい
ほっぺたのかわりにそこらのOLのおっぱいをつねって
嘘じゃないと確認している所だが
世界の動きと相似形とか いつも書いている私が
ご冗談でしょーと驚いているが世の中面白いものである。
これまでもこれからも絶対何も変わらないと思っていた我が町会で
有り得ない事が起きたという事は 多分世界も一気に大激変するのである。
インディアンも町会役員も嘘つかないあるよーという感じである。
コメント
*04. 2014年11月07日 OoTCvlIk5g
1946年3月5日のチャーチルの「鉄のカーテン」演説以来、最も重要な政治演説である。
このスピーチの中で、プーチンは突然ゲームのルールを変えた。
以前は、国際政治というゲームは次のように行われた。
国民主権という心地よいフィクションのために、政治家は公然と宣言をしていた。
だが、その宣言は完全にショーのためであって国際政治の中身とは無関係で、
やがて、彼らは秘密の部屋で秘密の交渉に没頭して、実際の密約が出てきた。
以前はプーチンも、ロシアが対等に扱われることだけを期待して、
このゲームを楽しもうと努めていた。だが、そういう希望が潰えてしまい、
この会議で、エリート仲間や政治リーダーの頭越しに人々に直接語り掛けることで
はっきりと西側諸国のタブーを破って、彼はゲームが終わると断言したのだ。
ロシア人ブロガーのchipstoneは、
プーチン演説の最も重要なポイントを次のように要約している。
1. ロシアはもはやゲームをしないし、つまらないことで秘密の交渉に関わり合わないだろう。
だが、集団安全保障を導き、公正さにもとづいて、双方の利益を考慮するならば、
ロシアはまじめな交渉と協定を用意する。
2. 世界の集団安全保障システムはすべて今では荒廃してしまった。
もはや国際的な安全を保証するものはまったくない。そして、
安全保障を台無しにした主体には名前がある。アメリカ合衆国だ。
3. 新世界秩序の建設者たちは失敗しており、砂の城を築いてしまった。
新世界秩序のようなものが構築されるかどうかはロシアの決定事項ではない。
だが、ロシア抜きでは為されないだろうというのが結論である。
4.社会秩序にイノベーションを導入するのに、ロシアは保守的な手法を好むが、
その導入が正当化されるかを考えるために、
そのようなイノベーションを調査することや議論することには反対しない。
5. ロシアは、アメリカがずっと拡大してきた「カオスの帝国」によって創られた
濁った海
(註:murky waters、murkeyは「暗い、陰気な、恥ずかしい」の意味で
比喩的にも用いられる形容詞)
に魚釣りに行くつもりはなく、また、自らの新しい帝国建設には興味がない。
(これは不必要なことだ。ロシアの課題はすでにある広大な領土を開発することにある。)
どちらも世界の救世主たることを望むロシアのやることではないのだ、
過去のロシアがそうだったように。
6.ロシアはロシア自身のイメージで世界を再初期化することを試みないが、
誰かがその者のイメージでロシアを再初期化しようとするならば、
その者を許すこともないだろう。ロシアは世界から自らを閉ざすつもりはないが、
世界からロシアを締め出そうとする誰かはその愚行で
ひどい罰を受けることになることは確かだ。
7.ロシアはカオスの拡大を望まない、戦争を望まない、戦争を始める意図はない。
しかしながら、ロシアは、世界戦争の勃発をほとんど不可避なことと考えており、
それに備えており、なおも準備を続けている。
ロシアは戦争を望まないが、それを怖れもしない。
8. ロシアは新世界秩序を今なお建設しようと試みている人々を挫く
積極的な役割を引き受けるつもりはない、
彼らの取り組みがロシアの重要な利益の障害となり始めるまでは。
ロシアは、彼らのそばに立って、彼らが彼らの哀れな頭脳で
できるだけ沢山取ろうとしているのを見張ることを優先するだろう。
ロシアの利益を無視して、ロシアをこのプロセスに引きずり込もうとする者は、
痛みの本当の意味を教えられることになるだろう。
9.ロシアの外交政策およびましてや内政においては、
ロシアの政権はエリートや彼らの秘密の関係に頼ることはなく、人々の意志に頼るつもりだ。
これら9つのポイントに、私は10番目を加えたい。
10. 世界戦争を避ける新世界秩序を構築するチャンスはまだある。
この新世界秩序は必ずやアメリカを含まねばならない。だが、
アメリカは他国と同じことをするだけでいいのだ。
国際法および国際協定に従うこと、
すべての単独行動をやめること、他の国々の主権を完全に尊重すること。
これらをすべて要約すると、遊びの時間はおしまい、ということだ。
子供たちよ、おもちゃを片付けなさい。今こそ大人が決定を下す時間だ。
ロシアはこの準備が出来ている。世界はどうだろうか?
2014年10月24日、ソチで開催された
バルダイ国際ディスカッション・クラブ第11セッションの最終本会議における
ウラジミール・プーチンの演説
↑
プーチンは冷徹な「日本贔屓」ですよ。
間違いないな。