Quantcast
Channel: ギャラリー酔いどれ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

なごり雪Ⅱ

$
0
0
 画は、志村 立美 (しむら たつみ)
 明治40年(1907年)~昭和55年(1980年)

 群馬県高崎に生まれる。
 表紙絵、挿絵画家から出発し、
 岩田専太郎と肩を並べる挿絵画家となり、
 晩年は美人画に転向、独自の美人画を完成させた。  作


  「雪中美人」です。


☆晴れたり曇ったり、やっと雪降り止む。

いい記事です。

まさに「鬼畜米英」、昔も今も変わらない、

◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/muzannasaturikukurihirogetabeigun.html
長周新聞 2015年3月11日付


   無惨な殺戮繰り広げた米軍

      東京大空襲から70年

      中東空爆と重なる姿


太平洋戦争末期の1945年3月10日、
米軍によって一夜にして10万人が焼き殺された東京大空襲から70年を迎えた。

アメリカに抱えられた首相が、「邦人保護」や「集団的自衛権」を叫び、
平和主義を覆して日本をふたたび武力参戦の道にひきずりこもうとしている今、

そのアメリカがなにをし、どのようにして日本を占領したか鮮明にしなければならない。
全民族的な規模で動員され、320万人もの犠牲者を強いられた
第2次大戦の経験を語り継ぎ、二度と戦争をくり返させないために
独立と平和の世論を全国的に巻き起こすことが求められている。


☆一夜で焼き殺された10万人

1941(昭和16)年の日米開戦以来、ミッドウェー海戦で日本海軍を壊滅させ、
ガダルカナル島を攻略した米軍は、44年には日本の軍事要塞であった
サイパンとテニアンを占領して太平洋上の制空権、制海権を握り、
このマリアナ基地を拠点にすることで日本本土の空襲を可能とした。

すでに日本の敗北は動かしがたい事実となり、7月には東条内閣は総辞職し、
戦争終結は時間の問題であった。

だが、天皇制政府は無謀な戦争をやめるのではなく、
国内からは輸送船を丸腰で送り出しては米軍潜水艦の餌食としてことごとく撃沈させ、
南の島では武器や食料の補給もせぬままとり残された兵隊たちは
飢えと病気で死んでいき、戦没者を激増させていた。

こうしたなかで、アメリカはB29による日本本土空襲を本格的に開始。
3月10日の東京大空襲を皮切りに、大阪、名古屋などの大都市から中小都市あわせて
67都市の市街地を焼き払う無差別殺戮を強行した。

終戦までに全国200カ所以上が被災し、死者は100万人をこえた。

日本本土への空襲は、1942年4月18日の空母艦載機13機による
東京、横浜、名古屋、神戸への空爆に始まり、
日本が制空権を失った1944年になると北九州、佐世保、諫早、大村、浜松、
土浦、大阪など各地で頻発し始め、その標的は次第に民間住宅地へと変わっていった。

アジアにおける植民地確保を狙うアメリカは、
日本を単独で占領・統治する口実をつくるため、
みずからの手で日本を制圧した格好をつくり出すこと、
また占領後の反抗の芽を摘む必要から
日本国民を老若男女問わず徹底的に痛めつける全土の絨毯爆撃へと乗りだし、
東京大空襲はその最初にして最大の無差別殺戮となった。

1945年3月10日未明、米軍B29325機の大編隊がマリアナ基地を飛び立ち
東京へ接近。それに先立つ9日夜10時30分ごろ、
2機のB29が上空を旋回して飛び去ったといわれる。

発令された空襲警報はすぐに解除され、狭い防空壕の中で
まんじりともせず身を潜めていた市民が安堵していた午前〇時過ぎ、
寝込みを襲うように米軍による一斉爆撃が始まった。

超低空飛行で東京湾上空から侵入した米軍は、まず隅田川を挟んで
浅草、本所、深川、江戸川方面へ円を描くように焼夷弾を投下して
炎の壁をつくって脱出を不可能にし、
市民を中心部へとしぼり上げるように追い込みながら、その頭上に
1800㌧もの高性能焼夷弾を雨のように浴びせた。

使用されたM69油脂焼夷弾は、木と紙でできている日本家屋を想定して
アメリカが開発した兵器で、空中で1発から37発に分化し、着弾と同時に爆発し、
周囲数十㍍にわたってゼリー状のナパーム油脂をまき散らして一帯を火の海にする。

水で消すことはできず、通常よりも長時間燃え続ける特徴があった。
また、投下前には上空からガソリンが撒かれたといわれ、
火の手は人人が飛び込んだ川面まで及んだ。

木場地区などの材木の町から投下されたことで火炎は勢いを増し、
1区あたり20~25万人が暮らす住宅密集地をわずか二分間隔で
呑み込んでいったといわれる。

火流は本所区(墨田区)を南北に縦断しながら、いくつもの運河に囲まれた江東区を
またたくまに包囲。さらに浅草区(台東区)、牛込区(新宿区)、下谷区(台東区)、
日本橋区(中央区)、本郷区(文京区)、麹町区(千代田区)、芝区(港区)と
次次に襲い、各地で燃え上がった炎が合流して大火流となり
猛烈な火の粉を吹き上げながら「まるで生き物のように」
木造家屋を次次と呑み込んでいった。
その火勢は、幅200㍍の隅田川の両岸を繋ぐほどであった。

空襲警報が発令されたのは爆弾投下から7分後であり、多くの市民が気付いたときには
すでに周囲は火の海となっていた。
「市民の義務」とされていた防火義務にとらわれたり、
日頃の訓練通り待避壕に逃げ込んだ人ほど脱出が遅れた。

わずか半時間足らずで下町全域は火に呑まれ、周囲は火の壁に囲まれ、
橋は落とされて逃げ場を奪われた市民が西へ東へと逃げ惑うなか、
米軍は「電柱や屋根にぶつかりそうなほど」の超低空飛行をしながら、
その市民めがけて無差別爆撃をくり返した。

避難場所になった橋の上や川までが集中的に狙われ、その標的にされた多くは、
逃げ遅れた女や子ども、年寄りなどの非戦斗員であった。

累累と横たわる死体の中には、赤ちゃんや幼児をかばって焼かれた
母親の姿が多く見られたという。

さらに、強かった北北西の風が地上の大火災に煽られて、
瞬間風速25~30㍍もの暴風を呼び起こし、
「火は風を呼び、風が火を呼ぶ」という相乗効果で、市民を阿鼻叫喚の渦に叩き込んだ。

激流となった火炎は地を這い、川をこえ、巻き込まれた人人は倒れ折り重なったまま焼かれ、
男女の見分けもつかない焼死体の山がいたるところに築かれた。

逃げ場所もなく、炎と煙のなかに響く肉親の断末魔の叫びは、
生き残った人人の脳裏に焼き付いている。

また、酸欠や煙に襲われて倒れたまま焼かれ炭になったり、
逃げ込んだ川の中での溺死や凍死、あるいは立ち尽くしたままの窒息死も数多く、

米軍の作戦は、まさに「1人も漏らさず殺し尽くす」文字通りの絶滅作戦であった。

たった2時間あまりで東京下町はおびただしい死体と 燃えさしが堆積する焦土と化し、
東京は全面積の六割を焼失した。

100万人が家や財産を失い、10万人をこえる人人が焼き殺された。

隅田川には溺死体が浮かび、毎日のように肉親を探す人人が荒縄で引き上げ、
引きとり手のない遺体が山と積まれ荼毘に付されていった。

世界戦史上のどこをみても、わずか数時間で10万人以上が殺された例はない。

後の広島・長崎への原爆投下とともに人類史上もっとも残虐な殺戮であり、
終戦を目前にしながら無抵抗のまま焼き殺された人人の無念を忘れるわけにはいかない。


☆勲章もらったルメイ 皇居だけは無傷だった

この東京大空襲は、用意周到な爆撃計画にもとづいて実行された。

爆撃目標を軍事施設ではなく、一般市民が密集する住宅地に定めたアメリカは、
ドイツでの絨毯爆撃で「功績」をあげたカーチス・ルメイ少将を爆撃兵団司令官とし、
過去に東京での火災が春先の強風が吹く時期に集中していることから、
空襲決行日を陸軍記念日の3月10日に設定。

最初に空爆目標地の外周の隅田川や荒川の堤防沿いに焼夷弾を落として
炎の壁をつくって人人の退路を絶つこと、
1平方㍍あたり3発という地上を舐めつくすように焼き払うことも
米軍作戦任務報告書に記されている。

この作戦は、その後の日本各地の都市空襲をはじめ、
現在のイラク空爆でも応用されるなど、米軍空襲のモデルとなっている。

戦後、司令官ルメイは、

「われわれの攻撃目標が、
一般市民への無差別爆撃ではなかったことは注目されなければならない」

「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。
ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向いの家がワッシャを作っていた。
木と紙でできた民家の一軒一軒が、すべてわれわれを攻撃する兵器工場になっていたのだ。
これを攻撃してなにが悪いのか」と開き直って主張。

また、「軍事的に引き起こされた死になんら新しいものはない。
われわれは、広島と長崎で蒸発した人人を合わせたより多くの東京住民を、焼き焦がし、
熱湯につけ、焼死させたのだ」と強弁しており、

原爆投下と同様に、すべては
「終戦のため」「正義のため」であることを強調してはばからなかった。

だが、この都民10万人が焼き殺される大空襲にあって、
戦争終結の権限をはじめ国の統帥権のいっさいを掌握する天皇がいる皇居は無傷であった。

その他、政府関係者がいる永田町一帯をはじめ、
カトリック系の病院など米軍が占領後に使う施設は攻撃目標から外された。

国民にはバケツリレーなどによる防火演習を強要しながら、
米軍機を迎え撃つ対空射撃や迎撃態勢がまったくとられず、
米軍のなすがままであったことも疑問として語られている。

この大空襲の1カ月前、天皇側近の近衛文麿は
「敗戦は必至だが、米英は国体(天皇制)変革まではしない。
恐れるべきは米英よりも国民による革命だ」と天皇に上奏しており、
「空襲でやられた方が終戦にはむしろ都合がいい」と発言した記録もある。

それは、敗戦後を見越して、みずからの地位を保護してくれるアメリカの占領に
協力した方が得策という意味であり、
国民を徹底的に痛めつけて反抗の芽を摘むという点で、
アメリカと利害が一致していたことを示している。

アメリカも天皇を「平和主義者」として戦後の統治に利用する目的から
あえて攻撃せず、戦後その地位を保障した。

日本全土の空爆を指揮したルメイは、戦後19年目に昭和天皇から
勲一等旭日大綬章を与えられたことも、数百万死者の冒涜として激しい怒りを買っている。

あれから70年を迎えるなか、
日本全土を火の海にし、無差別殺戮を実行した同じ下手人が、
今度は日本に鉄砲玉になることを要求し、
支持率17%の首相がその尻馬に乗って憲法改定を叫び、
若者だけでなく、再び国土が戦禍に巻き込まれることが現実味を帯びている。

かつての凄惨な記憶を蘇らせ、日本を焦土と化した米軍空襲への新鮮な怒りを共有し、
日本の独立と戦争阻止の民族的な大運動を巻き起こすことが、
戦後70年にして抜き差しならない課題として迫られている。




志村立美、二枚目、



「支度」です。




対米断交の支度を、

脅し、騙し、奪い尽くす=タルムード信奉者・ユダ米との、価値観の共有などない、

◆http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/tpp-5594.html
マスコミに載らない海外記事  2015年3月11日 (水)
◎オバマ大統領の都合上による期限のおかげで、怪しくなったTPP


☆http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=11397305
Jane Kelsey: TPP compromised by Obama deadline

Secrecy surrounding partnership negotiations perceived
as an assault to fundamental democratic values
連携協定交渉を巡る秘密性は、基本的な民主的価値観に対する攻撃と見なされている。


異論の多い環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)は時間切れになりつつある。

先週、ニューヨークでの交渉官達は、担当相達が、
3月に決定する為の未解決課題のリストをまとめあげるよう、
極めて強力な圧力を受けていた。

アメリカ合州国には、深刻な最終期限があるのだ。

TPPを、バラク・オバマ大統領の業績の一部とするには、今後三カ月間の内に
まとまる必要がある。国際貿易委員会による文章と費用対効果の分析は、
8月頃迄に議会に提出されなければならない。

この機会を逃してしまえば、オバマ大統領は、
自分の後継者が協定に対する称賛を得ると分かれば、政治的資源を、
これを押し通す為に費やす興味を失う可能性が高い。

参加諸国がこれを実現できるか否かは、政治的な問題だ。
技術的作業はほぼ終わっている。

政治的大詰めにとっての、一つの主要な障害は、最近の二つの進展で明らかになった、
中核的な民主的原理に関する主張だ。

第一に、政治家達は、いまだに、これほどの規模の協定を、秘密にしたまま、
署名してすませられると思い込んでいるように見える。

ニュージーランドのグローサ貿易大臣ーと同僚連中は、
公的、民主的な精査の下で、このような協定を交渉することは不可能だと主張している。

一方、欧州委員会は、これに類似するアメリカとの
環大西洋貿易投資連携協定(TTIP)交渉で提出した一連の法律文書を公開した。

1月早々、欧州委員会は、交渉がまとまった際には、
署名と批准よりずっと前に、全文を公表すると発表した。

欧州委員会は、欧州連合のオンブズマン、エミリー・オライリーの、
TTIPを巡る秘密性に関する調査への手厳しい批判に応えたのだ。

TTIPには、国民生活に対する潜在的に重大な影響があるので、
主要文書は公開されなければならないと、彼女は主張したのだ。

こうした文書の公開に対するアメリカの抵抗は、
内容をヨーロッパの各国国民に対して隠しておく理由として不十分なのだ。
同じ理由付けは、TPPにもあてはまる。

圧力は高まりつつある。

エリザベス・ウォーレン上院議員は、
ウオール街の再規制に影響する可能性がある草稿文書の公表を要求しており、
バーニー・サンダース上院議員は、適切な分析と助言を可能にする、
公開を要求する法案を提出すると威嚇している。

一週間前、日本の弁護士達が、国会の最高の立法権限を侵害し、
権力の分立を脅かし、人権を侵害するものとして、TPP交渉差止・違憲訴訟の会を立ち上げた。

3月中旬の閣僚会談での最終的な決断前に、
各章の草稿公表という要求が再度起きる可能性と、いくつかの国々での、
署名される前に論議することを可能にすべく
文章の公開を強いる法的な動きがありそうなことだ。

もう一つの問題は、恐喝も同然の、アメリカの承認過程だ。

日本が反抗的だなどと言う言辞はどうでも良い。

アメリカとて同様に保護主義なのだ。

両者は、いちかばちかの勝負をしているのだ。

オバマ大統領の協定を早くまとめたいという姿勢が日本を有利にしている。
しかし日本も、アメリカ議会が他のTPP参加国政府に、一方的に、
自らの意思を押しつけようとしているのを知っている。

最終合意は、議会が満足する迄、決して最終のものとならないのだ。

下院の票数を計算すれば、オバマ大統領が、少なくとも、他の参加諸国に、
協定をちゃらにはしないと保証した際に
議会が最終合意をばらばらにする力を限定する
ファースト・トラック交渉権限を得られる可能性はまずない。

日本に差し迫っている最大の脅威は、
日本が義務を満たしているかアメリカが承認するという条件だ。

アメリカの輸出を競争できないようにしてしまうと、
彼らが主張する通貨操作を罰するのに、TPPを利用しようという熱意が、
議会で高まっていることだ。

こうした規則は、壊滅的経済制裁と伴に、
アベノミクスの貨幣政策の矢に終止符を打つことになる一連の難題を解き放ちかねない。

交渉で、この問題はまだ持ち出されていない。

日本は、大詰めの承認時に、
アメリカがこの通貨というカードを切ってくる可能性が高いことを知っている。

承認に関する最近の話で、ニュージーランドも日本同様に神経質になるはずだ。
オーストラリアは、2004年に、アメリカとの自由貿易協定を実施する法律を成立させた。
アメリカは、それでは十分ではないと言い、
協定で要求された以上に著作権法を厳しくする更なる法律を要求した。
そうしなければ、アメリカは協定を発効させようとしなかったのだ。

オーストラリア議会特別委員会は検討の為に24時間与えられ、
提案を聞き、新法案に関して報告をするのだ。

議会図書館の法律ダイジェストは、
"議会は、この法案に先行した過程を、懸念を持って注目しており、
"アメリカとオーストラリアの閣僚間の通信は"事実上、オーストラリアにとって、
新たな義務を作り出したと述べた"と示唆している。

基本的な民主的価値観や過程に対するこうした攻撃に、
対処するのか、対処するのであれば、どのように対処するのかが、
医薬品価格や、外国投資家が政府を訴える権力、プライバシーや、
きちんとした暮らし等に対する重大な懸念が、
TPPの政治的大詰めとして、極めて重要であることが明らかになるだろう。


----------

昨日は、宗主国による理不尽な戦争犯罪で10万人以上がなくなった日から、70周年。

今日は、宗主国から、この地震の巣の国に、
まんまと押しつけられた理不尽な核発電システムのおかげで、
未曾有の大惨事がおきた日から、4周年。

大本営広報部の皆様は、中学生殺人や、洲本殺人は延々報じてくださるが、
至極普通の、平和で安全な生活を求めて、辺野古基地反対の行動しておられる方々に対する
海猿の皆様の大胆な弾圧行動は全く報じない。

どちらが、より深刻で、重大かという総合的な視野、
この国で楽しく生きる為には、決してあってはならない。

通貨操作問題については、下記の内田聖子氏の詳細な記事をお読み願いたい。

米国議会で議論噴出のTPPと「為替操作禁止条項」 ―
なぜ日本のマスメディアでは報じられないのか
☆http://uchidashoko.blogspot.jp/2015/03/tpp.html


大本営広報部のお笑い番組や洗脳「ニュース」とは
全く違う悲惨な地獄が、ぱっくり口をあけて、我々を待っている。

鳩山氏、世界をまたに、大活躍。
素人は、気軽にクリミアに飛んでゆけるわけではない。

そこで、オーランド・ファイジズ著
『クリミア戦争 上・下』を読んでいる。

欧米がロシアを悪魔化しているところは、
ロシアを悪魔化する偽文書が広まるところは、そっくりそのまま。

紛争の背後に、建前だろうが、歪んだ宗教的選民意識があるのも、そっくり。




志村立美、三枚目、



「初詣」です。




偽ユダヤ、偽ユダヤ、

◆http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201503110000/
櫻井ジャーナル  2015.03.11
◎イランを核爆弾で脅せと主張するアデルソンが
 拠点のひとつにしている マカオは 戦後の闇に通じる


より抜粋、

全面核戦争になるであろう第3次世界大戦の危機が高まる中、
西側支配層の内部で対立が生じている。

好戦派の暴走にブレーキをかける動きが出てきたのだが、
日本は好戦派に従属したまま。

その関係を象徴しているのが世界第10位の金持ちで、
2013年にはイランを核攻撃で脅すべきだと主張していたシェルドン・アデルソンだ。
☆http://www.washingtonpost.com/blogs/post-politics/wp/2013/10/23/
 adelson-obama-should-fire-nuke-to-send-message-to-iran/

この人物は賭博を稼業とし、
昨年2月には日本を訪れて100億ドルをカジノのために投資したいと語っている。

(中略)

アデルソンを単なる賭場の胴元だと考えてはならないことは
イランへの好戦的な発言からもわかる。

アデルソンに動かされていると言われるネタニヤフの好戦性は
イスラエルの情報機関、モサドの長官を務めたメイル・ダガンらからも
批判されるほど危険なもの。

カジノに目が眩んでいるのかもしれないが、
日本の政治家は自分たちが誰に取り込まれようとしているかを
理解しなければならない。

カジノも地下経済と深く結びつき、
オフショア市場(タックス・ヘイブン)ともつながっているわけで、
情報機関や犯罪組織も関係してくる。

アデルソンはアメリカのラス・ベガスとペンシルベニア、
東南アジアのマカオとシンガボールでカジノを経営している。

現在、マカオは中国領だが、1999年まではポルトガルの植民地。
第2次世界大戦でポルトガルは「中立国」だったが、
1942年から45年までは日本がマカオを占領していた。

大戦中、ドイツや日本は占領地で金塊や財宝を略奪したが、
戦争の終盤にそれらを隠し始める。

ドイツは「中立国」のスイスやポルトガルへ持ち込み、
日本はフィリピンに集積させて一部は日本へ持ち帰った。

フィリピンでは山間部に埋められたと言われているが、
金塊が東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、
あるいはチリやアルゼンチンの銀行へ運び込まれたとも言われている。
(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)(注)

こうした財宝の存在をアメリカはつかみ、
情報はヘンリー・スティムソン陸軍長官(戦争長官)へ伝えられた。

その下にいたのがジョン・マックロイ、ロバート・ラベット、
そしてロバート・アンダーソン。

1944年7月に連合国の44カ国から代表が
アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズに集まって
国際通貨金融会議が開かれたが、その際、
極秘裏に略奪財宝の処理方法について協議されたとも言われている。

その後、金の取り引きが規制されるのだが、
マカオは「見落とし」で協定の対象外になり、日本に利用されることになった。

ヨーロッパではスイスにある国際決済銀行(BIS)がナチスの略奪財宝を
ロンダリングしたと信じる人は少なくない。

マカオやBISは戦後の闇へ通じている。

西太平洋の情報活動はダグラス・マッカーサーがOSSを排除していたことから、
チャールズ・ウィロビーが指揮することになる。

ウィロビーはドイツ生まれで、親ナチスとして知られている。
占領時代の日本ではGHQ/SCAPのG2(情報担当)部長を務め、
「怪事件」の黒幕と噂されている。

フィリピンでの財宝捜索はマッカーサーと親しい「超保守的な企業弁護士」の
コートニー・ホイットニー中佐が行う。

企業弁護士ということは、OSSの長官だったウィリアム・ドノバン、
破壊活動を指揮していたアレン・ダレスたちのような
ウォール街の弁護士と同じ世界の人間ということだ。

後にフェルディナンド・マルコスは財宝の一部を探し出したと言われている。
マルコスにビューティー・クィーンだったイメルダ・ロムアルデスを紹介した
フィリピン系アメリカ人のサンタ・ロマーナは
マッカーサーやホイットニーと親交があり、何らかのつながりから
財宝に関する知識を得たと言われている。
その情報がイメルダを介してマルコスへ伝わった可能性がある。

財宝に関する情報は捕虜になっていた日本軍の将校からロマーナが聞き出し、
エドワード・ランズデール大尉(当時)へ伝えられたのは
日本が降伏した後の1945年10月。その情報を持ってランズデールは東京へ向かい、
マッカーサー最高司令官のほか、
G2のウィロビー少将やGS(民政局)のホイットニー准将へ伝え、
さらにワシントンDCでジョン・マグルーダー准将へ説明した。
マグルーダーはOSS出身。つまりドノバンの部下だった人物である。

マグルーダーの命令でランズデールはハリー・トルーマン大統領の
国家安全保障を担当スタッフにも会ったという。

そしてスティムソン陸軍長官が知るところになり、
財宝をアメリカの国際戦略に利用しようと考えたようだ。

ちなみに、OSS(アメリカの戦時情報機関)のメンバーだったランズデールは
山下奉文大将が降伏した8日後にフィリピンへ入り、
ウィロビー少将の下へ配属になっていた。

ランズデールは戦後、CIAの幹部として秘密工作を指揮することになり、
その中にはキューバの革命政権を倒す工作も含まれている。

この財宝に関する情報が外部へ漏れる切っ掛けは
マルコスがアメリカ軍に国外へ連れ出されてから。

1983年8にマルコスの政敵だったベニグノ・アキノが空港で射殺され、
フィリピン国内で反マルコスの声が高まっていく。

1986年2月には大規模な抗議活動が展開され、
100万人がマニラの通りを埋めたとも言われている。そうした混乱の中、
マルコスは家族と一緒にハワイへ連れ出された。

この作戦の黒幕はネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツだという。
そして、マルコスの財宝に関する裁判が起こされ、情報が漏れ出すことになった。

なお、アデルソンが仲間とラスベガスのサンズ・ホテルを買収し、
カジノの世界へ入るのは1989年のことだ。


(注)現在、ギリシャ政府はドイツに対し、
大戦時に盗んだ財宝を返すように要求しているが、その根拠はここにある。
その要求が拒否されたことからギリシャ政府はドイツ資産を押さえるとしている。





恩を仇で返す偽ユダヤ、その性、醜悪なり。



Viewing all articles
Browse latest Browse all 3231

Trending Articles