画はエドヴァルド・ムンク Edvard Munch
1863〜1944 / ノルウェー / 表現主義 作
「Summer Day」です。
☆曇り。
昨日、今日と暑く、まさに夏の盛り、といったところ。
暑中お見舞い申し上げます、ご自愛のほどを。
まずは、もう「日米安保」廃棄通告あるのみ、だ。
支那はヨレヨレ、軍部の暴発は必至だが、連動して必ず国家破綻する。
「役立たずの居座り強盗」にいつまで気儘勝手を許すのか、阿呆らしい、
◆http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9527.html
「日々担々」資料ブログ (日刊ゲンダイ2013/8/7)
◎米軍ヘリ墜落 沖縄の安全第一ならナチスより今のドイツの気概に学べ
[元外務省局長 孫崎享氏緊急提言]
「沖縄の皆さんの安全確保が第一」――。
米軍ヘリ墜落事故を受け、安倍首相はそう明言したが、額面通りに受け取る沖縄県民はいないだろう。
米側に原因究明の徹底と再発防止策が講じられるまで墜落機と同型ヘリの飛行を停止するよう要請、
オスプレイの追加配備を一時中断しても、原因究明は地位協定の壁に阻まれてウヤムヤに終わるのがオチだ。
「本気で沖縄の安全を考えるなら、安倍政権はナチスではなく、今のドイツに学ぶべき」と、
元外務省国際情報局長・孫崎享氏が緊急提言――。
「今回の事故原因を徹底究明しようにも、日本政府は絶対に関与できません。
日米地位協定によって、日本の当局が米軍の『公務』に立ち入ることは一切、認められていないからです。
本土復帰後、沖縄では米軍機墜落事故が44件起きています。
それでも米軍は地位協定をタテに、事故当事者が事故原因を調べるという本末転倒を繰り返してきました」
今回の事故でも米軍側は墜落機について、
「嘉手納基地から2機編成で離陸し、訓練中だった」と答えるのみ。
操縦士の飛行歴や、具体的な訓練内容など詳しい情報を日本政府に何ひとつ伝えようとしない。
「ましてやオスプレイの追加配備を始めた矢先の事故です。仮に事故機の構造的欠陥が見つかっても、
米軍側は絶対に隠し通すでしょう。欠陥を認めれば、そもそも安全性に疑問のあるオスプレイは
『もっと危険だ』という世論に火が付く。それだけは避けようと、
米軍が調査結果でヘリの安全性を強調するのは目に見えています。
モロッコでのオスプレイ墜落事故のように『操縦ミス』で片付け、パイロットに責任を押し付けかねません」
米軍のおためごかしの調査報告を日本政府も唯々諾々として受け取り、
オスプレイの追加配備を再び推進する。そんなシナリオがもう出来上がっているに違いない。
自民党の石破幹事長は「原因究明を生半可なことで終わらせるつもりはない」と息巻いたが、
単なるパフォーマンスだ。本気で沖縄の安全を考えれば、いくらでも方策が出てくるはずだ。
◆飛行訓練に「国内法」を守らせない異常国
「沖縄住民の気持ちを酌んで、少なくとも米軍機の飛行訓練については一定の規制をもうけるべきです。
ドイツやイタリアにも米軍が駐留していますが、国内の航空法に基づいて
米軍機の夜間・低空訓練に縛りをかけています。日本のように米軍に国内法を守らせず、
夜間も低空も飛びたい放題を許している状態が異常なのです。
安倍首相は、最低でも米軍に『国内法を守れ』と求めてから、沖縄の安全第一を口にすべきです」
口先だけの「安全」なんて、もうゴメンだ。
※この貴重な媒体を応援しよう!
http://e.gendai.net/
http://bit.ly/LFNwYk
◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2013年 08月 02日
#それで、あの「空飛ぶ棺桶」こと、オスプレイについて、追加配備の残る12機のうち、
まず2機を、岩国から普天間に持ってきたってことで、今朝(=8・4)の各紙に記事が出ておったんだが、
地元紙は、おそらく、1面のアタマで行っとるんだろうが、朝日がだいぶ書き込んでおったな。
おそらく、「参」のセンキョが終わって、「自民圧勝、自公過半数」を受けての、「上の方」、だから、
ペンタゴンでハンダンして、指示が出たんだと思うで。
じつは、オスプレイの飛行については、「できる限り、人口密集地を飛ばない」といったことを、
日米政府の間で合意したってんだが、実際には、こんなもん、全く無視されておるってんだな。
ま、さもありなんだが、具体的に飛行ルートってのは、ぼーエイ庁っていうか、
沖縄ぼーエイ局も把握しとらんってんだな。
要は、「亜米利加サマにモノ申すなんて、トンデモない!」ってことだわなあ。
ひとつには、騒音もさることながら、プロペラの向きを「タテ→ヨコ」にする、
あの不安定な変換モードだわなあ。
当然、市街地のド真ん中にある普天間っていうか、その周辺の上空でも、
ジャンジャンとヤッとるんだろうから、いつ落ちてもおかしくねえんだよなあ。
#「上」の続きで、じつは、ワシ、この「オスプレイ配備のウラ」についても、調べマクっておるんだが、
このオスプレイをオキナワに配備するってのは、じつは、相当前から、
この「普天間いじくり回し」のモンダイが始まる、SACO合意の96年の時点で、
既に規定路線だったってんだな。
連中は
「普天間を返してヤルから、その代わりに、辺野古に滑走路や軍港、
弾薬庫もジャンジャン作って、大バージョンアップさせろよ!」ってことなんだが、
1500m か、2000mか、とにかく、こうやって、長尺の滑走路を要求しておる時点で、
要は「オスプレイとセット」なんだよな。
で、このオスプレイが開発段階から、墜落ジコが多発しておったってのは、
「公知の事実」だったんだが、でも、「オキナワの配備」は、亜米利加もニッポン政府も
「知らぬ存ぜぬ」とシラを切り倒して、初めて、公式にオモテに出したのが、
民主トウのセー権時代の10年3月だったんだな。
ほいで、「では、ぬあんで、オスプレイのオキナワ配備だったのか?」についてだが、
コイツのウリは「航行距離」なんだよな。
空中給油をすれば、従来のヘリのCH46の700kmの、5倍以上の「3900km」なんだが、
そうすると、ニッポン全土は、スッポリと入るんだよな。
だからだな、オスプレイに命じられとるヒミツ任務とは、ズバリ、ワシは「核の輸送」だと思う。
嘉手納に辺野古の弾薬庫には、今でも「核」はあると思うで(笑)
#で、そのオキナワは、キャンプ・ハンセン内におけるヘリ墜落ジコだが、
今朝(=8・7)の朝日に、すぐ地元の宜野座村役場の職員が、山の方で黒煙を見たのが、
「8・5」の午後4時5分ごろだったってんだな。
当初は、「山火事」「不時着」「墜落」と、情報が錯綜しておって、
「墜落だった!」との知らせが入ったのは、約2時間後の午後6時ごろだったってんだよな。
ただ、コイツは、ゲンバが米グン基地内、すなわち、「亜米利加サマの領土内」なんで、
ニッポンのケーサツや消防が直接、入って行って、様子を確認したり、
消火にあたることはデキんかったんだよな。ワシは、
沖縄タイムスの号外にデカデカと載っておった、「NHKニュースから」のクレジットの入った
航空写真だわなあ。炎が立ちこめておって、黒焦げになった機体がバラバラに砕け散っておる、
あの写真を見た瞬間、「コイツは墜落ジコ以外の何物でもない」とわかったわなあ。
#「上」の続きだが、ココで、ワシが何を言いたいんかというと、
そのヘリの墜落ジコのゲンバ写真が撮影された時刻なんだが、発生から、まだ、
そんなに経っておらんかったと思うんだよな。
「論より証拠」ではないが、もし、ああした報道キカンによる取材結果が、
オモテ沙汰になっておらんかったら、いまだに米グンは「アレは山火事や!」って、
シラを切り通しておったと思うで。
たまたま、今回は運悪く、隠し通すことがデキんで、バレてしもうたんだが、あんなもん、
「軍事キミツや!」で恫喝しマクれば、イッパツだからな。
折しも、亜米利加サマからケツを叩かれて、そのヒミツ保全ホウアンとやらを、
秋の臨時国怪で成立させようとしとるんだが、くれぐれも、連中が縛りにかけたい
「軍事キミツ」「国家キミツ」とは、このテの情報であるということを、
心あるマトモな有権者は、よく思い知っておいたらエエだろう。
「そんなバカな」と言う人もおるかもしれんが、しかし、戦前においては、
「天気予報」ですら、キミツ扱いにされ、報道管制のターゲットになったということを。
それは、そうだろう。陸グンの登戸研究所で、「風船バクダン」を開発し、
偏西風に乗せて、亜米利加本土まで、ちゃんと到達しておったんだからな。
そうなると、当然、「風向き」も「軍事キミツ」ってことで、縛りマクるワケや。
ちなみに、この風船バクダンは、最終的には「牛疫ウイルス」を搭載させて、
生物兵器にするツモリだったんだよな。
だから、麻生タロウが、上手いことを言っておったよなあ。
「気が付いたら、ワイマール憲法が停止しておった、あのナチスの手口をマネしたらどうか」ってなあ(笑)。
あー、ほらほら、
「1941・12・8、気象報道管制施行。観測値、天気予報は軍事キミツとなり、
一般への発表を禁止。気象無線通報は全て暗号化される」って、出てるぢゃないか!
#おっ、今日(=8・7)のam10:04にupの沖縄タイムス電子版で、今回、墜落ジコを起こした
HH60ベイブホークと同種のH60ブラックホークってのに、現在は閉鎖中だが、
米空グンの06年のHPにおいて、
「主回転翼のひび割れを調べるセンサー用に、ストロンチウム90を使うておる!」
っていう記載があったってんだな。
うわっ、米グンってのは、劣化ウラン以下、その糞ションベンの残り滓を、
ヘリをはじめとして、軍用装備に使い倒しておるのかよ。
ひょえー、04年の沖縄国際大でのヘリ墜落ジコでは、アレはCH53Dだったんだが、
炎上した噴煙ん中に、そのストロンチウム90が、約1850万ベクレルに達しておったっていうのかよ。
いやあ、トンデモねえんだが、その一方で、「さもありなん」だよなあ(笑)。
コイツは何がぬあんでも、片っ端から「軍事キミツ」にしちゃってだな、
真実を隠蔽しマクらな、アカンやないか!
#いやあ、その今回、ヘリ墜落ジコのゲンバとなったキャンプ・ハンセンだが、
行政区画としては、金武町から恩納村、宜野座村、ほいで、名護市にもまたがっておって、
広さは全部で5118万2000平方メートルってことは、
東京ドーム1個が46755平方メートルだから、「5118万2000÷4万6755=1094.685…」
ってことは、東京ドーム1095個分の広さかあ(**)
あー、「キャンプ」、つまり、「野外演習地」としては、ココのハンセンが、「オキナワでは最大!」かあ。
所有は海兵隊だが、他の空グンとかも使うってことで、
今回、墜落したHH60ベイブホークってのは、所属は空グンかあ。
うわっ、このキャンプ・ハンセンってのは、県道104号線を封鎖してヤリマクっておる、
例の「実弾砲撃演習」でチョー有名で、敷地内にある恩納岳(標高363m)と
ブート岳(同224m)の山腹に向かって、ジャンジャンとタマを撃ち込んでおるんだな。
ひょえー、このキャンプ・ハンセンでは、コレまでに、流れ弾の着弾etcによる山林火災が、
何度も発生しておって、それで、初動の段階で「すわっ、山林火災か?」との情報もあったんだな。
で、このキャンプ・ハンセンの敷地ってのは、水源涵養用の森林帯なのかよ。
だから、敷地内にダムもあるんだな。
しかし、今回、墜落したヘリも、「糞ションベン塗れ」のギワクも出ておるんだが、
こんなもん、環境破壊っていうか、「環境テロ」そのものぢゃないか!
ワシ、恥ずかしながら、ゲンバを知らんから、墜落ジコの第一報を聞いて、
「市街地で、巻き込まれた犠牲者がおらんかったんで、よかったあ!」って思ったんだが、
そんなノー天気なハナシぢゃねえんだなあ。
いやあ、オキナワから遠く離れて、本土に住んでおるワシですら、
「市街地にある普天間を返せば、オキナワの基地モンダイは、全面解決!」
っていうハナシの持って行き方ってのが、いかに、まやかしっていうか、
こんなもん、ペテンだよなあ(笑)
↑
伏魔殿「害務省」の権力のw せん源が「在日米軍」らしいね、
売国白アリどもが! 解体あるのみだろう。
Munch、二枚目、
「Puberty」です。
久方振りに、
◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2013.08.07
◎『風立ちぬ』
より抜粋、
宮崎駿の新作『風立ちぬ』を観てきた。
映画というのは、それについて語られた無数の言葉を「込み」で成り立っているものだからだ。
お門違いなものであれ、正鵠を射たものであれ、「それについて語る言葉」が多ければ多いほど、
多様であればあるほど、賛否いずれにせよ解釈や評価が一つにまとまらないものであるほど、
作品としては出来がよい。
私はそう判断することにしている。
「それについて語らずにいられない」という印象を残すのは間違いなくよい映画である。
ある映画について語っているときに、あの場面、あの台詞が忘れられない・・・
とひとりひとりが思い出す場面がすべて違うような映画はよい映画である。
その点で、映画批評は「通夜の客の思い出話」に似ている。
通夜の席で参列者ひとりひとりが語る故人の思い出はそれぞれにばらばらである。
ある人が「忘れがたい思い出」として語り出す故人の言葉やふるまいは、
しばしば他の誰も知らなかったものである。
全員がまったく別々の思い出を語り、そのせいで、
故人の全体像が混沌としてくるような死者がいたとしたら、
その死者はずいぶん人間として厚みと奥行きのある人だったのだろうと私は思う。
映画についても同じである。
「地」というのは「図」の後ろに引き下がって、主題的に前景化しないものである。
宮崎駿が描きたかったのは、この「前景化しないもの」ではないかというのが私の仮説である。
物語としては前景化しないにもかかわらず、
ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの。
それは「戦前の日本の風土と、人々がその中で生きていた時間」である。
宮崎が描きたかったのは、私たち現代人がもう感知することのできない、
あのゆったりとした「時間の流れ」そのものではなかったのか。
映画は明治末年の群馬県の農村の風景から始まって、
関東大震災復興後の深川、三菱重工業の名古屋の社屋と工場、
二郎たちが離れに住む黒川課長の旧家、各務原飛行場、二郎と菜緒子が出会う軽井沢村、
八ヶ岳山麓の富士見高原療養所・・・を次々と細密に描き出す。
そのどれを見ても、私たちはため息をつかずにはいられない。
そうだ、日本はかつてこのように美しい国だったのだ。
人々はこのようにゆったりと語っていたのだ。
それらの風景のひとつひとつを図像的に再生するとき、
宮崎はアニメーターたちに例外的なまでの精密さを要求した。
自作自注の中で宮崎は風景についてこう書いている。
「大正から昭和前期にかけて、みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたい。
空はまだ濁らず白雲生じ、水は澄み、田園にはゴミひとつ落ちていなかった。
一方、町はまずしかった。建築物についてセピアにくすませたくない、
モダニズムの東アジア的色彩の氾濫をあえてする。
道はでこぼこ、看板は無秩序に立ちならび、木の電柱が乱立している。」
(http://kazetachinu.jp/message.html)
「みどりの多い日本の風土」こそは、私たちが近代化することで
(とりわけ戦争に負けたことによって)決定的に失ったものの一つである。
でも、厳密に言うと、私たちは「風土そのもの」を失ったわけではない。
国破れて山河あり。里山の風景は戦争に負けてもそれほどには傷つかなかった。
けれども、深く傷つけられたものがある。
それはそのような「みどりの多い日本の風土」の中で
ゆったりと生きていた日本人たちの生活時間である。
人々はかつてこの風土に生きる植物が成長し、繁茂し、
枯死してゆく時間を基準にしておのれの生活時間を律していた。
植物的な時間に準拠して、それを度量衡に、
人々は生活時間を数え、ものの価値を量り、ふるまいの適否を判断した。
でも、戦争が終わったときに、日本人はその生活時間を決定的なしかたで失っていた。
日本人は1945年にある種の「時間の数え方」を亡くした自分を発見したのである。
それは一度なくしたら、もう取り返すことのできないものだった。
農村の上空を飛翔する飛行機の風にゆらぐ稲や、軽井沢に吹き渡る風にゆらぐ草を
宮崎は恐るべき精密さを以て描いた。
どうして、「風が吹く」ということを示すためだけに、ここまでの労力をかけるのか、
怪訝に思う人がいるだろう(私は思った)。
「風が吹く」ということを記号的に処理する方法はいくらでもある。
マンガなら、何本か斜線を引いて「ひゅー」と擬音を描き込めば、
それで済ませることだってできる。
でも、宮崎はそれをしなかった。
「風が吹く」というひとつの自然現象を記号的に処理しないこと、
かけられるだけの手間をかけてその自然現象を描写し、
その風の肌触りを観客の身体に実際に感じさせること、その効果に宮崎駿はこだわった。
おそらく、それが「失われた時」を感知させる唯一の方法だと宮崎が信じたからだろう。
植物は、ただの記号でもないし、舞台装置でもない。
芽生え、育ち、生き、死ぬものである。
そのようなものとしての植物に身を添わせるようにして、かつて人々は生きていた。
植物的な時間。
これは宮崎駿の選好する主題の一つである。
『ナウシカ』の腐海の植物も、『ラピュタ』で天空の城を埋め尽くす樹木も、
『もののけ姫』の森も、人間たちの生き死にとはまったく無縁な悠久の時間を生きていた。
かつて人々はそのようにゆったりと流れる植物的な時間と共に生きる術を知っていた。
その知恵が失われた。
私たちは時間とは、どの時代でも、地球上のどこでも、
「私たちが今感じているような仕方で流れている」と信じて疑わない。
でも、そうではない。
時間は場所によって、時代によって、文化の違いによって、そのつど違う流れ方をする。
でも、そのことの実感は言葉ではうまく表すことができない。
宮崎駿はその作家的天才を以て、
「少し前まで人々がその中で生きていたけれど、いつしか失われてしまった時間」
を図像的に表象するという困難な課題に挑んだ。
大正から昭和前期の日本で流れていた、
私たちが今知っているのとは違う時間の流れを図像的に表象すること。
その企てを支援するかのように、物語の副旋律として、
映画の中には「時間の速度」にかかわる言葉が何度か出てくる。
それはいずれも「時間の流れが早くなっている」か
あるいは「早めなければならない」という切迫感を語る。
二郎の妹加代は越中島から花川戸までの蒸気船から夕方の帝都を望んで
「こんなに早く復興しているとは思わなかった」と言う。
同僚の本庄は欧米に大きなビハインドを負っているがゆえに、日本の航空技術は
「二十年を五年で追いつかなければならない」と二郎に告げる。
そのときに本庄が引く「アキレスと亀」の喩え話について、二郎は
「どうして亀の時間で生きてはいけないのか」とぼんやりとつぶやく。
物語の後半で、菜緒子の病状が悪化し、日本の戦況が悪化する中で、二郎は
「僕たちにはもう時間が残されていないのです」と絞り出すように語る。
美しい飛行機を設計することを夢見た一人の青年が穏やかな少年時代から妻を失うまでの間に、
最も大きく変わってしまったものは、何よりも時間の速度だった。
そして、まことに皮肉なことに、ゆったりとした時間の流れに身を浸し、
その中で植物的時間を享受することをおそらく望んでいた青年は、
その半生を航空テクノロジーに捧げることによって、
「時間の流れを爆発的に速める」という人類史的事業に深く加担してしまったのである。
ゆるやかに大空を舞うように飛んでいた二郎の足踏みの「夢の飛行機」が、
空気の壁を切り裂くように飛行する零戦に変容するまでの十数年の間に、
彼は顕在的な夢を実現しつつ、彼自身の潜在的な夢を破壊していたのである。
宮崎は主人公の造形についてこう書いている。
「私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、
ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。
ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。
本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。」
そのように簡単に言葉にできることを述べたくて宮崎駿はわざわざ映画を作ったわけではない。
「映画でなければ表現できないこと」を描きたくて、
宮崎はこの映画を作ったのだと私は思う。
「失われた時間」を求めて。
これは「風立ちぬ」という美しい詩編を残した詩人と
奇しくも同年に生まれた別のフランス人の作家が自作のために撰した題名である。
Munch、三枚目、
「Evening on Karl Johan Street」です。
不可逆的退行だな、戻ること能わず、
◆http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130806/frn1308060857000-n1.htm
ZAKZAK 2013.08.06
◎【外信コラム】人材もマネーも「流失」する中国
3週間で4大国有銀行の預金が16兆円減
習近平指導部が発足して8カ月過ぎたが、
このところ人材やマネーの“脱中国”をうかがわせる現象が目につく。
長年の投資主導の成長が行き詰まる中、
習体制の政治・経済改革への保守的な姿勢が内外の失望を招いているからのようにもみえる。
「不動産バブルは崩壊寸前だが、国は全く管理できていない。
地方政府や銀行、企業がこぞってバブルに浮かれてきたから、何が起きるか分からない」
中国有数のある金融問題研究者はこう本音を吐露した。
約10年ぶりの再会だったが、昔の明るい表情はついぞ見られなかった。
「改革を断行した朱鎔基(元首相)級の指導者でないと、この難関は乗り切れないが
そんな人物はもういない。法治社会の日本ではバブル崩壊で動乱は起きなかったが、
中国は違う。妻子はカナダに移住させた」という。
参考消息紙(7月31日付)によると、
今年は科学技術系の学生の「海外流失」が特に目立つそうだ。
20〜30年前にも出国ブームが起きたが、彼らはその後帰国して
高度成長の原動力となった。しかし最近の学生は帰国する気がないから「流失」というわけだ。
4大国有銀行の預金は先月前半までの3週間で約1兆元(16兆円)も減った。
こちらも「流失」し始めたのだろうか。
◆http://www.epochtimes.jp/jp/2013/08/html/d48503.html
◎政府諮問機関、「一部の都市はすでに財政破綻」
【大紀元日本8月7日】
中国政府の諮問機関である国務院研究室の黄守宏副主任はこのほど、
河北省で開かれた会議で、一部の地方政府はすでに財政破綻していると発言した。
広東紙・南方都市報が7日に報じた。
同副主任は米デトロイトの財政破綻は大きな教訓だとしたうえで、
一部の中・小規模の都市は産業の発展に力を入れず、
借金をしてまで都市建設に熱中している現状に触れ、
「デトロイトの二の舞になる」と警鐘を鳴らした。
さらに、デトロイトと同じ計算方法を取れば、一部の地方政府はすでに財政破綻している
とも言及。中・小規模の都市は産業を発展させなければ、都市化が進んでも、
ゴーストタウンになると指摘し、最後に
「地方政府がしていいことと、してはいけないことをわきまえるべきだ」と語気を強めた。
↑
遠からぬ共産支那の破綻、を見越して「図を描いておく」ことでしょうな。
大混乱必至だから、まず、如何に腐海から邦人を脱出させるか、だろうなぁ。
1863〜1944 / ノルウェー / 表現主義 作
「Summer Day」です。
☆曇り。
昨日、今日と暑く、まさに夏の盛り、といったところ。
暑中お見舞い申し上げます、ご自愛のほどを。
まずは、もう「日米安保」廃棄通告あるのみ、だ。
支那はヨレヨレ、軍部の暴発は必至だが、連動して必ず国家破綻する。
「役立たずの居座り強盗」にいつまで気儘勝手を許すのか、阿呆らしい、
◆http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-9527.html
「日々担々」資料ブログ (日刊ゲンダイ2013/8/7)
◎米軍ヘリ墜落 沖縄の安全第一ならナチスより今のドイツの気概に学べ
[元外務省局長 孫崎享氏緊急提言]
「沖縄の皆さんの安全確保が第一」――。
米軍ヘリ墜落事故を受け、安倍首相はそう明言したが、額面通りに受け取る沖縄県民はいないだろう。
米側に原因究明の徹底と再発防止策が講じられるまで墜落機と同型ヘリの飛行を停止するよう要請、
オスプレイの追加配備を一時中断しても、原因究明は地位協定の壁に阻まれてウヤムヤに終わるのがオチだ。
「本気で沖縄の安全を考えるなら、安倍政権はナチスではなく、今のドイツに学ぶべき」と、
元外務省国際情報局長・孫崎享氏が緊急提言――。
「今回の事故原因を徹底究明しようにも、日本政府は絶対に関与できません。
日米地位協定によって、日本の当局が米軍の『公務』に立ち入ることは一切、認められていないからです。
本土復帰後、沖縄では米軍機墜落事故が44件起きています。
それでも米軍は地位協定をタテに、事故当事者が事故原因を調べるという本末転倒を繰り返してきました」
今回の事故でも米軍側は墜落機について、
「嘉手納基地から2機編成で離陸し、訓練中だった」と答えるのみ。
操縦士の飛行歴や、具体的な訓練内容など詳しい情報を日本政府に何ひとつ伝えようとしない。
「ましてやオスプレイの追加配備を始めた矢先の事故です。仮に事故機の構造的欠陥が見つかっても、
米軍側は絶対に隠し通すでしょう。欠陥を認めれば、そもそも安全性に疑問のあるオスプレイは
『もっと危険だ』という世論に火が付く。それだけは避けようと、
米軍が調査結果でヘリの安全性を強調するのは目に見えています。
モロッコでのオスプレイ墜落事故のように『操縦ミス』で片付け、パイロットに責任を押し付けかねません」
米軍のおためごかしの調査報告を日本政府も唯々諾々として受け取り、
オスプレイの追加配備を再び推進する。そんなシナリオがもう出来上がっているに違いない。
自民党の石破幹事長は「原因究明を生半可なことで終わらせるつもりはない」と息巻いたが、
単なるパフォーマンスだ。本気で沖縄の安全を考えれば、いくらでも方策が出てくるはずだ。
◆飛行訓練に「国内法」を守らせない異常国
「沖縄住民の気持ちを酌んで、少なくとも米軍機の飛行訓練については一定の規制をもうけるべきです。
ドイツやイタリアにも米軍が駐留していますが、国内の航空法に基づいて
米軍機の夜間・低空訓練に縛りをかけています。日本のように米軍に国内法を守らせず、
夜間も低空も飛びたい放題を許している状態が異常なのです。
安倍首相は、最低でも米軍に『国内法を守れ』と求めてから、沖縄の安全第一を口にすべきです」
口先だけの「安全」なんて、もうゴメンだ。
※この貴重な媒体を応援しよう!
http://e.gendai.net/
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◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
◎2013年 08月 02日
#それで、あの「空飛ぶ棺桶」こと、オスプレイについて、追加配備の残る12機のうち、
まず2機を、岩国から普天間に持ってきたってことで、今朝(=8・4)の各紙に記事が出ておったんだが、
地元紙は、おそらく、1面のアタマで行っとるんだろうが、朝日がだいぶ書き込んでおったな。
おそらく、「参」のセンキョが終わって、「自民圧勝、自公過半数」を受けての、「上の方」、だから、
ペンタゴンでハンダンして、指示が出たんだと思うで。
じつは、オスプレイの飛行については、「できる限り、人口密集地を飛ばない」といったことを、
日米政府の間で合意したってんだが、実際には、こんなもん、全く無視されておるってんだな。
ま、さもありなんだが、具体的に飛行ルートってのは、ぼーエイ庁っていうか、
沖縄ぼーエイ局も把握しとらんってんだな。
要は、「亜米利加サマにモノ申すなんて、トンデモない!」ってことだわなあ。
ひとつには、騒音もさることながら、プロペラの向きを「タテ→ヨコ」にする、
あの不安定な変換モードだわなあ。
当然、市街地のド真ん中にある普天間っていうか、その周辺の上空でも、
ジャンジャンとヤッとるんだろうから、いつ落ちてもおかしくねえんだよなあ。
#「上」の続きで、じつは、ワシ、この「オスプレイ配備のウラ」についても、調べマクっておるんだが、
このオスプレイをオキナワに配備するってのは、じつは、相当前から、
この「普天間いじくり回し」のモンダイが始まる、SACO合意の96年の時点で、
既に規定路線だったってんだな。
連中は
「普天間を返してヤルから、その代わりに、辺野古に滑走路や軍港、
弾薬庫もジャンジャン作って、大バージョンアップさせろよ!」ってことなんだが、
1500m か、2000mか、とにかく、こうやって、長尺の滑走路を要求しておる時点で、
要は「オスプレイとセット」なんだよな。
で、このオスプレイが開発段階から、墜落ジコが多発しておったってのは、
「公知の事実」だったんだが、でも、「オキナワの配備」は、亜米利加もニッポン政府も
「知らぬ存ぜぬ」とシラを切り倒して、初めて、公式にオモテに出したのが、
民主トウのセー権時代の10年3月だったんだな。
ほいで、「では、ぬあんで、オスプレイのオキナワ配備だったのか?」についてだが、
コイツのウリは「航行距離」なんだよな。
空中給油をすれば、従来のヘリのCH46の700kmの、5倍以上の「3900km」なんだが、
そうすると、ニッポン全土は、スッポリと入るんだよな。
だからだな、オスプレイに命じられとるヒミツ任務とは、ズバリ、ワシは「核の輸送」だと思う。
嘉手納に辺野古の弾薬庫には、今でも「核」はあると思うで(笑)
#で、そのオキナワは、キャンプ・ハンセン内におけるヘリ墜落ジコだが、
今朝(=8・7)の朝日に、すぐ地元の宜野座村役場の職員が、山の方で黒煙を見たのが、
「8・5」の午後4時5分ごろだったってんだな。
当初は、「山火事」「不時着」「墜落」と、情報が錯綜しておって、
「墜落だった!」との知らせが入ったのは、約2時間後の午後6時ごろだったってんだよな。
ただ、コイツは、ゲンバが米グン基地内、すなわち、「亜米利加サマの領土内」なんで、
ニッポンのケーサツや消防が直接、入って行って、様子を確認したり、
消火にあたることはデキんかったんだよな。ワシは、
沖縄タイムスの号外にデカデカと載っておった、「NHKニュースから」のクレジットの入った
航空写真だわなあ。炎が立ちこめておって、黒焦げになった機体がバラバラに砕け散っておる、
あの写真を見た瞬間、「コイツは墜落ジコ以外の何物でもない」とわかったわなあ。
#「上」の続きだが、ココで、ワシが何を言いたいんかというと、
そのヘリの墜落ジコのゲンバ写真が撮影された時刻なんだが、発生から、まだ、
そんなに経っておらんかったと思うんだよな。
「論より証拠」ではないが、もし、ああした報道キカンによる取材結果が、
オモテ沙汰になっておらんかったら、いまだに米グンは「アレは山火事や!」って、
シラを切り通しておったと思うで。
たまたま、今回は運悪く、隠し通すことがデキんで、バレてしもうたんだが、あんなもん、
「軍事キミツや!」で恫喝しマクれば、イッパツだからな。
折しも、亜米利加サマからケツを叩かれて、そのヒミツ保全ホウアンとやらを、
秋の臨時国怪で成立させようとしとるんだが、くれぐれも、連中が縛りにかけたい
「軍事キミツ」「国家キミツ」とは、このテの情報であるということを、
心あるマトモな有権者は、よく思い知っておいたらエエだろう。
「そんなバカな」と言う人もおるかもしれんが、しかし、戦前においては、
「天気予報」ですら、キミツ扱いにされ、報道管制のターゲットになったということを。
それは、そうだろう。陸グンの登戸研究所で、「風船バクダン」を開発し、
偏西風に乗せて、亜米利加本土まで、ちゃんと到達しておったんだからな。
そうなると、当然、「風向き」も「軍事キミツ」ってことで、縛りマクるワケや。
ちなみに、この風船バクダンは、最終的には「牛疫ウイルス」を搭載させて、
生物兵器にするツモリだったんだよな。
だから、麻生タロウが、上手いことを言っておったよなあ。
「気が付いたら、ワイマール憲法が停止しておった、あのナチスの手口をマネしたらどうか」ってなあ(笑)。
あー、ほらほら、
「1941・12・8、気象報道管制施行。観測値、天気予報は軍事キミツとなり、
一般への発表を禁止。気象無線通報は全て暗号化される」って、出てるぢゃないか!
#おっ、今日(=8・7)のam10:04にupの沖縄タイムス電子版で、今回、墜落ジコを起こした
HH60ベイブホークと同種のH60ブラックホークってのに、現在は閉鎖中だが、
米空グンの06年のHPにおいて、
「主回転翼のひび割れを調べるセンサー用に、ストロンチウム90を使うておる!」
っていう記載があったってんだな。
うわっ、米グンってのは、劣化ウラン以下、その糞ションベンの残り滓を、
ヘリをはじめとして、軍用装備に使い倒しておるのかよ。
ひょえー、04年の沖縄国際大でのヘリ墜落ジコでは、アレはCH53Dだったんだが、
炎上した噴煙ん中に、そのストロンチウム90が、約1850万ベクレルに達しておったっていうのかよ。
いやあ、トンデモねえんだが、その一方で、「さもありなん」だよなあ(笑)。
コイツは何がぬあんでも、片っ端から「軍事キミツ」にしちゃってだな、
真実を隠蔽しマクらな、アカンやないか!
#いやあ、その今回、ヘリ墜落ジコのゲンバとなったキャンプ・ハンセンだが、
行政区画としては、金武町から恩納村、宜野座村、ほいで、名護市にもまたがっておって、
広さは全部で5118万2000平方メートルってことは、
東京ドーム1個が46755平方メートルだから、「5118万2000÷4万6755=1094.685…」
ってことは、東京ドーム1095個分の広さかあ(**)
あー、「キャンプ」、つまり、「野外演習地」としては、ココのハンセンが、「オキナワでは最大!」かあ。
所有は海兵隊だが、他の空グンとかも使うってことで、
今回、墜落したHH60ベイブホークってのは、所属は空グンかあ。
うわっ、このキャンプ・ハンセンってのは、県道104号線を封鎖してヤリマクっておる、
例の「実弾砲撃演習」でチョー有名で、敷地内にある恩納岳(標高363m)と
ブート岳(同224m)の山腹に向かって、ジャンジャンとタマを撃ち込んでおるんだな。
ひょえー、このキャンプ・ハンセンでは、コレまでに、流れ弾の着弾etcによる山林火災が、
何度も発生しておって、それで、初動の段階で「すわっ、山林火災か?」との情報もあったんだな。
で、このキャンプ・ハンセンの敷地ってのは、水源涵養用の森林帯なのかよ。
だから、敷地内にダムもあるんだな。
しかし、今回、墜落したヘリも、「糞ションベン塗れ」のギワクも出ておるんだが、
こんなもん、環境破壊っていうか、「環境テロ」そのものぢゃないか!
ワシ、恥ずかしながら、ゲンバを知らんから、墜落ジコの第一報を聞いて、
「市街地で、巻き込まれた犠牲者がおらんかったんで、よかったあ!」って思ったんだが、
そんなノー天気なハナシぢゃねえんだなあ。
いやあ、オキナワから遠く離れて、本土に住んでおるワシですら、
「市街地にある普天間を返せば、オキナワの基地モンダイは、全面解決!」
っていうハナシの持って行き方ってのが、いかに、まやかしっていうか、
こんなもん、ペテンだよなあ(笑)
↑
伏魔殿「害務省」の権力のw せん源が「在日米軍」らしいね、
売国白アリどもが! 解体あるのみだろう。
Munch、二枚目、
「Puberty」です。
久方振りに、
◆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2013.08.07
◎『風立ちぬ』
より抜粋、
宮崎駿の新作『風立ちぬ』を観てきた。
映画というのは、それについて語られた無数の言葉を「込み」で成り立っているものだからだ。
お門違いなものであれ、正鵠を射たものであれ、「それについて語る言葉」が多ければ多いほど、
多様であればあるほど、賛否いずれにせよ解釈や評価が一つにまとまらないものであるほど、
作品としては出来がよい。
私はそう判断することにしている。
「それについて語らずにいられない」という印象を残すのは間違いなくよい映画である。
ある映画について語っているときに、あの場面、あの台詞が忘れられない・・・
とひとりひとりが思い出す場面がすべて違うような映画はよい映画である。
その点で、映画批評は「通夜の客の思い出話」に似ている。
通夜の席で参列者ひとりひとりが語る故人の思い出はそれぞれにばらばらである。
ある人が「忘れがたい思い出」として語り出す故人の言葉やふるまいは、
しばしば他の誰も知らなかったものである。
全員がまったく別々の思い出を語り、そのせいで、
故人の全体像が混沌としてくるような死者がいたとしたら、
その死者はずいぶん人間として厚みと奥行きのある人だったのだろうと私は思う。
映画についても同じである。
「地」というのは「図」の後ろに引き下がって、主題的に前景化しないものである。
宮崎駿が描きたかったのは、この「前景化しないもの」ではないかというのが私の仮説である。
物語としては前景化しないにもかかわらず、
ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの。
それは「戦前の日本の風土と、人々がその中で生きていた時間」である。
宮崎が描きたかったのは、私たち現代人がもう感知することのできない、
あのゆったりとした「時間の流れ」そのものではなかったのか。
映画は明治末年の群馬県の農村の風景から始まって、
関東大震災復興後の深川、三菱重工業の名古屋の社屋と工場、
二郎たちが離れに住む黒川課長の旧家、各務原飛行場、二郎と菜緒子が出会う軽井沢村、
八ヶ岳山麓の富士見高原療養所・・・を次々と細密に描き出す。
そのどれを見ても、私たちはため息をつかずにはいられない。
そうだ、日本はかつてこのように美しい国だったのだ。
人々はこのようにゆったりと語っていたのだ。
それらの風景のひとつひとつを図像的に再生するとき、
宮崎はアニメーターたちに例外的なまでの精密さを要求した。
自作自注の中で宮崎は風景についてこう書いている。
「大正から昭和前期にかけて、みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたい。
空はまだ濁らず白雲生じ、水は澄み、田園にはゴミひとつ落ちていなかった。
一方、町はまずしかった。建築物についてセピアにくすませたくない、
モダニズムの東アジア的色彩の氾濫をあえてする。
道はでこぼこ、看板は無秩序に立ちならび、木の電柱が乱立している。」
(http://kazetachinu.jp/message.html)
「みどりの多い日本の風土」こそは、私たちが近代化することで
(とりわけ戦争に負けたことによって)決定的に失ったものの一つである。
でも、厳密に言うと、私たちは「風土そのもの」を失ったわけではない。
国破れて山河あり。里山の風景は戦争に負けてもそれほどには傷つかなかった。
けれども、深く傷つけられたものがある。
それはそのような「みどりの多い日本の風土」の中で
ゆったりと生きていた日本人たちの生活時間である。
人々はかつてこの風土に生きる植物が成長し、繁茂し、
枯死してゆく時間を基準にしておのれの生活時間を律していた。
植物的な時間に準拠して、それを度量衡に、
人々は生活時間を数え、ものの価値を量り、ふるまいの適否を判断した。
でも、戦争が終わったときに、日本人はその生活時間を決定的なしかたで失っていた。
日本人は1945年にある種の「時間の数え方」を亡くした自分を発見したのである。
それは一度なくしたら、もう取り返すことのできないものだった。
農村の上空を飛翔する飛行機の風にゆらぐ稲や、軽井沢に吹き渡る風にゆらぐ草を
宮崎は恐るべき精密さを以て描いた。
どうして、「風が吹く」ということを示すためだけに、ここまでの労力をかけるのか、
怪訝に思う人がいるだろう(私は思った)。
「風が吹く」ということを記号的に処理する方法はいくらでもある。
マンガなら、何本か斜線を引いて「ひゅー」と擬音を描き込めば、
それで済ませることだってできる。
でも、宮崎はそれをしなかった。
「風が吹く」というひとつの自然現象を記号的に処理しないこと、
かけられるだけの手間をかけてその自然現象を描写し、
その風の肌触りを観客の身体に実際に感じさせること、その効果に宮崎駿はこだわった。
おそらく、それが「失われた時」を感知させる唯一の方法だと宮崎が信じたからだろう。
植物は、ただの記号でもないし、舞台装置でもない。
芽生え、育ち、生き、死ぬものである。
そのようなものとしての植物に身を添わせるようにして、かつて人々は生きていた。
植物的な時間。
これは宮崎駿の選好する主題の一つである。
『ナウシカ』の腐海の植物も、『ラピュタ』で天空の城を埋め尽くす樹木も、
『もののけ姫』の森も、人間たちの生き死にとはまったく無縁な悠久の時間を生きていた。
かつて人々はそのようにゆったりと流れる植物的な時間と共に生きる術を知っていた。
その知恵が失われた。
私たちは時間とは、どの時代でも、地球上のどこでも、
「私たちが今感じているような仕方で流れている」と信じて疑わない。
でも、そうではない。
時間は場所によって、時代によって、文化の違いによって、そのつど違う流れ方をする。
でも、そのことの実感は言葉ではうまく表すことができない。
宮崎駿はその作家的天才を以て、
「少し前まで人々がその中で生きていたけれど、いつしか失われてしまった時間」
を図像的に表象するという困難な課題に挑んだ。
大正から昭和前期の日本で流れていた、
私たちが今知っているのとは違う時間の流れを図像的に表象すること。
その企てを支援するかのように、物語の副旋律として、
映画の中には「時間の速度」にかかわる言葉が何度か出てくる。
それはいずれも「時間の流れが早くなっている」か
あるいは「早めなければならない」という切迫感を語る。
二郎の妹加代は越中島から花川戸までの蒸気船から夕方の帝都を望んで
「こんなに早く復興しているとは思わなかった」と言う。
同僚の本庄は欧米に大きなビハインドを負っているがゆえに、日本の航空技術は
「二十年を五年で追いつかなければならない」と二郎に告げる。
そのときに本庄が引く「アキレスと亀」の喩え話について、二郎は
「どうして亀の時間で生きてはいけないのか」とぼんやりとつぶやく。
物語の後半で、菜緒子の病状が悪化し、日本の戦況が悪化する中で、二郎は
「僕たちにはもう時間が残されていないのです」と絞り出すように語る。
美しい飛行機を設計することを夢見た一人の青年が穏やかな少年時代から妻を失うまでの間に、
最も大きく変わってしまったものは、何よりも時間の速度だった。
そして、まことに皮肉なことに、ゆったりとした時間の流れに身を浸し、
その中で植物的時間を享受することをおそらく望んでいた青年は、
その半生を航空テクノロジーに捧げることによって、
「時間の流れを爆発的に速める」という人類史的事業に深く加担してしまったのである。
ゆるやかに大空を舞うように飛んでいた二郎の足踏みの「夢の飛行機」が、
空気の壁を切り裂くように飛行する零戦に変容するまでの十数年の間に、
彼は顕在的な夢を実現しつつ、彼自身の潜在的な夢を破壊していたのである。
宮崎は主人公の造形についてこう書いている。
「私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、
ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。
ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。
本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。」
そのように簡単に言葉にできることを述べたくて宮崎駿はわざわざ映画を作ったわけではない。
「映画でなければ表現できないこと」を描きたくて、
宮崎はこの映画を作ったのだと私は思う。
「失われた時間」を求めて。
これは「風立ちぬ」という美しい詩編を残した詩人と
奇しくも同年に生まれた別のフランス人の作家が自作のために撰した題名である。
Munch、三枚目、
「Evening on Karl Johan Street」です。
不可逆的退行だな、戻ること能わず、
◆http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130806/frn1308060857000-n1.htm
ZAKZAK 2013.08.06
◎【外信コラム】人材もマネーも「流失」する中国
3週間で4大国有銀行の預金が16兆円減
習近平指導部が発足して8カ月過ぎたが、
このところ人材やマネーの“脱中国”をうかがわせる現象が目につく。
長年の投資主導の成長が行き詰まる中、
習体制の政治・経済改革への保守的な姿勢が内外の失望を招いているからのようにもみえる。
「不動産バブルは崩壊寸前だが、国は全く管理できていない。
地方政府や銀行、企業がこぞってバブルに浮かれてきたから、何が起きるか分からない」
中国有数のある金融問題研究者はこう本音を吐露した。
約10年ぶりの再会だったが、昔の明るい表情はついぞ見られなかった。
「改革を断行した朱鎔基(元首相)級の指導者でないと、この難関は乗り切れないが
そんな人物はもういない。法治社会の日本ではバブル崩壊で動乱は起きなかったが、
中国は違う。妻子はカナダに移住させた」という。
参考消息紙(7月31日付)によると、
今年は科学技術系の学生の「海外流失」が特に目立つそうだ。
20〜30年前にも出国ブームが起きたが、彼らはその後帰国して
高度成長の原動力となった。しかし最近の学生は帰国する気がないから「流失」というわけだ。
4大国有銀行の預金は先月前半までの3週間で約1兆元(16兆円)も減った。
こちらも「流失」し始めたのだろうか。
◆http://www.epochtimes.jp/jp/2013/08/html/d48503.html
◎政府諮問機関、「一部の都市はすでに財政破綻」
【大紀元日本8月7日】
中国政府の諮問機関である国務院研究室の黄守宏副主任はこのほど、
河北省で開かれた会議で、一部の地方政府はすでに財政破綻していると発言した。
広東紙・南方都市報が7日に報じた。
同副主任は米デトロイトの財政破綻は大きな教訓だとしたうえで、
一部の中・小規模の都市は産業の発展に力を入れず、
借金をしてまで都市建設に熱中している現状に触れ、
「デトロイトの二の舞になる」と警鐘を鳴らした。
さらに、デトロイトと同じ計算方法を取れば、一部の地方政府はすでに財政破綻している
とも言及。中・小規模の都市は産業を発展させなければ、都市化が進んでも、
ゴーストタウンになると指摘し、最後に
「地方政府がしていいことと、してはいけないことをわきまえるべきだ」と語気を強めた。
↑
遠からぬ共産支那の破綻、を見越して「図を描いておく」ことでしょうな。
大混乱必至だから、まず、如何に腐海から邦人を脱出させるか、だろうなぁ。