画は 川瀬 巴水(かわせはすい)
1883年(明治16年)〜 1957年(昭和32年)
大正・昭和期の版画家、「昭和の広重」などと呼ばれる。 作
「(鎌倉)七里ヶ浜」です。
☆晴れ、気温上昇中。
またマレーシア機です、これはCIA=ユダ米戦争屋の「偽旗作戦」だろう、
と思っておったら、櫻井ジャーナルさんも同旨のようで、
いよいよ断末魔のユダ米が、ロシア潰しの第三次世界大戦を仕掛けてきたようですね、
壺三暴走の裏はコレ、はっきりバレましたな、
◆http://japanese.ruvr.ru/news/2014_07_17/ukuraina-bo-ingu/
ロシアの声 17日 7月 2014,
◎マレーシア航空機を撃墜したのはウクライナ空軍スホーイ25型機
東ウクライナで自ら独立を宣言しているルガンスク人民共和国報道部は
「マレーシア航空機ボーイング777を撃墜したのは、
ウクライナ空軍の攻撃機Su(スホーイ)25型機である」と伝えた。
ルガンスク人民共和国報道部は、又次のように発表した―
「旅客機ボーイング777の飛行を見守っていた現地の人達は、
同機をウクライナ空軍機が攻撃する様を目撃した。攻撃を受けた後、
同機は空中で真っ二つになり、ドネツク人民共和国領内に落下した。
攻撃後、ウクライナ空軍機は撃墜され、
こちらはルガンスク人民共和国領内のクラスヌィ・ルーチ地区に落下した。
現在「撃墜された旅客機」の捜索活動が続けられている。」
◆http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201407170001/
櫻井ジャーナル 2014.07.17
◎マレーシア航空機がウクライナの東部で撃墜されたようだが、
同社の旅客機は3月にも行方不明に
またマレーシア航空機が消えた。
今回は7月17日にウクライナの東部で乗客280名、乗員 15名を乗せたMH 17が
ドネツクの近くで撃墜されたと伝えられている。
キエフ側の制圧軍も住民側の自衛軍も相手が撃ち落としたとしているようだが、詳細は不明。
Buk防空システムで撃ち落とする情報が正しければ、住民側はこのシステムを持っていないと言われ、
16日にドネツクの周辺へこれを配備したキエフ側が怪しいということになる。
MH 17とほぼ同じルートを40分弱の差で
ウラジミール・プーチン露大統領を乗せた航空機が飛行していたとする話が流れている。
ブラジルでの会議を終え、モスクワへ戻る途中だった。
プーチンを乗せた航空機と間違えて撃墜したのだとすると、事態は深刻である。
ロシアを戦争へ引きずり込むため、最終手段を講じた可能性があるということだ。
かつて、大韓航空の航空機も航路を大幅に逸脱してソ連領へ侵入、
重要な軍事基地の上空を飛行して米ソの緊張を高めたことがある。
1978年4月に重要な軍港があるムルマンスクへKAL 902が侵入、
ソ連側の警告を無視して飛行したこともあり、攻撃されて強制着陸させられている。
また1983年8月31日から9月1日にかけてKAL 007がやはり航路を大幅に逸脱、
アメリカが設定した緩衝空域と飛行禁止空域を横断、カムチャツカの上空を飛行した後、
サハリンで撃墜されたと言われている。
この時もソ連の重要な軍事施設の上空を飛行した。
KAL 007の場合、緩衝空域と飛行禁止空域を飛行しているので、
NORAD(北米大陸防空総軍司令部)の規定によると、すぐに航空機と接触を試み、
FAA(連邦航空局)へ連絡しなければならないのだが、そうしたことは行われていない。
NORADの担当官が怠慢だったのか、事前に飛行許可を受けていたということになる。
担当官が処罰されたという話を聞かないので、後者だった可能性が高いだろう。
カムチャツカに近づいた時点でKAL 007はソ連防空軍の早期警戒管制レーダーに捕捉されているが、
そのときにアメリカ軍の戦略偵察機RC135が近くを飛行していた。
領空侵犯の4分後から9分の間、ソ連軍がKAL 007を見失っていることも判明している。
KAL 007がサハリンに接近すると、ソ連軍が複数の迎撃機を発進させた。
記録によると、そのときにコックピットでは次のような会話があった:
18時4分:税関を通過するのは、かなり複雑なことになりそうだ。
18時5分:まだ向かい風を受けている。
(18時11分にソ連防空軍の司令部は迎撃機に対し、ロックオン・モードにセットするよう命令。)
18時11分:ドルから韓国の通貨にするのは大丈夫。
(当時、韓国ではウォンをドルに替える際には制限があり、
韓国人のクルーならドルのまま持っているのが自然。また、
007便の到着予定時刻に金浦空港で通貨の交換はできない。)
18時13分に迎撃機は司令部に対し、ターゲットが呼びかけに応じないと報告、
15分には司令部はターゲットと迎撃機がスクリーンから消えたと発言した。
そして17分に撃墜命令が出るのだが、19分には強制着陸させるように命令、
迎撃機はロックオンを解除して警告のために銃撃する。
21分にミサイルの発射が命令されるが、22分に再びスクリーン上から航空機が消えてしまう。
23分に司令部は銃撃での破壊を命令、迎撃機からミサイルを発射すると伝え、
26分にターゲットを破壊した報告。その後、ターゲットは右へ螺旋を描きながら降下していると
迎撃機のパイロットは報告しているが、レーダーの記録では左へ旋回している。
ソ連軍戦闘機のパイロットが「即座に撃墜せよ」との命令に背いて
威嚇銃撃をしていたとしている人もいるようだが、これは公表された記録に反している。
また、1987年11月にはバグダッドからソウルへ向かっていたKAL 858がインド洋の上空で消えている。
朝鮮の工作員が爆破したことになっているのだが、
「朝鮮ならやりかねない」ということで納得した人が多く、真相が明らかになったとは言い難い。
このケースと近い場所でマレーシア航空機(MH 370)が3月8日から行方不明になっている。
インド洋で墜落したということになっているが、その痕跡はなく、
ディエゴ・ガルシアへ降りたのではないかと推測する人は少なくない。
ディエゴ・ガルシアはインド洋に浮かぶ島で、イギリスが所有しているが、
実態はアメリカの重要な軍事基地だ。
航空機の絡んだ事件で忘れてならないのは
アメリカの好戦派が1960年代の前半に作成した「ノースウッズ作戦」。
キューバへアメリカ軍を侵攻させるため、アメリカの諸都市などで「偽装テロ」を実行、
最終的には無線操縦の旅客機をキューバ近くで自爆させ、
キューバ軍に撃墜されたように見せかけて「反撃」という形で軍事侵攻しようという「偽旗作戦」だ。
この作戦はジョン・F・ケネディ大統領によって阻止されている。
↑
これは、ユダ米の「命取り」になりますな。
先制「核」攻撃も辞さず、勝てる! との狂信があるらしい。 まさに真性キ印だ。
巴水、二枚目、
「大坂 高津」です。
よくまとまっておるのでは、
ザビエルはなかなかの曲者で悪党ですぞ、イエズス会=上智大学、
今上天皇と美智子皇后の見合い仲介者は、何と伴天連だ、
小泉信三、吉田茂、田中耕太郎=イエズス会カトリック、ですw
◆http://ameblo.jp/64152966/entry-11895231968.html
wantonのブログ 2014-07-16
◎高校生の為の歴史講座 〜 幕末明治維新
☆日本人が知らない「人類支配者」の正体
イルミナティに徹底利用された長州藩の正体
船井(幸雄):
少し話が脱線しますが、岸信介や安倍晋太郎・晋三が出た土地は、
大室寅之祐(=すげ替えられた明治天皇)が出たというあたりとほとんど同じ
ところだといわれています。
伊藤博文などもその辺に近い出身の人です。
岸・佐藤栄作、安倍系の政治家についてはそのことも知っておく必要があります。
太田(龍):
大室寅之祐は今の山口県・田布施町という所の出身です。
田布施町の周辺から実際、首相が何人も出ています。
これは単なる偶然ではありません。
最近、フリーメーソンの会員と自称している加治将一という作家が、
『幕末維新の暗号』(祥伝社刊)という本を書いています。
彼は鹿島?さんの『裏切られた三人の天皇』を読ん
で初めてこの問題に気がついたのです。
そこに書かれていることを自分で調べて検証していくわけです。
そうすると、明治維新というのは完全なフリーメーソン革命だという
ことに気づくわけです。
船井:
もうひとり、鹿島さんの友人だった松重揚江さんという人も
『二人で一人の明治天皇』(たま出版刊)という本を書いています。
そういうことを皆合わせると、太田さんの説はやはり正しいようだ、と思います。
太田:
長州藩が幕末からいまに至るまで強固な支配体制を維持している理由は、
日本の政治では非常に異質な「忍者・諜報」機関が背後にいた
ということだと考えられるのです。
そんな国家は日本には他に存在しませんでした。
それは英国というかヴェネチアの国家に非常によく似ているのです。
国家の中心が諜報機関なのです。
そういうふうなシステムが毛利藩に継承されていきます。
というのは長州をつくった毛利元就(1497〜1571)は最初は小さな勢力でした。
ところが、いまの中国地方10力国を支配するような大大名にのし上がったのです。
それはもっぱら諜報と謀略活動で大きくなったのです。
豊臣秀吉も似ていますが、それとは違います。
そのような性質を持った毛利藩が関ヶ原の戦で負けて小藩になります。
しかし諜報機関は維持されて、「忍者集団」になります。
そのトップが「上忍」で、「中忍」「下忍」などのシステムができあがります。
そういうシステムこそ英国の国家、諜報機関、フリーメーソン
と非常に相性がよかったと思われるのです(笑)。
そして公然と孝明天皇を弑逆して息子の睦仁天皇も殺す、
それを平然と行なうわけです。
しかも、すり替えして隠蔽しきるという、日本のなかでは異質な手段を用います。
そういうところでは、薩摩は長州の敵ではありません。
グラバーの世話で長州の伊藤博文以下5人がロンドンに留学します。
薩摩も同じようにグラバーを通じて続々とヨーロッパに留学して、
そこでフリーメーソンになって帰って来た人物がたくさんいます。
しかし、権力の中枢は長州藩にあって、薩摩のほうは下位に過ぎなかったのです。
しかも、長州の諜報機関、忍者集団出身の権力中枢の連中は、
薩摩を蹴落とすために分裂させるわけです。
大久保利通(1830〜78)と西郷隆盛(1827〜77)を分裂させて、
西郷派を一掃すると、薩摩の勢力は半分くらいなくなってしまいました。
さらにその次は、大久保利通を消してしまうのです。
大久保を暗殺したのは島田一郎という加賀藩の人物でしたが、
その動きは長州側が察知していて、彼を泳がせて大久保を暗殺させました。
だからその主犯は木戸孝允と伊藤博文なのです。これは鹿島さんが書いています。
そういう諜報と謀略能力は、長州のほうが日本の他の藩とか勢力に比べて
段違いに勝っていたのです。
しかし、そういう諜報能力と謀略の力は英国のフリーメーソン、イルミナティの
レペルと比べるとはるかに劣っているので立ち行かなくなってしまいます。
☆西郷隆盛は明治天皇すり替え事件を知っていた
太田:
薩摩の西郷隆盛は日本の侍の典型ともいえる存在です。
たびたびフリーメーソンから誘われますが、西郷さんはそれを拒否します。
そこで、言うことを聞かないために西郷さんを処分するようなシナリオが
書かれて、実行されたのです。
西郷さんは孝明天皇弑逆事件の前後についても、フリーメーソンの謀略である
ということを知っていたのです。
もちろん大室寅之祐のすり替えの真相も知っていました。したがって
西郷さんが政権を握ればそういう秘密が全部、日本国民に開示されてしまいます。
明治天皇と称する大室寅之祐についても、西郷さんは全然、恐れ入っていません。
明治天皇は西洋の帝国主義の傀儡になってしまったわけですが、
そういう天皇が邪魔をすれば切るだけだ、という趣旨の詩を書いています。
だから西郷さんはなにも言わないで死んだけれど、沈黙して世を去った陰で
明らかになっていないそうした心情 というものは日本人に伝わっていて、
それはいまでもつづいているのではないでしょうか。
船井:
そうした秘密が封印されているし、それを日本人が胸中で感じるのでしょうね。
だから、西郷さんは国民に人気があるのでしょうね。
これは私にもわかりますよ。私も、もっとも好きな人です。
太田:
西郷さんの出発点は島津斉彬(1809〜58)に見出されたことにあります。
島津斉彬という藩主は偉大な人物であり、藩主になった途端に異母弟との間に、
確執・お家騒動が起こりました。
前藩主・島津斉興の側室であるお由羅が生んだ次男・島津久光(1871〜87)を
藩主にしようという強い執念をお由羅は持っていて、斉彬が藩主になったとき、
斉彬を呪い殺すという秘密の呪術までさせたといいます。
島津斉彬は50歳前で病気のため急死してしまいます。
それは日本にとって致命的な損害というか損失でした。
斉彬は西洋の勢力が日本に迫ってくる、それをはっきり認識したうえで、
対抗措置と政策を体系的に展開して、薩摩に西洋式の産業とか軍事工場とかをつくって、
日本の体制を立て直して、公武合体政策を推進しようとしました。
薩摩は代々、朝廷との関係が深かったのです。
朝廷と武家が一致して強力に体制を立て直して、
西洋の侵略に立ち向かわなければならないという姿勢をとりました。
その当時の藩主でこのようなことを実行できる人は誰もいませんでした。
この偉大な島津斉彬に見出されて、西郷さんは側用人になったのです。
ところが、斉彬は病死してしまいます。
これは日本にとって最大の損失といわれています。
島津斉彬の後、藩主になった島津久光はお話にならないボンクラで
西郷さんは冷遇され、何度も島流しにされてしまいます。
内村鑑三は西郷隆盛を「代表的日本人」としていますが、
まさしく西郷さんは代表的日本人です。
明治10年(1877年)に西南戦争が起こったとき、
西郷さんの4人の主要な部下のうち、村田新八(1836〜77)という人は
ヨーロッパでかなり長い間勉強して、西洋のことを非常によく知っていました。
村田新八は次代の日本の最高指導者になるだろうと期待されていました。
ところがその村田新八が西郷さんと一緒に鹿児島に帰って西南戦争で戦死して
しまうのです。 鹿児島に帰ってきたときは陸軍少将でした。
☆西郷隆盛はイルミナティから危険視されていた
太田:
西郷軍のなかには西洋のことをよく知っている人が何人もいたのです。
だから、長州藩の背後にいたイルミナティやフリーメーソン、英国の諜報機関や
外交機関などの勢力は、西郷を潰さなければいけないという狙いをつけていたのです。
それで西南戦争に動員された政府の軍隊の規模は莫大なものでした。
莫大な西洋式軍隊をつくった資金はサッスーン財閥を通じて、
東京の政権に対してあらゆる援助を与えたのです。
だから西郷軍が戦ったのは東京の政権というより、
背後にいる英国と西洋の軍隊だったのです。
鹿児島ではこのような事情が、意識的か無意識的かは別として
何らかの形で浸透しているのではないでしょうか。
いまでも西郷さんは代表的薩摩人、鹿児島人であり、
大久保利通のほうはまったく振り向きもされず、問題外なのです。
しかし、長州と大久保一派がつくった歴史ではまったく逆になっています。
「征韓論」論争がそれです。
明治6年(1873年)に西郷が韓国を征服するという「征韓論」が出てきて、
まず国内を固めることが先だという大久保一派と論争をして、
西郷のほうが敗れたという具合に、今でも教科書に書かれています。
日本人はそういうふうに教えられていますが 事実はそうではありません。
大久保と木戸と岩倉などが欧米を回覧してきた「岩倉使節団」が同年(1873年)
9月に帰国した後、西郷の征韓論を批判しました。
なぜ大久保と木戸の一派が強硬に西郷を韓国に派遣することを阻止したかというと、
単に彼らの考えではなく、背後に英国・フリーメーソンの支配と指示があったからなのです。
つまり、フリーメーソン・イルミナティの東アジアに対する基本的政策は、
数百年来、中国と日本と韓国の3つの国を、絶対団結させてはならないという
基本方針があったからなのです。
これはいまに至るまで変更されていません。
西洋に対して、この3カ国をそれぞれ分裂させてお互いに争わせ、殺し合いさせ、
憎しみを掻き立てる、そういうふうに分断するというのが基本方針です。
この方針を知っていた西郷隆盛は、
「自分は韓国に行ってよく話し合って、一緒に西洋と戦おう」
と言いに行こうとしたのです。
それができたら次は北京に行って、
清国の政府とも話し合いたいと公言しています。
そんなことは絶対許さないはずです。
フリーメーソン・イルミナティからすれば、
西郷隆盛はその当時におけるアジアのもっとも危険な人物だったのです。
「あらゆる力を行使して、西郷を潰せ」という彼らの命令を実行したのが
大久保利通と長州勢だったのです。
残念ながら、そういうことが鹿児島の人たちにはいまもってわからないのです。
☆ザビエルの布教以来、日本はイルミナティの最終破壊目標
太田:
私は、フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)が1549年に
日本に来て以降、 一貫して
ユダヤ・イルミナティの日本に対する戦争は継続していると考えています。
フランシスコ・ザビエルというのはイエズス会の創立メンバーの一人で、
イグナティウス・デ・ロヨラ(1491〜1556)につぐナンバー・ツーです。
ザビエルとロヨラが2人で相談して、ヨーロッパとアフリカと新大陸はロヨラが、
インド以東アジアはザビエルが布教するというふうに協定したのです。
日本人はザビエルという人物の正体というか重要性にまったく気づいていません。
ザビエルはインドからマラッカ経由で日本に来ました。
ザビエルの役割は単なるキリスト教の伝道師ということだけではありません。
彼はイルミナティの世界支配の将校、斥候というか将軍くらいの役割を持って
日本に来たのです。
日本に4年足らずいて、たちまち信者をつくっていったのですが、
そんなことが目的ではなく、日本の値踏みをするというか、
日本を徹底的に調べ尽くして、どのように処分するかという戦略を立てて、
彼らの根拠地を日本につくることにありました。
ザビエルは1年半かそこらでイエズス会の本部に報告書を出しています。
「日本はヨーロッパと対等か、もしかするとはるかに優れた水準の文明をつくっている。
しかもまったく付け込む隙のないような強力な軍隊を持っている、
民族として団結している」 という報告をしています。
だから彼らにとって、日本は危険な存在だと見抜いたのです。
そこで、日本人全部をキリスト教に改宗させ、精神的に彼らの奴隷にするか、
それができなければ殺すしかないという選択に迫られたわけです。
日本を最終的に奴隷にするか、キリスト教徒にするには、
南米とかアフリカでは部族を全部征服して、
部族ごとキリスト教に改宗させることを強要し、集団洗脳しました。
日本人は読書する能力もあり、そういうことはできなかったのです。
そこで、文章による教育、布教が必要だと認識しました。
そのため、宣教師は日本語を勉強して洋書のポルトガル語辞典をつくったりし、
早い時期からさまざまな日本語を翻訳したりしています。
このような文章による布教により、日本人の精神を洗脳するという戦略を
行使したわけです。
中国に対しては、日本よりはるかに大きな世界最大の国家ですから、
これをどのように処分するかについて、ザビエルは中国にしばらく滞在して
方針を立てて、報告書をローマ本部に送っています。
そのとき以降、彼らの日本に対する方針は一貫しています。
つまり、精神的に日本を日本人でないようにするための方針、
アジアに対しては武力による侵略を行使するという方針を立てます。
最終的に、米軍が日本を占領して原爆を投下して、恐怖に陥れるわけです。
アメリカや西洋の文化を押し付け、日本の歴史を否定し、頭脳を変えてしまいました。
いまでもこの方針は続いています。
精神的に心理的に、習慣・風俗・食べ物などすべてにわたって
日本的なものを全部変えてしまうわけです。
そして抵抗するものは排除します。
そういうふうにして日本に対する一貫した工作が行なわれているということを、
日本人は知らなければならないと思うのです。
----------------------------------------------------------
☆http://www.youtube.com/watch?v=N-PcVmirRJk
歴史ミステリー 『 龍馬の黒幕 』 Vol.1 作家 加治将一
☆http://www.youtube.com/watch?v=cK_ofdKH3Tg
歴史ミステリー 『 龍馬の黒幕 』 Vol.2 作家 加治将一
↑
安倍様のNHKが、ここのところ「朝ドラ」で連発、英語宣教に躍起ですなぁw
まことに異様ですよ。 バレバレの洗脳・摺り込みw
巴水、三枚目、
「潮来乃夏」です。
いい記事だ、「新しい暦」か、
◆http://takedanet.com/2014/07/post_fdf4.html
武田邦彦 (平成26年7月14日)
◎随想 新暦の七夕
☆http://takedanet.com/files/tanabata20140714622.mp3
太陽暦と太陰暦、それに太陽太陰暦ができて久しいのですが、
まだ「暦」は未完成のように思います。
植物は太陽活動に左右されるから太陽暦があっていますが、
人間をふくめて動物は月の影響が大きいので太陰暦が体には合います。
多くの動物でも産卵など月齢と関係がありますし、女性の生理がその一つで
「月経」というように月の満ち引きで体の具合が変わります。
でも、現在の日本で一般的に使っている「暦」は、そのままなじめるものではありません。
その一番、極端なものが七夕ですが、今は「新暦の7月7日」が七夕です。
つまり、梅雨の真っ盛りに天の川をみろということになりますが、
それは無理というものです。(新暦と旧暦の解釈は多くありますが、
ここでは多くの日本人が受け取っている新暦と旧暦ということで整理をしています)
今年の七夕は8月2日。その頃には日本の空も晴れ渡って、
織姫と彦星もデートできるというものです。新暦の7月7日にこだわっていると可哀想に、
毎年、デートがお預けになります。
ところで七夕はお盆ともつながった行事ですし、
その他にも日本文化にとって大切な日もあります。
たとえば端午の節句(旧暦5月5日、新暦6月2日(2014年))、
中秋の名月(新暦8月、旧暦9月8日)などがそれで、
本来の旧暦で節句をお祝いしないと季節がずれてなにがなんだかわからなくなります。
その意味では、昔の日本のしきたりにもこだわらず、かといって日本の風土も意識して、
日本文化にある「自然との共存」を新暦でも定めることは大切なことと思います。
何かがあると「旧暦」とか「新暦」が問題になりますが、
そんなことが問題にならないような優れた暦を考案したいものです。
今、日本は自然と関係なく生活している東京の人の感覚で
テレビも新聞もできていて、
そこで「自然との共存」などといっていますから、
温暖化とかリサイクルなどの見当はずれの政策が進み、
一方では治水やがけ崩れなどの対策が遅れて地方では自然災害が増えています。
また、「自然との共存」というと、トキのように中国からもってきたトキを
人工的に飼育して野に放つなどの「自然とは相いれない」ことが進められ、
東京で「ゲンゴロウ」が絶滅してもだれも見向きをしないという状態です。
人間は自然とともに生きて初めて正常な精神状態や体を保つことできるものです。
新暦の7月7日に浴衣を着ている美しい女性を見るにつれ、
架空の世界へ連れていかれる感じがしました。
↑
日本人の世界観は、伴天連の世界観とはまったく異なる。
ここがよろずの起点でしょう。
1883年(明治16年)〜 1957年(昭和32年)
大正・昭和期の版画家、「昭和の広重」などと呼ばれる。 作
「(鎌倉)七里ヶ浜」です。
☆晴れ、気温上昇中。
またマレーシア機です、これはCIA=ユダ米戦争屋の「偽旗作戦」だろう、
と思っておったら、櫻井ジャーナルさんも同旨のようで、
いよいよ断末魔のユダ米が、ロシア潰しの第三次世界大戦を仕掛けてきたようですね、
壺三暴走の裏はコレ、はっきりバレましたな、
◆http://japanese.ruvr.ru/news/2014_07_17/ukuraina-bo-ingu/
ロシアの声 17日 7月 2014,
◎マレーシア航空機を撃墜したのはウクライナ空軍スホーイ25型機
東ウクライナで自ら独立を宣言しているルガンスク人民共和国報道部は
「マレーシア航空機ボーイング777を撃墜したのは、
ウクライナ空軍の攻撃機Su(スホーイ)25型機である」と伝えた。
ルガンスク人民共和国報道部は、又次のように発表した―
「旅客機ボーイング777の飛行を見守っていた現地の人達は、
同機をウクライナ空軍機が攻撃する様を目撃した。攻撃を受けた後、
同機は空中で真っ二つになり、ドネツク人民共和国領内に落下した。
攻撃後、ウクライナ空軍機は撃墜され、
こちらはルガンスク人民共和国領内のクラスヌィ・ルーチ地区に落下した。
現在「撃墜された旅客機」の捜索活動が続けられている。」
◆http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201407170001/
櫻井ジャーナル 2014.07.17
◎マレーシア航空機がウクライナの東部で撃墜されたようだが、
同社の旅客機は3月にも行方不明に
またマレーシア航空機が消えた。
今回は7月17日にウクライナの東部で乗客280名、乗員 15名を乗せたMH 17が
ドネツクの近くで撃墜されたと伝えられている。
キエフ側の制圧軍も住民側の自衛軍も相手が撃ち落としたとしているようだが、詳細は不明。
Buk防空システムで撃ち落とする情報が正しければ、住民側はこのシステムを持っていないと言われ、
16日にドネツクの周辺へこれを配備したキエフ側が怪しいということになる。
MH 17とほぼ同じルートを40分弱の差で
ウラジミール・プーチン露大統領を乗せた航空機が飛行していたとする話が流れている。
ブラジルでの会議を終え、モスクワへ戻る途中だった。
プーチンを乗せた航空機と間違えて撃墜したのだとすると、事態は深刻である。
ロシアを戦争へ引きずり込むため、最終手段を講じた可能性があるということだ。
かつて、大韓航空の航空機も航路を大幅に逸脱してソ連領へ侵入、
重要な軍事基地の上空を飛行して米ソの緊張を高めたことがある。
1978年4月に重要な軍港があるムルマンスクへKAL 902が侵入、
ソ連側の警告を無視して飛行したこともあり、攻撃されて強制着陸させられている。
また1983年8月31日から9月1日にかけてKAL 007がやはり航路を大幅に逸脱、
アメリカが設定した緩衝空域と飛行禁止空域を横断、カムチャツカの上空を飛行した後、
サハリンで撃墜されたと言われている。
この時もソ連の重要な軍事施設の上空を飛行した。
KAL 007の場合、緩衝空域と飛行禁止空域を飛行しているので、
NORAD(北米大陸防空総軍司令部)の規定によると、すぐに航空機と接触を試み、
FAA(連邦航空局)へ連絡しなければならないのだが、そうしたことは行われていない。
NORADの担当官が怠慢だったのか、事前に飛行許可を受けていたということになる。
担当官が処罰されたという話を聞かないので、後者だった可能性が高いだろう。
カムチャツカに近づいた時点でKAL 007はソ連防空軍の早期警戒管制レーダーに捕捉されているが、
そのときにアメリカ軍の戦略偵察機RC135が近くを飛行していた。
領空侵犯の4分後から9分の間、ソ連軍がKAL 007を見失っていることも判明している。
KAL 007がサハリンに接近すると、ソ連軍が複数の迎撃機を発進させた。
記録によると、そのときにコックピットでは次のような会話があった:
18時4分:税関を通過するのは、かなり複雑なことになりそうだ。
18時5分:まだ向かい風を受けている。
(18時11分にソ連防空軍の司令部は迎撃機に対し、ロックオン・モードにセットするよう命令。)
18時11分:ドルから韓国の通貨にするのは大丈夫。
(当時、韓国ではウォンをドルに替える際には制限があり、
韓国人のクルーならドルのまま持っているのが自然。また、
007便の到着予定時刻に金浦空港で通貨の交換はできない。)
18時13分に迎撃機は司令部に対し、ターゲットが呼びかけに応じないと報告、
15分には司令部はターゲットと迎撃機がスクリーンから消えたと発言した。
そして17分に撃墜命令が出るのだが、19分には強制着陸させるように命令、
迎撃機はロックオンを解除して警告のために銃撃する。
21分にミサイルの発射が命令されるが、22分に再びスクリーン上から航空機が消えてしまう。
23分に司令部は銃撃での破壊を命令、迎撃機からミサイルを発射すると伝え、
26分にターゲットを破壊した報告。その後、ターゲットは右へ螺旋を描きながら降下していると
迎撃機のパイロットは報告しているが、レーダーの記録では左へ旋回している。
ソ連軍戦闘機のパイロットが「即座に撃墜せよ」との命令に背いて
威嚇銃撃をしていたとしている人もいるようだが、これは公表された記録に反している。
また、1987年11月にはバグダッドからソウルへ向かっていたKAL 858がインド洋の上空で消えている。
朝鮮の工作員が爆破したことになっているのだが、
「朝鮮ならやりかねない」ということで納得した人が多く、真相が明らかになったとは言い難い。
このケースと近い場所でマレーシア航空機(MH 370)が3月8日から行方不明になっている。
インド洋で墜落したということになっているが、その痕跡はなく、
ディエゴ・ガルシアへ降りたのではないかと推測する人は少なくない。
ディエゴ・ガルシアはインド洋に浮かぶ島で、イギリスが所有しているが、
実態はアメリカの重要な軍事基地だ。
航空機の絡んだ事件で忘れてならないのは
アメリカの好戦派が1960年代の前半に作成した「ノースウッズ作戦」。
キューバへアメリカ軍を侵攻させるため、アメリカの諸都市などで「偽装テロ」を実行、
最終的には無線操縦の旅客機をキューバ近くで自爆させ、
キューバ軍に撃墜されたように見せかけて「反撃」という形で軍事侵攻しようという「偽旗作戦」だ。
この作戦はジョン・F・ケネディ大統領によって阻止されている。
↑
これは、ユダ米の「命取り」になりますな。
先制「核」攻撃も辞さず、勝てる! との狂信があるらしい。 まさに真性キ印だ。
巴水、二枚目、
「大坂 高津」です。
よくまとまっておるのでは、
ザビエルはなかなかの曲者で悪党ですぞ、イエズス会=上智大学、
今上天皇と美智子皇后の見合い仲介者は、何と伴天連だ、
小泉信三、吉田茂、田中耕太郎=イエズス会カトリック、ですw
◆http://ameblo.jp/64152966/entry-11895231968.html
wantonのブログ 2014-07-16
◎高校生の為の歴史講座 〜 幕末明治維新
☆日本人が知らない「人類支配者」の正体
イルミナティに徹底利用された長州藩の正体
船井(幸雄):
少し話が脱線しますが、岸信介や安倍晋太郎・晋三が出た土地は、
大室寅之祐(=すげ替えられた明治天皇)が出たというあたりとほとんど同じ
ところだといわれています。
伊藤博文などもその辺に近い出身の人です。
岸・佐藤栄作、安倍系の政治家についてはそのことも知っておく必要があります。
太田(龍):
大室寅之祐は今の山口県・田布施町という所の出身です。
田布施町の周辺から実際、首相が何人も出ています。
これは単なる偶然ではありません。
最近、フリーメーソンの会員と自称している加治将一という作家が、
『幕末維新の暗号』(祥伝社刊)という本を書いています。
彼は鹿島?さんの『裏切られた三人の天皇』を読ん
で初めてこの問題に気がついたのです。
そこに書かれていることを自分で調べて検証していくわけです。
そうすると、明治維新というのは完全なフリーメーソン革命だという
ことに気づくわけです。
船井:
もうひとり、鹿島さんの友人だった松重揚江さんという人も
『二人で一人の明治天皇』(たま出版刊)という本を書いています。
そういうことを皆合わせると、太田さんの説はやはり正しいようだ、と思います。
太田:
長州藩が幕末からいまに至るまで強固な支配体制を維持している理由は、
日本の政治では非常に異質な「忍者・諜報」機関が背後にいた
ということだと考えられるのです。
そんな国家は日本には他に存在しませんでした。
それは英国というかヴェネチアの国家に非常によく似ているのです。
国家の中心が諜報機関なのです。
そういうふうなシステムが毛利藩に継承されていきます。
というのは長州をつくった毛利元就(1497〜1571)は最初は小さな勢力でした。
ところが、いまの中国地方10力国を支配するような大大名にのし上がったのです。
それはもっぱら諜報と謀略活動で大きくなったのです。
豊臣秀吉も似ていますが、それとは違います。
そのような性質を持った毛利藩が関ヶ原の戦で負けて小藩になります。
しかし諜報機関は維持されて、「忍者集団」になります。
そのトップが「上忍」で、「中忍」「下忍」などのシステムができあがります。
そういうシステムこそ英国の国家、諜報機関、フリーメーソン
と非常に相性がよかったと思われるのです(笑)。
そして公然と孝明天皇を弑逆して息子の睦仁天皇も殺す、
それを平然と行なうわけです。
しかも、すり替えして隠蔽しきるという、日本のなかでは異質な手段を用います。
そういうところでは、薩摩は長州の敵ではありません。
グラバーの世話で長州の伊藤博文以下5人がロンドンに留学します。
薩摩も同じようにグラバーを通じて続々とヨーロッパに留学して、
そこでフリーメーソンになって帰って来た人物がたくさんいます。
しかし、権力の中枢は長州藩にあって、薩摩のほうは下位に過ぎなかったのです。
しかも、長州の諜報機関、忍者集団出身の権力中枢の連中は、
薩摩を蹴落とすために分裂させるわけです。
大久保利通(1830〜78)と西郷隆盛(1827〜77)を分裂させて、
西郷派を一掃すると、薩摩の勢力は半分くらいなくなってしまいました。
さらにその次は、大久保利通を消してしまうのです。
大久保を暗殺したのは島田一郎という加賀藩の人物でしたが、
その動きは長州側が察知していて、彼を泳がせて大久保を暗殺させました。
だからその主犯は木戸孝允と伊藤博文なのです。これは鹿島さんが書いています。
そういう諜報と謀略能力は、長州のほうが日本の他の藩とか勢力に比べて
段違いに勝っていたのです。
しかし、そういう諜報能力と謀略の力は英国のフリーメーソン、イルミナティの
レペルと比べるとはるかに劣っているので立ち行かなくなってしまいます。
☆西郷隆盛は明治天皇すり替え事件を知っていた
太田:
薩摩の西郷隆盛は日本の侍の典型ともいえる存在です。
たびたびフリーメーソンから誘われますが、西郷さんはそれを拒否します。
そこで、言うことを聞かないために西郷さんを処分するようなシナリオが
書かれて、実行されたのです。
西郷さんは孝明天皇弑逆事件の前後についても、フリーメーソンの謀略である
ということを知っていたのです。
もちろん大室寅之祐のすり替えの真相も知っていました。したがって
西郷さんが政権を握ればそういう秘密が全部、日本国民に開示されてしまいます。
明治天皇と称する大室寅之祐についても、西郷さんは全然、恐れ入っていません。
明治天皇は西洋の帝国主義の傀儡になってしまったわけですが、
そういう天皇が邪魔をすれば切るだけだ、という趣旨の詩を書いています。
だから西郷さんはなにも言わないで死んだけれど、沈黙して世を去った陰で
明らかになっていないそうした心情 というものは日本人に伝わっていて、
それはいまでもつづいているのではないでしょうか。
船井:
そうした秘密が封印されているし、それを日本人が胸中で感じるのでしょうね。
だから、西郷さんは国民に人気があるのでしょうね。
これは私にもわかりますよ。私も、もっとも好きな人です。
太田:
西郷さんの出発点は島津斉彬(1809〜58)に見出されたことにあります。
島津斉彬という藩主は偉大な人物であり、藩主になった途端に異母弟との間に、
確執・お家騒動が起こりました。
前藩主・島津斉興の側室であるお由羅が生んだ次男・島津久光(1871〜87)を
藩主にしようという強い執念をお由羅は持っていて、斉彬が藩主になったとき、
斉彬を呪い殺すという秘密の呪術までさせたといいます。
島津斉彬は50歳前で病気のため急死してしまいます。
それは日本にとって致命的な損害というか損失でした。
斉彬は西洋の勢力が日本に迫ってくる、それをはっきり認識したうえで、
対抗措置と政策を体系的に展開して、薩摩に西洋式の産業とか軍事工場とかをつくって、
日本の体制を立て直して、公武合体政策を推進しようとしました。
薩摩は代々、朝廷との関係が深かったのです。
朝廷と武家が一致して強力に体制を立て直して、
西洋の侵略に立ち向かわなければならないという姿勢をとりました。
その当時の藩主でこのようなことを実行できる人は誰もいませんでした。
この偉大な島津斉彬に見出されて、西郷さんは側用人になったのです。
ところが、斉彬は病死してしまいます。
これは日本にとって最大の損失といわれています。
島津斉彬の後、藩主になった島津久光はお話にならないボンクラで
西郷さんは冷遇され、何度も島流しにされてしまいます。
内村鑑三は西郷隆盛を「代表的日本人」としていますが、
まさしく西郷さんは代表的日本人です。
明治10年(1877年)に西南戦争が起こったとき、
西郷さんの4人の主要な部下のうち、村田新八(1836〜77)という人は
ヨーロッパでかなり長い間勉強して、西洋のことを非常によく知っていました。
村田新八は次代の日本の最高指導者になるだろうと期待されていました。
ところがその村田新八が西郷さんと一緒に鹿児島に帰って西南戦争で戦死して
しまうのです。 鹿児島に帰ってきたときは陸軍少将でした。
☆西郷隆盛はイルミナティから危険視されていた
太田:
西郷軍のなかには西洋のことをよく知っている人が何人もいたのです。
だから、長州藩の背後にいたイルミナティやフリーメーソン、英国の諜報機関や
外交機関などの勢力は、西郷を潰さなければいけないという狙いをつけていたのです。
それで西南戦争に動員された政府の軍隊の規模は莫大なものでした。
莫大な西洋式軍隊をつくった資金はサッスーン財閥を通じて、
東京の政権に対してあらゆる援助を与えたのです。
だから西郷軍が戦ったのは東京の政権というより、
背後にいる英国と西洋の軍隊だったのです。
鹿児島ではこのような事情が、意識的か無意識的かは別として
何らかの形で浸透しているのではないでしょうか。
いまでも西郷さんは代表的薩摩人、鹿児島人であり、
大久保利通のほうはまったく振り向きもされず、問題外なのです。
しかし、長州と大久保一派がつくった歴史ではまったく逆になっています。
「征韓論」論争がそれです。
明治6年(1873年)に西郷が韓国を征服するという「征韓論」が出てきて、
まず国内を固めることが先だという大久保一派と論争をして、
西郷のほうが敗れたという具合に、今でも教科書に書かれています。
日本人はそういうふうに教えられていますが 事実はそうではありません。
大久保と木戸と岩倉などが欧米を回覧してきた「岩倉使節団」が同年(1873年)
9月に帰国した後、西郷の征韓論を批判しました。
なぜ大久保と木戸の一派が強硬に西郷を韓国に派遣することを阻止したかというと、
単に彼らの考えではなく、背後に英国・フリーメーソンの支配と指示があったからなのです。
つまり、フリーメーソン・イルミナティの東アジアに対する基本的政策は、
数百年来、中国と日本と韓国の3つの国を、絶対団結させてはならないという
基本方針があったからなのです。
これはいまに至るまで変更されていません。
西洋に対して、この3カ国をそれぞれ分裂させてお互いに争わせ、殺し合いさせ、
憎しみを掻き立てる、そういうふうに分断するというのが基本方針です。
この方針を知っていた西郷隆盛は、
「自分は韓国に行ってよく話し合って、一緒に西洋と戦おう」
と言いに行こうとしたのです。
それができたら次は北京に行って、
清国の政府とも話し合いたいと公言しています。
そんなことは絶対許さないはずです。
フリーメーソン・イルミナティからすれば、
西郷隆盛はその当時におけるアジアのもっとも危険な人物だったのです。
「あらゆる力を行使して、西郷を潰せ」という彼らの命令を実行したのが
大久保利通と長州勢だったのです。
残念ながら、そういうことが鹿児島の人たちにはいまもってわからないのです。
☆ザビエルの布教以来、日本はイルミナティの最終破壊目標
太田:
私は、フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)が1549年に
日本に来て以降、 一貫して
ユダヤ・イルミナティの日本に対する戦争は継続していると考えています。
フランシスコ・ザビエルというのはイエズス会の創立メンバーの一人で、
イグナティウス・デ・ロヨラ(1491〜1556)につぐナンバー・ツーです。
ザビエルとロヨラが2人で相談して、ヨーロッパとアフリカと新大陸はロヨラが、
インド以東アジアはザビエルが布教するというふうに協定したのです。
日本人はザビエルという人物の正体というか重要性にまったく気づいていません。
ザビエルはインドからマラッカ経由で日本に来ました。
ザビエルの役割は単なるキリスト教の伝道師ということだけではありません。
彼はイルミナティの世界支配の将校、斥候というか将軍くらいの役割を持って
日本に来たのです。
日本に4年足らずいて、たちまち信者をつくっていったのですが、
そんなことが目的ではなく、日本の値踏みをするというか、
日本を徹底的に調べ尽くして、どのように処分するかという戦略を立てて、
彼らの根拠地を日本につくることにありました。
ザビエルは1年半かそこらでイエズス会の本部に報告書を出しています。
「日本はヨーロッパと対等か、もしかするとはるかに優れた水準の文明をつくっている。
しかもまったく付け込む隙のないような強力な軍隊を持っている、
民族として団結している」 という報告をしています。
だから彼らにとって、日本は危険な存在だと見抜いたのです。
そこで、日本人全部をキリスト教に改宗させ、精神的に彼らの奴隷にするか、
それができなければ殺すしかないという選択に迫られたわけです。
日本を最終的に奴隷にするか、キリスト教徒にするには、
南米とかアフリカでは部族を全部征服して、
部族ごとキリスト教に改宗させることを強要し、集団洗脳しました。
日本人は読書する能力もあり、そういうことはできなかったのです。
そこで、文章による教育、布教が必要だと認識しました。
そのため、宣教師は日本語を勉強して洋書のポルトガル語辞典をつくったりし、
早い時期からさまざまな日本語を翻訳したりしています。
このような文章による布教により、日本人の精神を洗脳するという戦略を
行使したわけです。
中国に対しては、日本よりはるかに大きな世界最大の国家ですから、
これをどのように処分するかについて、ザビエルは中国にしばらく滞在して
方針を立てて、報告書をローマ本部に送っています。
そのとき以降、彼らの日本に対する方針は一貫しています。
つまり、精神的に日本を日本人でないようにするための方針、
アジアに対しては武力による侵略を行使するという方針を立てます。
最終的に、米軍が日本を占領して原爆を投下して、恐怖に陥れるわけです。
アメリカや西洋の文化を押し付け、日本の歴史を否定し、頭脳を変えてしまいました。
いまでもこの方針は続いています。
精神的に心理的に、習慣・風俗・食べ物などすべてにわたって
日本的なものを全部変えてしまうわけです。
そして抵抗するものは排除します。
そういうふうにして日本に対する一貫した工作が行なわれているということを、
日本人は知らなければならないと思うのです。
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☆http://www.youtube.com/watch?v=N-PcVmirRJk
歴史ミステリー 『 龍馬の黒幕 』 Vol.1 作家 加治将一
☆http://www.youtube.com/watch?v=cK_ofdKH3Tg
歴史ミステリー 『 龍馬の黒幕 』 Vol.2 作家 加治将一
↑
安倍様のNHKが、ここのところ「朝ドラ」で連発、英語宣教に躍起ですなぁw
まことに異様ですよ。 バレバレの洗脳・摺り込みw
巴水、三枚目、
「潮来乃夏」です。
いい記事だ、「新しい暦」か、
◆http://takedanet.com/2014/07/post_fdf4.html
武田邦彦 (平成26年7月14日)
◎随想 新暦の七夕
☆http://takedanet.com/files/tanabata20140714622.mp3
太陽暦と太陰暦、それに太陽太陰暦ができて久しいのですが、
まだ「暦」は未完成のように思います。
植物は太陽活動に左右されるから太陽暦があっていますが、
人間をふくめて動物は月の影響が大きいので太陰暦が体には合います。
多くの動物でも産卵など月齢と関係がありますし、女性の生理がその一つで
「月経」というように月の満ち引きで体の具合が変わります。
でも、現在の日本で一般的に使っている「暦」は、そのままなじめるものではありません。
その一番、極端なものが七夕ですが、今は「新暦の7月7日」が七夕です。
つまり、梅雨の真っ盛りに天の川をみろということになりますが、
それは無理というものです。(新暦と旧暦の解釈は多くありますが、
ここでは多くの日本人が受け取っている新暦と旧暦ということで整理をしています)
今年の七夕は8月2日。その頃には日本の空も晴れ渡って、
織姫と彦星もデートできるというものです。新暦の7月7日にこだわっていると可哀想に、
毎年、デートがお預けになります。
ところで七夕はお盆ともつながった行事ですし、
その他にも日本文化にとって大切な日もあります。
たとえば端午の節句(旧暦5月5日、新暦6月2日(2014年))、
中秋の名月(新暦8月、旧暦9月8日)などがそれで、
本来の旧暦で節句をお祝いしないと季節がずれてなにがなんだかわからなくなります。
その意味では、昔の日本のしきたりにもこだわらず、かといって日本の風土も意識して、
日本文化にある「自然との共存」を新暦でも定めることは大切なことと思います。
何かがあると「旧暦」とか「新暦」が問題になりますが、
そんなことが問題にならないような優れた暦を考案したいものです。
今、日本は自然と関係なく生活している東京の人の感覚で
テレビも新聞もできていて、
そこで「自然との共存」などといっていますから、
温暖化とかリサイクルなどの見当はずれの政策が進み、
一方では治水やがけ崩れなどの対策が遅れて地方では自然災害が増えています。
また、「自然との共存」というと、トキのように中国からもってきたトキを
人工的に飼育して野に放つなどの「自然とは相いれない」ことが進められ、
東京で「ゲンゴロウ」が絶滅してもだれも見向きをしないという状態です。
人間は自然とともに生きて初めて正常な精神状態や体を保つことできるものです。
新暦の7月7日に浴衣を着ている美しい女性を見るにつれ、
架空の世界へ連れていかれる感じがしました。
↑
日本人の世界観は、伴天連の世界観とはまったく異なる。
ここがよろずの起点でしょう。