Quantcast
Channel: ギャラリー酔いどれ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

長月です?

$
0
0
 画は谷内 六郎(たにうち ろくろう)

 1921年(大正10年)〜1981年(昭和56年)

 「週刊新潮」の創刊号から表紙絵を担当。       作


  「秋のかげろう」です。 「大人の塗り絵」よりSCANしました。


☆晴れ。

さて、本家の新規投稿です、

◆http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/73966dd140ad8f09af1871cd767b7207
(新)日本の黒い霧 2012-08-31
◎JAL123便墜落事故−真相を追う−折れなかった垂直尾翼(4)


北方領土、竹島問題、そして尖閣諸島と、最近になって突然降って沸いたように領土問題が騒がしくなっています。
長く本ブログにお付き合いいただいた読者様なら、これら日本の隣国であるロシア、韓国、中国が、
日航機123便事件に密接な関係を持つ国々であることにすでに気がついておられることでしょう。

 ・ロシア > 御巣鷹事変の紛争直接当事国−物証による確認

 ・韓国  > 在韓米軍、在日米軍朝鮮人部隊による事件処理関与疑惑

 ・中国  > 旧帝国陸軍(関東軍)と北京情報部との戦時コネクション

これらの国々は、旧帝国陸軍参謀、伊藤忠商事元会長である故瀬島龍三氏を通して
一つに繋がることに改めて気がつかされます。

瀬島龍三氏は中曽根康弘当時首相のブレーンとして、123便事件以後も日航人事に大きな影響力を及ぼした人物です。
その瀬島氏は、韓国の情報機関であるKCIA、在日・部落運動組織、
その政治工作部隊である国際勝共連合を影で操っていたと言われてます。
これら朝鮮系組織とグリコ・森永事件の繋がり、そしてグリコ・森永事件と123便事件との更なる繋がりを考察すれば、
やはり瀬島氏の関与抜きに123便事件を語ることはできません。

その意味で、現在の丹羽駐中国大使が、伊藤忠出身の民間大使であるということは大変興味深いです。
瀬島氏が作り上げた中国・朝鮮半島コネクションは現在でも健在であり、シベリア抑留中、
あるいはそれ以前から築いたとされるロシアコネクションも含め、
日本の極東外交において今以って大きな影響力を保っているように見えます。


写真1(略):故瀬島龍三氏(左)と丹羽宇一郎駐中国大使(右)
      123便事件だけでなく、戦後日本の暗部に伊藤忠商事が深く関与
      していたことは、いずれ明らかにされるであろう。


これら三国の中でも、中国・朝鮮の軍事技術が日本の産業技術に深く依存している可能性については、
本ブログでも度々触れたかと思います。
中国の核ミサイルしかり、北朝鮮のテポドンしかり、核兵器製造技術を含む日本の産業技術がなければ
達成し得なかったと言えるかもしれません。

このように、社会の闇で日本と深く繋がるこれらの国々が、領土問題で派手に争そうことに、
何か胡散臭い策略を感じるのは私だけでしょうか? このような時、最初に考えられるのが、
日本国民(当事国国民)の目を何かから逸らそうとしていることです。
では、その「何か」とは何なのか? 

私が最も危惧しているのは、国(日本の闇組織=クロカモ)は、
福島第一原発による関東・東北地方での健康被害が、数ヶ月以内に顕在化することをすでに想定しており、
その予防線として、国民感情を操作誘導する目的で、茶番の領土問題を関係各国共同で打ち上げたとするものです。

事実はいずれ分かってくるとは思いますが、御用マスコミの扇動に乗じることなく、
私たちは事の推移を冷徹に見守るべきだと思います。



■海上保安庁も事件隠蔽に加わっていた

前置きがちょっと長くなりました。下記の写真2は、
改めて123便事件関連資料を整理していた時に見つけた新聞記事です。まずは、ご覧ください。

__________________________________________________

写真2(略):横浜港に陸揚げされた垂直尾翼を報じる記事
      「海上保安庁職員たちによって陸揚げされた日航機の垂直尾翼
      部分 = 13日午後10時45分、横浜市中区の新港ふ頭で」


1985年8月14日(123便事件発生から2日後) 朝日新聞 朝刊

「尾翼の一部が横浜港着」

 事故機の垂直尾翼の一部は、第三管区海上保安本部の巡視艇「あきづき」で横浜港に運ばれ、十三日午後四十五分、
 同港新港ふ頭4号岸壁に引き揚げられた。

 甲板に置かれていた垂直尾翼の一部を、十二、三人がかりでかかえ上げ、船から下ろした。細長い台形をしており、
 日航のマークであるつるの羽の先端が一部見えた。両端の白い金属板がめくれ上がり内部の骨組みが露出しており、
 衝撃のすさまじさを物語っていた。しかし、物がぶつかったような跡はなかった。

 同岸壁に待機していた運輸省の航空事故調査委員会の、門田利周・次席調査官と、樫原福二郎調査官が、検分を始めた。
 日航職員も見入った。門田調査官は「回収されたものは垂直安定版にほぼ間違いない。
 この安定板は事故機の物である可能性が高い」と述べた。
 また、安定板の底の部分についていた製造番号は、「65B03286-1」と確認され、「747」とも記されていた。

 垂直翼の一部は巡視船「みうら」の甲板に移され、同夜はそのまま同船に保管された。

__________________________________________________


写真に写る人物の身長から推測すると、この垂直尾翼破片は1.5m×5.0m以上はあろうかというたいへん大きな物です。
また、12、3人で持ち上げたということですから、重量は軽くても2〜300kg程度はあったと推測されます。
外板を支える骨組まで付いていたということですから、いくら軽量に作られている航空機材料とは言え、
それなりの重量であったことでしょう。

鶴のマークの断片、写真2に写る物体の形状から判断すると、この物体は垂直尾翼の左側前縁部であると考えられます。
写真3から分かるように、ボーイング 747の垂直尾翼と鶴のマークの位置関係、それらの実寸などから、
この推測でほぼ正しいことが確認できます。破れた外板から反対側が透かし見えていないことから、
右側前縁部を含む垂直尾翼前縁上部が丸ごともぎ取られたことを示しているように見えます。


写真3(略):回収部分の機体推測位置


事件翌日の夜に横浜港に陸揚げされたということですから、かなり早い回収だったということになります。
すると、回収は13日の日中、日本中が大騒ぎになっている最中に行われたことになります。
公式発表では墜落場所が確認されたのが13日の早朝であり、同日日中は事故の発生した明確な場所も、
事故原因もまだはっきりとわからないはずの時間ですから、海上保安庁の巡視艇はたまたま相模湾の巡視行動中に、
海上で123便の尾翼破片を見つけたのか、何か特別な情報を得て現場に急行したということになります?
残念ながら、この記事には「あきづき」の海上行動の経緯が一切書かれておりらず、その辺は推測でしか語れません。

この早すぎる部品回収の他、これまでに浮上した垂直尾翼海上破壊説の疑問点を列記してみます


 (1) 圧力隔壁破壊、急減圧はなかった
 (2) 日航鶴のマークは陸上でも複数目撃されている
 (3) 海上自衛隊の不自然な回収部品の陸揚げ地選択
 (4) 金属部品は、通常海上で浮遊するはずがないのに、海上で回収されている

そして、この記事から伺える新たな疑問点として次の項目を加えたいと思います

 (5) 海上保安庁の早すぎる部品回収
 (6) どう考えても、垂直尾翼前縁部が海上で浮いてるはずがない
 (7) 鶴マークを含む最重要証拠なのに、事故調査報告書で検証されていない

(1)については、「折れなかった垂直尾翼−番外編」http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9b2293ff8be62ffa5c9af40e12e1f806
でも簡単に指摘しましたが、多くの専門家、書籍等でもその不合理性に疑問の声が投げかけられており、
生存者4名の証言とも全く噛み合いません。本来ならば、この1点を洗うだけでも十分に事件の隠蔽を覆せるはずなのですが、
客観的知見を提供するはずの学識経験者がこぞって体制側に着いており、この事件の根本をなす疑問は20数年間無視され続けたままです。

(2)と(7)は「鶴マーク」で関連があります。鶴マークのペイントを含む垂直尾翼の一部が本当に海上に落ちていたのならば、
その周辺部を含む垂直尾翼の大部分が相模湾上空の異変で破壊されたという事故調査委員会の報告は正しいことになります。
しかし、「見えざる人々神の鉄槌(1)」http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/3a0ea60df39207cc1f4d5ababc5617d5
で掲載した証言のように、墜落現場近くで複数の目撃者が、「鶴マーク」を目撃しているのです。
123便の陸上での目撃証言は初期の報道で多く取り上げられていますが、「飛び方がおかしい」というものはあっても、
「尾翼がなかった」、「機体の一部が壊れていた」という証言は全くないのです。
一つ一つの証言には不正確さが残るとは思いますが、何十もの目撃証言が尾翼について語っていない不自然さを
どう説明すればよいのでしょうか? 尾翼は折れていなかったのです。

(4)と(6)については、「折れなかった垂直尾翼(3)」http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/948bc5fa3d0c23cb370dddf0412dd657
と内容が重なるので詳細は省略します。

とにかく、物事を隠すにしろ、やり口があまりにも杜撰です。海上保安庁が回収したとされる部品は、
その形状、その大きさ、重量から見て、海上を何時間も浮いていたとは到底思えません。
(7)に関連しますが、事実だったら超が付くほどの重要証拠であっただろう当該部品が、
事故調査報告書で何故か十分に検証された形跡がないこと、この記事そのものの扱いが極端に小さいこと(*1)、
その後、この部品に関する追跡記事がないこと(*2)など、不明瞭な点が多すぎます。

ここからは推測になりますが、海上で異常が発生したとする国民印象操作シナリオが事件直後に急遽作成され、
それに基づいて、誰にでも分かりやすく印象的な鶴マークの刻まれた部品が海上で回収された
という事実を急いで捏造したのでしょう。但し、それがちょっと急ぎ過ぎでした。
また、隠す側でも、まともな基礎科学知識があればこんな嘘はすぐにばれることに気が付き、
その後に「鶴マーク」の目撃証言が幾つか出た頃から、大きく取り扱うのを止めたのだと考えられます。
この場合、鶴マークの強調は彼らのシナリオをかえって危うくするものだと気が付いたのでしょう。

では、この鶴マークの部品はどこからやってきたのか?
一番考えられるのは、123便の墜落現場から陸上自衛隊のヘリを使って巡視艇まで空輸したことです。


*1 小さな扱い:事件直後は犠牲者の安否が優先で、大きく取り上げる余地がなかったとも言える。
        必ずしも悪意があったとは考えられず、逆に、このおかしな状況に気がついて欲しいという、
        記者の必死の訴えだったのかもしれない。

*2 追跡記事がない:私の調査範囲でという意味。 追跡情報があれば教えていただきたい。



* * *


今回の記事で、ご注意を頂きたいのは、海上での証拠捏造に加担したのが、海上自衛隊でなく、海上保安庁である点です。
同庁は現在は国土交通省の管轄ですが、当時は運輸省の配下でした。
事故調査委員会の出鱈目など、これまでの経緯を踏まえれば不思議はありませんが、
運輸省は海上保安庁という自前の実働部隊を投入してまで日航機事件の隠蔽にやっきになっていたことが伺えます。

同時に、事故調査報告書に部品回収で登場した海上自衛隊がこの時関与しなかったことに、
同事件の取り扱いに対する海上自衛隊内の激しい抵抗を感じます。
私は、報告書に記載された、すぐにインチキだと分かる海上浮遊部品の項目、
また上記(3)にある海上自衛隊が見せた不自然な陸揚げ行動については、彼らの声に出せない抵抗であったとも見ています。


現在起きている領土問題において、海上保安庁は日本の守りの要です。
現職員の多くは本件と直接関係ないことは分かっていますが、
彼らの一部、また旧運輸省上官の一部が123便犠牲者の血で汚れた人物であることは、疑いようがありません。
前から唱えているように、私は罪を責めるつもりはありません。
しかし、事実を隠し続けることは新たな罪を作るのと同じことです。 どうか真実を私たちに話してください。
私は、あなた方も救ってあげたいと本気で考えているのです。




谷内六郎、二枚目、


左、「昭和56年9月3日号、陽なたの夢」 右、「昭和56年9月10日号、こっちのチャンネル流れてる」です。



◆http://warudakumiabaku.blog100.fc2.com/?mode=m&no=197
こりゃ誰かが絵〜書いておるな〜!! 2010/05/26
◎JAL123便 日航機墜落事故の真相


最近、特に興味深く勉強してきたことがある。

それはJAL123便 日航機墜落事故の真相についてである。

ちょうどに事故が起きたのは、私がまだ10代のころで、

もちろんその頃は、「凄い事故が起きたな〜」程度で、

その後こういったブログを始めた当初も、

この事故の、真相究明記事の存在は知っていたが、ちょっと飛躍しすぎではないかと

思う記事が多く、スルーしてきた。


しかし今、普天間基地問題がマスコミをにぎわせている中

偶然様々なサイトやPDFファイルを見つけたこともあり、

少し勉強してみたのでまとめてみたいと思う。


もちろんおことわりをしておきたいのは、

まだまだ、私自身、このテーマに関しての勉強も足りないが

ただ、この真相と思われる今回勉強したことは、

あまりにショックで、力が抜けてしまうほどであった。


基地移設問題一つとっても、日本がアメリカの属国なのは

今更ながらだが、日本の政治の中枢がここまで売国奴たちに

牛耳られ、国民の命を何とも思っていないとは、、、、。


しかし、今までこのような表に出るはずが無いことが

出るようになってきたのは、確実によい変化だと思う。


未来は明るいと信じたい。



☆日航機墜落事故の真実を求めて

 http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/

☆(新)日本の黒い霧

 http://blog.goo.ne.jp/adoi

☆日航機墜落事故の真相

 http://www.fims.co.jp/fumitaka/osutaka.pdf


1995年に当時のアメリカ軍の横田基地にいた

アントヌッチ中尉が、米軍コミュニティ紙に証言し、

一面に掲載された「アントヌッチ証言」。

 http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/acea0c09dd04784b61172500fc4edc23


この事故の情報を簡単にまとめてみる。


1985年8月12日午後6時12分に羽田を離陸した日航機123便は、

その後、相模湾上空に差し掛かったところで、

海上で演習をしていた米軍の追撃ミサイルに誤射され、

垂直尾翼が破損してしまう。


(プラザ合意のための脅迫撃墜説もある。)


そのため、横田基地への緊急着陸を当初は米軍も誘導したが、

東京の市街地に墜落して大惨事になることを恐れ、

さらには、墜落事故が起きたことだけでも、

日米同盟に、世論が猛反発することを恐れた中曽根政権は、

自衛隊機を飛ばし、群馬県に123便を誘導、

御巣鷹山に午後6時56分に墜落。

(自衛隊機撃墜説もある。)



アントヌッチ証言にもあるとおり、当初からアメリカ軍は、

その墜落場所を正確に把握していて、日本側に救援も申し出た。

また、日本側も、かなり早い段階から、墜落場所を特定していた。

加藤紘一防衛長官自身、その日、上空から墜落場所を視察している。


しかし、米軍の誤射が日航機の墜落につながった、

ということを恐れた中曽根政権は、時間稼ぎのために、

当日の捜索を行わなかった。


(捜索待機命令を無視して人命救助しようとした自衛隊員を射殺した説もある。)


墜落当日は、生存者の落合由美さんの証言にもあるとおり、

多くの人の命がまだ助かっていた。


「どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのが

はっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」

といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。」



-- 中略 --


「 突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、

男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、

それははっきり聞こえました。

しかし、さっき「おかあさーん」と言った

男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。」



翌朝、地元の消防団が救出に向かった時には、

すでにそこに自衛隊員がおり、

人命救助ではなく、なにやら物体を吊るし上げていたとの証言。

重傷者4名のみが救出される。520名の生命が犠牲に -

ということである。


この日航墜落事故に関しては、他にも、

アメリカ軍のミサイルが中性子爆弾で、その機密を守るために、日航機は撃墜された。


事故発生から救出までの16時間の間に、口封じのために、自衛隊員がアーミーナイフで

生存者を40-50名殺害した。

 http://www.asyura.com/09/lunchbreak27/msg/669.html


など、さまざまな驚愕の情報が山ほどある。



実は、NHKが20;00に速報で流している。

「20:00上野村三岐待機自衛隊一群到着。

 待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」(NHK)


その後、放送で、

NHKアナ

「ただいま長野県警から入った情報です。

現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、

何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。

続報が入り次第お伝えします」


その後


NHKアナ

「先ほど自衛隊員が何者かに

襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、

誤報だった模様です。」


かなりの圧力がかかったとはいえ、情けない。



参考記事

「JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり− 」

 http://youwonderful.at.webry.info/200712/article_5.html



500名以上の亡くなった乗客や、義憤に駆られて救助に向かった自衛官の尊い命は、もう帰らない。

そして、今も遺族の悲しみは続いている。


追記

未だ敗戦国の日本は、いよいよこれから非常に厳しい局面に立たされるかもしれません。

非暴力主義のガンジーではありませんが、

いったん『全てを手放すこと』で輝かしい未来が手に入るように思います。




谷内六郎、三枚目、



「貝の夢」です。 「大人の塗り絵」よりSCANしました。




◆http://youwonderful.at.webry.info/200712/article_5.html
横浜文化カレッジ・Yokohama CC 2007/12/19
◎−JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり−

より抜粋、


軍事中曽根のハイライトの一つは、この「JAL123軍事破壊・軍事焼却」だろう。
これで自信をつけた様は、戦前2・26事件とその後によくよく酷似している。

報告されている「 JAL123便・乗客524名死亡 」を総合するとこうだ。
JAL123便は羽田を定刻に離陸し、数分後相模湾上空で尾翼部分・激突にあう。
この時乗務員はすかさず救急信号・SOSとしての「スコーク77」を出す。
この時日本軍事たる自衛隊は、相模湾海上及びその空域で軍事演習中だ。

羽田空港・相模湾上空と云えば、民間航路にとっては銀座通りか首都高速に当たるところだろう。
そこで軍事がこれ見よがしに実弾訓練をして居たのだ。
当時民間航空機は、軍事の弾が飛んで来るのは当たり前で、ヒョイヒョイよけながら飛んでいたのか?

次に「誘導墜落現場」の御巣鷹山だが、これも日本軍事作戦行動として見ると、よくよく分かって来る。
恐らく当時の軍事心理としては、相模湾上空での民間機軍事破壊発覚以来、
「一切を軍事隠蔽せよ!」との指令だったのだろう。


ところで「自衛隊・救助に向かった自衛隊員を射殺・NHK第一報」は、
勇気ある報道で、せめてもの慰めだ。
この後全てのマスコミは、「軍事中曽根」の前に沈黙を決め込む。まあ腰抜けといえば腰抜けだわな。

次に「奇跡的四人の生存」の件だが、これは現場自衛隊員による、
上官命令に逆らった「名誉ある反乱」の結果だろう。
軍事隠蔽からすれば「全員死亡」がシナリオだった筈だ。
御巣鷹山墜落現場に辿り着いた消防・救命救急及びアメリカ軍・救命救急まで「軍事拒否」している訳だし。


たまたま自衛隊員が真実を語る

・当時から今日まで友人が語ってくれた話がどうしても私の脳裏から離れる事ができないのです。
 事故当時、航空○○隊に勤務していた友人が、事故から数週間後に休暇を貰って地元に帰ってきた時に聞いた、
 本当の話です。友人は、私(普通の一般人)に対して嘘をつかなければいけない理由なんてないだろうし、
 そして、まだ事故原因も分かっていない時期に、私に、いずれは分かると思うんだけど
 (直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)...と言って話してくれた事は、
 「123便の事故は、本当は○○隊が○落させたんだよ。当時訓練で標的機を飛ばしていて、
 それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。
 墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と言っていました。
 当時まだ事故から数週間しか経っていない時にそう言ったのが当時、凄く印象的でした。
 もちろん当時私は半信半疑でしたが、今考えても彼が私に嘘を語る理由もないし、
 嘘の話をしたところでなんにもないのです。ただ、彼も自分が知っている事を誰かに話したかったんだと思います。
 そして、一般隊員(だと思います)の彼が知っているくらいだから、
 当時○○隊内ではこの話を知っていた人は結構いたのではないでしょうか。私がこの話を投稿
 (このような話を真実と確認していないのにいいのかと迷いましたが、聞いた話は本当だったので)したのは、
 「8・12連絡会」が発行した「旅路」を目にしたからです。

・実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、
 わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。

 2007.04.04 Wednesday  [裏・闇を照らす目]
 御巣鷹山日航ジャンボ機事件の真相 4つの目で世の中を考える


これもまた鋭い資料だ!!!

2007年08月27日
●衝突6分前から気付いていた操縦クルー(EJ第1056号)
御巣鷹山事故の謎/06]





◆http://johnbenson.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-3143.html
地球という眼球にあらわれた飛蚊症  2009年3月29日 (日)
◎ブログ「日航機墜落事故の真相」 (2)

より抜粋、

☆http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-84.html

最後に(上記と同じページから)引用します。

中性子爆弾使用説 (アメリカ軍の巡航ミサイル?)

123便は開発段階のアメリカ軍の巡航ミサイルの照準実験のターゲットにされたと考えている。
不明飛行物体が前からつけ回している、と機長が気づいていて非常な不安があったから
大音響のあとスコーク77を発した。
富士山近くでCVR音声が途絶えているのは不明の戦闘機との交信に費やされ
その正体を見るために旋回していたと推測される。
墜落直前には羽田に戻るための右旋回を妨害され、直後にミサイル攻撃されたと航跡からも推測される。
その妨害する戦闘機との交信や飛行妨害に 対処するためイライラしていたため
あのような言葉使いになったと考えるのが経験豊かな機長に対しては 妥当な考え方であろう。

住民が何人も火を噴きながら落ちていくのを目撃している。また、遺体の遺骨は
3センチ刻みでザクザクに骨折したものが多くあったというがこれはミサイルでしかありえない。
当時のレーガン、中曽根の 西部劇でもやっているかのような幼稚で好戦的な反共主義と
1パーセントを 何としても越えたい防衛費枠など時代背景をよく記憶しているものとしてはうなずける背景がある。

アメリカ軍産複合体などはありとあらゆることをやりかねない狂気の集団である。
コソボにおいてもありもしない 大量虐殺をでっちあげて巡航ミサイル攻撃を敢行している。
ベトナム戦争の契機となったトンキン湾における事件もでっちげ、謀略であったことが今はわかっている。
この集団に対してはクリントンなども抵抗できない。
抵抗すればケネディの二の舞となろう。・・・

アメリカの走狗となっている自衛隊が事件の後始末をすることは当然であり
墜落後のその不自然な行動はそのせいである。
何と加藤防衛庁長官が当日にへりで陣頭指揮をした可能性がある。へりで飛んだことは間違いない証言がある。
氏は、山形にひっこんでいるが中性子線から逃げているのだろう。 トヨタも名古屋に引っ越した。
20年経ち御巣鷹の伏流水が当時のものに入れ替わり中性子線の放射線量が強くなってきた。
関東はもはや住めない。広島、長崎、第五福竜丸と、実験体にされ、御巣鷹も起こった。
所詮我々はイエローモンキーであり実験道具でしかない。
いずれにしても諸般の事情を総合的に鑑みれば、アメリカ、自衛隊の秘密実験の標的とされ
故意に 撃墜、虐殺されたことはほぼ間違いないことである。

状況証拠から見た123便

123便はプロペラのついた飛行体が垂直尾翼にぶつかり尾翼の大部分が欠損。
(相模湾から回収された垂直尾翼の残骸にはプロペラの形)
ぶつかった飛行体は小型中性子爆弾搭載。機は中性子線を浴びる。
(伊豆半島東側海岸線の岩が放射化、乗客の姿に風化)
機長らは比較的もうろうとしているが急減圧の影響ではなく「急性原爆症」の症状。(CVR)

機は横田もしくは羽田に着陸しうる状況にあった。着陸可能だったと推定される。
(ギアを出してから平地上空では機体は安定している。 CVR)

乗客に放射線障害が出る可能性から着陸を阻止。御巣鷹方向へコントロールされる。
空峠の先で中性子爆弾を被弾。その瞬間の機内の地獄は大地に強く放射される。
21年経っても放射化された大地から放射される中性子線はなかなか減少しない。

もう一つ中曽根元総理の別荘における盗聴されたとされる発言があります。
それが真実であるか否かは闇の中。
その中の言葉に官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対して。
「私はこんな事のために総理大臣になったわけじゃない」......
総理がみぞうの都市部墜落の大惨事を恐れて許可する条件として言い出した。
「国民に撃墜を知られないようにできるなら許可しよう」、
目撃者が出たらどうしますかに対して「何とかしろ」
「殺せという意味ですか」に対して「私をこれ以上人殺しにするつもりか」と怒鳴り
「何とかしろは何とかしろという意味だと」怒鳴っていた。




闇は深まるばかりです。

中曽根と加藤紘一は真実を知っておる。 喋ってから冥土へ旅立て、 さもないと・・・



追:2:00PM

飯山のとっつあんが、また飛ばし始めておるのだがw

☆http://grnba.com/iiyama/
飯山一郎『てげてげ』


◆2012/08/30(木) 横田めぐみさんは生きている! (27)

◆2012/08/30(木) 横田めぐみさんは生きている! (26)

◆2012/08/30(木) 横田めぐみさんは生きている! (25)


以前にも書いたが、真逆の論者がおるのよw


◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2012年 08月 27日

#で、今朝(=8・31)の産経が、1麺のアタマでデカデカと、
「横田めぐみさん、少なくとも01年の時点で生存」ってことで、
北のわがままおやぢんところに精通する消息スジetcのハナシとして、
ニッポン政府が持っている情報として、
「死亡が伝えられている94年以降、同年9月に別のコーサク員の再婚し、
96年11月に男児を出産し、少なくとも01年の時点で生きておった」っていう、
ガセネタをピャーッと飛ばしておったなあ。

そうなんよな、コイズミの訪朝から、この「9・17」でちょうど、まる10年だから、
それでまた、この拉致モンダイも、チョット盛り上がってきとるんだな。
コレについては、ワシが去年の10月に出した
『の祖国 北朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で「何もしゃべれない」のか?』
(第三書館、ハードカバー・478頁、1800円+税)で、本
当のことを全部、書いとるんで、頼むから、買うて読んでくれよ!


#「上」の続きで、だから、蓮池薫は知っとるのに、まだ、
口にさるぐつわがハメられておるんで、喋れずにおるんだが、その「94年3月」だよなあ。
オモテ向きには「中国との国境地帯にある、隔離病棟」に入れられた
っていうことになっておるんだが、本当は「強制収容所」、それも、
再教育すれば釈放の可能性のある「革命化区域」でのうて、
入ったら2度と出れん「完全統制区域」の方に放り込まれておるんだ。
ココに放り込まれたっていうのは、満足な食事も与えられず、炭鉱労働 etcに従事させられ、
「どんなに健康な人間でも、せいぜい、持って5年」といわれておって、事実上、
「死刑」を宣告されたに等しいんだからな。だから、田原総イチロウも言っておったように、
「生きておらんで、死んでおるのは、外務ショウもわかってる」ってのは、その通りなんだ。


#さらに続きで、横田めぐみは、中1んときに、あんなふうに無理矢理、
北のわがままおやぢんところのコーサク員に拉致されてきたんで、
精神的なトラウマを抱え込んでおったんで、その後、金英男と結婚してからは、
平壌の招待所で、蓮池薫とか一緒に住んでおったんだが、
ニッポンに帰りたくて、何度も脱走を繰り返しておったため、
そこのグループのリーダー格だった蓮池も、トウの上の方から叱られて、手を焼いておったんだ。

ただ、この「強制収容所」の存在は、「公開処刑」と並んで、
北のわがままおやぢんところの「統治の根幹」そのものなんだから、とてもぢゃないけど、
「横田めぐみは、強制収容所に放り込んだやで!」なんて、口が裂けても言えんからな。だから、
「ジサツした」っていうふうにしか、言うしかねえんだ(笑)

でも、そうやって、拉致被害者の「安否に関わる情報」、特に「生死に関わるブブン」については、
あの有本恵子の両親が、田原総イチロウを相手取って、恫喝ソショウを起こしたように、
すぐ、口封じに出るんで、どこも「見て見ぬフリ」だよなあ。
ましてや、ウワシン襲撃ジケンを起こした日本青年社みてえな、
人をコロすことを屁とも思っておらん右翼の連中が、周りを取り囲んでワーワーと騒ぎ立てて、
そういう核心情報が出てこんよう、有形無形の圧力を加えておるから、余計、
「触らぬ神に祟りナシ」っていう、ド腐れ状況に陥っておるんだよな。
だから、今度の産経みてえに、「ガセネタの書き得!」っていうことなんだよな(笑)


#で、その拉致モンダイだが、そもそも、「モンダイの全面解決」とは、何を指すのか ? 
もし、それが、70人とも100人超ともいわれる、横田めぐみのように、ニッポン国内etcから、
コーサク員によって無理矢理、北のわがままおやぢんところに連れ去られた人たちが、
即、全員、帰国するということであれば、それは、ほぼ、ゼロに等しい。

んで、「02・9・17」のコイズミ訪朝によって、安否が明かされたうち、横田めぐみ、有本恵子ら、
ニッポン政府らが「公式認定」しておる拉致被害者についてだが、
金賢姫の教育係だった「田口八重子」を除いては、生きておらん、
つまり、既に亡くなっておるというのは、ほぼ疑いの余地はない。なぜなら、生きておれば、まっ先に返す。

だって、10年前のコイズミ訪朝ってのは、あくまで、目的は「日朝国交正常化」のため、
平壌に乗り込んでいって、わがままおやぢと直談判してきたワケで、
向こうだって、バカぢゃねえんだから、
「国交正常化」でもたらされる「経済支援(=カネ)」っていうことを、秤にかければ、
生きてれば、必ず返す。そうやって、「帰ってこない」ってのが、既に死んでる、何よりの証拠だ。


#「上」の続きだが、モンダイは、そうやって、向こうが「死亡を通告してきた、横田めぐみetc」について、
「亡くなった経緯」について、何一つ、マトモな説明がなかったこと、それに尽きるよなあ。
だって、「病死」「ジコ死」「ジサツ」といわれたって、まだ、
30━40代っていう若さで、誰が信じるかってんだよ?

だから、そうやって、「死亡を通告された拉致被害者」ってのは、そのほとんどが、
強制収容所、それも、「完全統制区域」っていう、2度と出てこれん方に放り込まれて、
事実上、コロされたようなもんだ。
「そこ」をニッポンの外務ショウは突いてだな、
「いつ、どこの強制収容所で死んでおるのか、真実を明かせ!」と要求するのが、本当の外交ではないのか。
そういう北のわがままおやぢんところの「ウソの説明」を、
「ハイ、わかりました!」と鵜呑みにしとって、どないするんや、このアホンダラが!

そこで、唯一、生存の可能性のある「田口八重子」だが、なぜかというと、
彼女は「金賢姫の教育係」だったからだ。あの大韓航空機爆破ジケンってのは、「ソウル五輪阻止」っていう、
その政治目的こそ達成デキんかったが、コーサク自体は大成功したワケで、
そういう場合は、「後学のため」、下手に殺ショブンはせんってんだな。
ただ、その場合、もし、生きておっても、現体制ではゼッタイに返さん。
なぜなら、金賢姫との「ツーショット対談」でもヤラれた日には、メンツ丸潰れだからな(笑)

以上、これらのスペシャル情報は、ワシの『の祖国』
(第三書館、ハードカバー・478頁、1800円+税)に、全部、ピャーッと書いておるんで、
頼むから、皆さん、買うて読んでくれよ!



最近、やたら北を持ち上げる胡乱な論調が目立つのだが、

北朝鮮は大日本帝国陸軍の残置諜者が「第2の日本」として建国した国である、とか。

所詮、南と同じエベンキ屑チョンに異ならず、似たり寄ったりころんだり、如何なものかと思うわけです。

手前は古川説を支持したいと思うねぇ。

金正日が日本人=「金策(畑中理)の息子説」なら、かかる極悪非道の犯罪をやるかね?

鮮人のおぞましい血ではないのか。

略取誘拐&殺人は重罪、間違いなく「死刑」案件ですよ。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

Trending Articles