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彌生の空はⅣ

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 画は フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh 
 
 1853~1890 / オランダ  / 後期印象派            作


  「Ritratto-di-Pere-Tanguy-1887」です。


☆晴れ、冷え込む。

こういう側面もあった、

◆http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=312762
るいネット 16/02/29
◎ゴッホの心を描いたワールド絵画(3)
 ジャポニズムは日本主義 五井野正博士

ゴッホは日本文字を読み、使っていた!

☆http://www.aopo.net/goino/vol890.html

「ハイ。富士・桜・芸者・日本の浮世絵でしたね
この『タンギー爺さん』についてゴッホは南仏アルルにおいて 弟に、

『ここで僕はますます日本の画家の生き方で、
自然の中に小市民として生きてゆくことになるだろう…

もし僕がかなり高齢になるまで生きられたら、
タンギー爺さんみたいになるだろう』

と、手紙を出しました。

この文章でもわかるようにタンギーはゴッホに日本の自然の美しさや、
その自然の中で絵を描きながら生きている浮世絵師の生活を
教えていただろうと思いますね。

ゴッホはタンギーのことを恐ろしいほどの社会主義者だと
手紙に書いていましたが、 実は江戸時代の日本こそ
自由、平等、公共心を持って博愛の精神でお互いに助け合う理想の社会主義国家だ
と思っていたんですよ。」

・え!そうなんですか。自由や平等、博愛、そして社会主義というのは
 フランスの国から持ち込まれたと思っていました。

「実は日本からフランスに影響したのです。
”社会主義“という言葉自体はフランス人のビェール・ルルが1834年に
「個人主義と社会主義」という文章を発行したのが最初と言われていますが、
この場合の社会と言うのは個人に対する社会という意味ですよ。

つまり、日本は農作業にしても物を作るにしても個人作業ではなく
昔から共同作業で仕事歌をみんなで歌って仲良く行いますね。
例えば、茶摘みの歌やソーランのような漁師たちの歌や炭鉱節の歌などです。

ところで、浮世絵を製作する場合においても
絵師から彫師から刷り師まで共同作業ですし、貧乏長屋でもみんなで助け合って
生きていますから江戸時代は個人主義では生きていけない社会だったのです。

それゆえ、日本では今でも自分の考え方よりも仲間や社会の考え方を尊重しますね。

つまり、このような考え方は社会主義と言えるでしょう。

だから、ゴッホが日本の浮世絵師たちが共同で絵画を制作していたことに
強く感動していたのも タンギーの社会主義的な考え方の影響があると思います。

例えば、友人のベルナールに宛てた手紙では、

『僕は前から日本の芸術家たちがお互い同士の良い経験(pratigue)を
よく教えあっていたことに 長い間感動(torche)してきた。

そのことは彼等の間に 一つの確かな調和(harmonie)が支配する所の絆が
築かれていたという証拠だ』(ゴッホの書簡B18 ベルナール宛 アルル 1888年9月末)

と、ありますからライバル意識を持って憎しみ合ってたパリの画家たちを嫌って
日本にとって変わる南仏、つまり、アルルで共同工房の黄色い家を作るのです。

それは、手紙でも、
『僕らは日本絵画を愛し、その影響を受け、全てのインプレッショニスト
(モネ、マネ、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、ロートレックなど)
の画家に共通することだが、

それなら僕らはどうしても日本へ、いうならば日本同様のところに行くということだ。
それは南仏だろう?』(ゴッホ書簡500 アルル1888年6月4日頃)

とありますから、アルルはゴッホにとって日本だったのです。

例えば、ゴッホは妹のウィレミーンにアルルから、
『“僕は日本にいる”と、ここでいつも自分に言い聞かせているから、
僕のほうは、ここでは浮世絵を必要としない』
(W7 末妹ウィレミーン アルル1888年9月9日頃)

と、書いた手紙を出しているから、
アルルをゴッホは日本に見立てていることがわかりますね。」

中略

・じゃあ、江戸時代は封建社会じゃなかったのですね。

「そうです。フィッセルの言葉でも分かるように
当時の西欧人が考えていた日本観がそのまま明治の日本に持ち込まれて
教科書となってしまったのです。」

・へえーそうなんだ。

「そうですよ。さらにフィッセル氏は日本には西洋と違って奴隷制度という言葉もない
と言っています。下層階級の人達も生活に満足していて、
食べ物に困る貧乏人は存在しないとまで言っているのです。

しかも、もっとも身分の低い商人でさえ最大限の自由が与えられている
と述べているのですよ。」

・じゃあ、教科書では士農工商と教わったけど、
 実際には商人は身分も低くないし、自由があったんだ。

「そうです。しかも、江戸時代の武士というのは今でいえば公務員なんです。
と言うのも、当時は農民の年貢が税金だったから
武士は農民の身分を保証して 職人や商人よりも大事にしたのです。

次に城や屋敷、家具などを作ってくれる職人を大事にしました。
だから士農工商というのは身分制度と言うよりは、

政府役人であった武士は農民の次に職人を大事にするという
身分保障制度と言ったら分かりやすいと思います。

 中略

・すごいですね。官僚や政治家は国民の奴隷なんですか。
 今と全く正反対じゃないですか。

「そうです。日本は江戸時代までは西洋と違って
憲法の国家であって法律の国家ではないのです。

例えば、十七条の憲法に「和を以て貴しと為し」という
有名な第一条の言葉がありますね。でも、
第一条にはその後にこうも書いてあるのですよ。

“人はグループを作りたがるし、悟った人格者もいない。
だから君主や父親に従わないし、近隣の人とも仲良く出来ない。

しかし、上の人が和を以て接すれば下の人もなびくでしょう。
そうすれば話もうまく行くはずだ”というのが憲法第一条なのです。

つまり、日本の憲法というのは国家の道徳観だったのです。
だからといって和を破ったら罰則があるのかというとこれがない。

ですから、欧米のように“こうしろ、さもないとこうするぞ”という罰則を
持った法律というものと考え方がまったく違うのです。

強いて言うと、日本は人間を善人と見る性善説に基づき
欧米はそれとは反対の性悪説に基づいていると言えるでしょう。」

・なるほど、面白いですね。西洋とは法律の考え方が違うのですね。

「そうです。だから当時のフランスの知識階級は日本のこのような社会を
資本主義でもなく、共産主義でもない 日本主義(ジャポニズム)
という言葉で表現したんですよ。」



Gogh、二枚目、



「Wheatfield with Crows 1890」です。



クズ議員どもの名前を晒せよ! カスゴミ、

◆http://my.shadowcity.jp/2016/03/post-8940.html#more
ネットゲリラ  (2016年3月 3日)
◎保育園落ちた~落ちた~落ちた~


「保育園落ちた日本死ね」騒動が国会まで、というんだが、
このフレーズ考えた人は文才ありますw 素晴らしいキャッチコピーだ。

案の定、ネトサポが食い付いて大騒ぎなんだが、
国会では自民党から「どこのどいつが書いた、出て来やがれ」と
ヤジが飛ぶ騒ぎで、まぁ、恫喝して黙らせるのはいつもの自民党だw


  ☆https://netatopi.jp/article/1001740.html
  ◎「保育園落ちた日本死ね!」問題で、
   国会のヤジ「誰が書いたんだよ」→
   Twitterで「#保育園落ちたの私だ」が大流行

  ヤジについては、「誰が書いたかとか本当かとか言い出す国会終わってる」、
  「誰が書いたとかいう問題じゃないだろ」との怒りの声が多く上がっています。


今回のネトサポ諸氏のアクロバット理論なんだが、「民主党の自作自演」とか
「待機児童なんて存在しない」とか、どうにも苦しくて笑えますw


  -----------------------
  安倍は国民の痛切な声を拾う気なんか、
  これっぽっちもないんだよ。
  -----------------------
  自民党の民間人への公開脅迫
  -----------------------
  これ、ヤジを飛ばしたのは誰だよ?
  -----------------------
  これが庶民の切実な声だと言う事を
  一切想像出来ない自民党のアホ議員達
  選挙と献金の事しか興味が無い
  -----------------------
  むしろヤジ飛ばした議員が誰なのかハッキリさせろや。
  女が外で働くのをひたすら推奨してるくせに、
  保育園が全く足りてない状態をまさか正常だと思ってるの?w
  都会の保育園は待機児童数十人~下手したら100行くところすらあるよ。
  ブログは表現がキツイだけで、言ってる事はごく普通の国民の不満だよ。
  それすら受け止められない・まともに認識出来てないなら議員なんてやめろ。
  -----------------------
  オバハン怒らせたら、あとが怖いw
  自民党、選挙に負けるぞこりゃ
  -----------------------
  何の為の消費税だったんだ?
  外国に何兆円もバラまく予算は有るのに
  国内の社会福祉を拡充するカネは一銭も無いんですね そうですか
  -----------------------
  先ずは本人出せってヤジを飛ばした議員を特定しないとな
  この議員がどれだけ児童福祉に真剣に向き合ってるかを
  ちゃんと国会の場で披露して貰おうじゃないか
  まさかヤジ飛ばしただけで児童福祉なんか興味無いとかあり得ないよね?
  -----------------------


保育園については、そら、必要なだけ作らなきゃならないんだが、
前にも書いたように、高額の子ども手当を出して、
「保育園入れて働くより、子ども手当て貰って自分で面倒見た方がお得」
にするというのも、1つの解決法です。

特に、ゼロ歳児保育は月50万かかるというんだから、
月20万くらい子ども手当出してやりゃ、自分で子育てするだろw 
今は、子ども手当は安いし、
保育園に入れようが自分で面倒見ようが、金額は変わらない。

保育園には税金が使われているので、
保育園を利用しない人の子ども手当増額するのには、理屈が通る話です。


コメント


*ED | 2016年3月 4日 | 返信

  資源も土地もない日本の資産は人間しかなく、
  その人間に投資しない社会に未来はない。
  未来のある人間とは子供のこと、簡単なお話です。



Gogh、三枚目、



「Starry Night over the Rhone 1888」です。



緩やかな鎖国に回帰してゆくことです、

◆http://melma.com/backnumber_45206_6336812/
宮崎正弘の国際ニュース・早読み  発行日:3/3


◆書評 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 スパイクマンは日米同盟の創造神ではなかったのか
  幕末日本の地政学の理解者は島津齋彬、その影響が西郷の征韓論に及んだ

   ♪
  兵頭二十八『地政学は殺傷力のある武器である』(徳間書店)
  @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ユニークな視点に立つ現代地政学入門講座というのが本書である。

地政学といえばマハン、マッキンダー、スパイクマンという一つの系譜があるが、
著者は、この流れに準拠するかにみえて、随所に異論をはさむ。

マッキンダーにはその地政学に二つの「空白」があるという。

第一は「シナ大陸の地政学」であり、

第二は「ヒトラーとスターリンの石油地政学」である。

同時に従来の地政学議論が見落とすか、軽視してきたものに
ドイツの地政学があり、兵頭氏は、ラッフェルとハウスホーファーという
二人の地政学者を紹介している。

マッキンダーはドイツをハートランドに含めたが、
スパイクマンは、ドイツをリムランドとして独自の見解を確立し、
世界史をつぎのように定義づけた。


☆リムランド (Rimland) は地政学の用語のひとつ。
 ニコラス・スパイクマンによる造語であり、
 北西ヨーロッパから中東、東南アジアに至るユーラシアの沿岸地帯を指す。

☆ハートランド(Heartland)とは、地政学の用語。
 ハルフォード・マッキンダーが
 『デモクラシーの理想と現実』の中で
 ユーラシア大陸の中核地域を中軸地帯と呼んだ。


すなわち「スパイクマンは、ユーラシア戦争史とは『英国とリムランド組』対ロシアか、
さもなくば、『英国とロシア組』対リムランドだった」(234p)。

スパイクマンは第二次世界大戦の結果をみないで、1943年に亡くなっているが、
日本に関して次の預言を1941年という早い時期に残していた。

「枢軸が敗北するのは決まっているものの、ドイツを無力化してはならず、
戦後のソ連と拮抗させなければならない」

そして『日本の敗戦後』に関しての未曾有の預言は次のようである。

「日本の敗戦後、ソ連は国境をめぐってシナと対立関係にはいるだろう。
リムランドであるシナは、かならず強大化する。

ソ連は押されて、中央アジアを支配つづけられない。

米国はシナによる日本併合を阻止せねばならず、
むしろ進んで日本と同盟することで、シナと拮抗しなければならない」

まさにスパイクマンこそは「日米安保同盟の創造神」であると兵頭氏は言うのだ。


また本書で特筆されているのが日本の地政学であり、鎖国の現代的意義を問う。

兵頭二十八氏はこういう。

「江戸幕府の『チャイナリスク』理解は、おそろしく的確でした。
シナ王朝とのつきあい方として『鎖国』にまさるものはなかったのです。

それが日本人をいちばん安全にしていました。
かつて成功した政策は、また復活させることも可能でしょう」

そもそもシナを中国と呼ぶのは間違いで、それは「自誇称」にすぎず、
まだ『中国』と呼ぶ人が多いのは「自ら儒教圏の上下秩序の『下』の側にはいる
ことを意味する」と主張する。

著者が幕末時において日本の地政学の真の理解者としてあげるのは
名君・島津齋彬だったとして、

「齋彬が直接に世界情勢を教えたとされる西郷隆盛が後に人に語っていた
征韓論の骨子が、
(北海道を防衛するためには朝鮮半島経由で
ポシェット湾(ウラジオストック)からニコライエフスクまで
日本陸軍が前進して陸上で会戦しなければならない)という、卓抜なものだった」
とする(253pに詳細な地図が掲げられる)

しかし、予防的速攻を言うのであれば、明の地政学的進出を先に見越して、
明をキリスト教の侵略からまもる目的でなされた朝鮮出兵があり、
齋彬より遙か前の、秀吉が嚆矢ではないのか。

また中国については、「古代的専制を21世紀のいまでも心から望んでいる」中国は、
「外敵が圧迫してきたときに 自然に団結し難かった地形と、
簡単に裏切り者が出るために
決して誰の善意をも信じて生きることの出来なかった 長い歴史が、
そのような(中国人の)精神を彼らに植え付けてしまいました」(322p)

最後に兵頭氏は近未来の中国との対決を次の予測で纏めている。

「中京が軍事的に自滅するのが先か、それとも経済的に崩壊するのが先か」
は預言しずらいものの「経済的には『崩壊5秒前』という印象があり」、

日本は「機雷敷設の準備だけは怠りなく」しなければならない。

機雷封鎖こそが「最も人命の犠牲と石油の消費が少なくてすむ、
地政学敵な戦争スタイル」(331p)である、というのが結論に近い。

いずれにしても、この独特なスタイルの地政学入門は大いに有益だった。




毎度申し上げておりますが、

「脱米」&「排特亜」こそ国益にかのう、安全と繁栄への大道なり、と。

食人支那と誼を通ずると必ず体制が不安定化し、縁を断つと安定化する、これ哲理。

遣唐使廃止で摂関政治が安定し、清盛は日宋貿易で日が陰ってくる。

「観光立国」など愚の骨頂w ギリシャになってど~するんだよ。




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