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皐月の空Ⅳ

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 画は 歌川 國貞 (三代豊國)

 天明6年(1786年) ~ 元治元年(1865年)

 号は、香蝶楼・一雄齋・五渡亭など                 作


  「暦中段尽し 建(たつ) 意勢古世身(いせこよみ) 

  見立十二直 皐月 初幟(さつき はつのぼり)」です。


☆曇り、気温低め。

昭和天皇は現行憲法、ガン無視だったらしいw

◆https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201805030000/
櫻井ジャーナル  2018.05.03
◎米国政府が 反ファシスト派から 反コミュニスト派へ
 切り替わった直後にできた 日本国憲法(その1)


現行の「日本国憲法」が施行された1947年5月3日当時、
アメリカ政府内では反ファシストを掲げ、
労働者の権利を認めようとしていたニューディール派の影響力が低下、

反コミュニストで巨大企業の利益を優先しようというウォール街派が
主導権を握っていた。

ニューディール派の中心的な存在だったフランクリン・ルーズベルト大統領が
1945年4月に急死したことが大きい。

本ブログでも何度か指摘したように、1932年の大統領選挙で
ルーズベルトが勝利した直後から ウォール街派は

ニューディール派と対立、33年から34年にかけてのころには
ファシズム体制の構築を目指したクーデターを計画していた。

この計画はウォール街の巨大金融機関が中心になったものだが、
話を持ちかけられた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将が反発、

カウンタークーデターを宣言し、議会で告発したことで発覚している。

クーデター計画は失敗に終わった。

1941年6月にドイツ軍は90万人を西部戦線に残して
310万人をソ連に向かって進軍させて
42年8月にスターリングラード市内へ突入したのだが、

その年の11月にソ連軍が猛反撃を開始、
ドイツ軍25万人を完全に包囲してしまう。

この段階でソ連に攻め込んだドイツ軍だけでなく、
ドイツ自体の敗北が決定的だった。

1943年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名が降伏する。

こうした状況を見て慌てた米英の支配層は
1943年5月にワシントンDCで会談、

7月に両国軍はシチリア島に上陸した。

ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸(オーバーロード作戦)は
1944年6月のことだ。

この作戦でドイツ軍が負けたわけではない。

米英支配層の目は ソ連に向けられていたはずだ。

ドイツ軍の敗北が明らかになった1942年冬、
ドイツのSS(ナチ親衛隊)は アメリカとの単独講和への道を探りはじめ、

44年になるとアメリカの戦時情報機関であるOSSの
フランク・ウィズナーを介して アレン・ダレスのグループが

情報将校のラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)
と接触している。

ダレスたちが接触した相手には SA(突撃隊)を組織、
後にヒトラーの第一後継者に指名された ヘルマン・ゲーリングも含まれる。

1945年初頭になるとダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だった
SS高官のカール・ウルフに接触して隠れ家を提供し、

さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。

この件についてダレスと話し合うためにイギリス軍の
ハロルド・アレグザンダー(イギリス第8軍とアメリカ第7軍を指揮していた)は

1945年3月にライマン・レムニッツァーをスイスへ派遣している。

レムニッツァーはアレグザンダーに取り入ることでその後出世、
ドワイト・アイゼンハワー政権で統合参謀本部議長になっている。

こうしたイタリアにおける単独降伏の秘密交渉を察知した
ソ連のヨシフ・スターリンは

アメリカがドイツにソ連を再攻撃させようとしていると非難、
それに対してルーズベルト大統領は
そうした交渉はしていないと反論している。

そうした最中、4月12日にルーズベルトは執務室で急死した。(続く)



◆https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201805030001/
櫻井ジャーナル  2018.05.03
◎米国政府が 反ファシスト派から 反コミュニスト派へ
 切り替わった直後にできた 日本国憲法(その2)


大戦後、1948年6月にNSC(国家安全保障会議)が出した
NSC10/2に基づいて破壊活動(テロ)を目的とする極秘機関の
OSP(すぐOPCへ名称変更)が創設され、

52年8月にはOPCが中核になって計画局が設置された。

1953年1月にアイゼンハワーが大統領に就任、
2月にはアレン・ダレスがCIA長官に就任した。

その後、計画局は1973年3月に名称を作戦局へ変更、
2005年10月にはNCS(国家秘密局)になった。

こうした流れの中、日本国憲法は作られたわけだ。

大戦前に思想弾圧の中心になった 思想検察や 特高警察の人脈が
戦後も生き残った のは必然だった。

そうした状況を象徴する人物が1932年から41年にかけて
駐日アメリカ大使を務めたジョセフ・グルー。

彼のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアと結婚、
また妻は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)で
九条節子(後の貞明皇后)と親しくなっている。

大戦後の日本を築き上げたのジャパンロビーで
グルーは中心的な役割を果たしている。


つまり、「戦前レジーム」も「戦後レジーム」も本質は同じなのだ。

1946年1月に戦争犯罪を裁くとして極東国際軍事裁判(東京裁判)

が設立され、48年11月に判決が言い渡されている。

その年の12月23日に 東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、
板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑されているが、

これは「民主化」を演出するセレモニーにすぎなかった。

アメリカのウォール街派は ドイツでも日本でも

戦前の体制を継続させようとしていた。

「国体」は維持されたのだ。 その象徴が天皇にほかならない。

日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から

「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしよう

と思っているのか?」と

「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』)が、

同じことを考える人が 日本軍と戦った国々には少なくない。


新憲法でも 東京裁判でも、最大の問題は天皇だった。

大戦後、まず日本を占領したのはアメリカ軍。

その中枢はGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)だが、

その中でも多くの将校は 天皇を中心とする侵略戦争の象徴である

靖国神社の焼却を主張していたという。

焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが

強く反対したからだという。

(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

ビッターはCIAとの関係が強く疑われている人物で、

闇ドル事件にも登場している。

降伏した直後の日本を占領したのは アメリカ軍だが、

時間が経過すれば それ以外の国からも関係者がやって来る。

そうした人々の多くはハリー・トルーマン政権より天皇には批判的だったはず。

のんびりしていると、天皇の戦争責任が問われることは避けられなかっただろう。

その前に天皇制を盛り込んだ憲法を作り、

「戦争責任」を問うセレモニーを行って天皇を免責する必要もあった。

東京裁判で天皇は起訴されず、

新憲法の第1条では天皇制の継続が謳われている。

そうした憲法だが、民主的な条項が含まれていることも事実。

当時の状況からして、そうしなければ天皇制を維持することが難しかったのだ。


天皇制官僚国家は 明治維新で 長州と薩摩がイギリスを後ろ盾として築いた

天皇制カルト という側面がある。

そのシステムを使って イギリスやアメリカは日本に影響力を行使してきた。

そうした実態に不満を持つ人たちの中には

血盟団のメンバーや 二・二六事件の将校も含まれるだろう。

日本が迷走した1930年代から敗戦近くまで

アメリカ政府で主導権を握っていたのは

ウォール街と対立していた ニューディール派だ。

そのニューディール派的な条項が 日本国憲法に存在していることを

許せないと感じている人たちがいる。

そうした人たちが アメリカ従属派なのは当然だ。(了)



画像二枚目、



「2018櫻_01」です。



勇気と気概があった、

◆https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/7877
長周新聞  2018年5月1日
◎軍部主導の内閣暴走と 闘った斉藤隆夫 
 太平洋戦争前夜の「反軍演説」にみる


戦前、青年将校による5・15事件や2・26事件を契機に、
政党政治の崩壊と軍部主導の内閣の暴走 が強まるなかで、
国民は筆舌に尽くしがたい戦禍にたたき込まれた。

同時に、政党が自滅し大政翼賛会に合流するなかで、それに対抗し、
国会で体を張って演説主張し、国民の熱い支持を得た気骨ある政治家もいた。

当時、正面から軍の暴走を批判し、議会から衆議院議員を除名された
斎藤隆夫(当時70歳)もその一人である。


1940(昭和15)年2月2日、斎藤隆夫は、
所属していた民政党の異端代議士として、

米内光政首相(海軍大将)の施政演説に対する代表質問に立った。

そこでおこなったのが、日中戦争がはじまって2年半が過ぎたのに、

「陸軍はひたすら聖戦と称して、国民が疲弊している状態にあることを

知ろうともせず、戦争継続のみに

政党政治を解体せしめるかのような動きを 示している」と批判する、

1時間半にわたる「反軍演説」だった。


「反軍演説」では、

「この間においてわが国民が払った犠牲、

すなわち遠くは海を越えて支那事変のために

どれだけ日本の国費を費やしたかということは、よくわからない。

しかしながら、ただ軍費としてわれわれがこの議会において協賛した

ものだけでも、今年度までに約120億円、

来年度の軍費を合算すると約170億円、

これから先どれだけの額に上るかはわからない。

200億になるか300億になるか、それ以上になるか一切わからない、

それ等の軍費は、ことごとく日本国民の負担となる、

日本国民の将来を苦しめるに相違ない。

かの地に転戦する100万、200万の将兵諸士をはじめとして、

近くはこれを後援する国民が払った

生命、自由、財産その他一切の犠牲は、いかなる人の口舌をもってしても、

その万分の一をも尽くすことはできない」


「しかるに、この不公平な事実を前に置きながら、

国民に向かって精神運動をやる、国民に向かって緊張せよ忍耐せよと迫る、

国民は緊張するに相違ない、忍耐するに相違ない、

しかしながら国民に向かって犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない」

そして、「事変以来 歴代の政府は何をなしたか」と迫り、次のように発言した。

「2年有半の間に 三たび内閣が辞職をする、政局の安定すら得られない、

そういうことでどうしてこの国難に当ることが出来るのであるか、

要するに 政府の首脳部に責任観念が欠けて居る。

身をもって国に尽くす熱力が足らないからである。

立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、

国政に対して何らの経験もない、しかもその器にあらざる者を拾い集めて

弱体内閣を組織する、国民的支持を欠いて居るから、

何事につけても自己の所信を断行する所の決心もなければ勇気もない、

姑息倫安、1日を弥縫ビボウする政治をやる、失敗するのは当り前である」


斎藤はこの演説で、国民の利益を代表する立場を投げ捨て、

軍部にひれ伏し媚びを売る政治家に向けて、また自戒の念も込めて

「国家百年の大計を誤まるようなことがあったならば、

現在の政治家は死んでもその罪を滅ぼすことはできない」と訴えた。

この日の議会は、傍聴席が満席で、要所で拍手が起こるとともに、

「やめろ、やめろ」の怒号が飛び交った。


☆除名処分後の選挙でトップ当選

斎藤隆夫は以前にも、2・26事件後の1936(昭和11)年
5月7日の本会議で、2・26事件をとりあげ、

青年軍人の右傾化と軍人の政治介入を批判し、

5・15事件への軍の対応が事件の遠因となったのではないか、
と問い詰めていた。

そして、「軍人が政治に関わるというのは言語道断であり、

武力で自己の主張を貫こうとするのは、立憲政治の破滅はいうに及ばず、

国家動乱、武人専制の端を開くものであるから、

軍人の政治運動は断じて厳禁せねばならない」と批判していた。

さらに、1938(昭和13)年には、近衛政府の国家総動員法への

反対演説をおこない、軍部の募る怒りの一方で国民の共感を集めていた。


斎藤隆夫の「反軍演説」は先の演説と同様、

国民の深部に渦巻く 戦争下での生活の困難と不安、全面的な統制への憤激、

反戦的な気分・感情と響き合うものであった。

しかし、傍聴席でこの演説を聞いていた陸軍省軍務局長の武藤章や

軍務課の将校たちが「斎藤の演説は 支那事変の聖戦目的への侮辱であり、

10万英霊への冒涜である」と罵り顔で国会内の記者に語り、

斎藤を懲罰委員会にかける行動を起こした。

それは、政党と議会の解体を 雪崩をうって促進させることを目的としていた。

小山衆院議長は斎藤の発言には「不穏当部分がある」として、

速記録から後半のすべてを削除する措置をとった。

民政党は斎藤に「離党と謹慎」を迫り、斎藤はみずから離党した。

懲罰委員会では除名処分を確認したが、

斎藤の弁明が説得力をもって懲罰側を圧倒し、

新聞が「(斎藤は)凱旋将軍の態度をもって引き上げた」

と報じるほどであった。

衆院本会議では、斎藤の「除名処分」が賛成296、棄権121、反対7

で採決された。


斎藤は不撓不屈の気概をもって、2年後の太平洋戦争下の翼賛選挙に

選挙区の兵庫県5区(但馬選挙区)から、

どの政党にも頼らぬ「非推薦」で立候補した。

期間中 軍部や右翼の攻撃、選挙妨害や内務省の選挙文書の差押を受けたが、

約2万票を獲得し 2位と7000票以上の大差をつけて

トップ当選で返り咲いた。

戦時下にこのようなドラマがくり広げられたことは、

戦後の社会党の前身である社会大衆党の大半が

斎藤の除名処分の採決に賛成に回ったこと、

すでに共産党が大衆と結びつけず組織的に壊滅していたこととあわせて、

今日に生かすべき重要な教訓を提供している。



画像三枚目、



「2018櫻_02」です。



処方薬で殺されるw

◆http://my.shadowcity.jp/2018/05/post-13178.html
ネットゲリラ   (2018年5月 2日)
◎下げてボケるか 高いままで脳血管破裂か


注射一本で 持続的に血圧が下がるワクチン、というんだが、
日本では製薬会社の猛反対で、オーストラリアで治験やってるらしい。

血圧というのは、必要があって上がっているわけで、
むやみに下げると「血の巡り」が悪くなって腰痛が酷くなったり、
認知症になったり、デメリットも多い。

でも、製薬会社のドル箱なので、基準がどんどん下がるw 
むかしは「年齢プラス100」なんて言っていたが、
今では年令に関係なく130以下だ。

かくして、高齢者の半分が高血圧で製薬会社の餌食になるという、
そういう時代だ。


  ☆http://www.yomiuri.co.jp/science/
   20180502-OYT1T50006.html?from=ytop_main3
  読売 2018年05月02日
  ◎1度の注射で 効果持続、血圧下げるワクチン治験


今は、血圧を下げる薬が色々あって、バイアグラ飲んでも血圧下がるし、
ハゲ治療薬飲んでも下がる。やはり儲かるマーケットなので、
降圧剤は開発が盛んで、そのついでに
インポやハゲも治せるようになったという事かw


  -----------------------
  よく読んだら、何でオーストラリアでやってんの?
  日本じゃ治験の許可も下りなかったん?
  -----------------------
  循環器系の学会で めっちゃ批判されてるし無理じゃね
  お金取れなくなるだろ って怒ってる
  -----------------------


血圧というのは、一日の中でも変動幅が大きくて、
おいらの場合は病院で測ると30-40くらい高く出るという癖があるので、
医者に言われるままに 降圧剤飲んでいると、低血圧で倒れそうになる。

上が100以下だと、もうマトモに働けない。
高いのは200でも平気だ。
まぁ、家でも測りつつ、自分で降圧剤の量を調整するしかないです。


コメント


*どうでも | 2018年5月 3日 | 返信

  個人の体を綿密に調べて、
  「あなたの適正血圧は これぐらいです」というなら
  わからないでもないが、初めから数値ありきで
  あなたの年齢ならこれぐらいとか言って
  当てはめてくる医者は全てヤブだと思った方がいい。
  それが大学病院だろうが、大病院だろうが、だ。

  どのように生きるかを 他人に預けた途端に
  人生は破滅に向かう。
  病院に通うようになったら途端に
  元気がなくなるのはこういう理由だ。
  せめて納得してからやろう。
  自分の体、自分の人生なんだから、
  100%自分で決めた方がいい。
  勧められて、納得いかないのに、
  なんとなく断りきれない、というような人が
  餌食になって 病院や薬に殺されてしまうのだ。




◆http://my.shadowcity.jp/2018/05/post-13180.html#more
ネットゲリラ  (2018年5月 3日)
◎アベノミクス効果による 空前のスタグフレーション


消費者マインド弱含み、というんだが、
アベシンゾー退陣の時が迫るに連れて、今まで隠蔽していた姿が
次々に暴露されて行く。膿だしは本人が辞めてからだわな、そりゃw 

国会をやったら保たない首相なので、丸一年間も逃げ廻っていたんだが、
そろそろ限界だ。 放置しておいたら 国家が保たない。


  ☆https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180502/k10011425391000.html
  NHK 5月2日
  ◎消費者マインド「弱含んでいる」に悪化  相次ぐ値上げで


官僚がアベシンゾーを見限った時、正しい数字が出て来る。

終戦は近い。


  -----------------------
  いや何を以て 過去より水準いい としてんだよ
  20年前の方が マシだぞ
  -----------------------
  物価上がって 消費が減ってくって、
  スタグフレーションじゃねーの?
  -----------------------
  なw 安倍政権。 5年間の結果。
  これだけ国民負担増やしたのに
  借金200兆円増やした安倍自民w
  史上最大の金融緩和でも生活楽になったか?
  アクセルとブレーキを同時に踏むバカ政権=
  安倍政権の国民負担増リスト。 その1

  ○消費増税5%→8%→(10%)
  ○所得税増税
  ○住民税増税
  ○相続税増税
  ○発泡酒増税
  ○国民年金料引き上げ
  ○入院時の食費 1食 260円→360円 
   一ヶ月で入院費10000円負担増
  ○アベノミクス・マイナス金利の影響で
   郵貯の振込が有料化
  ○介護保険料値上げ
  ○法人税下げたのに、実質賃金再度低下。←new
  -----------------------
  物価が上がれば好景気になる、なんてものが
  そもそも順序を勘違いした大間違い

  1 減税する
  2 給料を上げる
  3 消費が増える
  4 モノが足りなくなってきて物価が上がる
  5 好景気になる

  日本ではこの手順以外はぜったいに成功しない
  しかし一度もこれをやってないのだから、
  経済成長できるわけがないのよ
  -----------------------
  給料上がらないのに 物価だけ上がって つれぇわ

  煽り抜きで 民主党政権の方が良かったよ
  給料は今と同じだが、円高のおかげで物価安かった

  さらに俺が住んでる地域のクソみたいな公共事業が廃止
  になったのに 自民党になったら復活してるわ
  -----------------------
  金はかなりあるけど安倍には協力しないよ
  だって消費したら安倍の友達が儲かるだけだもん
  正義感のある日本人ならそう思うよね
  -----------------------
  これがアベノミクスだ
  輸出企業に忖度しすぎた結果だ
  -----------------------
  消費税廃止すりゃ 景気なんて回復するわ
  消費マインドにものすごいマイナスなんだよ、消費税
  -----------------------


消費税を廃止するのは簡単な事で、
かつてのように法人税、所得税をちゃんと取ればいいだけ。
法人税と所得税の累進課税を昔のようにすれば、消費税は要らない。

アメリカが絶頂期だったフィフティーズ真っ盛りの頃、
アメリカの税制もそうだった。
だから、庶民にも自動車が普及し、フィフティーズ文化が華開いた。

庶民にカネが渡れば、大衆文化が栄える。
大企業にカネを渡しても、何の役にも立たない。


  -----------------------
  例えば5000万円で家を建てるじゃん
  消費税で400万円取られるじゃん
  この消費税が無ければ車も買えた訳よ
  車一台分の消費が、この消費税という税制で失われた
  細かい買い物でも 予算を決めて買い物してる以上、
  消費税が無い時代なら もう一品二品余計に買ってた、
  そういう機会を奪ってるのが 消費税なんだよ
  この税率を上げる程に 不況を招いて行く
  -----------------------
  企業は確かに儲かっても
  税収が増えないから意味がない
  しかもその減収分を
  まるまる消費税で補填する始末
  そして物価と税金が上昇し
  実質賃金が上がらない からこれも意味がない
  つまり安倍は全てにおいて 意味が不明
  -----------------------
  公務員と法人だけが 国民なんだよ
  -----------------------
  セーフティネットを次々壊す自民党のせいで
  金が使えないんだよ
  消費が冷え込むのはそのせい
  -----------------------
  公式発表自体がフェイクニュースだからな。
  昔の自民党だったら、景気が悪くなれば減税だったけど、
  今では景気が悪いのに増税だからな。
  これを支持する奴らってなんなの。
  -----------------------
  日経新聞を始めとしたメディアが悪い
  正しい知識が伝わるだけで、
  あっという間に政権交代になるはず
  10年のブラック政策に我慢した末、
  一度政権交代が起きたのに なぜ戻ったんだろうか?

  ただし、選管が不正してない前提
  -----------------------


法人税を上げたら企業が逃げ出す、という理屈で
世界中がユダ菌に ご奉仕申し上げる税制作りに邁進しているんだが、

企業が逃げ出して困った、という国の話は聞いたことがない。
日本どころか、アメリカにも税金を払わないAmazon見ていると、

そんな企業は追い出して、
日本で活動できないようにすべきなんじゃないのかw


コメント

*mueza | 2018年5月 3日 | 返信

  アメリカの所得税累進の限界税率は、
  アイゼンハワー時代は90%以上だった。
  徐々に下がり続けるが、それでもカーター時代で70%以上
  それが劇的に下がるのは、
  続くレーガン時代で、いきなり35%
  そしてアメリカの中間層の破壊が始まった。 

  マイケル・ムーアはレーガンは
  ゴールドマンサックスの操り人形ではなかったのかと
  推測してます。
  レーガンとサッチャーが ウォールストリートとシティの規制を
  解除し 強欲の時代が始まった。
  そして現在。 世界はあれからマシになりましたか?

  所得税の累進課税税率を、ある程度上げなければならないのは、
  利益を上げるために社会を利用しているからです。
  まず人々、社会インフラ、行政システム、
  場合によっては司法システム これらを使用して、
  使用量に見合わない使用料 ― 税金しか払わないならば
  社会そのものが崩壊していくこととなります。

  ヨーゼフ・シュンペーターは言っています
  「資本主義は、その成功故に
  土台である社会制度を揺さぶり、自ら存続不能に陥る
  社会主義へと向かう状況が必然的に訪れるのだ」

  サッチャーはシュンペーターの予言を恐れ、
  細心の注意を払って政権を運営したといいます。
  私達は400年ぶりに訪れた
  時代のターニングポイントに居るのかもしれません。
  それが楽園への道なのか 大艱難の始まりなのかは、
  わかりませんが。



手前も 4月10日に処方された「リクシアナ(第一三共)」という抗凝固剤が、

副作用が強く出て、自分の判断で(主治医は嫌がるだろうが)服用中止としました。

眼底出血 起こしたんじゃないかなぁ?  頭痛と視力低下、

顔面充血で皮膚がポロ 々 剥離する などなど、半量の30mgでこの副作用。

まさに「下げてボケるか 高いままで脳血管破裂か」ですよw


主治医に 年齢プラス90が最高血圧では? と言ったら、

それは昔の話で、平均寿命が10年以上違う時代の基準だ、

研究も進み、現行基準で平均寿命80から90になったんだ、と。

標準治療の医師が言いましたw

個人差、無視なんですよね、一律に処方するだけ、ここが怖いわけだ。



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