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長月のすへ

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 画は バルテュス Balthus

 1908年~2001年 フランスの画家。
 
 本名は (Balthasar Michel Klossowski de Rola) 。
 1967年に出田節子(いでた せつこ)と結婚。
 ピカソは バルテュスを「二十世紀最後の巨匠」と称えている。      作


  「白馬の上の 女性曲馬師」(1941年/1945年 油彩、ボード)です。


☆雨。

颱風一過、沖縄の皆さん 投票所へ!

沖縄に 基地など いらんのですよ、

◆https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/9428
長周新聞  2018年9月29日
◎6歳で経験した 沖縄戦  
 金城ハツ子氏(那覇市)の 体験より


本紙は沖縄県知事選の取材と並行して、米軍基地が建設される契機

となった沖縄戦において県民はどのような体験をしたのか、

年配の方々に話を聞こうと取材を進めてきた。

今回は、家族の多くを失い、戦災孤児となった経験を持つ金城ハツ子氏
(当時6歳、那覇市在住)の体験を紹介する。


◇-----◇


戦争当時、私は6歳で、糸満市賀数にあった実家で、

両親と8人の兄弟、祖母や叔母とその子の13人で暮らしていた。

家は農業と商売をしていたが、父は防衛隊に召集されていなくなった。

叔母は足の病気で寝たきりになり、その息子は鉄血勤皇隊に入り、

南部でびっこを引きながら逃げていたと聞いたが、

どこでどのように亡くなったのかはわからない。

長姉は、戦争が始まる前に腸チフスにかかって亡くなり、

私たち兄弟も六女まで5人が感染したが入院してなんとか助かった。

病院にいる頃に沖縄での戦争が激しくなり、毎日のように「ドドーン」と

砲弾の音が聞こえていた。

賀数の実家は大きかったので、米軍の空襲で真っ先に焼かれ、

私たち家族は防空壕で生活した。

毎朝、トンボ(米軍の偵察機)が飛んできたら壕に逃げる生活だ。

壕の前のイモやキビ畑から食料をとっていたとき、

トンボの機銃掃射を受けて2人が即死し、

母も太ももを貫通する大けがを負った。

病院に行けないので、いつも母は傷口から機銃の破片をピンセットで

抜きとろうとしていたのを覚えている。

この壕が敵に知られてしまったため、親戚の壕に避難した。


ある日、壕に2人の日本兵が入ってきた。

1人は頭に、もう1人は腕に包帯を巻いていた。

日本兵は、生後6カ月の弟に銃を向け

「この子を連れて壕を出ないと 殺すぞ」といった。

赤ん坊が泣くと敵に見つかる危険性があるからだ。

太ももの傷が治っていない母は、赤ん坊に母乳をあげることで

傷の治りが遅くなるともいわれていたので、結局、

女学生だった次姉が 弟を連れて壕を出ることになった。

その次姉が親戚と避難を続けていたある晩、糸満の白銀堂付近を

海づたいに南へ避難しているとき、米軍が張りめぐらした鉄条網に触れ、

たくさんの弾が飛んできた。

次姉は腕を負傷し、我が子を負ぶっていた叔母は脇腹をえぐられ、

片腕をそぎ落とされた。 赤ん坊は弾よけになって叔母の背中で息絶えた。

叔母たちは避難することはできなくなり、翌朝に米軍に投降した。

叔母は死んだ赤ん坊を その後何日も負ぶったままだったそうだ。

身代わりに死んだ我が子を自分の手で埋葬するよりも、

負ぶっている方がまだ楽だったのだろうと思う。



☆ガスをまかれ 母と生き離れた

私たちが生活を続けた壕の真上では、焼け残った民家を

米軍が陣地にしたらしく、毎日米兵たちが話す声が聞こえていた。

包帯を巻いていた日本兵は、頭の傷にたくさんのウジが湧き、

包帯の隙間からぽろぽろと地面にこぼれ落ちていた。

この日本兵たちも いつの間にかいなくなっていた。

煙を出すと米軍に見つかるので火を炊けず、わずかな麦を水でふやかし、

それに黒糖の粉をかけて食べた。 それが唯一の食料だった。

物音を立てることができないので、

食事をするとき以外は みなまったく動かなかった。


ある日の朝、米軍は壕の中にガスを撒いた。

すでに私たちが隠れていることを知っていたのだ。

ガスの真っ白い煙がもうもうと立ち込めて何も見えなくなる。

私たちは身を寄せ合い、母の見よう見まねで一枚の濡れタオルに

口を当てて呼吸した。 ガスを吸うと声が出なくなり、

体がだるくて座っていることもできない。

母の傷も癒えてきたころ、これまで静かにしていた母が急に

荷物をまとめはじめた。「なぜ?」と子どもながらに不信に感じ、

その日は寝ずに夜中まで起きて母を見守っていたが、

いつのまにか眠りに落ちていた。

目を覚ますと、母と9歳の長男、女学校を出たばかりの三姉が

壕からいなくなっていた。「まだ近くにいるかもしれない!」と思い、

私はすぐに壕の外に飛び出し、周囲に米軍がいることも忘れて、

母の耳に届くことを信じてワーワーと大声で泣いた。

妹と四姉も出てきてみんなで泣いた。

だが、二度と再び母たちを見ることはなかった。

壕に残されたのは、6歳の私、3歳の妹、ボーッとした性格の四姉と

祖母の4人。 思えばみんな足手まといになるものばかり。

米軍に包囲されるなか、母は

「どうせ全滅するのなら、せめて長男だけでも…」と思った

のではなかったかと思うが、いまもやりきれない思いがある。


その日、2回目のガスを撒かれ、母がやっていたように私たちは

タオルを口に当ててしのいだ。

非常食として保管していたムギや黒砂糖、炒った大豆などの食料だけは

置いてあった。 母の我が子へのせめてものつぐないだったのかもしれない。

見よう見まねで水に浸して食べた。私は妹から片時も離れずに抱いていた。

彼女は母がいなくなってからも 一度も泣かなかった。

よく辛抱したものだと思う。



☆3歳の妹を背負い逃げ惑う

ついに3回目のガスを撒かれ、今度は壕の入り口に火を付けられた。

炎が近づき、怖くなって「逃げよう」となり、

夜になって私は妹を背負って壕から出た。

祖母も出てきたが、四姉は恐ろしかったのか、

いくら待てども壕から出てこない。

「このまま外にいたらみんな殺される!」と思い、

3人だけで逃げることになった。

ガタガタ震えながら3人で歩いていると、

すぐに米兵に見つかり捕虜になった。

隙を突いて逃げようとしたが、またすぐに捕まった。

米軍のGMC(トラック)の荷台に乗せられ、

どこかの山の裏にある金網に囲まれた収容所に着くと、

私と祖母はそこで降ろされた。

だが妹だけは、案内役の老人から「この子は病院へ連れていき、

治療してから また連れてくる」といわれた。

「ガスを吸ってフラフラしているだけでケガではない! 

降ろしてくれ!」と、祖母は帯の下に隠していたお金まで出して

妹を返すように懇願したが聞き入れられず、

トラックはサッと収容所から出て行ってしまった。

これが妹との生き別れだった。


私と祖母はその後、北中城の捕虜収容所へ移動した。

2人とも頭からDDT(消毒剤)をかけられ、丸坊主にされた。

次に宜野座村の収容所へ移され、枝打ちの開墾作業に従事した。

ここで偶然、生後6カ月の弟をつれて壕を出ていった次姉と再会した。

私たちと別れた後、どこかで親戚と合流して逃げ回っていたようだが、

生後6カ月だった弟がいない理由を訪ねると

「栄養失調で 死なせてしまった」と話していた。



☆捕虜収容所は墓地となった

捕虜収容所では 栄養失調でたくさんの人が死んだ。

収容所は墓地でもあった。 男手はみんな墓掘り作業だった。

祖母はこの収容所で亡くなり、たくさんの遺体と一緒に収容所に埋められた。

配給される食料は 米が数えるほどしか入っていない お粥しかなく、

働ける人は米と味噌汁がもらえたが、

のぞけば顔が映るような「鏡の汁」といわれていた。

イモは皮を剥くのはもったいないから丸ごと食べた。

木の根のようにやせ細った芋や石垣に這った草、

地面に生えた雑草など 食べられるものはすべて口に入れた。

それだけみなひもじい思いをしていた。


戦災孤児になった私は「孤児院へ行きなさい」といわれたが、

偶然、叔母に出会って引きとられた。

それからテント小屋の小学校へ通わせてもらった。

親がいる子は鉛筆を持っていたが、私は休み時間になると

校舎の外へ出て、地面に落ちている鉛筆の芯を探し、

それを使って授業を受けていた。

中学校までは卒業したが高校へは行けなかった。

時計が読めるようになったのは中学に入ってからだった。

叔父一家は、子どもが7人いたが、叔父は防衛隊、長男は工業高校で

みんなバラバラで逃げていたという。

最後は友軍(日本軍)の手榴弾による自決の 巻き添えになり、

兄は指を失い、姉は目を失って義眼を入れ、

亡くなるまで頭には弾の破片が入っていた。

火葬をしたさいに破片が出てきた。

母の妹(叔母)は、目の前で夫が米軍に射殺され、

叔母は背中に負ぶっていた子どもが自分の身代わりで亡くなり、

いつまでもその子を負ぶって逃げたという。

本当に酷い話ばかりだった。


戦争は家族を引き裂いて奪っていった。

生き別れになった妹だけは 今も生きていると信じているが、

家族は 誰一人 骨もない。

沖縄では、今も壕を掘れば遺骨や遺品がたくさん出てくるし、

学校の校庭からも 艦砲の不発弾が見つかる。

空から米軍の部品が落ちてくるたびに ゾッとする。


私たちにとって戦争は終わっていない。

国はアメリカのいいなりで 危うい方向に進んでいる。

軍隊が住民を守らず、一番弱い人たちが犠牲になったのが沖縄戦だった。

米軍であろうと、自衛隊であろうと、

戦争をするための基地は 沖縄にはいらない。

人間の殺し合いでしかない戦争は 二度と起こしてはいけない。



Balthus、二枚目、



「ギター・レッスン 1934」です。



相も変らぬ 悪しき「国連中心主義」ですなぁ、

いいのは最後の段のみだな、小澤一郎の限界です、

◆https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180927-00000037-sasahi-pol
AERA dot.  9/28(金)
◎小沢一郎が 改憲と沖縄県知事選を語る
 「日本政府が 米国に何も言えないことが 最大の問題」〈dot.〉


安倍首相は残り3年の任期で 悲願の憲法改正を実現するため、
次の臨時国会で自民党としての憲法改正案を提出する
ことを目指している。

圧倒的多数の与党議席を力に中央突破をはかる構えだが、
9月30日には沖縄県知事選が投開票となる。

結果次第では、与党内で安倍首相への求心力が下がる可能性があり、
憲法改正への道筋に影響が出る可能性もある。

一方、野党である自由党の小沢一郎代表は、
安倍首相が目指す憲法改正の発議について
「やりたければ、やればいい」と話す。

その真意はどこにあるのか。

また、沖縄県知事選のポイントは何なのか。 小沢氏に聞いた。


*  *  *


──憲法改正のポイントはどこにあるのでしょうか。

衆議院と参議院のあり方を見直すことは一つの大きなテーマだ。
参議院は「良識の府」と呼ばれていますが、

選挙をするとどうしても政党化してしまうので、
日本の国会は衆参で同じことをやっている。

国民の批判もそこにあります。


──二院制をどのように変えればいいのでしょうか。

衆院議員はその時々の有権者の意思を反映する代表として、
選挙を通じて選ぶ。

一方で、参院議員は選挙をしない形で代表を選ぶ方がいい。
都道府県代表でもいいし、職域、あるいは文化芸術分野からの代表でもいい。

どのように選ぶかが問題になると思うが、
衆議院の各党代表による選考会で選ぶのも、1つの方法でしょう。


──英国の貴族院のようになるべきということでしょうか。

「権力なき貴族院」ということですかね。ねじれ国会の問題も起きないし、
参議院も本来の「良識の府」になることができます。


──安倍首相は憲法9条の改正に意欲を見せています。

衆参両院で3分の2の議席を持っている間に、数の力で発議をしたい
のでしょうね。

野党が「ゆっくり議論しましょう」と呼び掛けても、話が通じない。

おそらく強行採決で憲法改正の発議をするのでしょう。

(公明党の支持母体である)創価学会が 納得するかはわかりませんが。

ただ私は、発議はやりたければ、やればいいと思っている。

おそらく、国民は安倍さんが思い描いている憲法改正には賛成しませんよ。

国民投票で否決されれば、安倍内閣は総辞職するしかない。

それでいい。 (不正投票対策は?)


──安倍首相の考える憲法改正と 国民の思いには、
  どのような違いがあるのでしょうか。

国民はそもそも自衛隊を海外派兵するような憲法改正を望んでいません。

2015年の安保法制成立で、自衛隊の海外派兵が法律上、可能になった。

一方で、憲法違反の疑念が残りました。

そこで9条に「自衛隊」という言葉を入れることで

憲法上の問題を解決したように見せようとしているわけだけど、

それは国民が認めないでしょう。


──小沢代表は自民党時代から9条の改正論者で知られていますが
 、安倍首相の考え方とどう違うのですか。

9条には「国権の発動としての 武力行使はしない」と書いてある。

世界の歴史は、個々の国が自衛権を発動することで

戦争が繰り返されてきました。 それが20世紀の二度の世界大戦を経て、

個々の国による勝手な武力行使はやめようとなり、国連ができました。

人類の知恵です。

ところが、安倍首相は自衛権の延長で 海外派兵をしようとしている。

では、世界のどこかで他国を侵略する不心得者の国が出てきたら

どうするのか。国連憲章42条には「国際の平和及び安全の維持又は回復に

必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる」と書かれています。

そして、日本国憲法の前文には

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から

永遠に除去しようと努めている国際社会において、

名誉ある地位を占めたい」と書かれていて、

国連の行動に全面協力するのは日本国憲法の理念でもある。

だから、日本国憲法にも、国連を中心とする平和維持活動に

日本が積極的に参加するという条項を加えればいいのです。


──国連の軍事活動に参加することは、9条違反になりませんか。

なりません。これは、東大の国際法学者で最高裁判官長官を務めた
故・横田喜三郎さんも同じ主張をしています。

付け加えると、安倍首相の私的懇談会
「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が14年5月に出した報告書

を見ても、国連による 武力行使や平和維持活動への貢献は、
日本国憲法に反するものではないという考え方が入っている。

このことは、私が20年以上も前から言っていたことです。

しかし、安倍さんにとっては、この考え方では困るんでしょうね。

なぜなら、自衛隊の海外派兵は国連の活動に参加する形でしか

認められないから。

だから、私的懇談会で答申が出ても、安倍首相は採用しようとしないのです。


──野党には武力行使をともなう自衛隊の海外派兵は認めるべきではない
  との意見もあります。

あります。 でも、それはおかしい。

自分の国が侵略された時は助けてもらうのに、他国は助けないのか

という議論になる。 「非武装 中立」と同じ利己的で、非現実的な話です。


──武装解除や選挙監視など、非軍事的な支援だけではダメですか。

非軍事的な支援であれ、軍事力の行使であれ、

あくまで国連の方針に従って行動するということです。

軍事力の行使についてわかりやすい例をあげると、

日本の国内でも、武器を持った犯罪者がいれば

警察官は銃の使用、すなわち武力を行使することは認められているでしょう。

持って応戦するでしょう。それは国際社会でも同じこと。

国連の指揮のもとで治安を守る活動をするときは、

一定の条件下で警察と同じように武器の使用が認められるのは当然です。


──米国との集団的自衛権ではなく、国連の「集団安全保障」に参加する
  という考え方ですか。

そうです。「集団的自衛権」と「集団安全保障」では言葉が似ていて
まぎわらしいから、私は自民党にいたころから
「国際 安全保障」という言葉を使っています。


──安倍首相をはじめ、国連中心主義には批判的な人も多い。

その人達は、日米同盟うんぬんと言いながら、

日米安保条約を読んだことがない人達です。

安保条約の第5条には、「安全保障理事会が 国際の平和及び安全を回復し

及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない」

と書かれています。

なぜ、このような規定があるのかというと、

日本が侵略された時、国連安保理で対抗措置が決定されるまでに

タイムラグがあるからです。

一方で、国連が対抗措置を決定した場合、日米の行動はそこで終結する。

それが「国連中心主義」ということ。

日本国憲法、国連憲章、日米安保条約は

同じ理想、理念に基づいてつくられていて、この3つは「三位一体」なのです。


──9月30日には、沖縄県知事選が投開票となります。
  翁長雄志前知事は、日米同盟が沖縄の犠牲のうえに成り立っている
  ことを批判していました。

これは日本政府が悪い。 

弱腰と手抜き、臆病さ。

米国の軍事戦略は大きく転換しました。

まず、米国は実戦部隊を最前線に置く必要はないと考えている。

日本は、地政学的に中国とロシアと対峙していますが、

沖縄の海兵隊も事実上はグアムに行ってます。

たしかに、部隊を緊急発進させる際の偵察や通信など、

各国との協調作戦の機能は日本国内に置いておく必要があり、

それには沖縄が便利ではある。

しかし、辺野古に 海兵隊の飛行場を新しく建設することは

軍事的に必要ありません。

美しい海を埋め立てる必要はないし、そもそも米国内で

あんな飛行場を建設しようとしたら、米国民は反対しますよ。

この問題は、日本が米国ときちんと話し合えばいい。

米軍が撤退して 国内で軍事的能力に欠けた部分が出たなら、

日本が自国で整備すればいい。それだけのこと。

日本政府が米国に何も言えないことが 最大の問題なのです。


──沖縄県知事選に求めることは。

沖縄については、県内の人でも「基地から お金をもらっているから

いいじゃないか」いう人もいますが、

それでは何の問題の解決にもならない。

まずは沖縄が一つになってほしい。

(聞き手/AERA dot.編集部)



Balthus、三枚目、



「グランシャレの お茶会」です。



米国債など 所詮「屑債権」でしかない わけです、

買い支えなければよい だけのことだw

主敵・ユダ米、仮想敵・共産支那 消耗戦の共倒れが望ましい、

◆http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/600.html
投稿者: 赤かぶ 日時: 2018 年 9 月 26 日  kNSCqYLU
◎貿易戦争 中国の切り札「米国債 売却」で
 日本に シワ寄せ(日刊ゲンダイ)


▼http://asyura.x0.to/imgup/d9/1520.jpg

☆https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/238163
日刊ゲンダイ  2018/09/26 


トランプ政権は24日、中国に対する2000億ドル(約22兆円)規模の
追加関税第3弾に踏み切った。

中国は対抗策として600億ドル(約6兆6000億円)の追加関税を発動。

米中貿易戦争はエスカレートするばかりだ。

「トランプ大統領は第3弾の追加関税を10%にとどめ、

来年1月から25%に引き上げるとしています。

その理由は、米企業に中国以外の調達先を探す時間を与えるため

といわれています。

市場には、米中貿易戦争は11月の米中間選挙まで

という見方が流れていますが、危険な読みだと思います」
(株式評論家の倉多慎之助氏)

日本企業への影響も出始めている。

旭化成は中国・江蘇省で生産していた米国向け製品を日本に移管。

アシックスは主力製品の靴が追加関税第4弾の対象になりかねないため、

ベトナムやインドネシアで生産を強化する検討に入った。


米中貿易戦争は、輸入総額の多い米国が有利だといわれる。

中国から米国へは5050億ドル、米国から中国は1300億ドルだ。

中国はすでに1100億ドル分の追加関税を発動済みで、

残りは200億ドル分しかない。

「だから、別な手を打ってくるはずです。

考えられるのは 通関を遅らせることです。

中国人活動家がノーベル平和賞を受賞したときは

ノルウェー産のサーモン、南シナ海問題ではフィリピン産バナナの通関を

かなり遅らせ、品物を腐らせたといわれます」(市場関係者)

中国政府が操る米国製品の不買運動もあり得る。

米国を代表するスーパー「ウォルマート」は 中国に約420店舗、

コーヒーチェーン「スターバックス」は約3300店舗ある。

さらに「コカ・コーラ」「ナイキ」「ギャップ」など

米国製品は中国でも人気なだけに、米企業は大打撃だ。

米国への旅行を制限する手段に出る可能性もある。

「それでも米国が手を緩めなかったら、

中国は最後のカードを切る危険性があります。

世界一の保有額を誇る米国債の売却です。

大量に手放すとチラつかせるだけで、米国債は暴落します」
(株式アナリストの黒岩泰氏)

中国は米国債を1兆1710億ドル(約129兆円=7月時点)保有する。

日本の1兆360億ドルより巨額だ。

「トランプ大統領は米国債の暴落を食い止めるため、

裏で 日本に買い支えを要請してくるでしょう。

安倍首相が拒否できるとは思いません」(黒岩泰氏)

米中貿易戦争の最終局面で ババを引くのは 日本かもしれない。



隷米売国・自公政権では ダメなのですよ。

誰か 精密な日米関係のバランスシート を公表して欲しい。

日本の大幅な持ち出し だろうと思う。

トヨタなど 雇用には貢献しておるのかもしれんが、

碌に納税しておらぬし、消費税の還付金で しこたま儲けておる。

日米安保など 日本の極端な持ち出しで

在日米軍は強欲そのものの 金食い虫 タカリ虫 でしかない。

再考、再検証、日米関係ですよ。


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