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衣更着は速い?_2

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 画は 歌川 國芳(くによし)

 寛政九年(1797)〜文久元年(1861)

 号は一勇齋、朝櫻楼など            作


  「太平記英雄傳」「千場田修理進辰家」です。


甕かめ割り柴田 : Yahoo知恵袋より
元亀元年(1570)、織田信長は近江の六角氏の押さえとして
家臣の柴田勝家を長光寺城に置きました。その後、
六角義賢・義治父子が長光寺城を包囲、水の手を絶たれてしまい落城の危機を迎えました。
そこで勝家は全滅するより突撃することを選び、瓶に残っていた水を城兵に飲まし、
残りの水が入った瓶をすべて割ってしまいました。
「お前達、乾いて死ぬよりも討ち死にするのが武士の誉れ、今飲んだ水は末期の水とせよ」
と叱咤激励し、背水の陣で臨み、見事に敵を打ち破った、という話です。
そのことから柴田勝家は「瓶割り柴田」と呼ばれました。

但し、この「瓶割り柴田」のエピソードは後世の創作らしく、
太田牛一の「信長公記」など、当時の史料にはこの話は全く載っていません。



意外な説があるのだ、

☆http://blog.tatsuru.com/
内田樹の研究室 2013.02.26
◎私の紙面批評

より抜粋、

片山氏によれば、体罰による身体能力操作の悪習は日露戦争に淵源を持つ。
「持たざる国」日本は火砲に乏しく、「大和魂」に駆動された歩兵の絶望的な突撃と
悲劇的な損耗によって薄氷の勝利を収めた。
このとき火力の不足は精神力を以て補いうるのだと軍人たちは信じ、その結果、
大正末期から一般学校にも軍事教練が課された。
以来「しごき」によって戦闘能力は短期間のうちに向上させられるという信憑は
広く日本社会に根づいた。今日の学校体育やスポーツ界に蔓延する暴力は
その伝統を受け継いでいると見る片山氏の指摘は正鵠を射ていると私は思う。

日露戦争より前、西南の役において、農民出身の鎮台兵を
短期の訓練で前線に投じる「速成」プログラムの整備が陸軍の喫緊事である
と説いたのは山縣有朋であった。「速成」が要請されるのはいつでも同じ理由からである。
「ゆっくり育てている時間がない」というのだ。
短期で精兵を仕上げるためには、青少年の心身の自然な成長を待つ暇がない。
「負けてもいいのか」という血走った一言がすべてを合理化する。

私はひそかにこれを「待ったなし主義」と名づけている。
近代日本の組織的愚行の多くは「待ったなし」という一語を以て
合理的な反論を遮り、押しつぶし、断行されてきた。今もそれは変わらない。

スポーツにおける体罰を正当化する指導者たちもまた例外なく「待ったなし主義者」である。
「次のインターハイまで」、「次の選考会まで」、「次の五輪まで」という
時間的リミットから逆算する思考習慣をもつ人にとって、つねに時間は絶対的に足りない。
だから、アスリートの心身に長期的には
致命的なダメージを与えかねない危険な「速成プログラム」が合理化される。

その一方で、「待ったなし」主義はアスリート自身にも不条理な指導を受け容れるための
心理的根拠を提供する。というのは、「あそこまで我慢すれば、この苦しみも終わる」
という「苦しみの期限」があらかじめ開示されているからである。

私が大学入試の面接官をしていた頃、推薦入試の自己アピール欄に
高校でのスポーツでの実績を掲げていた受験生に幾人も出会った。
「大学でも続けますか?」という私の問いにほとんどの受験生は気まずそうな表情で応じた。
「まさか」と苦笑するものもいた。そのときわかった。
彼らにとって、競技での好成績は「苦しみの代価」として手に入れた
高校時代の誇るべき達成だったのである。
ようやくその「苦しみ」から解放されたのに、どうして大学に入ってまで・・・
という高校生の素直な驚きのうちに私は現代の学校体育の歪みを見た思いがした。

体罰と暴力によって身体能力は一時的に向上する。これは経験的にはたしかなことである。
そうでなければ、暴力的な指導がここまではびこってくるはずはない。
恫喝をかければ、人間は死ぬ気になる。けれども、それは
一生かかってたいせつに使い延ばすべき身体資源を「先食い」すること
で得られたみかけの利得に過ぎない。

「待ったなしだ」という脅し文句で、手をつけてはいけない資源を「先食い」する。
気鬱なことだが、この風儀は今やスポーツ界だけでなく日本全体を覆っている。



いい記事なのだが、

去年買った新書本、「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか  佛教宗派の謎」

宗教学者 島田裕巳著  からですが、

p164から第七章、葬式仏教の生みの親でもある道元の曹洞宗  が始まって、

p166に、

『しかし修行が厳しいものであればあるほど、そこには暴力が

 手段として用いられるようにもなってくる。・・・

 戦時中の日本軍においても暴力が横行していたが、それは

 禅寺から取り入れられたものだとさえいわれている。』 とあり。


NHK特集で「永平寺」を以前やっており、見ておりましたが、

なにやら入門(入山か?)の儀式なのだろうが雪の中何時間も立たせておく、

まさにイジメそのものの印象を持ちましたねぇ。

佛弟子が佛弟子を殴りつけるわけだ、釈尊が見たら何といわれるであろう?

門徒では坊主は「布教使」ですからw 御同朋・御同業以上の意味は無い。

単なるお仲間ですよ、暴力などまぁ、ありえんでしょうなぁ?



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