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戻り雪?

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 画は 歌川 國芳(くによし)

 寛政九年(1797)〜文久元年(1861)

 号は一勇齋、朝櫻楼など              作


  「岩藤浪白石 (いわおのはな なみのしらいし)」より、

  「おはつ 岩井紫若」(初代) 「岩ふじ 市川海老蔵」(五代目)です。


☆晴れ、積りましたねぇ。

今日は「東京大空襲」の大惨事から69年ですが、

まずは、

◆http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-03c5.html
植草一秀の『知られざる真実』
2014年3月10日 (月)
◎大震災と原発爆発 − 3年もの時間が空費された理由


より抜粋、

大地震・大津波と原発事故から丸3年の時間が過ぎ去ろうとしている。

いまなお、10万人以上の人々が避難生活を余儀なく迫られている。

安倍政権は巨額の血税を注ぎ込んでいるが、その血税は被災者、避難生活者の手元に届いていない。

その中間でシロアリとハイエナ、さらにハゲタカが不当利得を懐に入れている。

(中略)

大事なことは、起きてしまった事故を踏まえて、これからをどうするかだ。

これは、いい加減に判断せず、絶対に間違いのない道を選ばねばならない。

ところが、現実はどうか。

これは、安倍政権の問題というより、日本国民の問題なのだ。

国民がどう考え、どう行動するか。

事故から丸3年たったいま、じっくりと考え直すべきである。


東電が原発事故を引き起こしたとき、菅直人氏が政権を握っていた。

これが日本国民の不幸の始まりだった。

菅直人氏は地震、津波、原発事故を、首相の座に居座る手段と考えたのだと思われる。

そして、総理の椅子にしがみついた。

その後に、権力を奪取した野田佳彦氏はさらに劣悪だった。

この二人の首相が、震災後の日本の道を誤らせた張本人である。

その延長上に、現在の安倍晋三政権がある。

民主党政権から自民党政権へと与党の構成は変わったが、内実は一緒だ。

連続している。


どこがどう連続しているのかと言えば、結局、

この三つの政権が足場を置いている場所が同じなのだ。

三つの政権が足場を置いているのは、


米国


官僚


大資本


つまり、米・官・業のトライアングルなのだ。


その結果として、具体的に表れているのが、


原発推進


大増税


そして、


TPP


なのだ。


菅政権が復興構想会議を立ち上げて、

その第一回会合で打ち出したものは何だったか。

復興増税である。

その裏側にいるのが財務省だ。

財務省は国民のことなど、かけらも考えていない。

財務省は、大地震・大津波・原発事故を増税のために使うことしか考えなかった。

菅・野田政権が大増税路線を敷き、いま、安倍政権が大増税を実行しようとしている。

2009年に鳩山由紀夫政権が誕生した時は違った。

増税を検討する前に、「シロアリ退治」を行うこととしていたのだ。

ところが、野田・菅・安倍の三つの政権は、シロアリの軍門に下った。

増税を何のためにやるのか。

それは、シロアリの餌を増やすためである。

社会保障の充実のための増税というのは真っ赤な嘘だ。

シロアリの餌を絶やさないために大増税を実施するのだ。

「シロアリ増税」なのだ。

あの日から3年の月日が流れるが、

私たちは3年の時間を空費して、さらに悲惨な日本に移行しつつある。

そのことに気付いて、根本からの修正を実現しなければ、未来は限りなく暗い。



ユダメリカ・ゴミ屑国債を買うための増税ですよ。

阿呆らしい。 買弁どもの巣窟=日本既得権層ということ。

確かに、投票しない国民も悪いが、「不正選挙」をやられちゃなぁw

当事者たる落選候補者自身が異議申立てをしないのだから、

皆グル、といわれても仕方がなかろうよ。 おかしいわなぁ。




國芳、二枚目、



「浅倉当吾の霊」四代目市川小團次 「織越大領」四代目坂東彦三郎 です。



地獄絵図、

◆http://mainichi.jp/select/news/20140308k0000e040246000c.html
毎日新聞 2014年03月08日
◎東京大空襲 : 88歳で語り部になる決意「地獄でした」


一夜にして10万人が亡くなったといわれる

1945(昭和20)年3月の「東京大空襲」から10日で69年。

19歳で被災した坂本邦男さん(88)は、大空襲翌日に召集され、

終戦後約3年3カ月のシベリア抑留を強いられた。

まぶたに焼き付いた大空襲の状況は、あまりに悲惨すぎて口にしづらかったが、

「風化させてはならない」と、米寿を迎えて語り部になることを決意。

8日、東京都墨田区のすみだ郷土文化資料館で行われた

空襲画ギャラリートークで自身の体験を語った。

大空襲当時、坂本さんは現在の亀戸中央公園(江東区亀戸)の敷地内にあった工場で働いていた。

あの夜、家族と共に近くの自宅で寝ていた時、轟音(ごうおん)で跳び起きた。

「外は焼夷(しょうい)弾の炎で昼間みたいに明るくて、

B29がその炎で真っ赤に光っていた。本当に不気味だった」

熱で道路のアスファルトは溶け、木製の電柱は燃え盛る。

真っ赤になったトタン板が爆風で飛び交う中、必死に自宅近くの北十間(きたじっけん)川まで逃げ、

父と川の水をかけ合って熱をしのいだ。

奇跡的に家族全員が無事だったが、母や妹が避難した学校でコンクリート造りだったため熱がこもり、

多くの人が蒸されるようにして亡くなったと聞かされた。

▼http://mainichi.jp/graph/2014/03/08/20140308k0000e040246000c/image/002.jpg
坂本さんが描いた「3月10日の朝」の惨状=すみだ郷土文化資料館提供


朝日が昇った時には見渡す限り焼け野原。 銀座のデパートまで見通せたという。

それだけ悲惨な状況なのに、戦時下の市民にはさらに過酷な運命が突き付けられる。

避難した葛飾区内の伯父宅に翌11日、召集通知が届き、約1カ月後、中国大陸へ。 そして終戦。

凍えるようなシベリアでの抑留生活が待っていた。

入隊時に約60キロだった体重は約40キロに。

出征時に「空襲犠牲者の敵討ち」と意気込んでいたという坂本さんだが、

京都・舞鶴港の土を48年秋に踏んだ時、

「生きて戻れた」と万感胸に迫り、涙が止まらなかったという。


空襲の夜のことを忘れることはなかったが、ほとんど語らずにいたという坂本さん。

家族にめぐまれ4人の子どもが成長する中、

「家族には決して戦災の被害者にも、加害者にもなってほしくない」との思いが湧き、

2003年、一枚の絵を描いて同資料館に寄贈した。

消火用の水槽にまるで風呂に入るようにつかったまま亡くなった人。既に白骨の状態だった。

その忘れられない状況を描いた絵だ。

今は8人の孫と2人のひ孫もいる。みんなに伝えるため、人前で話すことにも挑戦することにした。

約40人が集まったギャラリートークでは、約1時間にわたり当時の様子を説明。

「人々が逃げ込んだ市電がそのまま燃え上がった。この世の地獄でした」などと切々と語り、

そして呼び掛けた。「多くの方の犠牲の上に、今の平和があることを忘れてはいけない」。




國芳、三枚目、



「武勇見立十二支 伊賀壽太郎 卯」です。



今も昔も「鬼畜米英」、なんら変りもなし、

◆http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#08
ヘブライの館 「原爆ホロコースト」の実態
◎第8章:都市に対する無差別爆撃そのものが犯罪である


●スミソニアンの「原爆展」が中止になってからすぐに
『スミソニアンの判断』という本がアメリカで出版された。

内容は「原爆展」中止に至るまでの経過の解説と、幻の企画書全文の紹介で、
残り3分の1は前出のバーンスタイン教授の長い論文が占めていた。

この本を編集したのは、フィリップ・ノビレという異色のアメリカ人ジャーナリストで、
彼は「アメリカ政府は原爆投下について日本に謝罪すべきだ」という考えの持ち主である。


●このフィリップ・ノビレは、都市に対する無差別爆撃=「戦略爆撃」そのものが犯罪であり、
広島・長崎はその極限に位置すると捉えている。

広島・長崎はそれが「核爆弾」だったからいけないというのではなく、
東京その他の日本の都市、ドイツのドレスデン、そして広島・長崎を挟んでの
ベトナムのハノイ・ハイフォン・バグダッドにまでつながってくる20世紀の戦争に特有の、
「戦略爆撃」の歴史の中で位置づけなければならないと言う。

彼は次のように述べている。

「戦略爆撃、すなわち都市に対する無差別爆撃は悪魔的で残酷な行為であり、
ローマ教皇も『無差別爆撃は神に対する犯罪である』と言っている。
多くのアメリカ人は都市爆撃そのものがすでに間違いだったということに気付いていない。 
〈中略〉 
爆撃する側も払うコストが大きく、ヨーロッパではアメリカ軍の戦死者の10人に1人が飛行士だった。
いずれにせよ、アメリカ人が、われわれは善人であいつらは悪人だと考えているうちは、
真実の全体像は浮かんでこない。

わが国は、日本とドイツの戦争犯罪人を裁判にかけて絞首刑にしたわけだが、
同時に自分自身も罰すべきなのだ。

善意に満ちたアメリカ人が日本人と協力して、トルーマン大統領やチャーチル首相の
戦争当時の意思決定や行動について徹底的に調査して、彼らを戦争犯罪人として裁く法廷を開くべきだ。」


●ところで、日本本土への爆撃作戦(戦略爆撃)の司令官を務めたのは、
ユダヤの血をひくアメリカ人、カーチス・ルメイ少将である。

彼は対ドイツ爆撃(ドレスデン空襲その他)で実績を上げ、「空の英雄」と呼ばれていた。

彼は日本の家屋が木と紙でできていることに注目して、それまで補助的に使われてきた、
油脂をばらまいて炎を広げる焼夷弾(Incendiary bomb)を用いて焼き払う方法を考え、
ユタ州の砂漠に日本の家屋を建てて焼夷弾を投下してその効果を確かめもした。

すなわち、最初から家屋を燃やし、日本人を焼き殺すという目的があったのである。

アメリカ軍による日本本土への爆撃は、最初は、
武蔵野の中野飛行場など軍需工場を狙う「精密爆撃」だった。ところが、

カーチス・ルメイが作戦の司令官に任命されてから、
一般庶民皆殺しのために焼夷弾を投下する「無差別爆撃」に変わったのである。
(これは非常に重要なポイントである)。 


●アメリカ軍は1944年11月1日から都市空襲を本格化させ、六大工業都市を狙った後、

人口の多い順に日本全国64の都市を火の海にして、焼け野原にした。

1945年3月10日の東京大空襲では、40k?の周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して
火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。

その後、約100万発(2000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾や
エレクトロン焼夷弾が投下された。

こうして、一夜のうちに10万人以上の民間人(非戦闘員)が生きたまま焼き殺された。

まさにホロコースト状態である (ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つ)。

これが虐殺でなくて一体何が虐殺か?



●対日戦略爆撃を指揮したカーチス・ルメイは、戦後、回想記のなかで次のように述べている。

「原爆を落とすまでもなく太平洋戦争は実質終わっていた」

「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊したのだ。
日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、
向かいの家がワッシャを作っていた。
木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。
女、子ども、老人も全て戦闘員だった。」




●このカーチス・ルメイは、明らかに東京大空襲を始めとする無差別爆撃および
原爆投下の直接の責任者である。(日本人は彼を「鬼畜ルメイ」と呼んだ)。

しかし1964年12月6日、日本政府は彼に対して「勲一等旭日大綬章」(勲章)を授与した。

授与理由は「戦後、日本の航空自衛隊の育成に協力した」からだという……。

日本の100万もの民間人を虫ケラのように虐殺した人物に勲章を与えてしまった日本政府の態度は
卑屈以外のなにものでもない。 無残である。

この時の総理大臣は、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。


 

壺三の大叔父が佐藤栄作ですよ。

「集団的自衛権の行使」=「米軍による自衛隊の傭兵化」ということ。

「似非右翼」以外の何者でもないw  愛國の至誠など皆無だ。

「田布施システム」のゾンビなのです、アナクロの極みなのさ。





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