画は 鈴木 春信(すずき はるのぶ)
享保10年(1725年)? ~ 明和7年(1770年) 作
三十六歌仙 「源信明朝臣」です。
源信明 みなもとのさねあきら
延喜十 ~ 天禄一 (910-970)
恋しさはおなじ心にあらずとも
今宵の月を君見ざらめや
☆晴れ、冷え込む、午後から雪か。
大阪ローカルなのでは、
◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2015.11.27
◎株式会社化する政治
大阪ダブル選では、政策的には候補者間に大きな違いはなかった。
いずれの候補者も大阪の全方位的な長期低落傾向を嘆き、
再活性化の喫緊であることを訴えていた。
そして、結局「大阪都構想」が再び争点になった。
ふつう半年前に否決された政策が(特段の条件の変化があったわけでもないのに)
再び争点化するということはない。
ということは、この選挙のほんとうの「賭け金」が
政策ではなかったということを意味している。
大阪の有権者が選択を求められたのは政策の「中身(コンテンツ)」ではなく、
候補者の人間性あるいは手法という「容れ物(コンテナー)」だった
と私は理解している。
維新・非維新候補の際立った違いは何よりも「一枚岩の政党」の候補者か
「寄り合い所帯」の候補者かという点にあった。
有権者たちはその違いに最も敏感に反応した。
「街の声」でも、SNSに流れた感想でも、大阪維新のアドバンテージとして
「話がわかりやすい」 「言うことに一貫性がある」を挙げたものが多かったし、
逆に、自民党・民主党・共産党が推した候補者たちはまさに国政において
対立している政党の支援を基盤にしたゆえに、
いったいどのような立場を代表しているのか「わからない」という批判に終始さらされた。
有権者は「一枚岩組織」のもたらす「わかりやすさ」を選好し、
「寄り合い所帯」の「わかりにくさ」を退けたのである。
この「組織のかたち」についての選好のうちに
私はこの選挙結果の歴史的な意味を見る。
現代人は「一枚岩」の、上意下達でトップの指示が末端にまで瞬時に伝達され、
成員が誰も命令に違背しない、そのような組織を好む。
そのような組織こそが「あるべき姿」であり、それ以外のかたち
(例えば、複数の組織が混在し、複数の命令系統が交錯し、
複数の利害が絡み合うようなかたち)は「あってはならない」ものだと信じている人が
たぶん現代人の過半を占めるであろう。
以前から繰り返しているように、この趨勢を私は「株式会社化」と呼んでいる。
CEOが経営方針を決定するというのはビジネスマンにとっては「常識」である。
従業員の過半の同意がなければ経営方針が決まらないような「民主的」な企業は
生き馬の目を抜くビジネスの世界を生き抜くことはできない(そもそも存在しない)。
ワンマン経営者は取締役会の合意さえしばしば無視するし、
株主総会は事後的に経営の成否について評価を下すが、
事前に経営方針の適否について判断する機関ではない。
株式会社はトップが独断専決することを許容するばかりか、
しばしばそれを理想とさえする。
トップによる独断が許されるのは、なぜか。
理由は簡単である。それは経営者のさらに上に「マーケット」という
上位審級が存在するからである。
経営戦略の適否を判断するのは従業員でもないし、取締役会でもないし、株主総会でもない。
それは「マーケット」である。
「マーケットは間違えない」というのはビジネスマンの揺らぐことのない信仰箇条である。
そして、ビジネスマンが「マーケットの下す判断」を愛するのは、
何より「マーケット」では判断が下るまでに長い時間を要さないからである。
経営政策の適否は、ただちに翌月の売り上げや株価として
誰にもわかる数値として開示される。
ビジネスマンにとって(もっと広く「営利企業で働く人々」と言い換えてもいい)にとっては
それが「社会というもの」である。
それ以外の組織のかたちを「生まれてから見たことがない」という人さえいるだろう。
例えば、子供の頃はよい成績を上げて、よい学校に進学することが
「家庭という企業」の製造する製品の質を示すことになると教え込まれ、
学校を卒業するときには、有名企業に入り、高い年収を得ることが
「大学という企業」のアウトプットの市場での評価を高めると教え込まれた子供が
サラリーマンになった場合、彼は生まれてから「そういう組織」しか見たことがない大人になる。
当然、その人は「あらゆる社会組織は株式会社のように制度化されねばならない」
と心から信じる市民となるだろう。
そのような人が政治を見ると、「マーケット」は選挙だということになる。
同業他社とのシェア争いが他党との得票率争いに相当する。
たしかに「マーケット」における売り上げやシェア争いと同じように開票結果は一夜でわかる。
政策の良否は選挙の勝敗によって示される。それで終わりである。「その後」はない。
ビジネスマンならそう言うだろう。
けれども、この「株式会社原理主義者」たちはたいせつなことを忘れている。
それは「政策は商品ではない」ということである。
さらに言えば、「国民国家や自治体は株式会社ではない」ということである。
どこが違うのかと言えば、責任の範囲がまったく違うのである。
株式会社にとって考え得る最悪の事態は倒産である。
けれども、それで終わりである。株主は出資金を失う。それ以上の責任は問われない。
株式会社は世にも稀な(というか唯一の)「有限責任体」なのである。
だが、国や自治体はそうではない。それは「無限責任体」である。
国や自治体に失政・失策があれば、そのツケを後続世代の人々は
半永久的に払い続けなければならない。
現に、福島原発はわが国の原子力政策の失敗だが、国土の汚染と住民たちの生業喪失と
健康被害は 東電が派手に倒産してみせたからと言ってまったく回復されることがない。
そもそも私たちは70年前に私たちが選任したわけでもない政治家や官僚や軍人たちが犯した
戦争の責任を今も問われ続けているではないか。
この責任追求が私たちの世代で終わるという楽観的見通しに与する日本人はごく少数であろう。
だからこそ、先人は共和政という使い勝手の悪い政体を選んだのだと私は思う。
共和政という、複数の価値観や複数の利害が絡み合うことを常態とする政体では
なかなかものごとが決まらない。
けれども、なかなかものごとが決まらずにいるうちに、
歴史の淘汰圧に耐え得ない空疎な政策や組織が消え失せ、生き残るべきものが生き残る。
適否の判断を「歴史という審判者」に委ねることを人々は選んだ。
それほどには歴史の判定力を人々が信じていたのである。
「歴史の審判力を信じる」共和主義者は
形式的には「マーケットは間違えない」と信じているビジネスマンと違わない。
違うのはどれくらいのタイムスパンでことの良否を判定するか、その時間の長さである。
政治については、一夜ではことの良否はわからない。 吟味のためには時間がかかる。
まして、選挙で相対的に多数を制した政党の政策が、
選挙結果だけを以て「正しい」ものであることが確定したなどということはありえない。
共和制的な合意形成には時間がかかる。けれども、その代価として、
国や自治体にどのような致命的失政があっても、それについて
「私には責任がない」「ほら見たことか」と言うような市民が
できるだけ出てこないように抑制することはできる。
共和制は全員が多かれ少なかれ現状に責任があるということを認め合う仕組みだからである。
「全員が政策決定がもたらす成功の恩恵も失敗の責任も等しく分かち合う仕組み」というのは、
言い方を変えれば、「全員が(ろくでもない)現状に
同程度に不満であるような仕組み」のことである。
私はこれを先賢が知恵を振り絞って構想した政治の仕組みだと思う。
けれども、残念ながら私たちの時代にはそのような仕組みに価値を見出す人は
次第に少数派になりつつある。
春信、二枚目、
「百人一首 藤原元真」です。
藤原 元真(ふじわら の もとざね、生没年不詳)
三十六歌仙の一人。
咲きにけり我が山里の卯の花は
垣根に消えぬ雪と見るまで
胡乱な「連合赤軍」、以前に書いています、
◆http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/35465511.html
新ベンチャー革命 2015年11月27日 No.1261
◎日米同盟を米国との対等な軍事同盟と考える人は、米国戦争屋の正体を知らない!
彼らにとって日本は 依然としてテロリスト国家なのだ
1.日本のマスコミは、今の日本が米国戦争屋の属国であることをまったく報じない:
われら国民はマスコミ報道だけに依存しては判断を誤る
本ブログ前号にて、今の安倍政権下の日本は、世界の敵・IS(イスラム国)への
テロ支援国家にさせられていると指摘しました。
なぜなら、ISをでっち上げた米国戦争屋ネオコンに、
今の日本政府と安倍政権が乗っ取られているからです。
しかしながら、この事実を日本国民にひた隠しにしたい米戦争屋ネオコンは
徹底的に日本のマスコミを監視していて、
今のマスコミは日本が米戦争屋の属国にされている事実を絶対に報じません。
とりわけ、日本のマスコミの日米外交報道における最大の欠落は
米戦争屋の存在を隠して報道している点です。
つまり、日本のマスコミは、今の米国には、正統なるオバマ政権と、
オバマと対立する米戦争屋勢力(米政権から下野中の勢力)と二つの勢力が存在している
ことをまったく報じないで、米国をひとつの国家とみなして報道しています。
したがって、日本のマスコミの国際情勢報道を真に受けると大きな誤解が生じます。
オバマ政権前のブッシュ米戦争屋政権下の米国は一つの国家だったのですが、
アンチ米戦争屋のオバマ政権下の今の米国は決して一つの国家ではなく、
二つのアメリカがあるのです。
この認識がないと、日米外交の真実は全く見えてきません。
2.日本を属国化している米国戦争屋は本音では、
日本をテロリスト国家とみなしている
9.11事件のとき、米戦争屋配下の米マスコミは、リメンバー・パールハーバー!と吠えました。
そして、今回のパリ・テロでは、ISテロリストをカミカゼ・テロリストと呼んでいます。
米戦争屋のみならず、欧米の戦争屋(NATO)はすべて、本音では、
日本はいまだにテロリスト国家なのです。
だから、いくら外務省が国連に多額のカネを出しても、絶対に、常任理事国にはなれません。
米戦争屋が戦後70年経っても、日本に米軍をおいているのは、
日本をテロリスト国家とみなして、まったく信用していないから
という見方も成り立つほどです。
米戦争屋は今でも、日本軍の真珠湾奇襲攻撃をテロ攻撃と位置づけているし、
カミカゼ特攻隊をテロリストとみなしているのです。
上記の見方に立てば、日米同盟とは、対日監視の方便とみなせます。
在日米軍の隠されたミッションは、日本人が再び、テロリストの本能を出さないよう
見張ることと本ブログではみなしています。
3.戦後の米国戦争屋は、戦争ビジネスにテロリスト活用は不可欠である
ことを戦前の軍国日本から学んだ
米戦争屋のプロにとって、戦前の軍国日本が生んだカミカゼ特攻隊は
非常な脅威であるとともに、非常な驚異でもあったのです。
戦後の米戦争屋はカミカゼ特攻隊に非常な関心を持ち、
洗脳技術に優れていた戦前ナチスの洗脳技術を導入するため、
CIA中心にMKウルトラ・プロジェクトを秘密裏に実行、
今では米戦争屋はイラク戦争やアフガン戦争で獲得した捕虜を
カミカゼ・テロリストに利用する技術を確立しています。
イラク戦争のとき多発した自爆テロの多くはMKウルトラ・プロジェクトの成果と思われます。
ところで戦後に生まれた日本赤軍(過激派左翼)が1972年に
イスラエル・テルアビブ空港でテロ事件を起こしましたが、
犯人の一人であった岡本公三(注3)は、死刑にならず、今でもレバノンで健在のようです。
米戦争屋の一味であるイスラエル・ネオコンは、岡本被告をカミカゼ特攻隊の研究の一環として、
モルモットにしてきたと疑われます。
なお、本ブログでは、70年代の新左翼であった日本赤軍は、
ソ連系の左翼組織を弱体化させるため、米戦争屋CIAネオコンが密かに育成した
日本発過激派テロリストの元祖であると観ています。
4.米国戦争屋ネオコンに支配される日米安保マフィア官僚は、
もっと米戦争屋の正体を研究すべき
日本を属国化している米戦争屋ネオコンは、
日米安保マフィア官僚を巧みにコントロールしていますが、
これらの官僚の多くは東大を出て、そのまま官僚になっており、
米国人の正体を見破れないと思われます。
筆者は米外資で16年半勤務したので、そのことが手に取るようによくわかります。
オオカミに等しい米戦争屋ジャパンハンドラーにとって、
日米安保マフィア官僚はまさに赤頭巾ちゃんそのものです。
赤子の手をひねるに等しいわけです。
こうして、今の日本は米戦争屋ネオコンにまんまと乗っ取られたのです。
日米安保マフィアのエリート官僚は、彼らが仕える米戦争屋は
日本人をテロリスト予備軍としか観ていないことを冷静に認識すべきです。
この発想から、米戦争屋は自衛隊を
カミカゼ・テロリストとして利用できると観ているはずです。
少なくとも、IS(イスラム国)テロリストよりは使いでがあると観ているでしょう、
だから、安倍氏を恫喝して、戦争法案を急がせているのです。
日米安保マフィア官僚連中は、米戦争屋が勧めた日米同盟を、
その言葉どおりに、日米間の軍事同盟と受け止めているとしたら、
それは大きな勘違いです。
米国人が日本人においしい話を持ちかけてきたら、
それには必ずウラがあると知るべきです。
しかしながら、トッチャンボウヤのままの東大卒官僚には
それが読めないのではないでしょうか。
5.米国戦争屋の企む自衛隊員のカミカゼ特攻隊員化は絶対に成功しない
戦前のカミカゼ特攻隊員は、戦争をビジネスにする米戦争屋にとって
今でも垂涎の的なのです。
なぜなら、戦後70年経っても、また、MKウルトラに莫大な予算をつぎ込んでも、
彼らはいまだに、米兵のカミカゼ特攻隊員化には成功していません。
戦前の軍国日本は子供に皇国教育をやって、ナチス同様に一定程度、洗脳してきましたが、
カミカゼ特攻隊員は、それに加えて、愛する日本と両親や兄弟のために犠牲になったのです。
米戦争屋にはその心は永遠にわからないでしょう。
だから、安倍氏に戦争法案を可決させるのには成功しても、
自衛隊員のカミカゼ特攻隊員化にも成功するとは限りません。
自衛隊員には、米戦争屋のためにおのれの命を犠牲にする心はないからです。
そのことを米戦争屋も重々承知であり、彼らの傀儡テロ集団・ISの兵士には、
MKウルトラ技術に必要な薬物を使用していますが)、
自衛隊員がIS兵士の代替として米軍傭兵化された場合、薬物が使用される危険があります。
いずれにしても、安倍氏が強行させられた戦争法案が自衛隊員に適用されると、
最悪、自衛隊員がひどい目に遭わされる危険が満ち満ちています。
戦争法案を強行した安倍自民をいまだに能天気に支持する国民はもっと覚醒してください。
戦争法案適用で、自衛隊員が米兵と同列に戦闘させられると考える人がいたら、
それは大間違いです。
米戦争屋にとって、自衛隊は米軍傭兵であって、決して同盟軍ではありません、
それが彼らの本音です。
彼らの同盟軍はイスラエル軍とNATO軍くらいのものです。
春信、三枚目、
「坐鋪八景 あふきの晴嵐」です。
朝鮮カルト=オウム真理教、
◆http://lite-ra.com/2015/11/post-1726.html
リテラ 2015.11.28
◎オウム真理教・菊地直子「無罪判決」でわかった井上死刑囚の嘘!
証言の背後に性愛への嫌悪と検察シナリオ
オウム真理教元信者・菊地直子氏の無罪判決に衝撃が走っている。
一審では実刑判決だったものが、一転高裁で無罪。
これだけでも当局にとって衝撃だが、しかし理由はそれだけではない。
一審有罪の根拠となった教団幹部で死刑囚の井上嘉浩死刑囚の証言の信用性を、
高裁では認めず無罪を言い渡したからだ。
「(井上証言)は不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」
井上死刑囚が菊地氏の裁判に証人として出廷したのは昨年5月12日だ。
その際井上死刑囚は一審有罪の根拠となった、重要証言を行っている。
それが菊地氏が問われた都庁郵便物小包爆破の爆発物運搬に関し
「爆弾を製造した中川智正死刑囚が、菊地被告に爆弾運搬を指示した。
菊地被告もその目的だと承知していた」というものだった。
しかもその際井上死刑囚は、菊地氏と中川死刑囚が男女の関係にあったことも暴露している。
「菊地さんと中川さんは当時、男女の戒律を破った関係だと認識していたので、
そこが都合がいいかもと思いました。女性としての心を利用した面もあり、申し訳ない」
「菊地さんはアジトに来るたびに中川さんと和室に2人きりでこもっていた」
この証言の持つ意味は単に男女関係という以上に裁判の行方を左右していく。
菊地被告は運んだ爆発物は「農薬をつくるもので、爆薬の原料だとは知らなかった」として
一貫して無罪を主張し、男女関係についても否定するなど井上証言を真っ向から否定、
さらに中川死刑囚もまた法廷証言で、
「(薬物の使用目的を)菊地被告に説明したり話したことはない」
「菊地被告の知識は高校の科学レベル」と菊地被告の関与を否定していた。
しかし検察は“2人は恋愛関係にあった“との井上証言を最大限に利用した。
中川死刑囚の証言は恋愛関係にあった菊地被告を庇っているだけ、として井上証言を根拠に、
それに沿う形で立証を展開していったのだ。
ところが一審では認められた井上証言が高裁では「信用できない」と否定されてしまう。
だが、この裁判における井上証言は当初から、不自然だとの声が指摘されていた。
井上自身が指示したわけでも、中川死刑囚が指示しているのを直接聞いたわけでもない。
菊地被告に説明していた、了解を得ていたというのは推測にすぎない。
しかも、2人が「男女の戒律を破った関係」であることまで法廷で暴露するとは……。
そんなところから、この証言の背後には、
井上死刑囚の 教団内の性愛関係に対する嫌悪感 があるのでは、という見方もあった。
周知のように、オウム真理教の出家信者は「不邪淫」という戒律があり、
配偶者以外との性行為や恋愛、オナニーが禁止されていた。
ところが、現実はまったくちがっていて、男女が入り乱れて肉体関係をもつという、
むしろ一般社会より乱れた状況にあった。
菊地被告についてもまた中川死刑囚だけではなく、他の信者らに恋愛感情を抱いていたことや
肉体関係があったことも明らかになっている。
さらに菊地被告は逃亡生活の中で高橋克也被告と行動をともにし、
レイプまがいで関係を迫られ、男女の仲になったという報道もあった。
そんな中で井上死刑囚は女性に触れられることを
「エネルギーが抜ける、カルマが交換される」と極度に嫌がり、
今回の法廷でも“今でも童貞”と誇らしげに語っていたほど潔癖をつらぬいていた。
つまり、菊地被告と中川被告の男女関係を法廷で暴露したのは
井上死刑囚のそういった潔癖性の現れではないか、というのだ。
だが、それよりもやはり大きいのは、検察の存在だろう。
検察としては、当事者である中川死刑囚が
菊地被告の関与を否定しているという状況をくつがえすには、
中川死刑囚と菊地被告の“特別な関係”を立証するしかなかった。
井上死刑囚はまさにシナリオ通り、その証言者を演じたのだ。
実際、井上死刑囚はこれまでも一連のオウム裁判で、
検察のシナリオに沿った、いわば検察の都合のいい証言を続けてきた。
例えば菊地氏と同じく17年間の逃亡の末逮捕された高橋克也被告は
地下鉄サリン事件や目黒公証役場事件の関与に関して、
「サリンとは知らなかった」「被害者の仮谷清志さんに注射を打つことも知らなかった」
と主張したのに対し、井上死刑囚は「サリンを撒くから運転手をするように」
「仮谷さんが暴れないようにクスリを打って眠らせることを高橋被告に確認した」と
有罪の根拠になる重要な証言をしている。
だが一方で井上死刑囚は逮捕当時「(仮谷さんの注射について)高橋は知らなかった」
と全く逆の供述していたのだ。
さらにこの際、麻酔薬を投与した中川死刑囚から
「ポア(殺害)できる薬物を試したら死んだと聞いた」とも証言しているが、
中川死刑囚はこれを否定。
さらにその場にいた元医師の林郁夫受刑者も「井上証言はあり得ない」と証言している。
それだけでなく殺害された仮谷さんの長男でさえ、
中川被告の殺害示唆を「信じがたい」と井上証言に疑問を呈したほどだ。
また井上死刑囚は、宗教学者のマンション爆破などに問われた平田信被告の裁判においても、
事件前に同被告に「これから『やらせ』で爆弾をしかけると言った記憶がある」と事前共謀、
計画があったことを証言し、「何も知らなかった」と主張する平田被告と対立している。
平田被告はともかく、既に死刑が確定している中川死刑囚が、
殺意を否定するという嘘をつく理由はない。
一方の井上死刑囚は、数々のオウム裁判において「これまで誰も知らなかった」新証言を
不自然なまでに繰り出し、多くのオウム被告たちを“より重罪”へと導いていったのだ。
あるオウム取材を長年続けてきた公安ジャーナリストはこう解説する。
「教祖・麻原彰晃の側近で諜報省大臣として非公然活動を担当した井上死刑囚ですが、
オウム裁判が始まると、一転、麻原や元信者たちと対峙してきた。
それは事件への反省という意味もあるでしょうが、しかし取調べの過程で、
オウムへの帰依や洗脳を捨てさせ、逆に検察への逆洗脳が起こったと見られています。
その後は、まるで“検察真理教”となったがごとく、検察にとって有利な証言を繰り返し、
“有罪請負人”の役割を果たしてきた。
オウム事件は多くの信者が関わり、
その役割は 物証ではなく彼らの証言に依存せざるを得なかった。
そこで検察の描いたストーリーに沿った公判を維持するため
井上死刑囚が果たした役割は大きい」
その結果、井上死刑囚と他オウム被告たちの証言はことごとく食い違っていくのだが、
しかし裁判所もまた井上死刑囚の証言を採用していく。
その結果オウム被告たちは、より重い罪に問われるだけでなく、
事件の“真実” “真相”すら曖昧に、そして闇に葬られることになったのだ。
ところが、今回初めて井上証言の信用性に疑問符がついた。
こうした評価がなされた以上、他事件に関してももう一度、その精査が必要だろう。
一連のオウム真理教事件の“真相“を知るためにも。
(伊勢崎馨)
↑
井上嘉浩・死刑囚がキーマンなわけだ、初見ですな。
オウムは松本智津夫以下、幹部は「在日」だらけ、
在日鮮人に刺殺された村井秀夫を除き、早川とか統一教会系の鮮人だらけです。
「ユダ(ヤ)にやられた!」が村井秀夫の最後の言葉。
「闇」は深いです。
享保10年(1725年)? ~ 明和7年(1770年) 作
三十六歌仙 「源信明朝臣」です。
源信明 みなもとのさねあきら
延喜十 ~ 天禄一 (910-970)
恋しさはおなじ心にあらずとも
今宵の月を君見ざらめや
☆晴れ、冷え込む、午後から雪か。
大阪ローカルなのでは、
◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2015.11.27
◎株式会社化する政治
大阪ダブル選では、政策的には候補者間に大きな違いはなかった。
いずれの候補者も大阪の全方位的な長期低落傾向を嘆き、
再活性化の喫緊であることを訴えていた。
そして、結局「大阪都構想」が再び争点になった。
ふつう半年前に否決された政策が(特段の条件の変化があったわけでもないのに)
再び争点化するということはない。
ということは、この選挙のほんとうの「賭け金」が
政策ではなかったということを意味している。
大阪の有権者が選択を求められたのは政策の「中身(コンテンツ)」ではなく、
候補者の人間性あるいは手法という「容れ物(コンテナー)」だった
と私は理解している。
維新・非維新候補の際立った違いは何よりも「一枚岩の政党」の候補者か
「寄り合い所帯」の候補者かという点にあった。
有権者たちはその違いに最も敏感に反応した。
「街の声」でも、SNSに流れた感想でも、大阪維新のアドバンテージとして
「話がわかりやすい」 「言うことに一貫性がある」を挙げたものが多かったし、
逆に、自民党・民主党・共産党が推した候補者たちはまさに国政において
対立している政党の支援を基盤にしたゆえに、
いったいどのような立場を代表しているのか「わからない」という批判に終始さらされた。
有権者は「一枚岩組織」のもたらす「わかりやすさ」を選好し、
「寄り合い所帯」の「わかりにくさ」を退けたのである。
この「組織のかたち」についての選好のうちに
私はこの選挙結果の歴史的な意味を見る。
現代人は「一枚岩」の、上意下達でトップの指示が末端にまで瞬時に伝達され、
成員が誰も命令に違背しない、そのような組織を好む。
そのような組織こそが「あるべき姿」であり、それ以外のかたち
(例えば、複数の組織が混在し、複数の命令系統が交錯し、
複数の利害が絡み合うようなかたち)は「あってはならない」ものだと信じている人が
たぶん現代人の過半を占めるであろう。
以前から繰り返しているように、この趨勢を私は「株式会社化」と呼んでいる。
CEOが経営方針を決定するというのはビジネスマンにとっては「常識」である。
従業員の過半の同意がなければ経営方針が決まらないような「民主的」な企業は
生き馬の目を抜くビジネスの世界を生き抜くことはできない(そもそも存在しない)。
ワンマン経営者は取締役会の合意さえしばしば無視するし、
株主総会は事後的に経営の成否について評価を下すが、
事前に経営方針の適否について判断する機関ではない。
株式会社はトップが独断専決することを許容するばかりか、
しばしばそれを理想とさえする。
トップによる独断が許されるのは、なぜか。
理由は簡単である。それは経営者のさらに上に「マーケット」という
上位審級が存在するからである。
経営戦略の適否を判断するのは従業員でもないし、取締役会でもないし、株主総会でもない。
それは「マーケット」である。
「マーケットは間違えない」というのはビジネスマンの揺らぐことのない信仰箇条である。
そして、ビジネスマンが「マーケットの下す判断」を愛するのは、
何より「マーケット」では判断が下るまでに長い時間を要さないからである。
経営政策の適否は、ただちに翌月の売り上げや株価として
誰にもわかる数値として開示される。
ビジネスマンにとって(もっと広く「営利企業で働く人々」と言い換えてもいい)にとっては
それが「社会というもの」である。
それ以外の組織のかたちを「生まれてから見たことがない」という人さえいるだろう。
例えば、子供の頃はよい成績を上げて、よい学校に進学することが
「家庭という企業」の製造する製品の質を示すことになると教え込まれ、
学校を卒業するときには、有名企業に入り、高い年収を得ることが
「大学という企業」のアウトプットの市場での評価を高めると教え込まれた子供が
サラリーマンになった場合、彼は生まれてから「そういう組織」しか見たことがない大人になる。
当然、その人は「あらゆる社会組織は株式会社のように制度化されねばならない」
と心から信じる市民となるだろう。
そのような人が政治を見ると、「マーケット」は選挙だということになる。
同業他社とのシェア争いが他党との得票率争いに相当する。
たしかに「マーケット」における売り上げやシェア争いと同じように開票結果は一夜でわかる。
政策の良否は選挙の勝敗によって示される。それで終わりである。「その後」はない。
ビジネスマンならそう言うだろう。
けれども、この「株式会社原理主義者」たちはたいせつなことを忘れている。
それは「政策は商品ではない」ということである。
さらに言えば、「国民国家や自治体は株式会社ではない」ということである。
どこが違うのかと言えば、責任の範囲がまったく違うのである。
株式会社にとって考え得る最悪の事態は倒産である。
けれども、それで終わりである。株主は出資金を失う。それ以上の責任は問われない。
株式会社は世にも稀な(というか唯一の)「有限責任体」なのである。
だが、国や自治体はそうではない。それは「無限責任体」である。
国や自治体に失政・失策があれば、そのツケを後続世代の人々は
半永久的に払い続けなければならない。
現に、福島原発はわが国の原子力政策の失敗だが、国土の汚染と住民たちの生業喪失と
健康被害は 東電が派手に倒産してみせたからと言ってまったく回復されることがない。
そもそも私たちは70年前に私たちが選任したわけでもない政治家や官僚や軍人たちが犯した
戦争の責任を今も問われ続けているではないか。
この責任追求が私たちの世代で終わるという楽観的見通しに与する日本人はごく少数であろう。
だからこそ、先人は共和政という使い勝手の悪い政体を選んだのだと私は思う。
共和政という、複数の価値観や複数の利害が絡み合うことを常態とする政体では
なかなかものごとが決まらない。
けれども、なかなかものごとが決まらずにいるうちに、
歴史の淘汰圧に耐え得ない空疎な政策や組織が消え失せ、生き残るべきものが生き残る。
適否の判断を「歴史という審判者」に委ねることを人々は選んだ。
それほどには歴史の判定力を人々が信じていたのである。
「歴史の審判力を信じる」共和主義者は
形式的には「マーケットは間違えない」と信じているビジネスマンと違わない。
違うのはどれくらいのタイムスパンでことの良否を判定するか、その時間の長さである。
政治については、一夜ではことの良否はわからない。 吟味のためには時間がかかる。
まして、選挙で相対的に多数を制した政党の政策が、
選挙結果だけを以て「正しい」ものであることが確定したなどということはありえない。
共和制的な合意形成には時間がかかる。けれども、その代価として、
国や自治体にどのような致命的失政があっても、それについて
「私には責任がない」「ほら見たことか」と言うような市民が
できるだけ出てこないように抑制することはできる。
共和制は全員が多かれ少なかれ現状に責任があるということを認め合う仕組みだからである。
「全員が政策決定がもたらす成功の恩恵も失敗の責任も等しく分かち合う仕組み」というのは、
言い方を変えれば、「全員が(ろくでもない)現状に
同程度に不満であるような仕組み」のことである。
私はこれを先賢が知恵を振り絞って構想した政治の仕組みだと思う。
けれども、残念ながら私たちの時代にはそのような仕組みに価値を見出す人は
次第に少数派になりつつある。
春信、二枚目、
「百人一首 藤原元真」です。
藤原 元真(ふじわら の もとざね、生没年不詳)
三十六歌仙の一人。
咲きにけり我が山里の卯の花は
垣根に消えぬ雪と見るまで
胡乱な「連合赤軍」、以前に書いています、
◆http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/35465511.html
新ベンチャー革命 2015年11月27日 No.1261
◎日米同盟を米国との対等な軍事同盟と考える人は、米国戦争屋の正体を知らない!
彼らにとって日本は 依然としてテロリスト国家なのだ
1.日本のマスコミは、今の日本が米国戦争屋の属国であることをまったく報じない:
われら国民はマスコミ報道だけに依存しては判断を誤る
本ブログ前号にて、今の安倍政権下の日本は、世界の敵・IS(イスラム国)への
テロ支援国家にさせられていると指摘しました。
なぜなら、ISをでっち上げた米国戦争屋ネオコンに、
今の日本政府と安倍政権が乗っ取られているからです。
しかしながら、この事実を日本国民にひた隠しにしたい米戦争屋ネオコンは
徹底的に日本のマスコミを監視していて、
今のマスコミは日本が米戦争屋の属国にされている事実を絶対に報じません。
とりわけ、日本のマスコミの日米外交報道における最大の欠落は
米戦争屋の存在を隠して報道している点です。
つまり、日本のマスコミは、今の米国には、正統なるオバマ政権と、
オバマと対立する米戦争屋勢力(米政権から下野中の勢力)と二つの勢力が存在している
ことをまったく報じないで、米国をひとつの国家とみなして報道しています。
したがって、日本のマスコミの国際情勢報道を真に受けると大きな誤解が生じます。
オバマ政権前のブッシュ米戦争屋政権下の米国は一つの国家だったのですが、
アンチ米戦争屋のオバマ政権下の今の米国は決して一つの国家ではなく、
二つのアメリカがあるのです。
この認識がないと、日米外交の真実は全く見えてきません。
2.日本を属国化している米国戦争屋は本音では、
日本をテロリスト国家とみなしている
9.11事件のとき、米戦争屋配下の米マスコミは、リメンバー・パールハーバー!と吠えました。
そして、今回のパリ・テロでは、ISテロリストをカミカゼ・テロリストと呼んでいます。
米戦争屋のみならず、欧米の戦争屋(NATO)はすべて、本音では、
日本はいまだにテロリスト国家なのです。
だから、いくら外務省が国連に多額のカネを出しても、絶対に、常任理事国にはなれません。
米戦争屋が戦後70年経っても、日本に米軍をおいているのは、
日本をテロリスト国家とみなして、まったく信用していないから
という見方も成り立つほどです。
米戦争屋は今でも、日本軍の真珠湾奇襲攻撃をテロ攻撃と位置づけているし、
カミカゼ特攻隊をテロリストとみなしているのです。
上記の見方に立てば、日米同盟とは、対日監視の方便とみなせます。
在日米軍の隠されたミッションは、日本人が再び、テロリストの本能を出さないよう
見張ることと本ブログではみなしています。
3.戦後の米国戦争屋は、戦争ビジネスにテロリスト活用は不可欠である
ことを戦前の軍国日本から学んだ
米戦争屋のプロにとって、戦前の軍国日本が生んだカミカゼ特攻隊は
非常な脅威であるとともに、非常な驚異でもあったのです。
戦後の米戦争屋はカミカゼ特攻隊に非常な関心を持ち、
洗脳技術に優れていた戦前ナチスの洗脳技術を導入するため、
CIA中心にMKウルトラ・プロジェクトを秘密裏に実行、
今では米戦争屋はイラク戦争やアフガン戦争で獲得した捕虜を
カミカゼ・テロリストに利用する技術を確立しています。
イラク戦争のとき多発した自爆テロの多くはMKウルトラ・プロジェクトの成果と思われます。
ところで戦後に生まれた日本赤軍(過激派左翼)が1972年に
イスラエル・テルアビブ空港でテロ事件を起こしましたが、
犯人の一人であった岡本公三(注3)は、死刑にならず、今でもレバノンで健在のようです。
米戦争屋の一味であるイスラエル・ネオコンは、岡本被告をカミカゼ特攻隊の研究の一環として、
モルモットにしてきたと疑われます。
なお、本ブログでは、70年代の新左翼であった日本赤軍は、
ソ連系の左翼組織を弱体化させるため、米戦争屋CIAネオコンが密かに育成した
日本発過激派テロリストの元祖であると観ています。
4.米国戦争屋ネオコンに支配される日米安保マフィア官僚は、
もっと米戦争屋の正体を研究すべき
日本を属国化している米戦争屋ネオコンは、
日米安保マフィア官僚を巧みにコントロールしていますが、
これらの官僚の多くは東大を出て、そのまま官僚になっており、
米国人の正体を見破れないと思われます。
筆者は米外資で16年半勤務したので、そのことが手に取るようによくわかります。
オオカミに等しい米戦争屋ジャパンハンドラーにとって、
日米安保マフィア官僚はまさに赤頭巾ちゃんそのものです。
赤子の手をひねるに等しいわけです。
こうして、今の日本は米戦争屋ネオコンにまんまと乗っ取られたのです。
日米安保マフィアのエリート官僚は、彼らが仕える米戦争屋は
日本人をテロリスト予備軍としか観ていないことを冷静に認識すべきです。
この発想から、米戦争屋は自衛隊を
カミカゼ・テロリストとして利用できると観ているはずです。
少なくとも、IS(イスラム国)テロリストよりは使いでがあると観ているでしょう、
だから、安倍氏を恫喝して、戦争法案を急がせているのです。
日米安保マフィア官僚連中は、米戦争屋が勧めた日米同盟を、
その言葉どおりに、日米間の軍事同盟と受け止めているとしたら、
それは大きな勘違いです。
米国人が日本人においしい話を持ちかけてきたら、
それには必ずウラがあると知るべきです。
しかしながら、トッチャンボウヤのままの東大卒官僚には
それが読めないのではないでしょうか。
5.米国戦争屋の企む自衛隊員のカミカゼ特攻隊員化は絶対に成功しない
戦前のカミカゼ特攻隊員は、戦争をビジネスにする米戦争屋にとって
今でも垂涎の的なのです。
なぜなら、戦後70年経っても、また、MKウルトラに莫大な予算をつぎ込んでも、
彼らはいまだに、米兵のカミカゼ特攻隊員化には成功していません。
戦前の軍国日本は子供に皇国教育をやって、ナチス同様に一定程度、洗脳してきましたが、
カミカゼ特攻隊員は、それに加えて、愛する日本と両親や兄弟のために犠牲になったのです。
米戦争屋にはその心は永遠にわからないでしょう。
だから、安倍氏に戦争法案を可決させるのには成功しても、
自衛隊員のカミカゼ特攻隊員化にも成功するとは限りません。
自衛隊員には、米戦争屋のためにおのれの命を犠牲にする心はないからです。
そのことを米戦争屋も重々承知であり、彼らの傀儡テロ集団・ISの兵士には、
MKウルトラ技術に必要な薬物を使用していますが)、
自衛隊員がIS兵士の代替として米軍傭兵化された場合、薬物が使用される危険があります。
いずれにしても、安倍氏が強行させられた戦争法案が自衛隊員に適用されると、
最悪、自衛隊員がひどい目に遭わされる危険が満ち満ちています。
戦争法案を強行した安倍自民をいまだに能天気に支持する国民はもっと覚醒してください。
戦争法案適用で、自衛隊員が米兵と同列に戦闘させられると考える人がいたら、
それは大間違いです。
米戦争屋にとって、自衛隊は米軍傭兵であって、決して同盟軍ではありません、
それが彼らの本音です。
彼らの同盟軍はイスラエル軍とNATO軍くらいのものです。
春信、三枚目、
「坐鋪八景 あふきの晴嵐」です。
朝鮮カルト=オウム真理教、
◆http://lite-ra.com/2015/11/post-1726.html
リテラ 2015.11.28
◎オウム真理教・菊地直子「無罪判決」でわかった井上死刑囚の嘘!
証言の背後に性愛への嫌悪と検察シナリオ
オウム真理教元信者・菊地直子氏の無罪判決に衝撃が走っている。
一審では実刑判決だったものが、一転高裁で無罪。
これだけでも当局にとって衝撃だが、しかし理由はそれだけではない。
一審有罪の根拠となった教団幹部で死刑囚の井上嘉浩死刑囚の証言の信用性を、
高裁では認めず無罪を言い渡したからだ。
「(井上証言)は不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」
井上死刑囚が菊地氏の裁判に証人として出廷したのは昨年5月12日だ。
その際井上死刑囚は一審有罪の根拠となった、重要証言を行っている。
それが菊地氏が問われた都庁郵便物小包爆破の爆発物運搬に関し
「爆弾を製造した中川智正死刑囚が、菊地被告に爆弾運搬を指示した。
菊地被告もその目的だと承知していた」というものだった。
しかもその際井上死刑囚は、菊地氏と中川死刑囚が男女の関係にあったことも暴露している。
「菊地さんと中川さんは当時、男女の戒律を破った関係だと認識していたので、
そこが都合がいいかもと思いました。女性としての心を利用した面もあり、申し訳ない」
「菊地さんはアジトに来るたびに中川さんと和室に2人きりでこもっていた」
この証言の持つ意味は単に男女関係という以上に裁判の行方を左右していく。
菊地被告は運んだ爆発物は「農薬をつくるもので、爆薬の原料だとは知らなかった」として
一貫して無罪を主張し、男女関係についても否定するなど井上証言を真っ向から否定、
さらに中川死刑囚もまた法廷証言で、
「(薬物の使用目的を)菊地被告に説明したり話したことはない」
「菊地被告の知識は高校の科学レベル」と菊地被告の関与を否定していた。
しかし検察は“2人は恋愛関係にあった“との井上証言を最大限に利用した。
中川死刑囚の証言は恋愛関係にあった菊地被告を庇っているだけ、として井上証言を根拠に、
それに沿う形で立証を展開していったのだ。
ところが一審では認められた井上証言が高裁では「信用できない」と否定されてしまう。
だが、この裁判における井上証言は当初から、不自然だとの声が指摘されていた。
井上自身が指示したわけでも、中川死刑囚が指示しているのを直接聞いたわけでもない。
菊地被告に説明していた、了解を得ていたというのは推測にすぎない。
しかも、2人が「男女の戒律を破った関係」であることまで法廷で暴露するとは……。
そんなところから、この証言の背後には、
井上死刑囚の 教団内の性愛関係に対する嫌悪感 があるのでは、という見方もあった。
周知のように、オウム真理教の出家信者は「不邪淫」という戒律があり、
配偶者以外との性行為や恋愛、オナニーが禁止されていた。
ところが、現実はまったくちがっていて、男女が入り乱れて肉体関係をもつという、
むしろ一般社会より乱れた状況にあった。
菊地被告についてもまた中川死刑囚だけではなく、他の信者らに恋愛感情を抱いていたことや
肉体関係があったことも明らかになっている。
さらに菊地被告は逃亡生活の中で高橋克也被告と行動をともにし、
レイプまがいで関係を迫られ、男女の仲になったという報道もあった。
そんな中で井上死刑囚は女性に触れられることを
「エネルギーが抜ける、カルマが交換される」と極度に嫌がり、
今回の法廷でも“今でも童貞”と誇らしげに語っていたほど潔癖をつらぬいていた。
つまり、菊地被告と中川被告の男女関係を法廷で暴露したのは
井上死刑囚のそういった潔癖性の現れではないか、というのだ。
だが、それよりもやはり大きいのは、検察の存在だろう。
検察としては、当事者である中川死刑囚が
菊地被告の関与を否定しているという状況をくつがえすには、
中川死刑囚と菊地被告の“特別な関係”を立証するしかなかった。
井上死刑囚はまさにシナリオ通り、その証言者を演じたのだ。
実際、井上死刑囚はこれまでも一連のオウム裁判で、
検察のシナリオに沿った、いわば検察の都合のいい証言を続けてきた。
例えば菊地氏と同じく17年間の逃亡の末逮捕された高橋克也被告は
地下鉄サリン事件や目黒公証役場事件の関与に関して、
「サリンとは知らなかった」「被害者の仮谷清志さんに注射を打つことも知らなかった」
と主張したのに対し、井上死刑囚は「サリンを撒くから運転手をするように」
「仮谷さんが暴れないようにクスリを打って眠らせることを高橋被告に確認した」と
有罪の根拠になる重要な証言をしている。
だが一方で井上死刑囚は逮捕当時「(仮谷さんの注射について)高橋は知らなかった」
と全く逆の供述していたのだ。
さらにこの際、麻酔薬を投与した中川死刑囚から
「ポア(殺害)できる薬物を試したら死んだと聞いた」とも証言しているが、
中川死刑囚はこれを否定。
さらにその場にいた元医師の林郁夫受刑者も「井上証言はあり得ない」と証言している。
それだけでなく殺害された仮谷さんの長男でさえ、
中川被告の殺害示唆を「信じがたい」と井上証言に疑問を呈したほどだ。
また井上死刑囚は、宗教学者のマンション爆破などに問われた平田信被告の裁判においても、
事件前に同被告に「これから『やらせ』で爆弾をしかけると言った記憶がある」と事前共謀、
計画があったことを証言し、「何も知らなかった」と主張する平田被告と対立している。
平田被告はともかく、既に死刑が確定している中川死刑囚が、
殺意を否定するという嘘をつく理由はない。
一方の井上死刑囚は、数々のオウム裁判において「これまで誰も知らなかった」新証言を
不自然なまでに繰り出し、多くのオウム被告たちを“より重罪”へと導いていったのだ。
あるオウム取材を長年続けてきた公安ジャーナリストはこう解説する。
「教祖・麻原彰晃の側近で諜報省大臣として非公然活動を担当した井上死刑囚ですが、
オウム裁判が始まると、一転、麻原や元信者たちと対峙してきた。
それは事件への反省という意味もあるでしょうが、しかし取調べの過程で、
オウムへの帰依や洗脳を捨てさせ、逆に検察への逆洗脳が起こったと見られています。
その後は、まるで“検察真理教”となったがごとく、検察にとって有利な証言を繰り返し、
“有罪請負人”の役割を果たしてきた。
オウム事件は多くの信者が関わり、
その役割は 物証ではなく彼らの証言に依存せざるを得なかった。
そこで検察の描いたストーリーに沿った公判を維持するため
井上死刑囚が果たした役割は大きい」
その結果、井上死刑囚と他オウム被告たちの証言はことごとく食い違っていくのだが、
しかし裁判所もまた井上死刑囚の証言を採用していく。
その結果オウム被告たちは、より重い罪に問われるだけでなく、
事件の“真実” “真相”すら曖昧に、そして闇に葬られることになったのだ。
ところが、今回初めて井上証言の信用性に疑問符がついた。
こうした評価がなされた以上、他事件に関してももう一度、その精査が必要だろう。
一連のオウム真理教事件の“真相“を知るためにも。
(伊勢崎馨)
↑
井上嘉浩・死刑囚がキーマンなわけだ、初見ですな。
オウムは松本智津夫以下、幹部は「在日」だらけ、
在日鮮人に刺殺された村井秀夫を除き、早川とか統一教会系の鮮人だらけです。
「ユダ(ヤ)にやられた!」が村井秀夫の最後の言葉。
「闇」は深いです。