画は 拙作にて、
「川越の名号」です。
(親鸞聖人御一代記圖繪より)
油彩F10号
☆曇。
波乱の2015年後半のスタートですね。
ギリシャのデホルトが如何なる影響を及ぼすか? 目が離せません。
我らは「心を強く」生き抜いてまいりましょう!
奇譚、奇瑞は弘法大師や日蓮の専売特許ではありませんよw
親鸞聖人にもあるのです、ただ声高にそれを言わぬのが宗風です。
で、越後七不思議の内、「川越の名号」です、
☆http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/821912/2
親鸞聖人御一代記圖繪
☆http://kindai.ndl.go.jp/view/
jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F908966&contentNo=32&outputScale=1
親鸞聖人正統傳繪記 川越の名号
などが伝承なのですが、ここは、
津本 陽 「彌陀の橋は 親鸞聖人伝 上」より、
文春文庫 p322~
それは、親鸞が四十一歳になった建保元年(1213)から二年のなかばにかけての、
短い歳月だった。
親鸞が説教をして各所を回るあいだに、彼を慕い、
どこまでもついてくる老女がいた。
親鸞は米三寺川(べさんじがわ)という川のほとりまで来た時、老女を諭した。
「さように儂を頼りすぎてはならぬ。阿弥陀如来の誓願におすがりするのじゃ。
そなたは家に戻り、これまでのように暮らしつつ、
お名号をとなえるようにせよ。それが極楽往生のただひとつの道じゃ。
さ、この岸にて別れよう。」
老女は涙に頬を濡らし、親鸞と別れることを承知した。
親鸞は向う岸へ渡り、ふりかえる。
老女は惜別の思いに押されるように立ち上がり、
懐から一枚の白紙をとりだし、たかだかと掲げた。
親鸞は、老女がなにを望んでいるかを、とっさに覚った。
彼女は親鸞がもう一度川を渡り、戻ってきて、
白紙に南無阿弥陀仏の六字名号を、書きしるしてほしいと願っているのである。
親鸞は戻りかけたが、足をとめた。
戻れば老女と別れてゆけなくなると、思ったためである。
ひたすらに親鸞の説教に聞き惚れ、身内に残った言葉のいくつかの
かけらにとりすがるようにして生きている老女の顔は、
あまりにも優しげに澄みきっている。
親鸞は川辺に立ち、老女の眼を見つめるうち、墨壺をとりだした。
最信、覚善が真昼の日差しの下で、
親鸞がなにをするのかと見守っている。
色の淡いとんぼが空中に浮いている、秋のはじめであった。
親鸞は筆に墨をふくませ、右手を高く上げ、
宙にゆっくりと動かしてゆく。
南無と書いたとき、最信たちは息をのんだ。
老女の掲げた祇に、親鸞のいかめしい書体の墨痕が、
あざやかにあらわれたからである。
親鸞は夢中で筆を動かす。
白紙には、南無阿弥陀仏の字が、くろぐろと浮き出ていた。
親鸞は急に全身の力が抜けはて、川岸の草のうえに腰を下ろし、
瞑目したまま合唱した。
ーーーかようなことがあろうか。 儂は魔法をつかうものではない。
今この場に阿弥陀如来がおわしますとしか思えぬ。 さもなくば、
わが眼を疑うごときことがあらわれるわけはないーーー
親鸞は夢中で数珠をつまぐり、祈念をこらす。
「なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだーぶー」
われにかえると、
最信、覚善も草の上にひれふし、念仏の声をうねらせていた。
「さて、参ろうぞ。もはやあとに思いを残すこともない。めでたきことよ。」
最信たちは、ありえない事実を目のあたりにして心を打たれ、
呆けたように立ちあがる。
親鸞は言った。
「いま見しことは忘れよ。いっさい他言するでないぞ。
儂もこの場にて忘れよう。」
最信たちは、胸中の思いをかみしめるようにつぶやく。
「お上人さまは人ではねえべ。まさしくみ仏じゃ。」
親鸞は米三寺川の対岸をふりかえらず、遠ざかっていった。
↑
心に沁みる断章です。
数ある「親鸞本」では一番だと思います、ご一読をお勧めします。
再掲ですが、拙作二枚目、
「幻想 安城の御影」です。油彩F10号
「川越の名号」です。
(親鸞聖人御一代記圖繪より)
油彩F10号
☆曇。
波乱の2015年後半のスタートですね。
ギリシャのデホルトが如何なる影響を及ぼすか? 目が離せません。
我らは「心を強く」生き抜いてまいりましょう!
奇譚、奇瑞は弘法大師や日蓮の専売特許ではありませんよw
親鸞聖人にもあるのです、ただ声高にそれを言わぬのが宗風です。
で、越後七不思議の内、「川越の名号」です、
☆http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/821912/2
親鸞聖人御一代記圖繪
☆http://kindai.ndl.go.jp/view/
jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F908966&contentNo=32&outputScale=1
親鸞聖人正統傳繪記 川越の名号
などが伝承なのですが、ここは、
津本 陽 「彌陀の橋は 親鸞聖人伝 上」より、
文春文庫 p322~
それは、親鸞が四十一歳になった建保元年(1213)から二年のなかばにかけての、
短い歳月だった。
親鸞が説教をして各所を回るあいだに、彼を慕い、
どこまでもついてくる老女がいた。
親鸞は米三寺川(べさんじがわ)という川のほとりまで来た時、老女を諭した。
「さように儂を頼りすぎてはならぬ。阿弥陀如来の誓願におすがりするのじゃ。
そなたは家に戻り、これまでのように暮らしつつ、
お名号をとなえるようにせよ。それが極楽往生のただひとつの道じゃ。
さ、この岸にて別れよう。」
老女は涙に頬を濡らし、親鸞と別れることを承知した。
親鸞は向う岸へ渡り、ふりかえる。
老女は惜別の思いに押されるように立ち上がり、
懐から一枚の白紙をとりだし、たかだかと掲げた。
親鸞は、老女がなにを望んでいるかを、とっさに覚った。
彼女は親鸞がもう一度川を渡り、戻ってきて、
白紙に南無阿弥陀仏の六字名号を、書きしるしてほしいと願っているのである。
親鸞は戻りかけたが、足をとめた。
戻れば老女と別れてゆけなくなると、思ったためである。
ひたすらに親鸞の説教に聞き惚れ、身内に残った言葉のいくつかの
かけらにとりすがるようにして生きている老女の顔は、
あまりにも優しげに澄みきっている。
親鸞は川辺に立ち、老女の眼を見つめるうち、墨壺をとりだした。
最信、覚善が真昼の日差しの下で、
親鸞がなにをするのかと見守っている。
色の淡いとんぼが空中に浮いている、秋のはじめであった。
親鸞は筆に墨をふくませ、右手を高く上げ、
宙にゆっくりと動かしてゆく。
南無と書いたとき、最信たちは息をのんだ。
老女の掲げた祇に、親鸞のいかめしい書体の墨痕が、
あざやかにあらわれたからである。
親鸞は夢中で筆を動かす。
白紙には、南無阿弥陀仏の字が、くろぐろと浮き出ていた。
親鸞は急に全身の力が抜けはて、川岸の草のうえに腰を下ろし、
瞑目したまま合唱した。
ーーーかようなことがあろうか。 儂は魔法をつかうものではない。
今この場に阿弥陀如来がおわしますとしか思えぬ。 さもなくば、
わが眼を疑うごときことがあらわれるわけはないーーー
親鸞は夢中で数珠をつまぐり、祈念をこらす。
「なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだーぶー」
われにかえると、
最信、覚善も草の上にひれふし、念仏の声をうねらせていた。
「さて、参ろうぞ。もはやあとに思いを残すこともない。めでたきことよ。」
最信たちは、ありえない事実を目のあたりにして心を打たれ、
呆けたように立ちあがる。
親鸞は言った。
「いま見しことは忘れよ。いっさい他言するでないぞ。
儂もこの場にて忘れよう。」
最信たちは、胸中の思いをかみしめるようにつぶやく。
「お上人さまは人ではねえべ。まさしくみ仏じゃ。」
親鸞は米三寺川の対岸をふりかえらず、遠ざかっていった。
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心に沁みる断章です。
数ある「親鸞本」では一番だと思います、ご一読をお勧めします。
再掲ですが、拙作二枚目、
「幻想 安城の御影」です。油彩F10号