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 画は Catherine  Rebeyre

 http://www.catherinerebeyre.com/000.html ご参照

 フランスの女流 Artiste Peintre & Illustratrice   作


  「題不詳、黒髪?」です。  何やら「和」の香りがw


☆予報は雪。

今日は隔月の通院日ですので、予約投稿です。

呆れるばかりですなぁ、

◆http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/d78ab39c11b5b238853892c8671cc3f3
暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜 2012年01月23日
◎”情報隠蔽国家”ニッポンの醜態ここに極まれり 〜原発事故対策本部の議事録作成せず〜


NHK 「今の原稿、使っちゃいけないんだって」
(2011年3月12日正午のニュース音声)※44秒以降に注目
☆http://www.youtube.com/watch?v=H8r4K-xOjGQ&feature=youtu.be
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☆http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120122/t10015450241000.html
NHK   1月22日
◎政府の原災本部 議事録を作らず

東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、避難区域や除染の方針など重要な決定を行ってきた政府の
「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことが分かりました。
専門家は「将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」
と指摘しています。

政府の原子力災害対策本部は、総理大臣を本部長とし、経済産業大臣をはじめ全閣僚をメンバーとするもので、
原発事故当日の去年3月11日に設けられ、避難区域や除染の基本方針、
農作物の出荷制限など原発事故を巡る重要な決定を行ってきました。NHKで、去年11月、
それまでに開かれた21回の会議について「議事録や内容をまとめた資料など」の情報公開請求を行ったところ、
公開されたのは、議題を記した1回の会議について1ページの「議事次第」だけで、
議論の中身を記した議事録は作成されていなかったことが分かりました。
NHKの取材に対し、原子力災害対策本部の事務局を務めている原子力安全・保安院の担当者は
「業務が忙しく議事録を作成できなかった」と説明しています。

公文書管理法は、国民への説明義務を果たすとともに政府の意志決定の過程を検証できるようにするため
重要な会議の記録を残すよう定めており、公文書の管理を担当する内閣府は、
原子力安全・保安院の担当者から聞き取りを行うなど経緯を調べています。
原発事故への対応を巡っては、東京電力と政府が合同で事故対応を検討した「事故対策統合本部」でも
主要な会議の議事録が作成されていなかったことが分かっており、内閣府は、この経緯についても調べています。

公文書の管理や情報公開制度に詳しい名古屋大学大学院の春名幹男特任教授は
「政府の重要な立場にあった人たちは、記録を残さないと責任を果たしたことにはならない。今回は、
自分たちの失策がそのまま記録されると困るので、あえて記録を残さなかったと思われてもしかたない。
将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」
と指摘しています。


☆http://www.j-cast.com/2012/01/17119051.html
J-CASTニュース  2012/1/17
◎放射性物質の拡散予測、直後に米軍に提供

2012年1月16日に行われた、東京電力福島第一原子力発電所の事故原因を究明する国会の「事故調査委員会」の質疑で、
文部省は、放射性物質の拡散状況を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)による
予測データを事故直後に、外務省を通じてアメリカ軍に提供していたことを明らかにした。

当時、国内ではSPEEDIのデータの公表が遅れ、周辺住民を被曝(ひばく)の危険にさらしたと指摘されていた。
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もうご存知の方も多いかと思うが、
福島第1原発事故の対応に当たっていた「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことが判明した。

昨年3月以降の記録がまったくないということであるが、これが情報を隠蔽するべく”確信犯的”におこなわれたことは自明であろう。

一部報道では「菅政権」という点を強調して菅直人前首相に責任をなすりつけようという内容のものも散見されるが、
現政権の顔ぶれをみれば、野田・前原・玄葉・枝野・岡田と裏で糸引く仙谷まで含めると、
菅直人以外の”千両役者ども”がごっそり残っており、この連中が平然と重要閣僚という立場で引き続きタクトを振るっている
ことの方が大問題であろう。

上記記事にあるように、NHKも今になって”ドヤ顔”で、議事録が作成されていないことを問題視する報道を行っているが、
冒頭の原発事故直後の3/12正午のニュース音声を聞けば、”同じ穴の狢”であることは疑う余地もないであろう。

NHKのアナウンサーが「格納容器内の水位低下による燃料棒の露出」に関するニュースを一旦読み上げた後に、
プロデューサーらしく男性の声で「今の原稿、使っちゃいけないんだって」というコメントが鮮明に記録されているとは、
いやはや驚きである。
これぞ”決定的証拠”と言ってよいものであろう。

政府による国民への裏切りはこれだけでは終わらない。

政府が「信用力に欠ける」との詭弁を弄し、国民向けに「SPEEDI」のデータの公表を意図的に遅らせ、
多くの周辺住民を被曝させたことは記憶に新しいことである。

しかし、国民に対して「SPEEDI」データを隠蔽する一方で、政府・霞ヶ関官僚どもはアメリカ軍には同データを提供していたのである。

これは完全に国民への裏切り行為と断じて然るべき話であろう。

政府・官僚が、国民よりも”宗主国”アメリカを優先していることはこれまでにも嫌というほど実感しているが、

今回の一件で改めてそれが”浮き彫り”となったと言ってよいであろう。

当然、大手マスゴミや経団連も”同じ穴の狢”であり、これら売国奴連中に対しては引き続き最大限の注意力でもって、
その行動を注視していくことが肝要であろう。


Catherine  Rebeyre 、二枚目、



「kanjis 漢字」です。


◆http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120123k0000m010126000c.html
毎日新聞 2012年1月23日
◎電力需給:政府今夏試算「6%余裕」伏せる

今夏の電力需給について「全国で約1割の不足に陥る」と公表した昨夏の政府試算について
「供給不足にはならない」という別の未公表のシナリオが政府内に存在したことが、分かった。
公表した試算は、再生可能エネルギーをほとんど計上しないなど実態を無視した部分が目立つ。
現在、原発は54基中49基が停止し、残りの5基も定期検査が控えているため、再稼働がなければ原発ゼロで夏を迎える。
関係者からは「供給力を過小評価し、原発再稼働の必要性を強調している」と批判の声が上がっている。

 ◇再生エネ除外、「不足」のみ公表

公表された試算は、東京電力福島第1原発事故を受け、
エネルギー戦略を見直している政府のエネルギー・環境会議が昨年7月にまとめた。
過去最高の猛暑だった10年夏の需要と全原発停止という想定で、需要ピーク時に9.2%の供給不足になると試算した。

この試算とは別に、菅直人首相(当時)が昨年6月下旬、国家戦略室に置いた総理補佐チームに、
電力需給の実態把握を指示。経済産業省に対して、発電所ごとの設備容量・稼働可能性、
地域ごとの再生可能エネルギーの稼働状況など、試算の根拠データの提出を求め、再試算させた。

その結果、現在の法律に基づいて電力会社が調達できる再生可能エネルギー容量は759万キロワット(原発約7基分)あったのに、
公表された試算は供給ゼロだった。また、一部火力発電所で定期検査による稼働停止時期を猛暑の8月に設定したり、
大口契約者への格安電気料金と引き換えに需給逼迫(ひっぱく)時の利用削減を義務づける
「需給調整契約」による削減見込みもゼロとしていた。
夜間の余剰電力を昼間に利用する「揚水発電」の供給力も低めに設定されていた。

再生可能エネルギーによる電力供給などを盛り込むシナリオで計算し直すと、
電力使用制限令を発動しなくても最大6.0%の余裕があった。
再試算は昨年8月にまとまり、菅首相に報告されたが、公開されなかった。

国家戦略室で同会議を担当する日下部聡・内閣審議官は
「国の政策を決定する過程で、後になって『足りませんでした』とは言えない。慎重に堅い数値をまとめた。
供給不足を導く意図はなく、昨年11月に公表した対応策で、再生可能エネルギーや火力発電の増強を必要な取り組みに挙げた」
と説明する。一方、国家戦略室の総理補佐チームで再試算に携わった梶山恵司・富士通総研主任研究員は

「電力会社の言い分をまとめた極端な前提に基づく試算。その数字が、原発再稼働を容認する政治家らの発言にもつながった。
再試算は菅政権末期の混乱で公表できなかったのではないか」と問題視している。


Catherine  Rebeyre 、三枚目、



「Tabelbala アルジェリア」です。



「黎明は日本から」、

◆http://plaza.rakuten.co.jp/OmMaNiPadMeHum/diary/201107070000/
2011.07.07
◎水でガソリン自動車を動かせる新エネルギーが日本にあった!

夢の新エネルギー 水から作られる「オオマサ・ガス」
☆http://www.youtube.com/watch?v=03BmtfGy6mo&feature=player_embedded

東京都の中小企業日本テクノの大政社長が開発したので「オオマサ・ガス」というらしい。
(私はあんまり素晴らしい技術だから「オオサマ・ガス」かと思いましたよ!)

国や大学や企業からもたくさん視察がきているそうだ。

大分県佐伯市の造船所では、すでに鉄板の切断にこのガスが使われている。

上の動画でも、このガスでエンジンを回すシーンがあるが、酸素は供給する必要ないことから吸気口をふさぐことで、
普通のガソリンエンジンが何も問題なく動き、燃焼後は水しか出ない。排気ガスや二酸化炭素は一切出ない。

これが実用化すれば、車は蒸気か、せいぜい道路に打ち水をしながら走る大変環境にいい乗り物になる。

日本にはこんな素晴らしい技術があったのだ!


◆http://takedanet.com/2012/01/post_52b4.html
武田邦彦(平成24年1月23日)
◎幸福な人生  「まずいものを食べる」という趣味


私のブログに「私の趣味は、まずいものを食べること」と書いてあります。
確かに、まずいものというのは結構、美味しいもので、それだけで趣味になりうるとは思います。


でも、それは私の幸福感というのに深く関係しています。
私のエッセイの一つに「愛用品の五原則」というのがありますが、
それが10年ほど前に高等学校の教科書に採用されました。
私にとっては生涯、忘れ得ぬほど名誉なことなのですが、


そこに私が書いたことは、

「人生を幸福に生きるためには、節約が一番だ。贅沢な生活で幸福になることはない」ということで、
「その一つに愛用品に囲まれたしっとりとした毎日」であったのです。

すでに、こんなことは古今東西の偉人が何度も言っていることで、わたしのオリジナルでもなんでもありません。
お釈迦様は「中庸がよい」といわれましたし、
イエス様は「お金持ちより貧乏の方が幸福になる」と言われています。
それを私は科学者なので、少し具体的に考えています。


人という生物は「今の状態で満足できれば幸福」という性質を持っています。
たとえば今から1000年ほど前の平安時代には、水洗トイレはない、瞬間湯沸かし器もないのですから、
汚い便所に座ったり、あかぎれの切れた手をさすりながら冷たい水で洗濯をしたものです。
それに比べると現在はウオッシュレットつきの水洗トイレや蛇口をひねるだけでお湯が出てくる生活ですから、
平安時代は悲惨な生活のように思います。でも、その時代、
数年ぶりに豊作になって稲穂が頭を垂れている田んぼの横で、草むらに仰向けになってそよ風に吹かれている彼は
「ああ、俺はなんて幸福なんだろう!」と思ったことでしょう。


また、今から1000年後の人たちは私たちの生活を歴史の時間に学んで、
「なんてひどい生活をしていたのだ!これでは奴隷のようじゃないか!」と驚くことは間違いありません。
人間は、生まれてからの平均、ここ1ヶ月の平均が「平均」になり、
それ以上なら満足、それ以下なら不幸と思うものです。


・・・・・・・・・


金持ちというのは得てして不機嫌で怒りっぽいのですが、それは当然でもあります。
たとえば「美味しいものを食べたい」と少しでも美味しいお寿司屋さんを探すと、
最初は1000円、次は1500円となり、それが1万円ぐらいになると、次のお寿司屋さんもほとんど差がないほどの味になります。
つまり、「美味しいものを求めていくと、人間の舌はその差を感じなくなる」ので不満がつのります。


さらに、加速の良い素晴らしい車を買うことができるようになると、
いつも前の車が遅いと言って文句を言っていなければなりません。それもたちの悪いことに前の遅い一台を抜くと、
さらにまた前に遅いのがいるではないか!!


私のような車好きの人間は、エンジンの音も聞こえない、排気ガスのイヤな臭いもかげないなら
車に乗らずに、電車で行きます。車の良いところは、ガタガタ、ゴトゴト、時々、故障して手を焼かすことだからです。


毎日、美味しいものは食べられず、車に乗るとイライラ、何もトラブルのない毎日・・・
これがお金持ちの生活ですから、不機嫌なのは当たり前のことです。


・・・・・・・・・


ある時、東京の大学の学食に行ったときのことです。大学の中に食堂が5つほどあるのですが、
その一つに「貧乏学生用の食堂」がありました。320円でたらふく食べ、カロリーも十分なのですが、
なにせメニューが特殊です。


「アブラ揚げ」と言ったらよいのでしょうか、見かけは鶏の唐揚げのようなものなのですが、
食べてみると、ころもの下は白い油の固まりなのです。つまり、
「白い固まった油」を「液体の油」であげた唐揚げ?? です。そして、
慎重に白いアブラの中を探すと微細な1ミリぐらいの肉の痕跡を見つけることができます。なるほど、
ちょっぴりのタンパク質と、大量の脂肪・・・
これなら貧乏学生でもカロリーを取ることができるという計算です。


学生と一緒にアブラ揚げ定食(正しい名前はC定食)を食べたら、その後は極楽です。
650円のサラリーマン定食、1000円のデラックス夕食、そしてホテルで3000円の食事をする度に、
極楽のように美味しい味を楽しめます。


そしてまた1週間後、私は学食に行き、油揚げをほおばります。そこでまた私の舌をリセットするのです。
このような私の行動パターンは食事だけではありません。
重たい荷物を持っておっちらと階段を上ったり、寒い日に雨に濡れたり、「不幸なこと」は
私にとってすべては「幸福の準備」でもあるのです。


「幸福とは不幸なことである」、 「金持ちとは貧乏のことである」、 「健康とは病気のことである」・・・
それらはすべて真実なのでしょう。



いいエッセーではないかな。

 

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