画は富岡 鉄齋(とみおか てっさい)
天保7年(1837年)〜 大正13年(1924年) 享年90。
明治・大正期の文人画家、儒学者。 作
「聚沙為塔圖」です。
法華経の方便品に、
「乃至童子戯 聚沙為佛塔 如是諸人等 皆已成佛道」とあるとか。
☆雨模様。
3.11のご命日です、 合掌
避難生活を余儀なくされておられる皆々様に、衷心よりお見舞い申し上げます。
まずは、
◆http://tokyo.secret.jp/art/3-11-02.html
DEEPStock
In Deep 記事
◎衝撃のデータ: 3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化
(2011年05月20日)
☆マグニチュード9の地震の前に急速に加熱された日本上空の大気
オリジナル記事(英語)
Atmosphere Above Japan Heated Rapidly Before M9 Earthquake
Technology Review 2011.05.18
震源地上空の赤外線放出が東北大地震の前に急激に増加していたことを科学者が突き止めた
図
地質学者たちは、これまで、大地震の前に報告され続けていた
奇妙な大気の現象についての理解に戸惑っていた。これらには確証がなく、また、
これらの大気の状態と地震の関係を物語る上での裏付けとなるデータを手に入れることも難しかった。
しかし、近年、世界中の様々な研究チームが、地震地帯に監視ポイントを建設し続けており、
そして、そのいくつかの監視ステーションからは、
すでに地震が発生した前後の高層大気の状態と電離層のデータを衛星に送っており、
そこからのデータを入手することが可能となってきている。
2010年1月にハイチで発生したマグニチュード7の地震の前に、DEMETER宇宙船から得られたデータでは、
超低周波無線信号の大きな増加を示していた。
そして、今回、 NASA のゴダード宇宙飛行センターが 3月11日に日本を荒廃に追い込んだ
超巨大地震に関してのデータを提示した。
このデータの結果には多くの人々が驚くと思われる。
日本の東北でのマグニチュード9の地震の数日前より、電離層全体の電子量が劇的に増加したことがわかった
とゴダード宇宙飛行センターの研究スタッフは言う。 そして、この電子量は地震の3日前に最大限に達した。
同時に、衛星は巨大な赤外線放出を観測した。この赤外線の放出は、地震直前にピークに達した。
これは言い換えると、空気が加熱していたということになる。
これらの観測は「地圏 - 大気圏 - 電離圏結合」
( Lithosphere-Atmosphere-Ionosphere Coupling )メカニズムと呼ばれる考え方と一致している。
この考え方は、地震の前日には、実際には与えようとしている断層の大きなストレスが
ラドンの大量の放出を引き起こすという考えだ。
このガスからの放射能は大規模に空気をイオン化し、いくつかの影響を与えると思われる。
水分子が空中でイオンに引きつけられるので、イオン化が水の大規模な凝結を誘発するのだ。
しかし、結露のプロセスも熱を放つ。
赤外線放出を引き起こしている理由はこれだ。
NASA の研究チームは、
「3月8日赤外線の急速な増加が衛星データから観察されたことを、我々の最初のデータが示している」と言う。
これら赤外線の放出は、電離層とその全体の電子の含有量を増加させる。
そして、これは確かに、岩石圏、大気と電離層がひとつの方向として不安定にさせられる
という意味を持つと思われる。問題は、今回得られたこの証拠が、どの程度まで一般化した意見となり得るかだ。
日本で発生した大地震は、世界で起きた地震の中で最も大きなもののひとつであり、
今後においても研究されるべきトップクラスの現象であり続ける。
今回のデータを最大限に活かすチャンスを作らなければ、地震研究に明日はないかもしれない。
↑
ズバリ「HAARPの活動が極大化されておった」ということですよ。
徐々に明らかにされてゆくわけだ、悪謀の証拠が。
鉄齋、二枚目、
![]()
「櫻花圖」です。
せめて散り際は潔く、まぁ無理かw
◆http://blog.shadowcity.jp/my/2012/04/post-99.html#more
ネットゲリラ(2012年4月10日)
◎第一党が維新、次がみんなの党とかそんな感じ
このところ再稼働問題で大騒ぎなんだが、おいら前から言ってるように、
原発が全部止まると、カネを稼ぐ「固定資産」が全て、一気に不良資産に変身、
沖縄電力を除くそれぞれの電力会社が何千億とか、
下手すりゃ兆を超える「特別損失」を計上しなきゃならないので、
ナニが何でも一基だけは動かしておかないと、
企業の継続性そのものに対する疑念が出て来て、会社が潰れちゃいますw
もはや、原発を動かす「意味」というのは、そうした会計上の理由だけですね。
政治家もマスコミも、何故、ここを追求しないのかw
中部電力はもともと浜岡しか持ってなくて
原発依存度が低いから生き残れるかも知れないが、
依存度の高い関西電力なんぞは、モロにこの問題被ってるw まぁ、
「資産だけど事情があって動いてません」というのも手ではあるがw
政府は稼働の許可を出したけど、周囲 100km圏内に反対している自治体があるので動かせません、とかw
☆http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012040990131300.html?ref=rank
中日新聞 2012年4月9日
◎自民公約、消費税10%明記
自民党は9日、次期衆院選マニフェストの原案を発表した。
消費税率は2010年参院選を踏襲して、現行の5%を「当面10%」に引き上げると明記した。
原案は消費税増税により、持続可能な財政と社会保障制度の確立を目指すとした。
年金制度では「現行制度の基本を堅持」する姿勢を示し、
最低保障年金制度の創設を掲げる民主党との違いを明確にした。
受給者が増大している生活保護には就労支援を拡充した上で、給付水準を10%引き下げる目標を提示。
食費や被服費を現金支給から現物支給に変更することなどで予算を削減するとした。
原発の存廃を含めたエネルギー政策は「今後10年の国民的議論で結論」と判断を先送りした。
自衛隊を「自衛軍」と位置付け、国旗、国歌の尊重規定を新設する憲法改正を打ち出した。
デフレ対策では、政府と日銀の政策協定で消費者物価の前年比2%上昇を目指すインフレ目標を導入。
法人税の大幅な引き下げも盛り込んだ。
民主党政権が進めた政策では、農家への戸別所得補償制度や子ども手当の見直しを念頭に
「無責任なばらまき」と批判した。
鉄齋、三枚目、
![]()
「伏見人形」です。
同世代のようだが、なかなか大胆ですなぁw
当ブログ既報の内容もあるが、面白いねぇ、
◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/263514844.html
新・心に青雲 2012年04月10日
◎砂糖黍と明治維新
上野公園の山一帯は今、桜が満開でテレビのニュースでもそのにぎわいが映し出されている。
折しも東京国立博物館では、「ボストン美術館 日本美術の至宝」という展覧会が催されている。
6月まで開催なので見に行こうかと思っている。
そのボストン美術館にある「日本美術の至宝」は、詳しいことはわからないが、
たぶん幕末の混乱期に日本から売り払われた美術品ではなかろうかと思われる。
多くは江戸城にあった美術品を、薩長新政府軍が奪って外国に売り払ったのである。
政権が交代したとはいえ、財宝は徳川家の所有なのに、平然と盗んだものだ。
上野寛永寺に立てこもった彰義隊を、薩長軍(新政府軍)の大村益次郎が攻撃するにあたり、
江戸城内の徳川家の「至宝」を持ち出してカネに替え、それで銃砲弾を買ったのである。
Wikipediaにも以下のように記述されている。
「大村が立案した彰義隊殲滅作戦を実地するには50万両もの大金が必要だった。
この調達の為に大村は米国より軍艦ストンウォールジャクソン号購入の為の資金25万両を
交渉役の大隈重信から分捕り、更に江戸城内の徳川家の財宝を外国商人に売り払い、
最終的には新政府の会計をつかさどる由利公正に掻き集めさせた20万両を併せて何とか50万両を揃えた。
これにより作戦実地に必要な銃砲弾その他の物資を揃え開戦した。」
しかしながらこの50万両の大金でも、戦はたった1日しかできなかった。
だから1日で決着をつけるしかなかった。 戦争にはとてつもなくカネがかかるものだ。
よって大村益次郎は1日で終わらせる作戦をたて、犠牲を厭わずに彰義隊を攻めた。
大村は将来を見越して薩摩軍の力を同時に殺ぐために、最も激戦のところに集中させた。
私たちは歴史の教科書ではこういうことはほとんど聞かされない。
戦争をやるには莫大なカネがかかるのに、
そのカネがどこから調達されたかはほとんど語られないのは不思議である。
個人レベルで言っても、素浪人でしかない坂本龍馬が活躍できた裏には、
彼を金銭的にささえた勢力があったのに、それを抜きにして話ができあがってしまう。
明治維新は薩摩藩と長州藩が主導して成ったわけだが、両藩はいったいどこからその莫大な資金を得たのかが、
どういうものか日本の歴史学では解明されずに、
なにやら「思想(尊王攘夷とか)」と「武力」だけで事が進んだなどと皆が信じる。
『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり』(大江修造著 アスキー新書)によれば
薩摩藩の軍事力の謎は、薩摩藩が当時「植民地」にしていた奄美群島で砂糖黍を栽培し、
それを換金し蓄財していたからである。
江戸時代に砂糖は超貴重品であったのだから、薩摩が砂糖黍に目をつけたのは当然であったろう。
奄美群島は本来、琉球王国の所領だったが、薩摩藩が武力侵攻して植民地にしたのである。
薩摩は奄美で農民に米などは作らせずに、砂糖黍だけを栽培させ、
中国や琉球と抜け駆けで交易させないために船も造らせなかった。ひどい苛斂誅求をやって、
しゃにむに将来の徳川幕府打倒の資金を貯め込んだのだ。
それ以外にも、琉球や中国と密貿易をやって蓄財した。
その経緯が『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり』に詳しく書かれている。
「大事がなされるときにカネが必要なことはいうまでもない。(中略)
なぜ明治維新における財政面が語られてこなかったのか。それは明治維新を推進した薩摩藩が、
史上でも稀な収奪を奄美などから行い、歴史から隠蔽したためである」
と、この本では説いている。
大江氏によると、沖縄の民謡は概して明るい調子だが、奄美の民謡は暗いのだそうだ。
つまり奄美の民衆は薩摩の奴隷にされていたからであったというのだ。
ついでながら、生麦事件に端を発した薩英戦争(1863年7月)では、われわれは教科書とか
司馬遼太郎の小説などでは薩摩側が一方的に敗れたと書かれていたが、
実際は薩摩が勝っているということも、この本で知った。
確かにこの戦争で、薩摩は一気に攘夷を捨て、開国へなだれ込むのだが、戦争そのものは薩摩が勝利している。
この本の主張は、砂糖黍で儲けた資金で薩摩が軍事力を駆使できたので、
たいした内戦にもならずに日本は欧米の植民地にならずに済んだのだと言っている。
その影に、奄美の人々の虐げられた暮らしがあったのである。
ではもう一つの雄・長州のカネの出所は、こちらも朝鮮との密貿易で稼いだものだった。
また、長州の軍資金は、白石正一郎という豪商(小倉屋という問屋)や鴻池が用立てしたのである。
白石正一郎は下関で問屋や酒屋を営んだが、下関はなんといっても大阪から日本海側に船が抜ける要衝であったし、
朝鮮とも近接していたから、交易で儲けたのである。
白石は薩摩藩の御用達になっているし、土佐藩を脱藩した龍馬が一時寄宿している。
自身も尊王攘夷思想にかぶれて、莫大な資金を長州の志士らに提供した。
あまりに莫大な資金をむしりとられて、維新後は没落した。慶応元年くらいには資金がつきたと言われる。
だから彰義隊を攻めるカネがもうなかったのだろう。
鴻池財閥のほうは、長州の出自ではなく、現在の兵庫県伊丹市で造り酒屋をやっていて、
やがて大阪に進出して両替商になって財閥にまでのぼりつめた。
明治新政府が出来たと言っても、政府は自分でカネ儲けをしたわけではない。
しかしカネがなければ国家は運営できない。ずいぶん困っただろう。
税金をとろうにも、行政組織が壊れたのだから一から作り直さねばならず、そのカネもなかった。
薩長連合軍が徳川幕府から略奪するつもりで江戸城に乗り込んだが、スッカラカンだったことは有名である。
だから徳川家としては薩長と戦争する気がないのは当たり前だった。
むろん天皇家にもカネはない。
だから困って、借金するか、略奪に及んだのである。その借金に応えたのが主に三井財閥であった。
三井財閥は維新新政府の資金要請に応え、政商の基盤を確固たるものにした。
その三井は、ロスチャイルドの手下であった。
だから、新政府はロスチャイルドの言いなりになって、富国強兵路線を突っ走ることになった。
それだけではない。以前にブログで書いたことだが、
明治以降の政府は多くの庶民を誑かして、移民や「からゆきさん」を出して、
食い扶持を減らすとともにカネを創った。
日本が貧しくて税金の取りようがなかったからではあるが、
その海運を担ったのが新興財閥にのし上がった三菱であった。
三菱や三井の船が日本人を海外に捨てる役目を担い、その大株主だった天皇家がこれまた莫大な蓄財を果たした。
慶応の福沢諭吉が積極的に日本の婦女子を外国に売り払えと奨励したのだ。
私たちがややもすると財政・経済に弱いのは、近くはこのような明治維新実行の資金が
教科書や御用作家らによって隠され、触れられないできたことも原因の一つではなかろうか。
例えば坂本龍馬を英雄視して、あたかも彼の力で革命が成ったかのように小説やドラマが描かれる。
龍馬にいかに新時代への志があったとて、財政基盤があったればこそだということは忘れられてしまう。
「断固として行えば自ずから道は開ける」などという妄想をわれわれはうっかりすると持たされる。
その悲劇が大東亜戦争の補給を無視した戦いにつながっているはずだ。
元をただせば薩摩も長州も、資金の出所を隠してテメエに都合の良い、
きれいごとばかり「歴史」にしたからである。
◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/263695680.html
新・心に青雲 2012年04月11日
◎松蔭の闇(1/4)
《1》
昔から私は吉田松陰という男が尊敬もできず、好きになれなかった。
後に松蔭がどういう男か詳しく知って、始めの直感みたいなものが正しかったとわかったが、
複雑な思いをした。
私が出た高校は、本来は小学校から大学までの一貫教育の学園であったが、私は高校3年間だけお世話になった。
広大な敷地に小学校から大学まで点在していて、その中に松下村塾を復元した家屋もあり、
丘と丘をつなぐ陸橋には「松蔭橋」などと名前がつけられていて、
学園の創始者がいたく吉田松陰に惚れ込んでいる様子であった。
その高校には入ったものの校風にはなじめなくて、反発していたので、
いっそう松蔭が嫌いになった面もあっただろう。松下村塾の家屋を復元したとて、何が嬉しいのか、と。
学園の創設者が薩摩のさらに田舎の出身だったから、「知行合一」なる教育理念に共感したというより
薩長同盟のよしみで長州の吉田松陰が気に入っていたのかもしれない。
東京は世田谷区に松蔭神社なるご大層なものまであり、神奈川県の厚木にはその名も松蔭学園という学校まである。
松陰神社は、世田谷線という路面電車に毛がはえたような路線の「松蔭神社前」駅近くにある。
江戸時代は長州藩の別邸があった土地に、長州藩を乗っ取った下級武士どもが師たる松蔭を祀ったものだ。
山口県の萩にも松蔭神社がある由だが、東京の神社は撤収してくれないだろうか?
どういう経緯か、世田谷の松蔭神社のすぐ近所には、安政の大獄で松蔭を処刑させた大老・井伊直弼の墓がある。
井伊直弼の霊に、非業の死をとげた松蔭の悪霊が暴れださないよう抑えてもらっているのだろうか…。
吉田松陰はペリーの黒船に単独で乗り込んで「俺を米国に連れていけ」と頼んだとか、いや、
実はペリー提督と刺し違える気で乗船したのだとか、諸説あるようだが、どちらにしてもバカなというか、
分別のない愚挙をしたものだと、初めてあの男を知ったころからバカにしていた。
しかも、幕府側に自首して出たのだから、黙っていればいいものをアホかと。
海外渡航が国禁だったことは承知していたのだから、無銭で米国に連れていってくれとは、
どれだけ図々しく、無法な男だったかわかるではないか。
こんな法破りの勝手な男が、明治以降に長州が政権をとったせいで褒めそやされるようになった。
これも「動機が純粋なら許される」みたいな、理不尽な話がまかり通る発端になったのではないか。
後の二・二六事件の青年将校どもの一件に通じるものがある。
吉田松陰は、いかにもアヘン戦争で負けた支那が植民地にされる惨状を知って、
日本をなんとかしなければと思ったかもしれないが、しょせん彼は長州の忍者組織の一員であるから、
黒船の一件にしても上の指示にしたがっただけのことなのではないか。
後年、明治天皇がすり替えられたと知ってからは、余計その遠因をつくった吉田松陰が嫌いになった。
孝明天皇とその息子(本当の明治天皇)を暗殺し、
長州の田布施から大室寅之祐を連れてきて身代わりに据えたのは、松蔭の弟子だった伊藤博文であった。
かかる不法な天皇制を生んだのは、吉田松陰にも責任はある。
なにが「知行合一」だ、馬鹿野郎と言いたい。
《2》
本当の吉田松陰については、松重楊江氏の『二人で一人の明治天皇』(たま出版 2007年刊)に教えられた。
以下はこの本を参考にしている。
詳しくは後述するが、松重氏は明治維新の本質を、
「松下村塾門下生の勤王志士たちが計画した南朝再興とは、北朝系の天皇グループをそっくり排除して、
南朝系に代えるという王朝の変動革命であった」と説いている。
話は飛ぶけれど、現在、大阪市長・橋下徹の率いる「大阪維新の会」が、国政に討って出ようとして、
衆議院議員候補を一般公募して政治塾のようなものを立ち上げようとしている。
その募集が「志士を募る」というようになっている。
これはただ単に幕末の「改革」を真似たからではなく、
もっと歴史を知る何者かの深謀遠慮が隠されているように思えるのである。
本稿を書こうという気になったのは、まさに今日的課題としての「大阪維新の会」の台頭を踏まえてなのである。
さて。
長州藩には、「ウラ毛利」という忍者組織があった。この連中が主体となって倒幕運動をやるのである。
「ウラ毛利」とは、長州藩(毛利)が関ヶ原で敗れて以降、
倒幕用の軍資金を貯めて守る任務を負った忍者集団のことである。
「ウラ毛利」には、上忍・中忍・下忍の3階級があった。
松蔭は中忍であり、伊藤博文は下忍であった。下忍だったから、孝明天皇を惨殺する実行部隊を指揮し、
厠に入っていた天皇を下から忍者刀で突き刺したのが伊藤である。
松重氏によると、「ウラ毛利」」の上忍は「情報局長官」であり
中忍は「左官級情報員」で、下忍が実行部隊ということになる。
松蔭は、黒船に乗り込んだ当時(安政元年)、長州藩の家老は益田弾正親施であり、
この親施(ちかのぶ)とその親の益田元宣に認められて、中忍に抜擢されていた。
この頃に「ウラ毛利」は、尊王攘夷とともに倒幕、および南朝革命を志す同士集団となっていた。
だから松蔭は、「ウラ毛利」」の上忍・益田親施の命令で、情報収集の目的で
浦賀において米艦に乗り込もうとしたのである。したがって、あの愚挙は松蔭の個人的な動向ではなかった。
松蔭は失敗して下獄し、翌年には萩に回されて謹慎処分となる。しかし幽囚の身となった松蔭は、
そこから松下村塾に顔を出し始めて講義を始め、塾生が増加してゆく。
これも先だってのブログで説いたように、松蔭がもし単独の行動で萩から浦賀まで従者を連れて旅行してきて、
浦賀で小舟を購入して米艦に乗り着けるなんてことをしたとしたら、どれくらいの巨額の資金が必要だったか。
それを誰も言わないのではないか?
当時、江戸から大阪まで飛脚を飛ばすと今のカネで50万円くらい費用がかかったのだ。
萩から浦賀まで下級武士の分際で旅費が揃えられるわけがないことくらいわかりそうなものだ。
だから、松蔭にはスポンサーがついていて、その背後の勢力が資金を出して、
スパイたる松蔭に情報をとらせようとしたのだ。
↑
ハシゲをさかんにマスゴミが煽っておりますw
関西近畿制圧とか?
まだ、候補者のタマを見せておらんでしょうw 作戦らしいが。
見たら何だコイツは、というのが多いと思いますよ。
理念などないのですよ、国会議員になって蓄財したい、威張りたい、その類ばかり。
ハシゲ自体に何かこれまでで実績があるのか? 公務員叩きと似非右翼宣伝のみじぁないのw
堺屋太一、大前研一、岡本行夫、マッキンゼーのパシリ上山信一、とか
ダメリカの犬コロばかりがブレーン、 欲ボケ老害爺ぃチョン太郎、安倍壺三のお気に入りw
まぁ、先は見えておるのだが、黒幕は断末魔の「ユダ金」だろうねw
もともとは「よみうり」御用達=CIA御用達、喚き専門の電波芸人でしかない、茶髪弁護士がw
受け皿不在で、鳶に油揚げはまずいわなぁ、碌なことにならんのだから。
そこで「小沢新党」ですよ、 そろそろ重い腰を上げろよ!
天保7年(1837年)〜 大正13年(1924年) 享年90。
明治・大正期の文人画家、儒学者。 作
「聚沙為塔圖」です。
法華経の方便品に、
「乃至童子戯 聚沙為佛塔 如是諸人等 皆已成佛道」とあるとか。
☆雨模様。
3.11のご命日です、 合掌
避難生活を余儀なくされておられる皆々様に、衷心よりお見舞い申し上げます。
まずは、
◆http://tokyo.secret.jp/art/3-11-02.html
DEEPStock
In Deep 記事
◎衝撃のデータ: 3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化
(2011年05月20日)
☆マグニチュード9の地震の前に急速に加熱された日本上空の大気
オリジナル記事(英語)
Atmosphere Above Japan Heated Rapidly Before M9 Earthquake
Technology Review 2011.05.18
震源地上空の赤外線放出が東北大地震の前に急激に増加していたことを科学者が突き止めた
図
地質学者たちは、これまで、大地震の前に報告され続けていた
奇妙な大気の現象についての理解に戸惑っていた。これらには確証がなく、また、
これらの大気の状態と地震の関係を物語る上での裏付けとなるデータを手に入れることも難しかった。
しかし、近年、世界中の様々な研究チームが、地震地帯に監視ポイントを建設し続けており、
そして、そのいくつかの監視ステーションからは、
すでに地震が発生した前後の高層大気の状態と電離層のデータを衛星に送っており、
そこからのデータを入手することが可能となってきている。
2010年1月にハイチで発生したマグニチュード7の地震の前に、DEMETER宇宙船から得られたデータでは、
超低周波無線信号の大きな増加を示していた。
そして、今回、 NASA のゴダード宇宙飛行センターが 3月11日に日本を荒廃に追い込んだ
超巨大地震に関してのデータを提示した。
このデータの結果には多くの人々が驚くと思われる。
日本の東北でのマグニチュード9の地震の数日前より、電離層全体の電子量が劇的に増加したことがわかった
とゴダード宇宙飛行センターの研究スタッフは言う。 そして、この電子量は地震の3日前に最大限に達した。
同時に、衛星は巨大な赤外線放出を観測した。この赤外線の放出は、地震直前にピークに達した。
これは言い換えると、空気が加熱していたということになる。
これらの観測は「地圏 - 大気圏 - 電離圏結合」
( Lithosphere-Atmosphere-Ionosphere Coupling )メカニズムと呼ばれる考え方と一致している。
この考え方は、地震の前日には、実際には与えようとしている断層の大きなストレスが
ラドンの大量の放出を引き起こすという考えだ。
このガスからの放射能は大規模に空気をイオン化し、いくつかの影響を与えると思われる。
水分子が空中でイオンに引きつけられるので、イオン化が水の大規模な凝結を誘発するのだ。
しかし、結露のプロセスも熱を放つ。
赤外線放出を引き起こしている理由はこれだ。
NASA の研究チームは、
「3月8日赤外線の急速な増加が衛星データから観察されたことを、我々の最初のデータが示している」と言う。
これら赤外線の放出は、電離層とその全体の電子の含有量を増加させる。
そして、これは確かに、岩石圏、大気と電離層がひとつの方向として不安定にさせられる
という意味を持つと思われる。問題は、今回得られたこの証拠が、どの程度まで一般化した意見となり得るかだ。
日本で発生した大地震は、世界で起きた地震の中で最も大きなもののひとつであり、
今後においても研究されるべきトップクラスの現象であり続ける。
今回のデータを最大限に活かすチャンスを作らなければ、地震研究に明日はないかもしれない。
↑
ズバリ「HAARPの活動が極大化されておった」ということですよ。
徐々に明らかにされてゆくわけだ、悪謀の証拠が。
鉄齋、二枚目、
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「櫻花圖」です。
せめて散り際は潔く、まぁ無理かw
◆http://blog.shadowcity.jp/my/2012/04/post-99.html#more
ネットゲリラ(2012年4月10日)
◎第一党が維新、次がみんなの党とかそんな感じ
このところ再稼働問題で大騒ぎなんだが、おいら前から言ってるように、
原発が全部止まると、カネを稼ぐ「固定資産」が全て、一気に不良資産に変身、
沖縄電力を除くそれぞれの電力会社が何千億とか、
下手すりゃ兆を超える「特別損失」を計上しなきゃならないので、
ナニが何でも一基だけは動かしておかないと、
企業の継続性そのものに対する疑念が出て来て、会社が潰れちゃいますw
もはや、原発を動かす「意味」というのは、そうした会計上の理由だけですね。
政治家もマスコミも、何故、ここを追求しないのかw
中部電力はもともと浜岡しか持ってなくて
原発依存度が低いから生き残れるかも知れないが、
依存度の高い関西電力なんぞは、モロにこの問題被ってるw まぁ、
「資産だけど事情があって動いてません」というのも手ではあるがw
政府は稼働の許可を出したけど、周囲 100km圏内に反対している自治体があるので動かせません、とかw
☆http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012040990131300.html?ref=rank
中日新聞 2012年4月9日
◎自民公約、消費税10%明記
自民党は9日、次期衆院選マニフェストの原案を発表した。
消費税率は2010年参院選を踏襲して、現行の5%を「当面10%」に引き上げると明記した。
原案は消費税増税により、持続可能な財政と社会保障制度の確立を目指すとした。
年金制度では「現行制度の基本を堅持」する姿勢を示し、
最低保障年金制度の創設を掲げる民主党との違いを明確にした。
受給者が増大している生活保護には就労支援を拡充した上で、給付水準を10%引き下げる目標を提示。
食費や被服費を現金支給から現物支給に変更することなどで予算を削減するとした。
原発の存廃を含めたエネルギー政策は「今後10年の国民的議論で結論」と判断を先送りした。
自衛隊を「自衛軍」と位置付け、国旗、国歌の尊重規定を新設する憲法改正を打ち出した。
デフレ対策では、政府と日銀の政策協定で消費者物価の前年比2%上昇を目指すインフレ目標を導入。
法人税の大幅な引き下げも盛り込んだ。
民主党政権が進めた政策では、農家への戸別所得補償制度や子ども手当の見直しを念頭に
「無責任なばらまき」と批判した。
鉄齋、三枚目、
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「伏見人形」です。
同世代のようだが、なかなか大胆ですなぁw
当ブログ既報の内容もあるが、面白いねぇ、
◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/263514844.html
新・心に青雲 2012年04月10日
◎砂糖黍と明治維新
上野公園の山一帯は今、桜が満開でテレビのニュースでもそのにぎわいが映し出されている。
折しも東京国立博物館では、「ボストン美術館 日本美術の至宝」という展覧会が催されている。
6月まで開催なので見に行こうかと思っている。
そのボストン美術館にある「日本美術の至宝」は、詳しいことはわからないが、
たぶん幕末の混乱期に日本から売り払われた美術品ではなかろうかと思われる。
多くは江戸城にあった美術品を、薩長新政府軍が奪って外国に売り払ったのである。
政権が交代したとはいえ、財宝は徳川家の所有なのに、平然と盗んだものだ。
上野寛永寺に立てこもった彰義隊を、薩長軍(新政府軍)の大村益次郎が攻撃するにあたり、
江戸城内の徳川家の「至宝」を持ち出してカネに替え、それで銃砲弾を買ったのである。
Wikipediaにも以下のように記述されている。
「大村が立案した彰義隊殲滅作戦を実地するには50万両もの大金が必要だった。
この調達の為に大村は米国より軍艦ストンウォールジャクソン号購入の為の資金25万両を
交渉役の大隈重信から分捕り、更に江戸城内の徳川家の財宝を外国商人に売り払い、
最終的には新政府の会計をつかさどる由利公正に掻き集めさせた20万両を併せて何とか50万両を揃えた。
これにより作戦実地に必要な銃砲弾その他の物資を揃え開戦した。」
しかしながらこの50万両の大金でも、戦はたった1日しかできなかった。
だから1日で決着をつけるしかなかった。 戦争にはとてつもなくカネがかかるものだ。
よって大村益次郎は1日で終わらせる作戦をたて、犠牲を厭わずに彰義隊を攻めた。
大村は将来を見越して薩摩軍の力を同時に殺ぐために、最も激戦のところに集中させた。
私たちは歴史の教科書ではこういうことはほとんど聞かされない。
戦争をやるには莫大なカネがかかるのに、
そのカネがどこから調達されたかはほとんど語られないのは不思議である。
個人レベルで言っても、素浪人でしかない坂本龍馬が活躍できた裏には、
彼を金銭的にささえた勢力があったのに、それを抜きにして話ができあがってしまう。
明治維新は薩摩藩と長州藩が主導して成ったわけだが、両藩はいったいどこからその莫大な資金を得たのかが、
どういうものか日本の歴史学では解明されずに、
なにやら「思想(尊王攘夷とか)」と「武力」だけで事が進んだなどと皆が信じる。
『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり』(大江修造著 アスキー新書)によれば
薩摩藩の軍事力の謎は、薩摩藩が当時「植民地」にしていた奄美群島で砂糖黍を栽培し、
それを換金し蓄財していたからである。
江戸時代に砂糖は超貴重品であったのだから、薩摩が砂糖黍に目をつけたのは当然であったろう。
奄美群島は本来、琉球王国の所領だったが、薩摩藩が武力侵攻して植民地にしたのである。
薩摩は奄美で農民に米などは作らせずに、砂糖黍だけを栽培させ、
中国や琉球と抜け駆けで交易させないために船も造らせなかった。ひどい苛斂誅求をやって、
しゃにむに将来の徳川幕府打倒の資金を貯め込んだのだ。
それ以外にも、琉球や中国と密貿易をやって蓄財した。
その経緯が『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり』に詳しく書かれている。
「大事がなされるときにカネが必要なことはいうまでもない。(中略)
なぜ明治維新における財政面が語られてこなかったのか。それは明治維新を推進した薩摩藩が、
史上でも稀な収奪を奄美などから行い、歴史から隠蔽したためである」
と、この本では説いている。
大江氏によると、沖縄の民謡は概して明るい調子だが、奄美の民謡は暗いのだそうだ。
つまり奄美の民衆は薩摩の奴隷にされていたからであったというのだ。
ついでながら、生麦事件に端を発した薩英戦争(1863年7月)では、われわれは教科書とか
司馬遼太郎の小説などでは薩摩側が一方的に敗れたと書かれていたが、
実際は薩摩が勝っているということも、この本で知った。
確かにこの戦争で、薩摩は一気に攘夷を捨て、開国へなだれ込むのだが、戦争そのものは薩摩が勝利している。
この本の主張は、砂糖黍で儲けた資金で薩摩が軍事力を駆使できたので、
たいした内戦にもならずに日本は欧米の植民地にならずに済んだのだと言っている。
その影に、奄美の人々の虐げられた暮らしがあったのである。
ではもう一つの雄・長州のカネの出所は、こちらも朝鮮との密貿易で稼いだものだった。
また、長州の軍資金は、白石正一郎という豪商(小倉屋という問屋)や鴻池が用立てしたのである。
白石正一郎は下関で問屋や酒屋を営んだが、下関はなんといっても大阪から日本海側に船が抜ける要衝であったし、
朝鮮とも近接していたから、交易で儲けたのである。
白石は薩摩藩の御用達になっているし、土佐藩を脱藩した龍馬が一時寄宿している。
自身も尊王攘夷思想にかぶれて、莫大な資金を長州の志士らに提供した。
あまりに莫大な資金をむしりとられて、維新後は没落した。慶応元年くらいには資金がつきたと言われる。
だから彰義隊を攻めるカネがもうなかったのだろう。
鴻池財閥のほうは、長州の出自ではなく、現在の兵庫県伊丹市で造り酒屋をやっていて、
やがて大阪に進出して両替商になって財閥にまでのぼりつめた。
明治新政府が出来たと言っても、政府は自分でカネ儲けをしたわけではない。
しかしカネがなければ国家は運営できない。ずいぶん困っただろう。
税金をとろうにも、行政組織が壊れたのだから一から作り直さねばならず、そのカネもなかった。
薩長連合軍が徳川幕府から略奪するつもりで江戸城に乗り込んだが、スッカラカンだったことは有名である。
だから徳川家としては薩長と戦争する気がないのは当たり前だった。
むろん天皇家にもカネはない。
だから困って、借金するか、略奪に及んだのである。その借金に応えたのが主に三井財閥であった。
三井財閥は維新新政府の資金要請に応え、政商の基盤を確固たるものにした。
その三井は、ロスチャイルドの手下であった。
だから、新政府はロスチャイルドの言いなりになって、富国強兵路線を突っ走ることになった。
それだけではない。以前にブログで書いたことだが、
明治以降の政府は多くの庶民を誑かして、移民や「からゆきさん」を出して、
食い扶持を減らすとともにカネを創った。
日本が貧しくて税金の取りようがなかったからではあるが、
その海運を担ったのが新興財閥にのし上がった三菱であった。
三菱や三井の船が日本人を海外に捨てる役目を担い、その大株主だった天皇家がこれまた莫大な蓄財を果たした。
慶応の福沢諭吉が積極的に日本の婦女子を外国に売り払えと奨励したのだ。
私たちがややもすると財政・経済に弱いのは、近くはこのような明治維新実行の資金が
教科書や御用作家らによって隠され、触れられないできたことも原因の一つではなかろうか。
例えば坂本龍馬を英雄視して、あたかも彼の力で革命が成ったかのように小説やドラマが描かれる。
龍馬にいかに新時代への志があったとて、財政基盤があったればこそだということは忘れられてしまう。
「断固として行えば自ずから道は開ける」などという妄想をわれわれはうっかりすると持たされる。
その悲劇が大東亜戦争の補給を無視した戦いにつながっているはずだ。
元をただせば薩摩も長州も、資金の出所を隠してテメエに都合の良い、
きれいごとばかり「歴史」にしたからである。
◆http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/263695680.html
新・心に青雲 2012年04月11日
◎松蔭の闇(1/4)
《1》
昔から私は吉田松陰という男が尊敬もできず、好きになれなかった。
後に松蔭がどういう男か詳しく知って、始めの直感みたいなものが正しかったとわかったが、
複雑な思いをした。
私が出た高校は、本来は小学校から大学までの一貫教育の学園であったが、私は高校3年間だけお世話になった。
広大な敷地に小学校から大学まで点在していて、その中に松下村塾を復元した家屋もあり、
丘と丘をつなぐ陸橋には「松蔭橋」などと名前がつけられていて、
学園の創始者がいたく吉田松陰に惚れ込んでいる様子であった。
その高校には入ったものの校風にはなじめなくて、反発していたので、
いっそう松蔭が嫌いになった面もあっただろう。松下村塾の家屋を復元したとて、何が嬉しいのか、と。
学園の創設者が薩摩のさらに田舎の出身だったから、「知行合一」なる教育理念に共感したというより
薩長同盟のよしみで長州の吉田松陰が気に入っていたのかもしれない。
東京は世田谷区に松蔭神社なるご大層なものまであり、神奈川県の厚木にはその名も松蔭学園という学校まである。
松陰神社は、世田谷線という路面電車に毛がはえたような路線の「松蔭神社前」駅近くにある。
江戸時代は長州藩の別邸があった土地に、長州藩を乗っ取った下級武士どもが師たる松蔭を祀ったものだ。
山口県の萩にも松蔭神社がある由だが、東京の神社は撤収してくれないだろうか?
どういう経緯か、世田谷の松蔭神社のすぐ近所には、安政の大獄で松蔭を処刑させた大老・井伊直弼の墓がある。
井伊直弼の霊に、非業の死をとげた松蔭の悪霊が暴れださないよう抑えてもらっているのだろうか…。
吉田松陰はペリーの黒船に単独で乗り込んで「俺を米国に連れていけ」と頼んだとか、いや、
実はペリー提督と刺し違える気で乗船したのだとか、諸説あるようだが、どちらにしてもバカなというか、
分別のない愚挙をしたものだと、初めてあの男を知ったころからバカにしていた。
しかも、幕府側に自首して出たのだから、黙っていればいいものをアホかと。
海外渡航が国禁だったことは承知していたのだから、無銭で米国に連れていってくれとは、
どれだけ図々しく、無法な男だったかわかるではないか。
こんな法破りの勝手な男が、明治以降に長州が政権をとったせいで褒めそやされるようになった。
これも「動機が純粋なら許される」みたいな、理不尽な話がまかり通る発端になったのではないか。
後の二・二六事件の青年将校どもの一件に通じるものがある。
吉田松陰は、いかにもアヘン戦争で負けた支那が植民地にされる惨状を知って、
日本をなんとかしなければと思ったかもしれないが、しょせん彼は長州の忍者組織の一員であるから、
黒船の一件にしても上の指示にしたがっただけのことなのではないか。
後年、明治天皇がすり替えられたと知ってからは、余計その遠因をつくった吉田松陰が嫌いになった。
孝明天皇とその息子(本当の明治天皇)を暗殺し、
長州の田布施から大室寅之祐を連れてきて身代わりに据えたのは、松蔭の弟子だった伊藤博文であった。
かかる不法な天皇制を生んだのは、吉田松陰にも責任はある。
なにが「知行合一」だ、馬鹿野郎と言いたい。
《2》
本当の吉田松陰については、松重楊江氏の『二人で一人の明治天皇』(たま出版 2007年刊)に教えられた。
以下はこの本を参考にしている。
詳しくは後述するが、松重氏は明治維新の本質を、
「松下村塾門下生の勤王志士たちが計画した南朝再興とは、北朝系の天皇グループをそっくり排除して、
南朝系に代えるという王朝の変動革命であった」と説いている。
話は飛ぶけれど、現在、大阪市長・橋下徹の率いる「大阪維新の会」が、国政に討って出ようとして、
衆議院議員候補を一般公募して政治塾のようなものを立ち上げようとしている。
その募集が「志士を募る」というようになっている。
これはただ単に幕末の「改革」を真似たからではなく、
もっと歴史を知る何者かの深謀遠慮が隠されているように思えるのである。
本稿を書こうという気になったのは、まさに今日的課題としての「大阪維新の会」の台頭を踏まえてなのである。
さて。
長州藩には、「ウラ毛利」という忍者組織があった。この連中が主体となって倒幕運動をやるのである。
「ウラ毛利」とは、長州藩(毛利)が関ヶ原で敗れて以降、
倒幕用の軍資金を貯めて守る任務を負った忍者集団のことである。
「ウラ毛利」には、上忍・中忍・下忍の3階級があった。
松蔭は中忍であり、伊藤博文は下忍であった。下忍だったから、孝明天皇を惨殺する実行部隊を指揮し、
厠に入っていた天皇を下から忍者刀で突き刺したのが伊藤である。
松重氏によると、「ウラ毛利」」の上忍は「情報局長官」であり
中忍は「左官級情報員」で、下忍が実行部隊ということになる。
松蔭は、黒船に乗り込んだ当時(安政元年)、長州藩の家老は益田弾正親施であり、
この親施(ちかのぶ)とその親の益田元宣に認められて、中忍に抜擢されていた。
この頃に「ウラ毛利」は、尊王攘夷とともに倒幕、および南朝革命を志す同士集団となっていた。
だから松蔭は、「ウラ毛利」」の上忍・益田親施の命令で、情報収集の目的で
浦賀において米艦に乗り込もうとしたのである。したがって、あの愚挙は松蔭の個人的な動向ではなかった。
松蔭は失敗して下獄し、翌年には萩に回されて謹慎処分となる。しかし幽囚の身となった松蔭は、
そこから松下村塾に顔を出し始めて講義を始め、塾生が増加してゆく。
これも先だってのブログで説いたように、松蔭がもし単独の行動で萩から浦賀まで従者を連れて旅行してきて、
浦賀で小舟を購入して米艦に乗り着けるなんてことをしたとしたら、どれくらいの巨額の資金が必要だったか。
それを誰も言わないのではないか?
当時、江戸から大阪まで飛脚を飛ばすと今のカネで50万円くらい費用がかかったのだ。
萩から浦賀まで下級武士の分際で旅費が揃えられるわけがないことくらいわかりそうなものだ。
だから、松蔭にはスポンサーがついていて、その背後の勢力が資金を出して、
スパイたる松蔭に情報をとらせようとしたのだ。
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そこで「小沢新党」ですよ、 そろそろ重い腰を上げろよ!