Quantcast
Channel: ギャラリー酔いどれ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

蝉の声なし?

$
0
0
 画は鈴木 春信(すずき はるのぶ)

 享保10年(1725年)?〜 明和7年(1770年)     作


  「丁子屋内てう山と巡礼」です。


☆曇り。

さっそくの「大元帥明王」のご法力か?

手前のアヤ勘(妖しいw怪しいw)ではこれが大ポカだと思はれ、

◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201307/article_212.html
richardkoshimizu's blog  2013/07/24
◎7.21不正選挙:生活の党の新潟選挙区、森さんは16万票。
              比例区は4.5万票。 ありえない。


新潟の比例で生活の党に投票した人、

票数と投票所の名前を教えてください!

2013/7/24 00:45

拡散希望 

参院選新潟、生活森ゆう子前議員165,308票獲得、生活比例45,182票。
なんと12万票減。
森氏は16万票取りながら比例は4万5千 なぜ。 徹底的に調査必要。

新潟県粟島浦村の森氏票は18票、比例生活は1票のみ。
森氏に投票した18名の方、比例投票先を開示願う。
森氏のために!

agrenet


*ぬるぽ王国 2013/07/24 02:11

12.16不正衆院選でも、亀井静香議員の比例票が75%も減らされました。
選挙区票から多少の増減があるのは当たり前ですが、
さすがに75%も違う政党に入れるというのは有り得ないです。

小沢氏も今回の地元の選挙結果を見て不正を確信してる様子ですし、
衆院選と参院選で落とされた人達と連携して不正を暴いて欲しいですね。


*agrenet 2013/07/24 05:13

参院選兵庫、神戸市兵庫区で比例で生活と書いた票はわずか13票。
徹底調査必要。
兵庫区の比例政党票は民主2,646、みんな2,585、維新 6,623、共産5,085、みどり123、
大地75、幸福123、自民8708、生活13票。
絶対的に誰がなんと言おうと13票はありえない。
こんなどえらいミスを犯してくれるとは、なめっきっている。
生活13票、候補者票68票、兵庫区は合計81票しか生活はとれなかった。
これは奇跡のオウンゴール!
国民のほとんどが13票は不正だと理解できる。


*穂咲青二才 2013/07/24 07:18

森裕子さんは小沢氏の右腕です。
今回、小沢氏は右腕をはずされました。
汚い刃物を持った偽日本人達によって。
「私の不徳の致すところです。」などということを言っていれば、
魂の腐った連中の思う壺です。
 
大変な作業ですが、生活の党・森さん陣営の方々に於かれましては、
投票の事後調査をお願いしたいところです。(票数の少ない地域から)
その数字が選管の発表と大幅に違えば全面開示を請求できると思います。

今回も森裕子さんや舟山康江さんなど、
捏造された権力の座に座る似非日本人たちにとっては目障りな論客を、
裏社会は狙い撃ちしました。
健全で有能な政治家を不正に蹴落として行くやり方に対しては、
本当に怒りを覚えます。
裏社会は善い芽をことごとく摘んで国民を諦めさせたいのですが、
われわれの怒りは募るばかりです。



当:塚田 一郎  自民 456542

当:風間 直樹  民主 204834

落:森ゆうこ   生活  165308

落:米山 隆一  維新 107591


森ゆうこの票を主として民主党に付け替えた疑惑濃厚だと思う。

解党寸前の民主にかほど過剰なまでの集票力があるとは思えんわなw

当ブログ22日の記事にもある通り、

新潟で民主党の(地方区)新人(比例区一期)が

20満票(204,834)もとるわけがないでしょう!!! 

まさに、大ポカはこれではないのか?

ちなみに、風間 直樹(かざま なおき、1966年10月22日 - )
三井物産株式会社に入社。大前研一事務所にも勤める。1992年、平成維新の会事務局次長に就任。
1999年4月の新潟県議会議員選挙に上越市選挙区から自由民主党公認で出馬し、当選。
2007年7月29日執行の第21回参議院議員通常選挙に、宗教団体(立正佼成会)の推薦により、
民主党公認で比例区から出馬し、初当選した。
2013年1月、比例区から新潟県選挙区にくら替えして、
7月の第23回参議院議員通常選挙に民主党公認で出馬することを表明した。

胡乱な奴ですなぁ、壺三のヒットマンじゃないのかねw


森ゆうこ自身は当然なことだが、後援者の皆さん、これはおかしいよ。

異議を申し立てるべきだ、再カウントすれば証拠も確実に出てくると思う。

沈黙はダメだ、なんと言われても騒がにゃ、絶対ひっくり返せると思う。

地方区で「森ゆうこ」と書けば、比例は90%以上は「生活の党」と書きますよ、常考。




春信、二枚目、



「百人一首のうち 山部赤人」です。
「田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」



実働部隊・創価の草はあちこちにおるからねぇ、

◆http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/661.html
投稿者: K24 日時: 2010 年 9 月 30 日 RUW.8Yy8eqVmQ
◎創価学会:世襲と総体革命≒社会私物化への危惧

より抜粋、

Wikiによれば、

総体革命(そうたいかくめい)とは、
創価学会で使われる用語であり池田大作が第3代会長に就任した1960年代以降
強力に推し進められた政界、官界、言論界、教育界、法曹界、医療界など
各界、社会全般への敬虔な信仰を持った多数の創価学会員の人材育成で
それらを横断した社会の改善の実践力を確保し
地球社会の恒久平和と人類一人一人の幸福な生活「社会の漸進的改善活動」を目的とした
仏道修行広宣流布運動の昭和時代に用いられた総称である。

と、あたかも穏やかな社会改革運動のように思えます。

しかしながら創価学会が今まで引き起こしてきた様様な反社会的行為や
憲法上の問題を考えれば、このような綺麗ごとを鵜呑みに納得できる人はいないでしょう。

創価学会の総体革命が「社会の漸進的改善活動」であるなら、
なぜ反社会的行為が繰り返されるのか?
なぜ公明党≒創価学会政治局としか言いようのない政党が存在しているのか?

このような反社会的行為を繰り返さず、憲法上の問題を問われるような在り方をせずとも
「社会の漸進的改善活動」を行う方法はいくらでもあるでしょう。

また、創価学会は問題が発覚すると決まって『個人の資質の問題』として一蹴する。
個人の資質改善ができないような宗教団体が、どうして『人間革命』などできるのか?

人間の資質改善ができないものが人間を革命するなどできるはずがありません。
できるとすれば、単なる言葉の遊びか洗脳もしくはマインドコントロール、
さもなくば組織構成員に対する組織力≒人脈を活かした様様な『恩恵』と
同じく組織集団による圧力や組織的制裁の恐怖という『飴と鞭』で
人心収攬するしかないでしょう。

こうしたことから、創価学会の総体革命が「社会の漸進的改善活動」
であることを民衆に信じてもらいたいならば、公明党≒創価学会政治局としか言いようのない
憲法上の疑義を生み出す在り様を解消し、
今までに引き起こしてきた様様な反社会的行為をきちんと総括し清算すべきでしょう。

さて、創価学会は総体革命以外にも『世襲』という問題が横たわっているようです。

創価学会が単なる宗教団体であるならば、世襲して私物化しようがどうしようがなにも問題はありません。
それがイヤなら創価学会から脱会すればいいこと。
それこそ『お家の事情』であって、少なくとも門外漢が口を挟むようなことではありませんし、
知ったことではありません。
好きにしたらいいことです。

しかしながら創価学会は、上記で見てきたように様様な反社会的行為や宗教法人法の問題、
公明党≒創価学会政治局としか言いようのない憲法上の疑義を引きずりながら、
総体革命なる「社会の漸進的改善活動」を推し進めていこうとする。
その上、世襲を企図するならば、
これは単なる宗教団体の『お家の事情』と見るわけにはいかないでしょう。

創価学会の総体革命は、見方によれば間接的に政治上の権力を掌握し
社会支配を企図するものと観れる以上、そのような革命を推し進める創価学会が世襲を行えば、
これは創価学会が私物化されるだけではなく、日本が創価学会に私物化されていくこを意味するでしょう。

例えば北朝鮮、三世代に亘って世襲するようですが
これは世襲によって特定ファミリーが北朝鮮社会を私物化すること以外のなにものでもありません。

こうした特定ファミリーによる国家私物化の実例を目の当たりにすれば、
世襲した創価学会が総体革命を推し進めるならば、これは日本社会を私物化していくことを意味するはずです。

これは北朝鮮どころの話ではなく日本が私物化される危険性が忍び寄ってきているわけです。
極東の一角に『将軍様』が支配する国がもう一つ現われるなど、
ブラックジョークにしてもらいたいものです。


矢野絢也著 「黒い手帳−創価学会日本占領計画の全記録」
http://www51.tok2.com/home/sendatakayuki/etc5/syohyou215.html


関連事項

☆国立戒壇(こくりつかいだん)Wikipedia

仏教系新宗教の在家団体である立正安国会(後の国柱会)の創立者田中智學が、
1902年の『本化妙宗式目』において最初に提唱した概念である。

大日本帝国時代の法華宗各派においてこの構想は、
天皇帰依の実現こそ広宣流布実現の近道
という当時の一般的な状勢判断と結びついて、広汎な支持を受けた。

日蓮の手紙「三大秘法稟承事」に書かれているように、
国の許可を受けて戒壇を建立するのが日蓮の悲願であり、遺言であると弟子たちは受け取っている。

歴史的にみても、戒壇の建立は国家的な事業であった。
しかし、第二次世界大戦以降、政教分離を規定した新憲法が施行され、
天皇が主権者でなくなると、天皇帰依を前提とした国立戒壇論の意義は変化することとなり、
法華宗各派において論じられることがなくなった。
しかし、日蓮正宗およびその信徒団体は、国立戒壇という用語を使用し続けた。

1970年4月15日の衆議院予算委員会において日本共産党の谷口善太郎議員から
「国立戒壇は政教分離を規定する憲法に違反するではないか」との指摘を受けると、
日蓮正宗および創価学会は、国立戒壇という用語の使用を自宗内で禁止した。
しかし、日蓮正宗の信徒団体である妙信講は使用禁止命令に従わず、
国立戒壇という用語を使用し続けたため日蓮正宗を破門されている。
妙信講は破門されたのちに宗教法人「顕正会」として独立。
富士大石寺顕正会と名のり、国立戒壇論を主張している。

なお、日蓮自身はその著作において「国立戒壇」などという語は用いていない。

そもそも「戒壇建立」とは、
国家が特定の寺院を僧侶を育成する正式な修行場として認めて「戒壇」の称号を授与することである。
日蓮が想定していた「戒壇建立」とは、法華経を信仰する者たちによる「建立」であって、
国家による「建立」ではない。


▼戒壇(かいだん)とは仏教用語で、
戒律を授ける(授戒)ための場所を指す。

戒壇は戒律を受けるための結界が常に整った場所であり、
授戒を受けることで出家者が正式な僧尼として認められることになる。


鑑真は754年、東大寺に戒壇を築き、同年4月に聖武天皇をはじめ430人に授戒を行なった。
これが最初の戒壇である。
その後、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、
下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築いた(天下の三戒壇)。

これ以降、僧になるためには、いずれかの戒壇で授戒して戒牒を受けることが必須となり、
国(国分寺)が僧を管理することになった。



妄想もいいところなのだがw

誰が戒を授けるんだ、ということ。 鮮人イケダ大先生が授けるわけだろ、阿呆らしい。

大先生も生死不明w 息子が授けるわけだ、何者なんだ?

「革命」だとか「勝利」だとか? 釈尊の教えからすればハズレ(外道)もいいとこだと思う。

一体、誰に「勝利」するのかね?  敵は?

妄執から解脱するのが佛教ではないのか?   あ、イケダ教だもな。




春信、三枚目、



「見立白楽天」です。




取ってつけたように「内閣支持率急落」だとか、腐れマスゴミが!

ユダメリカ、支那、南鮮、崩壊寸前ですよ、大津波がくるわけだ。

世襲下痢三、白アリ官僚どもでは対処不能ですよ、

遠からず、「衆参同日選挙」で「体制一新」を迫られる事態になると思う、

おぞまし、おぞまし。

◆http://melma.com/backnumber_45206_5862998/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(江沢民がキッシンジャーと会見)発行日:7/23

◆書評 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 このグロテスク・リアリズム、中国史の本質は人肉グルメ
 菅原道真はなぜ遣隋、遣唐使の中止を進言したのか?

   ♪
  黄文雄『食人文化で読み説く中国人の正体』(ヒカルランド)
  @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

中国人作家でノーベル賞を獲得した莫言より、鄭義のほうが一時期は有名だった。
天安門事件の指導者のひとりとして手配され、中国各地に潜伏したのち、
1993年に米国に亡命した小説家である。
その鄭義のもっとも評判を取った作品は、ある村の百年の歴史を描いたもので、
要するに飢饉のたびに村人は人を食った。
大江健三郎は、鄭義の作品群を「グロテスク・リアリズム」と評した。

黄文雄さんの新作は、まさに人を食ってきた中国の歴史の本質をえぐり出した
グロテスク・リアリズムの文明論である。
中国の歴史は平均すると、十八年ごとに戦争、内乱による飢饉が発生したため、共食いが起こった。
人肉市場があり、それは闇市ではなく公認市場だった。
人肉の値段は豚や犬肉より安く、また人間を食肉として飼育し、屠殺する養人場があった。
処刑された罪人の肉も払い下げられたうえ、平穏な時代でも食人の習慣は絶えなかった。
味方同士の共食いもあり、最大の好物は子供の肉だった。軍隊は補食として人肉を食べた。

三国志演義でも劉備玄徳を厚くもてなすため、山奥に潜伏していた嘗ての部下が
妻を殺して馳走する場面がある。日本人は卒倒するか、吐瀉するかだろうが、
しかし劉備玄徳は部下のその忠節ぶりに感傷に浸るのである。
水滸伝には人肉饅頭がでてくる。数え上げればきりがないのでこの辺で止めるが、
最近も胎児のスープをグルメで味わう闇のレストランが広東省にある
ことを写真入りで多くのメディアが暴露した。

菅原道真はなぜ遣唐使の中止を進言したのか?

水運路が安定せず、海上交通に難があり、コストがかかりすぎた等とする理由付けが
戦後の解釈の主流である。本当のことをなぜ言わないのか?
 
第一は隋唐から学ぶべきことがなくなり、遣唐使は意味を失ったからである。
たしかに遣唐・隋使によって、日本にもたらされたのは唐風文化。
建築から彫刻、絵画、仏典などが影響をあたえたことは事実だろう。
平安京は唐の長安そっくりである。ところが隋の衰退により文化は荒廃を極めていた。
しかも日本が礼を尽くしての外交使節も、中国側は「朝貢」に来たくらいにしか認識していなかった。

第二は遣唐使、遣隋使より遣日使のほうが人数が多く、
かれらが日本に来て驚いたのは日本文化のすばらしさ、
要するに帰国したくなくなったというポイントが見逃されてきた。
日本では国風文化がひろまり、やがて平かな、カタカナが発達し、
源氏物語など世界一級の文学が完成した。
もはや隋唐から輸入するべき政治システムも文化文明も尽きていた。

第三の理由は人肉文化にほとほと嫌気がさしたからである。

そして本書は次のようなことを教えてくれる
遣唐使停止の決定を菅原道真がしたころ、長安を訪れたアラビア商人は『シナ・インド物語』を書いて、
役人どもが地方に派遣されると「その地域の人間をことごとく食い尽くした」と書き残した。

『唐書』には「城内で逃げ遅れて人質になった者は万に達し、餓死者は日に数人ずつ出た(中略)。
そのうちに殺し合い、人肉を食べるようになった」、
「城内ではたがいに子供を取りけえて食用にした」とある。

宋代の『鶏肋編』には「米価が暴騰した。カネがあっても食料が手に入らなくなったため、
盗賊や兵隊ばかりか一般民衆までもが殺し合い、人肉を食べるようになった。
そして街中で販売されるようになった。人肉は犬や豚よりも安く、
肥えたものでも一体が十五貫(コメ三丈分)にすぎなかった」と書かれた。

『資治通鑑』にも「(902年)唐の西京である鳳翔城の人肉市場では、
一斤(600グラム)が百銭に値し、犬の肉は五百銭に値した」と記されている。

菅原道真の決定は正しかったのだ。



コメント


☆アメリカの老人  2013/7/23


今からもう十数年前、私が仕事でアメリカへ行ったときに聞いた話をします。
(具体的な内容は個人が特定されそうなので書けません、ご了承ください)

当時、アメリカの企業と日本の企業が共同でとある実験施設を作る計画が立ち上がった。
私の会社はそこに大きな機械をいくつも納入する事になったため、
私を含め会社の10名ほどが現地の視察や今後の打ち合わせをするために向かう事になった。
場所はアメリカ中部の砂漠地帯、
かなりの田舎にある場所で、周囲には寂れた町が一つあるだけだった。

その町に到着して3日ほどしたある日。
丁度私と上司が打ち合わせするはずだった人がこちらに来られなくなり、
上司から先に帰っていても良いと言われ、私は一足先に宿泊先のモーテルに帰ることにした。
先ほども書いたようにそこは辺鄙なアメリカの田舎町。
モーテルにいてもする事が無い。
私は暇をもてあまし、特にあても無く町中をブラブラする事にした。
が、やはり暇で目的もないため、近場にあったお酒の飲めそうなレストランに入る事にした。

そこはどうもレストランというより酒がメインだったようで、
時間が早い事もあり自分以外には東洋系の老人が一人いるだけだった。

テーブルにつき食べ物やビールを注文していると、先客の老人が
「あなたは日本人か?」と尋ねて来た。

私が「……そうですが」と答えると、老人は

「やっぱり、もしお暇でしたら少しお話をしませんか?」と言ってきた。

私は断る理由もないので、はいと答えた。
その時私は、単に老人のとりとめのない世間話や昔話を聞くだけだと思っていた。

が、実際には違った。

老人の話は非常に重く、恐ろしく、おぞましい、老人の過去にまつわる話だった。
老人は1960年代後半にアメリカへ移住してきた移民一世だった。
元は中国のとある省の生まれらしい。
老人はある事件をきっかけになけなしの蓄えを全て賄賂につぎ込んで中国を脱出し、
着の身着のままアメリカへと移民してきた人だった。

その事件とは、1966年から中国に吹き荒れた文化大革命に関係するものだった。
文革当時、老人は結婚したばかりの奥さんとまだ小さな子供の3人で
小さな靴屋を経営していたらしい。
老人の話によると、文革が起きたといっても都市部で小さな靴屋を経営している老人には
当初殆ど影響が無く、町中でプロパガンダの広告や街宣車を見かけても
何か遠くで起きている出来事のようにしか感じなかったとか。

しかし「反革命的」という言葉を聴くようになってから自分の周囲の何かがおかしくなり始めたらしい。
最初は、近所にあったお寺の僧侶が連行されたという話だった。
その僧侶は結局帰ってこなかったという。
僧侶が連行されたのを皮切りに、近所の教師や医者や金持ち、政府に批判的な人などが
次々と「連行」されていなくなり始めた。
そして、ついにはそれらとは全く関係の無い一般人も次々と「連行」され始めた。
老人には何が起きているのかわからず、ただただ恐ろしく
自分達の身にこの不幸が降りかからないよう身を潜めるしかなかったという。

老人は店に来た客からある噂を聞いた。
「どうも連行された人達は子供たちに密告された結果らしい。
子供たちは自分の親や学校の教師ですら躊躇無く“密告”している」
と。
老人には信じられなかった。
子供たちの何人かは老人も知っていて親と共に自分の店に靴を買いに来たこともある。
そんなごく普通の子供たちが、自分の親や教師を密告している。
あまりにも現実離れしていた。
しかし、老人の町にも「紅衛兵」と呼ばれる集団がやってくると
老人もその事実を信じざるをえなくなったらしい。

そんなある日、老人が国を捨てる決定的な出来事が起きた。
その日、共産党からの命令で老人はある学校に生徒用の靴を納入しに行く事になった。
老人が荷車に靴を載せて学校につくと、学校の裏庭から何かを調理する良い臭いがしてきた。
臭いが気になった老人は荷物を係りの人に渡すと何気に裏庭に回ってみたのだという。

そして、そこで老人は信じられない光景を目にした。
そこにあったのは、うず高く積み上げられた死体と、
嬉しそうにそれらを解体し調理する子供たちの姿と、無表情に子供たちに
あれこれと指示を出す地元の共産党員の姿だった。
死体の中には、老人のよく知っている医者の姿もあったらしい。

(実際にはかなり生々しく、具体的に“調理の様子”が語られたのですが、
あまりにも酷い内容なのでカットします)
老人はその場を離れると、その場では何事も無かったかのように振る舞い学校から逃げ出した。
そして人気の無いところに行くと胃液しかでなくなるまで吐き続けた。

老人は今でもあの光景を夢に見て夜中に目が覚めるのだという。
家に帰ると老人はなけなしの蓄えをかき集め、奥さんには殆ど事情も話さず
夜逃げの準備をさせ、その日のうちに町から逃げ出した。
老人は仕事のツテや昔アメリカに移民した親戚などを頼り、貨物船の船長に賄賂を渡して密航し
タイ経由でアメリカに移民したのだという。
その後も共産党に怯えながらアメリカの田舎でひっそりと暮らしてきたらしい。

恐ろしい話だった。
文化大革命がかなり酷い事件だったとは知っていたが、ここまでとは知らなかった私は
老人の話をただただ聞くしかできなかった。

老人は最後にこう言った。
「当時人間を解体し食っていた子供たちは今どうなっていると思う?」
と。
私が
「わからないです」
と答えた。

すると老人は、その後ある程度外国との手紙のやり取りなどが自由になり、
中国に残っている知人などから聞いた話によるとと前置きし

「大半は紅衛兵となりその後地方へ追放されたらしいが、共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、
今は共産党の幹部になっている」
そして、こういう事は当時中国全土で起きていたらしいのだという。

老人は続けた。
「当時の子供たちは今は40代後半から50代、いずれ共産党の幹部として国を動かす立場になるだろう。
人としての第一線を超えてしまったやつらが国を動かす事になるのだ」

老人は立ち上がると去り際にこういった。
「あいつらを信じてはいけない、あいつらは悪魔だ、日本人ならこの事は決して忘れてはいけない」

以上、これが当時私が老人から聞いた話の全てです。



「食人文化」は半島も然りです。

併合までは普通に食われておった。

予想外に南鮮からコケ始めるかも知れませんな、一気に緊迫化し始めましたね。

日本人は「食人文化」とは無縁です、大飢饉の時は稀にあったかもしれませんけど。

「常食」はない。

異星人のヒトモドキと割りきって、妙な情けはかけぬこと、かけても仇で返される。

壺三ごときが仕切れる情況ではなくなりつつあり、だな。



中盤の創価関連の記事で某サイトが「不正な文字がある」とかで、UPできませんでした。

面妖な話で、どーなっておるんだかw  どこが「不正」なのか? わからんのですよ。

で、UPが遅れました。




Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

Trending Articles