画は 浅野 竹二 (あさの たけじ)
明治33年(1900年)~ 平成10年(1998年)
京都の 日本画家、 版画家。 作
「東本願寺 雨」です。
☆雨模様、寒い。
キ印・ユダ米、
◆http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201503080000/
櫻井ジャーナル 2015.03.08
◎イスラエルでも抗議の対象になっている好戦派の背景にはカルトが存在、
安倍政権もその影響下に
より抜粋、
第2次世界大戦の直後からアメリカにはソ連を先制核攻撃したい
と考える好戦派が存在したことは本ブログで繰り返し書いてきた。
その人脈は現在でも健在で、戦争ビジネスや
キリスト教系カルト(聖書根本主義派、福音主義派、原理主義者などと呼ばれる)が中心。
カルトの源流はカルバン派と言えるだろう。
カルバン派の一派がピューリタン。
1640年から60年にかけてイギリスで革命を成功させているが、
そのときに議会派の軍を指揮していたのが
地主や富裕な商工業者を後ろ盾とするオリバー・クロムウェル。
革命の前、1620年に宗徒の一部はメイフラワー号でアメリカへ渡った。
彼らは自分たちを選ばれた民だと認識していたようで、
北アメリカで「新イスラエル」を建設するつもりだったという。
先住民は野蛮で未開の「サタンの息子」ということになり、虐殺されていく。
クリストファー・コロンブスがカリブ海に現れた1492年当時、
北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されているが、
1890年にウーンデッド・ニー・クリークで
先住民の女性や子供が騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少していた。
こうした歴史を持つアメリカでカルトが広がっても不思議ではなく、
クロムウェルを考えれば軍隊と結びつくのも必然なのだろう。
ナチスはカルト集団でもあったが、似たことがアメリカでも起こっている。
アメリカのカリフォルニア州にオレンジ郡と呼ばれる地域があるのだが、
そこはキリスト教原理主義の拠点であるとともに、軍需産業の拠点でもある。
特殊部隊とキリスト教原理主義との結びつきを象徴する人物が
イラクで「掃討作戦」を指揮してきたウィリアム・ボイキン中将。
特殊部隊の出身で、2003年から国防副次官を務めた。
その年、ボイキンはある協会で講演、自分たちの敵は
オサマ・ビン・ラディンでもサダム・フセインでもなく、
「サタン」と呼ばれる霊的な敵なのだと主張している。
(NBC News, 2003年10月15日)
アメリカでは情報機関、軍、警察の外部委託が進み、傭兵会社も設立されている。
その中でも有名な企業がアカデミ(当初の名称はブラックウォーター)。
創始者のエリック・プリンス自身は海軍特殊部隊、SEALsの出身で、
熱心なキリスト教原理主義者としても知られている。
姉妹のベッツィーが結婚した相手、ディック・デボスは「アムウェイ」会社の創設者である。
この会社にはキリスト教カルトを信じる重役もいて、
何人かは「マルタ騎士団」のメンバーであることを吹聴している。
(Bill Berkowitz, ‘Blackwataer Blues for Dead Contractors’ Families’,
IPS, June 29, 2007)
1980年代の前半、アメリカ軍の内部に「悪魔教」の信者がいると問題になったことがある。
そのひとりが第7心理戦作戦グループのマイケル・アキノ中佐。
退役後に悪魔崇拝だという「セトの神殿」なるセクトを率い、
ナチスが行っていた儀式を取り入れていたようだ。
イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将によると、
ISの司令部はイラクのアメリカ大使館にあるのだが、
☆http://english.farsnews.com/newstext.aspx?nn=13931015000873
Basij Commander: US Embassy in Baghdad Running ISIL Operations
ISを実際に指揮している、あるいは生みの親だと噂されている退役少将のポール・バレリーは
軍隊時代にアキノの上官で、心理戦に関する報告書を共同執筆している。
こうしたアメリカの好戦派は中東/北アフリカだけでなく、ウクライナでも
ロシアとの戦争を目指している。ここにきてEUの内部でアメリカ離れが起こり、
アメリカでもバラク・オバマ大統領との対立が顕在化しているが、
好戦的な動きをオバマ大統領は抑えられないでいる。
そうした好戦派の黒幕グループにアデルソンも含まれ、安倍首相はその影響下にある。
安倍政権の本質を知るためには、
中東/北アフリカやウクライナの情勢を直視しなければならない。
好戦派がIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)や
ネオ・ナチを使ってきたという事実から目を背けては、安倍政権の危険性を理解できない。
シェルドン・アデルソン:
カジノ業界の大物でラスベガス・サンズを所有し、
昨年2月に来日した時、日本に100億ドルを投資したいと語った。
ネタニヤフを操っている。
浅野竹二、二枚目、
「嵯峨の竹藪」です。
陰謀、陰謀、罠、罠、
◆http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/945.html
こんな世界はもう終わりにしよう 2015/3/3
◎「日米開戦のシナリオライター」
より抜粋、
日米開戦のシナリオ・ライター アーサー・マッカラム
■1.ルーズベルトの裏口戦略■
管理人注:
真珠湾に年式の古い艦船を配備して人員も 最小限の員数しか乗船させていなかった
という事実は ルーズベルトは事前に真珠湾攻撃を知っていたということで
天皇も当然知っていたということ。
日本の中枢がユダヤ派(手先)だったということ
☆http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/697.html
「ミッドウエー日本の中枢がユダヤ派(手先)だった」
「攻撃を受けた場合を除いて、国民を戦場に送る事は決してあり得ない。」
こう公約していたルーズヴェルトでしたが、内心は
戦争がしたくて、戦争がしたくて、堪らなかったのです。
そんなルーズヴェルトでしたから、日本に先制攻撃をさせる事に腐心したのは
言う迄もありません。ラニカイ号を含む老朽船3隻に星条旗を掲揚させた上で、
日本軍艦に接近させ、日本軍艦から先に砲撃してくるよう、挑発をしたりもしています。
しかし、攻撃命令を受けていない日本軍艦は静観するに留まり、
遂に先制攻撃を掛けなかったのです。
(米国アナポリス海軍研究所『ラニカイ号の巡洋航海 ── 戦争への挑発』)
「いかに日本を操り、我々の損害は少なくし、いかにして最初の一発を撃たせる様に
し向けるかが問題だ、とルーズヴェルト大統領は語った。」
(スチムソン・米国陸軍長官の日記より)
そんなルーズヴェルトでしたから、「真珠湾攻撃」の一報が入った時には、
さぞかし狂喜乱舞した事でしょう。しかし、それは「糠(ぬか)喜び」でした。
「真珠湾攻撃」の1時間20分も前に、「宣戦布告」無きまま、
米軍が日本潜水艦に対して「先制攻撃」をしていたのですから・・・。
昭和天皇の侍従が書いた本がある。
昭和16年12月8日(ハワイは7日)真珠湾攻撃の後米国が宣戦布告したときに
「天皇は小躍りして喜んだ」と。
そして終戦は8月15日。イエズス会イグナチオ・デ・ロヨラの僕(しもべ)ザビエルが
日本に来た日も8月15日,それはカトリックの聖母被昇天祭でもある。
フランクリン・ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って、
ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した。
そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるというルーズベルトの最終目的を
達成させることであった。・・・
ルーズベルトは、われわれをだまし、
いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである。
[1,p19]
開戦当時の共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員が
自らの著書で語った言葉である。
本誌96号「ルーズベルトの愚行」では、このフィッシュ下院議員や
アメリカ陸軍参謀本部ウェデマイヤー大将の著書から、ルーズベルト大統領が
「欧州の戦争には巻き込まれない」という選挙公約を破って対独参戦を果たすために、
日本を開戦に追い込んだ、という根強い史観がアメリカにあることを紹介した。
真珠湾攻撃から55年、ようやく公開され始めた当時の公文書の山の中から、
遂に日本を開戦に追い込むためのシナリオを描いた証拠書類が発見され、
ロバート・B・スティネットの著書"Day of Deceit"で公表された。
スティネットが明らかにした陰謀と諜報の世界は凄まじい。
米国が押しつけた日本国憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と謳うが、
当の米国大統領が何をしたのか、スティネットの発掘した事実から考えてみたい。
■2.海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム■
1940年夏、ヨーロッパ大陸を席巻し、英国をも打倒しようというナチスの勢いに
ルーズベルト政権は危機感を抱いていた。
英国が敗北すれば、中南米諸国でもファシスト革命が起こり、
アメリカはドイツから直接脅威を受ける恐れがある。
しかし、国民の88%は、第一次大戦の反省から、欧州の戦争に巻き込まれるのを嫌っていた。
この秋の大統領選では、ルーズベルトは再選の立候補の際に、
決してヨーロッパの戦争には巻き込まれない、という公約をして、
かろうじて当選した有様だった。
1940年9月27日の日独伊3国同盟締結に、
海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラムは絶好の機会を見いだした。
日本を追いつめて、アメリカに宣戦布告させれば、
自動的にドイツ、イタリアも対米参戦せざるをえなくなり、
ルーズベルトの公約を破ることなく、アメリカはドイツと戦えるのである。
3国同盟締結のわずか2週間足らずの後、10月7日付けで、
マッカラムは8項目からなるメモを作成し、ルーズベルトの側近に提出した。
日本に生まれ、育ったマッカラムは、
どうすれば、日本を開戦にまで追いつめることができるか、知り尽くしていた。
■3.対日挑発のアクション・プラン■
マッカラムの提案した8項目とは、以下の内容である。
A 英国と交渉し、太平洋地域、
特にシンガポールの英軍基地の利用許可を得る。
B オランダと交渉し、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の
基地および物資の利用許可を得る。
C 中国の蒋介石政権に可能な限りの援助を行なう。
D 遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を
極東、フィリピン、またはシンガポールに派遣する。
E 潜水艦艦隊二隊を極東に派遣する。
F 現在、太平洋に配置している米艦隊主力をハワイ諸島近辺に維持すること。
G オランダが日本の経済的要求、
特に石油供給に関して不当に屈しないように主張すること。
H 英国による対日禁輸措置と協力して、
アメリカも日本に対する全面的な通商禁止を行なう。
このメモにはルーズベルト自身のサインはないが、
その後の対日挑発はほぼこの提案通りに実行されていった。
■4.8項目の実行■
項目Aの通り、英国の太平洋における軍事基地の利用許可を米国は得た。
項目Bのオランダとの軍事協力に関しては、
日本軍の無線盗聴に関して緊密な協力体制が築かれた。
項目Cの蒋介石への軍事援助は一段と強化された。
項目Dの極東への重巡洋艦隊派遣は、翌41年7月、
豊後水道に2隻の巡洋艦を接近させるという形で実現した。
ここは帝国海軍の練習海域であり、海軍の駆逐艦が発見して、
日本政府は「国際法違反だ」と駐日大使グルーに抗議を行った。
項目Fの太平洋艦隊のハワイ駐留は継続され、
項目Eの「潜水艦艦隊二隊の極東派遣」は、マニラへの潜水艦24隻の配備として、
年明けに実行された。
Gのオランダによる石油その他原材料の禁輸も原案通り実施に移された。
最後の項目H、米国からの完全禁輸は、1941年7月に実行された。
しかし、この完全禁輸の前の時期には、ホワイトハウスは石油輸出を制限しつつも、
日本への輸出許可を与えていた。これにより、
7月時点では日本は2年分の石油備蓄をしていた。
1941年当時、日本の空母10隻に対して、アメリカの太平洋艦隊は7隻であり、
当面日本の優位が続くと見られていた。しかし、2年後にはアメリカは
100隻もの空母を建造して、反攻に移れると計算していた。
日本に2年分の石油備蓄を許したのは、戦争を決意させるには十分だが、
最終的な勝利を得るのは不可能、という周到な計算の結果であった。
■5.「おとり」の太平洋艦隊■
項目Fでの米艦隊ハワイ駐留は、日本に軍事的威嚇を与えると同時に、
絶好の攻撃目標を与える事を狙いとしていた。
太平洋艦隊は、日本軍の動きも知らされずに、「おとり」としての運命をたどらされる。
そもそも米艦隊の母港は真珠湾ではなく、西海岸であった。
1940年4月に訓練のために、一時的にハワイに駐留したのだが、
ホワイトハウスからは、そのまま当分ハワイに留まることを指示された。
リチャードソン提督は、ハワイには基礎的な訓練施設も、補給施設も、補修設備もなく、
また兵員を家族から離しておく事による士気低下を考えて、
西海岸に戻すことを要求していたのだが、ルーズベルト大統領はそれを許さなかった。
提督は、直接大統領に会って、ハワイに留まることの不合理さを訴えたが、
大統領は耳を貸さなかった。
提督は、さらに日本は軍人が支配しており、
艦隊をハワイに置くことの軍事的意味を見抜くはずなのに、
大統領と国務長官ハルはこの事を考慮に入れていない、とこぼしているが、
実は大統領の戦略がまさしくこの点を考慮に入れたものであったことを、
リチャードソンは気がつかなかった。
これはマッカラムのメモが書かれる前であるが、
米艦隊を真珠湾に置いて、日本を威嚇しつつ、おとりにしようという項目Fのアイデアは、
すでにルーズベルトも抱いていたようだ。
ルーズベルト大統領に逆らったリチャードソン提督は、
41年2月の太平洋艦隊創設とともに更迭され、
海軍少将ハズバンド・E・キンメルが後任に指名された。
キンメルは何も知らされないまま「おとり」にされ、
最終的には真珠湾攻撃の責任を追求されて降格される。
■6.筒抜けになっていた日本の動き■
帝国海軍の山本五十六提督は、マッカラム・メモの3ヶ月後、
昭和16(1941)年1月には、日米開戦の場合はまず真珠湾の米艦隊を叩く、
という戦略を固め、その詳細検討を始めていた。
しかし、この情報はすぐに米大使館が掴み、1月27日には駐日大使グルーが
国務長官ハルに、日本軍の真珠湾攻撃計画について情報を送っている。
ハルから情報を受け取ったマッカラムは、
自らの対日挑発が予想通り進んでいることを確認したが、
キンメル提督には「海軍情報部は、この『うわさ』には信憑性がないと判断する」
という分析を送った。
「おとり」には、そのまま真珠湾で日本軍の攻撃を受けて貰わねばならないからである。
同年3月からは、海軍のスパイ吉川猛夫が、
森村正の仮名でハワイの日本領事館に駐在し、真珠湾での艦船の停泊位置、
および陸軍飛行場での航空機の種類などを調べ、東京に通報していた。
その暗号電文22通のうち、19通は傍受・解読され、
真珠湾が日本の攻撃対象になっていることが確認されたが、
ワシントンは森村を開戦2日前まで泳がせ、諜報活動を続けさせた。
9月末には、日本は陸海軍戦力を中国から引き揚げ始め、
同時に世界中の商船を呼び戻し始めた。これは部隊や物資の輸送に備えるためである。
無線傍受でこれらの動きを逐一掴んでいたマッカラムは、
日本の開戦準備が新たな段階に達したと判断した。
11月2日の御前会議では、昭和天皇が
「事態が謂う如くであれば、作戦準備も止むを得なかろうが、
何とか極力日米交渉打開を計ってもらいたい」と憂慮の言葉を述べられたが、
外交が行き詰まって開戦に至れば、劈頭に真珠湾攻撃を行うという山本提督の案が了承された。
しかし、この情報は翌日にはグルー大使から、ハル国務長官に伝えられている。
宮城にもアメリカの諜報の手は伸びていたようである。
■7.真珠湾の「受け入れ準備」完了■
11月25日、第一航空艦隊が真珠湾攻撃に向けて出発するのと同時に、
ワシントンから米国、および同盟国のすべての艦船に対して、北太平洋の航行を禁じる、
という指示が出された。
キンメルは独断で「演習」と称して、日本海軍の動きを察知するために、
ハワイ北方に偵察用の艦船を配置していたが、ホワイトハウスはこれを中止させた。
翌26日には、キンメルは空母2隻で航空機をウェーキ、および、
ミッドウェイに輸送するよう命ぜられた。
2隻の空母が19隻の新鋭艦に護衛されて真珠湾を出発すると、
残るは第一次大戦の遺物のような老齢艦ばかりとなった。
ハワイに近づきつつある日本の第一航空艦隊は、
所在位置を秘匿するため無線封止を命ぜられたが、
実際には悪天候下での位置確認などのために無線発信を行っており、
ワシントンは129件の無線を傍受して、時々刻々の位置を把握していた。
ワシントンの現地時間で12月6日午後3時、日本の宣戦布告文が14部に分割されて、
順次ワシントンの日本大使館に送信されたが、それらは同時に傍受・解読されて、
午後9時30分にルーズベルト大統領のもとに届けられた。
大統領は「これは戦争を意味する」と語った。
「先手を打って迎え撃っては」との側近の提案に大統領は頷きながらも
「いや、それはできない。我々は民主的で平和的な国民だ」と答えた。
電文の最後に宣戦布告を翌7日午後1時(真珠湾では午前7時30分)と指定した部分は、
その3時間前、午前10時に大統領のもとに届けられたが、
ルーズベルトは別に驚いた様子もなくそれを読み、何のコメントもしなかった。
■8.リメンバー・パールハーバー■
ワシントンでのこのような動きをまったく知らされていなかったキンメル提督は、
その日曜の朝9時30分からゴルフの予定をしていた。
しかし7時45分に日本の潜航艇が真珠湾入り口で発見されたという電話があり、
急いでオフィスに向かおうと自宅で運転手を待っていたキンメルの目の前で、
帝国海軍の爆撃が始まり、戦艦アリゾナは巨大な火の玉となって爆発した。
7時52分に始まった攻撃は、9時35分に終わり、
米太平洋艦隊は艦船16隻が大破、航空機188機が破壊された。
ワシントンから何の情報もないまま、艦船に待機していた将兵達は予期しない空襲に、
死者2273人、負傷者1119人という大損害を受けた。
「リメンバー・パールハーバー」の声は米国全土に響き渡り、
従軍希望の青年達が各地の陸海軍の募兵所で長い列を作った。
米国議会は翌8日に日本に対する宣戦布告を決議し、
3日後にはドイツ・イタリアへの宣戦布告も行った。
こうして日本を追いつめ、真珠湾をおとりにして、第一撃を打たせ、それによって、
ドイツとの戦いに参戦しようというマッカラムが描いたシナリオは、
ルーズベルトによって見事に演ぜられた。
著者ロバート・スティネットは、以上のような情報をワシントンが
今日まで秘匿してきた事は批判しながらも、
対独参戦のためにこのような決断をせざるを得なかったルーズベルトの困難な立場に同情的である。
しかし、日本を挑発して、数百万人もの犠牲者を出さしめた戦争に引きずり込む
という決定の倫理的正当性は、これから長年に渡って様々な立場から議論されていくだろう。
本書ではこのようなジレンマを解決することはできない。
[1,p259]
と述べている。
「リメンバー・パールハーバー」は、日本人の立場からも忘れてはならない言葉である。
ご参照あれ!
◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2015年 03月 07日
より抜粋、
#で、今日(=3・7)、秋篠宮の次女の佳子チャン(齢20)が、
成人になったってことで、歴史でのうて、まさに、「フィクション」たる
ニッポン神話における初代・神武天皇の墓参りに行ってきたってんだが、
今、皇室バナシも、眞子、佳子で女性週刊誌を賑わせておるレベルで、
「本格的な抜き抜かれ」がねえよなあ。
それはそうと、いずれ機会があったら、また、きちんと書くが、
ワシはニッポン史については、鹿島を嚆矢とする「鹿島史学」を徹底的に究めておって、
その継承者であるとの自負がある。
孝明天皇刺殺の実行ハンが、吉田松陰を塾ちょーとする松下村塾出身の、
長州藩の忍者侍だった伊藤俊輔だったなんてのは、
ある意味、瑣末なレベルのハナシであってだな、
そんなことより、あのフルベッキ写真に、
将来の玉(=明治天皇)である大室寅之祐を真ん中に据えて、
薩長のちょー報員どもとともに、ぬあんで、
「幕臣の勝海舟」も一緒に収まっておったかなんだわな。
攘夷に病的なまでに固執しておった孝明を排除することも含めて、
「玉のスリカエ」ってことが、当時の政局的には、
とてつもなく、大きな意味があったということだ。
あのフルベッキ写真を撮った長崎での会合のスポンサーだった一橋慶喜が、
そもそも「南朝」を正統たらんとする水戸(学派)の出であることをはじめとして、
慶喜自身も「玉のスリカエ」を望んでおったっていうことだ。
ま、それはともかく、今の陛下は、間違いなく、寅之祐のこととかも、
いろいろと知っとると思うんで、機会があれば、ぜひ、ハナシを聞いてみたい(笑)
☆http://matome.naver.jp/odai/2136263401567576401
幕末の英傑が全員集合? フルベッキ写真とは
↑
徳川御三家とは徳川宗家(江戸)、尾張徳川家(大納言)、紀州徳川家(大納言)をいうそうです。
水戸徳川家は准御三家(中納言)で直接将軍にはなれない。
で、慶喜は御三卿のひとつ、一橋の養子になって15代将軍になった。
最初から計算ずくで南朝再興を意図しておったようです。
現代の徳川家に言わせれば、慶喜とか勝海舟は家を潰した連中だそうでw
評価は極めて低いらしい。
箱館で戦死した中島三郎助は、勝とは犬猿の仲、不忠なのをよく知っておったようです。
浅野竹二、三枚目、
「夜店」です。
累卵の瀬戸際、
◆http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150307-00000002-xinhua-cn
FOCUS-ASIA.COM 3月7日(土)
◎韓国の主要経済指標が急速に悪化、
生産・消費・投資の“トリプルショック”で赤信号点灯・・
韓国ネット「現実は韓国が孤立してる」「ごめんね、大韓民国…」
韓国メディア・毎日経済によると、韓国では今年に入って
生産や消費、投資など様々な経済指標が急速に悪化し、
韓国経済全体が“脱力状態”に陥ったのではないかとの懸念が出ている。
報道によると、韓国統計庁が発表した1月の産業活動動向によると、
全業種の生産は前月比で1.7%減となり、
2013年3月(1.8%減)以来の下げ幅となった。
鉱工業生産が3.7%減と、
金融危機発生直後の2008年12月以来の大幅減となったほか、
サービス業の生産も0.4%減少し、
韓国経済を支えてきた分野で委縮が目立っている。
また、個人消費の指標となる小売販売額も1月は同3.1%減となり、
企業の設備投資も同7.1%減少した。
1月の輸出も前年同月比10%減、輸入も同16.9%減と、
対外経済活動も大幅に落ち込んだ。
これらの指標は、昨年末時点では好転するとの見通しが示されていたが、
予想を大きく裏切ったことで「今年の経済運用に赤信号が灯った」状態だ。
企画財政部は「2月の旧正月休みに備えた消費萎縮や
原油価格の下落による貿易額の減少など、一時的な要因の影響が大きい」としているが、
専門家からは「韓国経済の構造的な問題のために、消費と投資が伸びなくなっている。
景気が完全に失速する懸念もある」という声が挙がっている。
投資や消費の委縮傾向が強まれば、朴槿恵政権が進める構造改革も推進力を失いかねず、
「政府は経済に広がる不安感を急いで解消すべきだ」
という声が説得力を増しつつあるという。
この報道に対し、韓国ネットユーザーからは様々なコメントが寄せられている。
「処方箋は?早期大統領選挙をするしかない」
「韓国経済は安定に向かっている。
不当な好景気はバブル経済で致命的な後遺症を残すこともある。
景気が安定していると不景気に思える」
「経済は大きな問題だ」
「良質の正規職を増やし、誰もが豊かに暮らせるようにしないといけない」
「こういう記事はもうあきた」
「朴大統領に智恵がないから、国がどんどん泥沼にはまっていく。
同盟国の米国ともうまくいっていないのに、
いったいどの国で誰と会議をしているの? 暗い気持ち」
「世論が悪くなるとすぐに外国に逃げる」
「財閥企業を救わないといけないから、国民にはしばらく待ってほしいと言ったのに。
その効果はいったいいつ現れる?」
「今年の下半期にまた金融危機が来るかもしれない。
心の準備をしておいたほうがいい」
「暮らしが大変。 希望のない国」
「この国から早く出たほうがいい」
「日本は今嫌韓が絶頂に達している。なのにタイやフィリピンは同調している。
米国も日本のほうに付いた。
日本に右傾化したら孤立すると言ってきたのに、現実は韓国が孤立している」
「もう少しで不動産バブルも弾ける」
「こんなに最悪な時期に私の青春を過ごすことになるとは・・・。
早く寝て明日もアリのように働かなくちゃ」
「ごめんね、大韓民国。これ以上やってあげることがない。
タバコも値上がり、職もなく、結婚はできず、家も買えない。
当然、貧困を受け継ぐのが怖いから出産もできない」
「済州島は中国に売られている」
「創造経済と言いながら、経済不況を創造したのか?」
「日本の失われた20年より落ち込んでいるのが韓国。
日本より深刻な状態なのに政権は無視している。このままでは中国にも負ける」
↑
エベンキ鮮人、人がましくなれたのは日本のおかげ。
吉田松陰に礼を言うことだ。
恩を仇で返すキ印民族、もはや日本人には興味が無いし、お好きなように。
二度と寄ってくるな! ということです。
「在日米軍基地」は韓国防衛の補給廠でもある、迷惑限りなしだ。
北の刈り上げデブは大高句麗建国を狙っておるらしい。
斬られた駐韓米大使は北爆論者、朝鮮戦争 あるかも?
明治33年(1900年)~ 平成10年(1998年)
京都の 日本画家、 版画家。 作
「東本願寺 雨」です。
☆雨模様、寒い。
キ印・ユダ米、
◆http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201503080000/
櫻井ジャーナル 2015.03.08
◎イスラエルでも抗議の対象になっている好戦派の背景にはカルトが存在、
安倍政権もその影響下に
より抜粋、
第2次世界大戦の直後からアメリカにはソ連を先制核攻撃したい
と考える好戦派が存在したことは本ブログで繰り返し書いてきた。
その人脈は現在でも健在で、戦争ビジネスや
キリスト教系カルト(聖書根本主義派、福音主義派、原理主義者などと呼ばれる)が中心。
カルトの源流はカルバン派と言えるだろう。
カルバン派の一派がピューリタン。
1640年から60年にかけてイギリスで革命を成功させているが、
そのときに議会派の軍を指揮していたのが
地主や富裕な商工業者を後ろ盾とするオリバー・クロムウェル。
革命の前、1620年に宗徒の一部はメイフラワー号でアメリカへ渡った。
彼らは自分たちを選ばれた民だと認識していたようで、
北アメリカで「新イスラエル」を建設するつもりだったという。
先住民は野蛮で未開の「サタンの息子」ということになり、虐殺されていく。
クリストファー・コロンブスがカリブ海に現れた1492年当時、
北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されているが、
1890年にウーンデッド・ニー・クリークで
先住民の女性や子供が騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少していた。
こうした歴史を持つアメリカでカルトが広がっても不思議ではなく、
クロムウェルを考えれば軍隊と結びつくのも必然なのだろう。
ナチスはカルト集団でもあったが、似たことがアメリカでも起こっている。
アメリカのカリフォルニア州にオレンジ郡と呼ばれる地域があるのだが、
そこはキリスト教原理主義の拠点であるとともに、軍需産業の拠点でもある。
特殊部隊とキリスト教原理主義との結びつきを象徴する人物が
イラクで「掃討作戦」を指揮してきたウィリアム・ボイキン中将。
特殊部隊の出身で、2003年から国防副次官を務めた。
その年、ボイキンはある協会で講演、自分たちの敵は
オサマ・ビン・ラディンでもサダム・フセインでもなく、
「サタン」と呼ばれる霊的な敵なのだと主張している。
(NBC News, 2003年10月15日)
アメリカでは情報機関、軍、警察の外部委託が進み、傭兵会社も設立されている。
その中でも有名な企業がアカデミ(当初の名称はブラックウォーター)。
創始者のエリック・プリンス自身は海軍特殊部隊、SEALsの出身で、
熱心なキリスト教原理主義者としても知られている。
姉妹のベッツィーが結婚した相手、ディック・デボスは「アムウェイ」会社の創設者である。
この会社にはキリスト教カルトを信じる重役もいて、
何人かは「マルタ騎士団」のメンバーであることを吹聴している。
(Bill Berkowitz, ‘Blackwataer Blues for Dead Contractors’ Families’,
IPS, June 29, 2007)
1980年代の前半、アメリカ軍の内部に「悪魔教」の信者がいると問題になったことがある。
そのひとりが第7心理戦作戦グループのマイケル・アキノ中佐。
退役後に悪魔崇拝だという「セトの神殿」なるセクトを率い、
ナチスが行っていた儀式を取り入れていたようだ。
イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将によると、
ISの司令部はイラクのアメリカ大使館にあるのだが、
☆http://english.farsnews.com/newstext.aspx?nn=13931015000873
Basij Commander: US Embassy in Baghdad Running ISIL Operations
ISを実際に指揮している、あるいは生みの親だと噂されている退役少将のポール・バレリーは
軍隊時代にアキノの上官で、心理戦に関する報告書を共同執筆している。
こうしたアメリカの好戦派は中東/北アフリカだけでなく、ウクライナでも
ロシアとの戦争を目指している。ここにきてEUの内部でアメリカ離れが起こり、
アメリカでもバラク・オバマ大統領との対立が顕在化しているが、
好戦的な動きをオバマ大統領は抑えられないでいる。
そうした好戦派の黒幕グループにアデルソンも含まれ、安倍首相はその影響下にある。
安倍政権の本質を知るためには、
中東/北アフリカやウクライナの情勢を直視しなければならない。
好戦派がIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)や
ネオ・ナチを使ってきたという事実から目を背けては、安倍政権の危険性を理解できない。
シェルドン・アデルソン:
カジノ業界の大物でラスベガス・サンズを所有し、
昨年2月に来日した時、日本に100億ドルを投資したいと語った。
ネタニヤフを操っている。
浅野竹二、二枚目、
「嵯峨の竹藪」です。
陰謀、陰謀、罠、罠、
◆http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/945.html
こんな世界はもう終わりにしよう 2015/3/3
◎「日米開戦のシナリオライター」
より抜粋、
日米開戦のシナリオ・ライター アーサー・マッカラム
■1.ルーズベルトの裏口戦略■
管理人注:
真珠湾に年式の古い艦船を配備して人員も 最小限の員数しか乗船させていなかった
という事実は ルーズベルトは事前に真珠湾攻撃を知っていたということで
天皇も当然知っていたということ。
日本の中枢がユダヤ派(手先)だったということ
☆http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/697.html
「ミッドウエー日本の中枢がユダヤ派(手先)だった」
「攻撃を受けた場合を除いて、国民を戦場に送る事は決してあり得ない。」
こう公約していたルーズヴェルトでしたが、内心は
戦争がしたくて、戦争がしたくて、堪らなかったのです。
そんなルーズヴェルトでしたから、日本に先制攻撃をさせる事に腐心したのは
言う迄もありません。ラニカイ号を含む老朽船3隻に星条旗を掲揚させた上で、
日本軍艦に接近させ、日本軍艦から先に砲撃してくるよう、挑発をしたりもしています。
しかし、攻撃命令を受けていない日本軍艦は静観するに留まり、
遂に先制攻撃を掛けなかったのです。
(米国アナポリス海軍研究所『ラニカイ号の巡洋航海 ── 戦争への挑発』)
「いかに日本を操り、我々の損害は少なくし、いかにして最初の一発を撃たせる様に
し向けるかが問題だ、とルーズヴェルト大統領は語った。」
(スチムソン・米国陸軍長官の日記より)
そんなルーズヴェルトでしたから、「真珠湾攻撃」の一報が入った時には、
さぞかし狂喜乱舞した事でしょう。しかし、それは「糠(ぬか)喜び」でした。
「真珠湾攻撃」の1時間20分も前に、「宣戦布告」無きまま、
米軍が日本潜水艦に対して「先制攻撃」をしていたのですから・・・。
昭和天皇の侍従が書いた本がある。
昭和16年12月8日(ハワイは7日)真珠湾攻撃の後米国が宣戦布告したときに
「天皇は小躍りして喜んだ」と。
そして終戦は8月15日。イエズス会イグナチオ・デ・ロヨラの僕(しもべ)ザビエルが
日本に来た日も8月15日,それはカトリックの聖母被昇天祭でもある。
フランクリン・ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って、
ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した。
そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるというルーズベルトの最終目的を
達成させることであった。・・・
ルーズベルトは、われわれをだまし、
いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである。
[1,p19]
開戦当時の共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員が
自らの著書で語った言葉である。
本誌96号「ルーズベルトの愚行」では、このフィッシュ下院議員や
アメリカ陸軍参謀本部ウェデマイヤー大将の著書から、ルーズベルト大統領が
「欧州の戦争には巻き込まれない」という選挙公約を破って対独参戦を果たすために、
日本を開戦に追い込んだ、という根強い史観がアメリカにあることを紹介した。
真珠湾攻撃から55年、ようやく公開され始めた当時の公文書の山の中から、
遂に日本を開戦に追い込むためのシナリオを描いた証拠書類が発見され、
ロバート・B・スティネットの著書"Day of Deceit"で公表された。
スティネットが明らかにした陰謀と諜報の世界は凄まじい。
米国が押しつけた日本国憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と謳うが、
当の米国大統領が何をしたのか、スティネットの発掘した事実から考えてみたい。
■2.海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム■
1940年夏、ヨーロッパ大陸を席巻し、英国をも打倒しようというナチスの勢いに
ルーズベルト政権は危機感を抱いていた。
英国が敗北すれば、中南米諸国でもファシスト革命が起こり、
アメリカはドイツから直接脅威を受ける恐れがある。
しかし、国民の88%は、第一次大戦の反省から、欧州の戦争に巻き込まれるのを嫌っていた。
この秋の大統領選では、ルーズベルトは再選の立候補の際に、
決してヨーロッパの戦争には巻き込まれない、という公約をして、
かろうじて当選した有様だった。
1940年9月27日の日独伊3国同盟締結に、
海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラムは絶好の機会を見いだした。
日本を追いつめて、アメリカに宣戦布告させれば、
自動的にドイツ、イタリアも対米参戦せざるをえなくなり、
ルーズベルトの公約を破ることなく、アメリカはドイツと戦えるのである。
3国同盟締結のわずか2週間足らずの後、10月7日付けで、
マッカラムは8項目からなるメモを作成し、ルーズベルトの側近に提出した。
日本に生まれ、育ったマッカラムは、
どうすれば、日本を開戦にまで追いつめることができるか、知り尽くしていた。
■3.対日挑発のアクション・プラン■
マッカラムの提案した8項目とは、以下の内容である。
A 英国と交渉し、太平洋地域、
特にシンガポールの英軍基地の利用許可を得る。
B オランダと交渉し、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の
基地および物資の利用許可を得る。
C 中国の蒋介石政権に可能な限りの援助を行なう。
D 遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を
極東、フィリピン、またはシンガポールに派遣する。
E 潜水艦艦隊二隊を極東に派遣する。
F 現在、太平洋に配置している米艦隊主力をハワイ諸島近辺に維持すること。
G オランダが日本の経済的要求、
特に石油供給に関して不当に屈しないように主張すること。
H 英国による対日禁輸措置と協力して、
アメリカも日本に対する全面的な通商禁止を行なう。
このメモにはルーズベルト自身のサインはないが、
その後の対日挑発はほぼこの提案通りに実行されていった。
■4.8項目の実行■
項目Aの通り、英国の太平洋における軍事基地の利用許可を米国は得た。
項目Bのオランダとの軍事協力に関しては、
日本軍の無線盗聴に関して緊密な協力体制が築かれた。
項目Cの蒋介石への軍事援助は一段と強化された。
項目Dの極東への重巡洋艦隊派遣は、翌41年7月、
豊後水道に2隻の巡洋艦を接近させるという形で実現した。
ここは帝国海軍の練習海域であり、海軍の駆逐艦が発見して、
日本政府は「国際法違反だ」と駐日大使グルーに抗議を行った。
項目Fの太平洋艦隊のハワイ駐留は継続され、
項目Eの「潜水艦艦隊二隊の極東派遣」は、マニラへの潜水艦24隻の配備として、
年明けに実行された。
Gのオランダによる石油その他原材料の禁輸も原案通り実施に移された。
最後の項目H、米国からの完全禁輸は、1941年7月に実行された。
しかし、この完全禁輸の前の時期には、ホワイトハウスは石油輸出を制限しつつも、
日本への輸出許可を与えていた。これにより、
7月時点では日本は2年分の石油備蓄をしていた。
1941年当時、日本の空母10隻に対して、アメリカの太平洋艦隊は7隻であり、
当面日本の優位が続くと見られていた。しかし、2年後にはアメリカは
100隻もの空母を建造して、反攻に移れると計算していた。
日本に2年分の石油備蓄を許したのは、戦争を決意させるには十分だが、
最終的な勝利を得るのは不可能、という周到な計算の結果であった。
■5.「おとり」の太平洋艦隊■
項目Fでの米艦隊ハワイ駐留は、日本に軍事的威嚇を与えると同時に、
絶好の攻撃目標を与える事を狙いとしていた。
太平洋艦隊は、日本軍の動きも知らされずに、「おとり」としての運命をたどらされる。
そもそも米艦隊の母港は真珠湾ではなく、西海岸であった。
1940年4月に訓練のために、一時的にハワイに駐留したのだが、
ホワイトハウスからは、そのまま当分ハワイに留まることを指示された。
リチャードソン提督は、ハワイには基礎的な訓練施設も、補給施設も、補修設備もなく、
また兵員を家族から離しておく事による士気低下を考えて、
西海岸に戻すことを要求していたのだが、ルーズベルト大統領はそれを許さなかった。
提督は、直接大統領に会って、ハワイに留まることの不合理さを訴えたが、
大統領は耳を貸さなかった。
提督は、さらに日本は軍人が支配しており、
艦隊をハワイに置くことの軍事的意味を見抜くはずなのに、
大統領と国務長官ハルはこの事を考慮に入れていない、とこぼしているが、
実は大統領の戦略がまさしくこの点を考慮に入れたものであったことを、
リチャードソンは気がつかなかった。
これはマッカラムのメモが書かれる前であるが、
米艦隊を真珠湾に置いて、日本を威嚇しつつ、おとりにしようという項目Fのアイデアは、
すでにルーズベルトも抱いていたようだ。
ルーズベルト大統領に逆らったリチャードソン提督は、
41年2月の太平洋艦隊創設とともに更迭され、
海軍少将ハズバンド・E・キンメルが後任に指名された。
キンメルは何も知らされないまま「おとり」にされ、
最終的には真珠湾攻撃の責任を追求されて降格される。
■6.筒抜けになっていた日本の動き■
帝国海軍の山本五十六提督は、マッカラム・メモの3ヶ月後、
昭和16(1941)年1月には、日米開戦の場合はまず真珠湾の米艦隊を叩く、
という戦略を固め、その詳細検討を始めていた。
しかし、この情報はすぐに米大使館が掴み、1月27日には駐日大使グルーが
国務長官ハルに、日本軍の真珠湾攻撃計画について情報を送っている。
ハルから情報を受け取ったマッカラムは、
自らの対日挑発が予想通り進んでいることを確認したが、
キンメル提督には「海軍情報部は、この『うわさ』には信憑性がないと判断する」
という分析を送った。
「おとり」には、そのまま真珠湾で日本軍の攻撃を受けて貰わねばならないからである。
同年3月からは、海軍のスパイ吉川猛夫が、
森村正の仮名でハワイの日本領事館に駐在し、真珠湾での艦船の停泊位置、
および陸軍飛行場での航空機の種類などを調べ、東京に通報していた。
その暗号電文22通のうち、19通は傍受・解読され、
真珠湾が日本の攻撃対象になっていることが確認されたが、
ワシントンは森村を開戦2日前まで泳がせ、諜報活動を続けさせた。
9月末には、日本は陸海軍戦力を中国から引き揚げ始め、
同時に世界中の商船を呼び戻し始めた。これは部隊や物資の輸送に備えるためである。
無線傍受でこれらの動きを逐一掴んでいたマッカラムは、
日本の開戦準備が新たな段階に達したと判断した。
11月2日の御前会議では、昭和天皇が
「事態が謂う如くであれば、作戦準備も止むを得なかろうが、
何とか極力日米交渉打開を計ってもらいたい」と憂慮の言葉を述べられたが、
外交が行き詰まって開戦に至れば、劈頭に真珠湾攻撃を行うという山本提督の案が了承された。
しかし、この情報は翌日にはグルー大使から、ハル国務長官に伝えられている。
宮城にもアメリカの諜報の手は伸びていたようである。
■7.真珠湾の「受け入れ準備」完了■
11月25日、第一航空艦隊が真珠湾攻撃に向けて出発するのと同時に、
ワシントンから米国、および同盟国のすべての艦船に対して、北太平洋の航行を禁じる、
という指示が出された。
キンメルは独断で「演習」と称して、日本海軍の動きを察知するために、
ハワイ北方に偵察用の艦船を配置していたが、ホワイトハウスはこれを中止させた。
翌26日には、キンメルは空母2隻で航空機をウェーキ、および、
ミッドウェイに輸送するよう命ぜられた。
2隻の空母が19隻の新鋭艦に護衛されて真珠湾を出発すると、
残るは第一次大戦の遺物のような老齢艦ばかりとなった。
ハワイに近づきつつある日本の第一航空艦隊は、
所在位置を秘匿するため無線封止を命ぜられたが、
実際には悪天候下での位置確認などのために無線発信を行っており、
ワシントンは129件の無線を傍受して、時々刻々の位置を把握していた。
ワシントンの現地時間で12月6日午後3時、日本の宣戦布告文が14部に分割されて、
順次ワシントンの日本大使館に送信されたが、それらは同時に傍受・解読されて、
午後9時30分にルーズベルト大統領のもとに届けられた。
大統領は「これは戦争を意味する」と語った。
「先手を打って迎え撃っては」との側近の提案に大統領は頷きながらも
「いや、それはできない。我々は民主的で平和的な国民だ」と答えた。
電文の最後に宣戦布告を翌7日午後1時(真珠湾では午前7時30分)と指定した部分は、
その3時間前、午前10時に大統領のもとに届けられたが、
ルーズベルトは別に驚いた様子もなくそれを読み、何のコメントもしなかった。
■8.リメンバー・パールハーバー■
ワシントンでのこのような動きをまったく知らされていなかったキンメル提督は、
その日曜の朝9時30分からゴルフの予定をしていた。
しかし7時45分に日本の潜航艇が真珠湾入り口で発見されたという電話があり、
急いでオフィスに向かおうと自宅で運転手を待っていたキンメルの目の前で、
帝国海軍の爆撃が始まり、戦艦アリゾナは巨大な火の玉となって爆発した。
7時52分に始まった攻撃は、9時35分に終わり、
米太平洋艦隊は艦船16隻が大破、航空機188機が破壊された。
ワシントンから何の情報もないまま、艦船に待機していた将兵達は予期しない空襲に、
死者2273人、負傷者1119人という大損害を受けた。
「リメンバー・パールハーバー」の声は米国全土に響き渡り、
従軍希望の青年達が各地の陸海軍の募兵所で長い列を作った。
米国議会は翌8日に日本に対する宣戦布告を決議し、
3日後にはドイツ・イタリアへの宣戦布告も行った。
こうして日本を追いつめ、真珠湾をおとりにして、第一撃を打たせ、それによって、
ドイツとの戦いに参戦しようというマッカラムが描いたシナリオは、
ルーズベルトによって見事に演ぜられた。
著者ロバート・スティネットは、以上のような情報をワシントンが
今日まで秘匿してきた事は批判しながらも、
対独参戦のためにこのような決断をせざるを得なかったルーズベルトの困難な立場に同情的である。
しかし、日本を挑発して、数百万人もの犠牲者を出さしめた戦争に引きずり込む
という決定の倫理的正当性は、これから長年に渡って様々な立場から議論されていくだろう。
本書ではこのようなジレンマを解決することはできない。
[1,p259]
と述べている。
「リメンバー・パールハーバー」は、日本人の立場からも忘れてはならない言葉である。
ご参照あれ!
◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2015年 03月 07日
より抜粋、
#で、今日(=3・7)、秋篠宮の次女の佳子チャン(齢20)が、
成人になったってことで、歴史でのうて、まさに、「フィクション」たる
ニッポン神話における初代・神武天皇の墓参りに行ってきたってんだが、
今、皇室バナシも、眞子、佳子で女性週刊誌を賑わせておるレベルで、
「本格的な抜き抜かれ」がねえよなあ。
それはそうと、いずれ機会があったら、また、きちんと書くが、
ワシはニッポン史については、鹿島を嚆矢とする「鹿島史学」を徹底的に究めておって、
その継承者であるとの自負がある。
孝明天皇刺殺の実行ハンが、吉田松陰を塾ちょーとする松下村塾出身の、
長州藩の忍者侍だった伊藤俊輔だったなんてのは、
ある意味、瑣末なレベルのハナシであってだな、
そんなことより、あのフルベッキ写真に、
将来の玉(=明治天皇)である大室寅之祐を真ん中に据えて、
薩長のちょー報員どもとともに、ぬあんで、
「幕臣の勝海舟」も一緒に収まっておったかなんだわな。
攘夷に病的なまでに固執しておった孝明を排除することも含めて、
「玉のスリカエ」ってことが、当時の政局的には、
とてつもなく、大きな意味があったということだ。
あのフルベッキ写真を撮った長崎での会合のスポンサーだった一橋慶喜が、
そもそも「南朝」を正統たらんとする水戸(学派)の出であることをはじめとして、
慶喜自身も「玉のスリカエ」を望んでおったっていうことだ。
ま、それはともかく、今の陛下は、間違いなく、寅之祐のこととかも、
いろいろと知っとると思うんで、機会があれば、ぜひ、ハナシを聞いてみたい(笑)
☆http://matome.naver.jp/odai/2136263401567576401
幕末の英傑が全員集合? フルベッキ写真とは
↑
徳川御三家とは徳川宗家(江戸)、尾張徳川家(大納言)、紀州徳川家(大納言)をいうそうです。
水戸徳川家は准御三家(中納言)で直接将軍にはなれない。
で、慶喜は御三卿のひとつ、一橋の養子になって15代将軍になった。
最初から計算ずくで南朝再興を意図しておったようです。
現代の徳川家に言わせれば、慶喜とか勝海舟は家を潰した連中だそうでw
評価は極めて低いらしい。
箱館で戦死した中島三郎助は、勝とは犬猿の仲、不忠なのをよく知っておったようです。
浅野竹二、三枚目、
「夜店」です。
累卵の瀬戸際、
◆http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150307-00000002-xinhua-cn
FOCUS-ASIA.COM 3月7日(土)
◎韓国の主要経済指標が急速に悪化、
生産・消費・投資の“トリプルショック”で赤信号点灯・・
韓国ネット「現実は韓国が孤立してる」「ごめんね、大韓民国…」
韓国メディア・毎日経済によると、韓国では今年に入って
生産や消費、投資など様々な経済指標が急速に悪化し、
韓国経済全体が“脱力状態”に陥ったのではないかとの懸念が出ている。
報道によると、韓国統計庁が発表した1月の産業活動動向によると、
全業種の生産は前月比で1.7%減となり、
2013年3月(1.8%減)以来の下げ幅となった。
鉱工業生産が3.7%減と、
金融危機発生直後の2008年12月以来の大幅減となったほか、
サービス業の生産も0.4%減少し、
韓国経済を支えてきた分野で委縮が目立っている。
また、個人消費の指標となる小売販売額も1月は同3.1%減となり、
企業の設備投資も同7.1%減少した。
1月の輸出も前年同月比10%減、輸入も同16.9%減と、
対外経済活動も大幅に落ち込んだ。
これらの指標は、昨年末時点では好転するとの見通しが示されていたが、
予想を大きく裏切ったことで「今年の経済運用に赤信号が灯った」状態だ。
企画財政部は「2月の旧正月休みに備えた消費萎縮や
原油価格の下落による貿易額の減少など、一時的な要因の影響が大きい」としているが、
専門家からは「韓国経済の構造的な問題のために、消費と投資が伸びなくなっている。
景気が完全に失速する懸念もある」という声が挙がっている。
投資や消費の委縮傾向が強まれば、朴槿恵政権が進める構造改革も推進力を失いかねず、
「政府は経済に広がる不安感を急いで解消すべきだ」
という声が説得力を増しつつあるという。
この報道に対し、韓国ネットユーザーからは様々なコメントが寄せられている。
「処方箋は?早期大統領選挙をするしかない」
「韓国経済は安定に向かっている。
不当な好景気はバブル経済で致命的な後遺症を残すこともある。
景気が安定していると不景気に思える」
「経済は大きな問題だ」
「良質の正規職を増やし、誰もが豊かに暮らせるようにしないといけない」
「こういう記事はもうあきた」
「朴大統領に智恵がないから、国がどんどん泥沼にはまっていく。
同盟国の米国ともうまくいっていないのに、
いったいどの国で誰と会議をしているの? 暗い気持ち」
「世論が悪くなるとすぐに外国に逃げる」
「財閥企業を救わないといけないから、国民にはしばらく待ってほしいと言ったのに。
その効果はいったいいつ現れる?」
「今年の下半期にまた金融危機が来るかもしれない。
心の準備をしておいたほうがいい」
「暮らしが大変。 希望のない国」
「この国から早く出たほうがいい」
「日本は今嫌韓が絶頂に達している。なのにタイやフィリピンは同調している。
米国も日本のほうに付いた。
日本に右傾化したら孤立すると言ってきたのに、現実は韓国が孤立している」
「もう少しで不動産バブルも弾ける」
「こんなに最悪な時期に私の青春を過ごすことになるとは・・・。
早く寝て明日もアリのように働かなくちゃ」
「ごめんね、大韓民国。これ以上やってあげることがない。
タバコも値上がり、職もなく、結婚はできず、家も買えない。
当然、貧困を受け継ぐのが怖いから出産もできない」
「済州島は中国に売られている」
「創造経済と言いながら、経済不況を創造したのか?」
「日本の失われた20年より落ち込んでいるのが韓国。
日本より深刻な状態なのに政権は無視している。このままでは中国にも負ける」
↑
エベンキ鮮人、人がましくなれたのは日本のおかげ。
吉田松陰に礼を言うことだ。
恩を仇で返すキ印民族、もはや日本人には興味が無いし、お好きなように。
二度と寄ってくるな! ということです。
「在日米軍基地」は韓国防衛の補給廠でもある、迷惑限りなしだ。
北の刈り上げデブは大高句麗建国を狙っておるらしい。
斬られた駐韓米大使は北爆論者、朝鮮戦争 あるかも?