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寒気いやまし?

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 画はクロード・モネ  Claude Monet

 1840〜1926 / フランス / 印象派     作


  「Boulevard-saint-denis-argenteuil-in-winter」です。


☆晴れ、 寒戻る。

さて、飛ばして大丈夫なのか?

◆http://grnba.com/iiyama/
飯山一郎 『てげてげ』 2012/01/19(木) 
◎横田めぐみさんは生きている! (6)

日本の皆さま。
わたくしは、朝鮮名が姜美淑(カンミンスク)、日本名は横田めぐみでございます。

日本の皆さまには、長いあいだ、大変なご心配をおかけし、
また心あたたまるご支援を賜りました。
ほんとうにありがとうございました。心より深く御礼を申しあげます。

さらに、日本の皆様には、わたくしが突然こうして姿をあらわしましたことで、
大変お驚きになられ、またお騒がせいたしますことを、
あわせて深くお詫び申しあげます。

さて、わたくしは、いま、朝鮮民主主義人民共和国において、
お国の発展と国民の仕合せを祈りながら、
お陰さまで、心やすらかな日々をすごさせていただいております。

ただ、すでに日本の皆さまもご存知のように、朝鮮民主主義人民共和国は、
国家代表、大黒柱が急逝するという不幸に見舞われました。
わたくしどもは、この国家の不幸を何としても乗り越えることが、
今は亡き金正日将軍の遺志に沿うものと考え、
精一杯の精進と心をこめた供養の日々をおくる毎日でございます。

それでもなお、わたくしには大きな心のこりがございます。
それは、故人の存命中に、わたくし共々、日本国を訪問させていただき、
日本国と日本国の皆さまにたいしまして、深いお詫びと感謝の気持ちを
お伝え申しあげられなかったことでございます。
日本の皆さまに深謝と感謝を申しあげられないまま、将軍は心ならずも
あの世へと旅立ってしまい、朝鮮民主主義人民共和国は、まだまだ若い
金正恩という青年に国家の全権をゆだね、朝鮮民主主義人民共和国は
苦難の過去を希望の未来へつなぐため、力強く再出発をいたしました。

ここで、わたくし、ふたたび日本の皆さまを驚かせてしまうやもしれませんが、
日本の皆さまにあえて告白をさせていただきたいことがございます。
それは、朝鮮民主主義人民共和国の新しい指導者・金正恩が、
わたくしの息子であるということでございます。

金正恩は、間違いなくわたくしがおなかを痛めて生んだ子供なのでございます。

このようなことを、わたくしは、日本に住む父と母に何とか伝えようと
悩みに悩みましたが、様々な事情が重なり叶うことができませんでした。

わたくしは、いま、日本に住む父と母がとりかえしのつかない大変な辛苦
を重ねてながら生きてきたことを思うと、あふれる涙がとまりません。
この場をおかりいたしまして、わたくし横田めぐみ、父と母に…、
「お父さま、お母さま、ほんとうに、ほんとうに、ご苦労様でした!」
そして、
「めぐみは、心ならずも長い長い親不孝を重ねてしまいました…。
お父さま、お母さま、この親不孝なめぐみを、どうか、お許しください!」
と心をこめて申しあげたいとおもいます。

さて、日本の皆さま、朝鮮民主主義人民共和国は、
金正恩という新しい指導者のもと、新しい出発をいたしました。

今後、朝鮮民主主義人民共和国は、そして金正恩は、
国際社会に開けた国づくりをしてまいります。

これからは、皆さまから誤解を受けてしまうような政治は行いません。
このことは、わたくしが、身命をかけて、
皆さまの御前で固く固くお誓いを申し上げます。

日本の皆さま。わたくしは、身は平壌にありますが、心は日本人です。
正直に申し上げますと…、祖国日本に帰りたくてたまりません。
しかし、わたくしは、最愛の息子・金正恩を命をかけて守り抜いていかねばなりません。

どうか日本の皆さま、わたくし横田めぐみの心情をおくみとりいただきまして、
これからは何卒(なにとぞ)新しいご厚情を賜りますことを心から
御願い申し上げまして、わたくしのご挨拶にかえさせていただきます。

ほんとうにありがとうございました。
_______________________________________

 以上が、『横田めぐみさんは生きている! (4)』の後半部分で、鷲が述べた、
 『胡錦濤のとてつもない構想』の「第三幕:金正恩の“オモニ発言”」の次の次
 あたりに登場する朝鮮名:姜美淑(カンミンスク)こと横田めぐみさんの日本向
 挨拶原稿(Ver.1.00)(推測)である。
 ようするに、今後、東アジアの政治のダイナミズムは、胡錦濤の構想に沿って
 進展していく…、ということである。(文責:国際アナリスト・飯山一郎)



いささか心配になってきたw


モネ、二枚目、



「Houses-of-parliament-sun-fog」です。


関連で、

◆http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/
たんぽぽ日記 戦争のない世界へ  2012年01月18日
◎平田信と金正男

平田信が自首した件だが、斉藤明美と一緒に住んでいた住宅から、
これらオウム信者の弁護士である滝本太郎弁護士の指紋が大量にでたという。
そして、15年も住んでいた平田信の指紋は僅かしかなかったそうだ。


普通であれば、平田の指紋が無数に出て、
滝本弁護士の指紋は僅かしか出ないのではないか。

ところが、この疑問に対し、テレビ局は滝本の言うがままに、
「滝本が警察に提出する荷造りを手伝ったため」だと報道している。

これは明らかにおかしい。

ふつう、犯罪現場や、犯罪者の隠れ住んでいた場所は、
「現状維持」、つまり少しでも手を加えないのが捜査の鉄則のはずである。

だが滝本は重要な証拠となるはずの、犯罪者の住処を徹底的に変えてしまった。

なぜか?

その理由として考えられるのは、この部屋に滝本が出入りしていたため、
その指紋を消すことが難しと考え、
今回のような作り話をでっち上げたのではないか?

なぜ、ふたりで新幹線に乗って上京したのか?

なぜ斉藤明美は偽名を使って各地で勤めることができ、
保険証さえ有することができたのか。
斉藤明美が持っていた800万はどこからでてきたのか。
まず、オウムか、オウムを影で守る団体から出た金であろう。

平田信が出てきたのは、
麻原の死刑が近づいたため、平田の裁判を開始することにより、
その裁判の証人となる麻原の死刑を先延ばしするためだといわれている。

そのために平田が800万もの金を持ち、
女を与えられ、仕事をしなくとも食べていけたと考えるのが普通であろう。

平田は麻原のボディガードで、つまり特に信頼された側近であった。

平田は常に麻原のそばにいたはずで、
麻原のことを最もよく知っている信者である。

その平田を麻原を救う切り札として使う、平田の裁判が終われば、
今度は菊池直子、そして高橋克也とカードは3枚も揃っている。

平田は麻原の側近であったということは、麻原を守ると共に、
上部団体から派遣された、浅原の監視役であったとも考えられる。

平田の背後関係は、おそろしく暗い。
だから、テレビは平田の罪が軽くなるような報道しかしていない。
こうして、オウムの秘密を知る人間の、禊が済まされるのだ。
平田は、たいして長く収容もされずに出てくるだろう。

上祐、そして平田、こうした人間が生き残り、
麻原の計画を再び実行しようとする日がやってくるであろう。

それが、上部団体の目的である。

ユダヤ=ヘブライ語のアレフはもちろん伊達ではない、
そのようにつけるように、指令があったはずだ。


※昨晩は、疲れて金正男について書くのを忘れて寝てしまった。
この金正日の長男が、最近メディアを賑わせている。

本来なら恩日ではなく、この人が北朝鮮の独裁者になっていたはずだ。
ディズニーランドに遊びに来て、日本に拘束などされていなければ。

カリスマ性を保つためには、傷があってはいけない。
正男氏が後継者となれば、
日本のマスコミは捕まったときの写真を持ち出し、笑いものにしただろう。
正男氏が後継者でなくてよかった。

この人物のインタビューなどを集めた本がでるそうだが、
作者は日本人だというから、北と日本の密接な繋がりがここでも垣間見える。

世界で最も仲が悪いはずの国の支配家族と、一部の日本人はとても仲がよい。
ゆえにこうした情報がもたらされるのだ。

正男氏の最近の写真がネットで出ているが、
私が見た感想は「麻原彰晃に似ているな」である。

北朝鮮と日本人がどこで繋がっているのか、統一教会や創価学会の朝鮮半島との繋がり、
宗教が半島と日本を結びつける役割を果たしている。

ハリーポッターではないが、死の秘宝でもっとも役に立つのは、
宗教という「透明マント」なのである。

宗教は他国で活動するために被る、隠れ蓑なのである。



モネ、三枚目、



「Grainstack-morning-snow-effect」です。


昨日、ダメリカはキ印(=カルト福音主義)の吹き溜まりw

と書きましたが、

◆http://blog.tatsuru.com/archives/000192.php
内田樹の研究室 2004年06月29日
◎福音主義と靖国の祭神


大学院ゼミは「アメリカの宗教」

おもに福音主義の歴史的展開と、それがアメリカの政治的エートスに与えた影響についてディスカッションする。
私のネタはほとんどがリチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』の第二部からの受け売りである。
この話はこのホームページ日記に一度書いたことがあるけれど、なかなか興味深い話であるので、
しつこくもう一度採録しておく。

『アメリカの反知性主義』第三章・
「福音主義の歴史」はアメリカにおけるプロテスタント諸派の独特な宣教活動について貴重なことを教えてくれる。

高校の世界史ではぜんぜん習わなかったことなので、諸賢のために、ここに概略を記す。


アメリカン・ピューリタンの第一世代には多くの知識人が含まれていた。

彼らは切り開いた開拓地のはずれでまだ狼の遠吠えが消えないうちから、すでに大学を作り、
アリストテレスやホラティウスやヘブライ語を教え始めた。

ハーヴァード大学の初期の卒業生の50%はそのまま牧師になった。

しかし、1720年に「大覚醒運動」が起こり、「学識ある牧師」にかわって、
無学だが宗教的熱情に駆られた人々が宣教の前衛となる。

ウィリアム・テネントという長老派の牧師は熱情的に開拓地を遍歴して、
ほとんど文化的な要素のない生活をしている開拓民たちに魂の救済を熱狂的に説いた。

テネントは説教のときに絶叫し、野獣のような怒声を上げ、夜の雪の中を発作的にのたうちまわり、
それを見に集まった数千の会衆たちは狂乱状態のうちに「霊的再生」を経験したのである。

こうしてピューリタンの時代が終わり、福音主義の時代が始まる。


大覚醒運動は南部西部のフロンティアにおいて、
「より原始的で、より感情的な恍惚感を強調するものに変わっていった。学識のない説教師が増え、
回心の手段として、肉体的反応をあまり抑制しなくなった。つまり平伏する、痙攣する、吠える
といった動作がひんぱんにみられるようになる。」(66頁)

彼らは「ますます増えて行く、教会をもたない非宗教的な人々、教会で聖化されない『結婚』と節度のない生活、
過度の飲酒、野蛮な喧嘩」と戦い、開拓民の魂を浄化する必要があったのだから、
ある程度フィジカルにインパクトがある説教態度をとったことはやむをえない。

巡回説教師たちがいなければ開拓時代の「流動性の高い会衆を回心させること」は不可能だった。

(だから『ペイル・ライダー』のクリント・イーストウッドが牧師なのに気楽に銃をぶっぱなして
悪漢たちを殺してしまうのは福音主義の宣教師の伝統からすれば、それほど異常なことではなかったのだ)。

福音主義の宣教師に求められたのは、なによりも会衆をひきつける話術とパフォーマンスだった。

「スター説教師」たちが続々と生まれる。チャールズ・フィニー、ドワイト・L・ムーディ、ビリー・サンディ、
ビリー・グラハムと続く系譜がそれである。

フィニーは1820−30年代に活躍した説教師だが、その武器は
「鋭くみつめられるとしびれるような、強烈で狂気をおびた預言者の目」であった。
会衆たちは彼の説教を聴くと「椅子から転げ落ち、慈悲を求めて叫び、ひざまずき、ひれ伏した」。

もっとも活動的だったのは初期メソディストの巡回牧師たちであった
(すさまじい嵐の夜には「こんな夜に外にいるのは鴉かメソディストの説教師くらいだ」
という言い方があるくらいに彼らは不撓不屈であった)。

1775年に3000人だったメソディストはその80年後に信徒150万の大会派になったが、
その成功をもたらしたのは何千人もの無学だが宗教的熱情あふれる牧師たちの献身的な布教活動だった。
「だが、そのうち一般的な英語教育以上の教育を受けているのは、おそらく五十人もいないだろう。
その教育すら受けていない者も多い。まして神学校や聖書研究所で訓練を受けたものなどひとりもいまい」
とあるメソディストの牧師は誇らかに語っている。

このあとにドワイト・L・ムーディが登場する。

靴の卸業者として成功したあと、ビジネスから宣教活動にシフトしたこの人物は
1873年にイギリスで活動を行い250万人を動員し、帰国と同時に名声の絶頂を迎えた。
彼は無学で「彼の説教を批判する者たちがずっと言い続けていたように、文法すら知らなかった」。
しかし、一分間220語語るそのすさまじい早口と大音量の説教で、
巨大な会堂の聴衆を一挙に救済に導く技術においてこの時代最高のパフォーマーであった。

ムーディは「聖書以外には一冊の本も読まない」と広言してはばからなかった。
学問は霊の人の敵であり、「知識なき情熱は情熱なき知識にまさる」というのがムーディの一貫した立場だった。

けれどムーディはもうテネントのように転げ回ったり咆哮したりはしなかった。
かれはばりっとしたスーツで登壇し、まるで有能なビジネスマンのようにまくしたてたのである。

ムーディに続くのが19世紀末から1935年にかけて圧倒的なポピュラリティを獲得し
(1914年に『アメリカン・マガジン』で「アメリカでもっとも偉大な人物」投票で第八位になった)
ビリー・サンディである。

彼はジャズバンドを引き連れ、ストライプのスーツ、ダイヤのタイピン、ぴかぴかのスパッツで登場して、
低俗なレトリックと曲芸あり音楽ありのステージパフォーマンスで会衆を魅了した。

彼の説教はあまりに人が集まったので、既存の教会では対応できず、しばしば「大講堂」が彼の説教のために建設されたほどである。

そうやって大量に回心させた信者から一人当たり「回心料」2ドルを徴収して、ビリー・サンディは大富豪になった・・・

ホーフスタッターの本から福音主義の歴史をながながと採録してきたのはもちろん理由がある。

「トリビアル」な知識を披瀝したいからではない。

私は「関連性のあること」にしか興味がない(@大瀧詠一)

この記述が二カ所で私の「記憶の琴線」に触れたからである。


記憶の片隅を「つんつん」とつつかれのは、ドワイト・L・ムーディが1886年にシカゴに設立した
「ムーディ聖書研究所」で学んだひとりの日本人のことを思いだしたからである。

中田重治(1870−1939)が1897年から98年にかけて、ここで学んでいる。

中田は日本ではメソジストの教育を受けたのち渡米し、この聖書研究所でアメリカのコアな福音主義に触れて「回心」を遂げる。
帰国したあと、メソジストを離れ、1917年、教会46を擁する「東京宣教会ホーリネス教会」を設立する。

そして連続講演「聖書より見たる日本」を通じて「キリスト再臨と日本とユダヤ人のあいだには特殊な関係があることを発見」し、
聖書中に「日いずる国」とか「東」とあるのはすべて「日本」のことであり、
日本こそはキリストの再臨とユダヤ民族の回復の鍵を握る「選ばれた民族」であるという理説を発表し、
日本における「日猶同祖説」イデオロギーの最初の一歩を踏み出すのである。


「日猶同祖論」といってもみなさんはたぶんご存じないだろうが、「日本人とユダヤ人は同じ歴史的使命を持つ」
(極端な場合は、「同じ祖先から由来する」)と説き、大正年間から第二次世界大戦まで、
日本の福音主義派のキリスト者、陸海の軍人、外交官、極右の一部に隠然たる勢力をもって伏流していた
オカルト・イデオロギーである。

中田重治(中野重治じゃないから、まちがえないでね)は日本民族の使命は、
世界に散在するディアスポラのユダヤ人を糾合し、彼らをしてパレスチナの故地に帰還せしめ、
そのようにして神の摂理を成就することにあると考えた。

「東より起こる人は向こうところ敵なき勢いで諸国を征服するとあり、東から西へ西へ、
大陸に向かつてグングン伸びてゆくことを預言している。大陸にむかつて武力をもつて発展してゆくのである。
そして最後に偽キリストに与する王たちを押さえつけるのである。
私はいたずらに日本の大陸政策を謳歌するのでもなければ、軍部に媚びるものでもない。
これも聖書の光であるから、かく言うのである。肉の考へからして日本が偉いと言うのではない。
神の摂理の中にかくなつていると言うのである。神はこの民族をして、
その使命を果たさしめようとして、過去2500年間、外敵の侮りを受けることのないようにしたもうた。
これみな摂理の中にあつたことで、全能の神がこの日いづる国をして大陸にその手を伸ばさしめんがために、
深いみこころの中にかくなしたまうことであると信じている。」

(「聖書より見たる日本」、デイヴィッド・グッドマン、宮澤正典、
『ユダヤ人陰謀説−日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』、講談社、1999年、125頁)

なぜ、このようなオカルト・イデオロギーがそれなりの社会的影響力を持ち得たのか
を論じ始めると本を一冊書かないといけないので、ここではこれ以上触れないが、
結果的に日本の帝国主義的領土拡大を悲惨な戦争を招来することになった軍国主義イデオロギーの生成に、
アメリカの福音主義の「スター説教師」がちょろっと一枚噛んでいた
ということは記憶しておいてよい歴史的事実であるように思われる。

思い出したもう一つの話も、だいぶ「遠いところ」の出来事だ。

ビリー・サンディは説教のあと「回心した」会衆たちを「審問室」に出頭させ、その「霊的状態」をチェックし、
「霊的再生」が果たされたことを確認されると「決心カード」というものを発行した。

回心した諸君がそのあとどんな使命に従事したのか、ホーフスタッターの本には書いていない。


でも、私は回心者の「末路」を別の本で読んだような気がする。

ナンビクラワ族と暮らし始めたレヴィ=ストロースは、
彼が来る五年前に同じナンビクラワ族と接したプロテスタントの宣教師たちの話を聞く。

彼らはインディアンと険悪な関係になり、投与したアスピリンで一人のインディアンが死んだあと、
ナンビクラワ族の男たちはそれを毒殺されたと思い込んで、復讐を果たした。

六人の伝道団が虐殺されたのである。

レヴィ=ストロースはこの虐殺の加害者であるインディアンたちが「この襲撃の模様を楽しそうに語る」のを聞かされる。

レヴィ=ストロースの証言をそのまま引用しよう。

「私はたくさんの宣教師を知っており、その多くの者が果たした人間的な、あるいは科学的な役割を尊敬している。
しかし、1930年ころに、中部マト・グロッソに入り込んでいったアメリカのプロテスタントの宣教団は、
特異な種類に属していた。これらの宣教団の人たちは、ネブラスカ州や南北ダコタ州の農家の出であるが、
そこで若者は、文字どおり、地獄と、油の煮えたぎる釜への信仰のなかで、育てられるのである。
ある者は、保険の契約でもするようなつもりで、宣教師になった。こうして、
自分たちの魂の救済については安心してしまった彼らは、それに値するために、
もうなにもしなくてよいと考えたのである。職務に従事して出あったさまざまな出来事において、
彼らは、反逆的な冷酷さと非人間性を示した。」(『悲しき熱帯』538頁)

手元に原文が見あたらないのだが、川田順造さんが「反逆的な冷酷さ」と訳されたのはもしかすると
cruaute revoltane ではないかと推察される。だとすれば、revoltant は「反逆的」ではなく「胸がむかつくような」である。

よほどひどいことをしたのであろう。

レヴィ=ストロースはの虐殺の加害者を「とがめる気にはなれなかった」と書いている。

時代を勘案すると、この宣教団がブラジルの奥地にまで入り込み、そこで「回心」しようとしない原住民に対して
「胸のむかつくような残酷さと非人間性」を示して、ついには彼らの憎しみを買って虐殺されるに至った歴程のどこかで、
ビリー・サンディが何らかの役割を演じていたと推論することは、それほど当を失してはいないように思われる。

世界の歴史は不思議な「結び目」で繋がっている。

(以上、引用おわり)



今日の脱線で面白かったのは、靖国神社のA級戦犯分祀の話。
日本の神社の主なる宗教的機能は死者たちが生者に災いをなさないように封印する呪鎮にある。
だから平安京に災いをなす菅原道真の悪霊は北野天満宮に祀られ、天皇に叛旗を翻した平将門の悪霊は将門神社に祀られている。
つまり、神社に祀られているものの多くは「悪霊」なのである。
(ゴジラの天敵である怪獣アンギラスだって、たしか「バギダラ神社」の祭神「バギダラさま」であった)
ならば、近代以降に建立された神社に祀られるのは、心ならずも横死した死者たちのうちでも、
とりわけ甦ってきたらわが国に災禍をもたらす可能性の高い死者たちであるはずである。

靖国神社はもともと戊辰戦争での戦死者を慰霊するために建てられた東京招魂社にはじまる。
のちに幕末のペリー浦賀来航以来の政争や内戦で死亡した「国事殉難者」をあわせ祀り、
西南戦争以降は外国との戦争での戦死者も祭神とする神社として靖国神社となった。
たしか坂本龍馬や高杉晋作も靖国の祭神のはずである。
靖国神社からA級戦犯を分祀せよという主張があるけれど、これは神社本来の機能を考えたらおかしな話だ。
むしろ、日本に災禍をもたらし(あるいは災厄をもたらした元凶と見なされているせいで)
うっかり甦ると「悪霊」になりかねないA級戦犯こそ丁重に祀られるべき死者ではないのか。
分祀するとしたら、それほど戦後日本社会に恨みを抱いていなさそうな坂本龍馬ほかのみなさんを
別の神社に移す方が神社の機能としては本道だと思うけれど、なぜかそういうことを主張される方はどこにもおられないようである。

投稿者 uchida : 2004年06月29日 23:05




まさに、ダメリカはキ印(=カルト福音主義)の吹き溜まり、でしょ。

「脱米」&「排特亜」なのですよ。


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