画は 歌川 國貞 (三代豊國)
天明6年(1786年) ~ 元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄齋・五渡亭など 作
「東海道五十三次之内 小田原箱根間 畑宿 工藤祐経」です。
☆雨の予報。
二ヶ月おきの通院日ですので予約投稿になります。
まずは、酷いものです、
◆http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-f48d.html
zeraniumの情報掲示板 2016年5月16日 (月)
◎「点滴」を利用して薬剤の大量消費が行なわれている
「葬儀屋さんはよくこう言います。
『昔のご遺体は軽かったのに、最近のご遺体は、重いですね・・・』
私は思わず、聞き返す。
「それだけ大量点滴されて水膨(ぶく)れしている、ということですね?」
「そういうことです。高速点滴した結果ですね。医者はそれを”溺死体”と呼んでいます。
中村仁一医師は淡々と言った。
彼はベストセラー『大往生したけりゃ、医療とかかわるな』(幻冬舎新書)で知られる。
つまり重い分は、医者がここぞとばかりに大量点滴した水分の量なのだ。
私は絶句して言葉もない。
溺死体とは水死体のことで、
膨(ふく)れ上がって人相、外観が変わってしまった遺体のことだ。
昔の人は俗に、それを土左衛門と呼んだが、
それはもはや見るに耐えない醜さなので、そう呼ぶしかなかったのだ。
葬儀屋が2人がかりで遺体をベッドから持ち上げて、「これは重い!」と実感するほど
水膨れした老人の姿・・・。
そのズッシリ重い分は、医者が末期の患者に、ここぞとばかりに
点滴の管から身体に注ぎ込んだ、大量の輸液の重量なのだ。
「老人に、1日1・5ℓ 以上点滴したら死にますよ!」
これは、病院に入院してわずか18 時間後に苦悶死した、
山中トミ子さんの診療記録を見て叫んだ内海聡医師の言葉だ。(第1章参照)
「医者なら誰でも知っている。研修生でも知っています。知らなきゃ馬鹿です。
でも知っててやったなら”殺人”です」
私はこのとき、山中トミ子さん(本書第1章記述)は、
点滴輸液の高速注入で”殺された”と確信した。
その診療記録や介護記録によると、わずか半日で、
この84歳の小柄な老女の身体に、何十種類もの致死量の薬剤が注ぎ込まれていた。
私は最初、膨大な診療記録に満載の医薬品の”薬毒”で、彼女は急死したと思っていた。
しかしこれらの夥(おびただ)しい医薬品の毒性を待つまでもなく、
短時間でかつ大量の輸液を体内に注入すれば、簡単に老人の命を奪うことはできるのだ。
そうした意味から、この”点滴殺人”は医療過誤死の盲点になっていると言える。
「亡くなった老人の遺体をベッドから運ぶと、その下のシーツもぐっしょり濡れている」。
そう証言する病院関係者もある。 なぜシーツがそれほど濡れているのか?
あまりに大量点滴したために、病人の体から溢れ出た水分がシーツを濡らしているのだ。
しかも遺体から吹き出すほどの大量点滴だ。
それは葬儀屋がズッシリ重いと実感するほどの量だ。
おそらく1・5ℓ どころか、それ以上の大量が注ぎ込まれたに違いない。
その異様な重さを思うと怖ろしくなる。
内海医師は、大量点滴だけで老人は確実に死ぬ、と断言した。
その死因の一つに肺水腫がある。肺に水が溜まって呼吸困難で死亡する。
早く言えば、体内で水に溺れるということだ。
大量点滴で全身の臓器は悲鳴を上げるが、それは肺だけではない。
体中に水分が溢れ、全身の臓器が水膨(ぶく)れとなり、最後は死に至る。
まさに体の中の臓器が”溺れて”多臓器不全となる。
だからその外観が”溺死体”そのままであるのも当然だ。
☆点滴を利用して薬剤の大量消費が行なわれている
体内に溢れる輸液のことを、医学用語で”溢水(いっすい)”と呼ぶが、
文字通り溢れる水のことだ。
つまり、医療現場では過剰大量の点滴で、体内に水が溢れる事態をはっきり認識している。
だがそれでも、過剰点滴は日常茶飯事に行なわれている。
その理由はいったい何だろうか?
しかも末期になればなるほど、点滴の輸液量は増大する。
こうなれば目的はただ一つ、大量の薬剤を消費するために、それを患者の体内へ注ぎ込むのだ。
まずここで、点滴という医療行為を冷静に見つめ直してみよう。
それは医療現場では見慣れた光景であり、ほとんどのベッドに横たわる入院患者には
点滴が施される。しかもその点滴装置をガラガラと引きずりながら、
病院内を動く患者の姿も珍しくない。
トイレにも引っ張って行く。自販機で缶コーヒーを飲んでいる人もいる。
患者は当たり前のように、装置を引きずりながら部屋を出入りしている。
これは実に奇妙な光景というしかない。
「点滴」の定義を調べてみよう。
そこには「口から水分を摂取することが不能な患者に対する応急措置」とある。
生命維持に必要な水分を口から摂れなければ、他の方法によるしかない。
その窮余の策として考えられたのが点滴なのだ。
だから点滴という医療行為は本来、
水分の経口摂取が不能な患者にだけ行なう救急措置である。
だが実際には、点滴装置ガラガラの多くの患者は、普通に見舞い客と談笑してお茶を飲み、
休憩コーナーで自販機から何かを買ってうまそうに飲んでいるではないか!
彼らはとても、経口水分摂取が不能な患者には見えない。
これが、日本中の病院で溢れ返っている光景なのだ。
つまり、医療現場における「点滴」原則は、とっくの昔に崩壊している。
口からちゃんと水分や食物を摂れる患者にまで、日本中の病院で
点滴が当たり前のように行なわれている。
その理由はただ一つ、大量注入による薬剤の消費である。
昔はその都度、注射であったが、投薬の種類も少なかったからそれで済んだ。
だが現在では、病院で患者に投与する医薬品の数は半端ではない。
それは数十種類にものぼり、そのたびに患者に注射していたのでは
患者も痛くてかなわない。
それでは患者もいやがるし、病院側としても薬剤の消費が増えない。
そこで彼らは「点滴」に目をつけた。
これなら1回針を刺してセットするだけで済む! 患者の苦痛も1回だけだ。
こうして両者の”思い”が一致して、点滴は本来の用途から大いに逸脱し、
点滴ガラガラで缶コーヒーを飲む患者の姿という、現代の病院風景となったのである。
異常も繰り返されれば日常となり、いつの間にか”正常”と勘違いしてしまう。
点滴がまさにその典型である。
本来、経口水分摂取不能な特殊な患者にだけ行なわれるべき点滴医療が、今や、
大量の薬剤を消費するために、それを患者の体内へ注入する手段として活用されている。
世界の医療利権、つまり西洋医療を支配するのは、
ロックフェラー財閥とロスチャイルド財閥であり、
世界の巨大製薬会社はすべて、彼らの傘下にある。
つまり、約1000兆円と推計される医療利権のほとんどは、
これら二大財閥に吸い上げられている。
その製薬利権を現場で支えてきたのが点滴という、薬剤の”高速道路”なのだ。
だからたとえ、点滴が本来の定義から大きく逸脱していようと、
それが問題視されることはないし、黙殺されてきた。
それが日本全国の病院の現状である。
☆全身水膨れで死ぬ
(1)「溢水(いっすい)」症状: 輸液過剰な状態を指す。
症状としては「胸水」「肺気腫」「呼吸困難」「肺うっ血」
「心不全」血圧上昇」「腹水」「全身の浮腫」「起座呼吸」「頸静脈の怒張」etc.。
全身あらゆる部位で「浮腫」が現われる。
わかりやすく言えば「むくみ」「水ぶくれ」。
そうして患者は「呼吸困難」「心不全」などで死亡する。
まさに遺体のありさまは”溺死体”そのものだ。
2) 「呼吸困難」:
「短時間に大量の輸液が負荷されると、右心房→右心室→肺動脈へと
静脈血のボリュームが増加し、肺毛細血管の静脈圧が上昇し、
肺うっ血などが起こる。肺うっ血では、呼吸困難、起座呼吸・・・などが見られる」
(『輸液 Nursing Note』メディカ出版)
(4) 「高血圧」:体内に水分が異常に増える。だから血圧上昇も当然である。
「細胞外液量の増大により浮腫や高血圧をきたす」
(5) 「高カリウム血症」:カリウム剤配合輸液を急速大量投与すると、
高カリウム血症を発症し、心臓が停止する。
「注意しなければならないのは、投与液量と投与速度。
いちばん危険なのはカリウムでしょうか。最悪の場合、生命に関わります。
カリウム剤を入れるときは、20mEq/時という速度制限を必ず厳守しなければいけない」
(越川教授 前出)
カリウムは電解質で、心筋を動かす電気信号を伝達する。
過剰で心停止に至る。 欠乏では4肢麻痺、意識障害を起こす。
(6) 「酸血症」(アシドーシス):
ブドウ糖配合の高カロリー輸液を点滴するときは、
ビタミン B 剤も同時投与しないと、「酸血症」を発症し、急死する。
専門学者ですら、「点滴は不要」と明言している。
そして不要な点滴で、これだけの副作用死が続発している。
「老人は生理機能や予備力が低下し、代謝障害とかいろんな障害が起きてくる。
病変を持っている高齢者に輸液(点滴)を行なう時は、より注意が必要」
(『外来における輸液の実際』前出、要約)
このように高齢者への高速大量点滴は、まさに”殺人”行為そのものだ。
原点に戻り、法律により、経口摂取可能な患者への点滴行為は厳禁にすべきではないか。
そしてあなたの取る態度はただ一つ。
「口から飲めるので、点滴は要りません」と決然と拒否することだ。
高齢化! こうしてあなたは”殺される”
book『老人病棟』 船瀬俊介著 興陽館
抜粋
↑
手前は二度、点滴を受けています。
1回目は心不全での利尿剤の点滴。肺に溜まった水抜き。
2回目は低カリウム性四肢麻痺でのカリウムの大量点滴。
カリウムは危なかったわけだ、
暫し後、大量点滴の指示が出て腕が痛くなり、男の看護師を怒鳴りつけて止めさせたことあり。
共産支那、最後の皇帝w
◆http://melma.com/backnumber_45206_6373279/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み 発行日:5/30
◆書評
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まるでその場にいるような臨場感、中国皇帝の野心と挫折
習近平皇帝の行状を外交戦略の始動から米国との激突まで緻密に解剖すると
♪
近藤大介 『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』 (講談社新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
北京に複数の深い情報源をもつ近藤さん、
ちょっと見落としがちだった中国政界を人物集団という側面から、
紫禁城の皇帝とその側近達の内部、その凄まじい権力闘争のどろどろな実態、
そして毛沢東にあやかろうとして、衣服や立ち居振る舞い、言葉の選び方まで
真似ている習近平の姿を浮き彫りにする。
骨子は『アジアの新皇帝』たらんとする習近平の涙ぐましいまでの背伸び外交、
その裏にはあからさまな「日本潰し」にあると見ている。
そして南シナ海の珊瑚礁を片っ端から埋立て、「太平洋に万里の長城を築け」という、
潜在的な至上命令があるとする。
そのうえで対応する外交方面の野心があちこちの国々との齟齬とあり、
想定外の衝突をもたらしているのだが、
オバマ、安部ばかりか朴、アキノ、ナジブ、モディなどとの主導権争い、
そのブレーン達の世界各地を舞台としての、
八面六臂などがスリルに富む小説の描写のように、克明に描かれている。
この物語は時系列で、習近平にとって「東方の二人の敵」とは安倍首相と金正恩であり、
皇帝に「即位」した2012年から13年が序幕となる。
第一幕は2013年の「外交始動時期」、
第二幕が翌2014年にかけての「東アジアの緊迫状況」を克明に追い、
第三幕が2014年発から秋にかけての「日米離間工作」だったとする。
第四幕は「オバマの屈服」(2014年後半)、
第五幕が「日本外し」(2015)、第六幕が「ワシントンの屈辱」(2015年秋)、
そして終幕が「米中対立」(2016年)と、
長くて、起伏に富んだ外交上の人物確執史となる。
清朝末期の凋落からアヘン戦争に直面し、英国に敗北した中国は、
習王朝以後の特徴として、「時計の巻き戻し論」がでてきた。
▼オバマの融和策の間に南シナ海を掠め取れ
パックス・チャイナをアジアに確立し、日本を蹴落として、
アジアの覇者を目指すのが習近平の狙いであり、
外交ブレーンは王昈寧、楊潔チ、王毅であると説く。
もっとも重要なのは習夫人で、彼女は同時に軍属歌手であり、軍の少将でもあるが、
本書には意外や意外、習近平の最初の妻となった女性が、
英国へわたり、英国籍をとり、ロンドンに暮らしているのだが、
深センでふたりは偶会していた。
そればかりか、習の訪英時にもふたりは密かにあったことが報告されているのだ。
この秘話は知らなかった。
また軍における習近平の「軍師」は呉勝利だとする近藤氏は、
いささか、他のチャイナウォッチャーとは違う分析を披露している。
昨師走に引退に追い込まれた劉源(劉少奇の息子)の名前は一カ所も出てこないし、
軍の反・習近平の動きも軽視されている。
もうひとつ意外な観測は重慶市書記の孫政才が胡錦涛、李克強らの派閥ではなく、
習の子飼いと認定していることだ。
これは多くのチャイナウォッチャーが、むしろ孫を団派の代表として
胡春華と並んで次のリーダーを踏んでいる分析とは意見を異にする。
評者(宮崎)に言わしめれば、習は反腐敗キャンペーンで敵をつくりすぎたため、
上海派と団派の挟撃にあって、権力基盤は明らかに脆弱化しているとみているが、
近藤氏は反対の立場のようだ。
さらにもう一つある。
経済問題である。経済政策の主導権を習近平は李克強首相が率いる国務院から取り上げ、
常務委員会でも張?江、劉雲山、愈正声、張高麗の四人が
江沢民人事によるものであるために遠ざけ、閑なポストしか与えていないが、
団派への冷遇も露骨である。
近藤さんはこう書く。
経済政策のブレーンとして、習近平は「北京101中学」の同級生で、
経済学者の劉?を抜擢した。
劉?は「ハーバード大学に留学。帰国後は社会主義計画経済の司令塔だった
国家計画委員会に勤務した」
けれども、胡錦涛時代がおわるまで「日の当たらない傍流を歩んでいた」人物である。
その彼を習は「党中央財経指導小組弁公室主任に抜擢した」。
つまり劉?が「経済指導部のトップ」に躍進し、
国務院の役割を希釈化させ、ついで団派の影響力を削いだのだ。
ついで副主任に楊偉民をあて、「このコンビ」の特徴は
「日本との縁が深く、日本のモデルに学ぶことの意義を説き、
楊副主任にいたっては日本留学」で、傍流から主流に飛び出したのも
「アメリカ留学を誇るグループが圧倒的に主流を占める中国の経済学界では、
非主流派グループに属していた」のだった。
ともかく本書で近藤さんの筆致は、まるで現場にいるような臨場感にとらわれ、
習近平という現代中国の皇帝の野心と挫折を描いた傑作となった。
習近平皇帝の行状を外交戦略の始動から米国との激突までを緻密に解剖し、
読ませる物語をつくりあげた。
↑
油断は大敵ですが、
支那の内実はズタボロ、過大評価は連中を利することになる。
天明6年(1786年) ~ 元治元年(1865年)
号は、香蝶楼・一雄齋・五渡亭など 作
「東海道五十三次之内 小田原箱根間 畑宿 工藤祐経」です。
☆雨の予報。
二ヶ月おきの通院日ですので予約投稿になります。
まずは、酷いものです、
◆http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-f48d.html
zeraniumの情報掲示板 2016年5月16日 (月)
◎「点滴」を利用して薬剤の大量消費が行なわれている
「葬儀屋さんはよくこう言います。
『昔のご遺体は軽かったのに、最近のご遺体は、重いですね・・・』
私は思わず、聞き返す。
「それだけ大量点滴されて水膨(ぶく)れしている、ということですね?」
「そういうことです。高速点滴した結果ですね。医者はそれを”溺死体”と呼んでいます。
中村仁一医師は淡々と言った。
彼はベストセラー『大往生したけりゃ、医療とかかわるな』(幻冬舎新書)で知られる。
つまり重い分は、医者がここぞとばかりに大量点滴した水分の量なのだ。
私は絶句して言葉もない。
溺死体とは水死体のことで、
膨(ふく)れ上がって人相、外観が変わってしまった遺体のことだ。
昔の人は俗に、それを土左衛門と呼んだが、
それはもはや見るに耐えない醜さなので、そう呼ぶしかなかったのだ。
葬儀屋が2人がかりで遺体をベッドから持ち上げて、「これは重い!」と実感するほど
水膨れした老人の姿・・・。
そのズッシリ重い分は、医者が末期の患者に、ここぞとばかりに
点滴の管から身体に注ぎ込んだ、大量の輸液の重量なのだ。
「老人に、1日1・5ℓ 以上点滴したら死にますよ!」
これは、病院に入院してわずか18 時間後に苦悶死した、
山中トミ子さんの診療記録を見て叫んだ内海聡医師の言葉だ。(第1章参照)
「医者なら誰でも知っている。研修生でも知っています。知らなきゃ馬鹿です。
でも知っててやったなら”殺人”です」
私はこのとき、山中トミ子さん(本書第1章記述)は、
点滴輸液の高速注入で”殺された”と確信した。
その診療記録や介護記録によると、わずか半日で、
この84歳の小柄な老女の身体に、何十種類もの致死量の薬剤が注ぎ込まれていた。
私は最初、膨大な診療記録に満載の医薬品の”薬毒”で、彼女は急死したと思っていた。
しかしこれらの夥(おびただ)しい医薬品の毒性を待つまでもなく、
短時間でかつ大量の輸液を体内に注入すれば、簡単に老人の命を奪うことはできるのだ。
そうした意味から、この”点滴殺人”は医療過誤死の盲点になっていると言える。
「亡くなった老人の遺体をベッドから運ぶと、その下のシーツもぐっしょり濡れている」。
そう証言する病院関係者もある。 なぜシーツがそれほど濡れているのか?
あまりに大量点滴したために、病人の体から溢れ出た水分がシーツを濡らしているのだ。
しかも遺体から吹き出すほどの大量点滴だ。
それは葬儀屋がズッシリ重いと実感するほどの量だ。
おそらく1・5ℓ どころか、それ以上の大量が注ぎ込まれたに違いない。
その異様な重さを思うと怖ろしくなる。
内海医師は、大量点滴だけで老人は確実に死ぬ、と断言した。
その死因の一つに肺水腫がある。肺に水が溜まって呼吸困難で死亡する。
早く言えば、体内で水に溺れるということだ。
大量点滴で全身の臓器は悲鳴を上げるが、それは肺だけではない。
体中に水分が溢れ、全身の臓器が水膨(ぶく)れとなり、最後は死に至る。
まさに体の中の臓器が”溺れて”多臓器不全となる。
だからその外観が”溺死体”そのままであるのも当然だ。
☆点滴を利用して薬剤の大量消費が行なわれている
体内に溢れる輸液のことを、医学用語で”溢水(いっすい)”と呼ぶが、
文字通り溢れる水のことだ。
つまり、医療現場では過剰大量の点滴で、体内に水が溢れる事態をはっきり認識している。
だがそれでも、過剰点滴は日常茶飯事に行なわれている。
その理由はいったい何だろうか?
しかも末期になればなるほど、点滴の輸液量は増大する。
こうなれば目的はただ一つ、大量の薬剤を消費するために、それを患者の体内へ注ぎ込むのだ。
まずここで、点滴という医療行為を冷静に見つめ直してみよう。
それは医療現場では見慣れた光景であり、ほとんどのベッドに横たわる入院患者には
点滴が施される。しかもその点滴装置をガラガラと引きずりながら、
病院内を動く患者の姿も珍しくない。
トイレにも引っ張って行く。自販機で缶コーヒーを飲んでいる人もいる。
患者は当たり前のように、装置を引きずりながら部屋を出入りしている。
これは実に奇妙な光景というしかない。
「点滴」の定義を調べてみよう。
そこには「口から水分を摂取することが不能な患者に対する応急措置」とある。
生命維持に必要な水分を口から摂れなければ、他の方法によるしかない。
その窮余の策として考えられたのが点滴なのだ。
だから点滴という医療行為は本来、
水分の経口摂取が不能な患者にだけ行なう救急措置である。
だが実際には、点滴装置ガラガラの多くの患者は、普通に見舞い客と談笑してお茶を飲み、
休憩コーナーで自販機から何かを買ってうまそうに飲んでいるではないか!
彼らはとても、経口水分摂取が不能な患者には見えない。
これが、日本中の病院で溢れ返っている光景なのだ。
つまり、医療現場における「点滴」原則は、とっくの昔に崩壊している。
口からちゃんと水分や食物を摂れる患者にまで、日本中の病院で
点滴が当たり前のように行なわれている。
その理由はただ一つ、大量注入による薬剤の消費である。
昔はその都度、注射であったが、投薬の種類も少なかったからそれで済んだ。
だが現在では、病院で患者に投与する医薬品の数は半端ではない。
それは数十種類にものぼり、そのたびに患者に注射していたのでは
患者も痛くてかなわない。
それでは患者もいやがるし、病院側としても薬剤の消費が増えない。
そこで彼らは「点滴」に目をつけた。
これなら1回針を刺してセットするだけで済む! 患者の苦痛も1回だけだ。
こうして両者の”思い”が一致して、点滴は本来の用途から大いに逸脱し、
点滴ガラガラで缶コーヒーを飲む患者の姿という、現代の病院風景となったのである。
異常も繰り返されれば日常となり、いつの間にか”正常”と勘違いしてしまう。
点滴がまさにその典型である。
本来、経口水分摂取不能な特殊な患者にだけ行なわれるべき点滴医療が、今や、
大量の薬剤を消費するために、それを患者の体内へ注入する手段として活用されている。
世界の医療利権、つまり西洋医療を支配するのは、
ロックフェラー財閥とロスチャイルド財閥であり、
世界の巨大製薬会社はすべて、彼らの傘下にある。
つまり、約1000兆円と推計される医療利権のほとんどは、
これら二大財閥に吸い上げられている。
その製薬利権を現場で支えてきたのが点滴という、薬剤の”高速道路”なのだ。
だからたとえ、点滴が本来の定義から大きく逸脱していようと、
それが問題視されることはないし、黙殺されてきた。
それが日本全国の病院の現状である。
☆全身水膨れで死ぬ
(1)「溢水(いっすい)」症状: 輸液過剰な状態を指す。
症状としては「胸水」「肺気腫」「呼吸困難」「肺うっ血」
「心不全」血圧上昇」「腹水」「全身の浮腫」「起座呼吸」「頸静脈の怒張」etc.。
全身あらゆる部位で「浮腫」が現われる。
わかりやすく言えば「むくみ」「水ぶくれ」。
そうして患者は「呼吸困難」「心不全」などで死亡する。
まさに遺体のありさまは”溺死体”そのものだ。
2) 「呼吸困難」:
「短時間に大量の輸液が負荷されると、右心房→右心室→肺動脈へと
静脈血のボリュームが増加し、肺毛細血管の静脈圧が上昇し、
肺うっ血などが起こる。肺うっ血では、呼吸困難、起座呼吸・・・などが見られる」
(『輸液 Nursing Note』メディカ出版)
(4) 「高血圧」:体内に水分が異常に増える。だから血圧上昇も当然である。
「細胞外液量の増大により浮腫や高血圧をきたす」
(5) 「高カリウム血症」:カリウム剤配合輸液を急速大量投与すると、
高カリウム血症を発症し、心臓が停止する。
「注意しなければならないのは、投与液量と投与速度。
いちばん危険なのはカリウムでしょうか。最悪の場合、生命に関わります。
カリウム剤を入れるときは、20mEq/時という速度制限を必ず厳守しなければいけない」
(越川教授 前出)
カリウムは電解質で、心筋を動かす電気信号を伝達する。
過剰で心停止に至る。 欠乏では4肢麻痺、意識障害を起こす。
(6) 「酸血症」(アシドーシス):
ブドウ糖配合の高カロリー輸液を点滴するときは、
ビタミン B 剤も同時投与しないと、「酸血症」を発症し、急死する。
専門学者ですら、「点滴は不要」と明言している。
そして不要な点滴で、これだけの副作用死が続発している。
「老人は生理機能や予備力が低下し、代謝障害とかいろんな障害が起きてくる。
病変を持っている高齢者に輸液(点滴)を行なう時は、より注意が必要」
(『外来における輸液の実際』前出、要約)
このように高齢者への高速大量点滴は、まさに”殺人”行為そのものだ。
原点に戻り、法律により、経口摂取可能な患者への点滴行為は厳禁にすべきではないか。
そしてあなたの取る態度はただ一つ。
「口から飲めるので、点滴は要りません」と決然と拒否することだ。
高齢化! こうしてあなたは”殺される”
book『老人病棟』 船瀬俊介著 興陽館
抜粋
↑
手前は二度、点滴を受けています。
1回目は心不全での利尿剤の点滴。肺に溜まった水抜き。
2回目は低カリウム性四肢麻痺でのカリウムの大量点滴。
カリウムは危なかったわけだ、
暫し後、大量点滴の指示が出て腕が痛くなり、男の看護師を怒鳴りつけて止めさせたことあり。
共産支那、最後の皇帝w
◆http://melma.com/backnumber_45206_6373279/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み 発行日:5/30
◆書評
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まるでその場にいるような臨場感、中国皇帝の野心と挫折
習近平皇帝の行状を外交戦略の始動から米国との激突まで緻密に解剖すると
♪
近藤大介 『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』 (講談社新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
北京に複数の深い情報源をもつ近藤さん、
ちょっと見落としがちだった中国政界を人物集団という側面から、
紫禁城の皇帝とその側近達の内部、その凄まじい権力闘争のどろどろな実態、
そして毛沢東にあやかろうとして、衣服や立ち居振る舞い、言葉の選び方まで
真似ている習近平の姿を浮き彫りにする。
骨子は『アジアの新皇帝』たらんとする習近平の涙ぐましいまでの背伸び外交、
その裏にはあからさまな「日本潰し」にあると見ている。
そして南シナ海の珊瑚礁を片っ端から埋立て、「太平洋に万里の長城を築け」という、
潜在的な至上命令があるとする。
そのうえで対応する外交方面の野心があちこちの国々との齟齬とあり、
想定外の衝突をもたらしているのだが、
オバマ、安部ばかりか朴、アキノ、ナジブ、モディなどとの主導権争い、
そのブレーン達の世界各地を舞台としての、
八面六臂などがスリルに富む小説の描写のように、克明に描かれている。
この物語は時系列で、習近平にとって「東方の二人の敵」とは安倍首相と金正恩であり、
皇帝に「即位」した2012年から13年が序幕となる。
第一幕は2013年の「外交始動時期」、
第二幕が翌2014年にかけての「東アジアの緊迫状況」を克明に追い、
第三幕が2014年発から秋にかけての「日米離間工作」だったとする。
第四幕は「オバマの屈服」(2014年後半)、
第五幕が「日本外し」(2015)、第六幕が「ワシントンの屈辱」(2015年秋)、
そして終幕が「米中対立」(2016年)と、
長くて、起伏に富んだ外交上の人物確執史となる。
清朝末期の凋落からアヘン戦争に直面し、英国に敗北した中国は、
習王朝以後の特徴として、「時計の巻き戻し論」がでてきた。
▼オバマの融和策の間に南シナ海を掠め取れ
パックス・チャイナをアジアに確立し、日本を蹴落として、
アジアの覇者を目指すのが習近平の狙いであり、
外交ブレーンは王昈寧、楊潔チ、王毅であると説く。
もっとも重要なのは習夫人で、彼女は同時に軍属歌手であり、軍の少将でもあるが、
本書には意外や意外、習近平の最初の妻となった女性が、
英国へわたり、英国籍をとり、ロンドンに暮らしているのだが、
深センでふたりは偶会していた。
そればかりか、習の訪英時にもふたりは密かにあったことが報告されているのだ。
この秘話は知らなかった。
また軍における習近平の「軍師」は呉勝利だとする近藤氏は、
いささか、他のチャイナウォッチャーとは違う分析を披露している。
昨師走に引退に追い込まれた劉源(劉少奇の息子)の名前は一カ所も出てこないし、
軍の反・習近平の動きも軽視されている。
もうひとつ意外な観測は重慶市書記の孫政才が胡錦涛、李克強らの派閥ではなく、
習の子飼いと認定していることだ。
これは多くのチャイナウォッチャーが、むしろ孫を団派の代表として
胡春華と並んで次のリーダーを踏んでいる分析とは意見を異にする。
評者(宮崎)に言わしめれば、習は反腐敗キャンペーンで敵をつくりすぎたため、
上海派と団派の挟撃にあって、権力基盤は明らかに脆弱化しているとみているが、
近藤氏は反対の立場のようだ。
さらにもう一つある。
経済問題である。経済政策の主導権を習近平は李克強首相が率いる国務院から取り上げ、
常務委員会でも張?江、劉雲山、愈正声、張高麗の四人が
江沢民人事によるものであるために遠ざけ、閑なポストしか与えていないが、
団派への冷遇も露骨である。
近藤さんはこう書く。
経済政策のブレーンとして、習近平は「北京101中学」の同級生で、
経済学者の劉?を抜擢した。
劉?は「ハーバード大学に留学。帰国後は社会主義計画経済の司令塔だった
国家計画委員会に勤務した」
けれども、胡錦涛時代がおわるまで「日の当たらない傍流を歩んでいた」人物である。
その彼を習は「党中央財経指導小組弁公室主任に抜擢した」。
つまり劉?が「経済指導部のトップ」に躍進し、
国務院の役割を希釈化させ、ついで団派の影響力を削いだのだ。
ついで副主任に楊偉民をあて、「このコンビ」の特徴は
「日本との縁が深く、日本のモデルに学ぶことの意義を説き、
楊副主任にいたっては日本留学」で、傍流から主流に飛び出したのも
「アメリカ留学を誇るグループが圧倒的に主流を占める中国の経済学界では、
非主流派グループに属していた」のだった。
ともかく本書で近藤さんの筆致は、まるで現場にいるような臨場感にとらわれ、
習近平という現代中国の皇帝の野心と挫折を描いた傑作となった。
習近平皇帝の行状を外交戦略の始動から米国との激突までを緻密に解剖し、
読ませる物語をつくりあげた。
↑
油断は大敵ですが、
支那の内実はズタボロ、過大評価は連中を利することになる。